昔、といっても19世紀初めくらいのイギリスに、ウィリアム・コベットさんという急進的ジャーナリストがいた。議会改革を唱え続け、最後は国会議員になった人だ。
子どものころ、野ウサギを追いかける猟犬の鼻を混乱させようと、ニシンの薫製の強いにおいをまき散らした。作り話らしいけれど、その発想で「redherring(ニシンの薫製)」を「注意をそらす物・事」の例えに使った最初の人だといわれている。ナポレオンが敗北、という当時の新聞の誤報を、大事な国内問題から国民の関心をそらした「政治版ニシンの薫製」と糾弾したそうだ。1807年のこと。
「経済版ニシンの薫製」もある。円高だ。これは米紙ウォールストリート・ジャーナル(アジア版)が今週社説で使った。恐れず要約すると、こんな感じ--。
円は何十年も基本的に値上がり基調でしたよね。日本は輸出に頼りきっているから、円高=とても悪いこと、になってしまうけれど、円高の試練があったからこそ、トヨタみたいな輸出企業が立派になったんじゃありません? 問題は、もっと大きな比重を占める国内型産業の方。本来なら円高で潤っていいはずなのに、為替に関係なくずっと死に体状態。ここを規制緩和とかで元気にさせないといけないのに、またニシンのにおいに惑わされ、市場介入とか財政出動で問題の本質から目をそらしちゃってる。
憎らしいけど、うまい!
日本にはもう一つ、強烈な薫製ニシンが。出る…出ない…出る。来年度予算も社会保障改革も財政再建も外交も、決めないといけないことだらけなのに、政権100日を待たず、またトップ選びの大騒動だ。
円高に民主党代表選。あまりのにおいにメディアもマヒしてる。薫製元祖のコベットさんならどんな論評に。(論説室)
毎日新聞 2010年8月27日 東京朝刊