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天声人語

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2010年8月21日(土)付

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 旅の空から絵はがきを出す。美しい風物と背中合わせに、道中の無事を告げる習いである。短い海外旅行だと、はがきの前に本人が帰国することがままあるから間が悪い。まずは便り、次に土産を携えた送り主という順が望ましい▼この夏、スイスや米国の観光地で日本人が亡くなる事故があった。一葉のエアメールが末期の音信となった方もおられよう。天からの便りほど悲しいものはない。事務的に届く郵便は、時に冷酷だ▼53年前に南アフリカで投函(とうかん)された絵はがきが、どういうわけか今月初旬、英国南部のあて先に配達されたという。消印は1957年11月2日。はがきの住所にあった共学の寄宿学校は、今は別の教育施設である▼文面には「おばあちゃんと私は今、ホテルの夕食を待っているところだよ」とあり、旅先から孫の寄宿生にあてたものらしい。どこで迷子になったのか、なんで今ごろ届いたのかは定かでない。送り手の祖父母は恐らくこの世にいないだろう▼1日の遅れで大目玉を食らった「ゆうパック」の不手際は記憶に新しい。同じ遅配でも、半世紀となると神々しいものがある。絵はがきや切手には骨董(こっとう)的な価値も生じ、あて名の人が手にしたら、驚きはしても怒るまい。出すぎたクイは打たれない▼〈まつすぐにわれをめざしてたどり来し釧路の葉書(はがき)雨にぬれたり〉岡部桂一郎。風雨を抜け、まっすぐに届くはずの便りが消える。作為か否か、それが時空の裂け目からひょっこり現れる。自然ばかりか、人事にもときたま神秘があると知る奇談である。

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