沖縄・普天間飛行場の移設問題に長くかかわった守屋武昌・元防衛事務次官の『「普天間」交渉秘録』(新潮社、1680円)が刊行された。政府と沖縄、米側の交渉経過を当事者としてつづり、移設が実現しない理由を主に沖縄側の対応に求めている。防衛省時代の汚職事件で実刑判決(懲役2年6月、追徴金約1250万円)を受け、上告中の守屋元次官に話を聞いた。【鈴木英生】
本書は、普天間問題に深くかかわったころの日記をもとにしている。2007年に防衛省を退職したが、「現に基地問題で苦しむ人がいるのに、日米合意から14年も問題を解決できない国家とは一体何なのか」を問いたかったという。
名護市辺野古地区への飛行場移設のプランは、これまでに七つが消えた。05年10月に日米で合意した移設案(通称L字案)のケースは、特に興味深い。地元政財界は、滑走路が陸地と海上にまたがる同案に反対し、より海上に出た滑走路を作るよう求めた。そうすると埋め立て面積が増えるから、今度は環境団体の反対が強まる。<一部の人々は代替飛行場を作るのが難しい所に案を誘い込んで時間を稼ぎ、振興策を引っ張り出した>
また、沖縄の首長が言を左右にする例として、次のような出来事を挙げる。06年5月、当時の額賀福志郎防衛庁長官と稲嶺恵一知事は、辺野古移設について<政府案を基本>とする「基本確認書」に署名した。しかし、その後の記者会見で知事は<合意はしていません>と言ったという。こうして決着を先送りしようとするのは、やはり沖縄には基地によって潤う人がいるから、と解釈する。
沖縄側と向き合う政府側にも問題がある、とみる。「日本の政治は、地元の頼みごとへの対応が基本。政治家には、依頼が適正かを判断する力が必ずしもあるわけではない。官庁も人事異動があって、同じ人が継続して事に当たれない。だから、沖縄の一部の人は、同じやり方を繰り返すことができた」
守屋元次官にとって、普天間飛行場の県外移設は論外だ。そのうえで辺野古移設を最善とする根拠は、人口分布にある。沖縄本島北部は中南部に比べて面積は約3倍だが、人口は約10分の1。中部の普天間から北部の辺野古に飛行場を移せば、状況は大きく変わるはずとし、「自衛隊は人の少ない場所に(基地を)移して問題を解決してきた。それは沖縄の米軍でも同じこと」と主張する。
辺野古に飛行場を作るための環境アセスメントでは、反対派に対抗して海上自衛隊の掃海母艦まで出した。このとき、民間業者を使って陽動作戦をした話など、まるで戦争のようだ。
そこまでして実現しようとした辺野古移設だが……。県民はいまや、県内移設への単なる反発を超えて、政府の対応などを「沖縄差別」とみる厳しい情勢だ。それでも、守屋元次官は「正しい情報を県民の皆さんが共有し、首長たちの手法を中央が理解すれば、問題は解決できるはずだ」と語った。
本書からは、守屋元次官の辺野古移設に対する強固な意志がひしひしと伝わる。と同時に、沖縄側の反応を自らが信じる図式に当てはめすぎた印象も受けざるをえない。本書が扱った交渉過程について、別の見方をした本がある。地元紙『沖縄タイムス』の渡辺豪記者が書いた『「アメとムチ」の構図』(沖縄タイムス社、1050円)だ。
守屋元次官が、沖縄側の要求がすぐ変わる理由を<金権体質>によるものと見た点について、渡辺記者は<振興策と基地負担を「アメとムチ」として使い分け、地元に押しつける中で、彼自身が刷り込まれてきた「先入観」だったに違いない>と断じた。守屋元次官の見解は、沖縄の反対を封じてきた政府の手法については問わず、それに慣らされてしまった沖縄の姿勢だけをあしざまに言う<偏見に満ちた>ものというわけだ。
具体的なエピソードでも、両者の理解にはずれがある。たとえば、政府と沖縄県が「基本確認書」を交わしたあとの稲嶺知事(当時)の発言。渡辺記者によると、県側は将来、海兵隊がグアムに全面移転しうるとの分析のもと、政府と表面上は決裂しないように「移設は『政府案を基本』とする」という玉虫色の文言を自ら用意した。つまり、政府案で「合意」した気は本当に全くなかった、という。
沖縄側の動きは底流で、グアムへの全面移転の可能性を前提にしている面もあるようだ。それなら、辺野古に無駄な飛行場を作らせないよう、結論を先送りした方が得策である。
地元紙『琉球新報』元副社長の三木健さんは「沖縄県や名護市の動きは、琉球処分の例を連想させる。琉球国王は日本の処分官に理由を付けて会わず、処分を先延ばしさせた。弱者が強者に対抗するには、これも一つのやり方ではないか」と話す。
毎日新聞 2010年8月23日 東京夕刊