2010年08月27日
海軍病院建設5
ご訪問ありがとうございます。
宜野湾市議会議員選挙投票日まで、あと16日
私は、この4年間の中で継続して取り上げている問題の一つに 普天間地域に建設中の海軍病院があります。
このブログでもシリーズげ記事を投稿しています。

病院本体や関連施設も段々と完成に近付いています。
病院建設に市内業者の要請や緊急時に市民県民の受入れ、駐車場の軍民共同使用、一部道路の通り抜けなど、議会の中で提言しましたが、いづれも市長は反対。一切の要請は行わない。そればかりか、水道の直接接続も反対。宜野湾市は経済、雇用、財政、緊急医療について大きなチャンスを逃し市民には負担だけが。
政治活動の中でも多くの市民の方が怒っています。基地反対だけで、財政や市民の利便・安心安全について
何もやらない つけは市民が負担することになります。
後援会事務所や訪問すると皆さんの市政に対する不満の声が大きくなっています。
あなたの声が力になる!あなたの声を呉屋ヒトシへ託して下さい。
宜野湾市議会議員選挙投票日まで、あと16日
私は、この4年間の中で継続して取り上げている問題の一つに 普天間地域に建設中の海軍病院があります。
このブログでもシリーズげ記事を投稿しています。
病院本体や関連施設も段々と完成に近付いています。
病院建設に市内業者の要請や緊急時に市民県民の受入れ、駐車場の軍民共同使用、一部道路の通り抜けなど、議会の中で提言しましたが、いづれも市長は反対。一切の要請は行わない。そればかりか、水道の直接接続も反対。宜野湾市は経済、雇用、財政、緊急医療について大きなチャンスを逃し市民には負担だけが。
政治活動の中でも多くの市民の方が怒っています。基地反対だけで、財政や市民の利便・安心安全について
何もやらない つけは市民が負担することになります。
後援会事務所や訪問すると皆さんの市政に対する不満の声が大きくなっています。
あなたの声が力になる!あなたの声を呉屋ヒトシへ託して下さい。
2010年06月09日
海軍病院建設4 水道接続断る
ご訪問ありがとうございます。
明日、10日(木)から6月定例議会が開会。25日(金)までの会期日程です。
そして、11日(金)は午後7時より 普天間三区公民館にて「議会報告会」を開催いたします。
今、議会での一般質問をDVDにまとめたり、パワーポイントの作成の最中です。
そんな中、議会において平成19年3月議会より平成22年3月議会で何度となく取り上げました
北谷町桑江から宜野湾市普天間「キャンプ瑞慶覧」に移設。現在建設中の「海軍病院」
シリーズ4

今年の3月議会でも取り上げました。海軍病院への水道の接続の件。当時、那覇防衛施設局や現在の沖縄防衛局から宜野湾市と直接水道を接続したいとの口頭でのお話を、宜野湾市は「市長が海軍病院に反対しているので、水道の接続までも断りました。」
水道法では、正当な理由がない状態では 断る事はできない。とあります。
市は、正式な文書での要請ではないので、水道法違反には、該当しない見解。
私はこれまで、建設工事を宜野湾市の業者へ優先的に発注するように要請すべきでは、病院なので、緊急時には、市民・県民を受入れ要請すべき。提言しましたが、市長の答弁は「海軍病院に反対なので要請はしない」また、この病院は、撤去されるとか、建設できない。など
そして、今回水道まで接続を断る。ちなみに現在 北谷町へ水道料金としての収入を宜野湾市へ計算すると
2,700万円の収入。これを断っているのが現在の宜野湾市です。
詳しくは、議会報告会にてご説明致します。「議会での質問の様子は、議会報告会のDVDにてご報告致します。」
私は、この病院を緊急時、市民・県民を受入れ(ヘリも着陸できる)そして、一部施設を駐車場や道路を軍民共同使用し、普天満山神宮寺から県道へ通り抜けできるように 国へ要請すべきであると思います。
なぜなら、SACO合意でこの病院移設日米で合意し、当時、宜野湾市は苦渋の決断として、容認しました。その代わり、9つの要望を国へ行いました。
しかし、市長が代わり、反対、反対し 何一つも要請せず、只時間だけが過ぎてゆきます。
あなたの声が力になります。宜野湾市を変えていく力になります。
明日、10日(木)から6月定例議会が開会。25日(金)までの会期日程です。
そして、11日(金)は午後7時より 普天間三区公民館にて「議会報告会」を開催いたします。
今、議会での一般質問をDVDにまとめたり、パワーポイントの作成の最中です。
そんな中、議会において平成19年3月議会より平成22年3月議会で何度となく取り上げました
北谷町桑江から宜野湾市普天間「キャンプ瑞慶覧」に移設。現在建設中の「海軍病院」
シリーズ4
6月8日現在の様子
今年の3月議会でも取り上げました。海軍病院への水道の接続の件。当時、那覇防衛施設局や現在の沖縄防衛局から宜野湾市と直接水道を接続したいとの口頭でのお話を、宜野湾市は「市長が海軍病院に反対しているので、水道の接続までも断りました。」
水道法では、正当な理由がない状態では 断る事はできない。とあります。
市は、正式な文書での要請ではないので、水道法違反には、該当しない見解。
私はこれまで、建設工事を宜野湾市の業者へ優先的に発注するように要請すべきでは、病院なので、緊急時には、市民・県民を受入れ要請すべき。提言しましたが、市長の答弁は「海軍病院に反対なので要請はしない」また、この病院は、撤去されるとか、建設できない。など
そして、今回水道まで接続を断る。ちなみに現在 北谷町へ水道料金としての収入を宜野湾市へ計算すると
2,700万円の収入。これを断っているのが現在の宜野湾市です。
詳しくは、議会報告会にてご説明致します。「議会での質問の様子は、議会報告会のDVDにてご報告致します。」
私は、この病院を緊急時、市民・県民を受入れ(ヘリも着陸できる)そして、一部施設を駐車場や道路を軍民共同使用し、普天満山神宮寺から県道へ通り抜けできるように 国へ要請すべきであると思います。
なぜなら、SACO合意でこの病院移設日米で合意し、当時、宜野湾市は苦渋の決断として、容認しました。その代わり、9つの要望を国へ行いました。
しかし、市長が代わり、反対、反対し 何一つも要請せず、只時間だけが過ぎてゆきます。
あなたの声が力になります。宜野湾市を変えていく力になります。
2010年02月22日
海軍病院建設3
ご訪問ありがとうございます。
昨日の日曜日は、天気も良くて行楽地へと行かれた方も多かったのではないでしょうか?
私も、いこいの市民パークへ行きましたが、子供たちをはじめ多くのみなさんが訪れていました。
普天間地域に建設中の海軍病院(北谷町桑江より移設予定)
さて、シリーズでご報告しています。海軍病院建設3.
宜野湾市の基地問題は、普天間飛行場だけではなく、キャンプ瑞慶覧一部返還(平成18年度末、55ヘクタール)そして、現在県道沿いからも見える「海軍病院建設」であります。
超大型のクレーンを用いての作業、国道58号線沿い北谷町からも見ることでできるほど巨大なクレーンです。
この海軍病院建設(完成すると、現在の北谷町桑江より移設します)に関しては、議会でも色々と質問しています。3月定例議会でも、宜野湾市との関連する事項が新たに分かりましたので取り上げていきたいと思います。
米軍基地である海軍病院を宜野湾市へ受入れながら、その代償を何一つ請求しないことは問題ではないでしょうか?

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昨日の日曜日は、天気も良くて行楽地へと行かれた方も多かったのではないでしょうか?
私も、いこいの市民パークへ行きましたが、子供たちをはじめ多くのみなさんが訪れていました。
普天間地域に建設中の海軍病院(北谷町桑江より移設予定)
さて、シリーズでご報告しています。海軍病院建設3.
宜野湾市の基地問題は、普天間飛行場だけではなく、キャンプ瑞慶覧一部返還(平成18年度末、55ヘクタール)そして、現在県道沿いからも見える「海軍病院建設」であります。
超大型のクレーンを用いての作業、国道58号線沿い北谷町からも見ることでできるほど巨大なクレーンです。
この海軍病院建設(完成すると、現在の北谷町桑江より移設します)に関しては、議会でも色々と質問しています。3月定例議会でも、宜野湾市との関連する事項が新たに分かりましたので取り上げていきたいと思います。
米軍基地である海軍病院を宜野湾市へ受入れながら、その代償を何一つ請求しないことは問題ではないでしょうか?
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2009年12月29日
海軍病院建設中
ご訪問ありがとうございます。
宜野湾市の基地問題は、普天間飛行場が全国的にも有名になりましたが、もうひとつ、県道81号線と国道58号線、そして国道330号線に囲まれるようにある 「キャンプ瑞慶覧」もあります。
普天満宮の後方に、現在建設中の「海軍病院」があります。この施設は、北谷町桑江に現在ある施設を宜野湾市へ移設する為に、宜野湾市普天間へ現在建設中です。以前にも議会で取り上げブログでも紹介しました

巨大なクレーンが、5基、そびえ立ち施設の大きさをアピールしているようです。
歩いている間も、CD53-E、AH-1、CH46など 上空を旋回飛行しています。
前市長が苦渋の決断として受け入れを表明し、国へ対してこの地域の開発に特段の配慮をお願いし、「ちゅなー公園」が当初、宜野湾市の100%事業だったのを、95%国の補助事業にしました。
そして、「普天間地域のまちづくり」も大いに期待されましたが、市長が代わり、今現在、何の進展もなく、逆に後ろにさがった状況です。
また、今の市長はこの海軍病院移設建設も いまだに反対で建物ができても撤去だ!と議会で、答弁しました。建設には、市内の業者はほとんど関係していません。
市長は、国へ市内業者への配慮要請も行わない。また、緊急の際、病院へ市民、県民の受け入れ要請も行わない。
米軍再編の中でも、普天間飛行場が返還後に キャンプ瑞慶覧の返還も予定しています。
世界でもっとも危険な普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、そして返還 その後のキャンプ瑞慶覧の返還。そして、跡地利用。宜野湾市も維新!
宜野湾市の基地問題は、普天間飛行場が全国的にも有名になりましたが、もうひとつ、県道81号線と国道58号線、そして国道330号線に囲まれるようにある 「キャンプ瑞慶覧」もあります。
普天満宮の後方に、現在建設中の「海軍病院」があります。この施設は、北谷町桑江に現在ある施設を宜野湾市へ移設する為に、宜野湾市普天間へ現在建設中です。以前にも議会で取り上げブログでも紹介しました
巨大なクレーンが、5基、そびえ立ち施設の大きさをアピールしているようです。
歩いている間も、CD53-E、AH-1、CH46など 上空を旋回飛行しています。
前市長が苦渋の決断として受け入れを表明し、国へ対してこの地域の開発に特段の配慮をお願いし、「ちゅなー公園」が当初、宜野湾市の100%事業だったのを、95%国の補助事業にしました。
そして、「普天間地域のまちづくり」も大いに期待されましたが、市長が代わり、今現在、何の進展もなく、逆に後ろにさがった状況です。
また、今の市長はこの海軍病院移設建設も いまだに反対で建物ができても撤去だ!と議会で、答弁しました。建設には、市内の業者はほとんど関係していません。
市長は、国へ市内業者への配慮要請も行わない。また、緊急の際、病院へ市民、県民の受け入れ要請も行わない。
米軍再編の中でも、普天間飛行場が返還後に キャンプ瑞慶覧の返還も予定しています。
世界でもっとも危険な普天間飛行場の一日も早い危険性の除去、そして返還 その後のキャンプ瑞慶覧の返還。そして、跡地利用。宜野湾市も維新!
2009年06月30日
海軍病院建設2
ご訪問ありがとうございます。
先日、ブログにてご報告しました 一般質問 海軍病院についてですが、
昨日、病院の工事(基礎)の状況を確認しました。
以前にも、ご報告しましたが 沖縄県の埋蔵文化財発掘調査の結果において「記録保存」
建築確認済書も宜野湾市より国へ交付され、平成12年には 市としても苦渋の決断として工事を了解し
その換わりに、9つの要望を国へ行いました。
そして、現在建設工事に着手しているのが現状です。
しかし、市長は巨大な軍事基地だから反対、移設見直し
工事に関して、市内業社に仕事が廻るように要望もしない。
緊急の際に、市民・県民の受入も要請しない。
何もしない、でも病院本体は今年度(平成22年3月)には完成する。
当日、私の質問の時に 新聞社の人も傍聴していましたが、この事が記事になることはありません。
2009年06月24日
海軍病院建設
現在、北谷町キャンプ桑江にあります 海軍病院
宜野湾市への移転後は返還され、北谷町のまちづくりになります。
宜野湾市への移転後は返還され、北谷町のまちづくりになります。
ご訪問ありがとうございます。
6月22日(月) 私の一般質問の内容についてご報告いたします。
1.キャンプ瑞慶覧への海軍病院建設について
この問題は、平成19年3月議会より質問と提言を何度も行ってきました。
今年の5月11日いよいよ、病院本体工事に着手しました。
質問は、事実の確認であります。
Q1.予定地の埋蔵文化財発掘の結果どうなったか?
A1.沖縄県埋蔵文化センターの調査によると「記録保存」である
Q2.沖縄防衛局より宜野湾市へ建築に関しての申請書が提出されているがその結果は?
A2.4月30日 宜野湾市建築主事より確認済書が沖縄防衛局へ交付された
Q3.平成12年7月 宜野湾市より当時の那覇防衛施設局長へ海軍病院についてどのような解答であったか
A3.前市長は、容認(苦渋の結論であった)
つまり、海軍病院の建設については問題ないとの結論である。(個人的には、この土地が返還されることが望ましいが、法的に
それができなけば、最大限市民・県民に活用すべきであると思います。)
Q4.これからの建設工事関し市内業者を優先するとか、しない業者とのJVを行うように国へ要請するべきでは?
A4.建設反対なので要請は行わない
Q5.日本人研修医の受入も行っているので、緊急の際は、市民・県民の診察受入を要請するべきではないか?
A5.建設反対なので要請は行わない
など、事実を見ないで自分の主張を言い張る市長。
病院なのに、巨大な軍事施設を表現する。
しかし、今すぐ考えを変えることは難しいかもしれないので、なるべく早く、市民の緊急医療や経済の発展のことも考えて欲しと
要望しました。
いつかは、わかってくれる事を願っています。
2009年06月13日
一般質問通告
昨年、6月定例議会 一般質問 自席より質問
ご訪問ありがとうございます。
さて、昨日 6月12日(金) 6月定例議会 一般質問通告締切日でした。
以前もご紹介しました 宜野湾市定例議会 一般質問は「一問一答式」で、議員が質問し 当局が直ぐ答弁します。
その答弁に対し、議員が更に質問、あるいは提言していく スタイルなので 議論のやりとりが深まっていく方式であると思います。
その分、質問する項目に対しては、色々な角度からの調査、研究が必要であります。
今議会 私の一般質問は下記の項目を通告しましたので、ご報告します。
1.海軍病院建設について
2.普天満宮周辺まちづくり事業について
3.自治会加入促進強化事業について
4.地域介護・福祉計画の取り組みについて
5.道路行政について
①都市計画道路3-4-71号普天間線(万年通り)について
②市道普天間三区道路整備について
6.犬、猫殺処分について
以上、6項目を通告しました。
質問の1は初議会より継続、2は平成19年3月議会より角度を変えながら質問 3.4.6は今回が初めての質問
5①は継続、②は今回初質問になります。
来週には、質問する議員の内容や日程等がホームページにて公開されると思います。
2009年05月19日
海軍病院建設始まる
私の質問に対して、メモをとる局長
ご訪問ありがとうございます。
昨日、沖縄県は梅雨入りしたそうです。
さて、5月18日(月)午後5時より市内にて、沖縄県企画部、沖縄防衛局と宜野湾市議団、佐喜眞県議、アシトミ修衆議院議員の勉強会に参加しました。
勉強会は、アシトミ修衆議院議員が主催してくださいました。
沖縄県からは、企画部より沖縄振興計画の経緯などについての説明がありました。2012年3月に、現在の沖縄振興計画が終了するので、今後どのように取組んでいくのか?そして、日本復帰後、沖縄県がどのように発展したのか?資料も頂きながら説明でした。
30年間で約7兆円投じれれた国費 しかし、県民所得は全国最下位、失業率は全国ワースト1 インフラの整備はすすでいても、県民の暮らしは、良くはなっていないのが現状であります。
それでも、観光収入(平成19年)は復帰時点の324億円から13倍伸び 4,240億円となっている等 平成20年度、平成21年度で総点検していくとのことでした。
また、沖縄防衛局との勉強会では、局長はじめ幹部職員のみなさんが「海軍病院移設」「普天間飛行場代替建設」「米軍再編」について説明がありました。
特に、海軍病院建設に関しては 5月11日(月)より 着工しているとの説明がありました。
説明の後に質疑応答の時間がありましたので、私は4点質問しました。①海軍病院建設等に関する内容について、宜野湾市への説明はおこなったか?②入札契約期間が過ぎている契約があるが、その後の手続きは?③建設予定地に盛り上った場所ができたが、何を建設するのか?④病院完成後、周辺道路が混雑等が予測できる場合、道路計画について補助など検討するのか?
①市の方へは、何度も説明している。(建築許可も市より認可されている)②継続の手続きを行うなど問題は無い③埋蔵文化財発掘の土砂 ④3条予算を活用できると思う
私の質問に対して、局長もしっかりとメモをとり、担当者も丁寧に答弁して頂きました。
懇親会でも、色々意見公開ができて有意義な時間でした。
市長の姿勢で、イデオロギーだけでは市民暮らしは良くなりません。議会にて今後も取組んでまいります。
2009年02月20日
今頃なんでかね?
2月19日(木)琉球新報朝刊、夕刊に 宜野湾市キャンプ瑞慶覧 海軍病院建設予定地に関する記事が掲載されておりました。記事の内容については、特に新しい内容ではなく、私が議会にて一般質問をしている内容などであった。
しかし、面白いのは市長は今頃になって海軍病院移設見直しを沖縄防衛局、23日には上京し防衛省や米国大使館を訪ね、建設中止を要請するとありました。
なんで今頃になってこんな行動に出るのか?理解できません。この海軍病院移設問題は、平成12年に宜野湾市と沖縄防衛施設局(当時)は、(いわゆる苦渋の決断)現在の北谷町桑江にある海軍病院を宜野湾市へ移設することをやむをえない。としました。移設を認めると、北谷町桑江の該当地域は返還されることになりました。
そして、当時の市長は苦渋の決断の代わりに、地元の要望事項について特段の配慮をお願い致します。と国へ要請をおこなっております。
具体的に9つの要望を行いその1つは既に実施されました「ちゅんなー公園整備事業」において、普通は民生安定事業の75%国の補助を90%補助へとまさに特段の配慮がなされました。
私も平成19年3月議会、平成20年3月議会、9月議会 12月議会において埋蔵文化財の発掘と海軍病院の移設、そして普天満宮周辺整備事業について質問と提言をしました。
私は、この2年間の間に、防衛施設局、沖縄防衛局へ合わせて4回の勉強会等に参加させて頂き、その内容についても議会にて説明しました。例えば、埋蔵文化財の発掘の後追いながら病院本体工事を行う予定である。と3月議会で話をしました。9月議会においては、私と同じ事を担当部長も答弁なさっておりました。
そして平成20年12月議会では、海軍病院移設に伴うテレビ電波障害の件も訴え 市長へいくら市長が反対しても平成12年に国と宜野湾市は移設を認めており(米軍提供施設内の移設なので本市の了解は無くても建設できるそうです)行政は継続であり、その間埋蔵文化財の試掘調査、緊急調査など確実に実施しています。合わせて、一部配管工事も終了している箇所もあります。
つまり、この2年間だけでも建設工事が着々と行われていくことはご存知であったと思います。特に、9月議会にて海軍病院工事関係で186億円規模の入札が完了している事、その中で本市の企業は1つも無い事。市長は建設関連工事に関して今からでも市内業者へ優先発注を要請すべきである。現在でも、日本人医師が病院に研修にきているので、緊急の際は県民を受け入れられるようにするなど。市民・県民にとって最大限のメリットを引き出すように要請する事が大事であると思います。
今頃このような行動に出られても「パフォーマンス」と市民のみなさんが思っても不思議ではありません。今一度、イデオロギーを捨てて、市民の利益につながるような行動を実施して頂きたい。



しかし、面白いのは市長は今頃になって海軍病院移設見直しを沖縄防衛局、23日には上京し防衛省や米国大使館を訪ね、建設中止を要請するとありました。
なんで今頃になってこんな行動に出るのか?理解できません。この海軍病院移設問題は、平成12年に宜野湾市と沖縄防衛施設局(当時)は、(いわゆる苦渋の決断)現在の北谷町桑江にある海軍病院を宜野湾市へ移設することをやむをえない。としました。移設を認めると、北谷町桑江の該当地域は返還されることになりました。
そして、当時の市長は苦渋の決断の代わりに、地元の要望事項について特段の配慮をお願い致します。と国へ要請をおこなっております。
具体的に9つの要望を行いその1つは既に実施されました「ちゅんなー公園整備事業」において、普通は民生安定事業の75%国の補助を90%補助へとまさに特段の配慮がなされました。
私も平成19年3月議会、平成20年3月議会、9月議会 12月議会において埋蔵文化財の発掘と海軍病院の移設、そして普天満宮周辺整備事業について質問と提言をしました。
私は、この2年間の間に、防衛施設局、沖縄防衛局へ合わせて4回の勉強会等に参加させて頂き、その内容についても議会にて説明しました。例えば、埋蔵文化財の発掘の後追いながら病院本体工事を行う予定である。と3月議会で話をしました。9月議会においては、私と同じ事を担当部長も答弁なさっておりました。
そして平成20年12月議会では、海軍病院移設に伴うテレビ電波障害の件も訴え 市長へいくら市長が反対しても平成12年に国と宜野湾市は移設を認めており(米軍提供施設内の移設なので本市の了解は無くても建設できるそうです)行政は継続であり、その間埋蔵文化財の試掘調査、緊急調査など確実に実施しています。合わせて、一部配管工事も終了している箇所もあります。
つまり、この2年間だけでも建設工事が着々と行われていくことはご存知であったと思います。特に、9月議会にて海軍病院工事関係で186億円規模の入札が完了している事、その中で本市の企業は1つも無い事。市長は建設関連工事に関して今からでも市内業者へ優先発注を要請すべきである。現在でも、日本人医師が病院に研修にきているので、緊急の際は県民を受け入れられるようにするなど。市民・県民にとって最大限のメリットを引き出すように要請する事が大事であると思います。
今頃このような行動に出られても「パフォーマンス」と市民のみなさんが思っても不思議ではありません。今一度、イデオロギーを捨てて、市民の利益につながるような行動を実施して頂きたい。
ブルーシートの部分に海軍病院本体が移設するのか?
平成20年7月頃の埋蔵文化財発掘の様子
平成20年2月キャンプ瑞慶覧