2010.08.29 Sunday
気をつけて。抜け殻の私は何も出来ない。
今日は、集まりでした。
最初の方は誰にも相手にされず、ただ"居るだけ"の状態でした。
それからちょっとして、ひー君が「これ見てー」って言って私のところに来てDSでゲームしているところを見せてくれました。
で、ご飯を食べて、DSでピクトチャットして。
その間はゆーちゃんとりんちゃんとひー君が相手してくれて。
で、「遊び大戦」ってのをダウンロードでして、ちょっとしてからしょー君にDS取られて、何もすることが無くなって。
私は何をすればいいのか解らなくて。
結局、トイレに立て篭もって、自己嫌悪に陥ってました。
「もしかすると、私は躁鬱病なんじゃないか」って思ったくらい、莫迦みたいに自分を貶して、何も無い空間にただポツリと零した呟きに苦笑したり、自分を嘲笑ったり。
一時間くらい経った頃、母親が「アリは?」って言って、それから皆私が居ないことに気付いたらしい。
それで私を呼びにトイレに来た母親が「大丈夫?」って言ったけど、流石に親に「自己嫌悪に陥って、泣いて嘲笑って自分を貶してる。」とは言えず、ただ虚空に向かって叫ぶように「格闘してる!」と元気な声で言いました。
でも、実際はトイレの中で泣いてたんです。
「私は、居ても居なくても一緒なんだ」、「何で私がこんな目に逢わなくちゃならないの」、「どうせなら田舎に一人で暮らしてのんびりしたい」、「誰にも求められないなんて嫌」、「一人でも、身の回りのものさえあれば生きていける」、「静かに、独りで暮らしたい」、「こんな人生、もう嫌だ」。
囈(うわごと)のように呟いては泣いて、啜り泣きが外に漏れないように小さく泣いて。
途中で自分を嘲笑って、また泣いて、また嘲笑って、また泣いて。
それで帰るときにトイレから出たけど、母親が「どうしたの?」って聞いたのに対して返答が「放って置いて!!」だもん。
それには主催者の母親も友達のお母さんも吃驚したんだろうけど、敢えて何も言わなかった。
私が、病んでるだなんて思われたくない。
感情の起伏の激しい私を、悲劇のヒロイン気取りだなんて思わないで欲しい。
別に、上っ面だけが好きだって言ってくれて構わないから、楽にして。
何も求めてないとは言わないし、求めているものを聞かれて答えれる私でもないけど、でも、ただ、生身の人間として、愛が欲しい。
周りに、愛されている、っていう実感が欲しい。
こんな偽名の私じゃなくて、本当の私を見て欲しい。
リア充だなんて程遠いし、可哀想とか思われたくない。
ただ、一人間として、愛されたい。
トイレの中で泣いてた私の泣き声を聞いた人が居るのなら、それを周りに知らせて、私を心配して。
歪んだ私を、少しで良いから、解るように愛して。
何を望んでいるの?って聞かれて、愛が欲しい、って答える私に呆れを通り越すかもしれないけど、でも、せめて、私を愛して。
たった一度きりの人生で、私は経験して敬虔する。
何を望んでも手に入らない私を生かしておく神様だなんて大嫌い。
愛が欲しい。友情と言う名の愛が欲しい。
情けの愛情は要らない。
本物の愛が欲しい。
こんなにも無い物強請りを続ける私を、貶した目で見ないで欲しい。
親身になって考えて、考えて、私を楽にして欲しい。
生きているうえで経験する事態に私は悩んでる。
生きているうえで必要になる事に私は梃子摺(てこず)っている。
死人に口無し。
死人に梔子。
全部、無罪の罪を着せられても晴らせないし幸せにもなれない。
口がなくても、目が無くても、心があれば生きていける。
ただ、必要として。
私を、必要として。
愛を、必要としてる。
人を、愛してみたい。
何を、望めば良いの?
何を、くれるの?
こんな私に何をくれるの?
愛、金、名誉、知性、知識、煩悩、流星、神、地位、誇り。
全部違う。
歪んだ愛と歪んだ関係。
切れない糸と千切れない布。
縛れない縄と切れない包丁。
矛盾の先にある『真実』が欲しい。
矛盾した世界に生きる私たちが、こうして生きていけるのは、誰が居るから?
家族?友達?親族?他人?上司?部下?ボス?主人?旦那?奥さん?子供?神様?手に入らないと解っていてもつい手を伸ばしてしまうあの人?尊敬する人?有名人?芸人?芸能人?ジャニーズ?
全部違う。
私は、一人で生きていける。
友情や愛情なんて要らない。
私は愛と友を必要としてる。
矛盾した世界に生きるのなら、覚悟と知恵を授けて。
こんなにも病んでしまった私を哀れんだ目で見ないで。
躁鬱病でもないのに、躁鬱病かもわからないのに、なんでそんなことをするの?
私が泣いていると知ったとき、皆は私に何をしてくれるの?
二、三回の集まりで私を贔屓する?相手する?
でもそれは最初の二、三回。
後はどうでもいいの。私なんて面倒だし邪魔だし消失すればいいの。
だから、私を忘れて娯楽と満足感に譲歩して譲歩して、そして私を忘れる。
私がどうなろうが皆どうでもいい。心配なんてしてくれない。
私が、新型インフルエンザに掛かったときだって、集まりをやめようとはしなかった。
誰かがインフルエンザに掛かったときは、集まりを中止したのに。
皆にとって、私はそんな存在なの?
生きていくうえで辛い事とかはあるんだろうけど、これはいやだ。
私なんてどうでもいいんだ。
そうだよ。
私だなんて、皆の脳の中ではたった0.0000000000000000000000000000000000001秒の人間にすぎない。
思い出に綺麗に残る事なんてないんだよ。
私だなんて必要とされてない。
お世辞だなんて知ってる。
『来てくれて嬉しい』
そう言う人の心の裏側はきっと『来なくて良いのに』。
これが本音だと思う。
私だなんて、居ても居なくても一緒。
居ないと解って喜ぶ人が大勢なのは知ってる。
いや、もしかすると残念がる人は一人も居ないんじゃないの?
誰か、私の心の内側を捉えて。
誰かに、必要とされてたい。
今すぐに電話して「私の事、お世辞じゃなくても好き?」って言って、好きって言われたい。
泣きながらこの記事書いてますが、本当は今すぐにでも電話して私の心を埋めて欲しい。
暗い土の底に、この不安を埋めて欲しい。
迷惑がられてもいいから、私が泣いても面倒だけど相手してやるかって思うなら、私の悩みを聞いてよ。
寂しいとか思ってないから。
心細いとか思ってないから。
だから、せめて私を『生きている、必要とされたいと思っている人間』だと解って、理解して、私を殺して。
そうしたら、臓器とか皮膚とか骨とか全部提供するから。
目玉だって血管だって心臓だって脳ミソだって肋骨だって全部くれてやるから。
だから、せめて生きているうえで楽にして。
心の不安も全部取り除いて、必要として。
最初の方は誰にも相手にされず、ただ"居るだけ"の状態でした。
それからちょっとして、ひー君が「これ見てー」って言って私のところに来てDSでゲームしているところを見せてくれました。
で、ご飯を食べて、DSでピクトチャットして。
その間はゆーちゃんとりんちゃんとひー君が相手してくれて。
で、「遊び大戦」ってのをダウンロードでして、ちょっとしてからしょー君にDS取られて、何もすることが無くなって。
私は何をすればいいのか解らなくて。
結局、トイレに立て篭もって、自己嫌悪に陥ってました。
「もしかすると、私は躁鬱病なんじゃないか」って思ったくらい、莫迦みたいに自分を貶して、何も無い空間にただポツリと零した呟きに苦笑したり、自分を嘲笑ったり。
一時間くらい経った頃、母親が「アリは?」って言って、それから皆私が居ないことに気付いたらしい。
それで私を呼びにトイレに来た母親が「大丈夫?」って言ったけど、流石に親に「自己嫌悪に陥って、泣いて嘲笑って自分を貶してる。」とは言えず、ただ虚空に向かって叫ぶように「格闘してる!」と元気な声で言いました。
でも、実際はトイレの中で泣いてたんです。
「私は、居ても居なくても一緒なんだ」、「何で私がこんな目に逢わなくちゃならないの」、「どうせなら田舎に一人で暮らしてのんびりしたい」、「誰にも求められないなんて嫌」、「一人でも、身の回りのものさえあれば生きていける」、「静かに、独りで暮らしたい」、「こんな人生、もう嫌だ」。
囈(うわごと)のように呟いては泣いて、啜り泣きが外に漏れないように小さく泣いて。
途中で自分を嘲笑って、また泣いて、また嘲笑って、また泣いて。
それで帰るときにトイレから出たけど、母親が「どうしたの?」って聞いたのに対して返答が「放って置いて!!」だもん。
それには主催者の母親も友達のお母さんも吃驚したんだろうけど、敢えて何も言わなかった。
私が、病んでるだなんて思われたくない。
感情の起伏の激しい私を、悲劇のヒロイン気取りだなんて思わないで欲しい。
別に、上っ面だけが好きだって言ってくれて構わないから、楽にして。
何も求めてないとは言わないし、求めているものを聞かれて答えれる私でもないけど、でも、ただ、生身の人間として、愛が欲しい。
周りに、愛されている、っていう実感が欲しい。
こんな偽名の私じゃなくて、本当の私を見て欲しい。
リア充だなんて程遠いし、可哀想とか思われたくない。
ただ、一人間として、愛されたい。
トイレの中で泣いてた私の泣き声を聞いた人が居るのなら、それを周りに知らせて、私を心配して。
歪んだ私を、少しで良いから、解るように愛して。
何を望んでいるの?って聞かれて、愛が欲しい、って答える私に呆れを通り越すかもしれないけど、でも、せめて、私を愛して。
たった一度きりの人生で、私は経験して敬虔する。
何を望んでも手に入らない私を生かしておく神様だなんて大嫌い。
愛が欲しい。友情と言う名の愛が欲しい。
情けの愛情は要らない。
本物の愛が欲しい。
こんなにも無い物強請りを続ける私を、貶した目で見ないで欲しい。
親身になって考えて、考えて、私を楽にして欲しい。
生きているうえで経験する事態に私は悩んでる。
生きているうえで必要になる事に私は梃子摺(てこず)っている。
死人に口無し。
死人に梔子。
全部、無罪の罪を着せられても晴らせないし幸せにもなれない。
口がなくても、目が無くても、心があれば生きていける。
ただ、必要として。
私を、必要として。
愛を、必要としてる。
人を、愛してみたい。
何を、望めば良いの?
何を、くれるの?
こんな私に何をくれるの?
愛、金、名誉、知性、知識、煩悩、流星、神、地位、誇り。
全部違う。
歪んだ愛と歪んだ関係。
切れない糸と千切れない布。
縛れない縄と切れない包丁。
矛盾の先にある『真実』が欲しい。
矛盾した世界に生きる私たちが、こうして生きていけるのは、誰が居るから?
家族?友達?親族?他人?上司?部下?ボス?主人?旦那?奥さん?子供?神様?手に入らないと解っていてもつい手を伸ばしてしまうあの人?尊敬する人?有名人?芸人?芸能人?ジャニーズ?
全部違う。
私は、一人で生きていける。
友情や愛情なんて要らない。
私は愛と友を必要としてる。
矛盾した世界に生きるのなら、覚悟と知恵を授けて。
こんなにも病んでしまった私を哀れんだ目で見ないで。
躁鬱病でもないのに、躁鬱病かもわからないのに、なんでそんなことをするの?
私が泣いていると知ったとき、皆は私に何をしてくれるの?
二、三回の集まりで私を贔屓する?相手する?
でもそれは最初の二、三回。
後はどうでもいいの。私なんて面倒だし邪魔だし消失すればいいの。
だから、私を忘れて娯楽と満足感に譲歩して譲歩して、そして私を忘れる。
私がどうなろうが皆どうでもいい。心配なんてしてくれない。
私が、新型インフルエンザに掛かったときだって、集まりをやめようとはしなかった。
誰かがインフルエンザに掛かったときは、集まりを中止したのに。
皆にとって、私はそんな存在なの?
生きていくうえで辛い事とかはあるんだろうけど、これはいやだ。
私なんてどうでもいいんだ。
そうだよ。
私だなんて、皆の脳の中ではたった0.0000000000000000000000000000000000001秒の人間にすぎない。
思い出に綺麗に残る事なんてないんだよ。
私だなんて必要とされてない。
お世辞だなんて知ってる。
『来てくれて嬉しい』
そう言う人の心の裏側はきっと『来なくて良いのに』。
これが本音だと思う。
私だなんて、居ても居なくても一緒。
居ないと解って喜ぶ人が大勢なのは知ってる。
いや、もしかすると残念がる人は一人も居ないんじゃないの?
誰か、私の心の内側を捉えて。
誰かに、必要とされてたい。
今すぐに電話して「私の事、お世辞じゃなくても好き?」って言って、好きって言われたい。
泣きながらこの記事書いてますが、本当は今すぐにでも電話して私の心を埋めて欲しい。
暗い土の底に、この不安を埋めて欲しい。
迷惑がられてもいいから、私が泣いても面倒だけど相手してやるかって思うなら、私の悩みを聞いてよ。
寂しいとか思ってないから。
心細いとか思ってないから。
だから、せめて私を『生きている、必要とされたいと思っている人間』だと解って、理解して、私を殺して。
そうしたら、臓器とか皮膚とか骨とか全部提供するから。
目玉だって血管だって心臓だって脳ミソだって肋骨だって全部くれてやるから。
だから、せめて生きているうえで楽にして。
心の不安も全部取り除いて、必要として。