いつまで“ご長寿記録”は更新されるのか−。
180歳超えで戸籍上は“生きている”人たちが生まれたのは、列強の進出で揺れた幕末前の動乱期だった。
186歳となる男性が生まれた1824年は、第11代将軍の徳川家斉の時代で、13代将軍徳川家定が生まれた年。前年に来日したドイツ人医師シーボルトが長崎郊外に鳴滝塾を設立した。この男性は勝海舟の1歳年下で西郷隆盛より3歳年上に当たり、1836年生まれの坂本龍馬は、まだ誕生していない。
また、182歳の男性が生まれた1828年は、日本地図を持ち出し国外追放となったシーボルト事件が起きた。
列強が国外の市場や植民地を求めアジアに進出した時代。イギリスや米国の船が日本近海に出没し、幕府は1825年に異国船打払令を出し、外国船撃退を命じていた。
さらに山形県酒田市では天保8(1837)年生まれの男性の戸籍が残っていた。生きていれば173歳だが、この年は天保の飢饉(ききん)などで困窮した民を救済しようと大坂町奉行所の元与力、大塩平八郎が武装蜂起した「大塩平八郎の乱」が起きた。
ちなみに、海外では1840年に清国とイギリスでアヘン戦争が始まった。ペリー来航は1853年で、これ以降、日本は激動の幕末を迎えた。
戸籍法は明治時代の1871年に制定され、住民登録(住民表)は戦後に始まった。
法務省の担当者は、戸籍が残り続ける理由について「身寄りがなく死亡届や失踪宣告の申し出がなかったり、戦争で一家全員が死亡したりしたケースが考えられる」と話す。法律上、戸籍の削除は義務づけられておらず、100歳以上で所在不明の場合は管轄する法務局の許可で削除できる。
7月下旬、東京足立区で111歳の男性とみられるミイラ化した遺体が見つかった事件が契機となった全国各地の高齢者所在不明問題。まだまだ“打ち止め”にならない感じだ。