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マイケル・サンデル講演動画「失われた民主的議論の技術」


日本でも人気爆発中のハーヴァード大学教授マイケル・サンデルが今年の一月にTEDカンファレンスで講演したときの動画です。subtitlesからJapaneseを選択すると日本語字幕が表示されます。

サンデルは、この講演でアリストテレスの「正義とは受けるに値するものを人々に与えることである」という言葉を前提として以下の三つの問題について観衆に問いかけつつ、議論を進めていく。

1)最も良いフルートを誰が手にするべきか?
2)足に障害を負ったプロゴルファーにホールからホールへの移動時にカートを使用させることは是か非か?
3)同性婚は是か非か

この三つの設問を通して、正義が何を求めているかという問いに答えることは「問題となっている活動の本質は何か。その活動における動行った性質やどういった卓越性が名誉や評価を受けるに値するのか。」という問いを的確に捉えることだという命題を導き出し、一般的に見られるような政治上の道徳的課題に直接取り組むことを回避する傾向にとらわれず、「より相互に尊敬しあえるようになるには、人々が社会生活の中に持ち込んだ道徳的信念に対して正面から取り組むべきであり、人々に対してその深い道徳的信念を政治とは関係ないとするよう求めるべきではない」ということ、それこそが民主的議論の技術を復活させる方法だと語っています。

それぞれのテーマはハーバード白熱教室でもそれぞれ取り上げられていたようですので、そのダイジェスト版的な内容ですね。

■コミュニタリアニズムとマイケル・サンデル
マイケル・サンデルはコミュニタリアニズム(共同体主義)の代表的思想家と言われます。

コミュニタリアニズムという語は19世紀にユートピア社会主義を指す言葉として登場しましたが、現代のコミュニタリアニズムは1970年代から80年代にかけてのアメリカでリベラリズム、リバタリアニズムを批判する思想として体系化されていったものです。

集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス)」P133

「コミュ二タリアン」は、その名の通り、様々なレベルの文化的な「共同体」の中で培われる諸個人の価値観を重視する立場であり、共同体ごとに培われる価値観を度外視して、正義の原理を普遍的に探求することができるかのような議論をする「リベラル」を批判する。

(中略)

「コミュ二タリアン」が問題にするのは、主として自由主義的な政治や経済を支えている哲学あるいは人間観である。彼らは人間はリベラルやリバタリアンが想定しているほど"自由"に振舞うことができるわけではなく、共同体的な価値観によって拘束されている面が不可避的に大きいので、それを踏まえた政治・社会哲学が必要だと主張する。

リベラリズムの代表的な論者であるジョン・ロールズは社会のルールが、"「公正」であるというみんなの「正義感覚sence of justice」を適切に反映したもの"=「正義」である必要があると考え、その正義を二つの原理に集約させた。

一つは各人が自由に対して等しく権利を持っているということ、もう一つは経済的・社会的不平等が許容される条件として、「最も不利な立場にある人の期待便益を最大化」つまり全面的な平等配分を行うことで能力のある者のやる気を殺ぐのではなく、「競争力のある人間にできるだけ稼ぎ、社会を豊かにしてもらって、その利益が弱者に還元されるようなシステムを作る」ことだと考えた。

これに対してハイエクやノージックなどのリバタリアンは、政府が再分配機能を拡大し大きな政府になることやリベラリズムが持つ社会に対する設計主義的思想を批判し、市場での自由な取引と、人々の「経験」に基づいて形成されてきた「伝統」や「習慣」などの「自生的秩序」を重視する。リバタリアンとは「あくまで「自由」それ自体を重視し、平等や正義といった別の要素を"自由主義"に持ち込むべきではないとする立場である」。

リベラルとリバタリアニズムはどちらも「自由」を最優先としつつ、その"「自由」を守るために計画経済的な要素を取り入れるのか、それとも可能な限り計画を排して市場の純粋性を守るべきなのか"が対立軸だが、コミュニタリアニズムはそもそも、その「自由」が行き過ぎていることを批判する。

・マッキンタイアの「共通善」
スコットランド生まれの哲学者アラスデア・マッキンタイアは現代の自由主義者が法や道徳などの規則を善や人生の目的など根本的な概念から導き出さないため、「規則」に従って生きることが彼らの道徳的な徳性になっていると批判し、アリストテレスの思想への回帰を主張する。

日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)」P38

アリストテレスに従ったマッキンタイアによれば、人間の本性とは名誉や快楽、金銭などのような「外的な善」ではなく、コミュニティ全体にとっての善である「内的な善」を追求する徳を所有することにあります。
つまり、人間は、「家族、近隣、都市、部族など」のコミュニティの一員であることに「埋め込まれ」、政治的コミュニティにおける「共通の事業」としての「善き生」を目的とするものです。

アリストテレスのいう「共同体」は、「人々が「共通の善」として認知したものを、共通の事業によって達成するために創設される」もので、マッキンタイアは「中世の社会には、共同体の共通事業として「共通善」を追求し、その事業の中で「徳」を育む伝統があった」が、近代社会ではその「共通善」という目的が喪失してしまっているため、「共通善」を追求するための「地域共同体」の建設が重要だとする。

・チャールズ・テイラーの「多文化主義」
カナダの哲学者テイラーは、サンデルがオックスフォード大学の学生だった頃に政治学教授として教鞭をとっており、サンデルは彼の下で学んだという。

集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス)」P143
七〇年代末から九〇年代初頭にかけて公刊された、近代の中での「自己」のあり方をめぐる一連の思想史的な著作でテイラーは、伝統を解体して強力に「平等化」を推し進める近代化の過程で産出されてきた"自律した自由な主体"たちが、合理的・官僚的に組織化された産業社会の中で機械の部品のように働いている内に、「自己」のアイデンティティを形づくっている様々な価値の源泉との繋がりを見失い、自己疎外状況に陥っていることを指摘する。そしてテイラーは、そのような疎外状況から離脱するために、身体的存在、共同体的存在としての「自己」を見直すべきことを主張している。

そのような前提で、テイラーは各人のアイデンティティは共同体など社会的関係の中で周囲の他者たちとの相互承認を通して形成され安定すると考えた。その上で「各人の尊厳の平等な承認を、画一的なアイデンティティの押し付け」として否定的に見るのではなく「各人が普遍的に有しているはずの「自らのアイデンティティを形成し、定義する潜在能力」を尊重」して、自分たちのコミュニティだけでなく他の文化を尊重する多文化主義を展開していった。

・マイケル・サンデル
マッキンタイアとテイラーの影響を受けて1982年、若干29歳のマイケル・サンデルは「自由主義と正義の限界」(改題リベラリズムと正義の限界」)を発表しリベラリズム批判を行った。

ロールズらリベラリズムの個人主義を基本とする自由主義は、各人がそれぞれ他者から邪魔されること無く自身の人生における善を追求する自由を持った自己完結型のアイデンティティを想定している。これに対してサンデルはその自己完結型アイデンティティは「負荷なき自己 unencumbered self」であり、抽象的で具体性に欠くと考えた。

集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス)」P138

各個人がロールズのいう「善く秩序付けられた社会」を志向するように動機付けられることを説明するためには、各人格を自己完結したものとして捉えるのではなく、その個人が属する「共同体」との関係において捉えるコミュニタリアニズム(共同体主義)的な視点が不可欠である。家族、部族、都市、階級、人民、国民(ネーション)などの、各種の「共同体」の中で培われる暗黙の慣習や相互理解が、各人の自己理解の基盤を提供しているのである。

として、「負荷なき自己 unencumbered self」に対して共同体との繋がりを自覚した「状況付けられた自己 situated self」を置いた。

アメリカの公共宗教―多元社会における精神性」p126-7

これは端的に言えば、人間は、ある具体的な共同体のうちにあってはじめて反省能力や選択能力をもった個人たりえる、ということである。

(中略)

ここから明らかになるのは、自己あるいは個人が「状況づけられた」存在であるためには、「重要な他者」を必要とし、しかも、その「重要な他者」とのあいだで、対話をはじめ、さまざまな「コミュニケーション」をしなければならない、ということである。私たちは「重要な他者」と対話をするなかで、またときには彼らや彼女らと競い、闘うなかで、自分のアイデンティティの定義を絶えず確認し、更新している。かくしてコミュニタリアニズムにあっては、ロールズの「個人」像には欠けている「自分とはいかなる存在か」という反省が可能になるのである。

さらにサンデルは「状況付けられた自己 situated self」から、コミュニティが重層的に折り合う多元社会を構想し「多層的に状況付けられた自己 multiply-situated selves」という概念へと発展させていく。
・家族や地方自治体などのコミュニティに属している「負荷ある自己」
・何らかの文化的背景を背負っている「エスニックな自己」
・国民的責任を担っている「国民的自己」
・自分はグローバルなコミュニティにつながっているのだという「地球市民的自己」
これらが多層的に積み重なっている、と考える自己観・世界観のことである。

しかし、これらは常に整合的な関係にあるわけではなく、絶え間なくズレや葛藤が生じることになる。

アメリカの公共宗教―多元社会における精神性」P145

ゆえに、サンデルも、こうした「多層的に状況づけられた自己」をうまく調整していく能力こそが「現代に特有な市民の徳(The civic virtue distinctive our times)」であると言うのであった。

このように、リベラルとコミュ二タリアンの論争、サンデルの思想的背景などを見ていくことで、サンデルが何故対話や議論を重視するのか、また上記の動画で述べているように「が社会生活の中に持ち込んだ道徳的信念に対して正面から取り組むべき」だと考えるのはなぜか、ということの理由の一端が見えてくるのではないでしょうか。

そして、サンデルが日本で人気な理由も、このアイデンティティとコミュニティの関係を徹底的に考えようとする思想と、それによって生じる軋轢と正面から向き合おうとする知的誠実さにあるのでしょうね。

サンデルの来日講義(参照参照)があるようなので、このあたりを踏まえて公開される議論の様子をチェックしてみるとより理解が深まるのではないかと思います。

参考文献
・仲正昌樹著「集中講義!アメリカ現代思想―リベラリズムの冒険 (NHKブックス)
・菊池理夫著「日本を甦らせる政治思想~現代コミュニタリアニズム入門 (講談社現代新書)
・藤本龍児著「アメリカの公共宗教―多元社会における精神性
・森村進著「自由はどこまで可能か=リバタリアニズム入門 (講談社現代新書)
・会田弘継著「追跡・アメリカの思想家たち (新潮選書)
・山脇直司著「公共哲学とは何か (ちくま新書)

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