ピアニスト西本梨江 [2006年07月23日(日)]
右は「歌手」河合弘之、左は、筆者。中央が「主役」西本梨江さんです。 ダバオでの「フィリピン日本国交樹立50周年記念」「日比友好年記念」と大げさなタイトルが2つもついた、われら“2大テナー”(?)のコンサート、実は、主役はピアニストの西本梨江さんなんです。もう7年近くも、しょっちゅうお会いしている中ですから、普段は「梨江ちゃん」、わが娘のような気分であり、音楽では指導者のように仰ぎ、教えてもらっています。 梨江ちゃんは出発の前の週は、横浜の「関内ホール」で超満員の聴衆を前に、リサイタルをしました。年に数回、リサイタルを開いているのは流石です。11月8日には、「みなとみらいホール」でと聞いてています。 梨江ちゃんとはこれで「海外公演」は2回目です。2000年にユジノサハリンスクのチェホフ記念国立劇場にグランド・ピアノを贈呈したときにもごいっしょでした。但し、そのときの私は主催者兼司会者としてでした。 さて、今回は、わが「君が代」の独唱に続き、エレジョ・カンデリオ氏によるフィリピン国歌「太陽の国」でした。曲としての長さは「君が代」の数倍もあるものでしたが、タガログ語でしたから、まったくわかりません。ただ、歌詞の最後は、「ダヒルサヨ(because of you)」というものでした。 そこからがコンサート。まず、第1部として、われらが梨江ちゃん、よく似合う真っ赤なドレスでの独奏です。開演前の慎重な準備と、幕の裏での「精神の集中」は、プロとはこういうものなんだという凄みがありました。梨江ちゃんが「プロフェッショナル・ピアニスト西本梨江」に変身するのです。大いに学ぶものがありました。 演奏したのは、ショパンの「ノクターン作品2」、映画「愛情物語」のテーマになったあのメロディーからでした。若い人たちがいっぺんで、興奮し始めました。次が「ホール・ニュー・ワールド」、これも映画のテーマです。「アラジン」からです。そして「踊り明かそう」。「マイフェア・レディ」からの名曲です。 その次に、西本梨江の十八番、ドビュッシーの「花火」です。華麗な技法と演奏に、聴衆は圧倒されたようでした。同じような圧倒感は、最後に演奏さしたファリャの「火祭りの踊り」でも感じられましが、その間の3曲が、これまた素晴らしいものでした。西本梨江編曲の「さくら」、フィリピンのヴィサヤ地方の民謡「ウサハイ」、そして「冬のソナタ」なのです。 とりわけ、私が唸ったのは「冬ソナ」でした。タガログ語バージョンで、場内の人たちが皆さん、歌うのです。これを広めた人は、韓国の最高勲章でも貰ったのでしょうか。すごい影響力だと思います。日本の曲で、こんなに世界で歌われているのは、と考えました。今は参議院議員となった喜名昌吉の「花」、谷村新司の「昴」、千昌夫作詞・遠藤実作曲の「北国の春」かな? いかがでしょう。 肝腎の第2部、その乗りで「上を向いて歩こう」、「花」(武島羽衣作詞、瀧廉太郎作曲)、「椰子の実」「荒城の月」「落葉松」(野上彰作詞、小林秀雄作曲)、「九十九里浜」(北見志保子作詞、平井康三郎作曲)と、戦前・戦後の名曲でしたが、如何せん、梨江ちゃんが懸命にフォローしてくれ、また、「歌手は良いのですが曲が古く」(と他人のせいにして)、イマイチ、盛り上がりに欠けました。 しかし、しかしなのです。最後の2曲、「ダヒルサヨ」を盟友・河合弘之さんが、新婚2日目のジョセヴン・アウステロ日系人会長と、カッライン・トメルドンさんとで歌った時は、さすがに、場内の雰囲気ががらりと変わり、最後のデユエット「故郷」では、1800人の聴衆の3分の2以上の人が、パワーポインで上映した、ローマ字の歌詞に合わせて、歌ってくれたのです。 最前列に座っていた日系2世、3世(ダバオにはもう6世までいるのです)は、最後は、涙で声にならず、腕で目を拭っておられました。 志をはたして いつの日にか 帰らん 山は青き ふるさと 水は清き ふるさと どんな思いだったのでしょう。ステージ上の私も胸が詰まりました。 成田に愛車を預けて行きましたので、梨江ちゃんを品川駅まで送りました。車中、「行ってよかったね」と、うなづきあったのでした。 |