表記は8/9付け発表文だから少し時間が入り繰るけれども、ソロスのグルジアとの関わりを確認しておこう。
《摘要》
1。1990−91年のバルカン諸戦争でブリテンのご主人様に仕えた後、ジョージ・ソロスは一連の会合をセルビア内部で開いた。それは「バラ革命」「オレンジ革命」を、そして国民国家を切り崩し将来的なブリテン吹き込みの衝突用に「ロシア周辺の環」を創出する企図の連続した騒がしい民主的反乱を打ち出すべきものだった。ソロス運営の鍵となる作戦の一つは、[本ブログ8/14付け]「コーカサスで第三次世界大戦勃発を企てるソロスをラルーシュが非難」で示したように、グルジア大統領エドゥアルド・シュワルナゼを転覆しミハイル・サーカシビリ、ソロス「オープンソサエティー研究所」のコロンビア大学仕込みのプロジェクトを持ち込むことだった。
2。1994年から2004年までに、中央アジア・プロジェクト(CEP)やオープンソサエティー・グルジア財団(OSGF)を含むソロス・オープンソサエティー研究所の様々なプロジェクトや副プロジェクトが少なくとも4千万ドルをシュワルナゼ転覆の為に費やした。
3。カナダの新聞Globe and Mailが2003年11月にこう書いた。「その月、オープンソサエティー研究所の諸基金がギガ・ボケリアという名前のトビリシの活動家31歳を、オプトール(抵抗)運動構成員に会い、独裁者スロボーダン・ミロシェヴィッチ転覆のため如何に街頭デモを使ったか学ぶべく、セルビアに送った」。
4。2004年サーカシビリが権力に就いた時、トップの内閣閣僚から「最低篇の警察官」までのサーカシビリ政府官僚各人に数百万ドルの内諾を供与したのは、ビリオネアのソロスと当時の国連事務次長マーク・マロック・ブラウン(今はマロック・ブラウン卿、ブリテン連邦省の長官)との二人組だった、とジャーナリストのマーク・アーモンドが2007年11月14日に報じた。彼自身の及び他の多くのウエブサイトに投稿された同じ記事で、サーカシビリの厚遇(月給千ドル、ドル崩壊分調整済)警察官が2007年グルジア選挙での野党に対するサーカシビリの動きの棍棒使いだった、とアーモンドは特筆した。
5。マーク・マロック・ブラウン卿は単にソロスの協力者にしてニューヨーク自宅の客ではない。彼は国連資金を使ってソロスの反国民国家軍資金増進を助けたー彼はジョージ・ソロスの事業パートナーだ。
6。フィナンシャル・タイムズが伝えた。「サー・マーク(今はマロック・ブラウン卿)は、特に東欧及び旧ソ連内の民主主義と人権とを促進する、ビリオネア慈善家のオープンソサエティー研究所の副会長として仕えるだろう」。
7。FTは2007年5月1日付け記事に、「クアンタム・ヘッジ・ファンド株主向け書簡の中で、ソロス氏はサー・マークが自分と日常ベースの同社経営をする二人の息子とに対して多様な問題に関する助言をするだろうと述べた」旨追記した。
(以上)
ジョージ・ソロスのブリテンとの関係、サーカシビリがソロス丸抱えだったこととが分る。サー・マークがブリテン側の相手だと分ったが、さて「ご主人様」とは誰又は何のことだろうか。未だ未だラルーシュの言うことを追いかけねばならぬようだ。
2008年08月15日
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