第17作



『俺は気まぐれのジョージ…いや…』

『白坂譲次さんですね』

『え??…さすが神様だ…お見通しだねえ…』

『そこにガス料金の督促状がきておりますわ』

★この写真は、榎本衛さんより寄贈をお受け致しました。感謝申し上げます。
宍戸錠さんと芦川いづみさん。芦川さんの抱いている赤ん坊が、榎本衛さんです。(作品はカラー)

尚、写真の権利は原権利者に帰属し、本ページの画像、情報の一部または全ての、関係者以外の持ち出しを厳禁します。

DATA
製作 日活
公開日 1962年2月18日【芦川いづみさん映画第17作】
役名 水上蕗子(宍戸錠さんには“蕗(ふき)ちゃん”と呼ばれる)
設定 宍戸錠さん主演のコメディ風アクションの第1ヒロイン。聖フランシスカ教会の
修道尼“マリア・ベルナデッタ”として孤児の面倒をみる。当人も戦災孤児。
この作品では終始、修道服姿で登場。
前公開出演作 『男と男の生きる街』(1962.01.14 石原裕次郎主演)
後公開出演作 『青年の椅子』(1962.04.08 石原裕次郎主演)
当時のTVドラマ 出演作品なし(暫定)
色彩・サイズ イーストマンカラー・シネマスコープ
上映時間 89分・8巻 2447m
併映(暫定) 『事件記者 拳銃貸します』(1962.02.18 沢本忠雄主演)
ビデオ発売 なし


■実際のフィルムでのクレジット■

(出演者のカッコ内には役名を加えました)

氣まぐれ渡世

企画 高木雅行
脚本 岩井基成、西河克己
 
撮影 岩佐一泉
照明 三尾三郎
録音 中村敏夫
 
美術 佐谷晃能
編集 鈴木晄
助監督 白鳥信一
 
色彩計測 小栗準之助
現像 東洋現像所
制作主任 森山幸晴
 
音楽 池田正義
   
挿入歌・ポリドールレコード
「ジョーの子守唄(ララバイ)」
作詞 滝田順
作曲 小杉太一郎
唄 宍戸錠
  

★出演者

宍戸錠 (白坂譲次)
芦川いづみ (水上蕗子)
 
藤村有弘 (警視庁捜査一課刑事・日高繁)
香月美奈子 (俊太郎の情婦・井沢麻子)
内田良平 (鷲尾俊太郎)
加藤武 (宮永捜査一課長)
 
加原武門 (青山三佐)
雪丘恵介 (只見)
小泉郁之介  
日野道夫 (黒木)
野呂圭介 (サブ)
神戸瓢介  
天草四郎 (社長)
 
木島一郎 (中丸)
青木富夫 (俊太郎の乾分・緒方勉)
井東柳晴 (バアテン)
紀原土耕 (大谷税関吏)
衣笠力矢 (三木)
榎木兵衛 (巡査?)
原恵子  
河野弘 (沢田一佐)
  
ピーター・ウィリアムス (マック)         .
ハロルド・S・コンウェイ (ルース大佐)
ポール・ラッファロー (コリンズ中尉)
イベット・アルノールド  
セルリー・コール  
鈴村益代  
露木譲 (池上鑑識課員)
山口吉弘 (三島)
殺陣 高瀬将敏  
 

監督 西河克己
 

        エースのジョーが赤ん坊背負って大乱闘!

■物語

 警視庁は、仮に「J1号型」と呼称される特殊拳銃の出現に緊張した空気に包まれていた。一方、射撃の腕自慢で、全国のクレー射撃場に乗りこんでは賭で儲けている“気まぐれのジョージ”こと、白坂譲次(宍戸錠)は、今日も派手に稼いでいた。そんな彼が珍らしく見知らぬサエない初老の男(藤村有弘)に負けてしまった。負けは負けだというわけで、財布を受け取れと言っても、わしは賭けは嫌いなんだと言って男はあくまでも受け取らない。二人で飲み屋をハシゴ、意気投合したところで結局、無理矢理財布を受け取らせてしまう。

 その夜、新宿の酒場で飲んでいた譲次に、赤ん坊を抱いた男がやってくる。ヤクザ風の男にせかされ、彼は譲次に赤ん坊を頼み外に出た。赤ん坊に泣かれて困った譲次が、男を追って外に出ると銃声がした。譲次が駆けつけた時にはすでに男は死んでいた。赤ん坊には「この子は母親のない子です。宜しくお願いします」という手紙が付いていた。譲次は自分も孤児だったことから孤児になってしまった赤ん坊に同情し自分の部屋へ連れてくるが、翌朝、泣き声で目が覚める。困り果て、アパートの住民の牛乳を盗もうとした時、修道女・蕗子(芦川いづみ)が現れ、お説教された挙句、孤児院に連れて行ってもらえることになる。

 その後、赤ん坊の父親から「J1号型」の弾丸が摘出され、これは譲次が戦時中手製で作ったものと同じであり、殺害現場付近にも譲次がいたことから、当局は最初から譲次をマークしていた。一方、何も知らない譲次は赤ん坊に同情し父親を殺した奴を探し出そうとけんめいだった。独自に調査を進める譲次を尾行しているのは、クレー射撃場で譲次に勝った初老の男・日高であった。しかし譲次は彼を刑事と見破っていた。そんなある日、中学生がJ1号と同型の銃の暴発で死亡するという事件が起った。その銃は玩具のガン屋から買ったものだった。

 譲次は苦心の末、殺された男が、玩具のガン屋で黒木だということをつきとめた。店に踏み込むと黒木の妻がいた。夫婦喧嘩で家出していたすきに夫を殺され、行方不明の赤ん坊を探しているという。赤ん坊は孤児ではなかったと喜ぶ譲次は、翌日彼女を孤児院に連れて行き赤ん坊を引き渡す。すると譲次の前に再び日高がやって来た。特殊拳銃事件の首魁として、彼に逮捕状が出されたのだ。J1号が大量製産されていることを刑事の口から初めて知った譲次は驚いた。J1号を造れるのは、譲次と親しかった戦友で、戦死した鷲尾俊太郎以外にいないからだ。

 自分の手で事件の真相を暴こうとする譲次は護送車で移動の途中、脱出してしまう。しかしベテラン刑事・日高の直感は、譲次が真犯人だとは思えなかった。彼を泳がせればきっと真犯人に辿り着く…。譲次は蕗子のいる教会に逃げ込むが、あの赤ん坊はまだいた。譲次は逃げてはいけないという蕗子から無理矢理に修道服を借りて変装、赤ん坊を連れた修道女を装って非常線を突破、逃亡に成功する。そして赤ん坊をおぶさったまま、赤ん坊の母親と名のって子供を引き取った女を尋ねる。その女麻子(香月美奈子)は実は偽の母親で、国際拳銃密売組織の一人で、ボスの情婦だった。彼女はJ1型製造の証拠品を譲次のアパートに置いた上で警察に密告していたのだ。

 組織の手下との銃撃戦の末、麻子を脅し、組織のボスに会う為に墓地に来た譲次の前に、意外な男が現れる。鷲尾(内田良平)である。彼は玩具工場を経営のかたわら、裏では本物の拳銃を密造していたのだ。玩具に混じって本物が黒木の店に流れたため、黒木は消されたのだった。自分自身の墓の前で、昔の俺は戦場での地獄の苦しみの中で死んだのだと平然とうそぶく鷲尾を、譲次は許せなかった。自分達の仲間に入らないかと鷲尾は誘うが、譲次は断る。

 正午に東南アジアへ密輸船が出航する計画だったが、実はそれは囮だった。麻子は鷲尾に裏切られたのだった。そして乗り込んできた警官隊と日高に捕まってしまう。その光景を見ていた譲次の前に蕗子が現れ、赤ん坊を預ける。麻子が使っていた無線機で鷲尾と話す譲次は、やはり仲間になると言って密造銃が積まれた本物の船が見える、廃棄された航空管制塔の下に導かれ、譲次は鷲尾と相対するが捕らえられてしまう。運良く脱出した譲次は反撃にでて鷲尾ともみ合いになり、手下がライフル銃のスコープで譲次を狙うが、鷲尾を誤殺してしまう。続けてスコープは譲次を狙うが、次の一発の銃声は意外にもライフル銃の男に命中。かけつけた日高の“警視庁一”の射撃だった。あとには刑事と手錠に繋がれた麻子の「あなた…!」という悲痛な叫び声がこだまし、そして鷲尾の死体を哀しそうに見つめる譲次がいた…。

 数日後、譲次は「本当に行ってしまうの?」という蕗子と赤ん坊に教会で別れを告げた。「…気まぐれのジョージだ。一箇所に落ち着いちゃいられないんだ」譲次の上空をジェット機が飛ぶ。「坊や!。今度戦争があっても、俺達みたいなヘマをやるなよ!」並木道を何処ともなく去って行く譲次を、蕗子が見送った。



この画像は、しょうちゃんより提供されています。感謝致します。

 ◆『氣まぐれ渡世』 解説

 この作品は、全国のクレー射撃場に乗りこんでは賭で儲けているという、宍戸錠さん扮する射撃自慢の男・譲次が主人公の、コメディタッチのアクション映画です。譲次が酒場で飲んでいた時、赤ん坊を抱いた見知らぬ男がやってきて、赤ん坊を頼む、という具合に譲次に赤ん坊を預けて外に出てしまいますが、追いかけて外に出ると、銃声がして、駆けつけた時にはすでに男は殺されています。自分と同じ孤児にされてしまった赤ん坊に同情し、殺人容疑者にもされてしまった譲次は、赤ん坊の父親を殺した真犯人を探し出そうとする…というのが、大まかな内容です。

 映画の中の“ジョーさん”ですから、当然、赤ん坊のあやし方なんて知りません。泣き止まなかったりして困ってしまうのですが、その時、どういうわけかタイミング良く、芦川いづみさん扮する修道女が出てきます。最初は譲次に対して怪訝なのですが、すぐに根の悪い人間ではないことを見抜き、赤ん坊を孤児院に連れて行って世話をしてくれます。

 ワイズ出版《西河克己映画修行》によると、ストーリーの大きな流れは、1949年の有名なイギリス映画『第三の男』をモチーフにしているそうです。そう言われて見れば、後半、宍戸錠さんが事件を追究していくと、死んだ筈の親友が出てきて黒幕だった…というのは、確かに似ています(内田良平さんがオーソン・ウェルズなのです!)。しかし、言われないと判りません。まさに名作とは似ても似つかぬ「迷作」?。

 また、主人公が赤ん坊を世話するはめになるというのは、『キッド』や『狐の呉れた赤ん坊』など、古くからある手なのだと思いますが、宍戸錠さんは、この手の映画では名物になりそうな子育てシーンもそこそこに、それは芦川いづみさんに任せて、とっととアクションに出撃してしまいます。赤ん坊を背負った状態での銃撃戦があるにもかかわらず、同じように赤ん坊を背負ってチャンバラする勝新太郎さんの『座頭市血笑旅』(64)のような、「赤ちゃんが危ない!」的なサスペンスの微塵も感じられません。このなんたる軽さ。著書で西河監督が「これも小僧アクションの系統だ」と語られている通り、確信犯的な良い意味でのマンガ的いい加減さを、芦川いづみさんのシスター演技と共に楽しみたい映画です。

 一見、頼りなさそうで実はヤリ手という刑事役の藤村有弘さんも忘れがたく、譲次の枕カバーで作ったオムツを蕗子が返しに来る場面で「朝っぱらから枕カバーで揉め事とは穏やかじゃないねえ…」という、よく判らないセリフと共に現れたりするのが楽しい。当時まだ20代なのに老け役での登場です。それに黒幕として存在感たっぷりの内田良平さんも忘れがたいと思います。とりわけ内田良平さんの死体を俯瞰気味で捉えたショットに教会のオルガン曲がかぶる場面は印象的でした。

 ◆「わたくし、セント・フランシスカ教会の、マリア・ベルナデッタと申します。」

 面白いと思ったのが、当時のキネマ旬報の「作品紹介」のストーリー部分では、芦川いづみさん扮するシスターが、まったく出てこないという点です。前述の本でも、西河監督は、「どういうわけか、修道女が出てくる(笑)」と語られています。つまり、いてもいなくても、ストーリー的には、大した支障がないようにも思われます。では、出る必要がなかったのかというと、まったくそういうことではなくて、譲次が赤ん坊を預ける為の、取って付けたようなこの蕗子の存在がなかったら、むしろ映画としてはクリープのないコーヒーみたいなもの。優しそうであったり、しかし時には語気を強めたりして(ちょっとコワイ感じ)、終始毅然とした態度の芦川いづみさんは、“いそうな感じ”のシスターを上手く演じていると思います。その芦川いづみさんと“気まぐれ紳士”宍戸錠さんのマンザイ的(?)なやり取りが面白く、芦川さんの修道女姿もピッタリ似合っていて、間違いなくこの映画の大きな魅力のひとつになっています。これも映画というものの面白いところかもしれません。(尚、当Webもたいへんお世話になっております、市村様制作の相互リンク《京都電影電視公司》内、“華麗なる日活映画の世界”での『氣まぐれ渡世』コーナーでは、この芦川いづみさんのセリフを、なんと95%以上採録しています。是非ご覧下さい)。

 ◆「こんな綺麗な人をサ、俺の手が出せねえように、マリアなんとかにしちまうなんて、神様も罪作りじゃねえか」

 この映画には、芦川いづみさんが、ソフトボールのピッチャーをしているシーンがあります。バッターボックスの宍戸錠さんに軽く挑発され、表情がムキになる芦川いづみさんが可愛い。一球入魂の様子で投げ込み、錠さんは空振りしてしまいますが、そのピッチングフォームや、キャッチャーからのボールの受け取り方は、いかにも下手!(推測ですが、御本人も下手なのかも?)。しかし、上手い人を装って演じているこの芦川いづみさんがまた魅力的なのです。譲次の部屋で初めて宍戸錠さんに会う場面で、壁に貼ってあるヌードポスターから目をそらす表情なども、忘れがたいといえば忘れがたいと思います。

 そしてなんといっても本作は、芦川いづみさんを敬愛するという吉永小百合さんが、著書《吉永小百合・美しい暦》(芳賀書店刊)等で、「マリア様みたいな人」と芦川さんについて繰り返し語られている通りの役を演じておられるわけで、まさに御本人そのものかのように思えてくるのです。

 ◆《京都電影電視公司》さんとのタイアップ企画

 …ここから先は、《京都電影電視公司》の『氣まぐれ渡世』コーナーとタイアップと(勝手ながら)なっております(本稿掲載における責任は当Web)。

 上記のように、本作『氣まぐれ渡世』には、赤ん坊が登場します。この赤ん坊を演じた(?)のは、当時の日活の名バイプレイヤー・榎木兵衛さんのご子息で、当時、生後7カ月だった榎本衛(えのもと・まもる)さん。『気まぐれ渡世』の西河克己監督は、約100人の赤ちゃんをオーディションしましたが、気に入った子供が見つからず、そこで、この作品にも出演されている榎木兵衛さんが「うちの息子を使ってみたら?」と監督に話し、見せたところ、とても気に入り採用になったのだそうです。

 これまで写真(このページ一番上)でしか、この映画に出ておられるご自分を見たことがなかったそうです。榎本さんは現在は芸能界のお仕事ではありませんが、今も共演した宍戸錠さんとは交流がおありで、お会いするたびに、この『気まぐれ渡世』をどこかで放映して欲しい…とお願いをするそうなのですが、なかなか実現されなかったそうです。

日活時代の榎木兵衛さんの勇姿
(左は高橋英樹さん・1962年『激しい河』より)

★名バイプレイヤー・榎木兵衛さん
 日活映画を観れば、必ず榎木兵衛さんが出ている…といっても過言ではない程の活躍ぶりで、出演作品は数え切れないほど、といっても良いのではないでしょうか。《日本映画データベース》《キネマ旬報データベース》のどちらにも載っていないようですが、最近、劇場で観た『硝子のジョニー 野獣のように見えて』(芦川いづみさんが錠さんに売られてしまう店の客)、『メキシコ無宿』(錠さんがメキシコに行く船の船員で錠さんの仲間)でも、宍戸錠さんと共演していたように思いますが、皆さん確認してみて下さい。日活以後は、『アゲイン AGAIN』(84)の新撮影部分での出演も有名で、やはり宍戸錠さんと往年の日活時代を共に回想するような役で出演。松田優作さんの作品でも常連(?)で、TV『探偵物語』での“工藤ちゃんの街の仲間”の一人・山崎(通称エノヤン)として、裏も表も扱う宝石の鑑定士兼情報屋として登場。「私は何にも知らないの」を連発しながら何でもベラベラ喋るというキャラクター(笑)。一時期は八名信夫さん率いる“悪役商会”にもいたそうです。最近作は、三谷幸喜監督作品『みんなのいえ』(2001年)など。尚、『氣まぐれ渡世』では前半、宍戸錠さんと藤村有弘さんが、射撃場での掛け金を、受け取る、受け取らないでモメて、どういうわけか一緒に飲み歩く場面で、藤村有弘さんが路地裏で立小便している時に注意しにやってくる警官が、榎木兵衛さんだったように見えるのですが、如何でしょうか?。

 ◆榎本衛さんインタビュー

…そこで、榎本衛さんが少しでも情報を得ようとされてインターネットで発見なさったのが、榎本さんが「こんな詳しく書かれているものを初めて見た」というほどの、市村さんの《京都電影電視公司》の日活コーナーだったというわけです。榎本さんからメールを頂いた市村さんは、せっかくということで榎本さんに『氣まぐれ渡世』の録画ビデオ(ビデオ未発売)を見てもらいたい、とお考えになり、結果、偶然にも榎本さんのお住まいと近隣で、録画ビデオを残していた私めが、市村さんの代理で直接、お渡しするということになりました。

 いろいろとお話をお聞きすることができました。榎本さんは、お父様が日活俳優だったということで、赤ん坊の頃から日活撮影所に出入りされていたそうです。

 赤ん坊ですから、この映画出演時の記憶は、さすがに無いそうですが、宍戸錠さんにおんぶされ、シスター姿の芦川いづみさんに抱いてもらい、香月美奈子さんにも世話をしてもらった榎本さんは、私たち日活ファンには、本当に羨ましい限りです。ただ、この映画の中で宍戸錠さんは、赤ん坊を背負ったままのアクションシーンがあり、榎本さんは40年後に初めてビデオをご覧になって、「俺、時々、首が痛いんだけど、ビデオを見て理由が判った。」と、おっしゃっていました。さすがに銃撃戦や大乱闘シーンではダミーの人形を使って撮影されているようですが、明らかに榎本衛さんご本人でのアクションシーンもあり、宍戸錠さんの腕の中でぶらんぶらん揺れているお姿が確認できます。

 その後も、幼稚園(?)が終わると、お父様に会いに撮影所に行かれたそうです。当時(多分60年代中頃)の撮影所は、「○○組の俳優が足りません。暇な人は12番スタジオまで来て下さい」等という放送が流れると、わらわらと暇な人が集まっていき、時にはその中に榎木兵衛さんなどもおられた。榎木さんが「だめだよ〜、そんなんじゃあ。こーだ!」と、監督そっちのけで演技指導をしてしまう光景などが見られ、辺りからは「おっ、それいいねえ。今度エノさん、監督やんない?」と、楽しげな声が飛び爆笑するという、和気あいあいの様子だったとか。封建的な撮影所なら普通は考えられない光景のように思いますが、これが“石原裕次郎さん以後”の日活撮影所だったのかもしれません。

 榎本衛さんが当時、特にお世話になったというのが、後に芦川いづみさんと結婚される、藤竜也さん。藤竜也さんは撮影がない時など、撮影所の隅で、上半身裸で静かに座っているのだそうです。「親父さん、まだ仕事してるぞー。」と、いつも日活名物のカレーライスを食べさせてくれたのだそうです。藤竜也さんは、とても物静かな方で、多くの人は撮影が終わった時や、ロケ先で宴会になった時など、ドンチャン騒ぎで、それはもうたいへんな賑わいなのだそうですが、そういう中でも、お一人だけ、少し離れたところに“体操座り”をして、みんなを見ながら、静かににこにこしているのだそうです。それはさながら「ジェームス・ディーンのようだった」そうです。

 榎本さんは、その後も子役として、東京12チャンネルのテレビドラマ『ハレンチ学園』(70)の後番組で、同じ路線の『わんぱく番外地』(市村さんのお話では、児島美ゆきさんが引き続き出ていた)等に出演されていたそうです。

 ◆宍戸錠さんとの再会

 それでは、大人になった榎本さんと宍戸錠さんが再会した時のエピソードをご紹介致します。都内某所の中華料理店に入った時のこと。すると、そこには見覚えのあるお顔が…!。宍戸錠さんがいるのです!。そのお店は、宍戸錠さんがいつも行っている行き付けのお店だったのです。この頃、宍戸錠さんにお会いするのは、まだ『氣まぐれ渡世』以来、初めてでしたので、ご挨拶に行ったそうです。「父がお世話になっております…」。宍戸錠さんは最初、怪訝そうにしていましたが、「榎木兵衛の息子です」と言うと、

 「なに、榎木さんとこの息子?」

 「はい」

 「本当か?!」


 「はい」

…するとすかさず、「そうか……おまえ知ってるか。俺とおまえは共演したことがあるんだぞ」「知っています。親父に写真を見せてもらいました」…というようなお話をされたそうです。何十年ぶりかの再会というわけです。この時はそれで別れたそうですが、すかさず『氣まぐれ渡世』のお話が出るところがすごいですね。

 そして、第2の再会です。榎本さんは大人になってからも、石原裕次郎さんの追悼パーティーなどで、お父様と日活撮影所の門をくぐることがあるそうですが、やはりそういうパーティーは宍戸錠さんが司会をされるのだそうですね。それで、お父様と宍戸錠さんにご挨拶に行ったそうです。「錠さん、この間(中華料理店のこと)は、どうも…」。石原裕次郎さんの追悼パーティーともなると、関係者以外は絶対入れませんから、錠さん、「おまえ……本当に榎木さんとこの息子さんだったんだな。」と言ったそうです(笑)。

 その後も、再会は続きます。榎本さんは現在、建設会社にお勤めになっておられます。これは、都内某所で道路の掘削工事の現場監督をしていた時のお話だそうです。さて、お昼になったので、作業員さんと近くの中華料理店に入ろうとしたそうです。しかし作業服が、ちょっとあまりにも泥だらけで、迷ったそうですが、仕方なく入ったそうです。すると、またまた宍戸錠さんがいらしていた。しかし、あまりにも服が泥だらけになっていたので、こんな格好では、かえって錠さんに失礼になってしまう…と、気が付かない風を装って、同僚の方達と普通に食事をして帰ったそうです。その間、錠さんは、お店のマスターに、「あれ、榎木さんとこの息子だよな??」と確認をしておられたとか。

 すると、自宅に帰られてから、宍戸錠さんからの電話が…!。榎木兵衛さんからは、「おまえ、なんで錠さんに挨拶しないんだ!」と叱られ、榎本さんが電話に出て説明すると、「バカヤロー!。おまえは今は建設会社に入って、そういう仕事をしているんだから、いいじゃないか…」と、言われたのだそうです。榎本さんは、「その時は、つくづく、すごい人だと思ったよ。」と語られていました。やはりお父様のお仕事の関係で、多くのスタアさんにお会いすることがあるそうですが、こういう人は、なかなかいないそうです(エラそうにしている人がほとんどだとか)。

 …その後も、幾度かお会いしているそうです。他にも藤竜也さん、渡哲也さん、吉永小百合さんなど、往年の日活出身の方々とお会いする機会がおありだったそうで、これら皆さんに共通するのは、「日活の人は違う」ということだそうです。ちょっとこわいような人が多い中、日活出身の方は、みんな「普通の人」なのだそうです。吉永小百合さんなどは、特にオチャメな方だったとか。こういうお話をお聞きするだけで、幸せな気持ちになってしまいます。私といたしましては、芦川いづみさんのお話もお聞き出来れば…と当然、思うわけですが、芦川いづみさんとは、あまりお会いする機会がなかったそうです。赤ちゃんの頃には、抱いてもらってるわけなんですけども…。

 榎本衛さん、貴重なお話を本当にどうもありがとうございました。『気まぐれ渡世』のビデオをご覧になったのが、ちょうど41歳のお誕生日だったなんて、なんだか不思議ですね。ここに書いてあることが宍戸錠さんにバレた時には、よろしくお願い致します(笑)。






★2001年3月、『笑っていいとも!』に出演された時の榎木兵衛さんとご長男の榎本衛さん。



■惹句 『腕と気っぷは日本一!ライフル肩に風を切る、イキな野郎のエースのジョー!!』

この画像は、しょうちゃんより提供されています。感謝致します。
(左下は、香月美奈子さん)


【このページ:参考文献資料一覧】

Webサイト《京都電影電視公司》(感謝申し上げます)
Webサイト《キネマ旬報データベース》
Webサイト《日本映画データベース》

ワイズ出版《日活 1954‐1971 映像を創造する侍たち》
ワイズ出版《西河克己映画修行》
日本テレビ放送網・出版《甦れ!探偵物語 松田優作にもう一度会いたい》

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