原爆投下 「日本に懲罰」が目的 米の歴史学者が論文を発表
1994/12/24, 産経新聞
【ニューヨーク22日=共同】米国の有力外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」は来年一月九日発行の最新号で、太平洋戦争末期の広島、長崎への原爆投下は日本の降伏を早めたり、米軍兵士の犠牲を回避するのが目的で決断されたわけではない、との内容の米歴史学者の論文を掲載する。
一九四五年八月の原爆投下をめぐって米国では、戦争終結を早め、日本本土上陸作戦を無用にすることで米軍兵士五十万人の生命を救うために決断された、などと正当化する議論が有力だが、論文はこうした米国の一般的な見方の修正を迫っている。
執筆したのはカリフォルニア州スタンフォード大学のバートン・バーンスタイン教授。当時の政策担当者のメモや日記、また秘密解除された公文書などの資料に基づいて当時の政策判断を検証している。
それによると、戦争末期の四五年、日本が降伏しなければ米軍は十一月一日に七十六万七千人の部隊による九州上陸作戦の実行を計画。その際には最大二万五千人の米側戦死者を予測していた。続いて翌四六年三月一日に計画していた東京正面の上陸作戦では一万五千人から二万一千人の戦死者を予測していた。
バーンスタイン教授は、上陸作戦による五十万人の戦死者予測などは存在せず、当時の米国指導者はより大きな犠牲を避ける目的で原爆投下を決断したわけではない、と主張。また最大で計四万六千人と予測された米軍の戦死者発生を回避するためでもなかったとして、日本に懲罰を加えることが原爆投下の本来の目的の一つだった、と説明している。
また、原爆開発のマンハッタン秘密計画は約二十億ドルの資金を投じて推進されたため、ルーズベルト、トルーマン両大統領は政治的にもその成果を示す必要があり、民間人に大量の犠牲者が出ることが分かっていながら原爆投下の決断を下した、としている。
さらに、当時の米政府当局者はだれも原爆一発ないし二発を投下すれば戦争終結が早まるとは期待しておらず、むしろソ連の参戦や対日降伏条件の緩和が日本の降伏を早めることになるとみなされていたことを紹介している。
Ω Ω Ω Ω Ω Ω
原爆投下、市民殺りくが目的
1983年8月6日、朝日新聞
米学者、極秘文書で確認
原子爆弾が広島に投下されてから6日で38年。これについて米最高首脳はこれまで「軍事目的に限定して使った」(トルーマン大統領回顧録)としてきたが、実は「日本への原爆投下の目的は一般市民を大量殺りくすることにあった」とスタンフォード大の米歴史学者が極秘文書で確認、近く出版する本で発表する。また広島、長崎に「米人捕虜がいる」と英国情報部などが警告したのにもかかわらず、米政府はこれを無視したという。(パロアルト<米カリフォルニア州>菊地特派員)
スタンフォード大歴史学部のバートン・バーンスタイン教授は、原子爆弾が日本に投下されたとき、まだ小学生で、辺りの人々が「これで戦争が終わった」と喜んでいるのを記憶している。しかし、スタンフォード大で歴史学を専攻するうち、なぜ人々が原爆投下を単純に受け取っているか、について疑問を持ったという。あのころドイツが降伏し、日本だけが世界を相手に戦っていたのになぜ原爆を使わなければいけなかったか、についてである。この疑問を解明するため米軍事外交文書を研究するうち、“歴史の偽り”を発見したという。
同教授が入手した極秘文書によると、1945年7月31日、原爆投下についてスチムソン米陸軍長官を囲んで最高会議が開かれた。その際ノーベル賞学者のE・ロレンス博士(サイクロトロンの発明者)は「科学者としては原爆を直接日本に投下したくない。まず米国の砂漠などで世界の代表者を呼び、公開の場でその威力を見せるべきだ」と主張した。しかし、他のメンバーたちは「もし原爆が不発だったら世界の笑いものになる。ともかく日本へ投下しよう」と主張して決定を見たという。
投下地点の選定については、「軍事施設のみという科学者の主張に米軍側が強く反対し、結局、民間人を大量に殺りくすることが決定された」としている。
人類初の原爆は“効果半径”約1.8キロ。同教授の入手した米空軍史(部外秘)によれば、「その火の玉を広島の住宅密集地、商業地区に投下せよ」との命令が出ている。投下時間は午前8時15分。「これは工場労働者が仕事を始め、市民の子どもたちが戸外に遊びに出る時間帯。米軍はまさにそこを狙ったのだ」と同教授。
しかしトルーマン大統領はその回顧録で「原爆は非戦闘員の婦人、子どもを避けて、軍事基地だけに限定して使った」と書いている。
この広島原爆で護送中だった米人捕虜23人が死亡した。この事実は1945年10月9日、国際赤十字が確認したが、米当局は公表を避けているという。同教授によれば、それは、原爆投下の直前、米国は英情報部から「広島に米人捕虜がいる」と通告を受けていたがこれを無視したからだという。
米戦略空軍司令部の極秘電報(45年7月30日付)によると同司令部は長崎には米人捕虜収容所があることを確認、ワシントンに打電した。しかし投下は強行された。結局、長崎の原爆は目標を少しずれたため、約1400人の米人捕虜は助かった。
同教授はトルーマン大統領の内政、外交政策について研究を続けるうちに、あるときふと、「広島で米兵捕虜も爆死しているのではないか?」という疑問を抱き、政府や軍に当たったが答えは得られなかったという。
しかしその後、ワシントンの国立公文書館で「極秘」扱いを解かれた兵士らの「軍歴書」の中に、「ヒロシマで戦死」との記述を見つけ、米兵捕虜被爆死の事実を確認した。
とはいえ、軍歴書は、乗機を撃墜され捕虜になって広島で死んだ、としているだけで、それが原爆によるものであることにはまったく触れていない。その遺族らも、被爆死どころか広島で死んだことすらも知らされておらず、日本上空で撃墜され戦死、あるいは戦傷死したものと信じていた。
政府が秘密にしていた理由について同教授は「米国民の大半が支持した原爆投下で米兵が殺されていたとなれば、世論は批判にかわり、第2次大戦直後の冷戦激化の中での核戦略に重要な影響をもたらす、と懸念したからではないか」と語り、「一般市民はもちろん、味方の軍人まで犠牲にしても平気な“戦争の狂気”を告発したい」といっている。
バーンスタイン教授はこれらの新発見を基に近く「核軍縮への道」(仮題)という著書を出版するが、「米外交文書の公開は軍事機密に関しては特に厳しい。1978年に資料要求したものが最近やっと数点入手できたほどだ」と語っている。
―――――――
(注)原爆の投下目標として検討された都市は東京など16都市があり、最後に広島、小倉、長崎の3目標に絞られた。8月9日の第1目標は小倉だったが、天候その他の条件が悪いときは長崎に投下すると決まっていた。
原爆の効果を視るため、出来るだけ被害を受けていない都市を選んだと聞いたことがあります。
被害の少ない都市といえば、京都も原爆投下の目標に入っていました。
人気ブログランキング
http://blog.with2.net/in.php?671525
くつろぐブログランキング
http://kutsulog.net/index.php?id=66431
クリック、よろしくお願いします
∧_∧
( ・∀・) よろしく ↑
( ∪ ∪
と__)__)
|
トラックバックありがとうございます。原爆の威力を示すんだったら、富士山の上空でいいはず、とアメリカ国内でも意見があったのに。
2007/3/24(土) 午後 0:32 [ wak**akaido*5*5 ]
そりゃ、そうですよね。ちなみに、次の記事も、次の次の記事も、アメリカが何が何でも無理矢理原爆を投下したことに関する記事です。
2007/3/25(日) 午前 0:31
最初から、市民を殺戮することが目的だったなんて・・・
日本国民はアメリカのマウスじゃない。
人類史上最悪の人体実験だ!傑作ポキッ!
2007/6/27(水) 午前 2:48
原爆攻撃は、
トルーマンの犯罪である。
傑作◎。
2007/8/25(土) 午前 2:17
アメリカは日本人なんて所詮
Japという名の黄猿ヒトモドキとしかみなしてないからね
だからあいつらは広島と長崎の原爆を笑いのネタにしてる
くわしくはようつべの広島と長崎の原爆投下の動画
のコメントを見るべし
あいつらは放射性廃棄物のようなもの触ったら氏ぬよ
2007/8/25(土) 午前 2:51 [ アメ公は雷に撃たれて氏んどけ ]
[ アメ公は雷に撃たれて氏んどけ ]さん。端的に言いますと、そういうことです。
ですからアメリカの核の傘などないのです。
アメリカ人が日本人のために支那やロシアと核戦争(核ミサイルの撃ち合い)などやってくれるわけがないのです。
結局、日本が核武装するしかマトモな抑止力はないのです。
2007/8/28(火) 午後 11:31
ハジメマシテ、
転載させてください。
お願いします。
2007/11/30(金) 午後 1:57
米兵捕虜が広島に送られたと言う話は有名で
私もテレビのドキュメントで見た覚えがあります。
実験を優先したんですネ。
ポキッ
2007/12/18(火) 午後 1:25
アメリカは戦前と同じだよ。日本の弱体化が狙い、今でも同じ、早く日本は覚醒してほしい。F22も自前で造れ、核も造れ、軍事技術を磨いて、装備を備える事に尽きるね。
2007/12/22(土) 午後 4:53 [ danpey39 ]
旧日本軍が中国や朝鮮におこなった仕打ちを考えれば、日本人は何も言えないような気がする。
2008/9/23(火) 午前 0:58 [ 平和主義者 ]
[ 平和主義者 ]
大きい声を出して100回読め!
民衆を虐殺する支那軍・民衆を救出する日本軍
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12624238.html
支那の「極悪暴虐・大虐殺」と「卑怯な逆宣伝」のまとめ
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/12704324.html
支那軍による虐殺
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/11717562.html
朝鮮の変遷・李氏朝鮮時代→日本統治時代→現在
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/21665810.html
李氏朝鮮時代→日本統治時代・日本が朝鮮半島に残した資産
http://blogs.yahoo.co.jp/deliciousicecoffee/25876198.html
2008/9/28(日) 午前 11:35
わたしは闘います この世界の 兵器をなくすために そして
兵士をなくすために!!
2009/2/23(月) 午前 10:13 [ yasuhide_sighn ]
[ こうちゃん ] さん
無駄なことです。
2009/4/26(日) 午後 5:10
被爆者として衝撃的な話を初めて知りました。これが事実なら、米国は戦争犯罪を犯したことになります。看過できないことです。
2009/5/1(金) 午後 7:22
◆原爆投下候補地は「原爆のもたらす効果を正確に測定把握」する為に、既に空爆で破壊した都市は除外するべしとされた。当日朝7時9分の空襲警報で市民は一旦は防空壕に隠れたものの、7時31分には警報解除されたため、外へ出て一日の活動を開始していた。
◆これはエノラゲイを含む3機のB29の編隊が広島上空を一旦通過した後、播磨灘上空でUターンし、警報解除された市民が防空壕から出てきた所を狙ったものと考えられる。
B29のその動きによって、8時13分広島と山口に警戒警報、それを受け8時15分「警戒警報、発」まで発した所で閃光が光ったと証言されているのは、エノラゲイが広島市民虐殺のタイミングを巧妙に計っていた事を示している。もし市民の多くが警報によって防空壕に避難していたならば…市民の被害はずっと少なかったはずだ…しかし、それでは米国にとって原爆の効果を喧伝する効果が薄れる事になる。
【 こうした状況証拠は、米国が原爆の生体実験を広島市民を対象に行なった事を指し示している。】
傑作&TB
2009/8/6(木) 午後 1:32