山本小鉄さんを悼む
新日本プロレスの解説者、レフェリーとして知られる山本小鉄さんが28日、低酸素性脳症のため、お亡くなりになりました。享年68歳。
小鉄さんは1963年に力道山最後の弟子として日本プロレスに入門。星野勘太郎さんと結成したタッグ「ヤマハブラザーズ」で米国などで活躍。1971年には故ジャイアント馬場と袂を分けたアントニオ猪木とともに新日本プロレスを旗揚げしました。
プロレスファンの方にしかお分かりにはならないと思いますが、私は「金曜午後8時」の世代です。小鉄さんの丁寧な解説を聞きながら燃える闘魂を見て育ったと言っても過言ではありません。
小鉄さんの体調不良を伝えるような報道は、全く耳にしていなかったので大変驚きました。滞在先の軽井沢で急に倒れてしまったそうなのですが、本当に残念です。
私はプロレス担当をやった時期は短かったので一度名刺をお渡しして挨拶した程度で、ほとんど面識はありません。しかし、小学生から中学生にかけて新日本プロレス中継に熱狂していた者としては、大変思い出深い人物です。
私がテレ朝の新日本プロレス中継を見始めたのは小学4年生だった昭和55年から。藤波や木村健吾といった若手ファイトの後にメーンで猪木が登場する。昭和55年は猪木の異種格闘技戦も一息ついた後だったので、純粋なプロレスに集中していた時期ですね。外人レスラーも役者が多かった。この頃はボブ・バックランド、ダスティー・ローデス、少し遅れてスタン・ハンセンも新日リングに参戦していました。どのレスラーも個性的で味わい深く、子供心に憧れたものでした。翌昭和56年には初代タイガー・マスクが登場します。まさに金曜午後8時はテレビの前で釘付けだったわけです。
小鉄さんが現役を引退したのは、昭和55年4月だそうですからちょうど私がテレビ中継を見始めた頃と入れ違いだったのでしょうね。現役時代の試合は残念ながらまったく記憶にありません。私の中では名ファイトの名解説者ですね。
熱戦の最中に興奮した古館伊知郎さんの実況を「あっ、ちょっと待ってください」とさえぎってリング(もしくはリングサイド)での乱闘に割って入るシーンはよく覚えています。「あっ、ちょっと待ってください」は小鉄さんの本のタイトルにもなりましたね。
正直なところ、最近のプロレスには私自身だいぶ関心が薄れてしまいました。私が高校生になった頃から前田日明(当時は前田明)氏が率いるUWFなどプロレスというより、格闘技色が強い団体が台頭し始めました。同時にプロレスもそれまでの勢いが失われてしまった気がします。 各団体もスター選手を育てたいのでしょうが、時代の流れもあり、苦しんでいらっしゃると思います。
私の中で熱狂できるプロレスは「昭和」まで。小鉄さんには、あの頃のプロレスについてもっと語っていただきたかった。古き良き時代。昭和がまた一つ遠くなりました。寂しいです。
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