チラシの裏SS投稿掲示板




感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

[21430] りくなび!
Name: 楊枝柄◆b8733745 ID:a4bdf298
Date: 2010/08/24 17:41


 自分が誇れることを何でもいいから見つけろと言われたので「欧米か」と教師の頭を引っ叩いてしまった。「謙遜が美徳」とは使用されるたびに否定されている可哀そうな言葉だがやはり私としては自分を下げて行きたい。褒められたときに「やっぱりそう思いますか。私って凄いですよねー」だなんて返事をしてしまうと「……え、なにこいつ調子に乗ってるの?」というように褒めた相手は褒めておきながらそう思うであろう。逆に余所の国では本当に謙遜が美徳であるらしく、褒められてうっかり「いやいやそんなことないですよー」と返事をすれば「テメェ、オレの称賛を無下にしやがったな……ッ!」とキレられてボコボコにされる。文化の違いとはむつかしい。

 私は日本人であり就職先も日本が良いと思っている。英語力のピークは高校二年生であったために丁度今の私は中学生より外国語を喋れないので日本に永住したいと考える。だから面接官は余程のことがない限りは日本人であろうし、相手が日本人であるならば日本人式の対応をすべきであろう。つまり自分を卑下せねばなるまい。自分自慢なんかしてみれば顰蹙を買うだけだ。

 出来ることよりも出来ないことを語ったほうが面接受けがいいんじゃないのかよと思った私は、様々な会社の面接に行って悉くを落とされた。面接のライバルであった他の大学生は欧米人のように希望を語り、私は日本人としての絶望を謳っていた。結果、ライバルは勝利し、私は敗北をする。相手に内定を譲るというこの謙虚っぷりこそが私の長所であるのだが、宿命的にその長所は自慢できないために誰も私の素晴らしさに気がつかない。その気をつかせないっぷりがまた日本人っぽくて私を至高の存在へと昇華させているのだと思う。

 私が頭を引っ叩いた教師はもちろん美少女然とした容姿の愛らしいロリっ娘であり、あたりまえのように妹であるのだが、その教師は私にこう言う。

「グローバルなんだよ。日本人はウケないんだよ。システムが欧米チックなんだよ」

「ははあん。なれば何故大学生は茶髪から黒髪に戻すのだ。そして何故会社は黒髪を求むのだ。それは日本人として受けねばならないということであろうよ」

「茶髪は奴隷にならないじゃん。そもそも短所ばっか語るにぃにぃなんて誰も欲しくないよ」

「なにをそうケラケラと笑っておるのだ妹。私は真面目な話をしておる」

「そういうふるくさい日本人喋りするから嫌われるんだよ」

「ほほう」

「なにさね」

「……日本で日本人らしくしたら嫌われるってッ?! 冗談じゃない!」

「ふるくさッ」

 せっかく欧米っぽいリアクションしたのに古臭いとはこれいかに。

「外来語ぐらい使えなきゃ低能お猿さんなんだよ」

「カステラとかか。流石にそれぐらいは使える」

「間違えました。外国語外国語」

「私だって第二言語ぐらいマスターしてる」

「嘘だよ。さっき喋れないってモノローグってたじゃん」

「やってやろうか」

「やってみてよ」

「……ま~ ぐままままー ぐまま まっ!」

「アナグマ語?!」

 就活本での見本例には「サークル活動やら委員会やら学生時代に打ち込んだことやらを語れば良い」とかなんとか書かれているがそんなもの言われなくとも分かっている。そういった本に頼るような人間がいるとするならば間違いなく学生時代に何もやってこなかった人間なのに馬鹿の一つ覚えみたいに輝かしい過去を求めてくる。就活本を頼り紐解いた時点でそいつには誇れるべき過去が何もないというのに、あるはずのないものを求めてどうするという。

 個性的であれと言われたところでこの世には斬新ささえも有触れているのだ。珍しい設定の小説など五万とある。独創的なキャラクターなど八百万といる。人間が十人十色であったところで七色の美しさに甲乙など付けられない。

「にぃにぃ。誤用。甲乙ってのは二つのものの優越なのです」

「許せ」

 つまりどれもこれも総合パラメータは一定だ。この世に個性のある人間などいない。ならば如何にして社会は人間を評価するか。そんなものはご存知であろうが優秀かそうでないかは一重に人間関係のみにて判断されている。他人と仲良くなれる人間はサークルや委員会や打ち込んだ何か全てを所有しており、逆は全てを放棄している。人間関係が円滑でない人間は劣悪であると、そういうことになっている。

 そうだそうだ。合計値は同じなのに他人は私を評価しない。私はアナグマ語をマスターしているし個体値努力値種族値めざパを気にするしスパロボインパクトを三周もクリアしている。イオナズンは使えないが。だがこれは特技欄に書けないらしいのだ。村上なんとかを競い合うかのように褒め称えるやつらに何故か「個性」があるとされ、同じものを同じように評価する人間が何故か「優秀」とされているのに、スマブラ無印でカービィを使わなかったし接待プレイも大得意である私は「劣悪」とされてしまう。不可思議である。

 我々は平等を教えられ、そのようにして教育を受けた。個人を重んじるような感性を得るように教育機関によって鍛え上げられたはずだ。だが実際どうだろう。社会の求める個人とは固定されている。誰しもが何かに抜きんでているというのに、その何かを否定して固定された、とあるもの、しか見ていない。ずばり社交性である。明るくてハキハキ喋れるような人間以外いらないのだ。

「にぃにぃ低学歴なのです?」

「ふん。学歴における中心点とは真ん中におかれていない。つまるところ五十であっても低学歴だ」

「頭悪いから悪いんだって。学歴さえあれば明るくなくたって全然へっちゃらなのにね!」

 おのれ美少女教師。これでは私が馬鹿みたいであり、馬鹿が社会をねたんでいるみたいではないか。

 今日も今日とて私は就活セミナーに通ったのだが呼ばれた講師はアホの如く個性を見つけろ個性を見つけろとしか言わない。分かりやすく言ってしまえばどうだ。キャプテンになるか委員長になるか教養的文学を読むか教養的音楽やら教養的演劇やら教養的映画やらを嗜むかしろと。個性とはそれぞれであるはずなのに、趣味趣向は違ってあたりまえだというのに古典的名作以外は認めないという矛盾だ。ライトノベルを好む人間には能力がないらしい。千冊読もうが読書家ではないらしい。アホか。多様な人材を求めると謳いつつ同じ針ばかり揃えて満足するような馬鹿に雇用されるなどむしろこっちから願い下げなのだ。

「世界は悪意に満ちている」

「悪意は見出すものだよね。分かって欲しい、分かって欲しいって? 自分の良さが分からない社会なんてクソ喰らえだって?」

「……妹。私は別にそんなありきたりな話をするつもりはない」

「にぃにぃ森見登美彦好きだったじゃん」

「あいつはアニメ化したからもう駄目だ。好かん」

「芸術は大衆のものになった時点で価値が下がる? どういう理屈なんだか」

 好きなものは独占しておきたいのは当然だろう。メジャーなものを好むのは教養的文学時評オタクだけである。私が勝手に三に分別しただけなのだが人間の最小単位は三になる。純文・ミステリ・ラノベの三だ。その相関係を表わす場合にもっとも相応しいのは図であるが教師がメモ帳信者のワードアンチなのでわざわざ分かりにくいテキストで今こうやって説明している。アスキーアートという手もあるが私はそういった細々とした作業が嫌いなのでやはりテキストで説明する。なお、何事にも例外はあるために信じられても文句を言われても困る。

 しかしまあ思うところがあるのだ。私の出身はミステリ畑であって他の島のことには全く詳しくないにしろ、余所の島である純文人間やラノベ人間と関わってみて随分と苛立ちが溜まったのでこうして頼まれてもいないのにわざわざ打ち込んでいる。先に言えば私は純文学にたいする負のイメージは持っていないが――とは言え名探偵の出ない小説なんて一文字たりとも読みたくもない――純文学を愛する人間のことは殺したいほどに大嫌いなので偏見まみれに語っている。

 三柱の中ではミステリ畑の人間が最も優しく、温もりに溢れ、愛くるしい。たいして純文側は短気だし率直だし人間的に腐っている。面と向かって抗議でもすれば頭の悪い純文側は確実に私に殴りかかってくるのでこうして公平に文章で対面してやっているというわけだ。純文人間。カラマーゾフ・ツァラトゥストラ・ライ麦畑の三トップをバイブルとし、夏目漱石やら村上春樹を人生の教科書として、カビの生えた古臭い古き古書を徒競争のように一斉に褒め称えているあいつらのことだ。

 やつらは基本的に有名なものしか褒め称えない。ハンバーガーが世界で一番売れているからハンバーガーが世界で一番美味しい食べ物だと思っている人間だ。ミミズが書いたとしか思えない観念小説とかなんとか名前がついている小説にたいして「ああ、○○○○(※1)的なものが歴史的普遍性をもって○○○○(※2)が○○○○(※3)となっているではないか!」とかなんとか言うのだ。(※1)ここには誰も分からないような外人の名前が入る。メジャーなものしか褒めないくせに称賛するときには誰も知らない言葉を使いたがる。(※2)ここにはカタカナ語がはいる。日本語で書けばいいものの格好良いとでも思っているのか英語にしたがる。例・リフレイン。(※3)ここには小難しい熟語が入る。レイランやアンタンなど絶対に鉛筆で書いたこともないだろう漢字を好む傾向にある。知らない言葉を使えば賢くみえると本気で思っている。そしてこういうやつが企業にうける。不可思議だ。

 こういう構造からしてそもそもミステリと純文は相反するものであるのだ。ミステリは有名であってはいけないのだから。

「……で? イオナズンの使えないにぃにぃに、いったい何が出来るというの?」

「プロのエロゲーマーになるしかないだろうよ」

「……あァ?」

 ああ何故想像だにしなかったのか。たかだか一単位のために留年して暇を持て余したお兄ちゃんというものは必然的にエロゲーに走る。駆け抜ける。性欲の強大さに関しては証明不要の確定事項であろうから説明は省くがとにかく暇なお兄ちゃんというものはエロゲーをこなすようになるものである。

「私はエロゲライターになろうと思う」

「……ありがちな話になってるよ。にぃにぃ。自分には独創性があるのだと勘違いする、底辺の人」

「はん。私に才能はないだろうさね。そも才能のある人間などいないとめだかちゃんも言ってるだろう。しかし美少女教師、私はついさっきエロゲライターのサイトを見たのだがそいつは二次創作をしていたのだよ」

「ふーん」

「クラナドのキャラクターがエスポワールに乗ったという話だったそうだが、完全に丸パクリで、ただキャラクターの名前を入れ替えただけのものだった。こんな才能のないクズでもエロゲライターになれるのならば、そりゃあ私だってなれるだろうさ」

「エロゲライターはクリエイターではなくエディターであると」

「無論例外はあるが。だがその例外なんてものは、所詮エロゲーと言い張っているだけのものであり、あれは別にエロゲーというジャンルにしなくても別に構わんものだろう。大多数のエロゲーはエディターによって作られるものであり、単純作業でなされるものだ」

「しかしにぃにぃ。エロゲー会社への推薦なんて当然のように無い。ライターとグラフィッカーがいてこそエロゲー会社が作られるのだからライターなんて募集してない。必要なのはプログラマー。なにもできないにぃにぃにプログラムなんてできないでしょうに」

「とにかく探してくれ」

「……条件は」

「スタッフが全員美少女で処女。えっちなことを全然知らないから上手くエロゲーが作れなくて、そこで新入社員として入ってきた私が手取り足取り」

「エロゲーやってろよにぃにぃ」

「じゃあ妹お前でいい。エロゲーライターを目指す私のために」

「に、にぃにぃがえっちなことを知らないのなら、わわわ私が教えてあげるよ。しっかりべんきょうして、立派なエロゲーライターになってね……?」

「ノリが良過ぎるわ美少女教師妹」

「にぃにぃ。就職先、妹、っと」

「大事な書類に記入すんな」

 そうして私の大事な夏は半分ぐらい終わってしまった。






[21430] 01/サヤノウタ
Name: 楊枝柄◆b8733745 ID:a4bdf298
Date: 2010/08/26 16:05


 そもそも九割の人間はどうしようもない馬鹿であるという仕組みがある。天才だって主義が違うやつに見られたらゴミムシに違いない。「その人」にとって「九割の人間」はクズなのだ。何故ならばかしこさというステータスが周波数の関数であるからだ。「上り坂と下り坂のどっちの数が多いでしょうか」という引っ掛け問題を例に出すまでもなく、逆立ちしてみればそれは物事だって反対向きに見えるものである。

 誰が賢者かは人次第であるのだが、横暴にして悪逆の権化たる面接官は上から目線であり、やつらが見る坂とは全て下り坂となってしまう。神様気取りの固定された視点すなわち偏見であり、偏見まみれの間違った見方で私は評価されていることになってしまう。

「にぃにぃ。しかし人次第というわけでもなく、その絶対値自体がとてつもなく低い基本的馬鹿というものがやはり十億人ぐらいいるんじゃないかと思うんだよ。にぃにぃとか」

「はん。天才にしか天才を褒めることができないのは、天才にしか天才を理解できないからだと無名小説書きが言っていた」

 馬鹿は褒められやすいだろう。馬鹿=テンプレ。テンプレ=多い。馬鹿=多い。馬鹿は馬鹿に褒められる。人間はどうしても同属しか褒められない。馬鹿こそ生きやすいだなんてみんな知ってることだ。馬鹿は多いから有利なのだ。面接官は馬鹿であるから定型文しか理解できずに天才を知れずに篩ではなく金型で人間を選別してしまうのだ。社会の求める個性とは「個性のないテンプレ」そのものであるということにも気づかない。

「等身大のにぃにぃを見て欲しいと。実に普通の女子大生みたい」

「普通って言うな」

「じゃあなにかオリジナリィなことでもできるわけ? エロゲーライターだってにぃにぃえろえろな文章書けるわけ?」

「昨晩、お前でいっぱい勉強した」

「やだぁ……、もう、恥ずかしいから言わないでよぉ……」

「だからノリが良過ぎる」

「嘘嘘冗談。だってさ、知ってる? にぃにぃ」

「知らん。教えてくれ」

「まず議題を訊いてほしいなぁ!」

「なんだよ。教えろ」

「――最もライターにふさわしい人物とは何か、だね」

 興味深い。

「それは知らん。教えなさい」

「"理系"で"二十代中盤"で"О型"で"孤独"な"童貞"の"男性"。こういう人物は例外なくパイオニア。素質がある。むしろこの条件が揃ってないものは絶望的に向いていない。ライトノベルに限った話だけど」

「……なに? こここここここここ根拠は! 根拠はなんだ!」

「どれだけ動揺してるのかな」

 嬉しいのか悲しいのかストライクだった。妹に乗せられたわけではないがやはり私には素養があるらしい。プロのエロゲーマーとしてエロゲーを作るという因縁めいたものがあるのだろうか私は憑依されたが如くに豹変し必死で将来のことを考え始めた。どうやってエロゲー会社に入るかである。

「ライターとして」

「だからライターは求められてないんだって。エロゲー会社ってのは同人の延長線上にあるものでしょうに。シナリオと原画はデフォルトでそろってるからこそエロゲーサークルなんてものができるの。初期メンバーはプライドあるからそう簡単に降りないでしょうが。エロゲー会社の新入社員に求められているものなんて背景の色塗りを頑張ってくれる人ぐらいじゃないの?」

「じゃあどうしろって言うんだ!」

「そんなもの作ればいいんだよ。げんがーとぷろぐらまーを勧誘してみんなでエロゲー作って有限会社だよ」

「そういう部活を作るみたいな流れは涼宮ハルヒ以降爆発的に増えたという。とある小説大賞ではほぼすべての投稿作が部活を作っていたとかで全部落選したとか」

「ランクが違うね。あっちは部活。こっちは会社」

「なれば良い」

 というわけで勧誘することにした。

「妹も手伝え」

「わたしはぁ、にぃにぃの教育係」

「性的な」

「性的な」

 女の子の裸を見たときにエロゲーの主人公はたいてい「綺麗だ……」というのだがああ言われて女の子は嬉しいのだろうか。それは褒められれば嬉しいだろうけれども、いや嬉しい嬉しくないの話ではなく、みんながみんな言うものだから私もきちんと言わねばならないのだろうかと疑問に思ったのだ。「わ、わたし、おっぱい小さいから」「そんなことない。○○(ヒロインの名前が入る)のだから見たいんだ」という一連のやり取りは恒例でありテンプレであり誰にでも書けるものであってだからこそエロゲーライターなんてチョロイだろうと思っている。

「にぃにぃ……、いやぁ、……やだよぅ、ん、……ぁああ!」

 別段私が妹に性的な教育を受けているわけではなく、というかこいつは口だけエロスであって兄ともあろう私にぱんつ一つ見せやがらない妹失格なのであるが、ただこの妹は声優として喘ぎ声を録音しているだけだった。

 リクナビからのメールをひたすら無視し続けるものの私の携帯を鳴らすものは最早リクナビからのメール以外他は無い。エロゲー作成のメンバー集めをしようにも私には友達がリクナビしかいないのだ。そも友達なるものがいれば始めから苦労なんてしていないだろう。社交性がないゆえに仕事がないのだから、仕事のないやつには友達などいない。劣悪であると設定されたものにはとことん厳しい社会である。

 そこでこの妹だ。美少女教師などという社交性の化身みたいなキャラクターの妹には当然友達が多かった。メンバー候補になりそうな人間をリストアップしてもらうと四人ほど選出されることになる。

 --1、北神雪見。今年四月よりゲーム会社に就職したのだが会社に馴染めず辞職。現在無職ひきこもり。

 --2、陸墺可憐。少年役の声優として事務所に入ったのだが新人にはエロゲーの仕事しか来ず断り続けて現在に至る。事務所での立場悪し。

 --3、仲草有亜。動きのある絵が描けないというか正面からの絵しか描く気がない漫画家志望。なまじ正面からの絵が上手いせいか自信だけはプロ級。

 --4、牧野沙穂。高校生の頃ライトノベル系小説大賞に応募して当たり前のように落選した過去を持つ社会人の姉をもつ妹。シスコン。

「……もう少しイージーな人間はいないのか。ちょっと爆発しそうな娘ばかりではないか」

「だってにぃにぃがスタッフ全員美少女で処女がいいっていったじゃないのよ」

「まさかその伏線が生きていたとは」

「ともかくね。わたしは紹介するだけ。説得するのはにぃにぃの仕事。がんばってね」

「待て。もう少しなんとか」

「あのねにぃにぃ。女の子ネットワークなんて名前が登録されてるだけなの。知り合いならば仲良しなわけないでしょう。アドレス知ってるだけで完全な他人だよ」

 実に世知辛い。2番と4番を速攻でいらないと判断した私は1番か3番のどちらかから攻めるべきか考えていた。この場合1番雪見はプログラマ候補であり、3番有亜は原画候補となるのだろう。エロゲーの顔といえば原画家であり、よって最優先すべきは有亜となる。なんとしても確保しておきたいのでとりあえず練習としてプログラマから攻略することにした。

 ――北神雪見。手にあるデータは美少女で処女であるということだけだ。だいたい美少女で処女であるということは何かしらの問題を抱えているということになるため私は結構危険であるのではないか。ゲーム会社に馴染めず辞職……、私のようにチームワークできないタイプであろうか。親近感が湧いた。やはり彼女から仲間にするべきであろう。人間に馴染めない人間と馴染もうとするだなんて我ながらにややおかしいとは思う。

「じゃあねにぃにぃ。わたしの出番ってばもう当分ないから」

 妹は去り、場面は捲れる。教えてもらった雪見のメールアドレスに向かって呼び出しの文を打ったのだが、その待ち合わせ場所には妹ではない美少女がいた。北神雪見でもなく、何故か天草小夜というらしい。

「……ええっと? きみがあの妹のお兄さんなわけだ?」

「お前は誰だよ」

「雪見ちゃんの代理。よくいるんだよねぇ、お兄さんみたいな人」

 コンピュータを使える人間というのは重宝されるものだ。パソコンに詳しい人間はスプリクトが書ければフォトショップも使えるしボーカロイドまで使いこなす。何が素晴らしいって情報収集力が素晴らしい。理解のできない説明書を理解できるようになるまで成長できる人間はなんでもできる。創作欲のある若者に必要なのは雪見みたいな友人だろう。

 つまりこの天草小夜が北神雪見を使用中というわけだ。大雑把な説明をすれば――曲を作るにはコンピュータがいる。小夜は思い描くイメージをコンピュータ上で再現できない。その点雪見はエンコーダとして優秀だった。小夜→雪見→コンピュータと経由することで理想的な曲作りが可能となる――らしい。

 さて、西尾維新の登場以来、多くの素人ミステリ書きは西尾維新に影響を受けてしまいその結果劣化西尾となって失敗してきた。尖ったものの模倣は容易であるが絶対に成功はしない。もはやこの世に西尾維新は一人で充分であり、舞城王太郎なんかもう一人で飽和状態でこれ以上この世に舞城王太郎が出てきたら小説というカテゴリは許容量オーバーで破裂してしまう。流水大説なる分野もまた清涼院流水一人に任せておいて遠くの方に隔離して優しく見守っていればそれでいい。まあつまり模倣は逃げ道であり同時に罠なのだ。容易であるから模倣しても、容易であるならばそのジャンルはすでに完了している。

 前話にて森見登美彦のファンであったと言ったが読書歴を語るならば『太陽の塔』から入り『夜は短し歩けよ乙女』をハードカバーで買い『四畳半神話体系』へと進めた。この読み順が最悪であった。アンチ青春小説に共感してしまい、なんとなく面白いとは感じていたがどうにも相性が悪かった。

 私は理系読みであり、シナリオを追うことが読書であるのだが、おそらく森見登美彦小説とは文系小説であり雰囲気を飲むタイプであろう。文系小説は作者の内面を楽しむものであって同じ作者ならば別作品であってもある意味すべて同じものである。タイトルが違うだけだ。ミステリ傾向にある私は原因と結果が全てでありそれ以外はいらない。だから太陽の塔ではとりあえず共感し、夜は短し歩けよ乙女でなんか同じだな……と思い、四畳半神話体系でブチ切れた。

 四畳半神話体系がアニメ化されてどこぞの馬鹿がいっていたがあれは「面白いエンドレスエイト」であるそうだ。馬鹿を言え。ただでさえ同じものだというのにその上コピペされた文章を読まされるこちらの身にもなってみろというのだ。無駄を楽しめない男の子はああゆう文章が苦しいのである。文系小説とは浪費こそが人生だと思う方におすすめしたい。私は効率こそが人生だと思っている。無粋とか言うな。

 小説家になるためにはどうすればいいのと問うてとある小説家が答えるには「長く書けばいいんじゃないの?」ということであり、要は同じことを違う表現でだらだらだらだら書けるものが小説家になれるというわけだ。森見登美彦は一冊読めば森見登美彦を全て読み切ったと豪語していい。極端な例を出せば浦賀和宏はどれか一冊の最初の一行読めば全部読み切ったって言ってもいい。私が認める。繰り返し繰り返し同じことを書けばいいのならば文量だって楽に稼げる。量産が利くタイプとはそういう文章だろう。個性ある作家は重ねるが模倣しやすく、小説の個性とは長ったらしい言いまわしであり、長く書きやすい。文量など稼ごうとすれば容易に稼げるのだ。だから小説なんて誰にでも書ける。

「お兄さんの創作とやらが、あたしの音楽に敵うのならば雪見ちゃんを貸してあげてもいいけど、どうでもいいゴミみたいな創作なら貸さないよ」

 なでこスネイクのジャケット絵の空前絶後あまりの意味の分からなさに困惑してしまい再び西尾維新を手に取ってみようと思って『きみとぼくの壊れた世界』を読んだが面白く、調子に乗って読んでいたら『不気味で素朴な囲われたきみとぼくの壊れた世界』のあまりのゴミさ加減に再び読むのをやめてしまった。「冗長で読みにくい」なんてよく言われているが、どうにもそんな気がしない。むしろ薄いやつなら一日一冊が楽勝なぐらいに、逆にすらすら読めるのは何故だろうと疑問だったのだがようやく分かった。

 冗長だから→読みにくいんじゃない。冗長だから→読みやすかった。小説が「一から十までを詰め込むもの」なら西尾維新は一を十倍に引き延ばしている。「いちにいさんしいごおろくしちはちきゅうじゅう」よりか「いぃぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいいいいち」の方が読みやすいというわけである。十倍というのは大げさすぎるが例えだ。読書を中断する区切りというものに差し掛かるころには読書は終了している。一気に読めてしまう。つまり長ったらしいのは書き易いし読みやすいという両者大助かりのシステムである。こやつの要求はつまるところ私がシナリオを本当に書けるのか否かであった。

「創作に才能などいらん。小説なんてもんは長く書くか書かないかのそれだけだ。必要なのは根性。続きを書くか書かないかだけのこと」

「それじゃあ雪見ちゃんを渡せない。そんな夢も希望もない人に使われるほど、彼女は安くないんだよ」

「間違えるなよ音楽娘。小説に才能がいらんのではない。創作に才能がいらんのだ。音楽なんて機械を使いこなせるかどうかというそれだけであって、才能なんかこれっぽっちもいらんだろ」

「……ふぅん。じゃあお兄さん。あたしと音楽で勝負して、あっさり勝てたりするわけ?」

「そりゃあ経験値が違うからずるいだろ。その上、私に音楽の練習してる暇などないし、するのも面倒だ」

「なにそれ。そうやって証明不可にして逃げるのなら最初から議題なんか吹っかけないでよ」

 たわけめ。誰だって頭の中では大作曲家だ。どれほど馬鹿であろうともオリジナルソングぐらい脳内で作れる。マイソングの一つや二つ持ってない人間の方がおかしい。脳内での生産は簡単であり、脳内の産物を現実に持ってくることが難しいのだ。マジンガーZを頭の中で思い描くことはできるが紙上に描くことはできないのと同じである。どうにも話を聞く限り、小夜が脳内生産担当で、雪見が現実再現担当のように思える。難所を越えているのは雪見であり、別に小夜がいなくとも作曲は可能だろう。

「簡単簡単って言うけどさ、じゃあやってみなよ。曲作り」

「らぁらっらーらららっらぁっらっらーっ。らぁらっらーらららっらぁっらっらーっららぁ。らららぁーらーらーらーらーぁああっ、ららららぁ」

「そんなまさか……、凄い……!」

 テキストで説明するのは大変だが分かるやつには分かるらしい。

「ふーんふーんふーん。まあだいたい理解ったよ。お兄さん」

「分かればよろしい。小夜」

「サヨじゃなくてサヤ」

「どっちでもいいわ」

「つまりなんだかね。人間には才能がない。だがやればだいたいのことはだいたいできると。それで? お兄さんはシナリオを書くそうなのだけれど、それは雪見ちゃんの手伝う価値のあるものかどうか、と、やはり問いたいね」

「価値があるかどうかだと? んなもん客に訊けよ。素人創作のレベルなんてどっこいどっこいで上手いか下手じゃなくジャンルが合うかどうかだろうが。素人ライターに上手い人なんていない」

 何故ならば年齢が低過ぎる。経験が足りなさ過ぎる。素人にしては上手いというのは褒め言葉でもなんでもない。スタートラインに立っただけ、いや、立ってもいない。靴を履いただけだ――、いやそういえば妹が絶対値があるとか言っていた。いかなるカテゴリにも共通して使える地力は存在していると聞かされた。

「まあいいだろう。最低限の価値は補償してやる」

「そもそもお兄さんのジャンルはなによ?」

「……あ?」

「即答できないんだ? じゃあ好きな小説家は誰?」

 おおかた感性を測る質問をしているつもりなのだろうが、的を外している。好きな小説家がいるとするならばとっくの昔に読破しており、とっくの昔に内容なんて忘れて、好きだったかどうかすら忘れるものだ。読書家とは常に読書し続けるのだから、好きな小説家の小説を読破し終わっても、また新しい小説家を見つけねばならない。そして今度はそいつを好きになり、また忘れてを繰り返すうちに好きな小説家とは膨大な数に昇る。一つの作品を狂信的に称えるのはやはり純文のやつらであって、しいて言えば、私が好きな小説は新刊である。こういう質問をするやつはたいてい純文信者だ。

 そして美少女の純文信者とは、たいてい頭が悪い。純文学なんてものは三十を超えてから読むものであり、背伸びは見苦しい。純文学は分かるように作られていないのに分かる分かるといって楽しんでいるやつは通ぶって悦に入っているだけの気持ち悪いやつなのだ。 活字であるだけで高級なのだと勘違いしている。読書とは一人用のゲームであることに疑いはないが、やつらはレビューしたいからこそ読書している。自分が楽しむために読むのではない。他人に聞かせたいからこそ読書するのだ。良質な書物を読めば自分の価値が上がるのだと信じている。いや、自分が素晴らしい人間であると他人に知って欲しいから読書をしている。まるで自分が書いたものであるかのように歴史的名作を褒め称えて、まるで自分が書いたものであるかような気分に浸っている。本来の用法ではない本の使い方をしている。つまりやつらはオシャレなのだ。いや、オサレなのだ。

 芸術を自己増長に使うようなオサレ人間はたいてい音楽をやっているものだ。音楽が流れればそれだけで格好良いと勘違いしている。天草小夜はそういう人間だ。間違いない。間違いないだと? たいして知りもしない人間を、どうして私はこうも嫌えているのだ。

 ……ああそうだ。思い出してきた。何故私がここまで純文信者を貶しているのか、その原因たる過去話と今の状況が被っていた。別に小夜は悪くない。これでは私が悪い。トラウマの元となったあの馬鹿野郎があまりにクズだったからいらいらして、そのクズが純文学純文学喚いていたからそのいらいらを他の純文学好きにぶつけているだけとなっている。ただの私のやつあたりだ。冷静にならねばなるまい。

 音楽サークルはナハトムジークという名らしい。小夜だけに小夜《ナハト》想曲《ムジーク》というわけか。ここだけ聞くとセンスは良く感じる。

「ああ、なんだっけか。好きな小説家か」

「うん。教えてよ」

「有栖川有栖、五十嵐貴久、歌野晶午、江戸川乱歩、恩田陸」

 とりあえずあいうえお順で言っていこうと思った。ミステリの定義とは広い。そもそも、物語がある時点でなにかしらミステリを含むと思っている。

「ふーん江戸川乱歩」

「やっぱり有名どころしか反応しねーじゃねーかこの純文野郎がッ! 死んでしまえ!」

「なになに突然?!」

 ……いけない。つい怒ってしまった。だから小夜は悪くないのだ。

「……悪い。なんでもない。ええっと、なんだっけか」

「す、好きな小説家だよ? 日本人はいいからさ、外人のでなにかないの?」

「海外モノなんて古典的名作ぐらいしか翻訳されねーじゃねーか! やっぱり古典的名作にしか興味ないのかよ! ジョンディクスンカーとかエラリークイーンとかクリスティー読まなきゃミステリマニア名乗っちゃいけないのかよ?! あんなの現代においてはそんなに面白くないわ! 先駆的小説が先端だと思ってるから純文どもは成長しねーんだよ! ずっと過去に縛られて生きてればいいんだお前らなんて! 一生ファミコンでもやってろ!」

「……あの、その、お兄さん?」

 ……いけない。また怒ってしまった。





感想掲示板 作者メニュー サイトTOP 掲示板TOP 捜索掲示板 メイン掲示板

SS-BBS SCRIPT for CONTRIBUTION --- Scratched by MAI
0.00482201576233