
ウィンタースポーツ・シーズンであることだけでなく、冬季オリンピック前であることから、フィギュア・スケートに対する関心はかつてないほど高まってますね。
特に女子の激しい代表争いが、多くの人たちの興味・関心の対象になっていたようで・・
かくいう私は、この10年、ほとんどまともにフィギュアを見てきませんでした。
オリンピックは見てましたが、毎年開催される世界選手権、グランプリシリーズ(NHK杯ですら)は全く見ませんでした。正直興味がありませんでした。
それほど、「伊藤みどり」という選手の魅力に縛られていたのです。
伊藤みどり選手が私に味あわせてくれた興奮を、他の誰も与えてくれませんでした。
伊藤みどりのアマ引退後、彼女にとって代わる魅力的な選手がいなかったのです。
他の選手の滑りを見ると、「これは同じスポーツなのだろうか?」とさえ感じたものでした。
(余談ですが、ビデオテープのタイトルラベルが「伊藤みどり」「それ以外」って分類になって
るくらい、自分にとっては天と地ほど差がある。)
「伊藤みどりの魅力的なスケート」の呪縛から解き放たれたのは、つい最近。
その前兆を感じたのは2005世界ジュニアでの浅田真央選手と織田信成選手
の演技を見たとき。
そして、グランプリ・シリーズ〜全日本選手権を全て録画して、繰り返し見るほど
自分の中のフィギュア熱が戻ってきたんです〈笑)。
で、みどりの呪縛から解き放たれた目で、録画しておいた過去のオリンピックを
見ると、個々の選手の魅力がやっと理解できるように・・・・。
それと共に、みどり熱も復活し、みどりの演技を見てから就寝する毎日(笑)。
伊藤みどり選手の何がそんなに自分を惹きつけるのか。
彼女が幼い頃からその成長を見守り続けてきたがため、親近感が湧いたという
のは確かに否めません。
例えて言えば、『北の国から』の吉岡くんと中島さんの成長を見てきたため
彼らを非常に身近に感じるようなもの。
「あんなに小さな子が、いじらしい・・・」「もうこんなに大きくなったのね」。
でもそれだけじゃない。
心から楽しんでスケートをする彼女のエネルギーを浴びて興奮する観客、そして
それを自らの燃料にして更にパワーアップするみどりちゃんの演技を見ると、
えもいわれぬ幸せな感情が、心の奥底から湧き出してくるのです。
共に滑り、共に観客のスタンディング・オベーションを受けているかのように、
感情移入をさせるのです。
それだけに「楽しむスケート」が「勝たなくてはならないスケート」になっってしまった
アルベールビルオリンピック・シーズンは、見ているこちらも純粋に楽しめなくなりました。
正座してテレビをみてしまう緊張感。手に汗をかきながらハラハラして「見守る」感じ。
みどりちゃんにシンパシーを感じるだけに、彼女の苦悩や緊張までも感じ取って
しまっていたのでしょうか。
現日本スケート連盟フィギュア強化部長いわく、「みどりは金メダルを取れるはずだった」。
本来の実力を出せない原因は、一人の選手に過剰にかかるプレッシャーのためだと。
日本人選手が獲得していない金メダルは、オリンピックのそれだけになりました。
その日本スケート連盟悲願の「オリンピックの金メダル」を獲るために、「伊藤みどりの
悲劇」の反省を活かして、フィギュア界全体の底上げを図り、3人もの有望な選手を
トリノに送るほどになりました。
確かに、彼女に金メダルを獲らせて上げたかった。
でも、あのオリンピックから13年経過した今でも、彼女の演技は色褪せない。
まさに記録ではなく記憶に残る選手です。
カルガリーオリンピックで誰よりも観客の熱い声援を受けたのは、金を獲ったビット
ではなく、5位の伊藤みどりでした。
フィギュア・スケートが紛れもない「スポーツ」であることを気づかせ、現在に至る
流れを作った伊藤みどり。それまで「観客は弾むゴムまりを見に来ているのではない」
と、揶揄していたビットをして、カルガリーオリンピック後に「真の金メダリストは
伊藤みどりだ」と言わしめた魅力があったのです。
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