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駆け出し事件記者見守るリボンの騎士 天井板に手描き

2010年8月30日

写真:手塚治虫さんがトキワ荘の天井から取り外した板に描いた「リボンの騎士」と自画像=東京都豊島区の池袋署、葛谷晋吾撮影手塚治虫さんがトキワ荘の天井から取り外した板に描いた「リボンの騎士」と自画像=東京都豊島区の池袋署、葛谷晋吾撮影

 東京都豊島区、警視庁池袋警察署7階の「5方面記者クラブ」。都内主要7署にある駆け出し事件記者の拠点の一つだ。その隅に、古びた天井板は眠っている。

 縦90センチ、横30センチほどの板に描かれているのは、リボンの騎士と、見覚えある手塚治虫さんの自画像――。漫画界の人気者たちが暮らした豊島区南長崎3丁目の木造アパート「トキワ荘」が28年前に取り壊された際、手塚さん本人が描いたという。「五方面記者クラブのみなさんへ」と、添えられている。

 当時の朝日新聞には「おなじみのベレー帽姿は、取り壊しを知ってやって来たファンに囲まれ、思い出の2階14号室へ。かねての希望通り、煮炊きの煙がたっぷりしみ込んだ天井板の一部を譲り受けた」とある。

 でも、なぜその1枚がここにあるの? 今では、記者も署員も、誰も知らない。

 「たまたま、トキワ荘のそばのラーメン屋に行ったんだ」。読売新聞編集委員の小出重幸さん(59)は、1982年11月30日のできごとを懐かしそうに振り返った。

 当時31歳。前任地の仙台から社会部に異動して1年目だった。その日は、午前中に板橋区で火災を取材した後、各社の記者が連れだってトキワ荘近くの中華料理店「松葉」に向かった。

 食事を終え、ふとトキワ荘をのぞくと、ぐるりと足場が組まれ、窓枠が外されている。解体作業が始まるという。慌てて取材を始めた。住人だった漫画家に思い出話を聞こうと、電話取材した。

 他社の記者が手塚さんに電話すると、「思い出の天井板を取りに行く」という。12月1日の夕方、トキワ荘の前で待ち合わせる約束をした。

 翌日。手塚さんは新宿区高田馬場3丁目にあった事務所で「ビッグコミック」の編集者に2日遅れで「陽(ひ)だまりの樹」の原稿20枚を渡すと、席を立った。ほかの連載の締め切りも迫っていたが、それでも、トキワ荘に向かった。

 「怒る編集者に囲まれながら帰りを待ちました」。手塚プロダクションの松谷孝征社長(65)は振り返る。「行かせたくなかったけれどね。気分転換してもらおうと」

 予定より1時間ほど遅れてトキワ荘に到着した巨匠は、電球が外されて真っ暗な中をぐんぐん進み、2階の14号室へ。記者たちが懐中電灯で照らす中、脚立に上った。

 「はがしちゃっていいんですか?」「いいの、いいの。大家さんに言ってあるから」

 はがしたばかりの数枚の天井板。小出さんがフェルトペンを差し出すと、手塚さんはリボンの騎士を描き、「僕も」と自画像を添えた。

 トキワ荘の最期を伝えてくれた記者たちへの、手塚さんらしいお礼だった。みんなで抱えてクラブに持ち帰り、ロッカーの上に飾った。

 天井板の手塚さんに見守られながら、5方面記者クラブで取材に携わった記者は、200人を超える。みんなここから巣立っていった。

 「トキワ荘と同じですね」と、かつて住んでいたアニメ作家の鈴木伸一さん(76)はいう。「僕は思うんです。学校でも会社でも、みんなが将来、活躍するようになれば、そこがそれぞれのトキワ荘になる」(古田真梨子)

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