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2009-05-12 18:50:17

日銀砲、大感謝記事!ポンド危機とは(韓国経済危機、ヘッジファンド、ジョージ・ソロスとポンド砲!)

テーマ:韓国経済危機

 昨年、9月の最初にお送りした「日銀砲」記事がこのブログでまとめ記事を除く、個別の記事で一番のアクセス数がある。


 その記事の人気はほとんど衰えない。いまだに高いアクセス数を誇り、このブログを有名にしてくれた。


 そこで感謝の印として、金融史、特にイギリスでは絶対に語られる「ポンド危機」について特集する。まあ、韓国経済危機の特別番外編いった位置づけである。

 

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 プロローグ。1992年9月16日(水曜日)


 ソロス氏「利上げは投機家に歯止めをかけるどころか、呼び水となった」

 

 イギリス銀行職員「前の晩に用意した巨額の資金が数分以内に消えた」


 ソロス氏「あの日、1日で10億ドル以上儲けた。投資した金額はおよそ100億ドル」


 イギリス銀行が1日で損した額は40億ポンド、およそ1兆円。


 以上。


 後に、ブラックウェンズディーと呼ばれる日の出来事である。WIKIからお送りしよう。


 ポンド危機とは?


 ポンド危機(ポンドきき、pound crisis)とは、1992年秋に発生したイギリスの通貨であるポンドの為替レートが急落した出来事である。


 もともとポンドは世界の基軸通貨であったが、第二次世界大戦後その地位は失われた。


 また、イギリス経済はストップゴー政策と呼ばれる経済政策の迷走の結果、「英国病」といわれるほどの経済的低迷状態にあった。


 イギリスの経常収支は原油輸出国であったことから原油価格高騰時は黒字であったが、基本的に赤字基調となりつつあった。そのなかで、EC(欧州共同体)では域内通貨の統合に向けて域内通貨間の為替レートを事実上固定するEMS(欧州通貨制度)とERM(欧州為替相場メカニズム)を進めていた。


 1990年10月に東西ドイツが統一されて以来、旧西ドイツ政府による旧東ドイツへの投資が増加し、欧州の金利は高目に推移していた。高めの金利は欧州通貨の増価をもたらした。連動してポンドは次第に過大評価されていくことになり、持続可能性を喪失していった。

 

 これに目をつけたのがジョージ・ソロスである。ソロスは「相場は必ず間違っている」が持論であり、このときもポンド相場が実勢に合わないほど高止まりしていると考えた。そして、ポンドを売り浴びせ、安くなったところで買い戻すという取引を実行することになる。


 展開


 1992年9月になり、ポンドへの売り浴びせは激しさを増した。


 9月15日には激しいポンド売りにより変動制限ライン(上下2.25%)を超えた。


 9月16日にはイングランド銀行が公定歩合を10%から12%へ引き上げ、さらにその日のうちにもう一度引き上げ15%とした。しかし、それでも売り浴びせはとまらなかった。事実上のERM脱退となったこの日はブラックウェンズデー(暗黒の水曜日)と呼ばれている。


 9月17日、イギリスポンドは正式にERMを脱退し、変動相場制へ移行した。


 結果

 

 ポンドはその後も1995年まで減価を続けた。


 ジョージ・ソロス率いるヘッジファンドは10億~20億ドル程度の利益を得たといわれる。


 翌年の1993年には欧州各国に通貨危機が飛び火し、ERMは大幅な再編を迫られることとなった。1992年9月のERM離脱によりイングランド銀行および大蔵省は不名誉な敗北を喫した格好に見えたが、1992年の下半期からイギリス経済は他の西欧諸国に先がけて景気回復に向かい、1993~1994年と順調な拡大を続けた。

 

 その原動力になったのが1992年9月・ERM離脱以降の金融緩和による家計部門の耐久消費財支出の伸張であり、ERM離脱以降、ポンドが主要国通貨に対して大幅に減価したことによりイギリス製品の価格競争力が高まったことなどから輸出は大きく拡大した。


 ERMはポンド危機による再編後、1999年には統一通貨ユーロへと結実している。なお、イギリスはこのユーロに2009年現在も参加していないが、大陸欧州との通貨統合の試みにより不名誉をこうむったポンド危機の記憶と無関係ではない。


 1997年には同様にヘッジファンドによる通貨空売りが東南アジアで発生しアジア通貨危機となった。


 (http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%B3%E3%83%89%E5%8D%B1%E6%A9%9F



 彼は後に作られたドキュメンタリーのインタビューでこう答えている。そのドキュメンタリーを見ながら,この記事を書いている。


 ソロス氏「あの日、1日で10億ドル以上儲けた。投資した金額はおよそ100億ドル。でも、ポンド相場が10%急落したんですからね」


 ポンド相場が10%急落、そして、1日で2回の公定歩合の引き上げ。この処置だけでもどれだけ異例かよくわかる。


 公定歩合とは、日本なら日銀がほかの銀行に貸し出す基準の金利のことだ。経済ニュースでも良く出てくる用語であるので、読者様はとっくにご存じだと思う。


 イギリス銀行が用意した資金が数分で消えた。ジョージ・ソロスはまだイギリスのポンドが高いうちに50億ポンド売ったという。そして、その動きに驚いた市場関係者が一斉にポンド売りを始める。


 驚いたのはイギリス銀行である。その対策として、公定歩合を引き上げた。最初は10%から12%。それが9月16日11時である。


 だが、先ほど述べたとおり、公定歩合の引き上げは歯止めをかけるどころか,さらにポンド売りの呼び水となった。


 イングランド銀行は、190億ポンド相当の外貨準備高を持っていた。それが1時間に20億ポンドずつ投入されていった。


 イギリスはさらに数時間後、14時15分。公定歩合を15%に引き上げた。


 ソロス氏「あの日の午後は,文字通り、売り一色の雪崩状態でした」


 午後16時、イングランド銀行は買い支えを中止した。2,3秒の沈黙の後、ポンドは暴落していく。


 それが、イングランド銀行がジョージ・ソロスとヘッジファンドに敗北した瞬間である。ポンド相場は10%急落した。


 以上。


 これをまとめた動画がYouTubeにあるので、是非、見て欲しい。こんな面白い動画が、再生回数197なんて少なすぎる。


 FX 英国ポンド危機


 http://www.youtube.com/watch?v=C4GnI5ZUMyY&feature=related


 http://www.youtube.com/watch?v=vw_JE7jtB14&feature=related


 さて、日銀砲の時のあのコピペを私が作成しておく。しかも、ソロス氏も交えて二元中継である。ちなみに創作であるので、真実かどうかは定かではない。


 暗黒の水曜日


 ソロス氏「まずは、50億ポンドだな」


 銀行上司「もう、昨日用意した資金がないのか」


 銀行部下「ど、どうするんですか・・・このままでは,ポンド大暴落ですよ!」


 銀行上司「・・・市場介入だけじゃ駄目だ。公定歩合を引き上げるんだ!」


 銀行部下「・・・駄目です。公定歩合を10%から12%に引き上げても、売りの圧力を防ぎきれません!」


 ソロス氏「・・・愚かな。それは最終局面に入ったことを意味する。さらにポンド売りを呼びこむことになるな」


 銀行上司「・・・ええい、どうなっているのだ。ポンドが暴落して行くではないか・・・よし、こうなったらさらに大規模な介入をするしかない」


 銀行部下「ええ・・・いくらにするんですか?今、外貨準備高として190億ポンド相当あります」


 銀行上司「よし、なら1時間で20億ポンドずつだ。いいな。イングランド銀行の名誉にかけて負けるわけに行かない」


 銀行部下「・・・・だ、だめです・・・20億ポンドずつ投入しましたが、さらに勢いをつけて売り一色です!!」


 銀行上司「・・・なんてことだ。・・・まさかこれほどとは・・・仕方がない。もう一段階、公定歩合を引き上げろ!」


 銀行部下「・・・了解。12%から、15%に引き上げます!」


 銀行部下「・・・な、なんてことだ・・・全く効果がない。ど、どうしますか?」


 銀行上司「・・・・終わった。何もかもが終わった。これ以上の介入をしても無駄だ。我々は敗北したのだ。そして、その敗北はずっと語り継がれることになるだろう。英国金融史上、最悪な1日として・・・」


 そして、ポンドは10%暴落することになり、イギリスポンドは正式にERMを脱退し、変動相場制へ移行した。2009年、イギリスがいまだにユーロに正式参加してないことにポンド危機は無関係ではなかった。


 そして、ジョージ・ソロスはこのポンド危機以来、世界的に有名となったのである。

 

 以上。


 よし、こんなもんか。これをコピペとして誰か広めないかな(笑)。


 「日銀砲」は日銀が禿に勝った事例だったが、ポンド危機のように「禿」に負けた事例もある。いかにヘッジファンドが恐ろしい存在かがよくわかったと思う。まあ、韓国が勝てるわけないな(笑)。


 面白い記事だったと思う。日銀砲とは違い、負けてしまったのだが、ヘッジファンドとジョージソロスの名を世界的に有名にし、いまだに経済関連ニュースが記事をしているのを見かけることがあると思う。


 彼が動くことに、最大の注意が払われていることは言うまでもない。


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 ブログを見られない状態でもメールなら見れる方がいたと思う。まあ、それほど速報で伝える情報があるとは限らないが・・・携帯のメルマガも上手に利用していくつもりである。








 こうしてみると,管理人は多くの読者に支えられているのがよくわかる。改めて、礼を述べる。そして、これからも宜しくお願いする。


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