ある所に、一人の剣士がおりました。
切れ長の眼、薄い唇、陶器のような白い肌――
六尺(180cm)を超える長身ながら、大男という印象を与えないのは、その女性のような顔立ち故でしょう。
しかしその外見からは想像できぬほど、男は類い稀な剣の技量を有していました。
幼い頃からその才を発揮し、齢が十を数える頃には村のどんな大人も彼にはかないません。
噂を聞き付けた領主が彼を召し抱えた後も、彼は慢心することなく己の技量を研き続けました。
そして遂に、彼は、天下無双とも呼ばれるに至ったのです。
時は戦国。
腕に覚えがある男ならば、誰もが立身を夢見る時代です。
この長身の剣士も例外ではありませんでした。
己の剣の技量については、誰よりも本人が信じております。
だからこそ、戦場で、誰にも勝る功績を挙げられると信じておりました。
彼の周囲の人間もまた、彼の未来に期待しておりました。
両親は自分達が産んだ鷹が大きく飛び立つことを夢見ていました。
将来を約束している女は、彼が輝かしい戦功と共に帰参し、そして結ばれることを疑っておりませんでした。
友人達も、彼のこの先の出世を確信し、それにあやかりたいという打算もあって彼について行っておりました。
――しかし。
あぁ、なんと無情なことでしょう。
彼は、彼の初陣となる戦で、その命を落としてしまったのです。
油断をしたのでしょうか。――いえ、彼は己の力を出し切れるよう、最大限努力しました。
初陣ゆえに怖れを抱いたのでしょうか。
――いえ、彼は他のどの兵よりも勇敢に戦いました。
彼を上回る、恐ろしい敵がいたのでしょうか。
――いえ、彼は間違いなく、その戦場で最も優れた剣士でした。
では、何が彼を殺したのでしょうか。
言葉にすれば単純なことです。
彼は一丁の火縄銃によって、その命を奪われたのです。
いくら彼が類い稀な剣の使い手であっても、弾丸よりも素早く動けるわけではありません。
数多くの敵兵を斬りながら、気が付いた時には首を弾丸が貫いておりました。
薄れゆく意識の中、彼は何を思ったでしょうか。
驚愕?
恐怖?
後悔?
悲哀?
諦念?
安堵?
いえ、その何れとも異なりました。
彼は、剣に生き、剣に死ぬ、根っからの剣士だったのですから。
彼が思ったことはただ一つ。
(――弾丸よりも、速く――)
第零話 死
父母が 頭かき撫で 幸くあれて 言ひしけとばぜ 忘れかねつる
両親の姿、愛しき女の姿、親しき友の姿…
夢とも走馬灯とも思えるそれがふいに途切れたかと思うと、何か穏やかな暖かみを覚えます。
そして男は覚醒し、身を起こしました。
(――生きて、いるのか…)
男は、戦場にて火縄銃に撃たれ、命を落としたはずの剣士でした。
男を襲った弾丸は、男の頸部の動脈を破り、気管を潰し、頸骨を割っておりました。
それは明らかな致命傷であり、どんな幸運に見舞われたとしても、助かるはずのないものでした。
しかし現実に、男は意識を取り戻したのです。
男はそっと、手を首筋に当てました。
撃たれた傷を確認するかのように。
ぴたり、と首筋を撫でる手の動きが止まります。
慌てたように男は立ち上がり、周囲を見回します。
そこは、見慣れぬ部屋でした。
混乱する頭は状況を推理することを許しません。
ふと、姿見が目に入ったため、すぐにその前に立ちました。
陶器のような、白い肌。
幾多の娘を魅了したその肌は、些かの変わりもありません。
さらに男は姿見に近づきます。
何度見ても、その姿は変わりません。
驚くべきことに、致命と思われた傷が、その名残すら消え失せていたのです。
男は、いよいよ混乱の極地へと導かれました。
(――何が、どうなっている?)
だから、突然の来訪者に対して過剰な反応を示してしまったのは仕方がなかったかもしれません。
扉と思われる部分から、がちゃり、という音がした瞬間に彼はその場から跳び退き、扉から最も離れた部屋の隅へと移動しました。
扉から姿を現したのは、一人の少女でした。
少女は、部屋の隅にて構える剣士の姿を目にして驚きを表しましたが、すぐに柔和な笑みを浮かべて口を開きます。
「――――――――?」
その可憐な口から発された言葉を、剣士は理解できませんでした。
何かを聞かれたような気はしますが、内容はわかりません。
男が聞き漏らしたと思ったか、少女はもう一度口を開きます。
「――――――――?」
やはりその言葉を理解することはできませんでした。
言葉を聞き取ることを諦め、今度は彼が口を開きます。
「すまないが、何を言われているかわからない。――ここは何処だ?」
一方の言葉が通じぬ場合、もう一方の言葉も通じぬのは道理です。
少女も男の言葉がわからないようで、首を傾げております。
しばらくお互いを見つめ合ったあと、少女は床を指差し、手のひらを男に向けます。
ここで待て、ということでしょうか。
そして少女は男を残して、部屋を出ていきました。
男の頭はますます混乱しています。
身体の気だるさを感じますが、もう一度寝床に戻る気にもならず、ただその場に立ち尽くします。
その姿が呆然として見えても、それは仕方のないことでしょう。
男は今の状況を何一つとして理解できていなかったのですから。
――ましてや。
この地が異界の地であることなど、気付ける筈がないのですから。