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発信箱:日米間のタブーを超えて=布施広

 米国防総省の廊下を歩いて記者会見場の近くに行くと、古い米紙が壁に飾ってある。「1発の原爆が日本の市(広島)の6割を吹き飛ばす」(45年8月8日)、「日本降伏 戦争終結 天皇が受け入れ」(8月15日)。今も展示されているか定かでないが、私の02年のメモではそうなっている。

 原爆の記事が人道的な懸念を特に記していないのは当時としてやむをえないとしよう。問題は、その後の米国で「原爆投下によって100万人の(米兵の)命が救われた」という考え方が醸成されていったことだ。

 もう一点。06年の小泉純一郎首相の訪米時、米議会の重鎮議員は「小泉首相が米議会で演説したいなら靖国神社に参拝しないことを前提にすべきだ」という書面を下院議長に送ったと報じられた。米議会の演壇は真珠湾攻撃直後、ルーズベルト大統領が日本の「恥ずべき行為」を非難した場所。そこへ靖国参拝を繰り返す日本の首相を登らせてなるものかということだ。

 演説は行われなかった。小泉氏が演説を望んだかどうかは問題ではない。要は良好な日米関係のお手本のようにいわれる小泉政権下でも、米国内には氷床のように冷たい部分があった。それが現実ということだ。

 ここで改めて考えると、米国のルース駐日大使が広島平和記念式典に出席したのは大きな出来事である。参列の映像は米国内でも流れる。米国には秋の中間選挙を控えて、すきあらば政敵の足を引っ張ろうという権謀術数が渦巻いている。炎天下、身じろぎもせずにたたずむルース氏の姿は印象的だった。それは今の米国にできるぎりぎりのことのように私には思われた。

 日米間のタブーの一つをオバマ政権は踏み越えた。次は日本が踏み出す番だ。たとえば靖国問題。特に新追悼施設をめぐる真剣な議論が必要ではないか。(論説室)

毎日新聞 2010年8月26日 東京朝刊

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