ケーススタディ・これが法の名のもとに行われる民族差別です
ヘイトスピーチに反対する会は、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会の一賛同団体です。さる7月28日、この「連絡会」で6月に行ったデモ・集会における決議文を、文部科学省に提出しに行きました(公式報告)。これには反ヘイトのメンバーも参加しましたが、そこで行われたやりとりは、「法の名のもとに行われる差別とはこういうものなのか」ということをまざまざと教えてくれる、なんともわかりやすいケースであったので、解説つきで紹介したいと思います。
※ 朝鮮高校の無償化排除をめぐる経緯と問題点については、つぎの記事もごらんください。
「日本政府は「高校無償化」をネタにした在日朝鮮人への弾圧をやめろ」
1.官僚は「純技術的に」差別政策を推進できる
提出時にはあわせて何項目かの質問への回答を、対応に現れた袖山禎之担当官(初等中等教育局・主任視学官)にもとめました。まず聞いたのは、文科省の委託による「検討委員会」がどのように話を進めているのかということ。この「検討委員会」は、現時点では保留中となっている朝鮮高校への無償化適用を、最終的にどうするのかを決めるための前段階として、適用の「基準」を検討しているとのこと。
ではそもそも、なぜ朝鮮高校についてだけ特別に「基準」を検討しなければならないのか。これがすでに差別的待遇ではないのか。
それにたいする袖山担当官の回答はこうでした。「無償化」法の「制定規則」(参考)は、「各種学校」にこの法が適用される要件として、「外国の学校教育制度」または「文部科学大臣が指定する団体」によって認定されているかどうか(つまり本国確認ができるかどうか)という点を定めている。しかし朝鮮学校は、日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交がないため、この基準には入らない。だがこの基準とは別途に、文部科学大臣が「〔日本の〕高等学校の課程に類する課程」をおいていると認めた場合にも、適用は可能となっている。この第三の基準のなかで検討を進めているために、朝鮮高校への適用には時間がかかっているのであって、決して文科省は外交の問題を教育の問題に持ち込んでいるのではない。つまり、朝鮮高校への適用の遅れは、あくまで「純技術的な」問題である、とのことでした。
さて、こんな説明には、多少なりともこの件の経緯をニュースで見て知っていれば、誰も納得できないでしょう。ことの発端は、今年2月における中井洽の「朝鮮学校を無償化から外すべき」という発言でした(参照)。もともと「各種学校」全般も適用対象として準備がなされてきたはずなのに、中井の働きかけの結果として、朝鮮学校だけを除外するさらに細かい基準(本国確認の有無)が設けられたのです。あるいはそれが、中井発言に関係なく文科省が独自に設けた基準なのだというならば(現に中井発言は無関係だと袖山担当官は何度か弁明していました)、それは文科省が率先して朝鮮学校を他の各種学校から区別したこと、つまり文科相が率先して朝鮮学校を差別したことを意味します。(そもそも、朝鮮学校が戦後ずっと各種学校あつかいを受け続けていることもまた問題なのですが。)
いずれにせよ問題は、現行の「無償化」政策の基準が、わざわざ朝鮮学校だけをほかの各種学校とは別の適用カテゴリーに置いていることにほかなりません。文科省は、まず先に手続きのなかに差別を組み込んでおきながら、「わたしたちは差別していない」「純技術的に手続きを進めているだけだ」と言い張っているわけです。国家機関による差別は「純技術的に」おこなわれるということを、教訓として覚えておいたほうがよさそうです。
2.検討委員会は人権問題については検討しない?
袖山担当官の耳を疑いたくなる発言は、まだまだ続きます。
国家機関による「技術的」検討ということには、現行の法律や条約(憲法における基本的人権の条文や人種差別撤廃条約など)に照らし合わせて矛盾がないかを検討するということも含まれるはずだが、その点はどうなっているのかという質問がありました。それにたいして袖山担当官は「そういう憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提で(!)、「高校に類する課程」かどうかを技術的に検討している」と回答しました。
なにを根拠として「憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提」がなりたつのでしょうか。この発言にはとりわけ怒りの声が強く挙がりました。
過去記事にある指摘をくり返しますが(これやこれ)、朝鮮高校はすでに地方自治体で助成金の申請などするときにカリキュラムを提出していますし、朝高卒業生の大学受験もすでに多くの大学(国公立大学含む)で認められています。それゆえに、「純粋に教育の問題として検討している」と言うならば、四月の時点での適用除外と、検討委員会による調査という措置そのものの意義が、非常に疑わしいものです。
このように、ただでさえ存在意義の疑わしい「検討委員会」が、人権上の問題についてすら検討しないというならば、いったいほかの何を「検討」しているのでしょうか。
3.「反対の立場からの意見もある」――差別政策の責任のアウトソーシング
朝鮮高校の無償化排除をめぐる報道以来、朝鮮学校への嫌がらせや暴行事件がいくつも起こりました。このことについて、文科省はみずからの責任をどう認識しているのかを尋ねました。
予想できることですが、返ってきたのは「関知していない」「差別はせず、純技術的に検討を進めるだけ」という官僚答弁でした。しかも、別のやりとりにおいてですが、袖山担当官は「反対の立場からの意見も多く寄せられている」と、つまり朝鮮高校を排除せよという意見も寄せられていると、無責任にも言い放ったのです。
「反対の意見もある」? 無償化排除の報道以降、校舎に卵が投げつけられたり」、初級学校生が「おまえ朝鮮学校だろ」と絡まれて無理やりランドセルを開けられたり、そういう露骨な差別行為がいくつも起こっている。それを煽った責任は、きっかけを作った中井洽ら右翼議員のほか、4月時点での無償化排除を決定した文科省にもあるだろうと、わたしたち連絡会は言っている。文科省に寄せられているという「朝鮮高校を排除しろ」という電話やFAXも、あなたたち(内閣や文科省)が煽ったもの以外の何ものでもない。そういう差別扇動の責任を、排外主義者の苦情電話に転嫁するな。――このような抗議がつきつけられましたが、袖山は苦し紛れの官僚答弁をくり返すだけでした。
***
朝鮮高校への無償化適用にかんする結論は、8月中には公開される見通しのようです。適用が決定される(その場合には4月にまで遡って適用となるとのこと)見込みは低くはないようですが、仮にそうなったとしても、わたしたちは文科省や政府の言動への注視を怠らないほうがよさそうです。
「検討委員会」が適用に傾いているとすれば、いま「委員会」や文科省は、それをどう中井のような右翼議員に対しても言い訳のつくかたちで発表するか検討している、ということは大いにありうることです。無償化適用にどのような「右翼への言い訳」がつけられるかによっては、今後の朝鮮民主主義人民共和国との外交や、在日朝鮮人の権利状況について、どんな悪影響をもたらさないとも限りません。
たとえば、「外交上」朝鮮政府に圧力をかけることそのものは認めたうえで、それを「教育」の問題と分離することにより、朝鮮への圧力外交それ自体は容認し扇動するかもしれない。あるいは、ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』が別な事例について指摘しているように、無償化の適用に「過去の植民地支配への反省」などという理由をつけて、4月時点での無償化排除が現在進行形の植民地主義的な差別であることをごまかす可能性があります。つまり、今回の無償化排除をめぐる一件が、「最初に〔在日朝鮮人の権利にかんする〕基準を下げられるだけ下げておけば、その後のちょっとした譲歩が日本政府の「反省」を示す好材料としていきてくる」ので、「日本政府としてはむしろもっと在日朝鮮人を差別し弾圧したほうがよい」という教訓として悪用される可能性もないとは言えません。
それゆえに、仮に朝鮮高校への無償化適用がなされたとしても、その後の政府の言動は厳しく監視していくべきでしょう。
【追記】
朝鮮学校以外の、現在「無償化」の適用を受けていない外国人学校(多くのブラジル人学校など)についても、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会として、あわせて質問しました(こちらも参照)。袖山担当官じしんは部署が違うのではっきりとは回答できないが、ブラジル人学校についても別の部署で検討委員会がもたれているとのことでした。
あわせて、フリースクールや定時制の学校に通う学生にとっては、無償化政策が実質的に負担増になること(たとえばこのように)についても、対策を考えていないのか尋ねました。これについては「検討がなされているという話はまったく聞いていない」という回答が返ってきました。
以上のように、高校無償化という政策は、いわゆる「日本の普通の高校生」とは別の生きかたを選択する人、あるいは選択せざるをえない人にたいしては、実質的な制約や負担(あるいはペナルティ)となっています。
(K)
※ 朝鮮高校の無償化排除をめぐる経緯と問題点については、つぎの記事もごらんください。
「日本政府は「高校無償化」をネタにした在日朝鮮人への弾圧をやめろ」
1.官僚は「純技術的に」差別政策を推進できる
提出時にはあわせて何項目かの質問への回答を、対応に現れた袖山禎之担当官(初等中等教育局・主任視学官)にもとめました。まず聞いたのは、文科省の委託による「検討委員会」がどのように話を進めているのかということ。この「検討委員会」は、現時点では保留中となっている朝鮮高校への無償化適用を、最終的にどうするのかを決めるための前段階として、適用の「基準」を検討しているとのこと。
ではそもそも、なぜ朝鮮高校についてだけ特別に「基準」を検討しなければならないのか。これがすでに差別的待遇ではないのか。
それにたいする袖山担当官の回答はこうでした。「無償化」法の「制定規則」(参考)は、「各種学校」にこの法が適用される要件として、「外国の学校教育制度」または「文部科学大臣が指定する団体」によって認定されているかどうか(つまり本国確認ができるかどうか)という点を定めている。しかし朝鮮学校は、日本と朝鮮民主主義人民共和国との国交がないため、この基準には入らない。だがこの基準とは別途に、文部科学大臣が「〔日本の〕高等学校の課程に類する課程」をおいていると認めた場合にも、適用は可能となっている。この第三の基準のなかで検討を進めているために、朝鮮高校への適用には時間がかかっているのであって、決して文科省は外交の問題を教育の問題に持ち込んでいるのではない。つまり、朝鮮高校への適用の遅れは、あくまで「純技術的な」問題である、とのことでした。
さて、こんな説明には、多少なりともこの件の経緯をニュースで見て知っていれば、誰も納得できないでしょう。ことの発端は、今年2月における中井洽の「朝鮮学校を無償化から外すべき」という発言でした(参照)。もともと「各種学校」全般も適用対象として準備がなされてきたはずなのに、中井の働きかけの結果として、朝鮮学校だけを除外するさらに細かい基準(本国確認の有無)が設けられたのです。あるいはそれが、中井発言に関係なく文科省が独自に設けた基準なのだというならば(現に中井発言は無関係だと袖山担当官は何度か弁明していました)、それは文科省が率先して朝鮮学校を他の各種学校から区別したこと、つまり文科相が率先して朝鮮学校を差別したことを意味します。(そもそも、朝鮮学校が戦後ずっと各種学校あつかいを受け続けていることもまた問題なのですが。)
いずれにせよ問題は、現行の「無償化」政策の基準が、わざわざ朝鮮学校だけをほかの各種学校とは別の適用カテゴリーに置いていることにほかなりません。文科省は、まず先に手続きのなかに差別を組み込んでおきながら、「わたしたちは差別していない」「純技術的に手続きを進めているだけだ」と言い張っているわけです。国家機関による差別は「純技術的に」おこなわれるということを、教訓として覚えておいたほうがよさそうです。
2.検討委員会は人権問題については検討しない?
袖山担当官の耳を疑いたくなる発言は、まだまだ続きます。
国家機関による「技術的」検討ということには、現行の法律や条約(憲法における基本的人権の条文や人種差別撤廃条約など)に照らし合わせて矛盾がないかを検討するということも含まれるはずだが、その点はどうなっているのかという質問がありました。それにたいして袖山担当官は「そういう憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提で(!)、「高校に類する課程」かどうかを技術的に検討している」と回答しました。
なにを根拠として「憲法や条約にもとづく人権の配慮は当然なされているという前提」がなりたつのでしょうか。この発言にはとりわけ怒りの声が強く挙がりました。
過去記事にある指摘をくり返しますが(これやこれ)、朝鮮高校はすでに地方自治体で助成金の申請などするときにカリキュラムを提出していますし、朝高卒業生の大学受験もすでに多くの大学(国公立大学含む)で認められています。それゆえに、「純粋に教育の問題として検討している」と言うならば、四月の時点での適用除外と、検討委員会による調査という措置そのものの意義が、非常に疑わしいものです。
このように、ただでさえ存在意義の疑わしい「検討委員会」が、人権上の問題についてすら検討しないというならば、いったいほかの何を「検討」しているのでしょうか。
3.「反対の立場からの意見もある」――差別政策の責任のアウトソーシング
朝鮮高校の無償化排除をめぐる報道以来、朝鮮学校への嫌がらせや暴行事件がいくつも起こりました。このことについて、文科省はみずからの責任をどう認識しているのかを尋ねました。
予想できることですが、返ってきたのは「関知していない」「差別はせず、純技術的に検討を進めるだけ」という官僚答弁でした。しかも、別のやりとりにおいてですが、袖山担当官は「反対の立場からの意見も多く寄せられている」と、つまり朝鮮高校を排除せよという意見も寄せられていると、無責任にも言い放ったのです。
「反対の意見もある」? 無償化排除の報道以降、校舎に卵が投げつけられたり」、初級学校生が「おまえ朝鮮学校だろ」と絡まれて無理やりランドセルを開けられたり、そういう露骨な差別行為がいくつも起こっている。それを煽った責任は、きっかけを作った中井洽ら右翼議員のほか、4月時点での無償化排除を決定した文科省にもあるだろうと、わたしたち連絡会は言っている。文科省に寄せられているという「朝鮮高校を排除しろ」という電話やFAXも、あなたたち(内閣や文科省)が煽ったもの以外の何ものでもない。そういう差別扇動の責任を、排外主義者の苦情電話に転嫁するな。――このような抗議がつきつけられましたが、袖山は苦し紛れの官僚答弁をくり返すだけでした。
***
朝鮮高校への無償化適用にかんする結論は、8月中には公開される見通しのようです。適用が決定される(その場合には4月にまで遡って適用となるとのこと)見込みは低くはないようですが、仮にそうなったとしても、わたしたちは文科省や政府の言動への注視を怠らないほうがよさそうです。
「検討委員会」が適用に傾いているとすれば、いま「委員会」や文科省は、それをどう中井のような右翼議員に対しても言い訳のつくかたちで発表するか検討している、ということは大いにありうることです。無償化適用にどのような「右翼への言い訳」がつけられるかによっては、今後の朝鮮民主主義人民共和国との外交や、在日朝鮮人の権利状況について、どんな悪影響をもたらさないとも限りません。
たとえば、「外交上」朝鮮政府に圧力をかけることそのものは認めたうえで、それを「教育」の問題と分離することにより、朝鮮への圧力外交それ自体は容認し扇動するかもしれない。あるいは、ブログ『日朝国交「正常化」と植民地支配責任』が別な事例について指摘しているように、無償化の適用に「過去の植民地支配への反省」などという理由をつけて、4月時点での無償化排除が現在進行形の植民地主義的な差別であることをごまかす可能性があります。つまり、今回の無償化排除をめぐる一件が、「最初に〔在日朝鮮人の権利にかんする〕基準を下げられるだけ下げておけば、その後のちょっとした譲歩が日本政府の「反省」を示す好材料としていきてくる」ので、「日本政府としてはむしろもっと在日朝鮮人を差別し弾圧したほうがよい」という教訓として悪用される可能性もないとは言えません。
それゆえに、仮に朝鮮高校への無償化適用がなされたとしても、その後の政府の言動は厳しく監視していくべきでしょう。
【追記】
朝鮮学校以外の、現在「無償化」の適用を受けていない外国人学校(多くのブラジル人学校など)についても、「高校無償化」からの朝鮮学校排除に反対する連絡会として、あわせて質問しました(こちらも参照)。袖山担当官じしんは部署が違うのではっきりとは回答できないが、ブラジル人学校についても別の部署で検討委員会がもたれているとのことでした。
あわせて、フリースクールや定時制の学校に通う学生にとっては、無償化政策が実質的に負担増になること(たとえばこのように)についても、対策を考えていないのか尋ねました。これについては「検討がなされているという話はまったく聞いていない」という回答が返ってきました。
以上のように、高校無償化という政策は、いわゆる「日本の普通の高校生」とは別の生きかたを選択する人、あるいは選択せざるをえない人にたいしては、実質的な制約や負担(あるいはペナルティ)となっています。
(K)