チリ:サン・ホセ鉱山事故、生存の報道と事故の背景(8月23日)
テーマ:ブログ8月5日午後2時、チリ北部のアタカマ砂漠、コピアポから45キロのサン・セバスティアン鉱山会社所有の、サンホセ鉱山において落盤が発生、鉱山労働者が700メートル地下に閉じ込められた。8月22日午後、事故発生から17日後、救援隊による直径8センチの穿孔機を使った探索において、「われわれ33人は、避難所で元気だ」と破られた紙に赤のインクで書かれた手紙がくくりつけられ、その生存が確認された。
これは奇跡的なことであり、いくつもの都市で人々はチリ国旗を手に街に繰り出し、その喜びを表した。セバスティアン・ピニェラ大統領は、現地からニュースの生中継に登場し、手紙を読み上げ、政府が救援活動をおこなっている姿勢をアピールした。サンセバスティアン会社の所有者の一人、アレハンドロ・ボーンは、「いまは責任を認め、謝罪するときではない」などと述べている。
今後の救出活動は、8月23日に穿孔機を使って、酸素、飲料水、薬品、ブドウ糖、食料を供給することから始められる。また救出のために、あらたに66センチの穴が開けられることになる。しかし救出作業が終了するまでには3~4カ月を要するという見方もあり、いまだ楽観することはできない状況にある。
今回の事故の責任が第一にサンセバスティアン鉱山会社にあることは明らかである。1995年に鉱山労働組合は、サンホセ鉱山の閉鎖を要求し、2005年労働監督局は閉山を決定した。その理由は緊急の脱出出口がないこと、換気のため煙突がないためであった。この問題はコピアポの裁判所に持ちだされた。
サンホセ鉱山は金と銅の産出で、200年以上操業してきた。現在の所有者は、マルセロ・ケメニー・ヒューラー(40%)とアレハンドロ・ボーン(60%)の二人である。かれら二人は8月5日に事故が発生してから9日目、8月13日になってようやく人々の前に姿を現した。「わたしたちにとって最も重要なことは、労働者とその家族だ」、ボーンの言葉である。ことばとは裏腹にサンホセ鉱山は事故を繰り返してきた。2004年、労働者ペドロ・ゴンサレス・ロハスの労災死から、労働組合は労働者保護の対策を裁判所に訴えたが、控訴審裁判所(CA)はこれを却下している。今回の事故の1か月前にも、労働者ヒノ・コルテスは片足を失っている。
責任の第二は、政府および関係する当局にある。2007年サンホセ鉱山の閉鎖が決定された。それがなぜか2009年、その再開が認められた。なんらの改善措置、その後の行政による監督もなく。これには鉱山会社と監督官庁のあいだでの、なんらかの利害のやりとりがあったことが充分に疑われる。ここで問題とされるのが、全国地質・鉱山事業局(Sernageomin)の果たした役割である。あるいは労働省の責任も問われることになる。Sernageomin側からは、17人の監督官が、全国約500か所の鉱山を監督しているという現状を指摘する。責任のなすりあいがおこなわれている。
政府の責任の一つは、チリが労働者保護のための国際労働機関(OIT)176条、183条など国際条約を批准していないことにある。その理由は、鉱山業の利益が減ることによる。国際条約の主要な柱は、①鉱山の保安手段について、労働者もこれに参画する、②労働する場所についての完全な情報、条件を知る権利がある、③危険な状況が察知された場合、労働組合、労使委員会、あるいは労働者自身が報酬を失うことなく、作業を中止する権限を持つ、である。
8月13日、チリの鉱山労働に関係する全国の労働組合は会議を持った。会社が政府からの援助を受け団結しているときに、労働者が分裂していてはならない。労働者たちは政党支持に関係なく、地下に閉じ込められている。労働運動の指導者たちは、8月9日、太陽の真下の砂漠の地で誓い合った。「もう失うべき時間はない」。(0789)