高木マニア堂

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262:プロレスが今、置かれた危機

ノンセクション2010年08月27日 09:00 | フォルダ : 

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<2009年12月=東スポ・プロレス格闘技サイト「プロレスマニア堂」最終回より>

 1・4東京ドーム大会のウリは「新日本vsノア」の対抗戦だという。

 すでに舌戦も開始している模様だが、もともとそれほど接点がない若い選手たちに、相手を「ブっ殺してやる」なんて遺恨があるワケがない(逆にあったらアブない人だ…)。

 新日本vsノアの対抗図式は、馬場と猪木の冷戦時代があってこそ生きるモノだ。映画・007シリーズの定番ネタであった米ソの対立構造も、ソ連の崩壊以降、すでに意味を成さなくなった。

 ここ数年の新日本は「刺激は強いがリスクも大きい」猪木色の打ち消しに必死になってきた。対するノアも「いつまでたっても何も変わらない」馬場ワールドに不満を抱きつつ、箱舟で船出した選手の集まりだ。

 ここにきて、まだ馬場vs猪木の〝冷戦遺産〟で商売しなければならないところに、プロレス界の苦しい現状が凝縮されている。

 プロレス界には「夢の対決」というキーワードでファンのワクワク感を煽るレシピが存在する。

 プロ野球のオープン戦、交流戦、日本シリーズのように、普通にセ・パ両リーグのチームが試合できる状況、または大相撲のように優勝決定戦まで行けば否応なく、同門、同部屋の力士とも対戦せざるを得ないシステムがあったならば「夢の対決」という概念すら無かったことだろう。

 馬場、猪木の冷戦は、1971年末の猪木のクーデター未遂、追放劇に端を発する日本プロレスの分裂騒動から始まる。

 もし、あの時代。日プロが分裂、崩壊もせず「新日本vs全日本」という敵対関係もなく、馬場vs猪木もフツーに実現。どちらが勝利したとしても、ある意味、平和な日プロ独裁体制が続いていたとしたら、日本のプロレス界はどういう運命をたどっていたか? 当事者の猪木に聞いてみたことがある。

 猪木の答えは驚くほど淡々としていた。

「もう、日本からプロレス自体がなくなっていたんじゃない? すぐに飽きられちゃうよ」とショッキングなモノだった。

 馬場への挑戦表明、賛否両論を呼んだ異種格闘技路線への進出…。方法論に問題はあれど、猪木は常に世間に向けて話題を発信し続けていた。

 それは猪木自身のステータスアップという目的だったかも知れないし、あるいは、師匠・力道山から受け継いだプロレスというジャンルを守るための行動だったのかも知れない。

 キックボクシング、ローラーゲームetcと70年代までテレビのゴールデンタイムを席巻しつつも、ブームの沈下とともに、あえなくブラウン管から姿を消したプロスポーツは案外と多い。今も当たり前のように存在するプロレスだが、その波に飲み込まれてしまう可能性は十分にあったのだ。

 世間の認知度と、プロレス村内の温度差に、これだけズレが生じてしまった今、団体を背負って戦ったとしても、もはや「コップの中の嵐」に過ぎない。

 極論を言えば、団体などどうでも良い。プロレスというジャンルその物を背負う覚悟で、世間に向けて真摯に刃を突きつけるヒーローの誕生が待たれる。
 

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