週刊金曜日
1998.7.3(225号)
新・傷だらけの百名山 7(最終回)
"皇太子ご一行様"の自然破壊山行
小屋もルートもアンチ・ナチュラル
加藤久晴
「平ケ岳」(2140メートル)のショートカットルートに関する情報を最初に聞いたのは、奥秩父の山小屋だった。夕食後、ダルマストーブの脇でポケットウイスキーをちびちび飲んでいると、隣りの中年女性の3人グループの会話が耳に入って来た。
「平ヶ岳があんなに簡単に登れるとは思わなかったわね、登り3時間ですもんね」「あたしなんか平ヶ岳には一生登れないと思ってたわよ」「皇太子さまさまよ。皇族って山の中ではまだ偉いのね」3人の女性は、そこで、傍若無人に大声で笑いあった。"登り3時間"が耳に残った。
皇族専用ルート
「平ヶ岳」への一般ルートは、鷹ノ巣から「台倉山」を経由するコース1一本で、確か登りに6時間を要したはずだ。下りが約4時間半とすると、往復10時間半となり、昼食時問や休憩などを入れると、日帰りでは難しくなる。池ノ岳あたりで幕営すればいいのだろうが、それではザックが重くなる。一度は登ってみたいと思いつつ、中年の軟弱「山屋」としては何となく敬遠していた。しかし、“登り3時間”となれば話は別だ。ウイスキーの勢いも手伝って、3人の女性のなかに割って入った。「スンマセン、平ヶ岳の登り3時間っておっしゃってましたがどういうルートなんでしょうか?」
単独行の、酔っぱらい中年「山屋」の割り込みに、3人の女性は、一瞬、戸惑いを見せながらも、山小屋の同宿者ということもあってか、口ぐちに気易く、情報(?)を開陳してくれた。彼女たちの話を総合すると、新潟県・湯之谷村の奥只見湖畔から中ノ岐(なかのまた)川に沿って林道を車で辿り、その終点から登り始めると3時問前後で玉子石近くの稜線に飛び出るという。彼女たちは、奥只見湖近くの宿のマイクロバスで送迎してもらい、ショートカツトルートをピストンし、日帰りで「平ヶ岳」に登ってきたという。
東京へ帰ってから、早速、ガイドマッブを調べたり、地元に電話してみたりした。確かに、マップにはルートは表示されていない。それどころか、「中ノ岐川から平ヶ岳へは登山禁止」「中ノ岐側に下らないこと」などと記されている。(昭文社『山と高原地図30尾瀬』)。しかし、地元の山岳関係者に電話で聞くと、中ノ岐沢を詰めたところから立派な登山道があり、かなりな数の登山者がこのルートを利用しているという。
ガイドマップにも載っていないルートが何故できているのか?登山者たちは、どうしてこのショートカットルートを知っているのか?興味を覚えたので、3人の山仲間と、このミステリアス(?)なルートを踏査することにした。関越自動車道を小出ICで降り、352号線に入る。シルバーラインの、うんざりするほど長いトンネルを抜け、銀山平へ出る。奥只見湖を左手に見ながら走って、中ノ岐林道に入る。途中、ゲートがあるが開いている。ゲートのところに「整備不十分のため一般車通行禁止」と出ているが、道はそれほど悪くない。林道は平ヶ岳沢出合のところまで通じていて、終点のところが広場になっている。すでにマイカーが6台ほど停めてあり、東京ナンバーが4台に、群馬と新潟のナンバーが1台ずつ。
ここから登山道になるのだが、道幅が広く、明るい。登山道周辺の樹木や薮がところ構わず伐られていて、やたらに見通しが良いのだ。笹もしっかり刈られている。まるでブルドーザーで強引に伐り拓いた道のようだ。急登もあるが歩き易くできている。不思議なことに導標はまったくない。しかし、道ははっきりしているので迷うことなく稜線に出ることができる。
稜線から先は新品づくしである。真新しく立派な導標と、案内板に木道。新品の導標と案内板には、これ見よがしに「環境庁」と「新潟県」の文字がしっかりと刻まれている。滑稽を通り越して怒りを覚えるのが、玉子石の案内板である。玉子石が出来た由来が書かれているのだが、大きすぎて景観をぶち壊しにしている。それに、この案内板を立てるために湿原をはじめとして、周辺の自然をかなり壊しているはずなのだ。小学校の理科室じゃないのだ。山の中にこんなもの要らない。案内板に麗々しく、名前を運ねている環境庁と新潟県にレッドカードだ。ったく!
湿原と池塘(ちとう)に山影が美しく映える平ヶ岳ピークの景観を、この場遠いな案内板が台無しにしていることに役人たちは気付かないのだろうか!
下ってきてから、地元の山岳関係者に聞くと、ショートカットルートも木道も案内板も、皇太子の山行が決まってから突貫工事で造られたという。とくに登山道の工事が大変で、地元から約70人の人間が駆り出され、ルート作りをさせられた。見通しが良い道を作ることが至上命令で、丈の高い草や樹木をめったやたらと伐り払った。「お陰で、登山道には、滑ったときに掴まる笹っ葉もねえ」
地元の人たちは、自嘲気味に嘆く。自然破壊もいいところである。
そして、湿原内の木道はともかく、ピーク周辺に、過剰な道標や案内板など余計な來雑物(きようざつぶつ)を作り、仕事をしていることを皇族に売りこむために名前を誇示する中央官庁と自治体。税金を使って何をやっているのか。“整備不十分”と書いてあるにもかかわらず、中ノ岐林道がそれほど悪路でもないのは皇太子一行を通すために手入れしたからであろう。稜線へ出るまでのルートに導標が一切ないのも、一般道ではなく、あくまでも皇太子一行のために作った登山道だからであろう。言うなれば、平ヶ岳のショートカット利用者は、税金で作られた、皇族山行の傷あとのうえを歩かされているのだ(なお、現在、中ノ岐林道のゲートは閉鎖されていて、地権者から鍵を借りなければ入れない。周辺一帯は地元の共有林になっている)。
ご一行様来荘の“名誉”
北アルプスの常念岳や、五竜岳から鹿島槍へ向かうルートを歩いていると、突如、まるで遊歩道のような立派に整備された登山道が現われることがある。これも実は、“皇太子ご一行様”の山行の名残りだ。何かあっては責任間題になるとばかり、宮内庁や警備陣は、やたらとルートを整備してしまう。アルプスヘ入っても遊歩道を歩かされる一般の登山者もいい面の皮だし、こんな山道しか歩けない皇太子も気の毒である。
遊歩道の先の立派な山小屋。皇太子宿泊予定地にされると、ほとんどの山小屋が新改築してしまう。宮内庁からは、オーバーなことはしないでくれというお達しが来るが、頭の中が旧態依然の山小屋オーナーは、一世一代の名誉とばかり、大散財をする。その結果、豪華なシャンデリア輝く応接間を持つ新館が、とんでもない山の中に忽然と現われ、一般登山者をシラケさせる。宮内庁は、特別なことをするな、と言うが警備陣からは、「当日は、一般登山者と報道陣を、皇太子と同じ建物に泊めるな」と言われる。そこでオーナーたちは、「面倒」とばかり、借金もかえりみず立派な新館を作ってしまう。さらに、山小屋関係者を悩ませるのが、皇太子専用の風呂とトイレを作れという宮内庁の指示。皇太子が「苗場山」(2145メートル)へ登ったときに不幸にして白羽の矢が立ったのが村営の「苗場山頂ヒュッテ」。国有地内なので建設省に申請してトイレ・風呂用の敷地借用の許可をとり、突貫工事にかかったが、天侯不順で、資材を上げるヘリコプターがなかなか飛べず、関係者は冷汗ものだったという。何とか皇太子来荘には間に合ったのだが、皇太子は風呂には入らずじまい。おまけに借地に建てた風呂場なので、“皇太子ご一行様”が去ると今度は解体工事である。何という税金の無駄遺いであろうか。
嫌われる山行取材
皇太子が山へ入るとなると、たくさんの取材陣が随行する。しかし、“皇太子ご一行様”の山行取材は報道陣の間できわめて評判が悪い。もっとも、評判がよい皇室取材など皆無なのだが一、たとえば、新年歌会始めの取材では報道関係者全員が検便を強要されるし、テレビ技術などの現場スタッフといえどスーツ着用を命じられる。「スーツなんか着て仕事ができると思ってんのかよ。宮内庁は!」と、テレビの中継スタッフは、いつも陰で嘆いている。総理大臣取材でも検便は必要ないのに、なぜ、皇室取材だけ特別なのか。むろん、宮内庁の無礼な要求を唯々諾々として受け入れてしまっているメディァ側にも間題はあるのだが一。
皇太子の山行取材に主として随行するのは宮内庁記者クラプのメンバーだが、概して年齢が高い。若く、体力がある皇太子の後について行くのは一苦労である。山行取材のときだけ若い記者にスイッチする社もあるが、人員不足で、そうもいかないところでは、クラブ員が地獄の苦しみをなめることになる。登高当日の朝、報道陣が泊まっている宿に、宮内庁の広報坦当者が、「そろそろ出ないと間にあいませんよ」などと言いにくる。それが、大体、皇太子が出発する1時間前である。皇太子は、体力があるし、足が早い。それに引きかえ、報道陣は、撮影機材を持っているし、ロートルが多い。もっとも、重い機材が多いテレビクルーは、大体が技術スタッフに大学の山岳部出身者を配置している。宮内庁広報にせっつかれて慌ただしくスタートする取材班。まず、登山道の途中にある、宮内庁指示の撮影ポイントヘ行く。そこは、あらかじめ宮内庁サイドによる下見が済んでいて、そこから撮影すれば、皇太子を迎えて送る画が撮れる。皇太子が目の前を通り過ぎると、取材陣は機材を撤収して、ぞろぞろと群れをなして、次の指定ポイントワンヘ向かう。1ピッチ目はともかく、取材陣にとって2ピッチ目からが非常にきつくなる。とにかく皇太子は先に行ってしまっているのである。取材陣は、機材をかついで、皇太子を追い越し、次なるポイントで迎えなければならないのである。皇太子の足は早い。しかし、「われわれの間に合いのことを考えて、もう少しゆっくり歩いて下さいよ」などと注文することはできない。勝手に話しかけないよう、宮内庁からきつく言われているのである。
ようやくのことで、なんとか皇太子より先にピークに着いた取材陣。しかし、休む間もなく、登ってくる皇太子。まだ息を荒らげながらカメラをセットする。ピークでの難問は、如何に皇太子と山とを同じショットの中に入れるかである。皇太子だけを撮ったのでは、「これじゃあ、皇太子がどこに立っているか分んねえじゃん!」と、デスクに厭味を言われる。カメラマンは、皇太子を山と同ポジで撮ろうとするのだが、皇太子が思うように動いてくれない。イラついたカメラマンが、「殿下!もう少しこっちへ!」などと声をかけようものなら宮内庁がすっ飛んでくる。
そして、その日の宿。いかに疲労こんぱい困憊(こんぱい)していても、取材陣は、山小屋の狭くて汚い旧館に押し込められる。夕食にしても、固くなった魚の甘露煮、干からびた山菜、生卵などの山小屋定番メニュー。山へ行き慣れているスタッフはまだしも、都会生活どっぷりのシティおじさんたちには耐えがたい一夜になる。一方“皇太子ご一行様”は、シャンデリア輝く新館で、ステーキディナーかフランス料理のコース。山小屋側は、この日に備えて、腕利きのシェフをわざわざ下界から呼び寄せているのである。あ・、なんたる皇民格差!
歓迎派が潰す百名山
山小屋関係者の間でもっとも問題になっているのが、従業員の検便と小屋で使用する水の水質検査である。それも1回だけでなく何度か行なわれる。そんなことまでされても“皇太子ご一行様”を歓迎する山小屋オーナーがいまだに多いのが何とも不思議である。こういう山行を続けていると、皇太子は、日本の山は、どこへ行っても道は整備されているし、山小屋は素暗らしいと、大いなる勘違いに陥るのではないか。皇太子本人は多分、もっとナチュラルな山行にしたいと思っているに違いないのだが、周囲が要らざる心配をしすぎるし、過剰な反応をしすぎるのである。
“皇太子ご一行様”が北アルプスヘ登ったときのことだが、A小屋で昼食をとる予定が組まれた。A小屋のオーナーは感激して、東京の銀座へ食器を特注して、それを小屋までヘリコプターで空輸。当日、A小屋では特別料理を用意して待っていたが、“ご一行様”は、時間の都合でA小屋では食事をせずに通過してしまった。しかし、A小屋のオーナーは、屈辱にめげることなく、そのときの食器を記念品として、実家の床の間に飾っているという。こういうオーナーが多いから、宮内庁も、馬鹿馬鹿しく、滑稽な山行をセットすることができるのである。
もっとも、百名山を抱える山小屋の中にも、皇太子来荘を「断固として拒否する」と宣言するオーナーが出てきているし、実際、宮内庁の要求を突っぱねた山小屋もある。
しかし、大半の山小屋は歓迎派だし、皇太子の山行は、明らかに百名山狙いだ。だから、もし、一般登山者がありのままの山岳自然に触れようと思ったら、何としてでも“皇太子ご一行様”より先に、ピークハントを果たさなければならない。ああシンド。
皇太子のおもな山行記録
ここには写真を掲載していませんが、実際の紙面にはカラー写真が3枚掲載されています。以下にそれぞれのキャプションだけを載せておきます。
1枚目:平ヶ岳山頂に向かう“皇太子ご一行様”。真新しい木道と柵が続いている。(1986年10月14日。写真提供/共同通信社)
2枚目:平ヶ岳山頂付近にある玉子石とその由来を書いた案内板。この案内板も皇太子登山のために新しく設置されたものだ。(87年6月、写真撮影/筆者)
3枚目:皇太子登山のために造られた平ヶ岳のショートカットルートから見た中ノ岐林道。いまはゲートが閉じられている。(87年6月、写真撮影/筆者)
かとうひさはる(加藤久晴)
民放テレビを1997年に退社。現在、大学教員。日本山岳会、日本自然保護協会、尾瀬を守る会、山林保護全国ネットワークほか会貝。主な著作に『尾瀬は病んでいる』(大月書店)『戦場のシルクロードを行く』(日本テレビ出版)『万年雪の大コーカサス」(共著、日本テレビ出版)『遙かなるガンダーラ』(共著、日本テレビ出版)『傷だらけの百名山』『続・傷だらけの百名山』(以上、リベルタ出版)他。
出典は『週刊金曜日』1997.7.3(225号)P49〜52
これは『週刊金曜日』編集部の転載許可をいただいてここに掲載しています。
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