「子どもが幸せな社会こそが大人が最大に幸せになる社会では」という問題の投げかけの文章には、100%賛同できます。
親が安心して子を生み、育てることができる社会環境整備という議論も、それはそれで大切なことだと思います。
ただ、少子化という現象が、先進国と呼ばれている国々全体に広がる問題であり、新たに工業化を実現した中国などの国でも、近年謙虚な問題となってきたことも、同時にあわせて考えてみる必要もありかな? と思います。
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子どもを産まない、という選択肢をとる。。。
こう考える人たちが多くなった社会は、決して幸せな社会とは言えない。
人間という生き物が作る社会全体をして、「産まない」という選択肢を「必要以上に」あるいは「消極的な理由で」選ぶようになるのは、健全な社会とはいえませんし、そもそも「種の保存」という思想性に反する成員が多くなる社会は、果たしていかがなものか。
やはり「子どもを産んで育てたい!」と思う人、あるいは自らが出産に関わらない(関われない)でいても、「子どもってかわいい!」「子どもって素敵!」と純粋に思う心が世の中に溢れていて欲しいと思う。
子どもが幸せな社会こそが大人が最大に幸せになる社会では。/寺西 隆行(lovedoorニュース)
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まず、
安心して子を生み育てることができる社会についてです。
政治的には、
安心して出産できるための産科での出産費用の無料化
産科医師と看護師の増強
生まれた子供にもしものことがあったときの医療費用の免除
子を育てるための育児手当の充実
共稼ぎ世帯の増加に対する託児施設の増設と補助金交付
生まれてきた子供たちへの教育機関のあり方の見直し
などが議論されます。
ただ、こうした議論は、「なぜ少子化が起こるのか」という疑問に答えるものではなく、あくまで、起こった事象に対する手当の議論といえます。
「なぜ」という問題についてで思い出すのは、立花隆が、ずいぶん昔に文芸春秋に書いた「子殺しの社会学」という論で、この話はその後、「サル学の現在(平凡社)」というまったく別な論説として出版されました。
要旨は、環境ホルモン論ともいうべきもので、人口が増大し単位面積当たりの人口密度が一定の割合を超えると、動物にも、子殺し、同性愛、異常性愛
の顕著な増加がみられ、最終的にホルモンバランスが崩れて大量死を迎え、適正な人口密度に戻る。。。というものです。
あちこちから反論が巻き起こった論説なのですが、なるほどと唸らせる点も随所にあり、また、少子化という現象が人口の爆発的増加の起こった国に顕著に発生していることなどを考え合わせると、正論に見えてきます。
昨今の若者のユニ・セックス化、セックスレス化といった傾向も、ようするに人間もサルのうち・・・ということなのかもしれませんね^^
←気にいっていただいたらココをクリックよろぴく。ちょっぴりはげみになりますので^^v
人類がこのまま人口が増えていけば、どこかで、「適正人口」のバランスが崩れ、上記の事態に陥る可能性大だと思います。
と云って、「子を産みたい」との親の要望(遺伝子を残そうとする本能)は致し方無く、未来の政体は、SFの世界のように、「人口管理」の世界になるのでしょうか?
それも生命の根源を犯すようで、空恐ろしいと思いますが…。
しかし、地球における生命は、大繁殖(大繁栄)の後、大絶滅を繰り返しているので、
人類も同じ道を繰り返すようには思います…。
嗚呼、登りきってもいないのに下り坂・・
これでちんだら
ヤダ♪ヾ(≧▽≦)ノヤダ♪