【社説】併合から100年、改めて激動の東アジアに立つ(上)
あすは大韓帝国が日本帝国主義の植民地に転落した1910年8月29日から、ちょうど100年を迎える日だ。この日から36年間、韓国人には、自らの足で踏むことのできる母国が存在しなかった。当時2000万人いた国民は、異民族による統治に自らの生命や財産、さらには領土を奪われ、自由に息もできずにつらい日々を送ることを強いられ、さらには民族の言葉、歴史、あるいは自分のアイデンティティーを示す姓や名前まで奪われた。歴史上、わが民族がこれほどまでに徹底して存在自体を否定されたことはなかった。
日本は完全武装した軍隊、憲兵、警察によって宮廷の周囲を包囲し、日本と内通した大韓帝国の内閣総理大臣、李完用(イ・ワンヨン)に朝鮮統監が作成した全権委任状を手渡した。さらに「大韓帝国皇帝は日王(=日本の王)に統治権を移管し、日王はこれを受け入れる」という内容の条約文書にも署名させた。韓国と日本の知識人たちは今年5月の「韓国併合100年の声明」において、「韓日併合条約は前文も本文も虚偽の内容で、条約締結の手続きや形式にも重大な欠陥がある不当なものだった」として、「条約は締結の時点から無効だった」と主張した。
光復(日本の植民地支配からの解放)後の韓日関係は、日本が国権を奪う過程で犯した数々の違法行為を厳しく指摘し、彼らに対して歴史の罪科を素直に認めさせ、過ちを宣言させることから始めなければならなかった。しかし韓国にはそれができなかった。絶対貧困から脱け出すための経済発展を急ぐがゆえに、その元手となる資金の準備に奔走していたのだ。日本政府は1965年にこのような状況で締結された韓日基本条約を口実に、韓国の強制併合に関して道徳的にはともかく、法律的には合法で、韓国に対する植民地支配も法的に有効だったという立場をこれまで一度も変えていない。植民地支配に伴う韓国人への個人的な被害への補償も、この条約によってすべて清算されたという主張を繰り返している。日本による独島(日本名:竹島)領有権の主張や歴史教科書歪曲(わいきょく)問題の根本も、最終的にはここにたどり着く。
100年前に国が滅びたという知らせを聞き、自らの命を絶った儒学者、梅泉ファン・ヒョンは、「国家は自らを害すると、そこには他人が入り込んでくる。非常に悲しいことだ」という思いを詩に託して、自国の惨状を嘆いた。当時はまさに梅泉の言葉通り、状況が進んでいたのだ。
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