「どうしたもんかな」
一般的かどうかはともかく、色々な意味で平均的な高校生の範囲を逸脱したことのない少年──春日大樹は面倒くさそうに呟きながら玄関の扉をくぐる。
いつも通りなら、そのまま冷蔵庫に行って冷たいものでも飲みたいところだったが、今日のところはまっすぐに二階にある自室に向かう。
「ううぅ、嫌だなぁ」
自室の扉のノブを握りながらそんなことを言う大樹は、一度深呼吸して中にいるそいつとの遭遇に備えると、ノックもなしに扉を開く。
「キャー、えっちぃ」
「やかましい!」
ぴっちり全身黒タイツの上に、腰にだけスカートを穿くという頭の悪い服装で胸を隠すように両腕を組んだポーズをとった髑髏を思わせる覆面をした男を、すかさずに一喝する。
「おや? 一般的に、平凡な高校生の所で居候をしている人外には、こういうイベントがつきものかと思ったのですが」
「どこの世界の一般論だ」
「マスターの部屋の本棚に入っている本で学習したのですが、違いましたか?」
「そりゃあ、萌えヒロイン限定のイベントだ」
「むう。言われてみれば……」
まじめくさった口調でふざけたことを言う髑髏男に、本当にどうしたものだろうかなと大樹は頭痛をこらえるように頭に手を当てる。
なんで、こういうことになったんだかと、すでに黒歴史にしてしまいたい過去という名のパンドラボックスを大樹は開く。
◆
その日は、日曜日であった。
たまたま友だちが捕まらず、しかたなく家でゲームをしていた時に、それは起こった。
やっていたゲームのタイトルは、『Fate/stay night[Realta Nua]』 。
急に暇になったので、中学二年生の頃にクラスで大人気になったこれを久しぶりにプレイしてみようと出来心を起こしたのが間違いの始まりであろう。
フルボイスで登場人物の一人がサーヴァントを召喚する呪文を唱えたときに、不思議なことが起こった。
穴の空いた袋から水がこぼれるように減っていく自分の体力。
どこからともなく室内に現れた、髑髏の面の不審極まりない見知らぬ男。
「なんで俺の部屋に、ハサン・サッバーハのコスプレしたオッサンが?」
「何を言ってるのですかな魔術師どの?」
「……」
「……」
「なりきってるー!!」
「言ってる意味が分かりませんが」
こいつは重症だ。警察を呼ぼう。だが、自分をアサシンのサーヴァントだと思っている相手の前で警察を呼んだりして無事でいられるものだろうか?
そんなことを考えてしまった後、いやコイツの目の前でやらなければ済むんじゃね?
と、自然な挙動で立ち上がり、部屋を出て行ようと扉を開ける。
「おや、どこかに行くのでしたらご一緒いたしますよ?」
しかし、回り込まれてしまった。
「いや、ちょっと喉が渇いただけだからね。ほら、サーヴァントなんて家族にも見せるべきじゃないんだし、部屋にいてくれないかなって思ってみたり」
「はあ。そういうことでしたら、こうすれば」
言った瞬間、髑髏男の姿が空気に溶けるようにぼやけ、すぐに姿が消える。
「消えた?」
「霊体化しただけです」
「ぬおっ! 声はすれども姿は見えず」
「だから霊体化ですってば」
その言葉の後、今度は誰もいなかったはずの所に髑髏男が現れる。
「ちょっ、ちょっと待て」
「なんですかな?」
「お前、まさか本物のアサシンのサーヴァントなのか?」
「最初から、そう言って……」
「ないぞ!」
「おや?」
「言っておくが、俺は間桐臓硯じゃないし、そもそも魔術師じゃないからな」
「ほう?」
短く答えてくる髑髏男の声に剣呑なものを感じて、大樹はふと思い出す。
うろ覚えなゲームの知識であるが、ハサン・サッバーハも聖杯を求めるサーヴァントの一人であったはずだ。
そいつが、なぜ自分をマスターと呼んでいるのかはともかくとして、魔術師ではないなどと言ってしまえば役立たずと判断されてまずいことになるのではなかろうか。
「えーと、多分だけどアンタ以外のサーヴァントとか存在しないし聖杯戦争とかないからね。魔術師も実在しないから、俺を殺して別のマスターと契約しようとか考えないでいてくれると嬉しいなーって思ってみたり」
「それは、どういうことですかな」
怪訝というか、あからさまに怪しんでいる気配に、さてどうしたものかと思う。
そもそも自分自身が現状を理解しているわけではないわけで、お前はゲームの世界の住人なのだなどと言って納得してもらえるものだろうか?
うん、それ無理。
しかし、黙っていては事態は悪くなるだけである。
さあ、どうする自分。と汗をダラダラ流しながら考える。いや、汗をかいてる理由は、せっかくクーラーが効いてたのに扉を開けてしまったせいなのだが。
閉めようか。しかし、その挙動が髑髏男に不信感を与えてしまうかもしれないと、落ち着きなく部屋内を見回した大樹は、ふとそれの存在を思い出す。
機動しっぱなしのプレイステーション2と、やり始めたばかりのゲーム画面。
「アレ、何か分かるか?」
尋ねた言葉に髑髏男は首を傾げ、そこから説明しなければならないのかと、気が滅入る。
けれど、下手すれば自分は死ぬのかもしれないと思えば他に手はなくて、大樹はゲームの説明をすると共にプレイするように勧めたのだった。
それが、三日前の話である。
その間、ぶっ続けでゲームをやっていた暗殺者の後ろ姿はシュールというか不気味だったわけで、そんなものがいる所が自分が寝起きしている部屋だというのはかなり嫌なものがあったが、突っ込む勇気もなく放置している間に、全ルートを終わらせ本人も現状を理解したらしい。
「むう。私の願いがすでに叶っていたとは……」
そして、そんなことを言い出した。
「願いって?」
「私の願いは、一人の英雄として多くの人々に認識されること。しかし、ゲームの登場人物としてすでに多くの人間に認識されている私は、その願いが叶っていると言っても過言ではないのではないでしょうか」
そうだっけ? というか自分が創作の世界の住人であることに疑問はないのだうか。
と思った大樹は、しかしこのまま納得させておいたほうがいいのだろうと考えた。
ゲームの登場人物が現実に現れるなどという非常識が他にあるはずもないのに、他のサーヴァントとの戦いに備えなければなどと言われるくらいなら多少おかしい理論でも納得し大人しくしていてくれたほうがいいに決まっている。
ただ、この考えに誤算があったとすれば、ハサンが納得しようがどうしようが彼の存在が消えるわけではないということであろう。
聖杯戦争のために現れ、それが終われば消えるという設定のキャラクターである彼が聖杯戦争に関係なく現れたとなれば、どうすれば消えるのかなど本人にすら分かるはずもない。
よって、行く当てもなく、また大樹には分からないがマスターとサーヴァントの繋がりはきっちりあり魔力の供給もされているということで、アサシンのサーヴァントは大樹の家に居座ることになってしまったのであった。後で気づいたことだが、令呪もしっかりあったので他の人間には見つかるなよと命令しておいたが。
◆
サーヴァントというものは、ゲームの世界に存在する魔術師たちにとっては有用な存在なのだろうと思う。
けれど、実は殺し屋の一家なんですとか退魔の一族なんですというような漫画みたいな秘密を抱え込んでいるわけでもなんでもない一高校生には、ただの面倒くさい居候でしかない。
せめて、人気投票で一位を取ったヒロインであるサーヴァントなら、ギャルゲのような嬉し恥ずかしいイベントがあったかもしれないが、アサシンのサーヴァントにそんなものを期待するほど愚かしいことはあるまい。努力は認めるが。
「ていうか、アンタの言動を見てるとゲームとは随分とイメージが違うんだけどな」
ハサンというキャラクターは、アサシンの語源にもなるほどの暗殺者であったはずであり、男の身でスカートを穿いて見せるような茶目っ気とは無縁なのではないかと思う。
まあ、それは自分のイメージであって、原作者の頭の中ではこういうキャラクターだったのかもしれないわけだが。
そんな考えを読み取ったのか、ハサンが笑う。
「ふむ。一体いつから私を『Fate/stay night』というゲームの登場人物と錯覚していた?」
「なん……だと?」
「『Fate/stay night』は、現実を描いた物語ではなくただの創作です。そんな創作の世界の登場人物が現実に現れるという非常識が起こりうるのなら、それは原作でなくてはならない理由はない。そう、ネットに多くある二次創作の世界から現れたのだとしても不思議はない。つまり、私のイメージが原作とかけ離れていても何の問題もないということなのです。そもそもPC版とコンシューマ移植版でもストーリーに小さな差異があるわけですし」」
「二次創作……だと……。って、なんでそんなもんを知ってるんだよ!」
「マスターが学校に言っている間に、ネットで読み漁りました。履歴とブックマークにいっぱいありましたよ」
「おいっ! なに、勝手に人のPCを使ってやがる」
「ああ、そういえばマスターの書いた二次創作SSの登場人物という可能性もありますね」
「ぶっ、ちょっと待てよ!」
「SSフォルダとか作って、そのままにしておくなんて隠す気がないんですかね。『セイバーか、君までこの茶番に参加しているとはな』『アーチャー……』『分かっているのだろう。この聖杯戦争に勝ったところで……。いや、そもそも聖杯を求める事自体が下らん茶番だということも』」
「やめろォ!!」
「しかし、セイバーとアーチャーはゲーム通りなのにキャスターのサーヴァントがフェイト・テスタロッサ9歳とか胸が熱くなりますな」
「やーめーろーよー。いいよ、分かったよ。俺が死ねばいいんだろ」
大声で喚き錯乱して窓を開ける大樹を、ハサンは羽交い絞めにして止める。
「落ち着いてくださいマスター。二階の窓から飛び降りたくらいじゃ人は死にません」
「そんなの分かんねえだろ。落ち方しだいでなんとでもなるさ。月面宙返りから左3回転ひねりで頭から落ちればいいだろ」
「マスターの運動神経じゃあ無理ですってば」
「やってみなけりゃ分かんねえよ。いいから、飛び込ませろよ」
「ですから……」
言いかけたところで、何を思ったか急に手を離したハサンを疑問に思う間もなく、勢いあまって窓からアイキャンフラーイ! しかけた大樹の頭部に、どこからか飛んできたコーラの缶の側面が直撃。角が当たってたら死んでないかこれ? と思う余裕もないまま足を滑らせヘソを中心にくるっと前に体が半回転して、ドゴンッと窓の横にある勉強机に激突する。
「もう! 静かにしてよ。近所迷惑でしょ!!」
自分も近所迷惑な大声を上げて部屋に入ってきたのは、大樹の妹で現在現役中学二年生の祥子(である。
「おま……、実の兄を殺害してニュースに出演するつもりか?」
「死なないわよ。本当に危険ならハサンさんが守ってくれるでしょ! あ、ハサンさんは午後ティーと烏龍茶のどっちがいい?」
言いたいことだけを言って、ついでにハサンに烏龍茶を渡した祥子が出て行くのを引っくり返った体勢のままで見送った大樹は思う。
確かにマスターが死ねばサーヴァントも消えるのだから、本当に危険なら人を超えた動体視力と身体能力で助けてくれるに違いない。
しかし、それ以前にだ。
「なんで、祥子がアンタのことを知ってるんだよ! 俺、言ったよな。他の人間に見つかるなって言ったよな」
「確かに、そう命じられましたな」
ペットボトルの烏龍茶を湯のみのような手つきで口元に運んで一口飲み込むと、天を見上げ遠い目をしているのではないかと思える仕草でハサンは言う。
「ゆえに、私はアサシンのスキル、気配遮断を駆使して姿を見られぬように注意していたのですが、祥子殿の眼力の前には無意味だったようです」
「そうなのか?」
「ええ。まあ、マスターの妹君でなければ目撃者は殺すという手段で命令を果たしたのですが、もしかしてそっちの方が良かったですか?」
「いや、よくない」
そういうことなら仕方がないかと思いかけたところで、ふと頭に浮かんだ疑問を口にする。
「というか何をやってて見つかったんだ?」
そもそも、アサシンのステータスなら一般人に過ぎない妹の視界外に移動し続けることも可能なはずで、そのことを考えれば気配を気取られたところで何とでもやりようがあるのではないだろうか。
そう思った大樹に、ハサンは答えて曰く。
「はあ。実は、攻略サイトを見ながらタイガー道場のフルコンプをやってたら祥子殿が部屋に入ってきまして」
「アホかーっ!!」
叫びと共に立ち上がり凹んだコーラの缶を投げつけるも、あっさりと受け止められる。
「姿を隠すなら霊体化しとけよ。霊体化もしないで、ゲームしながら気配遮断とか意味あるのかよ!」
「アッハッハッ、何を仰るかと思えば霊体化なんかしてたらゲームのコントローラーが持てないじゃないですか」
「ゲームをやらないって選択はないのか」
「ありませんな」
言い切った。
「考えてもみてください。例えば、私が道を歩いているときに、『そういえば、ランサーは真アサシンと泥のどっちにやられたんだっけ?』と尋ねられたとしましょう。聞いた方からすれば当事者なんだから知ってて当然だろうと思っての質問ですが、残念ながら間桐臓硯などという魔術師に召喚された覚えのない私には答えようがありません」
ですが! と、胡坐をかいたハサンは目の前のちゃぶ台を力強く叩く。
はて、この部屋にちゃぶ台なんかあっただろうかと思考が明後日の方向に行きかけた大樹に力説する。
「『Fate/stay night』の登場人物としての矜持にかけて、その様なこと不様は許されないのです! さもなくば、私はただのコスプレ野郎と認識されるでしょう!!」
いいじゃねえか、そういう認識で。というか、その仮定がありえねえだろ。誰も、アンタにそんなこと聞かないよ。そもそも、他の人間に見つかるなって令呪で命令したよな。堂々と道を歩こうとするなよ。
心の声が、そんな思考を羅列してくれるが、突っ込み所が満載すぎてどこから突っ込んでいいのか分からない。
が、おかげで少しだけ冷静になれたので、今やるべきはもっと重要な話であったと思い出す。
「アンタさぁ。このまま、俺のサーヴァントでいていいわけ?」
「と仰いますと?」
「フィクションの世界の住人とはいえ、アンタはとんでもなく優秀な暗殺者で、しかも英霊なんだろ。なら、俺みたいな一般人をマスターなんて呼んでる現状は不本意なんじゃないか?」
正直なところ、ハサンを厄介者だと思う以上に、そんな大した存在を家に引き止めている現状に、よくわからない居心地の悪さがあるのだ。
けれど、ハサンは言う。
「まあ長い人生、一度くらい一般人をマスターと呼ぶ経験があってもいいかなぁと思ってますが何か?」
「おい!」
「それに、この身は魔術師ではありませんので、マスターに刻まれた令呪を他の人間に移す方法も知りませんし」
言われて見れば、その通りだ。
「それとも、ゲームの原作者の所に押しかけて聞き出しますか? 多分に意味がありませんが」
「意味がないって分かってるんなら、やめとけよ」
「ま、ここに召喚されて数日しか経ってませんが、今の生活に充分満足してますよ私は」
そういうと、ハサンは懐から携帯ゲーム機を取り出し電源を入れるのだった。
「って、PSPなんてどこにあった?」
「『とびだせ! トラぶる花札道中記』がやりたくて、ゲームショップの店頭で物欲しげな顔をしてたら『コレをあげるから帰ってください』って言って渡されました」
「何やってんの、このアサシンのサーヴァント! てか、令呪が全然効いてねえ!!」
「ああ、それと『Fate/hollow ataraxia』もやってみたいんですが、今度買ってきてくれませんか?」
「何様? あと、未成年者にエロゲー買わせようとすんな!」
突っ込みを入れると、一つ舌打ちしハサンはゲームに集中する。
そして、そんな光景が日常になるのも遠い未来ではないということを大樹だけが気づいてなかった。
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タイトルは「sparky☆start」風に読んでください。