2004年度
指導教授 |
國井利泰理学博士 |
論文題目 |
サイバーワールドの進化の基礎的研究 |
金沢工業大学大学院工学研究科
知的創造システム専攻
創造的ITプロフェッショナルコース
学籍番号 |
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6490199 |
氏名 |
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石川義雄 |
金沢工業大学大学院工学研究科
知的創造システム専攻修士論文
サイバーワールドの進化の基礎的研究
目次
1. 序章
1.1 Cooperative Education
1.2 謝辞
2.3 Open Society はCyberworldsの進化とどう共進するか
1. 序章
1.1 Cooperative Education
共同研究は世界中どこでも誰でも決して珍しいことではない。アインシュタインやニュートンのような人は別として、特に今日のようにシステムが複雑化、巨大化している現状では必須でさえある。しかし、日本の現状では必ずしも共同研究が効果的に実を結んでいるとは言い難い。このことは必ずしもすべて悪いわけではないが日本の教育機関は世界の標準とは別の論理で存在しているためにこれは当然の帰結でもある。
基本的な研究の方針として、國井ゼミは共同研究の形式を取り入れている。この共同研究は、研究終了後の生涯にわたる仲間作りを念頭に共同ゼミの形式で行われた。研究成果の交換と相互参照のためのサイトを設け、常時研究討論が進められた。私たちの問題は、経済事情で勉強時間が確保出来にくい事であったため、この問題を補足するものとしての研究討論は有効であった。また、外部からの研究者の参加は我々の知的刺激になったのみならず、生涯にわたる仲間を得ることができたのではないか、と思われる。このCooperative Educationの手法は、効果的であったばかりでなく、今後の我々のすべての活動に重要な示唆を与えられたものであると言ってよい。
1.2 謝辞
國井利泰教授による薫陶は、本修士論文に限らず筆舌に尽くしがたいものがあります。
坊垣貴夫様、大崎雅也様との共同研究は貴重な経験であり、今後の研究活動にも、また実社会で予想される仕事についても多くの得るところがありました。IT研究所の加藤恵美子様からは研究のはじめから終わりまで様々な局面でご指導を戴きました。IT研究所の研究生山中啓子様とは議論を通じて実際のCyberworldsの現場について知識を与えられました。法政大学大学院 博士課程の澤銀治様からは、貴重なSuggestion をたくさん戴きましたのみならず、本稿の作成にあたり最終稿のチェックまでしてもらうことになりました。ここに深く感謝の意を表します。
2. サイバーワールドの進化の基礎研究
2.1 解題
「サイバーワールドの基礎的研究」は、サイバー世界の理論的枠組みと、その歴史的意義付けとしての情報史観とを概括した後、その社会への影響力を論じ、世界を理解し未来社会に向けてのあるべき社会の提言としてオープンソース教育概念モデルを提案する。
本修士論文の一部として、「オープンソース・ソフトウエアによる教育」について、情報処理学会(コンピュータと教育研究会)で発表した。これは途上国援助と日本のいわゆる2007年問題といわれる問題解決に、オープンソースが重要な役割を果たすことのできる可能性について研究したものである。ここではオープンソース・ソフトウエアを教育に使い、社会問題を解決し、オープンソース・ソフトウエアの発展策を探り、今後の方向の提言を行っている。
2.2 世界はいつも不安定
今日の世界はどうしてこのように不安定なのだろうか。
原始時代、人類は道具や火を使い何らかの技術革新により、生産性を上げ富を蓄積し、慢性的な飢えや集団の絶滅から自由になってきた。同時に人類の社会集団相互間に貧富の格差が生じ、集団間に確執が生じてきた。このようにして、社会の不安定状態はいつの世にもあった。[1] 大きなパラダイムシフトを繰り返し技術革新による成果によって、人類は種の生き残りを可能にしたと同時に、社会の不安定状態を現出させた。これは暗示的で宗教的には「原罪」であるし、生物学的には種のバランスを保つ「増えた分は減らす」メカニズムの恒常性=ホメオスタシス(homeostasis)かも知れぬ。動物の細胞外液は、物理化学的性状が一定に調節され、細胞活動の安定化が達成されるのである。本来のホメオスタシスの概念を拡張して生物システムにおける高次あるいは低次の階層に概念が拡張されてきた。このように、地球上に人類が一方的に増殖し「社会の不安定性」によって安定化に導く、といえよう。
今日私たちの住む世界は、単純ではない。歴史的な武力を含む勝敗、気候や自然などの
環境条件、資源の偏在、貧富の格差と民族間の確執、などが世界を不安定にしている。更に、この20年間の急速な情報革命とグローバリズムは世界の不安定化を加速している。
資源の偏在は石油や鉄鉱石などの鉱物資源に限らない。世界銀行は1995年の報告書「水危機に直面する地球」の中で「今世紀の戦争の多くは石油をめぐる争いだった。来世紀には水をめぐる戦争になるだろう」と言っている。これらは自然からの恵みであるが、気候や水と人間や社会との関わりにより生産される食料も偏在している。一方で飢えている何十億の人がいるが、飽食の人も少なくはない。肥満が原因で健康を損ねる人さえいる。
貧富の格差は先進国・途上国間で拡大され、一国の中でも拡大されている。
情報革命の進展とグローバリゼーションは、地球規模の協力を容易にした。が、それ以上に多くの問題をもたらしている。先進国・途上国間格差の拡大に拍車をかけている。グローバリゼーションにより、人々は相互依存を深めて富を共有するようになった。その反面文明の衝突と言える民族、宗教、国家間の紛争を頻繁に起こすようになってしまった。
自然環境破壊の問題も深刻である。これを地球全体のホメオスタシスの問題と考える。パラダイムシフトの時代にこうした問題を解決するためには、これまでとは異なるアプローチが求められている。
この問題に、有効な解として、例えば、複雑系に関する手法[2]はひとつの方法である。要素還元主義[1]の手法では、これらの問題を解決することはできない。全包括主義[2](Wholism:ホーリズム)による認識の手法が、この先複雑な世界を認識する手段になる。
一方、心理学の分野で人間の心を分析する方法として「円環的因果律」という理解の仕方がある。
直線的因果律 円環的因果律
近代科学的な考え方の私たちは物事の原因と結果について、「直線的因果律」で解釈する傾向がある。
これに対して、対人関係における心の相互作用には、原因も結果もないとする「円環的因果律」で認識する方法が有効である場合がある。人間同士が関係するミクロの単位での因果律に関してこのような認識方法がある。民族間の紛争についてこのようなモデルが適用できる可能性はある。この手法で世界が認識された結果、世界認識に対する有効な手段として安定化に貢献されるひとつの参考にはなろう。
本論文はこれまでの問題に対する解決策として、要素還元的、直線的でない論法をもって「サイバーワールドの進化の基礎研究」の出発点とする。
2.3 Open Society はCyberworldsの進化とどう共進するか
近年、Open Society という概念が日本でも広く知られるようになってきた。これはハンガリー出身のユダヤ系米国人ジョージ・ソロス(George Soros)という投機家によって有名になった言葉といってよい。Open Society とはどのような概念であるか。それはどのようにして世界の安定化に寄与できるのか。あるいはそうではないのか。それを検討するには、カール・ポッパー(Karl Popper)という哲学者の著書Open Society and its enemies (自由社会の哲学とその論敵)にまで遡る必要がある。Open Society という概念はポッパーによって論考されており、ソロスはポッパーの弟子を自任しているからである。
筆者はこのOpen Society という概念に世界安定化の可能性があるのではないか、と考えている。Open Society を一言で言えば、次のようになる。(ただし、これはソロスによる財団のホームページに書かれているQ&Aであり、分かり易いがそのように単純なものではないようにも思える)
『開かれた社会とは「真実は何人によっても独占されるものではなく」、「異なる人々は異なる見方や利害関係を持っていて」、「あらゆる人々が平和のうちに共存することが許され、その権利が守られる制度が必要なのだ」、という認識に基づいた社会である。』
What is an "open society"?
An open society is a society based on the recognition that nobody has a monopoly on the truth, that different people have different views and interests, and that there is a need for institutions to protect the rights of all people to allow them to live together in peace.
まずは、ソロスが敬愛してやまないポッパーについて、彼がこの世界をどのように捉え、どのようにしようと思ったかについて以下に考察する。
「自由社会の哲学とその論敵」[3]で、ポッパーはファシズムと共産主義とが、いずれも共通する全体主義であり、民主主義の敵であることを論証した。古代ギリシャの全体主義国家スパルタとデモクラシーのアテネを比べ、プラトンが考える政治形態は全体主義であることを批判している。そして、ギリシャの哲人政治に見られる閉じた社会(例えばエスキモーのような“幸福な”社会)への回帰は不可能であることを結論づける。『われわれが人間でありつづけることを望むならば道はひとつしかない。開かれた社会への道である。』Open Societyについて述べたこの前後のくだりは日本語訳では表わしきれない力強さと美しさを持っている。
It is an issue which we must face squarely, hard though it may be for us to do so. If we dream of a return to our child-hood, if we are tempted to rely on others and so be happy, if we shrink from the task of carrying our cross, the cross of humaneness, of reason, of responsibility, if we lose courage and flinch from the strain, then we must try to fortify ourselves with a clear understanding of the simple decision before us. We can return to the beasts. But if we wish to remain human, then there is only one way, the way into the open society. We must go on into the unknown, the uncertain and insecure, using what reason we may have to plan as well as we can for both security and freedom.
(ここで、ポッパーの言う開かれた社会は上に上げたソロスの開かれた社会とは少し違うように思われる。ポッパーはあくまでもギリシャが生んだデモクラシーをそれまでの“原始的な”社会構造と比べたものと私は解釈する。)
ポッパーはその延長線上でマルクス系の思想が神がかり的な理論の誤りを指摘し、それによる政治は無能であるとした。政治について、「誰が支配すべきか」から始まって「無能な支配者が流血の惨事なしに解職されるような政治制度はいかに組織されるべきか」の追求が、今から60年前に書かれたことを考えると、ソ連の崩壊や北朝鮮の現状を目の当たりにして、ポッパーの慧眼に脱帽の他はない。ポッパーはデモクラシーのもとで自由のもつ意味の重要性を示し、それは50年後にはその通りになったのである。日本では、ポッパーの名前はそれほど知られていないようであるが、1992年ポッパー91歳のとき「京都賞」を贈られた。ポッパーは1994年物故したが、ポッパーは『自我とその脳』(1977年)「よりよき世界を求めて」(1984年)などの著書により、その哲学は21世紀になっても古くなることはなく、今後ますます輝きをますことと思われる。
次にソロス(George Soros) について彼の提唱するOpen Society について考察する。そして、Open Society が果たして世界の安定化に寄与できるかどうかについて検討することとなる。
ソロスと彼の提唱するOpen Society について調べようとするとポッパーの場合に比べて非常に容易である。現代に生きて活動しており、億万長者として人口に膾炙し、一番重要なことは、彼が実際の世界に働きかけていることである。投機によって得た自分の有り余る財産をソロス財団に投入することにより、慈善事業をはじめとして誰からも干渉を受けない「開かれた社会」を実現することを目指していることはOpen Society Institute (OSI)のホームページに述べられている。
http://www.soros.org/about (Open Society Institute (OSI) のホームページ:About us)
ソロス財団は29の国に置かれOpen Societyの理念を実現するための活動を行っている。1979年の創立時から共産圏の旧ソ連や東欧の民主化に尽力してきた。
最近のソロスの活動を示すいくつかの著書があるが、1998年に出版された「グローバル資本主義の危機」[5]でソロスは述べている。
《私は市場原理主義がファシズムや共産主義がそうてあったように、開かれた社会の思想に真っ向から対立するものだと言っているのではない。まったくその反対である。開かれた社会の概念と市場経済は密接に結びついたもので、市場原理主義は開かれた社会の思想の単なるゆがめられた一変形であるとみなしていい。だからといってその危険性が少しでも小さくなるわけではない。市場原理主義は市場がいかに機能するかを誤解し、市場に、不当に大きな役割を負わすことによって、知らず知らずのうちに開かれた社会を危険な状態をさらしているのである。(中略)市場原理主義の台頭がこんどは政治の失敗を導くという過程をたどってきた。グローバル資本主義システムの大きな欠点のひとつは、それが市場メカニズムと利益追求願望を、本来はそれらとはまったく関係のない活動分野にまで侵食することを許してしまったことにある。
私の批判論の第一部はグローバル資本主義システムに固有の不安定さに関するものである。市場原理主義者は金融市場がどう機能するかについて基本的に誤った考え方をしている。彼らは金融市場は均衡に向かう傾向があると信じている。経済学の均衡理論は物理学との誤った相似性にもとづいたものである。》
この文章に続いて、ソロスは金融市場が上に述べたようなReflexibity(相互作用性)とFallibility(誤謬性)を持つ故に、レッセフェールのままではではソロスの提唱するOpen Societyは実現されない理由について説明している。現在のグローバル資本主義システムは不完全であり、1998年にアジア危機で生じたような金融危機がグローバルに発生する危険性がある。国際金融はあくまでも不安定であり、これを克服することが喫緊の最重要課題である。開かれた社会であれば市場メカニズムを通して狭い自己利益のみに固執することはできず、社会全体の利益を優先することになる、というのである。ここには、投機家としてのソロスではなく、「そこをくぐり抜けた」哲学者としてのソロスの顔をかいま見ることができる。
更に別の著書[6]では、Open Societyへの具体的な処方箋として、WTO、世界銀行、IMFの問題点を指摘し、グローバルなOpen Societyを実現するためにアメリカが担うべき責任について言及している。これは911テロの最中に書かれていたものだそうで、Global Open Societyという概念について書き加えたものだそうである。また、レッセフェールではうまくいかない理由について『社会というものはある程度善悪を区別しなければうまく働かない。・・・政治、社会面での国際的な仕組みが強化されないまま市場のグローバリゼーションが進んできたために、社会全体としてはきわめてバランスの悪い発達の仕方になっている』と今度は大分分かり易く述べてある。
私はソロスの提唱するOpen Societyについて、ポッパーと同様にユダヤ人であったことから迫害を受けた影を見てしまうのだが、世界の安定化を真剣に考えるのは、そのような人々であるのかも知れないとも思い、この両者には深く共感するものがある。
Open Societyは、そもそもClosed Societyである全体主義に対するアンチテーゼとして登場した面がある。世界をおおう規模でのファシズムは1945年に、また共産主義はソ連の崩壊でポッパーの予言が実現したわけであるが、それでは自由主義体制が勝利したことによって、資本主義市場経済体制や議会制民主主義が最終的なソリューションとして、Open Societyが実現するかというと、そうはいかない。ソ連崩壊後2年も経たないうちに竹内啓は「開かれた社会の内なる敵」[7]で述べている。竹内はこのなかで、冷戦終了後、欧米先進国ではレッセフェールが最も望ましい政策であるとしていることに強く異を唱えている。のちにソロスの著書に見られると類似の論点がすでに指摘されていることは興味深い。竹内は更に進んで、今後問題となるのは「開かれた社会の敵」となる「部族主義 (Tribalism)」について言及する。血縁、地縁、エスニシティ、宗教、職業などを原理とする各種共同体もまた、それに所属する個人の全面的帰属と帰属しないものの排除を原則とする社会がこれから出現する可能性があるというのだ。それは、社会に偏見と差別、分裂と抗争をもたらすことを懸念している。この当時、自由主義社会が共産主義社会に勝利した、(これからは安定な社会になる)という楽観的な論調も少なくなかった頃のことで、その後の今日までの世界の進み方を観察すると、竹内の懸念が杞憂でなかったことが納得できる。
現在、大規模なClosed Societyとして残っている中国の将来についても、私はこの先どのように進んでいくのか興味津々で見守っている。中国の将来を見ようとするとき、目先の現象面だけを見るのではなく、その歴史なども含めて考察することがものごとを正しく見ることになる。私にとってはこれにOpen Societyという観点が加わった。中国は現在の中華帝国としてClosed Societyであるばかりではない。中国社会はその始まりから現在に至るまで数千年にわたって幇を原理とした地縁およびギルド社会なのである。[8] このいわば二重のClosed Societyが、開かれたGlobal Open Society 更にはCyberworldsとどのように向かい合っていくのか、ひとつの試金石であると思っている。
2.4 Opensource はOpen Society の内部モデルか
次にOpensource Softwareについて考察する。
Opensource Softwareを用語辞典の助けを借りて簡単に表現すると次のようになる。
『ソフトウェアの設計図にあたるソースコードを、インターネットなどを通じて無償で公開し、誰でもそのソフトウェアの改良、再配布が行なえるようにすること。また、そのようなソフトウェア。ソースコードがあれば、そのソフトウェアの類似品を作成したり、そのソフトウェアで利用されている技術を転用することが容易に可能なため、企業などでは自社の開発したソフトウェアのソースコードは極秘とし、他社に供与するときにはライセンス料を取ることが多い。それに対し、オープンソースの考え方は、ソースコードを公開して有用な技術を共有することで、世界中の誰もが自由にソフトウェアの開発に参加することができ、その方が素晴らしいソフトウェアが生まれるはずだという思想に基づいている。』
ここで重要なことはソースコードが公開され、それを共有することで世界中の誰もが自由にソフトウェアの開発に参加することができ、その方が素晴らしいソフトウェアが生まれるはずだという思想である。そして更にそのソフトウエアは誰でも無料で使うことができる、というものである。オープンソースという言葉はかなり曖昧な言葉で、使う人によってそのニュアンスは異なる部分があるが、根元のところは「人類共有の財産」であり、特定の組織や個人の独占物ではないということである。
このような考え方は商業資本主義にどっぷりと浸かっている私たち日本人にはなじみの薄い「思想」であり、「哲学」である。第一、本当にそんなことでマイクロソフトなど一流の技術者が精魂を傾けて作っているソフトウェアよりも”Better”なソフトウェアができるのだろうか。また、世界中の誰もがと言うけれども、世界中の誰が無料でそんなに一生懸命ソフトウェアの開発に参加するというのか。生活費は一体どうするのか。また、著作権などはどうなっているのか。といった素朴な疑問が限りなく出てくる。これについては、実際にそれを推進している人々の著書が物語っている。[9] 「どうしてオープンソース開発者たちは無償でソフトを作り続けるのか? 何故オープンソースソフトは商用ソフトと同等かそれ以上の性能と安定性を持つに到ったのか?」 Eric Steven Raymond 自身も驚いているくらいだ。その他にも、納得できる解として、フィンランドの Pekka Hineman の人間が「働く」というという労働倫理から解き起こしている著作がある。[10] ヨーロッパの伝統の中で育ったハッカー(倫理性の高い(天才)コンピュータおたく?) の倫理観は企業に飼い慣らされ、それが人生の大部分でもあり、普通の能力を持っている程度の日本人にはわかりにくい面があるが、上記の疑問にはそのような我々をも納得させるものがある。(ドラッカーの言うテクノロジストとはこのこういうものであるというよい証拠になるかもしれない)
ここで、筆者が強調したいのは、Opensource はOpen Society の内部モデルではないのか、ということである。Opensource とOpen Society は言葉としてはよく似ている。ともに、外部に対して開かれたものとして、その方が閉じられたものよりも優れている、という思想に基づく。言葉が似ているだけではないことは、次の例で明らかである。
『開かれた社会とは「真実は何人によっても独占されるものではなく」、「異なる人々は異なる見方や興味を持っていて」、「あらゆる人々が平和のうちに共存することが許され、その権利が守られる制度が必要なのだ」、という認識に基づいた社会である。』
ここで「開かれた社会」(=”Open Society” の部分をOpensource に置き換えてみたらどうだろう。
『“オープンソース・ソフトウェア”とは「“ソフトウェア”は何人によっても独占されるものではなく」、「異なる人々は異なる見方や興味を持っていて」、「あらゆる人々が“何らかの形で参加”することが許され、その権利が守られる制度が必要なのだ」、という認識に基づいた“ソフトウェア”である。』
Opensource もOpen Society も現在解決すべき問題は数限りなくある。しかし、どちらもマクロの立場から見ると、もはやClosedsource(という言葉があるかどうかわからないが) もClose Societyにも戻れない。Opensource はOpen Society の内部モデルとして、その中に包含されることがわかる。
再び、カール・ポッパーの力強い言葉を借りて、この節を締めくくりたい。同じ文章を読んでもまったく異なる感慨が感じられるではないか。
But if we wish to remain human, then there is only one way, the way into the open society. We must go on into the unknown, the uncertain and insecure, using what reason we may have to plan as well as we can for both security and freedom.
2.5 Cyberworlds は 進化する
Open Society の内部モデルとしてのOpensource は当然のことながらCyberworldsと深い関係を持つ。
Cyberworldsとは何か。Cyberworldsについては、國井教授の論文Cellular Theory - A Basic Model for Integrating Real- and Cyber Spaces – [11] Tosiyasu L. Kunii 1999 (セル理論 -実空間・サイバースペース融合の基本モデル-)に述べられている。
『実空間とサイバー空間の融合空間上のサイバー世界は、e-business、e-finance、e-manufacturing等として、急激に発展する現代実社会の基本的インフラストラクチャを形成している。発展の不変量に基づく同値関係を見いだすと、それにより融合空間は直和同値類に自動的に分割される。サイバー世界の特徴に基づき、多様な同値関係が特定できる。セル構造空間として融合空間を規定することにより、同値類の商空間(等化空間)において実空間とサイバー空間を統合するセル接着関数を定義し、サイバー世界の変化の不変量をホモトピー不変量として保存する基本モデルを提示できる。これにより、サイバー世界の急激な発展の変化の本質をホモトピー不変量としてデータベース化することが可能となる。これにより融合空間の本質の理解を進め、かつその統合実現を系統的に進めることが可能となる。セルモデルは、この意味で、複雑な融合空間上の「サイバー世界管理システム」実現の基本モデルである。』
一言で言えばCyberworlds(サイバー世界)とは、現に私たち自身の生活している世界とネット上の世界を融合する基本的インフラストラクチャである、と言いかえてもよい。複雑系であるこの世界は絶えず変化し続ける実体である。冷戦の終結や情報革命によって急にこの世界が不安定になってきたわけではない。昔から常に不安定であった。このことは2.2.「世界はいつも不安定」、で検討済みである。Cyberworldsは、実空間とサイバー空間の融合空間であり、e-business、e-finance、e-manufacturing …を介して我々が実際に生活する社会とますます切り離せない状況になってきた。
ここで重要なことは、実世界と同様、Cyberworldsは変化すると同時に進化するということである。Cyberworldsは、複雑系、円環的因果律、その他数知れない「この世界の認識手段」の発展により急速に進化しつつある。20世紀の初頭に相対性理論などをはじめとする物理学で行われた発見、フロイトやユングによる深層心理の心理学などによって「この世界の認識手段」にパラダイムシフトが進展したときの状況によく似ている。近未来にどのような社会が待ち受けているか、予測することは困難ではあるが、それはできないことではない。ポッパーが「自我とその脳」を著した頃に比べて、脳に対する基本的な知識は飛躍的に増している。これは細胞レベルでの生物についての認識と深く関わっている。生物や脳の立場から見た「この世界の認識手段」がCyberworlds の次の進化に必要となり、実りをもたらしてくれるものと期待できるが、この問題それ自体が非常に大きいものであり、別に稿をあらてめて検討することになろう。
2.6 Cyberworldsの進化とその未来
Cyberworldsは現実に自分自身の生きているその社会そのものであり、実世界同様に進化している。この進化の方向については、國井教授の論文 The Potentials of Cyberworlds - An Axiomatic Approach - [12] 2004 に述べられている。「実世界のなかでは1年間の貿易額に匹敵するような金額が、Cyberworldsのなかでは1日で取り引きされている」。この現実はその他の分野でのCyberworldsの進化について示唆している。
その一方で、國井教授は講演(安定したグローバル・ワールド − どう達成するか −)の中で、最も情報慣性の小さい金融取引収入を、最も情報慣性の大きい教育・文化へ投資するような「社会構造の構築」がその切り札であると述べられている。これは、具体的な提言として傾聴に値するものであり、私の情報処理学会提出の論文「オープンソース・ソフトウェアによる教育」もその一環である。いずれも要素還元主義でない全包括主義的アプローチである。
Cyberworldsは現実世界と同様、当然のことながら光と影がある。光の部分としては上記「教育・文化へ投資」により、世界の不安定を軽減する方向がある。影の部分としては、グローバリゼーションに関連して、多くの人々が警鐘を鳴らしている。グローバリゼーションそのものの影については、ジョセフ・スティグリッツの著作「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」[13] がよく知られている。これはIMF,世銀などの国際機関がアジアの通貨危機を引き起こし、グローバリズムが世界を不幸に陥れたと主張するものである。これら国際機関はヘッジファンドなどの利益を最優先しており、本来援助すべき対象からは逆に富を吸い上げているというもので、アメリカの学者の間では評判が悪いようだが、私には思い当たることだらけである。ソロスの主張ともかなり重なる部分がある。
Cyberworldsとの関連で言えば、サスキア・サッセンの「グローバル空間の政治経済学―都市・移民・情報化」 [14] がよくこの問題をついていると思う。日本での翻訳は2004年と新しいが、原著書は1998年とかなり古い。 Cyber Space について述べたところは更に1997年であるからもっと古いのだが、ここで懸念されていることは今日になっても未だに古くなっていない。むしろ、このときから8年経った今、彼女の「予言」がますます、重要性をもってきていると言えよう。
「Cyber Space (Cyberworldsとは区別してこの言葉を使う)は純粋に技術的な現象として、自己完結した中立的なものとして理解されている、がそうではない」、というのがサッセンの主張である。まず、光ファイバーなどのインフラですでに国内での格差がある。更には途上国へのインフラ敷設は、植民地時代の鉄道敷設を思わせる、と述べている。途上国アルゼンチンで教育を受けたこの著者の視点を感じることができる。
彼女はCyber Spaceそれ自体は情報伝達の一手段として登場してきたのだが、その後の発達は、経済の組織化、権力の階層化、を生んできたと結論づける。1997年の時点で彼女はCyber Spaceの問題として次の3つをあげている。
・基幹経済部門のデジタル化とグローバル化が増大してきた結果、資源、インフラストラクチャー、そして中心的機能が極度に集中し、一つの戦略的な拠点としてのグローバル都市が、新たなグローバル経済ネットワークに現れた。
・電子空間の経済的重要性が増したために、資本と企業権力のグローバルな同盟と大量集中が加速した。
・以上の条件から、公的・私的な電子空間において新たな形態の分断が進展した。
そして、通信システムがグローバルなネットワークに統合されるにしたがって、政府は制御不能になっていくことであろう、とも述べている。彼女の著書では問題点はあげられているが、処方箋は示されていない。それにも関わらず、1997年の時点でこのような指摘がなされていることに注目したい。これらの問題はCyberworldsの進化によって、解決されるべき課題である。
現実世界で世界の不安定化が顕在化してきた直接のきっかけには冷戦構造の崩壊がある。今日のCyberworldsとの直接の関連はないようであるが、グラスノスチにより西欧の情報がソ連に入ってきたことがソ連崩壊に結びついた一因であると言われている。これは、今日のCyberworldsの大きな影響力を示す好例であろう。
これまでCyberworlds の現状を見てきた。Cyberworldsの進化についても検討してきた。それでは、これからのCyberworldsの進化によって世界安定化は果たして可能であろうか?
可能であるし、可能にしなければならない。Open Society の理念はそのような方向に進むことを可能にするであろう。また、Open Source Software が、現にこの世界に存在し、進化し続けていることは我々にとって、福音であり、希望である。Open Source Softwareの理念はまるでユートピアのようであると、言えなくもない。しかし、Cyberworldsの未来について、問題を解決しながらよい方向に進化させていくことが肝要である。この点で現在覇権を握っているアメリカの責任は重大である。われわれは、あらゆる機会を使ってアメリカのChecks and Balances を働かせると同時に、「あるべき」Cyberworldsを追求せねばならない。隗より始めよ。その意味でもわれわれIT技術者を自任するものにとってOpen Source Movement は大切な役割を担っていると言えよう。
3. 結論
本論文は今日の世界の不安定性を解決するために、Open Societyの概念が役立つことを検証した。そして、Opensource Softwareは、Open Societyの内部モデルであることを示し、更には、Opensource Softwareの存在するCyberworlds が進化することによって、実世界で生じている不安定性を解決する手段となりうると結論づけた。
「サイバーワールドの進化の基礎研究」の出発点として、AならばB、BならばCというように直線的な方法ではなく、また個々の要素を個別に還元して検討する論法をもってする手法ではないため、あるいは論理の飛躍と見えるところがあるかも知れない。しかし、このような大きな問題を検討するためには、全包括主義による認識の手法は有効である。
グローバリゼーションの進行を止めて歴史の歯車を逆回転することは最早できない。Cyberworlds の進化の方向によっては世界安定化をもたらすことは可能であるし、また可能にしなければならない。IT技術者としてOpen Source Movement に参加することにより、Open Societyを目指し、Cyberworlds の正しい方向への進化に貢献しよう。これが本稿の結論である。
4. 参考文献
[1] ポーラ・アンダーウッド著 星川 淳訳「一万年の旅路」1998年
ネイティブ・アメリカンの口承史 翔泳社
[2] 田坂広志「要素還元主義の限界。そして複雑系が語る新たなる知の世界。」 2004年
http://www.ntts.co.jp/SO/so2/fut/
[3] カール・ポッパー著 武田弘道訳「自由社会の哲学とその論的」世界思想社 1973年
原著:Karl R. Popper “Open Society and its enemies” (1945)
[4] カール・ポッパー/J.C.エックルズ著「自我とその脳」 思索社1977年
原著:K.R.Popper/J.C.Eccles, “The Self and Its Brain, Springer Interantional”
[5] ジョージ・ソロス著 大原進訳「グローバル資本主義の危機」日本経済新聞社1999年
原著:George Soros “The crisis og global capitalism” (1998)
[6] ジョージ・ソロス著 藤井清美訳「グローバル・オープン・ソサエティ」ダイヤモンド社2003年
原著:George Soros “George Soros on globalization” (2002)
[7] 竹内啓「開かれた社会の内なる敵」未来社 1994年
開かれた社会の哲学 所収 (73ページ〜89ページ)
[8] 小室直樹「小室直樹の中国原論」徳間書店 1996年
[9] エリック・スティーブン レイモンド「伽藍とバザール―オープンソース・ソフトLinuxマニフェスト」 光芒社 1999年
[10] ペッカ ヒマネン 著, リナックスの革命 ― ハッカー倫理とネット社会の精神
河出書房新社 2001年
[11] Tosiyasu L. Kunii “Cellular Theory - A Basic Model for Integrating Real- and Cyber Spaces” IT Professional Course, Graduate School, Hosei University (1999)
[12] Tosiyasu L. Kunii, “The Potentials of Cyberworlds –An Axiomatic Approach-”, Proceedings of International Conference on Cyberworlds, 18-20 November 2004, pp. 2- 7, Tokyo, Japan, IEEE Computer Society Press, Los Alamitos, California, U. S. A. (2004)
[13] ジョセフ・E. スティグリッツ著 鈴木主税 訳「世界を不幸にしたグローバリズムの正体」
徳間書店 (2002)
原著:Joseph E. Stiglitz, “Globalization and Its Discontents” (2002)
[14] サスキア・サッセン著 田淵 太一, 原田 太津男, 尹 春志 訳「グローバル空間の政治経済学―都市・移民・情報化」岩波書店 2004年
原著:Saskia Sassen, “Globalization and Its Discontents” (1998)
( StiglitzとSassenの原著書の英文タイトルは、一字一句違わない同じものである)