<慰安婦問題>再調査めぐり、自民議連と官邸が押し付け合い
3月12日21時13分配信 毎日新聞
従軍慰安婦問題の再調査をめぐり、自民党の議員連盟「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」と首相官邸が押し付け合いを続けている。「政府が調査すると言ったはず」と主張する議連に対し、首相官邸は「党が調査すると言っている」と完全否定。どちらも「調査するつもりはない」とし、提言は宙に浮いた形となっている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070312-00000124-mai-pol
情けない押し付け合いだ。
と言うか、調査は10年以上前に散々やったのだから、今さら調査するのは無意味だろう。
調査済みなのだから、さっさと「河野談話」を取り消せば良いのだ。
ところで、つい最近の話題も分かり易く紹介されているHPを見つけた。
従軍慰安婦の証言の嘘・出鱈目を暴いている。
是非、参考にしてほしい。
昨年9月に話題になった「慰安婦大募集」の広告の写真のほか、先月2月15日の米下院公聴会で証言した3人の女性のうち李容洙(Lee Yong-Soo)の証言の嘘についても指摘している。
■従軍慰安婦問題 慰安婦証言を信じるべきか?
従軍慰安婦の証言を検証するページ
従軍慰安婦の嘘と捏造
李容洙(イ・ヨンス)
↓↓↓
http://karutosouka1.hp.infoseek.co.jp/ianhu.htm
↑↑↑
また、有名な「黄錦周」の証言も紹介されている。
今回お奨めのHPから離れ、2月15日の米下院公聴会での証言した李容洙について述べる。
2002年6月に東京に来て日本共産党などには、【十四歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなど】を話していた。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik/2002-06-26/13_0201.html
しかし、同じ日本共産党のHPの2006年10月5日(木)「しんぶん赤旗」では、【十六歳当時に強制連行のうえ「従軍慰安婦」にされた実態】を、日本語と韓国語で証言した。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-10-05/ftp2006100513_01_0.html
2004年に日本で行われた全国証言集会京都実行委員会では、【1944年、16歳のとき、連れて行かれた先の台湾で、「日本軍『慰安婦』としての生活を3年間強制」】と証言したが、1945年に戦争が終わったのだから、1947年まで「日本軍慰安婦」を強制されたなんて有り得ない。
http://www.occidentalism.org/?p=535
今回お奨めのHPでは2〜3年間荒稼ぎをして大金を貯金したことしか述べられていない「文玉珠」も、いろいろと、矛盾・食い違い証言をしていたことが判明しているので、これは私から紹介しよう。
文玉珠は、もともとは、ビルマで慰安婦をやって荒稼ぎした大金を野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していたが、1965年の日韓基本条約締結後も韓国政府からその貯金を補償されなかったため、日本政府を逆恨みして日本で訴訟を起こしたのだった。
文玉珠が慰安婦をやっていたことは間違いない事実だ。
彼女は偽者の元慰安婦ではなく、正真正銘の慰安婦だった。
ところが、当初は、荒稼ぎして貯めた大金の支払いを請求していたのだが、当時、慰安婦が荒稼ぎして大金を貯金していた事実は、反日勢力にとっては、あまり好ましい事実ではなかった。
したがって、その後、彼女の証言は脚色されていくこととなる。
文玉珠は、平成4年(1992年)に日本の郵便局を訪れ、2万6145円の貯金の返還を要求した。
調べたら「軍事郵便貯金原簿」というのが熊本貯金事務センターに残っていた。
贅沢品を消費しながら、2〜3年間で2万6145円軍事郵便貯金し、うち5千円を大邱の家族に送金していた。
1992年の証言によると、文玉珠は、歌が上手だったことから宴会にも呼ばれたそうだ♪
「博多夜船」♪や「博多節」♪などを18歳の時に覚えたそうだ。
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■毎日新聞 1992年5月12日の記事
従軍慰安婦の軍事郵便貯金 原簿確認「返して」 下関で韓国女性
第二次大戦中「従軍慰安婦」として強制連行されたミャンマー(旧ビルマ)で預けた軍事郵便貯金の支払いを求めていた韓国・大邱市在住の文玉珠(ムン・オクス)さん(68)が11日、山口県下関市の下関郵便局を訪れ、貯金の原簿があったことが分かった。元従軍慰安婦による強制連行先での軍事郵便貯金原簿の存在を日本側が認めたのは全国で初めて。
局側は「1965年の日韓協定などで権利は消滅した」としているが、文さんは「個人の請求権は消滅していない。【日本人】として貯金した個人のお金だから、返して」と訴えている。
文さんは3月、市民グループの招きで来日。当時、貯金の管轄郵便局だった下関郵便局に2度にわたって調査と支払いを求めていた。
原簿によると1943年6月から1945年9月まで12回の貯金の記録があり、残高は2万6145円となっている。
文さんの話では、1942年、18歳の時に釜山から百―百五十人の若い女性と共にヤンゴン(ラングーン)に連れていかれ、日本軍人の相手をさせられた。歌が上手だったことから宴会にも呼ばれ、もらったチップを野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していた。
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※当時の貨幣価値
・総理大臣月給 800円(東条英機)
・陸軍大将月給 550円
・一般日本兵月給 15〜25円
━━━━━絶対に越えられない壁━━━━━
・慰安婦の月収 1000円〜2000円(アメリカ軍の調書)
・元慰安婦、文玉珠の2年3ヶ月の郵便貯金 26145円
…26145円(現在の貨幣価値で約6000万円)を約2年で貯金した売春婦!
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従軍慰安婦訴訟原告 韓国の文さんが死去
1996/10/27, 北海道新聞
戦争中に慰安所で働かされたとして日本政府を訴えていた韓国人元従軍慰安婦文玉珠さん(72)が二十六日早朝、韓国・大邱市内の病院で亡くなった。文さんを支援する市民団体に入った連絡で分かった。
文さんは十六歳の時、日本人の憲兵らに呼び止められ、大邱市から旧満州(中国東北部)などに強制連行されて慰安所で働かされたという。
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1992年の証言
文さんの話では、1942年、18歳の時に釜山から百―百五十人の若い女性と共にヤンゴン(ラングーン)に連れていかれ、日本軍人の相手をさせられた。歌が上手だったことから宴会にも呼ばれ、もらったチップを野戦郵便局に「文原吉子」名義で貯金していた。
1996年5月法廷での証言
文さんは十六歳の時、日本人の憲兵らに呼び止められ、大邱市から旧満州(中国東北部)などに強制連行されて慰安所で働かされたという。
以下は、駄目押し。
上で述べたように、文玉珠は、日本における証言の食い違いの他、「証言集の本」と「手記の本」まで出して食い違いを露呈している。
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=74738&st=title&sw=%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=74747&st=title&sw=%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=74758&st=title&sw=%E6%96%87%E7%8E%89%E7%8F%A0
元 慰安婦 文玉珠(ムン・オクジュ)さんの人生
・・・
ここで纏めてみましょう。2つの証言の食い違いがあります。
■誕生日
証言集:1924年4月3日
手記:1924年4月23日
■父母
証言集:働いていたが決まった仕事はなかった 8歳の時 父死亡
手記:両班の家系で独立運動家 7歳の時 父死亡
■慰安婦になるまでの経歴
証言集
私立の夜間学校に3年通う
10歳から15歳 お手伝い
15歳から17又は18歳まで 靴下工場勤務
17又は18歳 ビルマに行き慰安婦にされる
手記
12歳頃 九州で働く
半年で帰国し キーセン見習い
16歳 満州へ拉致される
17歳 帰国してキーセンになる
仲間とビルマに渡り慰安婦となる
■慰安婦となったときの感想
証言集:びっくりして 昼も夜も泣き通しだった
手記:薄々察していたので 驚かなかった
(参考)
従軍慰安婦問題1 ■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
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