◎ジョージ・ソロスとの勝負
 

叩き潰された東南アジア経済


 1997年7月のタイ通貨バーツの暴落をきっかけに、通貨危機が東南アジア一帯に波及した。地道に築き上げてきた経済は、一瞬にして叩き潰されたのである。

 マレーシアでは、通貨リンギだけでなく、株価も暴落した。マハティールは1997年8月末、株式のカラ売りの禁止措置をとり、株価下支えに全力を挙げると述べた。だが、通貨と株価の下落には容易に歯止めがかからなかった。

 マハティールは、ヘッジファンドなどの欧米の機関投資家が投機的な売り浴びせをしたのが通貨暴落の主因と見た。ヘッジファンドは、投資家から集めた資金をまとめ、デリバティブ(金融派生商品)などの手法を駆使して、株や債券、外国為替市場などで運用する。アメリカの民間調査会社は、1997年末時点で、全米で少なくとも5000本のヘッジファンドがあり、資金総額は約4000億ドルに達するとしていた。ヘッジファンドは、金融技術を駆使して実際の手持ち資金の何倍もの資金を動かすことができるため、1日に最大で1000億ドルの資金を動員できるとされる。小国の通貨当局が買い支えることは不可能なのである。

 マハティールがやり玉にあげたのが、ジョージ・ソロスである。当初、マハティールは「慈善事業をしたがる人物」という表現で名指しを避けていたが、1997年7月26日、ついに名指しで批判するに至った。ソロスが東南アジアの政治体制に批判的だったこともあって、なおさら彼への敵意は増幅されていたかに見える。ハンガリー生まれのユダヤ人であるソロスは、戦後共産化した祖国を逃れ、イギリスのロンドン・スクール・オブ・エコノミックスを卒業し、アメリカに渡った。1969年に「クォンタム基金」を設立、世界最大級の基金に育て上げ、その資金力で数々の投機を仕掛けてきた。

 一方で、左右の全体主義を嫌い、自由主義の拡大を目指してきたソロスは、NGOを通じて東欧や南アフリカの民主化運動を支援してきた。近年は、ミャンマーの軍事政権を敵視し、同国の民主化運動支援に熱心である。ソロスにとっては、ミャンマーのASEAN加盟を牽引したマレーシアやタイの行動は許しがたいことだった。いみじくも、マハティールに名指しで批判された日、ソロスは、ニューヨークでコメントを発表し、マレーシアとタイが「人権侵害をしているミャンマー政府のASEAN加盟に加担した」と批判している。


「投機は非生産的である」

 1997年9月20日、マハティールは香港で開催された国際通貨基金(IMF)と世界銀行の合同セミナーで講演し、実需の伴わない為替取引は、形ある利益も雇用も生まず、不必要、不道徳で非生産的であると批判した。

 ここにこそ、マハティールの投機に対する考え方が明確に示されている。彼は、投機という行動によって引き起こされた悲惨な結果だけでなく、投機という行動自体が許せなかったのである。敬虔なムスリムであるマハティールにとっては、投機家の経済行為は本来の経済からの逸脱だからである。

 そこには、宗教的な真理に基づいた、本来の経済の在り方についての洞察がある。イスラームでは経済行動においても、神から発した万物が正しく扱われなければならないという思想が貫かれている。人間にはアッラーの代理人として、責任ある経済行動が要求される。人間は、アッラーからの恵みに対して、真に生産的な活動で報いる必要がある。貨幣自体が富を増大させる手段となることは認められない。これが利子(リバ)の禁止である。

 実際、マレーシアは無利子の原則に基づいた金融システムを整備してきた。2002年末のイスラーム金融資産は約680億リンギにまで拡大している。マレーシア中央銀行が2001年3月に発表した金融基本計画では、2010年までに金融機関のイスラーム金融資産残高を資産全体の20%に引き上げる目標が掲げられている。

 マハティールが、投機の影響を受けにくい金貨ディナールの使用を模索したのも、投機経済からの脱却を目指したからにほかならない。この構想は、イスラーム世界で支持を拡大しつつあり、すでに2003年10月にマレーシアで開催されたイスラーム諸国会議機構首脳会議も、「金に基づいた貿易決済が、貿易拡大やイスラーム諸国の統合の触媒になると信ずる」と宣言している。

 だが、信念に基づいたこうした発言は、市場の反発を買い、さらなる通貨下落をもたらすという悪循環に陥っていた。ついに1998年9月1日、マレーシア中央銀行は、1ドル=3.8リンギの固定為替相場制を導入したのである。あわせて、国外でのリンギ取引を禁止し、国外にあるリンギは1カ月以内に、国内へ送金させた。また、非居住者によって取得された株式などのリンギ建て資産が売却された場合、1年間は外貨への交換、国外への持ち出しを禁止するとした。

 この取引規制は、欧米から厳しい批判にさらされた。ソロスは、「悲惨な結果をまねく」と警告した。モルガン・スタンレー・キャピタル・インターナショナルは、自社の国際株価指標から、マレーシアの株価指数をはずすと宣言した。

 しかし、マレーシア経済はこの規制措置によって立ち直った。1999年8月25日、マレーシア中央銀行が、1999年4−6月期の国内総生産の伸び率が4.1%に達したと発表、マハティールは勝利宣言した。


マハティールの逆転

 取引規制に踏み切った頃から、投機に対するマハティールの考え方も、次第に受け入れられていった。1998年9月14日には、インドネシアの経済改革を担当するIMFのナイス・アジア太平洋担当局長が「マレーシアの市場規制にも利点はある」と発言、翌15日にはフィリピンのラモス前大統領が、マレーシアの規制策を擁護した。

 1999年1月の毎日新聞は、マハティールの評価の逆転を次のようにはっきりと伝えた。

 「当時は『アジアの非開放体制、未成熟な社会が危機を招いた』とするソロス氏の方が説得力を持ち、『犯人はグローバリズム』とする同(=マハティール)首相は、国際社会という風車に単独立ち向かうドン・キホーテの感がしたものだ。

 しかし1年余たった今はどうだろう。アジア以降、ロシア、中南米と同様の危機が襲い、『一連の危機は資本主義の欠陥が招来したものだった』との見方が定着。同首相の主張であるヘッジファンド規制の必要性が、いまや国際社会の共通認識になりつつある。」(『毎日新聞』1999年1月12日付朝刊)

 1998年半ばには、アジアの通貨危機が世界に波及し、ヘッジファンドの損失が相次いで表面化していた。ロシアでは、ソロスやソロモン・ブラザーズ元副会長のジョン・メリウェザーが率いるロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)が20億ドル規模の損失を出した。LTCMは1998年9月には事実上破綻した。

 ソロスは、1998年12月にジョンズ・ホプキンズ大学でパネル討論に出席し、マハティール首相は退陣すべきだと述べるなど、相変わらずマハティール批判を続けていたが、ハイテク株投資に失敗して大きな損失を被り、2000年4月には「マクロ経済の動向に巨額の賭けをする時代は終わった」と述べざるを得なくなった。

 そしていま、米議会はファンドマネジャーが投資信託とハイリスクなヘッジファンドを同時に運用するのを禁止する法案を審議している。市場を敵に回して叫び続けたマハティールの主張は、ついに受け入れられたのである。

 

 
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