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【格闘技】

山本小鉄さん死去 68歳

2010年8月30日 紙面から

 元プロレスラーで新日本プロレス顧問の山本小鉄(やまもと・こてつ=本名・勝)さんが28日午前6時42分、低酸素性脳症のため死去した。68歳。今月14日の両国大会でテレビ解説を務めており、突然の悲報だった。63年に日本プロレス入りし、力道山最後の弟子。新日本プロレスの旗揚げに参加し、アントニオ猪木を支えた。引退後は“鬼軍曹”として、後進の指導に当たるなど活躍。頑固で独特のキャラクターでバラエティー番組にも出演した。遺族の意向で、通夜、告別式は近親者のみで行われる。

 頑固一徹、プロレスを愛し続けた“鬼軍曹”が亡くなった。猪木らとともに新日本プロレスを設立。厳しい指導で若手レスラーを一人前に育てたのが山本さんだった。

 山本さんは1941年、横浜市に生まれ、63年に日本プロレス入り。力道山最後の弟子で、星野勘太郎とともに「ヤマハブラザーズ」の名でテネシータッグ選手権を奪取。身長170センチ、体重100キロという小兵が、190センチ台全盛のプロレス界で輝いた。

 71年、猪木が日本プロレスを追放されると、山本さんも離脱。翌年の新日本プロレス旗揚げに参加した。エースは猪木でも、裏の看板は山本さんだった。新日本のライオンマークの原案を作り、道場訓も考えるアイデアマン。猪木の右腕としてリング内外のビジネスで手腕を発揮した。

 79年、星野とのコンビでIWA世界タッグ選手権を奪取。80年4月、惜しまれながら引退した後は“鬼軍曹”として、選手を育成。藤原喜明、前田日明、闘魂三銃士ら山本さんから指導を受けていない新日本のレスラーはいない。プロレス中継の解説、レフェリーとしても活躍した。

 訃報(ふほう)を聞いた猪木は「みんな旅立っていく。普通なら『まだやることがあるのに…』と言うところだが、オレは死生観が違うので、ご苦労さんと言いたい」とコメントした。

 

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