君子の交わりは淡きこと水の如し -ことわざ劇場(6)-
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今日のことわざは、これです。
ことわざ
君子の交わりは、淡きこと水の如し
意味
君子の交際は水のように淡白である、の意。
徳があり、教養のある人の交際は淡白であるが、
その友情は長く続くよいうたとえ。(出展は『荘子』)
(高橋書店 ポケット判 ことわざ新辞典より引用)
多くのあすぺさんが持っている感覚に「自分=他人」というものがあるようです。
・自分と他人の境界があいまい
・相手も自分と同じ考えをして当然
・全てをわかりあいたい。自分を全て知ってほしいし、相手のことも全て知りたい。
言葉であらわすのが非常に難しい感覚なのですが、当事者の方には思い当たることがあると思います。
けれど、実は、ほんとうに理解しあえる人とは、たくさんの言葉は必要ないのです。
ましてや、「わかりあいたいから」と相手にムリに話し合いを求める必要もないのです。
なによりも、ムリに話し合いをしようとすればするほど、相手は遠ざかってしまいます。仮に、自分の望むような「深い理解」を得られたとしても、満足しているのは自分だけなのかもしれません。
普通の人は、自分の中の深いところまで入り込まれることを嫌います。
何よりも、「人を深く知る」というのは、無理やりに話し合いをもって、言葉で語り合うことで得られるものではないのです。
普段の会話、行動、あなたの言葉への反応に注意を研ぎ澄ませて、自分で感じ取るものなのです。
一方で、水のごとく淡白なつきあいであっても、なぜか心の深いところがつながっていると感じられる相手もいます。こうした相手は、10年以上も交流がなくても、なぜかお互いに「つながっている」と感じているから不思議です。
こうした相手を大切にせず、誰かれかまわず「わかりあいたい」と叫ぶよりも、このような「自然につながりあえる人」の存在を大切にすることが本当の「理解」だと思うのです。
そして、もしも、その人との別れが訪れたとしても、その人があなたに及ぼした影響によって形作られた「今のあなた」の存在そのものが、その人が「生きていた証」となるのです。これ以上に深いつながりがあるでしょうか…
今、捕われてしまっている心を緩めて、静かに自分の心を見つめてみましょう。
そういう人の存在が見えてきませんか?
水のごとくサラリと
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1 ■思い当たる節あります
>・全てをわかりあいたい。自分を全て知ってほしいし、相手のことも全て知りたい。
これ、今でもあります。
子供の頃は、他の2つもあったな~。
大人になってからは、過去の失敗を踏まえた行動がある程度できるようになったものの、なかなか(;^ω^)