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【中国】孫文が愛した日本人妻、求婚時は14歳[03/02]
- 1 :超イケメンマスク( ヽ´`ω´ )φ ★:2009/03/02(月) 08:17:21 ID:???
- 2009年2月28日付の人民日報(電子版)は、中国革命の父・孫文に日本国籍の妻がいたとする
記事を掲載した。
孫家の史料では、その妻は盧慕貞(ルー・ムージェン)、宋慶齢(ソン・チンリィン)、陳粹芬(チェン
・ツイフェン)の3人。しかし、日本女子大学の久保田文次教授によって、孫文にはもう1人、大月薫
さんという日本国籍の妻がいたことが明らかにされている。
1898年(明治31)、神奈川県横浜市で薫さんと初めて会った孫文は、その美しさに心を奪われたと
いう。1901年(明治34)、孫文は薫さんの父に求婚を申し込んだ。しかし、孫文は当時36歳、薫さん
は14歳。そのため、きっぱり断られたという。それから1年後、薫さんに直接求婚し、2人は同市内
で質素な結婚式を挙げた。
1906年(明治39)5月、2人の間に娘(宮川冨美子さん)が生まれた。しかし、冨美子さんの誕生をみ
ないまま孫文は中国に帰国し、日本に戻ることはなかった。冨美子さんは生まれてまもなく、横浜
市内の宮川家に養女に出された。それから薫さんは2度再婚したが、孫文からの連絡を生涯待ち
続けたという。薫さんが亡くなったのは1970年(昭和45)、享年82歳だった。
孫文は米国の友人に、「名前は分からないが、日本に娘がいる」などと話していたという。また薫さ
んは生前、半生を記録したテープを残しており、冨美子さんの名は孫文の「文」の訓読み、「ふみ」
から付けたと証言している。冨美子さんが生みの親である薫さんの存在を知ったのは、1955年
(昭和30)になってから。取材に応じた際、「母から父(孫文)のことは聞いていましたが、中国のご
家族の立場を思い明かさずにきました」と答えていた。(翻訳・編集/SN)
http://www.recordchina.co.jp/group/g29039.html
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