自分が誇れることを何でもいいから見つけろと言われたので「欧米か」と教師の頭を引っ叩いてしまった。「謙遜が美徳」とは使用されるたびに否定されている可哀そうな言葉だがやはり私としては自分を下げて行きたい。褒められたときに「やっぱりそう思いますか。私って凄いですよねー」だなんて返事をしてしまうと「……え、なにこいつ調子に乗ってるの?」というように褒めた相手は褒めておきながらそう思うであろう。逆に余所の国では本当に謙遜が美徳であるらしく、褒められてうっかり「いやいやそんなことないですよー」と返事をすれば「テメェ、オレの称賛を無下にしやがったな……ッ!」とキレられてボコボコにされる。文化の違いとはむつかしい。
私は日本人であり就職先も日本が良いと思っている。英語力のピークは高校二年生であったために丁度今の私は中学生より外国語を喋れないので日本に永住したいと考える。だから面接官は余程のことがない限りは日本人であろうし、相手が日本人であるならば日本人式の対応をすべきであろう。つまり自分を卑下せねばなるまい。自分自慢なんかしてみれば顰蹙を買うだけだ。
出来ることよりも出来ないことを語ったほうが面接受けがいいんじゃないのかよと思った私は、様々な会社の面接に行って悉くを落とされた。面接のライバルであった他の大学生は欧米人のように希望を語り、私は日本人としての絶望を謳っていた。結果、ライバルは勝利し、私は敗北をする。相手に内定を譲るというこの謙虚っぷりこそが私の長所であるのだが、宿命的にその長所は自慢できないために誰も私の素晴らしさに気がつかない。その気をつかせないっぷりがまた日本人っぽくて私を至高の存在へと昇華させているのだと思う。
私が頭を引っ叩いた教師はもちろん美少女然とした容姿の愛らしいロリっ娘であり、あたりまえのように妹であるのだが、その教師は私にこう言う。
「グローバルなんだよ。日本人はウケないんだよ。システムが欧米チックなんだよ」
「ははあん。なれば何故大学生は茶髪から黒髪に戻すのだ。そして何故会社は黒髪を求むのだ。それは日本人として受けねばならないということであろうよ」
「茶髪は奴隷にならないじゃん。そもそも短所ばっか語るにぃにぃなんて誰も欲しくないよ」
「なにをそうケラケラと笑っておるのだ妹。私は真面目な話をしておる」
「そういうふるくさい日本人喋りするから嫌われるんだよ」
「ほほう」
「なにさね」
「……日本で日本人らしくしたら嫌われるってッ?! 冗談じゃない!」
「ふるくさッ」
せっかく欧米っぽいリアクションしたのに古臭いとはこれいかに。
「外来語ぐらい使えなきゃ低能お猿さんなんだよ」
「カステラとかか。流石にそれぐらいは使える」
「間違えました。外国語外国語」
「私だって第二言語ぐらいマスターしてる」
「嘘だよ。さっき喋れないってモノローグってたじゃん」
「やってやろうか」
「やってみてよ」
「……ま~ ぐままままー ぐまま まっ!」
「アナグマ語?!」
就活本での見本例には「サークル活動やら委員会やら学生時代に打ち込んだことやらを語れば良い」とかなんとか書かれているがそんなもの言われなくとも分かっている。そういった本に頼るような人間がいるとするならば間違いなく学生時代に何もやってこなかった人間なのに馬鹿の一つ覚えみたいに輝かしい過去を求めてくる。就活本を頼り紐解いた時点でそいつには誇れるべき過去が何もないというのに、あるはずのないものを求めてどうするという。
個性的であれと言われたところでこの世には斬新ささえも有触れているのだ。珍しい設定の小説など五万とある。独創的なキャラクターなど八百万といる。人間が十人十色であったところで七色の美しさに甲乙など付けられない。
「にぃにぃ。誤用。甲乙ってのは二つのものの優越なのです」
「許せ」
つまりどれもこれも総合パラメータは一定だ。この世に個性のある人間などいない。ならば如何にして社会は人間を評価するか。そんなものはご存知であろうが優秀かそうでないかは一重に人間関係のみにて判断されている。他人と仲良くなれる人間はサークルや委員会や打ち込んだ何か全てを所有しており、逆は全てを放棄している。人間関係が円滑でない人間は劣悪であると、そういうことになっている。
そうだそうだ。合計値は同じなのに他人は私を評価しない。私はアナグマ語をマスターしているし個体値努力値種族値めざパを気にするしスパロボインパクトを三周もクリアしている。イオナズンは使えないが。だがこれは特技欄に書けないらしいのだ。村上なんとかを競い合うかのように褒め称えるやつらに何故か「個性」があるとされ、同じものを同じように評価する人間が何故か「優秀」とされているのに、スマブラ無印でカービィを使わなかったし接待プレイも大得意である私は「劣悪」とされてしまう。不可思議である。
我々は平等を教えられ、そのようにして教育を受けた。個人を重んじるような感性を得るように教育機関によって鍛え上げられたはずだ。だが実際どうだろう。社会の求める個人とは固定されている。誰しもが何かに抜きんでているというのに、その何かを否定して固定された、とあるもの、しか見ていない。ずばり社交性である。明るくてハキハキ喋れるような人間以外いらないのだ。
「にぃにぃ低学歴なのです?」
「ふん。学歴における中心点とは真ん中におかれていない。つまるところ五十であっても低学歴だ」
「頭悪いから悪いんだって。学歴さえあれば明るくなくたって全然へっちゃらなのにね!」
おのれ美少女教師。これでは私が馬鹿みたいであり、馬鹿が社会をねたんでいるみたいではないか。
今日も今日とて私は就活セミナーに通ったのだが呼ばれた講師はアホの如く個性を見つけろ個性を見つけろとしか言わない。分かりやすく言ってしまえばどうだ。キャプテンになるか委員長になるか教養的文学を読むか教養的音楽やら教養的演劇やら教養的映画やらを嗜むかしろと。個性とはそれぞれであるはずなのに、趣味趣向は違ってあたりまえだというのに古典的名作以外は認めないという矛盾だ。ライトノベルを好む人間には能力がないらしい。千冊読もうが読書家ではないらしい。アホか。多様な人材を求めると謳いつつ同じ針ばかり揃えて満足するような馬鹿に雇用されるなどむしろこっちから願い下げなのだ。
「世界は悪意に満ちている」
「悪意は見出すものだよね。分かって欲しい、分かって欲しいって? 自分の良さが分からない社会なんてクソ喰らえだって?」
「……妹。私は別にそんなありきたりな話をするつもりはない」
「にぃにぃ森見登美彦好きだったじゃん」
「あいつはアニメ化したからもう駄目だ。好かん」
「芸術は大衆のものになった時点で価値が下がる? どういう理屈なんだか」
好きなものは独占しておきたいのは当然だろう。メジャーなものを好むのは教養的文学時評オタクだけである。私が勝手に三に分別しただけなのだが人間の最小単位は三になる。純文・ミステリ・ラノベの三だ。その相関係を表わす場合にもっとも相応しいのは図であるが教師がメモ帳信者のワードアンチなのでわざわざ分かりにくいテキストで今こうやって説明している。アスキーアートという手もあるが私はそういった細々とした作業が嫌いなのでやはりテキストで説明する。なお、何事にも例外はあるために信じられても文句を言われても困る。
しかしまあ思うところがあるのだ。私の出身はミステリ畑であって他の島のことには全く詳しくないにしろ、余所の島である純文人間やラノベ人間と関わってみて随分と苛立ちが溜まったのでこうして頼まれてもいないのにわざわざ打ち込んでいる。先に言えば私は純文学にたいする負のイメージは持っていないが――とは言え名探偵の出ない小説なんて一文字たりとも読みたくもない――純文学を愛する人間のことは殺したいほどに大嫌いなので偏見まみれに語っている。
三柱の中ではミステリ畑の人間が最も優しく、温もりに溢れ、愛くるしい。たいして純文側は短気だし率直だし人間的に腐っている。面と向かって抗議でもすれば頭の悪い純文側は確実に私に殴りかかってくるのでこうして公平に文章で対面してやっているというわけだ。純文人間。カラマーゾフ・ツァラトゥストラ・ライ麦畑の三トップをバイブルとし、夏目漱石やら村上春樹を人生の教科書として、カビの生えた古臭い古き古書を徒競争のように一斉に褒め称えているあいつらのことだ。
やつらは基本的に有名なものしか褒め称えない。ハンバーガーが世界で一番売れているからハンバーガーが世界で一番美味しい食べ物だと思っている人間だ。ミミズが書いたとしか思えない観念小説とかなんとか名前がついている小説にたいして「ああ、○○○○(※1)的なものが歴史的普遍性をもって○○○○(※2)が○○○○(※3)となっているではないか!」とかなんとか言うのだ。(※1)ここには誰も分からないような外人の名前が入る。メジャーなものしか褒めないくせに称賛するときには誰も知らない言葉を使いたがる。(※2)ここにはカタカナ語がはいる。日本語で書けばいいものの格好良いとでも思っているのか英語にしたがる。例・リフレイン。(※3)ここには小難しい熟語が入る。レイランやアンタンなど絶対に鉛筆で書いたこともないだろう漢字を好む傾向にある。知らない言葉を使えば賢くみえると本気で思っている。そしてこういうやつが企業にうける。不可思議だ。
こういう構造からしてそもそもミステリと純文は相反するものであるのだ。ミステリは有名であってはいけないのだから。
「……で? イオナズンの使えないにぃにぃに、いったい何が出来るというの?」
「プロのエロゲーマーになるしかないだろうよ」
「……あァ?」
ああ何故想像だにしなかったのか。たかだか一単位のために留年して暇を持て余したお兄ちゃんというものは必然的にエロゲーに走る。駆け抜ける。性欲の強大さに関しては証明不要の確定事項であろうから説明は省くがとにかく暇なお兄ちゃんというものはエロゲーをこなすようになるものである。
「私はエロゲライターになろうと思う」
「……ありがちな話になってるよ。にぃにぃ。自分には独創性があるのだと勘違いする、底辺の人」
「はん。私に才能はないだろうさね。そも才能のある人間などいないとめだかちゃんも言ってるだろう。しかし美少女教師、私はついさっきエロゲライターのサイトを見たのだがそいつは二次創作をしていたのだよ」
「ふーん」
「クラナドのキャラクターがエスポワールに乗ったという話だったそうだが、完全に丸パクリで、ただキャラクターの名前を入れ替えただけのものだった。こんな才能のないクズでもエロゲライターになれるのならば、そりゃあ私だってなれるだろうさ」
「エロゲライターはクリエイターではなくエディターであると」
「無論例外はあるが。だがその例外なんてものは、所詮エロゲーと言い張っているだけのものであり、あれは別にエロゲーというジャンルにしなくても別に構わんものだろう。大多数のエロゲーはエディターによって作られるものであり、単純作業でなされるものだ」
「しかしにぃにぃ。エロゲー会社への推薦なんて当然のように無い。ライターとグラフィッカーがいてこそエロゲー会社が作られるのだからライターなんて募集してない。必要なのはプログラマー。なにもできないにぃにぃにプログラムなんてできないでしょうに」
「とにかく探してくれ」
「……条件は」
「スタッフが全員美少女で処女。えっちなことを全然知らないから上手くエロゲーが作れなくて、そこで新入社員として入ってきた私が手取り足取り」
「エロゲーやってろよにぃにぃ」
「じゃあ妹お前でいい。エロゲーライターを目指す私のために」
「に、にぃにぃがえっちなことを知らないのなら、わわわ私が教えてあげるよ。しっかりべんきょうして、立派なエロゲーライターになってね……?」
「ノリが良過ぎるわ美少女教師妹」
「にぃにぃ。就職先、妹、っと」
「大事な書類に記入すんな」
そうして私の大事な夏は半分ぐらい終わってしまった。