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言葉ひとつにも暑苦しいものと涼やかなものがある。「深窓の佳人」などと聞けば、それだけで体感温度はやや下がる。たとえば避暑地の、緑の木立に開いた窓を思えば、佳人の姿はさておき涼気にふれる心地がする▼そんな窓とは縁遠い「浅窓の中年」だが、せめてもの涼をと「緑のカーテン」を育ててみた。5月に植えたヒョウタンがネットを這(は)って窓を覆っている。ハート形の葉が重なって日差しを和らげてくれる。浅緑色の実がぶら下がり、グラマーな曲線美に気分もなごむ▼気分だけでなく、実際に温度も低くなる。吸い上げた水分を葉っぱから蒸散させ、周囲の熱を奪ってくれる。サツマイモを約100平方メートル植えると、1時間あたりの冷却能力は6畳用エアコン10台分という試算もあるそうだから、植物を侮れない▼緑に加えて打ち水も、試してみると結構なものだ。地面のほてりを鎮めて風情がある。かすかな風を感じるのは、気のせいでなく、打った水が蒸発して周りの空気が流れ込むためという。ローテクながら奥の深い納涼の知恵である▼きょうは二十四節気の処暑。暑さが収まる意味だが、夏の「炎帝」は暴君のうえ長逗留(とうりゅう)を決め込んでいる。とはいえ先日郊外を訪ねたら、薄(すすき)の穂が伸び赤トンボが里を舞っていた。もうひと辛抱、だといいのだが▼冒頭に戻って、今度は暑苦しい言葉をあげるなら「西日の鬼瓦」はいかがだろう。赤銅色に照る鬼瓦氏の労を思いつつ、手づくりの涼を喜ぶのも悪くない。空調一辺倒で「消夏法」を死語にするのは勿体(もったい)ない。