出演者リストとその主張


◆ 小此木 政夫(おこのぎ・まさお)
  慶応義塾大学法学部教授

1945年生まれ
慶応義塾大学法学部政治学科を卒業
同大学院 法学研究科政治学専攻博士課程修了
1972年〜1974年 延世大学校大学院留学(韓国)
専門は韓国・北朝鮮の国内政治、北東アジアの国際政治。
国内政治と国際政治、歴史と現状のそれぞれを分析・研究
今年5月に最終報告書を提出した「日韓歴史共同研究委員会」の日本側委員も務めた。
著書に「韓国における市民意識の動態(編)」「朝鮮戦争(著)」など。

 

 


<歴史認識の溝をどう乗り越えるか>
韓国は分断国家である。先進的な統一国家として繁栄するまで、その民族感情が沈静化することはないだろう。そのうえ、朱子学的な伝統を残す韓国の知識人は「正義による治癒」を主張して、現在でも「過去を真相究明して、謝罪、反省し、賠償するところがあれば賠償し、和解する」ことを要求している。今回の場合、歴史問題と領土問題が結合し、韓国大統領が日本批判の先頭に立つという事情があった。
他方、日本人の歴史観はそれとは大きく異なる。武家政治の伝統をもつ日本では、武力闘争の後でも「過去は水に流される」のである。観念論や名分論はほとんど意味をもたない。良かれ悪しかれ、日本人は「名分」よりは「実利」で行動するのである。しかし、その日本人も韓国や中国から繰り返される批判に感情的な反発を覚え始めている。
20年以上も歴史論争が継続したのだから、いまさら出発点に戻ることは不可能だろう。戦後50年はよい機会であり、村山談話は画期的な内容を含んでいた。しかし、それに対しても、保守派の反発や閣僚の不規則発言が多かったし、国会決議も中途半端に終わった。現在では、小泉首相による靖国神社参拝が物議を呼んでいる。
しかし、1998年10月の金大中大統領の訪日と日韓「パートナーシップ」共同宣言は画期的であった。日本側が植民地支配に対する「痛切な反省と心からのおわび」を表明したのに対して、韓国側は戦後日本の平和主義や国際貢献を積極的に評価し、双方とも未来志向の関係構築を誓約したからである。
日本人は「過去」を忘れず、韓国人は「現在」を評価するというエールの交換によって、相手の良さを再発見することが重要である。

<これからの日韓関係について>
昨今の竹島問題を焦点にする歴史摩擦をみて、日韓間には依然として厚い障壁が存在すると感じる者も少なくないだろう。しかし、中国と韓国の「反日デモ」の間には大きな違いがある。一部右翼団体の過激なパフォーマンスにもかかわらず、中国の場合とは異なって、韓国のデモは民主主義体制下での抗議行動にほかならない。われわれは二つの反日デモの「同質性」だけでなく、「異質性」にも注目しなければならない。
幸いなことに、長い間日韓双方を悩ませてきた「体制摩擦」は、今日、ほとんど解消されてしまった。韓国人自身がわずか一世代の間に経済的な発展と自由化を実現し、軍事体制から民主体制への移行を達成して、日韓「体制摩擦」の根源を解消してしまったからである。若干の留保は必要かもしれないが、いまや、日韓両国は民主主義、市場経済そしてアメリカとの同盟という最も重要な体制を共有している。
当然のことながら、「体制共有」は双方の価値観や国家目標の接近を促進するはずである。日本人と韓国人はともに先端的な産業技術と自由な市場経済を有し、平和的に繁栄して、高い文化水準と人権感覚の豊かな民主的な国際国家を理想としているのである。その意味で、「体制共有」こそが「意識共有」の土台である。
一世代後の日韓関係がどうなっているかを考えてほしい。包括的な経済連携が進展すれば、双方の国民はビザなしで往来し、関税のかからない商品や情報を自由に交換し、労働市場も段階的に開放されていることだろう。国境が持つ意味は著しく低下して、緩やかな経済統合が進展しているに違いない。そのときになっても、韓国側は竹島に守備隊を配置して、「不法占拠」を継続するつもりだろうか。竹島を太古以来の無人島に復帰させれば、日韓間の領土問題は自然な形で解決されるのである。


チョン・ジェジョン
  ソウル市立大学教授

1951年韓国忠清南道生まれ。
ソウル大学教育学部歴史教育学科を卒業後、79〜82年東京大学大学院留学。
ソウル大学大学院国史学科博士課程修了〈文学博士〉。植民地期の朝鮮鉄道史を専門にしながら、近代日韓関係史と歴史教育の研究を続けている。
今年5月に最終報告書を提出した「日韓歴史共同研究委員会」の韓国側委員も務めた。
著書に「韓国と日本〜歴史教育の思想〜」など

 

 

 


今年は韓日国交正常化から40年で、「韓日友情の年」とされている。40年前は韓国と日本を往来する人々が1年間1万人足らずだったが、今は1日1万人以上になり、韓日の年間貿易額は500億ドルを超え、お金と情報がもっとも頻繁に行き来する間柄になった。また、韓国の若者は日本の大衆文化を好み、日本では韓流ブームが沸いている。韓国と日本が今年、さる40年間築き上げてきた友好交流の業績を祝うことはすこしもおかしくない。
しかし、この祝福すべき年に水をさすように、また歴史認識と領土問題が浮き彫りにされ、韓日関係は険しい状態が続いている。ときおり、歴史認識などを巡る中国の激しい反発もあって、小泉総理はバンドン会議で、アジア侵略の歴史に対して痛切な反省と心からのお詫びを示すなど、外交的努力を迫られている。
振り返って見ると、今年は韓国が日本の植民地支配から解放された60周年、もっと遡ると植民地化のきっかけになった第2次韓日協約が結ばれてから100年になる。このように敏感な歴史の節目に、日本で独島領有を訴える「竹島の日」が制定され、植民地支配を美化する歴史教科書がまた検定に合格したのが、韓国人の怒りを刺激した。
1995年以後、韓国人は、日本の植民地支配にたいする痛切な反省と心からの謝罪を表明した村山談話(1995年)と小渕―金大中のパートナシップ宣言(1998年)、ワールドカップ共催(2002年)などを通じて、日本人の歴史認識が40年前よりずいぶん改善されたと思い、日本に対する好感度を増してきた。ところが最近、日本で有事法案などが次々と制定され、また小泉首相が堂々と靖国神社参拝を続けることを目にし、日本の新しい動きに不安を持つようになった。そのなかで、歴史教科書と領土問題がまた起こるや、韓国人は日本人の歴史認識の本音に疑問を持つことと同時に、治りつつあった過去の傷に塩を塗るような痛みを感じた。
しかしここで注目すべきことは、今年、韓国で起きたいわゆる反日世論はただ過去の恨みをはらすためのものではない。東アジアの平和な共存と共栄の未来を切り開くために、日本との歴史認識の共通基盤を作ることを目指しているのである。韓国では新しい政権の発足以来、国家プロジェクトとして「過去の清算」が進められている。この2、3年の間、韓国政府は光州事件(1980年)、済州4.3事件(1948年)などの国家犯罪の真相究明と謝罪をしてきた。これからは、「真実和解のための過去史整理基本法」などを定め、その他の人権蹂躙事件と韓国戦争(1950−53年)で行われた民間人虐殺の真相までも解明するつもりである。すでに、植民地期の旧日本軍の「慰安婦」、徴用、徴兵などの問題に対しても新しい法律を作り、真相究明と補償に取り組んでいる。
いま、韓国はこのような文脈の中で、韓日間の歴史問題を普遍的な基準にかなう形で清算し、韓日関係を本格的な和解と協力の方向へ一歩前進させたい意志を示している。日本は過去の問題は外交的、法律的には決着済みだという姿勢をとっているが、人類の普遍的倫理と隣国の信頼に関わる問題として積極的な対応を呼びかけているのである。
韓国のこのような動きを日本のマスコミと政治家などは国内政局転換のための反日キャンペーンとする見方が強い。これを完全に否定することはできないかもしれないが、韓国人の真の願いは韓日関係の誤った過去を克服するものであり、必ずしも日本に対する民族的憎しみをかもし出すものとはいえない。韓国で増え続けている日本人観光客はあいかわらず歓迎されているし、若者の日本大衆文化に対する親しみも高まりつつある。日本が韓国のこのような呼びかけに積極的に取り組めば、韓日関係はむしろ素直に改善されるだろう。また、日本も東アジアでもっと重要な役割を果たすことができるのにちがいない。
幸いに、いま日本政府はアジア太平洋戦争の時、日本企業に徴用雇用された朝鮮人の実態を把握するために、国内企業約100社を対象に調査を始めた。もちろん、これだけでは、独島領有と歴史認識などの問題に触発された韓国と日本の深い溝が容易に埋まるとは思えない。だからこそ、日本が隣国の信頼を得るためには、まず歴史認識と過去の問題などで世界の人々が理解できる措置をとるべきだ。
韓国と日本の関係は過去でも深かったが、将来はもっと密接で、また重要な間柄になるだろう。歴史の影が付きまとっても、韓国と日本の関係はもはや外交、安保、経済、文化などの面で断ち切ることができないほど近くなった。したがって、これから歴史問題さえ克服すれば、韓国と日本は真のパートナになって、東アジアの平和と繁栄を担う役割を果たすだろう。
実際、今までも、韓国と日本は自由民主主義と市場経済をもとにして類似な社会体制と価値意識を共有してきた。歴史問題をめぐっても韓国と日本の研究者、教育者、学生などの間では、実に20年以上の交流と対話が続いている。今は、対話のチャンネルがずいぶん多くなり、対話の主題と内容も多様化されつつある。両国の政府が支援する歴史共同研究委員会も発足し、一期目の活動を終えた。これらの交流と対話によって、韓国と日本の相互理解は40年前とは比較にならないほど広く、かつ深くなった。今年、日本の歴史認識が再び問題として浮き彫りにされたにもかかわらず、それが韓日の両国民の間で感情的なやり取りへ走らなかったのは、今までの交流と対話が築き上げた成果のおかげだと思う。だからこそ、韓国と日本がもうすこし頑張れば、両国に付きまとう歴史の影を払拭し、新しい友情関係を作り上げることができるだろうと期待する。
今年は、いろいろな意味で近現代の韓日関係史の中でたいへん重要な節目に当たる。節目にはそれにかなうパフォーマンスとジェスチャーが要る。どのような行事とメッセージを披露するか、両国の首脳は真剣に考えてほしい。あえて言えば、韓国と日本が100年の過去を克服し100年の未来を切り開くために、<韓日真実和解委員会>または<韓日未来財団>などを作ることを提案したい。ここには両国の政府と民間がともに参加し、ともに資金を出し合い、歴史の真実を解明し、その傷を癒し、過去を記念し、若者を育つ、などの事業をする。また、その積極的な取り組みを次世代につなげ、過去を忘れないで未来を作る責任を自覚するようにする。
もともと、隣国は引越しができない。それが運命だとすれば、韓国と日本はお互いに知恵を絞って、誤解、葛藤、不信を克服し、理解、和解、信頼を交わす善隣友好関係を築くことが、両国家と両国民の当たり前の仕事ではないか。特に日本は、戦後60年間、世界の平和と繁栄に貢献したすばらしい経験とノウハウを持っている。これを隣国と共有することが真の誇りであり、尊いではないか。


◆ 小倉 紀蔵(おぐら・きぞう)
  東海大学外国語教育センター助教授

1959年東京都生まれ
東京大学ドイツ語学ドイツ文学科卒業
ソウル大学校 人文大学大学院哲学科東洋哲学専攻博士課程修了
専門は儒教を中心とする韓国哲学
著書に「韓国は一個の哲学である」「韓国人のしくみ」など。

 

 


<1.歴史認識について>
韓国人に対しては、まず何よりも「もっと勇気を」といいたい。
歴史の解釈はひとつではない。多様な解釈を許容する社会が、よりよい社会である。
歴史認識を国家や権力者・権威者が規定し、国民はその既定からはずれられない、というのは、決して望ましい状況ではない。民主化以降、韓国は多くの分野において自由を享受できる社会になった。しかし、日本との関わりにおける歴史問題・領土問題に関しては、解釈の自由はほとんど許されていない。このような状況を変えるには、やはり勇気が必要なのだ。逆に日本人、特に若い人に対しては、「もっと知識を」といいたい。歴史認識以前の問題として、歴史自体に関する知識も関心も持たない人が多い。自国の歴史、他国との関係、そのようなことを知ってこそ初めて、現在と将来の自国・自分のことを考えられるのだ、という「線の認識」「面の認識」ができておらず、現在の自分を歴史や共同体と分離した地点で把握するという「点の認識」しかない人が多すぎる。これはもちろん、日本の教育が問題なのである。中学・高校では特に近現代史をきちんと教える必要がある。

<2.これからの日韓関係>
日韓関係は成熟してきている。日本での「韓流」は冷却していないし、韓国人もかつてのような強烈な反日という姿勢ではない。それにもかかわらず、歴史認識問題や領土問題で、あたかも日韓が全面的な対立をしているかのような構図になってしまうのは、日韓関係の「実態」を反映していない認識なのである。このような構造から脱するには、まず日本人は過去のことをよく知ること、韓国人は歴史に対して勇気を持つこと、このことが必要である。その上で、「越境連帯」という概念を提唱したい。「ペ・ヨンジュンが好き」「キムタクが好き」「日本の憲法9条は守るべき」「日本の憲法9条は変えるべき」など、個々の分野で意見を同じくする日本人と韓国人が、国境を越えて、網の目のような連帯のネットワークを形成するのである。
日本人はすべて同じ意見であり、逆に韓国人もすべて同じ意見である、という認識の構造自体が実態を反映していないのである。日本人の中でも意見や好みは多様であり、むしろ日本人どうしよりも韓国人と意見や好みが一致する場合も多い。そのような人びとが越境してネットワークをつくるのである。そのネットワークがぶあつくなれば、ごく限られた分野での対立が両国の全面的な対立であるかのような誤った認識は修正されるであろう。


キム・ジリョン
 
文化評論家 

1964年生まれ。
ソウル大学経営学部卒業。大手企業を4年で退社し、日本へ留学。慶應義塾大学経営学修士修了。日本の大衆文化にふれた実体験を元に積極的に発言している。
著書に「僕は日本文化がおもしろい」など。

 

 

 


● 隣人と仲良くするのは難しい
韓国では日本のことを「近くて遠い国」と言います。 地理的には近いけど、心理的には何か親しみにくい国だという意味です。韓国人の日本への感情をうまく表現している言葉だと思います。
でも、隣の国と仲良くするのは当たり前のことでしょうか。私は反対だと思います。隣の国だからこそ、逆に親近感を持つのは難しいと思います。その理由は二つあります。

● 隣の国だから迷惑をかけやすい
私はマンションに住んでいますが、真上の部屋の住人が一番やっかいで、迷惑です。国の関係も似ているのではないでしょうか。隣の国だから、侵略したり、戦争したりするのです。それが深い傷を残すので、隣の国に親近感を持つのがもっとも難しいのです。
実際、日本は過去2度にわたって韓国を侵略しました。とくに100年前に韓国を強制的に併合したことは、まだ韓国人に深い傷として残っています。これまで、韓国は日本に謝罪を要求し、日本も何度か謝罪しています。しかし、今も大半の韓国人は日本の謝罪を物足りなく感じています。その一方で「しつこい。何度謝れば気がすむんだ」と思う日本人もたくさんいます。
私は、過去について謝罪する事は、過去の問題ではなく未来の問題だと思っています。謝罪を求めるのは未来に2度と同じことをしないという約束だからです。しかし、今の日本の態度には不安を感じるところがたくさんあります。日本が隣の国でなかったら、こんな不安を感じる必要はないでしょう。隣の国だからまた戦争に巻き込まれるのではないかと心配するわけです。未来に2度と不幸な事が起きないことを相手に確信させることが必要ですが、日本はこの問題に関して努力と誠意が足りないため信頼を得るには至っていないと思います。

● 似ているようで似ていない だから誤解が生まれる
韓国人にとって、ラ‐メンのス‐プにご飯を入れて食べるのは当たり前のことです。
しかし、これに違和感がある日本人が結構います。
このように韓国と日本は生活習慣が結構似ていますが、細部に入ると違うところがたくさんあります。そのため、お互いに「訳が分からない」「変な人」という誤解と偏見を引き起こすことになりやすいのです。
そこで大切になるのが大衆文化です。例えば、韓国人は寿司を手でつまんで食べることに違和感がありますが、日本の漫画を読んでいれば自然なことと受け止められます。
このように、お互いの大衆文化を楽しむと些細なことへの誤解がなくなると思います。大衆文化はその国の生活や人の価値観を見せてくれるからです。韓国の若者は日本の漫画やアニメ、ゲ‐ムを楽しみながら育った世代なので、日本人に関する偏見が前の世代ほどありません。これが文化の力だと思います。
今まで,大衆文化については韓国側が日本の文化を一方的に受け入れていました。しかし、最近日本では韓国ドラマが旋風を起こしています。このことは日本人が韓国人の考えや生活習慣など、韓国文化に対する理解を深めることにつながります。
「近くて遠い国」が「近くて近い国」になるためには様々な課題がありますが、まず、お互いの文化を楽しむことがもっとも簡単で楽しい方法だと思います。ですから、日本での韓流ブ‐ムはすごく大切な現象だと思います。