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続々・房総文学散歩:描かれた作品と風土/9止 船橋と村上春樹 /千葉

 ◇「専業作家」の出発点

 村上春樹さん(1949年~)は79年に群像新人文学賞「風の歌を聴け」でデビューしたころ、東京の神宮球場の近くに住み、ジャズ喫茶を経営していた。2作目「1973年のピンボール」(80年)も台所のテーブルで書いた。この時点では兼業作家だった。

 81年に店を閉め、妻とともに船橋市に転居し、初めて専業作家となる。日大理工学部に隣接する同市習志野台の住宅街で初の本格長編「羊をめぐる冒険」(82年)を書き上げた。

 船橋で暮らした3年余りの間に翻訳家としての活動も始め、ランニングに取り組みフルマラソンを完走できるまでの体力もつけた。ノーベル文学賞候補に挙げられる今日の土台は、船橋で形成されたといえる。

 彼が住んでいた戸建て住宅は既に取り壊され、今はアパートに変わっている。84年刊行の「村上朝日堂」は、船橋時代「日刊アルバイトニュース」に連載したエッセー集で、東京から離れ郊外で小説に専念する中で見たり感じたりしたことを自由につづっている。そこには船橋が登場する。

 <うちの近くには桜並木が多くて、春はとても綺麗(きれい)なのだが、そのかわり五月六月になると驚異的に毛虫が多くなる。僕の住んでいる船橋市というところは自慢じゃないけれど行政がものすごくヤクザなところで、初夏になって毛虫が出揃(でそろ)ったかなという頃(ころ)になって一斉に殺虫をやる。だから当然町じゅうが毛虫の死体だらけになる。手虫の嫌いな人はくれぐれも船橋市には住まない方がいいと思う>

 船橋市緑管理課によると、これはアメリカシロヒトリ。担当職員は「幼虫になる前に駆除しようとしても発見が難しい。住民から市に要望が届くのは毛虫が出てから」と弁解する。「消毒後は掃除をするが遅れて落ちてくる死骸(しがい)もある。確かに二十数年前は虫が多かった時期で、それをご覧になったんでしょう」

 こんな話もある。選挙が近いある日、家に「近所のボス的おばさん」がやって来て「なんとかさんに入れとくと道路の整備とかドブ掃除とかよくやってもらえるんだよねえ」と投票を依頼、ホウレンソウを置いていった。<さすがに千葉だなあと感心した>という村上さんは、ホウレンソウはおいしく食べ、投票には行かなかった。<こっちはちゃんと税金を払ってるんだから、ドブ掃除なんてやってもらって当然である>(86年「村上朝日堂の逆襲」)

 ほかにこんな体験もしたようだ。<習志野駐屯地の落下傘訓練もよく見ている。机に向かって書きものをしていてふと目を上げると、窓の外に無数の白い落下傘が開いているのが見えたりした>(89年「村上朝日堂はいほー!」)<千葉のタクシーの運転手は東京の運転手に比べてよく客に話しかける>(同)

 実は船橋で創作活動に打ち込み始めたころ、村上さんの家からわずか3キロの同じ市内に1人の男が住んでいた。後に「犯罪史上最も凶悪な犯罪者」(東京地裁での検察側論告)と呼ばれる松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚(55)だ。オウム真理教を始める前で、当時は無名。健康食品販売店を開業し、薬事法違反容疑で逮捕され罰金刑を受けたりしていた。

 松本死刑囚らは95年に地下鉄サリン事件を起こし、その2年後、村上さんは事件の被害者にインタビューし「アンダーグラウンド」(97年)を世に問うことになる。【奥村隆】=おわり

毎日新聞 2010年8月26日 地方版

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