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[16198] SNK VS CAPCOM 『路上の狼達』(SNK、CAPCOMクロスオーバー二次)
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/08/25 11:27
 初めまして。この作品は旧SNK作品とCAPCOMの格闘ゲームキャラを利用したクロスオーバー小説となります。
 また、同名、類似のゲームのストーリーと一切関係はありません。

・時代設定に関して

・SNK側:餓狼伝説MOW直前。龍虎の拳に関してはギースを基準とした年齢設定。
また、他SNKキャラが出演する際には随時追記
KOFキャラに関しては現状未参加。


・CAPCOM側:ストリートファイター4~3間。
基本は中平漫画。ただし完全に準拠ではない。
ヴァンパイア、マーヴルキャラクター等は現状未参加



※生年月日に照らし合わせるとリュウ全盛期がギース全盛期となりますが、あえて生年月日は無視しています。

 基本的には公式設定などに則って書き進めていきますが、必ずしも全てが公式とは限りません。
 (各種ムックや「ギース外伝」「RYUFAINAL」等、今となっては手にいれるのが難しいものもあるため)
 矛盾点などもあるかと思いますが、よろしくお願いいたします。



8/25 追記

三ヶ月ぶりの投稿。現在投稿済み文の修正作業も並行して行っております。
(山崎の右手、左手の誤植等)



[16198] 第一話 『サウスタウンの亡霊』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/05 19:09
 ケン・マスターズ。全米格闘技チャンピオンにして、マスターズ財団の御曹司でもある有名人である。
 TIME誌の表紙こそ飾ってはいないが、財団の総帥を継いだ暁には、TIMEの表紙を飾ることも遠い未来ではないとも評価されている。
 そのケンが、ホテルの一室で鼻から血を出して壁に寄りかかっている姿を、誰が想像できるというのか。

「かっ、は……ぁ……? くそ、鼻血が……」

 自分に何が起きたというのか、それを把握するのにケンは暫しの時間を要した。
 シングル一泊300ドルを超える高級ホテル。時刻はレストランのディナーが終わった午後十時過ぎ。
 ケンはその日に送られてきたメールを再確認し、至急の必要があったメールの返答を書いていたところであった。
 しかし最後のメールを書き終え、送信終了した瞬間、顔面に凄まじいまでの衝撃を受けて壁に吹き飛ばされたのだ。
 これで状況を即座に把握しろというのは不可能だろう。完全に気を抜いていたのだ。
 だが状況を把握した瞬間のケンの動きは素晴らしいものだった。
 即座に壁をするようにして横に移動。動きづらいバスローブを脱ぎ捨て、ボクサーパンツのみの姿になるとファイティングポーズを取る。
 先程までの弛緩した筋肉はどこにもなく、波動のうねりが全身を駆け巡っていた。

「ヒューゥ……どこのアサッシンが来たのかと思ったが……おいおい、今の季節は初春だぜ、盆もハロウィーンもまだまだ先だぞ?」

 ケンが悪態をつきながら冷や汗を流す。
 目の前に居たものは、かつてこのホテルが立てられた土地で最強を誇り、この街そのものを一種の治外法権の土地と化した男。
 一代で合衆国大統領ですら迂闊に手の出せぬ存在へと上り詰めた悪の帝王。

「……ギース・ハワード……化けて出たのか、それとも俺の幻覚か?」

 ケンが呟く。目の前にいる真っ赤な袴を穿いた筋骨隆々の男は紛れもなくギース・ハワードそのものである。
 だが、ギース・ハワードはもう何年も前に死んだ。
 男の立てたコネクションも既に崩壊し、この街は別のギャングが牛耳っている。
 しかし、この街――サウスタウンは未だ発展を続けていた。
 港があり、鉄道があり、人が集まり続ける街。そこにビジネスチャンスを見出さない業界人はいない。
 ケンもそういったビジネスチャンスを拾い上げにこの街に来ていたのだ。
 ストリートファイターとしてのケン・マスターズではなく、マスターズ財団のケン・マスターズとしていた……言い訳にもならないだろうが、ケンの反応が遅れたのはそういった理由もあったのだ。

(ち……鼻血がとまんねぇ。色男が台無しだぜ。しかし、イテェってことは幻覚じゃねぇな。だが、あいつは死んだ……なんなんだ?)

 ケンは最初、相手がギース・ハワードの格好をしたアサッシンかと思った。
 だがアサッシンがこれほど目立つ格好をする訳がないし、何よりもその威圧感はただごとではなかった。
 相手は一言も言葉を発さないが、立ちあうだけで押し返されそうな感覚まである。

(畜生、まるでベガの野郎みたいだ。事によっちゃ、あいつを上回るぜ……!?)

 ケンは呼吸を整え、全身に巡らせた波動を拳へと高めていく。
 波動拳と呼ばれるその技術は、史上最強の暗殺拳と呼ばれた名も無き格闘術で編み出されたものである。
 だがケンの扱うそれは、暗殺拳というにはあまりに明るい。
 殺意というものがほぼ見当たらない。
 この事をケン自身が悩むこともあったが、今ではそれを乗り越え、自らの力とすることが出来た。

「波動拳!」

 宣言も遠慮もなく、ケンが拳に高めた波動を両手で構え、打ち出す。
 日本のコミックのような打ち出し方であるが、しかしそれはあまりの反動の強さ故に、構えを取って両手で打ち出さねばならぬからである。
 青白い波動の塊が高速度で放たれ、ギースに向かって飛翔していく。
 自動車のドアですら一撃で吹き飛ばす波動拳の威力は、手加減を考えなければ容易に人体を殺害に至らしめるものである。
 ケンはここで遠慮をすれば自らがやられると判断し、普段は抑える波動拳を抑えず、自らの全力をもって放った。

「烈風拳!」

 だが、その渾身の波動拳は、ギースが片手で振り上げた謎の力によっていとも容易く相殺されてしまう。

「……嘘だろ?」

 片手で波動を練る人物がいないという訳ではない。
 身近なところでは、かつてケンの師に師事し、しかしその拳に闇が見出されたために破門された人物、ダンという男が片手で波動拳を放つことが出来た。
 修行不足故に飛距離こそなかったが、片手で放てるということそのものが凄まじいことであるのだ。
 だが、目の前のギースの亡霊が使った技は明らかに波動ではなかった。

「……気、って奴か。ッチ」

 気と波動は似て非なるものである。寺と神社のような関係ではあるが、その性質には明らかな違いがある。
 波動というものは総じて一つの方向を極めるのに対し、気というものは一人ひとりの個性が極めて出やすいということである。
 火に似た気を放つものもいれば、ギースのように風に似た気を放つものもいる。
 しかし、もう一度言おう。真に恐ろしいのは、波動であろうと気であろうと、片手で軽々と放つということなのだ。

「もう一度やって見るがいい」

 ギースが挑発的に答えて来る。

「へ……亡霊の癖に喋れるとは意外だったな」

 ケンは悪態をつきつつ、もう一度全身に波動を練っていく。
 連発する波動拳ではなく、一撃一撃に重さを込めた波動拳を。
 ケンはどちらかといえば波動拳が得意ではない。昇竜拳や足技のような、直接相手に打撃を叩き込んでいく連撃を得意としている。
 故に、ライバルであるリュウという男の使う、波動拳を強化した真空波動拳といった技は使えない。

「……受けてみやがれ、波動拳!」

 ケンが改めて波動拳を打ち出した。真空波動拳とまではいかないが、全力で圧縮された巨大な波動拳である。
 恐らくは車のドアどころか、鉄の扉でも粉砕する威力を持ち合わせるだろう。
 だが――

「ダブル烈風拳!」

 豪速球とも間違える速度で飛来する波動拳を、まずギースが片手をすくい上げるように振り抜き、烈風拳を発生させる。
 まずそれだけで波動拳が相殺され、かき消された。気と波動がぶつかり、まるで蛍のように粒子が飛び散る。
 そして、続けて空いていた残りの手が振り上げられ、鉈のような威力を持って地面を滑り、烈風拳がケンへと飛び込んでいく。
 波動拳を出したばかりの体勢では避けることも叶わず、ケンは徹甲弾にも似た威力を持つ一撃をその身で受けることになった。
 しかし、如何に無機物ならばコンクリートブロックですら破壊する烈風拳であろうと、波動や気を身に纏った人体を破壊するのは容易ではない。
 ケンは胸元にまるで火傷のような傷跡を残しながらも、その場に踏みとどまることが出来た。
 だが、その代償は大きい。ケンはうめき声を発し、だらしなく開けた口からヨダレをたらしてくの字に折れ曲がろうとする自分の体を必死に抑えつける。

「ぐ……ぉ」

 ケンが必死に体を元の体勢に戻す。だが、ギースは烈風拳を放った後、一切動いてはいなかった。

(……なん、だよ、この威力は。ヘビー級ボクサーのストレートをもろにくらった感覚だぜ……!?)

 気や波動を飛ばす格闘術というのは少なくないわけではない。
 合衆国軍人の内にも、ソニックブームと呼ばれる独自のマーシャルアーツで生み出された気功術があるほどだ。
 しかし、それらは得てして威力が低い。
 無論、圧縮や巨大化などで威力を格段に高めることも出来るが、それは波動や気を練る必要があるし、即座に放てるものではない。

(しかも、動いてねぇ……余裕ってことかよ、畜生)

 実はこのギース・ハワードという男は気功頼りで、打撃技は強くない……一瞬、そんな淡い願望がケンの脳裏を過ぎったが、ギースの鍛え上げられた実用的な筋肉を見てはそんな考えなど一瞬で破棄する他ない。
 ケンは冷静に状況を把握していく。まず烈風拳のダメージ。正直にいえば今すぐ病院でレントゲンを撮りたいくらいだった。
 骨こそ折れている感覚はないが、迂闊な呼吸をしようものなら咳き込んで立ち上がることは出来ないだろう。
 それほどまでに肺……内臓部分にダメージが入っていた。
 中国拳法の内には表皮や筋肉、骨といった外部的なものではなく、内臓や経絡秘孔、神経といった内部に打撃を与える流派があると聞いているが、恐らくはそれと似たような効果がある。
 波動等はどちらかといえば内家拳、内部への打撃を極意としているからだ。
 そして構えである。
 ケンが両拳を胸元に上げるファイティングポーズを取っているのに対し、ギース・ハワードは構えがない。
 袴をはいているのだから、恐らくは日本の武道をかじっているにも関わらず、だった。
 ケンはこれを「柳生新陰流」などにおける「無形の位」と判断した。
 構えらしい構えをみせず、相手に打ち込ませて後の先を取る必勝の構えである。
 このケンの洞察は正解だった。
 ギース・ハワードの切り札はまさに「当て身投げ」と呼ばれる後の先を取る技術であった。
 本来の意味での当て身投げとは違い、相手が打撃を繰り出した瞬間にソレを受け流し、相手を叩きつける日本の古武術で伝わる技術であった。
 数多の猛者がこの技術の前に背骨や首などを折られ、再起不能に陥っている。
 当然だろう。渾身の力を込めて打ち抜いた自慢の拳が、次の瞬間には絡め取られ、硬い床に遠慮なく叩きつけられているのだ。
 受身の取れぬ柔道技、と強引に言ってしまえば恐ろしさが伝わるだろうか。

(……だがよ、殺意の波動に目覚める一歩と呼ばれる昇竜拳。これを受け止められるもんなら……受け止めてみやがれ!)

 ケンは意を決して足さばきを変える。
 気は十分に練りこめた。拳には恐ろしい熱波が渦巻いている。

「行くぜ!」

 拳を腰だめに。一撃のもとに粉砕するかのような勢いで拳を振り上げ――なかった。
 一瞬のフェイント。ケンが繰り出したのは拳ではなく、世界の猛者を屠った回し蹴りであった。
 だがギースもそれを察し、すぐさま腕にて蹴りを防ぐ。
 ケンは動じない。防がれた足がするりと抜け、更に速度をあげてもう一度襲いかかる。

「竜巻旋風脚!」

 フィギュアスケートにてアクセルジャンプなどと呼ばれる回転。
 波動の技術は肉体を強化し、それを超高速の連続回し蹴りにまで昇華させていた。
 ギースも初めてみる技術だったのか、当て身投げを取る暇もなく、ガードを固めるしかなかった。
 四回転での回し蹴りという偉業を成し遂げたケンが、体を回した勢いそのままにしゃがみこみ、今度は拳を構える。

「食らえ! 昇龍裂破ァ!」

 上段でのガードを固めた直後の、下からすくい上げる強力なアッパー。
 昇竜拳と名づけられた天高く舞い上がるアッパーカットは、ケンの手によって連続的なアッパーへと進化を成し遂げている。
 だが、恐ろしいことにギースはそれらのアッパーカットを、苦も無くもう片手の腕で防いでしまった。
 昇龍裂破の恐ろしいところはその威力もさるとこながら、最終的な一撃が一メートル以上も飛び上がる昇竜拳であるというところだ。
 しかしそれが防がれてしまえば、そのジャンプは多大な隙をさらすことに他ならない。

(防げるもん、か!)

 多大な隙を晒す――わかってはいるが、ケンには途中で止める選択肢はなかった。
 波動を大きく練りこんだ一撃は、途中で止めることによって波動の発散先を失い、結果自分の体に跳ね返ってくる。
 途中で止めるということは、やり抜く以上に隙を晒し、自らにダメージを与える愚行なのである。
 勘違いを正しておけば、これらの一撃は普通のものが受け止めれば骨を砕かれる一撃である。
 こういった打撃をガード出来るというだけでも、気や波動といったものの恐ろしさがわかる。
 しかしそれは、言い換えてみれば気や波動を会得したものならば容易にガードが出来るということでもあった。
 よってこれら超必殺技と部類されるものは、相手のガードを崩した……またはガードが出来ないと判断した瞬間に行うのが常であった。
 熱情的ながらも冷静な判断を行う。全米格闘技チャンプのケンが犯したらしくもないミス。
 それはやはり――

(飲まれた、のか?)

 ケンが最後の一撃をギースの腕にぶち当て、飛び上がりながら思考を巡らせる。
 最後の一撃までも完全に防がれ、後は自らが降りて相手に一撃を食らうだけとなってしまった。
 だが防いで見せる。ケンは咄嗟に発散すべき昇龍裂破の波動を体内に戻し、経絡系へのダメージと引換に肉体を強化した。
 金属バットで全力で殴られようと微動だにしない。
 それほどまでに自分の防御を覚悟し、肉体を波動で高めた。

「……雑魚が」

 ギースが両手を大きく頭上に掲げる。瞬間、ケンは己の目を疑った。

「レェェェイジング・ストォォォォォム!」

 二メートルを超える巨大な気の柱。ギースが頭上に掲げた両手を地面に勢い良く押し付けると同時に、それがまるで牙のように何本も立ち上ってきたのである。
 空中のケンに避ける術はない。
 そして、昇龍裂破の波動で固めた防御など、その気の柱は容易く打ち破り――






 サウスタウンには巨大なビルが幾つかある。
 だがその中で最たるものが、かつてギース・ハワードが存命時に立てられたギースタワーと呼ばれるビルだろう。
 高層ビルに類されるそれは、しかし今は所有者もなく、ただただ朽ち果てるに任されている。
 それは書類上の手続きの煩雑さと、かつての所有者への畏怖からのことであったが、今なおサウスタウンを見下ろすそのビルは、確かにギースの息遣いが感じられるかのようであった。
 そして今、そのビルの最上階に二人の男がいた。

「予想通り、蘇ったそうだ。一時間ほど前、ホテルにて重傷を負ったケン・マスターズが発見された」
「……そうか、義兄殿も哀れなことだ。死後尚安らかに眠ることが許されんとはな」
「よく言うわ。その義兄を蘇らせたのは他ならぬ貴様自身ではないか。……その秘伝書を用いてな」

 赤い軍服のようなものに身を包んだ男と、白い良い仕立てのスーツとコートに身を包んだ男。
 軍服の男はベガ。世界を股にかける秘密組織「シャドルー」総帥であり、サイコパワーと呼ばれる力を操る謎の男である。
 スーツの男はカイン……ギース・ハワードの義弟であり、第二のサウスタウンであるセカンドサウスの支配者である。

「フフ、ハハ……秦の秘伝書か。数千年も前から人を狂わせる代物。我がサイコパワーに取り込んでくれるとしよう」

 ベガが最上階よりサウスタウンを見下ろし、哄笑を上げる。
 だがカインはそのベガに構わず、最上階のオフィスに唯一残されたデスクに座り、ゆっくりと椅子に身を沈めた。

(……シャドルーに利用されるのは構わん。何れ乗り越えるべき相手だ。
 …………ギース・ハワード。貴様の遺産……全て喰らい尽くしてくれる)



[16198] 第二話 『帝王との会談』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/07 20:02
 サウスタウンへ向かう道は幾つかある。
 海、空、陸、全てといっていいだろう。列車もあれば港もある。巨大な道路もあるし、何と空港までもある。
 その中で、地下鉄ではなく、古き良き大陸鉄道の趣を残す列車の荷台に、一人の男が眠っていた。
 くすんだ金髪に、茶色い革のジャケット。一見ホームレスかのようにみえる薄汚れた姿だが、しかしこの男は全米格闘技チャンプであるケン・マスターズにも劣らぬほどの有名人である。
 事によれば、サウスタウンにおいて合衆国大統領よりも有名人かもしれない。
 サウスタウン・ヒーロー。テリー・ボガードである。
 普段テリーは根無し草のごとく、全米をふらふらと放浪している。
 時折連絡があって講演やら映画出演やらをこなしているために生活費に問題はないが、定住している場所がないため、連絡先にされている場所にとっては困り物ではあった。
 しかしそのテリーが一週間前にサウスタウンを出た後、まるでとんぼ返りするかのように舞い戻ってきたと言うことは珍しい。
 テリーをサウスタウンへと舞い戻らせた理由はただ一つである。

(……ナイトメア・ギース、か)

 つい三日ほど前、サウスタウンの高級ホテルで、かの高名なケン・マスターズが何者かに襲撃され、重傷を負う事件が発生した。
 ケンとホテル、両者が事件を公にしたくなかったために新聞などには嗅ぎつけられなかったが、それでも格闘家の世界では話が駆け巡る。
 テリーの連絡先にもその事が伝わってきた。その事件が格闘家の間で何と呼ばれているかも、だ。
 ナイトメア・ギース。ギース・ハワードの亡霊が蘇り、サウスタウンを再び支配しようとしているというものだった。
 すぐさまテリーは予定だったニューヨーク見物を切り上げ、サウスタウン行きの列車に乗り込んだという訳だった。

「おい、テリー」

 そんな荷台にかけられる声があった。男性だが、まだまだ高めの、爽やかな声である。
 かけた声は返答がないのを不思議に思ったのか、二度三度と声をかける。

「聞こえてるよ、ロック。言いたいことはわかってるさ。なんで楽しみにしていたネイサンズのホットドッグを諦めたのか、だろう?」
「……あってるけどちげぇよ。なんでわざわざニューヨークから引き返すんだ?」
「どうせいくなら独立記念日にいって早食い選手権でも見物にしようかと思ってな。
 ……怒るなよ、冗談だ」

 声をかけてきたのは、赤と白で彩られたジャケットを着込んだ青年である。
 どちらかといえば中性的な顔立ちをしており、ダンスパーティーにでも放りこめばさぞや声がかかるだろうと予想される優男だ。
 だが、彼の素性を知る人間はそのような甘い想像をしたりはしない。
 彼の名はロック・ハワード。かのギース・ハワードの忘れ形見にして、義父にテリー・ボガードを持つ青年である。

(……お前の親父を殺したのは俺だ。だが、今再びギースがサウスタウンに蘇った……そんな事、お前には言えないよな)

 テリーが心中で呟く。
 かつてテリーは義父を殺された復讐に燃え、ギースに戦いを挑んだ。
 二度に渡る戦いの後、ギースは敗れ、自らの身をギースタワーより地上へと投げ出した。
 テリーの差し出した手すらも振り払って。
 因果か、己の手で己と同じ境遇に陥らせる結果となってしまったロックを拾い、ここ十年ほどテリーは全米を放浪し続けていた。
 自らの技をロックに教え込む内、ロックが何時の間にやら烈風拳やレイジングストームといった実父の技を扱っているのに気がついた。
 狼の血は死に絶えてはいない。それをテリーがどう思ったかは定かではないが、テリーはその技を封印しろと言った事は一切ない。
 むしろ、穏やかな目でそれを見守ってきたほどだった。
 だがそれでも、自分が殺した本当の父親が、亡霊となって現れたなどは言えるはずがない。
 それはテリーに十年の間に芽生えた父性というものから来ていた。

「アンディが、さ」
「アンディおじさんが?」
「弟子を取ったんだとよ。不知火流の」

 アンディとはテリーの弟である。ただし、血は繋がってはいない。
 現在は日本に残る忍術、不知火流のくノ一と一緒に日本に在住している。

「自分の骨法も忍術も教え込んだ自慢の弟子だそうだ。
 それが突如、サウスタウンに行ってくると書置きを残して家出……保護してくれ、ってさ」

 これは事実であった。
 パオパオカフェというテリーの連絡先にしているカフェから一週間ほど前に連絡があったのだ。
 だがその時点でテリーは保護になど向かう気がなかった。
 自分もかつて幼少の頃に復讐のための力をつけようと放浪したものだ。
 男ならば旅の一つや二つしなくてはならない。
 そう考えていたので、無視をするつもりだったのだが、事ココに至ってはその言い訳としては最適なように思えた。

「へぇー……でもだったら俺に言えばよかったのに。黙ってるなんてひどいぜ、テリー」
「身内の恥だから黙っておきたかったんだよ、勘弁してくれ」

 苦笑いを浮かべながらテリーが起き上がる。
 三十半ば、既にピークを過ぎている筈の肉体は、しかし尚荒々しい力強さを放っている。

(…………タン師父の話じゃ、既にギースの噂は駆け巡っている。
 なんでも、あの極限流まで動いたって話だ。こりゃ……サウスタウンがキナ臭くなるな)







 東丈という男がいる。漢字で書くとわからずとも、ジョー・東、ハリケーンアッパーのジョーといえば、今でも熱く語ってくれる人種は多いだろう。
 日本人でありながら単身タイに渡り、あっという間に連戦連勝の伝説を築き上げ、初のムエタイチャンプにまで成り上がった男である。
 今現在は妻を娶り、タイで後進の育成に務めているが、そんなジョーが珍しく長電話をしていた。
 正装することをあまりこのまず、さっぱりした性格のジョーは電話も基本的に短い。
 恋人時代であった妻にはなんだかんだと長く話していたのだが、それでも友人と話すときはえらく短い電話に驚いたと妻に語られている。

「……ああ、アンディ。気をつけろよ、タイが騒がしい」
『君もか。先日山田先生からも電話があったよ。柔道界の上のほうでざわついてるってさ』
「鬼の山田が?」
『ああ、なんでもアメリカ遠征に出かける予定だった金メダリストに、アメリカ側からサウスタウンにだけは近づくなとお達しがあったみたいだ』
「……そうか。こっちはな、帝王が動いたよ」

 ジョーの声音が少し厳しくなる。

『帝王? それって、もしかして君が唯一勝ち星をあげれなかったっていう?』
「俺と帝王の全盛期は被ってなかったからな。順々に帝王の座はヌアカン、サガット、空白期間をおいて俺だ。
 とはいえ、俺がムエタイチャンプとして君臨してた時も、帝王の仇名だけは絶対につけられなかった。
 それだけサガットの影響力は絶大だったんだ」

 かつてジョーが全盛期の折、サガットに勝負を挑んだことがあるのだという。
 最初にテリーがギースを倒した直後だというから、スクリューアッパーを会得した絶頂期だろう。
 だがハリケーンアッパーもスクリューアッパーも通用せず、挙句の果てには黄金のカカトですら難なくさばかれてしまったらしい。
 しかしムエタイチャンプの意地か、己の持つ全ての技量を叩きつけて来たとジョーは語った。

「二メートルを超える巨人だ。そいつが全力でアッパーカットをしてみろ。
 ヘビー級チャンプのストレートを顔面に受けてもこらえた俺だが、一瞬で意識が銀河の彼方まですっ飛んでった」
『…………ジョー。じゃあ僕も言うか言うまいか迷っていた話をするよ』
「んぁ? なんだよ、今更水くせぇな。なんだなんだ、舞ちゃんと喧嘩でもしたってか?
 いい加減お前も子供でも作れよな、良い年なんだからよ」
『クラウザーが、動いた』

 ジョーの表情から、一切の全てが消え去っていた。




 同時刻、ヨーロッパで一つの喜劇が起こっていた。
 ドイツにあるシュトロハイム城という場所に、イギリス王家からサーの称号を賜ったボクサーが招かれたのだ。
 男の名はダッドリー。そして招待した男の名はヴォルフガング・クラウザー・フォン・シュトロハイム。
 その名はダッドリーも聞き及んでいた。ヨーロッパの裏社会を牛耳るシュトロハイム家の当主である。
 当然、イギリスにおける紳士社交界にもクラウザーは度々顔を出すし、サーの称号を賜るダッドリーも幾度か顔をあわせたことがある。
 だがそのたびにダッドリーは

(二度と会いたくない)

 そう感じてしまうのだ。

「どうした、Mr.ダッドリー。食が進んでいないようだが……」
「失礼。クラシックの荘厳さに聞き惚れていた模様で」

 言いながらダッドリーはボクシンググローブをつけたまま、器用にナイフとフォークを使っていた。
 当然彼の装いは紳士的ではない。ともすれば、ファッションに厳しいイギリス社交界では出入り禁止を申し付けられかねない程だ。
 だが彼はそのたびに丁寧に説明している。

「私は恐れ多くも女王陛下よりサーの称号を賜りしボクサーだ。その騎士が、自らの武器であるグローブを常に身につけずして如何に騎士を名乗れようか」

 まさにパーフェクトボクサーと名乗るほどのことはある。これには女王陛下も痛快に思ったのか、特別にパーティーでグローブをつけたままの参上を許した。
 英国格闘技界の至宝といっても間違いではないのだ。
 かつて英米の親善試合として、全米キックボクシングのチャンプ、フランコ・バッシュと対戦した時も華麗な戦いを見せ、紳士的に勝利を収めた。

「ふふ……女王陛下もずいぶんと君を大事にしているようだ。
 私が君を招待したと知られた瞬間、MI6が飛んできたよ」
「それはそれは、何かの手違いでしょう。クイーンが取られては勝負はお終いですが、ナイトが取られても投了はしない」

 クラウザーが微笑をたたえながら、しかし眼光鋭くダッドリーに話しかけると、一見涼やかにダッドリーは切り返した。
 だがその背中は冷や汗が伝っている。
 クラウザーとダッドリーは長テーブルを挟んで五メートルほど離れている。
 本来はもっと豪華なテーブルなのだが、今回は会話を楽しむということで短めのテーブルを用意されたらしい。
 ここから椅子を蹴って立ち上がり、自分の右ストレートをクラウザーの顔面に叩き込むまでに何秒かかるか。
 そしてその秒をコンマ単位でどれだけ削れるか。ダッドリーはこのテーブルについた時からその事ばかりを考えていた。
 しかしそれでも一糸乱れぬテーブルマナーは流石のパーフェクトボクサーといえるだろう。

「そう固くならないでくれ。私は確かに芸術的な戦いを好むが、それでも野蛮で好戦的という訳ではない。
 今日は純粋に英国紳士との語らいを楽しみたいだけなのだよ」

 さも愉快そうにクラウザーが笑う。
 カチャリと仔牛のステーキを口に運び、優雅に口元を拭いて傍らに控える執事にワインを注ぐように命じる。

「最近シュトロハイム家の領地に不遜にも土足で踏み入る愚か者が多くてね。
 そういった品のない戦いばかりをしていると、君のような紳士と語らいたくもなるのだ」
「……ほう」

 シュトロハイム家の領地――つまりは裏社会の権益ということだ。
 シュトロハイム家の何が怖いかといえば、その圧倒的なまでの実力主義にある。
 元々ヨーロッパでは血族というものが重視され、家柄というものが日本人の考える以上に重要な代物であるのだが、シュトロハイム家は家柄に加え、世界最高峰の格闘術、財力、そして武力まで持ち合わせている。
 その領域に足を踏み入れなければ君臨する帝王のごとく不動であるが、一歩足を踏み入れれば、翌日にはその組織が瓦解していたなどということは珍しくもない。
 だがそのシュトロハイム家に楯突き、未だ生きながらえる組織があるという。
 裏社会にはあまり関わりたくないと思っているダッドリーも、それは興味深い話だった。

「シャドルーという組織と、天帝と名乗る男なのだがね。理想社会実現の為に世界征服を成し遂げるなどという、馬鹿げた誇大妄想を掲げている」
「……シャドルーは存じあげないが、天帝ギル。聞いた覚えがありますな。父のジャガーを持つ男だ」
「ふむ。パーフェクトボクサーの唯一取り戻していないものか。
 …………シャドルーといい、その組織といい、我がシュトロハイム家の威光を再び示さねばならぬとは、世界は手狭になったものだな」
「それは同感です。表社会と裏社会が混ざり合うのは勘弁願いたいものですな」

 ダッドリーがピシャリと、今後呼びつけるのはやめてくれとクラウザーに伝える。
 普段、クラウザーがこのような物言いをされれば、すぐさま相手は壁のオブジェへと変貌してしまうだろう。
 だがクラウザーは敢えてソレをしない。
 ダッドリーが自分に対して如何にパンチを叩き込むかを考えているか、などとクラウザーにはお見通しである。
 如何に頭の中だけで考えていようと、ボクシングで生きてきた男の体は、その想像に的確に筋肉の反応として示していた。
 そしてクラウザーにはその動きを全て封じ込め、相手をたたきのめすことも容易ではあったのだ。

「女王陛下の御尊顔をこれ以上悲しみに曇らせたくはない。私も紳士だ……これからは私がパーティーに参上することにしよう」

 ダッドリーは一瞬だけ苦悶の表情を浮かべた。勘弁してくれ。
 この後、確かにダッドリーが裏社会に関わることはなかった。
 だが、天帝ギルとの因縁は、この時を境に更に強まったのも、間違いはなかったのである。



[16198] 第三話 『幻の格闘家』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/07 20:01
 伝説の男、というのが幾人かいる。
 例えば大山倍達などは日本における伝説的空手家といっても過言ではないだろう。
 だが表に出ない、それこそ路上格闘のような世界では話が違ってくる。
 ムエタイの帝王サガットや、柔道界のみならず、裏の世界においても名の通った山田十平衛等、様々な男たちがいる。
 だが、伝説でも最強でもなく、幻の格闘家、と名づけられる男となると該当者は少ない。
 孤高の求道者としても例えられるその男の名は、リュウ。
 かつて全世界を席巻する勢いであったシャドルー総帥、ベガを若き頃に打ち倒した格闘家である。
 ケン・マスターズと同じ流派を使い、気の扱いにおいてはケンをも上回る実力者の彼は、常に全世界を放浪して修行に励んでいる。
 その為、連絡も取りづらく、リュウを探そうとすれば全世界を同じように訪ね回るはめになることも珍しくはなかった。
 しかし、その幻の格闘家が次に現れる場所を推測することは容易であった。

「……サウスタウン、か」

 ギースの亡霊。その言葉はリュウを動かすのに必要なだけの魅力を持ち合わせていた。
 また、ケンが敗れたというのには意外性を感じた。

「一体何があったというんだ?」

 ケン・マスターズという男は決して弱者ではない。
 読みが一つでも外れてしまえば、自分でも一撃で昏倒させられてしまう上に、あの蹴りの連撃を食らっては立ち上がることすらままならないだろう。
 また、自分がかつて殺意の波動に飲み込まれたというのに、ケンという男は殺意の波動を真正面から跳ね除けている。
 ――リュウは、ケンを非常に高く評価していた。
 しかし、その一点で最近のケンは少しおかしなところがある、とも感じてはいたのだ。
 この数カ月、ケンは有名な大会に参加していない。
 全米格闘技チャンプという称号も、実は一昨年のものであり、前年は参加すらしていないのだ。
 今年の夏に開かれる選手権も、未だノミネートを表明していない。
 まるで格闘技から身をひくような振る舞いに、リュウは寂しさというものを感じていた。
 無論、時折テレビや写真でみるケンの肉体は衰えてはいない。スーツの端から垣間見える肉体は修行時代となんら変わってはいなかった。
 だが、自身の事業の一つでもあるマスターズ通信空手に自身の写真をここのところ載せてはいない。
 これがどういうことなのか、リュウには掴み切れていなかった。

(ケンが負けたという相手。それと相対すれば何かわかるかもしれない)

 現在リュウはワシントンD・Cに滞在していた。
 合衆国首都ではあるが、賑わいはどちらかといえばニューヨークの方が大きい。
 ここからサウスタウンに向かうにはフロリダに向かう必要があるのだが、リュウの手持ちは現在二十五ドルで、食事には困らないだろうが交通費と滞在費を考えると明らかに少なすぎると言わざるを得ない。
 一応は嗜みとしてある程度の英語も話せるリュウではあるが、それでも香港や日本でアルバイトをするのとは違い、英語が日常的に話せないとアルバイトを探すのは辛いだろう。
 こうなればリュウが取るべき道は一つしかなく

「ふん!」

 正拳突きが男の胸元へと突き刺さる。
 たっぷりと腰を使った一撃は重く、男は苦悶の表情と、多少の涎を口から垂らし、崩れ落ちた。
 周りから歓声が上がる。
 ――ストリートファイト。リュウは基本的にこれで日銭を稼いでいた。
 といっても、ストリートファイトの種が毎日転がっている訳でもないため、アルバイトなどもおりまぜながらではあるが、一回の稼ぎと考えると、ストリートファイトは身入りが多かった。
 無論、時折出会う強者との戦いは何よりもリュウの心を踊らせたし、その中で新たな動き方を見つける事もあった。

「ヒュぅ、これで三人抜きか! やるな、ジャパニーズ!」
「ありがとう。さぁ、次は誰だ!」

 その言葉に、一人の男が名乗りを上げた。

「では俺が相手をしようじゃないか」
「……ザンギエフ!?」

 そこに居たのは赤いマントに身を包んだ大男であった。
 モヒカン頭にもっさりとした髭。
 明らかにヒール(悪役)レスラーの風体をしながらも、ロシアの英雄として名高いヒーローレスラー、ザンギエフである。
 豪快な投げ技を用い、危険極まりないとされる空中からのスクリューパイルドライバーを得意技としながらも、これまで相手を死に至らしめたことはないというベテランでもあった。
 リュウとも何度か相対し、時折連絡を取る仲でもある。
 だが、ロシアの英雄がワシントンに来ているのは珍しい。

「どうしたんだ、一体。モスクワで熊と格闘しているのかと思ったが」
「冗談を言うな。実は国際親善試合の為に来ていてな。だが肝心要の舞台でちょっとばかりトラブルがあったようで、足止めを食っているのだ」

 ザンギエフが笑いながらリュウに説明をする。
 なんでもアメリカの人気レスラーとの対戦のために渡米したのだが、日程二日前になっても現地入りの許可が出ないのだと言う。
 事前の調整などを行いたいし、リングの確認もしたいザンギエフとしては、せめて三日前には入りたかったのだと愚痴りだした。
 観客もロシアの英雄ザンギエフとのストリートファイトを楽しみにしていたのだが、どうやらその人気レスラーとの戦いは知っていたようで、思わぬ裏舞台にザンギエフの話の方に興味が移ったようだ。

「だがリュウ! お前に出会えたならば調整役には十分だ。どれ、ちょっとばかりスパーリングに付き合ってみないか」
「……それもいいんだが、俺は今少し金がいるんだ。サウスタウンと言う街にいかねばならない」

 リュウにしてみればザンギエフの申し出は願ってもないところである。
 だがギースの亡霊という言葉に突き動かされた今は、ザンギエフのスパーリングよりも少し優先順位が上だったのだ。
 しかしその言葉にザンギエフは意外そうに笑って

「なんだなんだ、お前もサウスタウンに用事があるのか! よし、よし。なら俺が連れていってやろうじゃないか。
 親善試合の舞台がサウスタウンなのでな!」

 言ってザンギエフがマントを脱ぎ捨てた。レスリングルックではないが、それでも短パンにタンクトップという、ランニング姿である。
 常在戦場を意識するかのような格好と、ザンギエフの申し出に、リュウが折れた。
 むしろ、押さえつけていた欲望を解放出来ると言った方が正しいかも知れない。

「……よし、本気で行くぞ!」

 リュウが構えを取る。ケンと同じ、両腕をみぞおち付近に持っていく構えである。
 上段にあげれば顔面を、下げれば腹部を、踏み込めば肘打ちも、正拳突きも出来る構えであった。
 半身をずらした構えであるために、これが例え刀などで刺突を行おうともずらされるという攻防一体の構えであった。
 ザンギエフは両腕を大きく広げてポーズを取る。
 すぐさまつかみかかるぞと言う威圧なのだが、リュウにはこれが怖かった。
 何せここは路上である。リングのようなクッションなどなく、まともに投げ技を食らってしまえば通常よりも酷いダメージを受けることだろう。

「波動拳!」

 ならばと波動を用い、飛び道具で攻めこむことにする。
 本来ならばリュウはストリートファイトで波動拳などを使うことは滅多にない。
 というのも、相手は通常の格闘技を用いるのだし、波動の力というのは下手をすれば死に至らしめてしまうものであるからだった。
 だがザンギエフ相手ならばそれは問題ない。相手は鋼の肉体をもつ、リュウの知る限り最強のプロレスラーなのだ。

「ぬぅん!」

 予想通り、ザンギエフは波動拳を物ともせずに両腕でガードする。
 多少のしびれはある筈だが、恐らくは拳一撃ほどにも効いてはいまい。
 だがリュウの目的は牽制である。波動拳を放った直後駆け出し、しゃがみこんで足払いを狙う。

「甘いぞ、リュウ!」

 ザンギエフは一喝すると、両腕をグルリと回してダブルラリアットの体勢に入った。
 下手な素人が行えば肘の筋を痛めるだけのダブルラリアットだが、ザンギエフのそれはまさにレッドサイクロンの異名に相応しい威力で、リュウが体勢を崩そうと近づくのをいとも容易く牽制してしまった。
 迂闊に近づけばラリアットの餌食だと判断したリュウは、どう近づくべきかを考えあぐねていた。
 かつてザンギエフと戦ったとき、ザンギエフは単なる『波動に耐えうる肉体の持ち主』でしかなかった。
 だが戦いの中で波動や気といった、概念的なエネルギーをかき消す技術を身につけたのだ。
 よって波動拳は一撃必殺ではなくなり、単なる牽制技として成り下がってしまった。
 無論、圧縮した波動拳をかき消すほどの技術ではないが、それでも即座に放てる波動拳が効かなくなったというのは大きい。

「おぉぉぉ!」

 リュウが少し思案していると、ザンギエフが両手を大きく広げ、こちらへと勢い良く駆け出してきた。
 一瞬の判断、リュウはこのまま立ち尽くす訳にはいかないと、肘打ちを繰り出すことにした。
 構えから足を踏み出し、肘を叩き込む。
 拳に手のひらを重ね、まるで骨法の如き打撃へと変動させる。
 見事みぞおちへと突き刺さった肘は、しかし鋼鉄の肉体を自負するザンギエフを止めるまでには至らなかった。
 がっしりとリュウの肉体がホールドされ、ザンギエフがその肉体からは考えられないほど俊敏に裏へと周り、体勢を作り上げる。

「ウ――ラァァ!」

 ルー・テーズばりのヘソ投式バックドロップ。見事なまでのブリッジによって決められるフィニッシュ・ホールドの一つである。
 しかしザンギエフはここで体を少し捻り、相手の延髄を直接地面に叩きつけるのではなく、肩を叩きつける方式へと変更した。
 このときザンギエフが思ったのは、単純にこのまま地面に叩きつければリュウが死にかねないと判断したからである。
 何せ下はコンクリートであり、本来のバックドロップでも死亡例があるほど、受身を知らぬプロレス技は恐ろしい。
 だが、ここにリュウは活路を見出した。
 ケンがギースに繰り出したように、波動は肉体を強化し、竜巻旋風脚のような、ある種力学的な学問に敵対するような行動も取れるようになる。
 溜めを作らず、即時に投げつける恐ろしいほどに綺麗なバックドロップではあったが、リュウはこの一瞬で波動を練り上げ、両手を構える。

「真空波動拳!」

 そして、自分の体が打ち付けられる刹那の寸前、地面に向けて真空波動拳を叩き込んだのである。
 リュウの両手から打ち出された真空波動拳はすぐさま地面へと叩きつけられ、反動でリュウの体が少し浮き上がり、バックドロップの完成を阻害する。
 同時にえぐられた地面から噴き出るコンクリートの塊が、丁度ザンギエフの顔面を襲う形となった。

「ウラァ!」

 リュウがその間に体を捻り、なんとかホールドから抜け出す。
 だが無理な体勢で練り上げ、放った真空波動拳はリュウの体内を駆け巡り、少なくないダメージを与えていた。
 同時に立ち上がったザンギエフも、こめかみが切れたのか、肉体的なダメージこそないものの、見た目には血を流すという結果に終わっている。

「ムフゥ。中々やるな、リュウ。あそこで波動拳とはな……やはり波動拳は嫌いだ!」
「お褒めに預かり光栄だ、もしあの時体を捻らず、延髄だけを狙っていたら真空波動拳は間に合わなかったよ」

 実際にそれは紙一重の攻防だった。
 リュウは改めてザンギエフの偉大さを認識する。
 通常の格闘家なら、あの肘打ちで一瞬でも打撃を躊躇い、リュウが反撃を行っていただろう。
 だが鍛え上げられた肉体はみぞおちへの肘打ちという致命的な打撃を喰らいながらも、投げ技へと繋げる偉業を成し遂げたのである。
 リュウは自らの血が高ぶってくるのを感じた。

「ふふふ、言うな。レスラーは何時いかなる時も最強でなければならぬが、相手を死に至らしめるのは本意ではない」

 ザンギエフがにやりと笑う。

「やはりこれをスパーリングと言い切ったのは失敗だったな……迎えが来てしまった」

 どやどやと音がする。
 見れば、ザンギエフと同じような肉体の持ち主たちが数人、こちらに向かってやってくるではないか。
 中には金髪の美しい女性の姿も見えるが、ザンギエフの仲間であることには違いない。

「抜け出したのがばれてしまった。どうだ、リュウ。続きはサウスタウンでというのは」
「悪くない誘いだ。好意に甘えさせてもらうよ。
 …………ところで、親善試合の相手というのは誰なんだい?」
「おぉ、それだ。実は親善試合といいつつもロシア側からは俺一人でな。それにメインイベントの前に、かつての名レスラーの引退試合がある。
 ビッグ・ベアという名レスラーだ……」



[16198] 第四話 『集う因縁』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/08 21:08
 かつてサウスタウンで悪辣を誇った人間をあげろといわれれば、ギース・ハワード以外に誰が思い浮かぶだろうか。
 年寄りならばMr.BIGと名を上げるだろうし、中年ならば山崎竜二だと言うだろう。
 もしかしたら裏社会に通じていれば、チン・シンザンなどという名前を出してくるかもしれない。
 陸海空、交通における全ての要素が詰まった繁栄の都、サウスタウン。
 しかしその実、中身といえば、華僑にマフィア、犯罪組織などが常に縄張り争いを繰り広げる悪徳の街だったのである。
 そしてサウスタウンといえば代名詞ともいうべき存在がある。
 『The King of Fighters』である。
 その歴史は古く、二十年近く前から開催されていた。
 だがギース・ハワード死亡後から大会が開催されることはなく、伝説的な語種としてのみその姿を表していたのだ。
 このようにサウスタウンでは常に格闘大会の裏に黒いものがひしめき、メジャーなスポーツというものはあまり根づいてはいなかった。
 しかし、数年ぶりにサウスタウンで大きな格闘技の興行があり、それが全米を揺るがすヒーローとロシアの英雄の親善試合、そして往年の名レスラーの引退試合ともなれば盛り上がるのは当然の事であったし、その裏に一つ噛もうとする男たちが出るのも当然の事であった。

「よぉ……久しぶりじゃねぇか」

 豪華な毛皮のコートに身を包んだ大男が、路地裏の暗闇からはい出てくる。
 彫りの深い顔に、刻まれた皺。大柄な体に、何よりも威圧的な雰囲気を漂わせる男であった。
 男の名は山崎竜二。かつては闇のブローカーとして香港に根を張っていた男である。
 だがサウスタウンに進出した事で事情は一変する。
 秦の秘伝書をめぐるトラブルに巻き込まれ、アメリカ大陸におけるコネクションを、当時は健在であったギースに尽くたたきつぶされたのである。
 更には当時は華僑の代表として名を馳せていたチン・シンザンによって華僑利権に随分と食い込まれ、サウスタウンに関わる前のシノギから考えればずいぶんと目減りをする羽目になってしまった。
 だがそれでも十年、組織らしい組織を作らず、己の手腕のみで再度這い上がり、香港における裏社会の顔役とまで成り上がっていたのである。
 そんな山崎が、再びサウスタウンに顔を出した。
 サウスタウンの港町、ポートタウン。
 軍港としても利用されるそこで、山崎は一人の男と酒を酌み交わしていた。
 ジョン・クローリー。かつては米海軍に属していた男である。
 退役軍人ではなく、軍を懲戒免職された男であるが、元々軍人受けは悪くなく、今はこのポートタウンで軍人相手の酒場のマスターをやっている。

「……山崎か、久しいが、貴様とは旧交を温めるような間柄ではないな」
「つれねぇ事を言うなよ。お互いギースにボコボコにされた仲じゃねぇか。き、っひひひ」

 山崎が品無く笑う。
 その姿にジョンは少しばかり不愉快さを感じたようで、少しばかり乱暴にスコッチを注いでカウンターに置く。

「そいつを飲んだらさっさと出て行くんだな。そろそろ軍艦が到着する。そうなると俺は忙しくなる」
「だったらこいつをチビチビとやって、居座ってやろうか?
 ……なあ、ジョンさんよ。まだ軍とは繋がってんだろう? ……どうだい、弾むぜ」

 次の瞬間、山崎に浴びせられたのは言葉による返答などではなく、鉄拳による顔面への一撃であった。

「黙れ。あれはジェームズへの恩義からやった事だ。貴様ごときドブネズミに何の恩義があるものか」

 そう啖呵を切ったジョンだったが、しかしゾクリと背筋が寒くなるのを感じた。
 山崎が顔面への一撃を食らわせた拳を握っているのである。
 手首を握られ、ジョンはそれを振りほどこうとするが、恐ろしい膂力でつかまれたそれは、ぴくりとも動かすことも出来ない。

「お、ぁ、ああ!」
「たく、よぉ……人が紳士的に対応してやってんのに、その態度はねぇよな……大人しく聞いてろや、なぁ?
 てめぇの自慢の酒が二度と飲めなくなる前によォ!」

 ゴキリ。ジョンの手首から嫌な音が鳴った。
 絶叫をあげないのは流石は元軍人といったところか。だが、現役を退き、バーのマスターに収まっていた男と、常に修羅場をくぐり抜けてきた男とでは、同年代でも全てが違っていた。
 これが十年前ならばジョンは山崎に負けなかっただろう。いや、それどころか、全盛期ならば軽くひねっていたかもしれない。
 だが、既にトレーニングは体型維持のための物になり、マーシャルアーツのトレーニングを減らしてからは既に数年にもなる。
 治安が悪いポートタウン故に、ある程度の心得は持ち合わせていたつもりだが、単なるチンピラと山崎とでは格が違っていた。
 ジョンが奥歯を食い縛り、なんとか腕を振りほどこうと努力するが、ジョンの手をつかむ山崎の右手は食らいついた蛇のように獲物を逃さない。

「ぐ……例え、殺されようと、俺の気に入らないことは、しないね!」
「そうかい……じゃあ遠慮なく死ねやァァァァァ!」

 山崎の、常にポケットに突っ込まれた左手が抜き放たれ、ジョンの人生が終焉を迎えようとしたとき、声が響いた。

「Sonic Boom!」

 動物的勘というべきか、山崎はジョンの右手を離し、即座にカウンターから転がるようにしてその衝撃波を避ける。
 果たして山崎が避けたカウンターにはまるでチェーンソーで切り裂いたかのような鋭利な傷跡が残り、木片が散らばった。

「無事か、ジョン!」
「ぐ……ガイルか、無様なところを見せたな」
「気にするな。所属は違えど、かつては同じ空を飛んだ仲間だ」

 山崎に衝撃波をぶつけた男がジョンに声をかける。迷彩のパンツに編み上げブーツ。深緑のタンクトップを着込んだたくましい男性である。
 まるで箒を逆さにしたような特徴的な髪型のこの男はガイル。米空軍現役の少佐である。

「それにしてもなんだ、この男は。ポートタウンも随分と物騒になったな」
「フロリダの休暇はお預けだ。店に入り込んだドブネズミをともかくも掃除しなくちゃならん」

 ジョンがうめきながら、関節を痛められた手首を押さえる。
 既に赤黒く腫れ始め、もしかしたら骨を折られたのかもしれないとガイルは判断した。

「は……現役の軍人かよ。こいつぁちぃとばかし分が悪ぃかな……?」

 山崎がにやりと笑う。言葉とは裏腹に、随分と余裕を含んだ、見下した笑みであった。
 ガイルはその笑みをみて、この男は油断ならないと判断する。
 これは空軍だけではなく、特殊作戦として多々動いたガイルの実戦経験から来る判断だった。
 両腕を顎の当たりまであげ、膝を少し曲げ、前傾気味になる独特の構え。
 どちらかといえば突撃して相手を組み伏せるのに向いたファイティングポーズをガイルが取った。
 だが、山崎は相変わらず左手を抜こうともせず、だらりと右腕を伸ばしたままの姿勢で立ち尽くしている。
 奇妙だ、とガイルは思った。
 あの体勢からまともなパンチを放てる訳がない。
 ましてやまともな武術を用いた蹴りも望むべくもないだろう。
 だとすればやはり力自慢のチンピラか、ガイルはそう思った。
 しかし、積み重ねた経験が、その判断は危険だと警鐘を鳴らす。

「ジョン、今日の開店は諦めてくれないか」

 ガイルが重く呟く。
 体勢を更に低く、低く。まるでしゃがむかのようにガイルが重心を下に持っていく。
 待つ、と言う事。
 米軍の恐ろしさは何よりも、何時如何なる場所でも、自らの独壇場に変えてしまうと言うことにある。
 それは物量であり、兵站であり、何よりも心構えでもある。
 ガイルはそんな、米軍の恐ろしさを体現する戦法を得意としていた。

「Sonic Boom!」

 両腕を左右から前方へクロスするように振り抜く。
 波動とは違う、一種の気功が、米軍のマーシャルアーツと合わさって衝撃波を生み出す。
 山崎はしかし、それをだらりと下げた右腕でガードし、次いで前方へ駆け出そうとして――驚いた。

「Sonic Boom!!」

 衝撃波を放ち終えた後、体勢をそのままにガイルは再度腕を交差させたのである。
 波動拳よりも早く、体勢における残心や溜めすらもなく。
 腕にかかる負担、腰にかかる負担。それらは恐らく膨大なものだろうというのに、このガイルという男は難なくソレを連発してくるのだ。
 山崎が目を剥いて必死にガードをするが、何発も何発も衝撃波を受けていては、段々と腕にダメージが蓄積されていく。

「野郎……」

 自分の腕が段々と痺れてきている事に山崎が気付く。
 元より気功、波動といったものは、生体エネルギーとして持ち合わせぬ無機物には絶大な威力を発揮するが、それが人体となると途端に威力が下がる。
 内部に直接叩き込むのならばまだしも、波動拳やソニックブームといったように、放出して放つものはその分威力も下がるのだ。
 例えばバーカウンターが砕けるような威力の鉄球を、同じ威力で人体にぶつけたとしたら腕が痺れるといった話では済まないだろう。
 故に山崎も腕一本でガードを行い、ソニックブームを耐え切れているのだが、それにしたとて限界が来るのは近い。

「舐めんじゃねェぞコラァァ!」

 跳躍。ソニックブームを放つ瞬間を見計らい、山崎が一メートル以上ものジャンプを見せた。
 かのバスケットボールの神、マイケル・ジョーダンが垂直跳びで出した記録が122cmである。
 それから考えれば、素晴らしい足腰だと言わざるをえないだろう。
 だが、それを待ち構えていたかのようにガイルが上を見上げ、無表情のままに溜めていた足腰のバネを開放する。

「Somersault!」

 ガイルが全身を伸ばし、跳躍する。瞬間、突き出されたガイルの左足が山崎の腹部を蹴り飛ばす。
 強烈な一撃に、何かが吹き出そうになる山崎だったが、それだけでは終わらない。
 次の瞬間、強烈な気功を伴った右足の蹴り上げが山崎の顎を捉えたのである。
 ソニックブームのような衝撃波と共に吹き飛ばされる山崎。
 これこそがガイルの真骨頂であった。
 ソニックブームで相手を固め、堪らず飛び出したところを蹴り上げる。
 前に転がればサッカーボールのように蹴り飛ばし、横に避ければ回し蹴りを行う。
 そして体術、気功を学んだ者のように、自らの跳躍力に自信があるものはソニックブームを飛び越え、必殺技のサマーソルトキックが出迎えるという訳だ。
 本来はプロレス技であるサマーソルトキックだが、ガイルの扱うソレは十分な攻撃力を含み、限りなく実戦向けに磨かれた技術であった。

(決まった!)

 ジョンがバーカウンターからその攻防を見つめる。
 だが、そのジョンが驚くべきことが起こった。
 サマーソルトキックで蹴り飛ばされた山崎が、しかし地面に転がるや否や、恐ろしい勢いで前傾姿勢での突進をしてきたのである。
 ガイルも油断をしていた訳ではないが、あまりに山崎の挙動が速すぎた。
 ただでさえサマーソルトキックは空中で一回転するという、己の体勢を犠牲にする大技である。
 相手も吹き飛ぶ故に、決まれば弱点らしい弱点は出てこない一撃だが、その分、姿勢制御をおざなりにしていた。

「いっぺん――死んでこいやァァァァァ!」

 山崎が叫び、空中にいるときですらハンドポケットにしていた右手を抜き放つ。
 まるでドリルのようなコークスクリューがガイルの胸元を襲う。
 一種の気功だったのか、ジョンの目には明らかにドリルのような形状をした何かが、山崎の右手に纏われているのを見た。
 そして何よりも、その技を受けたガイルこそが一番理解していただろう。
 まるで抉り取られるような一撃はただの拳であるはずがない。
 タンクトップが破れ、胸元がまるで焼け付くようにして皮膚を捻られる。
 このまま食らい続ければ心臓まで破られるような威力。
 死ぬ――ガイルが歯を食い縛りながらそれを意識したとき、助け舟は外からやってきた。
 金属がぶつかり合うような音を立てて山崎が飛び退く。
 そこに落ちてきたのは黒塗りの棒二つがチェーンで繋がれたヌンチャクという武器であった。

「山崎ィィィ!」
「ガイル! 無事!?」

 バーの扉をこじ開け、二人の男女が押し入ってきた。
 女のほうは胸元を押さえるガイルの姿をみて驚き、男の方は鬼の形相で山崎を睨んでいる。

「ホンフゥ……てめぇ、まぁだ諦めてなかったのかよ」
「十年も追いかけて今更諦められるか! お前のお陰で世界中を駆け回る羽目になった。
 中国訛りも直るくらいにな!」
「ハ、ロートルがぁ……いい気になるなよ?」
「しぇからしか! 覚悟しぃね!」

 言いながら山崎が後ろに下がる。

「春麗、その軍人さんを頼む。油断するなよ、あの男は十年以上も香港警察の手を逃れ続けてるんだ」

 ホンフゥと呼ばれた男と、春麗と呼ばれた女が入り口を塞ぐようにして山崎と対峙する。
 だがそれを山崎はあざ笑い

「俺ァな、明日のプロレスの試合のプラチナチケットを取ってんだ。
 てめぇらの命より高ぇぜ? 何せグリフォンマスクとザンギエフの試合だ。……てめぇらの血でまずはチケットを赤くしてやろうかァ!?」

 山崎がコートの腰に隠していた銃を引き抜き、発泡する。
 刹那、二人とも転がってそれを避けるが、失策に気がついた。
 この二人、どちらも拳銃を撃てなかったのである
 ホンフゥは何よりも拳銃が苦手だということから、春麗に関しては山崎の後ろにジョンがいたからである。
 山崎はそれを計算し、後ろに後退ったのだ。

「てめェらは大人しくしてろや、ベッドで死にたきゃァよ!」

 言い、山崎は扉へ向かって駆け出した。

「山崎!」
「ホンフゥ、どいて!」

 扉から駆け出す山崎に向け、春麗が容赦なく拳銃を構え、発砲する。
 だが二、三発撃った後で山崎が車の影に隠れ、人影が見えた事で春麗とホンフゥは駆け出す。

「ガイル、話は後で!」
「必ず捕まえちゃるけぇのぉ!」

 後には、手首を押さえるジョンと、胸元を押さえるガイルだけが残された。

「ぐ……春麗、一体何故ここにいるんだ?
 …………まさか、シャドルーが動いてるのか?」
「……シャドルーだと? おいガイル、そいつは……」

 ハワードコネクション、そしてシャドルー。
 因縁を持つ相手が次々とサウスタウンへ集い始める。
 それは果たして単なる偶然なのか、それとも、秦の秘伝書が強者を呼び寄せる故なのか。
 そして、闇の中で慟哭する声があった。

「……まだだ、まだ、死なんぞ」

 蠢く影と声は、ゆったりと立ち上がり、咆哮する。

「強者よ! この街で牙を研げ! ……我が友の理想のために!」



[16198] 第五話 『蘇る狂犬』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/11 21:03
 その男はイギリスの田舎町に住んでいた。
 年の頃は三十半ば、ぱさついた金髪を短く刈り揃え、バンダナで纏めている。
 オーバーオールを着た姿は疲れたように見える。
 男は定職に就くということはなく、日がな一日日光浴をしては酒に浸る、そんな毎日だった。
 近隣からの評判も宜しく無く、妹と二人暮らしをしていた時は程々にあった近所付き合いも、妹が独り立ちしてからはぱったりと途絶えた。
 掃除洗濯といった家事は好きなのか、家の中こそ意外と小奇麗にされてはいるが、それでも染み付いたアルコールの臭いが汚い部屋だと認識させてしまう。
 その日も男は朝に洗濯を済ませ、昼から外で酒を瓶で飲んでいた。
 どろんとした目に、だらりとした腕。
 体は鍛えているのだろうが、それでも酒が内臓を蝕んでいるのか、顔色は宜しくない。
 座っている安物の椅子の足元には、既に二本の酒瓶があけられている。
 中に水滴がついていることから、飲み干して間がないことが見て取れた。
 この男の姿を見て、かつての姿を想像することなど誰が出来ようだろうか。
 十年前はそれこそサヴィル・ロウのスーツに身を包み、財界人達と丁々発止のやりとりを行い、従わぬ者達を武力でたたきのめしてきた。
 正しく肩で風を切る男だったのである。
 ビリー・カーン。男の名であった。
 かつてはギース・ハワードの右腕と言われ、サウスタウンでギースに次ぐ実力者であった。
 だが、今は見る影もない。

「ハッ、リリィも出ていっちまった。尊敬すべき人も逝っちまった。
 …………時代は移った。俺は、いる意味がねぇ」

 ビリーが手に持った酒瓶を口につける。だが違和感に気づき、口から瓶を離して覗き込むが、既に中身は残っていない。
 瓶を振るようにして最後の一滴を伸ばした舌の上に垂らして味わった後、不意にこみ上げてきた怒りに突き動かされ、手に持った酒瓶を木に叩きつけた。

「クソッタレがぁ!」

 ビリーは憤り、足元に置いてある自慢の棍を手に持ち、突き出す。
 鎖が内蔵され、三節棍となったそれは、酒瓶を叩きつけた木の中心に寸分違わず叩きつけられ、幹の太さが直径10cm程のそれを打ち砕き、倒れさせる。
 皺も増えた。油断すれば腹が摘めるようになる。昔のように暴れまわればすぐに息が切れるようになる。
 時間が無碍に過ぎる感覚は脳内を蕩けさせ、酒は容赦なく体を蝕んでいった。

「畜生がァ! サウスタウンは、サウスタウンはギース様の物だッ!
 テリーッ! テリー・ボガードォ! 畜生ッ、畜生、手前ェさえッ、手前ェさえ現れなけりゃァ!」

 ビリーが咆哮する。棍をやたらめったと振り回し、倒れ伏す木を引き起こし、空中でメッタ打ちにする。
 鎖を用い引き寄せたと思えば、三節棍は一直線に固められ、グルグルと手元で回され、器用にも上下に打ち据えられて行く。

「ヒャー、ハァッ!」

 ビリーが怒りに任せて棍を地面に打ち付けたときには、既に木は原型をとどめておらず、まるで繊維を取り出したかのようにぐずぐずになっていた。
 だがそれだけでビリーは膝をつき、息を荒らげている。
 決して肉体的に衰えた訳ではない。
 気力が、精神が持たないのだ。
 ギース・ハワードという拠り所を失ったビリーには妹しかいなかった。しかし、自分の為だけに妹の人生を狂わせるわけにはいかない。
 その為にサウスタウンでは泥をすするような生活をしながらも妹を飢えさせぬ様に働き、ギースに拾われてからはスクールにも行かせるように計らった。
 その妹が幸せを掴もうとして自分の元から出ていったのなら、どうしてそれを止められるというのだろうか。

「お、ぉぉ、ぁぁ……ギース様……リリィ……! 俺は……俺、は」

 ギースが突っ伏し、地面の砂を掴む。何かにしがみつかなければ今すぐ涙がこぼれ落ちそうだった。
 そんな中、ビリーの中では自分を冷静に見る心もある。
 十年という歳月と酒は、かつては狂犬と恐れられた自分をここまで弱らせるのか、と。
 飢えた狼の集うあの街で、牙を研いでいた筈の自分はどこへいったのだ、と。

「知るかよォ!」

 ビリーがもう一人の自分に怒り、棍で椅子を叩き壊した。
 その音に驚いたのか、郵便配達員がヒィ、と情けない声を出して尻餅をついているのを、ビリーは見つけた。

「……んだぁ?」
「びっ、び、ビリー・カーンさん、でしょうか! こ、小包が、届いております……!」

 それだけいって、郵便物を手渡すと、配達員はわたわたと宙をかくように逃げ出していった。
 ビリーはケッと悪態をついてそれを見送ると、肝心の小包を見てみることにした。
 差出人の名前はない。だが、住所には見覚えがあった。
 それはサウスタウンからの郵便物で、更には――

「――ギースタワーから、だと?」

 怪訝に思ったビリーが急いで小包の封を破ると、手紙とチケットが数枚、そして写真が二枚同梱されていた。
 チケットはイギリスからサウスタウンまでの交通経路の片道分だったが、その写真は彼を驚かせた。
 そこに写っているのは憎き相手であるテリー・ボガードだったのだ。
 特徴的なお下げはやめたのか、ばっさりと髪を切っているが、その顔つきは忘れられるものではない。
 見たことがない金髪の青年と一緒にいるが、ビリーはその顔を見た時、何か電流のようなものが走るのを感じた。
 手紙を急いで読み進めると、そこにはサウスタウンの現状と、写真の人物がギースの忘れ形見、ロック・ハワードであることが書かれている。
 そして、文末はこう締めくくられている。

『かつてギースの片腕として働いていた君こそが、ギースの遺産を受け継ぐのに相応しい。
 ギースの忘れ形見と手を取り、サウスタウンを餓狼の街へと戻さないか――』

 カイン・R・ハインライン。最後に差出人の名前が書かれていた。
 ビリーはその手紙をぐしゃりと握りつぶすと、そのまま顔に押し付けるようにして顔面を覆う。
 スゥ……と息を吸い込み、しばらく制止したかと思うと

「ひ……ヒャ、ハハハハハ、ハーッハッハッハッ! ヒヒヒ、ハハハ! ふざけた手紙だ!
 サウスタウンが今は平和の街だと、英雄の街だと!
 ふざけるな、ふざけるなよテリー・ボガードォ! ギース様の街は餓狼の街だ!
 セカンドサウスが自由の街だと! クソッタレが!
 シャドルーだと、シュトロハイムだと! ふざけるな、いくら年月がたとうとあの街はギース様の街だ!」

 ビリーは棍を地面に突き立てる。
 再度、手紙を握りつぶし、顔面を見せたビリーの人相は、先程までと一変していた。
 濁った目はギラギラと光り、酒に蝕まれていた筈の血色の悪い顔は、興奮したように赤く火照っている。

「……ロック、ボガード。てめぇがギース様の遺産を受け継ぐのには賛成だ。
 だが、義父があんな奴じゃギース様が浮かばれねぇ。いいぜ……乗ってやろうじゃねぇか。
 戻ってやるよ、サウスタウンに。殺してやるよ――英雄を。そして、解き放ってやる、餓狼達を!」

 ビリーが吼えた。
 ケン・マスターズがギースの亡霊に出会う前日の事であった――





 リュウとザンギエフがワシントンで合流した翌日、早朝からザンギエフ一行はサウスタウンに向かう飛行機の出発を待っていた。
 別段トラックで行ってもよかったのだが、サウスタウン側が足止めした詫びとして飛行機のチケットを手配したので、使わない理由はないということだった。
 少しばかりリュウの見かけが問題になりそうだったので、ザンギエフ一行のスタッフジャージを着せて事なきを得る。

「サウスタウンはすぐだ。映画も見られんな」
「元からあんまり好きじゃないさ」

 リュウは慣れない洋服姿でシートにもたれかかり、目をつぶって体を休める。
 無論、体を休める間も波動を練る修練は怠らない。
 ファイヤー波動拳、真空波動拳、そして、新たな戦いの中で会得した滅・波動拳。
 ――そも、リュウの扱う流派には、ある致命的な欠点が存在する。
 殺意の波動、と呼ばれる存在である。
 論語にある「……屏氣似不息者……」宮中での仕草の礼を書いたものに気功の原点を見るように、気の歴史とは古いものである。
 その中でリュウの使う流派は暗殺術という武力に気の力を用い、それがやがて波動と変わり、殺意の波動と成った。
 一度殺意の波動に目覚めれば肉体は限界まで活性化され、拳で滝を割ることも、大地を砕く事も出来るという。
 かつてリュウはその殺意の波動に飲み込まれ、帝王サガットを打ち倒した事がある。
 その傷はあまりに深く、未だサガットの胸板に痛々しく引きつって残っているほどだ。
 だが、リュウは殺意の波動を否定し、自らの内の力の一つとすることを覚えた。
 その成果の一つが、滅・波動拳なのである。

(だが……この技では、何れ飲み込まれる)

 殺意の波動を用いれば、その気の内実は変化する。
 リュウは殺意の波動を完全に操れるという訳ではなかったのだ。
 自らの怒りを燃やし、感情を昂らせ、それでようやく放てる代物。
 気を練ったからといって放てるものではなかったのだ。
 これでは真っ当に使い物になる訳がない。

「そうだ、リュウ」

 ザンギエフが話しかけてきたため、リュウは思考の渦から引き戻される。
 それでも波動は練れていたが、雑念が混じっていたためか、普段よりは練度が低い。
 ゆっくりと呼吸をして波動を肉体へ戻し、分散して発散させる。
 無理やり波動を散らすと、自らの肉体に負担がかかる。
 思い切りバットを振ったのに、強引に途中で止めるようなものだ。
 ゆっくりと止まれば反動はないが、強引に止めれば全身に負担がかかる。

「サウスタウンでな、金を稼ぐなら良い所を知ってるぞ」
「ん? 珍しいな、ザンギエフがそんな事をいうなんて」
「……まぁ、これでもストリートファイトに参加した身分だ。
 ロシアの栄光をしめすために、どのような場所がいいかの下調べ程度はしている」

 ザンギエフはあごひげを撫で、少し恥ずかしそうに答えた。
 大柄な肉体をしているが、意外と繊細なところもある。

「ハハハ、冗談だ。しかし、ザンギエフが良い所というからには、あまり非合法じゃなさそうだな」
「勿論闇試合なぞ以ての外だからな。そこはカフェなんだが、中に特設リングが誂えてあってエキシビジョンマッチを行える。
 ファイトマネーも出るから、挑戦してみたらどうだ?」
「なんだか明るい試合のようだな。金を稼ぐのは元々サウスタウンへ行く為だったから、出来れば目的地へ行きたいんだが……」

 ちち、とザンギエフが指を振る。
 早合点するなとでも言いたげだった。

「別にそこは素人が集まる店って訳じゃない。あの帝王サガットの後、短い空白期間があった王位を継いだムエタイチャンプ、ジョー・東もそこでファイトをしたらしい」
「……その話はサガットから聞いたな。なんでも、あの一番弟子だったアドンを追い抜いて王位についたとか。
 成程、そんな店なら単なる素人ばかりじゃなさそうだ」

 俄然リュウのやる気が湧いてくる。
 無論、リュウには他の思惑もあった。
 聞き及んだ情報ではケンがやられたというだけで、サウスタウンの何処でそれが起きたか、などとは一切知らなかったのだ。
 情報収集の意味もある、とリュウは踏んだのである。
 実際、ザンギエフもそれを必要としてリュウに情報を渡している。
 ケン・マスターズを倒した相手というのは気にかかったが、ザンギエフにはまず親善試合の方が大事なのだ。
 しかし、気にならないという訳ではない。そこでリュウに出会ったのならば渡りに船と、ケンに関することを任せた、というのが事実であった。

「今日でリングを確認して、調整を行い、明日の試合に備える。
 チケットを渡すから是非とも見に来てくれないか」
「勿論だ。そんな大事な試合ならば、何かと参考になることもあるだろう。今日はそのカフェによって、明日、是非とも見物させてもらうとするよ」

 ザンギエフとリュウが軽く笑いあい、雑談を続ける。
 サウスタウンにもうすぐつくというアナウンスが、機内に響いた。



[16198] 第六話 『パオパオカフェ』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/02/12 23:01
 パオパオカフェ。出来てからは十年以上立つ、サウスタウンに二店舗を持つ人気のカフェである。
 マスターであるリチャードの作るホットドッグが美味いというのもあるが、何よりもこの店の人気を維持しているのは、どちらの店舗にも備え付けられたエキシビジョンマッチ用のリングである。
 改装したのか、今はボクシングリングのような形になっているが、ひとたび試合が行われれば、客が詰めかけ、満員御礼となる。
 最近は人気スターが少ないためか、毎度のように盛り上がるという訳ではないが、このパオパオカフェのリングには幾つかの逸話があるために、それでもプロ未満や、時折プロそのものが訪れることもある。
 昨年は一週間通して元ムエタイチャンプ、ジョー・東が現れ、エキシビジョンマッチを行っていた。
 その時の売上は一ヶ月分以上ともいわれ、リチャードは度々ジョーにもう一度来いと連絡するほどだった。
 しかし、それ以来ぱったりとジョーはサウスタウンに現れず、弟子育成に力を入れている。
 リチャードも最近はそれほどぱっとした試合が行われる訳でもないので、カポエラマスターでもある自分がリングに立つ必要があるか、と考えていた頃合だった。
 この日のリチャードは終始上機嫌で、カウンターに座った青年を相手に、陽気に会話をしている。
 そんな時にリュウがパオパオカフェに訪れたのだった。
 ザンギエフが手配してくれたホテルに荷物を置いて、リング設営などを手伝い、その場でケンが倒された相手の情報などを収集してから、道着に着替えてカフェに直行する。
 時刻は夜の七時過ぎ。酒の出もよくなり、カフェが盛り上がり始める頃合であった。

「済まない、ケン・マスターズの話を聞きたいんだが……」

 リュウはカウンターに座り、マスターであるリチャードにそう切り出した。
 グラスを磨いていたリチャードはその言葉に少しだけ眉をひそめ

「へい、ジャパニーズ。ケン・マスターズの話はサウスタウンじゃちょっとしたタブーだ。
 どうしてもカフェのマスターに話を聞きたいっていうなら、何か注文して売上に貢献するというのもいいと思わないかね」

 その言葉にリュウはくすりと笑う。
 決して馬鹿にした訳ではなく、こういった物言いをする相手というのは意外と情報を持っているものだからだ。
 リュウは安堵して、軽い食事を取ることにした。
 酒は飲まないのかとリチャードが言おうとしたが、リュウの出で立ちを見て納得する。
 鉢巻に道着、簡素なファイティンググローブとくれば、パオパオカフェではエキシビジョンマッチに立つ人間と相場が決まっている。
 そんな相手に酒を勧めるほど、リチャードは格闘家の心を忘れた訳ではなかった。
 フライパンを取り出し、大きめの切れ目の入ったソーセージを焼き始め、その間にタッパーに入ったカレー粉のかかったキャベツの水を切り、同じく軽く炒める。
 昔はソーセージだけのホットドッグだったのだが、日本に住まう連中や、日本人、普通のホットドッグには飽きたと主張する常連から言われた結果、日本風のカレーキャベツを挟む特製ホットドッグを生み出したのであった。
 とはいえ、普段はこのようなホットドッグは作らない。
 これはリチャードのおまけのようなものであった。今日は売上がよく、気分がいい。
 その間にオーブンで焼かれたホットドッグは、パンはカリカリふわりと、ソーセージはパリっとしており、キャベツがそれを優しく包み込む。
 一口かじれば、ソーセージの肉汁と、カレーキャベツの辛味が合わさり、なんともいえないウマさだった。
 マスタードとケチャップも質がいい。リュウはあっという間にそれを食べ終えた。

「良い食べっぷりだ。ファイターはそうじゃなくちゃな。ロック、君ももう少しがっつりと食べたらどうだ?
 チビチビとジンジャーエールなど飲まずに。
 バドワイザーなど私の売り上げ的によろしいぞ」
「リチャード、あんたには子供の頃から随分と世話になってるからいいたくないんだけど、テリーがジャンクフードジャンキーになったのはそのホットドッグにも原因があるんだぜ?
 ついでに俺はまだ未成年だ。それにコーラの砂糖を考えたら、まだジンジャーエールの方がマシだよ」

 リュウが横に座る青年に目を向ける。そこにいたのはロック・ハワードその人であった。
 アメリカ人にしては随分と健康に気を使った発言をするんだな、などと失礼な感想をいだいたリュウだったが、最近印章に残ったアメリカ人というと、ケンに対して異常な執着を抱くルーファスという巨漢だったのだから仕方もないだろう。
 何せウエストだけでリュウが三人はいそうなのだ。
 そんな男が最近出会ったアメリカ人なのだから、リュウの感想は仕方もないところなのだが、そんな失礼な想像が伝わったのか、ロックがリュウの方を向いた。

「あんたジャパニーズか? ……ジャパニーズってのは何時も道着だったり忍び装束だったりパンツ一丁だったりするのか?」

 ロックが年齢にしては随分と純粋な顔でリュウに疑問をぶつけてきた。
 リュウには何のことだかわからないが、リュウ自身は着たきりスズメであることに間違いはない。

「いや、流石に大多数の人間は普通の格好をしていると思うが……」
「……そうか、そうだよな。いや、済まない、忘れてくれ。小さい頃から俺の周りのジャパニーズは皆変なんだ……舞さんとか、ジョーさんとか……」
「ジョー? あのジョー・東と知り合いなのかい?」

 リュウが少し驚いたようで訪ねる。
 確かにザンギエフからジョー・東がここでエキシビジョンマッチをしたとは聞いているが、まさかこの青年が知り合いだったとは。

「ん? ああ、俺は小さい頃からこのカフェに世話になってたから、同じく常連だったジョーさんとかとは親しかったんだ。
 何せ……育ての親が料理が出来なかったからね、小さい頃はここが生命線だったのさ」

 ふぅむ、とリュウは唸り、ロックの姿をまじまじとみた。
 細身で優しげな顔をしている。身長も白人にしてはまだまだだが、年齢が年齢だから、成長期といっていいだろう。
 だが、その身に込められた気の流れと、実戦的な方法によって鍛えられたのだろう筋肉には無駄が少ない。
 リュウは面白い相手だと思った。

「……うん。よし、不躾な話で申し訳ないんだが」

 リュウはここまで来ると我慢が出来ないと判断した。
 ロックの姿を見て思い出すのは、かつて自分を追いかけ、見よう見まねだけで自らの流派を学び取った少女の姿。
 以前久しぶりに会いに行ったときには、立派に体育教師をしていた。

「俺と、ファイトをしてもらえないだろうか?」
「……俺が、あんたと?」

 ロックの目が一瞬鋭くなる。品定めという訳ではない。本意を確かめようとしているのだろう。
 ロックのフルネームを知る者には、ロックは実に気になる存在である。
 事実、旅の途中で何度そういった不愉快な思いをしたかわからない。
 一時期、実の父であった男の部下だという棒使いがしつこく誘ってきた事があったが、ここ数年はそれもなくなり、安堵してきたところであったのだ。
 その姿をみたリチャードが少し笑い

「受けてやれ、ロック君。この男はゲスの勘ぐりを出来る男じゃないさ。
 それに……いい機会だ、全くね」

 少し意味深にリチャードが言うのを、リュウは少しばかり苦笑して受け止め、ロックは何が何だかわからず、とりあえずファイトを受けることにした。
 リチャードの言葉はこれで意外と信用出来るものだったからだ。
 エキシビジョンマッチのリングは丁度試合があいていたようで、すんなりと準備が出来た。
 先程まで戦っていたカラフルなモヒカン頭のダンサーがマイクを手に取り、場を盛り上げる。

『ヘェーイ! このダック・キング様の後の試合を盛り上げてくれるのは、あの英雄の息子、ロック!
 そして東洋からの挑戦者だぁーッ!』

 場がわぁっと盛り上がる。
 美形であり、女性に対して恥じらった反応をするロックは、ファイトの腕も評判だったが、その手の受けが非常に良かった。
 なんともいえず、複雑な表情を浮かべるロックに対し、リュウは軽く笑みを浮かべてポーズを取った。
 軽く構えを取るロックに対し、リュウは様子見という行動をやめた。

「行くぞ!」

 足さばきを用いた高速の動き。右腕を腰のあたりで固定し、逆突きにて相手の鳩尾に拳を突き込む鳩尾砕きと呼ばれる技である。
 空手などにも見られる動きであるが、一撃が非常に重たく、波動の練られた肉体であるリュウの拳はまさに凶器といっていいだろう。
 だが初手から一気に来るのは少しばかり軽率だったかも知れない。

「烈風拳!」

 ロックが右手をすくい上げるように動かすと、風のような属性を持った気が地面をひた走ってきたからである。

「む!」

 しかしリュウは焦らず、鳩尾砕きに移行していた拳を引き戻し、逆突き故の足の踏み込みを利用し、波動を高める。
 ――ガードの種類には世界中様々な方法がある。
 その中でも主流とされるガード方法には流行り廃りのようなものがあるのだ。
 リュウが用いたガード方法は、少しばかり前に流行った方法で、セービングと呼ばれる技法であった。
 気功や波動を扱えるものには比較的容易に体得出来、効果も高いために一時期全世界で愛用されたほどだ。
 敵が放つ気功や波動といった飛び道具を自らの肉体でガードし、逆にその流れを拳や足に流し込み、反撃を行う。
 セービングアタックと呼ばれる、攻防一体の技術であった。
 だが無論、敵の技を直撃とは言わずとも真っ向から受ける訳だから、肉体にダメージはある。
 即座にダメージがある訳ではないが、肉体には潜在的なダメージが蓄積されていく。
 無理やり気の流れというものをねじ曲げて攻撃に移るというのだから、仕方のないことといえよう。
 他人の気というのは中々受けづらいもので、一撃程度ならば耐えれても、通常は許容量をすぐに超えてしまうというのもあって、今では少し古い技術となってしまった。
 逆に世間に現れたのが、ブロッキングやジャストディフェンスと呼ばれる技術である。
 ブロッキングもジャストディフェンスも優れるところは、飛び道具だけではなく、攻撃全てを受け流せると言うことにある。
 ブロッキングは受けるよりも捌くといった表現が正しく、相手の攻撃を捌き、すぐさま攻撃に移ることも可能だが、少々難易度が高い。
 ジャストディフェンスは名前の通り、受ける事に特化した技法であり、攻撃のインパクトの瞬間に全ての勢いを受け流してしまうのだ。
 これによって筋肉は一瞬の回復期間を持て、体力の回復まで見込める。だが、攻撃に転じるには必ずしも先手を取れるという訳ではない。
 どちらが優れるという訳ではなく、こればかりは好みで扱う人間が変わってくるだろう。
 ただいえるのは、セービングアタックを好んで用いていた格闘家ほど、ブロッキングを扱う傾向が高いということだ。
 ロックはセービングアタック全盛期にはまだまだ技が完成されておらず、実戦を経験したことも少ない。
 よって初めて見る技法に驚き、リュウの反撃の一撃をまともに受けてしまった。

「げふ……!」

 鳩尾砕きとまでは行かずとも、肩に受けた打撃は大きく、思わずロックは肩を抑えてのけぞる。

「本気を出せ!」

 リュウがそのまま両腕を引き、腰だめに構える。
 片手で気を放つとなれば、油断や手加減は不要だ。

「波動拳!」
「ダブル烈風拳!」

 リュウが突き出した両手から放たれた波動の塊を、しかしロックは勢いのままに弾き飛ばす。
 ケンがギースの亡霊にしてやられた行動。
 リュウは目を見開いた。相殺され、少々威力は下がっているとはいえ、烈風拳の一撃がリュウの体を弾く。

「……ふっ、中々やる!」
「余裕じゃねぇか!」

 ロックが駆け出す。
 前傾姿勢だが、手を振って駆け出しているため、そのまま攻撃に移れる体勢とは到底思えなかった。
 昇竜拳で迎撃するか? リュウがそう判断し、少し腰を落とした瞬間、

「ダァンク!」

 ロックが急に飛び上がり、腕に気を纏わせて上空からリュウの顔面へと拳を叩きつけた。
 かろうじて昇竜拳の体勢だったため、振り上げた拳によってガードは間に合ったが、その重さは尋常ではない。
 ロックの腕から気によって羽がみえるという練りようだ。

(この青年……肉体や技術はまだまだだが、恐ろしいほどの気の量だ!)

 潜在的な力とでもいえばいいのか。恐らく練ろうとして練っている訳ではないのだろう。
 溢れ出す気の力が、この青年の背中を後押ししている。

(だが、それを扱いきれていない……!)

 リュウは断定した。そして、数年後にこの青年と再開した時がとても楽しみだと、その瞬間に嬉しくてたまらなくなった。
 だが、哀しいかな、今は実力差がある。
 この青年の持つ恐ろしいほどの気の力。扱いきれたとすれば、リュウでも勝ちを拾えるかどうかは非常に怪しいところだが、今はリュウが強い。

「――行くぞ!」

 この青年に殺意の波動を欠片でも見せる訳にはいかない。
 ならば、己の波動だけで用いれる最高の技を見せ、少しでも先達となればいい。

「真空――」

 リュウが腰だめに波動拳の構えを取る。
 ザンギエフの時に用いたのと同様の技だが、練りこまれた波動と、放つための体勢が全く違う。
 あの時はザンギエフに抱えられ、練った波動も即興のものだったが、今は十分に大地を踏みしめ、波動も練りこんでいる。
 ロックの顔色が変わる。リュウの放とうとしている波動の強さに見当がついたのだろう。
 慌てて両腕を上空に振り上げ、何かしらの技を放とうとするが、若干動きが遅かった。
 躊躇したと言ってもいい。

「――波動拳!」

 リュウはそれに、情けをかけずに技を放った。
 ロックが慌てて振り上げた両腕を地面に叩きつけ、気の奔流を吹き出させるが――真空波動拳がロックの胴体にたたきつけられる方が、流石にはやかった。
 ロックの体はまるでサッカーボールのようにリングの上を転げ、ロープを大きくたわませてようやく止まる。
 うめき声をあげて立ち上がろうとするが、体が思うように動かないらしい。
 リュウが腕を上げて勝利を宣言する。
 途端に、観客の熱狂の声がこだました。
 ロックはその声に己の敗北を悟り、無理に立ち上がろうとせずに体をロープに預け、ゆっくりと息を吐いた。

「……負け、ちまった、か」
「いいや、よくやったぜ、ロック」

 それほど大きな声だった訳ではない。
 だが、その声が聞こえた瞬間、一瞬カフェが静まり返る。
 そして、次いで起きたのは、先程よりも更に大きな大声援である。

「あの幻の格闘家と一戦交えてやりあえたんだ。何度も言ってるじゃないか、もっと自分の力を信じろ、ってな」

 ぽふりとロックの頭に手が添えられ、わしゃりとなでられる。
 子供扱いはやめろとロックがわめくが、動けない体では抵抗も出来ない。
 そしてリュウはといえば、現れた男とロックのやりとりを見て、ロックの強さに納得がいく。
 技の一つ一つは荒削りだが、確かに実戦的な戦い方ではあった。
 ロックの年齢と優しさで、あれほど実戦的な戦い方ならばよほど良い師匠なのだろうと思ったが、リュウの全てに得心がいった。

「貴方に幻の格闘家と言われると、何やらむず痒くなるな。
 ……そして、出会えたならば、こう言わなくてはならない。俺と、ファイトをしてくれないか!
 伝説の狼、テリー・ボガード!」
「ヒュゥ。幻の格闘家に伝説と言われちゃこっちが恥ずかしくなるな。
 OK! 良いバトルにしようぜ」
「光栄だ。本気で行くぞ!」

 にやりと笑い、テリーがリングに上がり、ロックをゆっくりとリングの外に降ろす。
 ――サウスタウン・ヒーロー、テリー・ボガードが、幻の格闘家と相見えた歴史的な瞬間であった。



[16198] 第七話 『高める力、引き出す力』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:ca2823e0
Date: 2010/03/12 06:00
 両者がリングにあがる。
 既にパオパオカフェの中は熱狂に包まれていた。
 テリーの人気はサウスタウンでは大統領を凌ぐほどであるし、リュウに関しても、帝王サガットを倒した男として、知る人ぞ知るといわれている。
 そしてサガットの強さはといえば、この店の常連であったジョー・東が倒せなかった男としても名高い。
 リュウとテリーが少しばかり拳をあげ、お互いに近づけ、合わせる。

「Let's Get Serious!」
「ああ、いいバトルにしよう!」

 ぐっと拳を押し合い、まるでその反動を楽しむようにお互いが飛びずさって距離をあけた。
 間合いはおよそ三歩半。拳も蹴りも踏み込まなければ当たらない距離だが、気を扱う者同士では、この距離は決して戦えない距離ではない。
 たとえばリュウならば、この距離であれば真空波動拳の必中の距離といっても差支えはないだろう。
 テリーも長いストリートファイトの経験から、相手が飛び道具を扱うかどうかのおおよその推測はたてられるようになっていた。
 飛び道具を扱う流派の使い手であると、自然と体が踏み込みの体勢よりも引いた形となりやすい。
 相手が飛び込んだ瞬間の迎撃の手段を持ち得るため、自分が完全に相手に踏み込む姿勢を作ってしまうと、飛び道具を放ちづらくなるためである。

(……隙だらけのように見える構えだが……)

 リュウがテリーを見やる。両腕を腕のあたりにあげ、上下に対応できるように揺らす姿は、隙だらけのようにも見える。
 だが、隙だらけに見えるはずのその体勢を、リュウの本能が危険だと伝えているのだ。
 格闘家としての理性は隙だらけであることを見抜き、しかし人としての本能が危険だと伝えている。
 リュウはどちらを信用すべきか刹那の間迷い、格闘家としての理性を選んだ。
 腰だめに手を構え、一気に前に突き出す。

「波動拳!」

 リュウから放たれた気は相当の速度をもってテリーへと肉薄する。
 だがテリーはそれを避けることもせず、あげた右腕をすっと下げて受け流す。
 完璧なジャストディフェンスであった。
 そのままテリーは流れるように前へと踏み込み、距離を縮めてくる。
 まずは軽くアッパー気味の左をテリーが繰り出すと、リュウはそれを右肘で迎撃する。
 慌てずテリーは勢いままに右フックを流し込む。リュウも左腕をあげてそれを防ぐが――

「Charging!」

 なんと、テリーが振り下ろした右拳をそのままに足を固め、ショルダータックルへと移行してきたのだ。
 予想外の動きにリュウの防御が間に合わず、たたらを踏んで飛ばされる。

(――単なるマーシャルアーツではない、中国拳法か!)

 そも、テリーの扱う武術はごった煮といっていい。
 まず彼は幼少のころにマーシャルアーツを門前の経として習い、それを武器に各地を放浪した。
 後にサウスタウンで八極聖拳という流派の道場を開いていたタン・フールーに師事。
 更に十年のストリートファイト経験が、テリーの戦い方を一種独特なものへと進化させていったのだ。
 彼がパワーチャージと呼ぶこのショルダータックルも、八極拳における鉄山靠をテリーなりに極めたものである。
 荒削りであるが、マーシャルアーツによる基礎と、八極拳に恐ろしく実践的な気功が取り入れられ、独自の流派となった八極聖拳。
 そこから不要な物を削り、相手の戦い方を取りいれたもの。それがテリーのマーシャルアーツであった。
 これは一応は流派として形を成したものを会得した格闘家にとって、非常に戦いづらいものである。
 何せ系統だった戦い方というものが存在しない。
 コンビネーションとして頭に中に残る戦い方と反した行動ばかりをされるのだから当然と言えるだろう。
 だが、リュウもストリートファイトで名を残す人物である。それが何故翻弄されたのかといえば、やはりそれはテリーの動きが理にかなってはいるからであった。
 かつて、テリーはガイルと拳を合わせたことがある。
 その時のガイルの評価によれば

『荒削りだが、非常に実践的なマーシャルアーツだ』

 との論評であった。顔面にきれいな一撃をもらって、苦笑いをしながら語るガイルに、同僚であったナッシュという男は噴き出すのをこらえるのに非常に苦戦したという。
 つまり、テリーの動きというものは、相対すれば綺麗な道場武術を思い起こさせ、それでいて荒々しいストリートファイトという、王道でありながら横道を外れた、非常に厄介な代物であったのだ。

(考えを切り替えろ、相手はストリートファイターだ!)

 リュウの頭のスイッチが切り替わる。たたらを踏みながらも止まった位置より、前へ突き出す足刀にて牽制し、距離を取る。
 パワーチャージを放ったテリーも即座に体勢を戻し、足刀を嫌って少し距離を取る。
 その顔は笑みさえ浮かんでいた。

(ヒューゥ……パワーチャージで倒れない相手は久々だ)

 鉄山靠は二の矢三の矢によって相手の体勢を崩すことを目的とする。
 テリーの扱うパワーチャージは、気によって活性化したアッパー、フックの後のショルダータックルというコンビネーションであり、現役のプロレスラーですらまともに当たれば吹き飛ぶ代物であったのだ。

(クリーンヒットした訳じゃないとはいえ、流石にやるな)

 テリーはグローブを引っ張り、フィット感を直す。
 その隙にリュウが一気に踏み込み、正拳を叩きこんでくる。
 テリーがそれを腕で受けると、続きリュウが右からの蹴りを。体を下げて防御すると、リュウは弾かれる勢いそのままに左の回し蹴りを放った。

「っつ!」

 流石にテリーが押される形になると、ここぞとばかりにリュウが回転を速めた。

「竜巻旋風脚!」

 リュウの体が浮き上がり、三連撃の回し蹴りが叩き込まれていく。
 腕で防御してもその勢いを止めずに回転する技術。それにテリーが感嘆する。
 だが感嘆してばかりもいられない。テリーが三回目の蹴りを受けた時、無理にもガードを押し込み、リュウの体勢を崩しにかかる。

「Beat up!」

 テリーが押し返した瞬間飛び上がり、ひざ蹴りで以てリュウの腹部を狙う。
 パワーダンクと称される、テリーの特技であるバスケットボールの動きを模した攻撃方法だ。
 竜巻旋風脚から腰を回すように着地してリングに円をかき、リュウの体が静止する。

「ふっ!」

 パワーダンクの振り下ろした拳をブロッキング。だが動けない。
 パワーダンクの動き自体は見切ったが、その予想外の重さのためだった。

(先ほど戦ったロックと技は同じ……だが、気こそロックが上だが、込められた地力が段違いだ!)

 ヘビー級とライト級のようなパンチの違いである。気によって威力の差はある程度相殺されるとはいえ、気功を扱う者同士なら、地力がモノを言うことも多々ある。
 知らず、リュウの顔が笑みにかわっていく。
 楽しい、そう感じていた。
 エキシビジョンマッチであることは理解している。ストリートファイトのような、コンクリートにたたきつけられる危険性はない。
 まして命の取り合いになどなろうはずがない。そこに、死合うというような、一種真剣の感覚はない。
 だが、それを上回るほどに戦いが楽しかった。
 何かが冴えわたるような感覚すら、得られる。

「昇竜拳!」

 テリーがパワーダンクで着地した瞬間、若干ながらブロッキングで上回った体勢回復から放つアッパーカット。
 それはテリーの顎を打ち貫く。

「Shit!」

 だがその体を吹き飛ばすには至らない。むしろ飛び上がった分、リュウの体ががら空きになってしまった。
 その隙をのがすテリーではない。
 すぐさま両手を大きく広げ、全身からため込んだ気を一瞬で拳に回す。

「Burning!」

 リングを蹴り、突進の勢いでテリーの拳が飛び込んでくる。
 それは単なる突進ではない。バーンナックルと名付けられた、気功によって爆発的な推進力を得た一撃である。
 拳には発光するまでため込まれた気すら見えた。

「ぐっ、が!」

 脇腹とはいかなかったが、今度はテリーの拳が昇竜拳で無防備な姿をさらしたリュウの腹部に突き刺さった。
 その衝撃を利用し、互いに距離を取る。
 呼吸を整える音が両者から聞こえた。
 波動も気功も、呼吸が重要な技術であることに変わりはない。
 そして、距離をとったことをテリーは少し舌打ちした。
 この距離ではバーンナックルを打っても見てから避けられる。
 だが自分の飛び道具では必殺の威力をもつとは言い難い。
 すると、リュウが拳に気をため込むのが見えた。

「本気で行くぞ!」

 リュウが叫ぶ。既に波動が全身から廻っているようで、立ち上る湯気のような波動が見える。
 テリーは迎撃態勢を取るが、受けの一手しかないことを悟る。

「真空、波動拳!」

 リュウの両手から密度が高められた波動拳が放たれる。
 ロックとの対戦で使った技か、とテリーが理解し、ジャストディフェンスの体勢を取る。
 一度みた技で、さらに飛び道具であるならばテリーがジャストディフェンスを受けられない道理はない。
 波動が近づき、テリーがその第一波を受け流し始めた瞬間――

「滅!」

 リュウのまとった波動の性質が一瞬にして変化した。
 先ほどまでの清々しい青い波動から一転、禍々しさすら感じられる紫色の波動である。

「波動拳!」

 己の持つ清浄な波動にて放つ真空波動拳と、殺意の波動を練り合わせる滅・波動拳の合わせ技。
 これこそがリュウが今持つ最大の威力のコンビネーションであった。
 テリーは悟る。真空波動拳はジャストディフェンスで受け流せるだろう。だが、次の滅・波動拳とやらをジャストディフェンスで受けるのは不可能だ。
 初見の技であるし、何よりその波動の性質から、ガードをしても上から削り取られる威力であるのが見て取れたからだ。
 真空波動拳の第三の衝撃、すべてを受け流した瞬間、テリーは防御の体勢をやめた。
 ジャストディフェンスによってフリーになった自分の筋力全てを総動員し、拳を振り上げる。

「Go Bang!!」

 一撃。テリーが拳をリングに叩きつける。すると高さ二メートル、直径六十センチにもなろうかという巨大な気の間欠泉が吹きあがった。
 それは寸分たがわず滅・波動拳へと突き刺さるが、少し相殺しただけで止まらない。
 リュウが波動拳を押し込んでいく。
 勝利が見えたと思った。
 だが、恐るべきことに、テリーは打ち付けた拳とは反対の拳をアッパーのように振り上げ、さらに二本目の柱を打ち上げたのだ。
 それで終わりではない。最後に最初に打ち付けた拳を再度、全力でリングに打ち付け、三本目の柱を噴き上げた。
 パワーゲイザー。テリーの最も信頼する超必殺技であり――これは、それを三連続で吹きあがらせる、テリーの切り札、トリプルゲイザーであった。
 三本目の気の柱が吹きあがった瞬間、滅・波動拳とゲイザーが鬩ぎ合い――お互いに消滅した。
 互いに超必殺技を放った体勢のまま動かない。
 数秒間、そのままの体勢が続いた。動かないのではない、互いに動けない。
 観客がそう理解した時、ブザーの音が鳴り響いた。

『タイィィ――――ムアァ――――ップ! ヘイ、テリーにリュウ! 残念だがタイムオーバーだ!
 六十秒間の激闘をありがとう!』

 ダック・キングの声が響いた。同時に、恐ろしいまでのブーイングと歓声がカフェ中から響く。
 その声にようやく、お互いにゆっくりと体を動かし始めるリュウとテリー。

「……流石だ、テリー・ボガード。まさか、滅・波動拳までも受けられるとは思わなかった」
「冗談はよしてくれよ、幻の格闘家。こっちは久々に全力全開のトリプルゲイザーまで使わされたんだぜ」

 テリーが額の汗をぬぐった。
 く、っとリュウが笑う。なんとも気持ちがいい笑いだった。
 すべて最高の切れに等しい技の冴えだった。
 滅・波動拳ですら、何か使い切った感覚がある。
 殺意の波動だけではない、己の全力だという自負が出来た。

「……成程。テリー、貴方を英雄と慕う人物が多いのも納得がいく。自分が高められる気分になるんだ」
「だったら俺もだ。あんなトリプルゲイザーの使い方、もうしないとまで思ってたんだぜ。
 底の底まで引き出された感覚だ」

 テリーが笑い、革のジャケットを脱いだ。
 これは勝利の時にだけ言うセリフなんだが、と少し照れるようにいって、リングサイドのダックが何かを手渡してきた。

「お決まりのセリフがあるんだが、言ってみるかい?」
「……うん? ああ、あれだな」

 流石にリュウも何度かテリーの話を聞き及ぶだけはあった。
 そして、リュウは大きく拳を突き上げ、テリーは受け取った赤い帽子を客席に放り投げて、叫ぶ。

『OK!!』

 ――サウスタウン、パオパオカフェの、近年最も熱い戦いが、終わった。



[16198] 幕間 『クロスオーバー』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/03/12 23:17
 時刻は夜の十一時。流石にそろそろリュウが宿に戻ろうかと思っていると、ビールをジョッキ五杯も飲んでご機嫌のテリーが問いかけてきた。

「そういえばリュウ、お前さんも随分とストリートファイトをしてると思うんだが……今までで一番面白い相手ってのはなんだい?」

 などと言われて、リュウが少し考えてしまった。
 面白い相手、というのならば色々あるだろう。
 例えばヨガを極め、手足を伸縮自在にまで扱うようになった男であるとか、国技を広めんと研鑽した結果、勢いだけで一直線に飛ぶ、気功や波動といったものを一切無視して物理を超越した相撲取りだとか。
 しかし、それでも面白い相手となると、と。
 ふとリュウが思いついたように口にした。

「……そういえば、いや、夢うつつだったからなんだが。二つ三つ面白い事があった」
「へぇ、なんだい?」

 うん、とリュウは厳めしく頷いて

「一つは日本の渋谷という都市での事だったんだが……陰陽術と抜刀術、さらに銃を組み合わせたまったく新しい戦い方をする男とあったことがあるな」

 面白い名前だった。そして、とても強い男だった、とリュウが頷く。
 なんだそりゃ、とテリーが首をひねる。
 弟が日本にいるし、日本人の知り合いは数人いるとはいえ、基本的に米国以外の事にはテリーは疎い。

「……二つ目は、その、なんだ。言えば笑われるかもしれないが」

 俺はアメリカンコミックヒーローと拳を合わせたこともあるんだ。と、リュウは語った。






「ケン、スパイダーマンは強かったよな?」
「……リュウ、忘れろよ。あんなえぐい夢」

 パオパオカフェで散々笑われた後、数か月後にケンと語らった際、リュウはしかし実際に戦ったんだがなぁとしきりに首をひねっていた。



[16198] 第八話 『墓守との出会い』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/03/14 21:47
 リュウはザンギエフが手配してくれたホテルの部屋で起きると、妙に体が凝った気分なのに気づいた。
 一流ホテルとはいわないが、平日のシングルで95ドルはするビジネスクラスのホテルで、ベッドもそれなりに豪華だった。
 だが野宿に慣れた体はベッドだとむしろ疲れを取ってくれないらしい。
 何時いかなる時でも休息を取れるのがよい戦士の証拠だというが、その点でいうと自分はまだまだか、とリュウは一人ごちた。

「……五時か。いい時間だな」

 軽くシャワーをあび、ランニングへと出かける。
 昨夜は十二時過ぎまでパオパオカフェにいたため、ホテルにチェックインする頃には一時を過ぎてしまっていた。
 倒れるように眠ったが、それでも朝日とともに起きるのは、体に染みついた習慣という奴だろうか。
 今日のプロレスの試合は夜からだった。
 午後五時開場、六時開演。まずは国際親善試合として、アメリカ代表グリフォンマスクとロシアの英雄ザンギエフ。
 更には特別ゲストとして、ドイツの新星ヒューゴーと、アマレスよりパワーエイジ、アレックスが呼ばれている。
 そして、メインイベントである往年の名選手、ビッグ・ベアの引退試合だ。
 相手はかつて全米を纏め上げた伝説のチャンプ、ヴィクター・オルテガ。
 とはいえ、彼も現役を退いて久しく、明るい試合になることが予想された。
 引退の花束を渡すのはかつては仲間として同団体で戦ったこともある戦う市長こと、マイク・“マッチョ”・ハガー。
 なんとも豪華極まりないイベントだ。
 予約は前売り時点で三時間もたたずに完売。サウスタウン近辺のホテルは軒並み満室だそうだ。
 昨夜パオパオカフェがあれだけ人がいたのも、翌日のこの試合の為だったらしい。
 ホテルも、ザンギエフが団体用に確保していた部屋を回してくれなければ、リュウは町にいながら野宿する羽目になっただろう。

「……無敗の帝王ヴィクター・オルテガ、無敵のチャンプ、グリフォンマスク、か。
 アメリカのプロレスラーというのは強さが極端だな」

 そしてリュウはヒューゴーという名前に少し懐かしさを覚えていた。
 あの巨人はどうやらプロレス界に認められたらしい。

「アレックスという名前は聞いたことがないが……アマレス出身か」

 リュウはランニングを終え、腕立て伏せや腹筋、正拳など、一通りのトレーニングを終えてから汗を拭き、ホテルに戻ってザンギエフにもらったパンフレットを読んでいた。

「しかし、マイク・ハガーとは懐かしいな。俺が子供のころのレスラーじゃないか。ビッグ・ベアもまだやってたんだな」

 マイク・ハガーも長年メトロシティの市長を務めている。法令によってある程度の任期以上は勤められないのだが、メトロシティの犯罪率に一定以上の効果をあげているのはハガーだけであり、特例で認められているとの事だった。
 その鍛え上げられた体は今も健在らしく、時々市のイベントでは子どもと触れ合うマイク・ハガーの姿が見られた。

「オルテガも……引退試合で一度引き分けをしたきり、か。確かに無敗の帝王だったんだな。
 グリフォンマスクもデビュー以来引き分けを含むが無敗か。タッグマッチ込みでこの成績は凄いじゃないか」

 パンフレットには出場選手の来歴がある程度書かれていた。
 リュウも世界中を放浪してはいるが、それほど知識が深いという訳ではない。
 実際に戦ったザンギエフやヒューゴー。子供のころのレスラーだったハガーやオルテガなどは知っているが、それでも詳しい経歴を知っている訳ではない。
 名シーンなどが写真つきで乗せられていると、リュウの脳裏にはその姿がまざまざと浮かんでくるのだ。
 シャドーボクシングなどと似たようなものだったが、中々これはどうして、侮れないイメージトレーニングになる。

「……と。忘れちゃいけないな。ケンについて情報を得ないと」

 ホテルチェックアウトは余裕のある十一時だったが、朝食を済ませたリュウは、さっさと荷物を引き揚げてチェックアウトしてしまった。




 プロレス会場への道を忘れないためにあまりぶらつくことはできないがそれでも歩いてみると、サウスタウンという街は活気に満ち溢れていることがわかる。
 とはいえ、治安のよい日本とは比べるべくもなく、少し路地裏をのぞけば、海外ではおなじみの光景が広がっていた。
 昼間から開いているバーもないので、テリーはボクシングジムや格闘道場といった、その手の施設を探して歩く。
 結局昨夜はテリーとの勝負に興奮し、ケンの話を出来なかった。
 というよりも、今から思えばその手の話をしようとするたびに、巧みにテリーに話題を逸らされたというべきか。

(何か触れられたくないことでもあるのか)

 サウスタウンの英雄とまでいわれるテリーの事だ。
 その街での奇妙な出来事となれば、心当たりの一つや二つはあるのだろう。
 だがそれは、リュウに語るべき様な事ではない、という訳だ。

「だが、俺もケンというかかわりがある」

 そう思ってぶらつくリュウだったが、流石に土地勘のない場所ではいくら探そうともその手の施設が見つかる訳もない。
 実はサウスタウンでは有名な道場やジムというのは、チャイナタウンやイーストシティといった特定の場所に固まっており、テリーの探す場所にはなかったのである。
 それでも三時間ほどぶらつき、丁度正午近くになると一息つき、木陰にどっしりと座りこむ。
 小鳥のさえずりが聞こえ、いい塩梅だった。
 ナップザックに詰め込んである、ホテルで拵えてもらった(どうやらプロレス興行を見に行く客限定のサービスだったらしい)サンドウィッチを齧る。
 と、不意に影が濃くなった。
 リュウが見上げると、そこに一人の男が立っている。

「よう、カラテマン。こんなところにどっしり座って、どうしたんだ?」

 みれば、その男もリュウと同じように胴着を着こんでいる。
 金髪碧眼の顔に、鍛え上げられた肉体。細身でこそあるが、一般人からすればいいガタイである。
 ともすれば粗野になりがちなそれを、落ち着いた雰囲気の灰色の胴着で包んでいた。

「ああ、実はちょっと探し物があってね……ケン・マスターズの一件を知らないか?」

 リュウはサンドウィッチを飲み込むと、立ち上がって胴着の男に訪ねた。
 胴着の男はその言葉に片眉をピクリと動かし、ジロジロとリュウを見る。

「……ふぅん。マスターズの一件を調べてるって? 探偵って訳じゃないだろう、何か理由でもあるのか?」
「ああ……ケンは俺の同門だったんだ。同じ釜の飯を食った相手が倒されたと聞いたなら、こない訳にはいかないだろう?」

 なるほど、と納得したように男が頷く。

「……やれやれ。墓守も楽じゃないな」

 ぼそりと男が呟くと、付いてこいとクイクイと指で呼ぶ。
 それだけでスタスタと歩いて行くので、リュウはあわててナップザックを背負ってそれを追いかけた。
 男は止めてあったバイクに跨り、サイドカーにリュウを乗せると走り出した。
 目的地も言わず、ただ無言ではあったが、リュウに逆らう気というのはなかった。
 この男から漂う、闘いの匂いがそうさせたのだろうか。
 やがてバイクは一つの建物の近くで止まった。
 説明されずとも、リュウにはその場所がなんなのか、理解出来た。
 ギースタワー。かつてのサウスタウンの象徴であり、一つの時代を司る建物だった。
 今は誰も住まうものはなく、ただただ朽ちるに任せる廃棄物である。

「……ギース・ハワードという男は、ある種サウスタウンそのものだった」

 胴着の男がギースタワーを見上げながら呟く。

「かつて、サウスタウンは悪徳の町そのものだった。考えてもみろ。フロリダの一市街地が何故軍港や空港、鉄道の駅が走るまでに発展したと思う?」

 イタリアンマフィア、地元ギャング、チャイニーズマフィア。ここは犯罪都市といっていい。
 かつてのメトロシティを上回るほどの悪党の坩堝だった。
 ただ一つの正義は、力のみ。

「……そして、ギース・ハワードは頭角を現した」

 まずイタリアンマフィアの内部へと入り込み、その権勢をもって幹部へと昇りつめ、地元ギャングを掌握。
 更にイタリアンマフィアとチャイニーズマフィアを抗争状態にもっていき、両者の疲弊を待ったところでその末端組織から掌握していった。
 気がついた時にはサウスタウンの権益は全てがギースの手の内にあり、その食指はアメリカ大陸全土に及んだという。

「サウスタウンに集う悪党の富は留まるところを知らなかった。
 そしてハワード・コネクションという巨大組織を作り上げ、ここは何時しか、合衆国大統領ですら迂闊に手の出せない街になっていった」

 リュウは男の話を黙って聞いていた。
 自分が知らない街の歴史。だが、男が語るそれは、そこに至る数々の戦いの軌跡が刻まれている。

「……この街はギースタワーの下に統一された。
 それを一般市民が喜んだ筈がない。だが、俺はそれに関しちゃどうしようもないと思ってる。
 あの状態から公権力がこの町のギャングを統括するだなんて不可能な話だったからな」

 ギースの下に纏められた組織は、確かに悪徳を極めたが、無用な抗争で人々が巻き込まれることはなくなった。
 ハワード・コネクションの下で、という条件つきでならば、どのような貧困層の人間であろうとのし上がることも、可能となった。
 現に、ギースの右腕とまで言われたビリー・カーンは、イギリスからの移住者で、それこそ泥をすするような生活をしていたという。

「俺達は静観を選んだ。それがベストだったとは思っていない。
 しかし、奴の考え方を一概に否定も出来なかった。それだけだ」

 だが、十年前。全てが一変した。
 ギースが組織を纏め上げる為に、唯一正義の為の正義を掲げ、反抗心を露にしていた男、ジェフ・ボガード。
 正義の為の正義を標榜した男の存在によって、一度組み立て始められた悪の秩序が崩れかけたのだ。
 ギースはジェフの殺害を敢行。
 だが、その養子である息子、テリー・ボガードがギース・ハワードに牙を剥いたのだ。
 その養子である息子、テリー・ボガードがギース・ハワードに牙を剥いたのだ。
 力にて全てを奪い取る。ギースは自らの狼の論理によって、自らの敗北を認めた。
 餓狼の饗宴は三度催された。一度目はテリーとギースによって。
 二度目はシュトロハイム家のクラウザーという男によって。

「そして三度目で、本当にギースは死んだ。
 ……街はハワード・コネクションから解放された。
 勿論、暫くの間はコネクションは作用し続けた。表の部分が。
 ……だが、マフィアやギャングは蠢きだした。頭がいなくなったからな」

 その時は、ひどい有様だったと男は言う。

「当時、テリーが英雄として世間に露出していなければ、サウスタウンは再び悪徳の街に戻っていただろう。
 テリーが英雄として世間に露出すればするほど、サウスタウンは光に当てられていき、公権力が介入した。
 束の間の平和が、訪れた」

 いつの間にか男はバイクから降り、午後の風を楽しんでいる。
 リュウもそれにならってサイドカーから降り、ギースタワーを見上げる。
 巨大な、威圧感すら伴うギースタワーは、主亡き今も鼓動を刻むようであった。

「ん……?」

 リュウは、ビルの窓の奥に、誰かがいたような気がした。
 しかしすぐにそれは見えなくなり、午後の太陽の光が強烈に反射したため、目をつぶる。
 おそらくは光の加減だろう。

「……だがな、ここは、何時まで経っても、獣の唸り声が止まない街なんだよ」

 男が話を締めくくった。
 何を考えたのか、リュウはそれを察することが出来ない。
 しかし、男が拳を握りしめ、それを見つめている姿には、言葉に出来ぬ哀愁を感じた。

「ここはギースの墓だ。……亡霊が彷徨うなんて事態は、大概は墓参りを忘れたからか、墓荒らしが出たからと、相場が決まってないか?」

 男がギースタワーを見上げた。
 そして、唐突に笑い出し

「さて、俺の話はここで終いだ。気取ってはみたが、上手くいくわけがないな!」

 リュウは改めて男の顔を見た。
 何かを吐き出してすっきりとしたような、厳めしいが、しかし優しげな風貌だった。

「お前さんも用事は今日のプロレスか?」
「ああ。チケットをもらったものでね」

 そうか、と男が頷き、ちらりと時計をみた。時刻は二時。開場までには三時間近くある。

「どうだ。それなら開場前にうちの道場を見学しにこないか?」
「道場?」
「ああ、一応は世界中に支部を持つ道場の本部だ。きっと得るものがあるぞ」

 言われてリュウは俄然興味を抱いた。
 ギースに関する話をたっぷりと聞かされ、更に道場へのお誘いともなればリュウには至れりつくせりというものだろう。
 と、ここでリュウは男の名前を聞いていないことに気がついた。

「……ああ! そういえば名乗っていなかったな。
 いや、実は名乗るまでもなく去ろうと思っていたからな……」

 今さらあの名前をかたるのもなんだな、と男が呟くと、ゆっくりと手を差し出した。

「俺は極限流総帥リョウ。リョウ・サカザキだ。昨夜のパオパオカフェでの活躍、リチャードから聞いているぞ」

 そういって、朗らかに笑った。



[16198] 第九話 『狼を継ぐ者』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/03/15 16:22
「おや、おはようロック。随分と遅いお目覚めだな」

 パオパオカフェのカウンター。フロアのモップがけをしているリチャードの声が、ロックにかけられる。
 黒いシャツにハーフパンツ。寝癖頭のままあくびをするロックの姿は、美青年といえども少々間抜けにみえる。

「テリーの奴が人のジンジャーエールにウォッカなんかいれるからだよ……未成年だってのに、モスコミュールを飲ますんじゃないって」

 くぁぁ、と大あくびをするロック。
 すでに日は昇りきっており、英国ならおやつをいただこうかというころ合いだ。
 とはいえ、昨夜のテリー、ロック、ダックの三人は朝方まで騒ぎ、リチャードは呆れて途中で眠ったのだからこの時間になるのも仕方ないだろう。
 今日の為にリチャードは大型モニターをリースしてリングに取り付けてあり、ビッグ・ベアの引退試合をライブするつもりだった。
 全米放送とはいかないが、サウスタウン限定で今日の試合は全てライブで流されることになっているのだ。
 当然、ファイトの熱さを売りにするパオパオカフェにも、そのライブを大型モニターで見ようという客が集まる。
 何時もの開店は午後六時なのだが、今日は少し早めて五時に店を開く。
 すでに酒や料理の仕込みは終わっているので、今は再度モップがけをしている最中というわけだ。

「で、そのテリーはどうした?」
「テリーなら出掛けたよ。何所からか、今日のチケットを手に入れたから、目覚ましのために近所の子供とバスケしてくるってさ」

 テリーの特技は大人向けと子供向けの二つがある。大人向けは女性のスリーサイズを当てるという代物だが、子供向けのほうは、バスケの2Pシュートを連続三十回決めるという中々恰好のいい特技だ。
 気さくに英雄と遊べるとあって、テリーがサウスタウンに来ると、子供達は必ず遊ぶ。

「しかし、ロックも久しぶりだな。何年ぶりだ?」
「……もう八年近くなるんじゃないかな。テリーは、サウスタウンに帰る時だけは俺をジョーさんだとかに預けて行くから」

 テリーはロックを養子として引き取っているが、常につかず離れずで育てた訳ではない。
 特にロックが小さな頃は、ビリー・カーンなどが付きまとっていたために、故意に離れることもあった。
 そして、サウスタウンにだけは、ロックを連れていかなかったのである。

「そうか。しかしお前さんの得意料理がクラブハウスサンドとはな。どうだ、うちで働かないか」

 カポエラも教え込んでやるぞ、とリチャードがいうと、ロックは焦りながらそれを断った。
 パオパオカフェはサウスタウンに三店舗を持つが、その繁盛度合は中々のものである。
 次はチャイナタウンに四号店を出すという噂もあり、三号店にも四号店にも、リチャードが腕の立つカポエラ使いを求めているとはもっぱらの噂であった。

「三号店は繁盛こそしているが、マスターがカポエラを使えなくてね。腕は素晴らしいから、海外支店を開いて任せてしまおうかと思っている」
「へぇ、故郷ブラジルに?」
「いや、ブラジルはカポエラの本場だからな。どちらかというと酒の仕入れも考えて、メキシコがいいんじゃないかと思っている。
 ……丁度、メキシコに道場を開くという流派があってね、それに便乗しようかと思っているんだ」

 なるほど、格闘技の道場というのはこれで一度広まればあっという間に世界規模になる。
 特にパオパオカフェはサウスタウンのみならず、格闘家達の憩いの場として、実は世界的にも有名なカフェであった。
 これはジョー・東やグリフォンマスクといった、プロファイター達がよく寄り付いていたことから話題になったものである。

「邪魔するぞ、リチャード」

 と、開店準備中にも関わらず、カフェの扉を開いて入ってきた男がいた。
 黒々とした肌に少しばかり薄汚れた胴着。はちきれんばかりの肉体に、アフロを利かせた髪型。

「開店準備中だ、マルコ。……ロック、こいつがさっき話したメキシコに道場を開く流派の師範代だ。
 中々使うんだ、残念ながらカポエラ使いではないがね」
「おお、お前がロックか。我が流派の総帥から聞いているぞ。……あの英雄の息子だというのに随分とほそっちょろいな。子供はねんねの時間であるぞ?」
「まだ夕方だろ……初対面で随分と失礼な奴だな」

 ロックはいささか気分を害してリチャードに顔を向けると、リチャードが苦笑いをしてマルコに注意する。
 どうやら同郷の移民先達ということで、言葉遣いこそラフだが、実際はマルコはリチャードに頭が上がらないらしく、注意されると大人しくロックに謝った。

「ところで、そのテリーとやらは今どこに?
 チャイナタウンのタン老師が呼んでいることの事で、メッセンジャーに来たんだが」
「……マルコ、うちの店の電話番号は知ってるだろう?」

 しかしリチャードの言葉にマルコは指を振り

「こういった事は面と向かって伝えよ、というのが先代総帥の御言葉だ。現総帥は別に気になされないが……
 ま、それはよい。で、テリーは?」
「今は不在だ。もうすぐプロレスを見に出かける為に帰ってくるだろうから、それまで待っていたらどうだ」

 リチャードがカウンター席を顎で示し、では、とマルコがカウンターに座る。
 大柄なリチャードが座ると、ある程度アメリカンサイズで設計されているはずの椅子が小さく見えてしまう。
 背丈はそれほどでもないのだが、その肉体に張り付いた筋肉の量が凄まじいのである。
 帯に挟み込んでいたミネラルウォーターのペットボトルを取り出し、ぐびりぐびりと水を飲む姿は、どちらかというと動物じみたイメージをロックに与えた。
 一リットルサイズのペットボトルが見る間に凹んでいくのである。

「……俺もちょっと走ってくるかなぁ?」
「それがいい。帰ってくるまでには軽食を二人分作っておいてやるから、食べてから観戦にいくといいだろう。特別価格二人で五ドルだ」

 サンキュ、とロックが軽く礼をいって、着替えへと戻る。タンクトップにジーンズ姿になったロックは、リチャードからタオルを受け取ってそのまま出て行った。
 残ったリチャードとマルコは、掃除をしながらも故郷の話に花を咲かせていた。
 どうやらリチャードの妻がマルコに彼女を紹介しようとしているらしく、マルコは修行の妨げだと照れながらそれを断っていた。
 マルコもいい年であるのだから、幸せな家庭を築いてなどと言っているようだ。
 リチャードは長年サウスタウンに住み暮らし、テリー程ではないが、格闘技大会で上位に食い込む実力者でもある。
 いうなればサウスタウンにおける長老のような役割も果たしている。
 アメリカ生まれにも移民にも等しく接するため、人柄を信用されているのだ。
 そんなリチャードがマルコに相手の写真を見せようとした時、扉のチャイムが鳴った。
 てっきりロックが帰ってきたと思ったリチャードが、早かったな、と声をかけようとした瞬間、あわてて頭を伏せた。
 さきほどまで頭があった場所を通過した何かは、後ろのキープボトルをかち割り、ガラスと中身の酒をぶちまける。

「何者か!」

 マルコがリチャードの前に立ち、構えを取る。
 鍛えられた足の裏は、少々のガラス程度ではびくともしない。

「ヒヒ、腐ってもカポエラマスターか。いい勘してやがらぁ」

 そこにいたのはビリー・カーンであった。トレードマークであるジャケットにバンダナを着込んだ姿は、少し年を感じさせる顔以外に、往年の姿そのままである。
 石か何かを投げ付けたのか、手元の棍は汚れが見えない。

「ビリーか。イギリスに引っ込んだと思っていたが、今さらサウスタウンに何の用だ?」
「ああん? 決まってるじゃねぇか……ギース様のモノを引き取りにきたのよぉ!」

 リチャードが憤怒の表情で尋ねるが、ビリーはそれを軽く受け流す。
 飛び出そうとするリチャードを、マルコが手で制した。

「ギース・ハワードなるものは十年も前に死んでおる。遺産相続ならば弁護士の出番ぞ!」
「道端のガムみてぇな奴らの出番じゃねぇな……てめぇ、新参か?」

 ビリーが棍を構え、ギロリとマルコを睨みつける。
 マルコはそれに応えず、左手を手刀に、右拳を引いて構える形を取った。
 極限流ブラジル支部より、極限流サウスタウン本部へと呼び出された師範代、それがマルコという男である。

「シィ!」

 ビリーが棍を伸ばし、牽制の攻撃を仕掛ける。
 特別に発火装置などの電子機器を組み込まれて作られたビリーの三節棍はその長さを二倍以上に伸ばし、マルコへと襲いかかる。

「何の!」

 しかしそれをマルコは難なく捌く。
 左手の手刀だけで捌いたそれは、もし接近戦であるならばすぐさま右拳が叩き込まれていたであろうことは間違いない。
 マルコの特技は、この力強さからは想像もできないが、実は捌きの精密さにある。

「ヒャーハァ!」

 だがビリーは構わず、次々と棍の一撃を繰り出していく。
 流石のマルコもここまで連続で来ると捌くのが難しくなるのか、ガードとジャストディフェンスを織り交ぜて対処していく。
 ジャストディフェンスを続けるのには非常に集中力を要し、達人でも中々連続成功をさせるのは難しい。
 ビリーはそれを承知で間合いを測り、棍の一撃を続けているのだ。
 このままではジリ貧であるとマルコも承知はしている。
 だが迂闊にガードを解けば、棍の一撃はたやすくマルコの骨を砕いてしまうだろう。
 相手の疲れを待つしかない。マルコは己の筋肉と体力を信じることにした。
 都合五十回。繰り返しの一撃を行ってきたビリーだが、棍を引いた瞬間、信じられない勢いで棍を回し、大振りに動いた。

「オラァ!」

 跳躍しつつの大ぶりの一撃。避けるかと判断したマルコだが、野生の本能か、更にガードを固めることにした。
 その本能は正解だった。
 今正に振り下ろされんとした棍が、一気に分裂して増えたのである。
 アイルランド神話におけるク・ホリンの槍かとも思える一撃だが、実際は先端部分が細分化されるように設計されており、棍を回したのは持ち手を入れ替える為だったのである。
 流石にこの一撃はガードの上からでも利いた。
 単純な衝撃だけでなく、皮膚の上から切り刻まれるかのような感覚をマルコは得た。
 しかし、この細分化した棍を戻す瞬間。これをマルコは好機と見た。
 ガードを解き、ため込んだ気を練り上げ、腰を捻って後ろから前へ、突き出すように両手を広げる。

「覇王翔吼拳!」

 縦一メートル半。それほどの大きさの気の塊がビリーへと襲いかかった。

「チィ!」

 流石にこれをガードしきるのは難しい。
 ビリーは棍を使って転がってこれを避けた。
 しかし、立ち上がる時にはマルコの反撃が始まっている。

「疾風脚!」

 マルコが前方へと飛びかかり、蹴りを突き出す。極限流の技の一つ、飛燕疾風脚である。

「てめぇ、極限流か!」

 ビリーが叫び、棍でそれを受け止める。
 しかしマルコは受け止められた足を支点に体を入れ替え、もう片方の足でビリーの頭を狙う。
 慌てず棍をずらし、ビリーは追撃を防いだ。
 飛燕疾風脚は極限流の――広く教えている護身術としてではなく、気功を扱う、実践的な――代表的な足技である。
 そのために有名であり、対処法も広く知られている。
 追撃の蹴りがあるというのもそのためにビリーは判断出来たのだ。
 だがマルコは慌てない。

「つぁぁ!」

 更に体をひねっての三撃目。これは極限流創設者、タクマ・サカザキの技である。
 極限流は歴史が浅い。その分、使用者によって大きく技が作られていく、進化する流派でもあった。
 例えば現総帥であるリョウ・サカザキは疾風脚は二連撃である。
 しかし独自の技として、ビール瓶切りとされる高度からのたたき割りや、様々に工夫を重ねた「極限流の基礎」を持っている。
 そしてマルコは次世代の極限流として、常に己に磨きをかけている。
 普段は三枚目のようなふざけた言動が多い男だが、こと戦いにおいてでいうならば、この男は現総帥、リョウ・サカザキよりもストイックである。

「きっ!」

 ビリーが流石に一撃を受け、よろめく。
 とはいえ、三連撃の飛燕疾風脚はマルコにとっても会得し切れていない技である。
 着地に体勢をよろめかせ、そのまま追撃に出るのが少し遅れた。
 虎咆と呼ばれる痛烈なジャンプアッパーカットを叩き込もうとしたが、この状態では空振りの危険性がある。
 仕方なくマルコは気の飛び道具である虎煌拳を繰り出そうとしたのだが、流石にそれはビリーが許さなかった。

「ざけんじゃねぇぇ!」

 ビリーが三節棍を両手で持ち、回し始める。
 イギリスで木を粉砕した威力のそれは、内蔵されたコンバーターにより発火する。
 あっという間に炎の輪とかした棍を、ビリーは縦横無尽に振り回し、マルコへと肉薄した。
 それを捌かんと構えたマルコだったが、その捌きに対する技術が命取りとなってしまった。

「Fire!」

 直前で停止したビリーがその回転を早め、炎の輪をそのままマルコへと放り投げたのである。
 ビリーの使うコンバーター三節棍は、発火装置がとりつけられている事は先に述べた。
 そしてその発火装置は液状の燃料を吹き出しており、ビリーはそれを相手に投げつける技術を身につけていたのだ。

「ぬぉぉ!?」

 物理的なものならば如何様にも拳で捌けよう。
 だが炎のようなものが捌けるものではない。燃料ごと炎を浴びたマルコが床を転がりのたうつ。
 リチャードが助けようと飛び出したのを、ビリーはすかさず伸ばした三節棍で叩き打つ。
 喉元に一撃をくらい、リチャードが沈む。
 床でのたうつマルコにビリーが近づき

「卑怯たぁいわねぇよな。ここは道場じゃねぇんだ……ギース様がいなくなった街だからって、極限流が幅をきかせていいって訳じゃねぇんだよぉ!」

 ビリーが棍を振り上げ、頭蓋をたたき割らんとする。
 だが、その棍をマルコに振り下ろすことなく、まるで野球のバットのように後ろへと向き、振り抜いた。

「烈風拳!」

 ――ランニングを終え、パオパオカフェに戻ってきたロックが、恐ろしいほどの氷点下の視線をビリーに向けて構えを取っていた。

「……おかえりですかい、ロック様」
「あんたに様付けされる覚えはねぇよ。……今更何の用だ」
「十年も前からあんたに対する用件は決まってますよ。
 ……だが、その前に試させてもらうぜ。あんたがあの糞野郎の下で育って、未だ牙が抜けてねぇかよぉ!」

 ビリーがロックに向かい、棍を構えた――



[16198] 第十話 『ハワードの名』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:ca2823e0
Date: 2010/03/17 06:15
 ビリーの棍がロックの腕をとらえる。
 だが、ロックはそれをジャストディフェンスで受ける。
 ロックはビリーとマルコの戦いを、駆け付けるまでの数秒だが、見ていた。
 マルコが捌きを得意とするのを見てとるや、ビリーは捌けぬ攻撃に変化させる。
 昨夜リュウと戦ったように、自分とビリーでは戦いの年季というものが違う。
 それをロックは痛感していた。

「シャァァ!」

 だが戦いの場で思案にふけることほど愚かな行動はない。
 ロックは一旦思考を頭の端にどけ、ビリーの攻撃を受けることに専念した。
 その間にも自分の内の気を練り上げていく。
 ロックにとってはふざけた話だが、体の中に流れる忌むべき血と忌避するものは、この状態になって通常以上にロックの力を引き出していた。
 両手から溢れ出す気はビリーの棍による打撃ダメージを無効化に近いレベルにまで軽減していた。
 その防御に、ビリーも、そしてロック自身も驚いていた。
 昨日リュウが言ったことだが、ロックの内に眠る潜在能力というものは凄まじいものがある。
 テリーがロックと手合わせするたびに言う言葉だが

『もっと自分の力を認めろよ、きっと最強になれるぜ』

 ――ロックの実の父親は、ギース・ハワードである。
 ギースの才能を受け継ぎ、さらにはテリーの技術を会得したロックは、確かに格闘技界のサラブレッドともいうべき素質が眠っていた。
 しかし、ロックは実父であるギースを憎み、嫌いぬいていた。己の中に眠る暗い力も、ギースから受け継いだというだけで使うのを躊躇っている。
 それがリュウから「力を使いこなせていない」と評価された理由であった。
 それを、今のロックは無視していた。あえて放っていると言ってもいいだろう。
 このビリーという男が、思い出深い場所であるパオパオカフェに現れ、また十年前と同じようにギースのことを蒸し返すのがたまらなく腹が立ったのだ。

「レイジング・ストォォォォム!」

 全力。コンビネーションも、防御も、隙を見つけるという事すら無視して、両手から噴き出す気をそのままに床にたたきつける。
 ロックから放たれた気は床を伝い、ロックを囲むような結界とかして、竜巻のように吹きあがる。

「チィィィ!」

 ビリーが慌てて後ろへと下がる。
 流石に戦闘の勘というべきか、それともかつての主人が使った技故に、見慣れてもいたのか。
 しかし引き際に最後まで残した軸足が巻き込まれた。
 悲鳴こそあげなかったものの、一瞬で巻き上げられるようにして切り裂かれる右足。
 丈夫さが売りのヴィンテージジーンズが一気にずたずたになり、スニーカーが破壊されていく。
 しかしビリーはそのままの状態で棍を支点に体をずらし、竜巻が途絶えたところに蹴りを叩きこむ。
 顔面に一撃を受けるロック。流石にきいたのか、ぐらりと体を傾ける。
 続いて棍が振り回され、膝、肘、そしてこめかみ付近にたたきこまれていった。
 気を一気に放出した反動か、ロックはうめき声をあげるものの、それに効果的な防御を取れない。
 ようやくたたらをふんで構えを直した時には、額が切れ、血が左目に入り始めていた。

「はぁっ……!」
「やっぱりギース様譲りだよなぁ……惜しいなぁ。クソがよぉ……それだけの力をなんで否定しやがるんだ、てめぇはよぉ!」

 ビリーがいらつきを隠さずに叫ぶ。
 既に三十を超えた体は、ピーク時の力を出せないという焦りをビリーに与えていた。
 ロックのように、かつての主のような底知れなさを見せながらも、若々しい未来を見れば、期待をかけてしまうのも当然といえよう。
 しかし、その当人が期待を否定する。ロックからしてみれば言い掛かりにも等しいのだが、ビリーからすれば裏切り以外の何者でもないのだ。

「知るか、よ……!」
「テリーの野郎の甘ぇ考えの所為だ……!」

 ビリーが棍を構える。何をどうすればいいのか、ビリーにすらわからない。
 行き場のない感情が渦巻いている。そもそも、試すとはいったが、何をどうすべきかとは具体的には考えていない。
 だが、十年経った今、ロックがどのような考えを持っているかを知りたかったのだ。
 そして、見事にビリーの期待は打ち砕かれた。

「ッ……ラァァァ!」

 ビリーが棍を突きにかかる。
 おそらく今のロックではそれを避けることはできまい。
 頭蓋を狙った一撃。ギースの息子という存在が、ギースを否定する。
 ギース・ハワードという男が全てであったビリーには、それは許さざる矛盾だった。
 怒りとも悲しみともつかない感情がビリーを突き動かしていた。
 だから、であろうか。本来のビリーであれば気づいたはずの気の流れに気付かなかったのは。

「どこまでも――」

 ロックが腰をひねる。刹那の挙動。

「――あがいてやる!」

 瞬撃という行動。ロックが一気に踏み込み、ビリーの棍を逸らし、気を纏った拳をビリーの腹に打ち付ける。
 テリーのバーンナックルをロックなりにアレンジし、超必殺技と呼べるまでに鍛え上げた、ロックオリジナルの技。
 シャインナックル。ロックの唯一ともいっていい重量級の技がビリーに炸裂したのだ。
 叫ばない。叫べば体が倒れる。そんな絶対の予感がビリーの体を押しとどめた。
 ロックの体力は十分に残っている。だが、波動が無理に発散させれば肉体に跳ね返るように、ロックのその力も諸刃の剣である。
 レイジング・ストームにシャインナックル。それも潜在能力まで引き出した一撃を立て続けに放ったロックは、気力を根こそぎ奪われていた。
 シャインナックルの拳を腹に突き立てたまま、ロックの意識が闇へと落ちる。

「は……!」

 かろうじてビリーがそれだけを吐き出す。
 気を纏った拳が腹に突き刺さる。外傷こそ大したことはないが、胃の中はずたずたといっていいだろう。
 気を抜けば血が混じった吐瀉物が口からあふれ出そうになる。
 懸命にこらえ、ビリーは棍を振り上げた。
 既に無意識下に近い。
 しかし、三度ビリーの行動は阻止された。
 ゆらりと、焦げ付いた胴着を脱ぎ捨てながらマルコが立ち上がったのだ。
 その瞳は怒りに燃えていた。

「――」

 かつて。サウスタウンをMr.BIGという男が支配しかけた時、リョウ・サカザキが立ち上がったことがある。
 それは決して正義のためではなく、妹を誘拐され、それを助けるべくの戦いだったのだが、その中でまさに極限状態に陥ったリョウが開眼した奥義がある。
 それこそが、極限流究極奥義。

「――必殺じゃぁぁぁ!!」

 龍虎乱舞。
 拳が、蹴りが。ゆっくりながらも一撃一撃を重く、確実に、叩き込んでいく。
 そして、夢うつつにそれをみるロックの脳裏に、閃くものがあった。
 十年、否、二十年以上も昔の再現。
 かつてギース・ハワードが龍虎乱舞をヒントに、己の究極の技、デッドリーレイブを編み出したように、ロックの中に眠る才能が意識を呼び覚まし、マルコの動きをひたすら追い続ける。
 ビリーもまた、ギースから聞き及んだ極限流の動き、そして、ギースが使ったデッドリーレイブを頭に思い浮かべ、それを無意識の内にガードし続ける。
 三者が三者とも限界にあった。
 ロックはすでに動けず、目だけが極限流を追い続ける。
 マルコも肉体は意識の制御下を離れ、本能のみにて究極奥義を放ち続ける。
 そして、ビリーは、それを全てガードし続けていた。

「うぬぉぉぉぉ!!」

 マルコがとどめの虎咆を三回繰り出す。ケン・マスターズの昇竜裂破にも似た動きだった。
 しかし、それすらもビリーがガードしきり――全員が動けなくなった。
 限界を超えてしまったのだ。
 マルコは膝を折り、息を荒げ、ビリーも棍を支えに立っている。
 そこでようやくリチャードが胸元を抑え、よろよろと立ちあがった。
 ビリーもその動きを察知して、棍を杖のようにしながらもパオパオカフェを去っていく。
 結局、ロックには一言も発さなかった。





 テリーがパオパオカフェに戻ってきたのは、更に一時間後の事だった。
 そして満身創痍のロックをみて驚いた。

「リチャード、こいつは一体……?」
「……ビリーの奴がやってきた。私は何とか軽傷で済んだが、ロックとマルコはご覧のありさまだ」

 ロックは肉体的ダメージこそ少なかったが、気力を限界まで消耗した反動か、非常なけだるさで動くことがままならない。
 先ほどテリーが見舞ったが、今は従業員スペースで横になっている。寝息が聞こえていたため、熟睡しているのだろう。
 マルコに至っては火傷がひどく、即時入院ということになった。

「……そうか。ビリー、か」

 テリーがジャケットを脱ぎ、カウンターに座る。リチャードの怪我もあったので開店を遅らせた為か、まだ店内に人はいない。
 椅子に腰掛け、バーカウンターに背中を預けて天井を見上げるテリー。
 リチャードは何も言わずにグラスを磨いていた。

「……………………ナイトメア・ギース」

 随分と長い沈黙の後、ぼそりとつぶやいたテリーの言葉は、普段の明るい姿からは考えられないほど重苦しかった。

「ジェフの仇を取ったつもりだった。だが、最後の最後に、俺はギースに手を差し伸べた。払われちまったがな」

 あいつがあの時、何を思って手を振り払ったのかはわからない。
 そして、復讐を成し遂げた俺はサウスタウンを開放し――ロックを引き取り、ビリーの恨みを一身に背負った。
 復讐だけじゃ何も生まれない。そんな安っぽい台詞は吐きたくないが、あの時の俺は何もかも失い、本当に一人ぼっちになった感覚があった。
 語るテリーの言葉は途切れ途切れだったが、その一つ一つにリチャードは相槌を打った。

「……ギースの事は俺が決着をつける。その為にサウスタウンに戻ってきたんだ」

 必要以上に、ロックに業を背負わせることも、ないだろう? と、テリーがリチャードに同意を求めた。
 それにリチャードは苦笑で返し

「お前さんも親の顔になってきたな。だが、甘やかすだけが育て方じゃないぞ?」

 むしろ、何時までも昔のことに縛られてるのはお前たち二人ともだからな、リチャードは心中でつぶやいた。
 わざわざ口に出す必要はない。それは十分にテリーも理解していることだった。
 親の仇を取った男。そして、その男に親を殺された子供。
 テリーとロックの関係は、どれだけ憎々しく、複雑に思おうとも、ギース・ハワードという存在を中心に繋がっている。
 無論、十年が経った今、テリーとロックの関係は、普通の親子ほどにはいかずとも、それなりの仲を築いているとはいえる。
 しかし、どこかしらに引っかかるものは、あるのだ。

「……もうロックも十七だ、普通の奴ならハイスクールを卒業して、カレッジをどうしようかって悩む時だ。
 それを俺の都合で随分と振り回した。弁護士や銀行に入るつもりなんざあいつにはないだろうが、それでも真っ当な職にはつきづらいだろう」

 ま、あいつの顔なら案外モデルにでもなれるんじゃないか、とテリーが笑う。
 テリーはテリーなりに親になろうと必死なのだろう。それは、リチャードにも痛いほどわかった。
 手紙で何度も育て方について相談されたこともある。
 そして、親離れ、子離れの時期が近付いた時にこの騒ぎだ。
 テリーが薄々恐れながらも、目をそむけていたギースの存在。
 突きつけられた気分は如何ほどのものか。

「……悩んでも仕方ないな。
 オーライ、ギースの亡霊が出てきたと思ったら今度はビリーだ。十年前の再現じゃないか。
 だったら簡単だ。今度は純粋に――壁だった、ギースを倒すまでさ」

 テリーがぱしっと拳と手のひらを打ち合わせ、椅子から飛び降りる。
 その姿はまだ悩みを振り切ってはいないようだったが、先ほどまでの重苦しさは抜けていた。
 テリーも、そしてロックも、未だ知る由もない。
 この騒ぎが、十年前の再現などというものではなく――ギースの遺産という、過去が歪に絡むものだということを。



[16198] 第十一話 『野望と復讐』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/03/19 02:19
「ぐっ…………!」

 男のうめき声が聞こえる。
 ギースタワー、最上階。
 そこに仮面をつけた白髪の男が倒れていた。
 胸を抑え、息を荒らげている。
 口がなく、目だけが爛々と光り、角をつけた意匠を持つ仮面は、まるで悪魔のようであった。

「大丈夫か」

 その仮面の男に声をかけるカイン。
 何時ものような白いすっきりとしたスーツ姿ではなく、上着を脱いだ若干ラフな格好である。
 近くにベガの姿はなく、音の反響からもこの階にいるのがカインと仮面の男だけだというのがわかった。
 この仮面の男の名はグラントという。
 そろそろ、カインについて述べておかねばなるまい。
 かつてサウスタウンがギースの名の下に統一されたという事は、既にリョウによって述べられた。
 だが、その後十年の間、犯罪組織が撲滅された訳ではないのだ。
 ハワード・コネクションが没落して後、サウスタウンの隣地区、セカンドサウスの急速な発展が進んだ。
 州知事の鳴り物入りで再開発事業が進む街は、新たな時代の象徴と言われていたのである。
 しかし、セカンドサウスが発展する内、その街は食い物へとされていった。
 サウスタウンに巣食う犯罪組織が公権力の光に照らされる中、セカンドサウスという街は隠れ住むのに絶好の場所であったのだ。
 新たな街に生まれる新たな利権。すぐにそれは組織の食い物へとされていった。
 カインとグラントは、その中でギースと同様、既存の組織の中で頭角を現してきた存在だった。
 そして数年前、二人は組織のトップを蹴落とし、自らの組織を作り上げた。
 サウスタウンではなく、セカンドサウスにおいて、ギースと同じような経路を辿って頂点に立った男。
 それがこのカイン・R・ハインラインという男であった。
 そしてカインが組織の表で活動する傍ら、裏で対立する相手と対峙してきた男。それがグラントであった。
 この二人は常に表裏一体のように行動し、ともに歩んできた。

「……我が友、この体は既に死人も同様。
 戦に全てを捧げた身だ。心配は、無用」

 グラントが胸を押さえながらも立ち上がり、カインに言う。
 その体躯は堂々としたもので、筋肉の総量はカインの二倍近くにもなるだろう。
 しかし、グラントのその体は、本人が言うように瀕死の状態であった。
 心臓まで数ミリの場所、そこに銃弾が撃ち込まれているのである。
 その衝撃は十分に心臓を傷つけ、大動脈こそ破れてはいないものの、彼の巨大な体を動かし続けるには、あまりに心臓が弱りすぎていた。
 癒着にも近い状態にあるその銃弾は取り出す事も叶わず、何時心臓が破れ、死に至るかわからぬ有様であった。
 気力のみにて生きる戦士の屍。グラントを正しく表現するならばそれがもっとも正しい言い様であろう。

「……今日の午後、計画の一段目、プロレスの国際親善試合が行われる。
 格闘家達は広く集うだろう。既に、格闘家や餓えた狼の集う街ではなく、ただそれをみて喜ぶ有象無象の憩いの街と化したサウスタウン……
 新たに作り替えるには、いい素材が集っている」

 グラントはその言葉に深く沈黙する。
 サウスタウンをかつての街に――それは、ギースの義理の弟であるカインが辿り着いた、一つの理想であった。

「だが、カイン。その程度ならば我らが組織でも十二分に開催できる規模であろう。何故、シャドルーなどという組織を」

 グラントが問う。確かに、ロシアの英雄やアメリカの現役チャンプ、そういった高名なレスラーを呼び寄せるには莫大な金額が必要となるだろう。
 しかしそれから得られる興行収入や放映権など、様々な利益を考えれば、決してカインが率いる組織単独でも起こせぬ規模ではないのだ。
 それであえて尚、そこにシャドルーを咬ませ、のちの計画にも参加させるカインの仕様が、グラントには少し違和感を感じさせる事だった。

「――ギースの遺産」

 ぼそりと、カインが呟いた。

「かつてサウスタウンを騒がせたのは秦の秘伝書という、古来中国に伝わる巻物だった。
 ……だが、その当時、紙などは発明されていなかった」

 秦。秦の始皇帝という名前や、三国志における漢の国が、その設立時に打倒した王朝といえば、その古さがわかるだろうか。
 三国志の時代においても紙などというものは発明されておらず、当然巻物のようなものが出来た訳がない。
 しかし、秦の名を冠する秘伝書は、巻物という形でサウスタウンに集っていた。
 その矛盾。

「ギースが残したものは、サウスタウンという形ばかりの遺産ではない。
 秦の秘伝書の真作――竹簡という、原初の形で残された、そのものなのだ」

 当然、そこに秘められた殺意や思念は尋常のものではない。
 巻物という偽物ですら、巻物に操られた少年二人を格闘技の達人にまで登らせ、この街を熱狂の坩堝に飲み込んだ。
 それが真作という形で現れたのならば、どうなることか。

「ありとあらゆる格闘技を超えるとされるシュトロハイム家も、人を超えたる者を抹殺するという殺意の波動も。
 否、ありとあらゆる者が真作の秦の秘伝書に関わってくるだろう。
 そうなれば、俺達では自衛は出来ても、組織を率いて戦うには規模が足りぬ」

 その中の誰にも負けるつもりはない、とでも言いたげなカインの口調。
 常に丁寧な「私」ではなく、友人としてグラントに接する「俺」への一人称の変化も、若干の熱がこもっていることがわかる。

「シャドルーはかつて、世界征服を失敗したことがある。あのベガも、肉体のクローンを作るために雌伏の時をすごす必要があったという。
 そのような組織が裏から食い漁りに来るよりは、元より引きずり込んで防衛側に回したほうがよい……」

 一息つき、カインが両手を広げ、自らの体より青白い炎を噴き出させる。
 戯れに暗黒真空拳、などと名付けたカインの格闘技だが、シュトロハイムの炎にも似たその気は、まぎれもない実力者の証であった。

「Himmlisch atem」

 言って、カインが手を天に振り上げ、一気に振り下ろした。
 最上階の天井裏、そこに膨大な気が生まれ、天より落ちる。
 その気に巻き込まれるようにして、軍服のようなものを着込んだ男がいた。
 それを目視したグラントがすかさず前に飛び出て、一瞬で気を肉体にめぐらせ、構えを取り、蹴りあげる。

「魔神、破天弾!」

 強烈な蹴り上げが、ヒムリッシュ・アーテムにも劣らぬ気を伴って落ちゆく男にたたきつけられる。
 上下より強烈な一撃を食らった男が、骨の折れる音を響かせながら肺の中の空気を一気に吐き出し、吹き飛ばされ、壁にたたきつけられた。
 その顔には仮面がつけられ、男の素顔を隠している。
 グラントと違うのは、その仮面が真っ白であり、すっきりとしたオペラ調のものであることだろうか。

「さぁ、わざわざ鼠に目的を聞かせたのだ。これからは一層の奮起を期待しようではないか、Mr.バルログ……」

 気づいていたのか、とでも言いたげなように顔をあげ、せき込む男。
 スペイン忍者とも異名をとるほどの軽業を持つバルログという男は、ベガの命令でカインを見張っていたのだ。
 バルログの呼吸がおかしい。二人の一撃は肋骨をへし折り、経絡への衝撃を存分に与えていた。
 しかし、それでもバルログは意地からか天井裏へ飛び移り、その場を立ち去る。
 見事なまでの引き際といえよう。

「さぁ……餓え、求め、争うがいい。
 その中にこそ人の真理が現れる。英雄は現れて消えねばならぬ。ギースの遺産……存分に使わせてもらおう」

 ギースタワー最上階。そこに、カインの炎が揺らめいている。




 サウスタウンなかほどに存在するチャイナタウン。
 その中の小さな道場に、一人の小柄な老人と、男が座っていた。
 老人の名はタン・フー・ルー。テリーの師匠でもあり、八極聖拳という流派を扱う達人である。
 そして男の名は牙刀。流派こそタンとは違えど、八極拳や心意六合拳といった流派を会得した武術家である。
 本来の名前は別で、厳密には中国人ではないのだが、あえて偽名としてこの名を名乗っていた。
 その事情はタンも十分に理解しているらしく

「左様か。未だ見つからぬか……」
「……」

 語らぬまでも、黙して肯定を示す牙刀。
 本来冷徹で、人を見下した感のある牙刀だが、中国人の特性として、目上、それも長老クラスへの敬意というのは果てしなく深い。
 それは国籍は別であれど、中国武術を習った牙刀にも、師への崇敬という形であらわれている。
 よって、サウスタウンのチャイナタウンにて、長老のような格を持つタンには、流石に牙刀も不躾な真似はしない。

「わかった。わしの方も手を尽くしておこう。……とはいえ、リー・ガクスウが亡くなって以後、リー一族は権勢を潜め、今は白一族の下にチャイナタウンは集っておる。
 かつてのよう情報網は望むべくもない……」
「それで結構。奴を見つけ、打ち倒すのは……」

 わかっておる、とタンは手で牙刀を制す。
 そして、報告のみに現れたのか、立ち上がって道場を辞そうとする牙刀に、タンが声をかけた。

「お主の妹の事は任せよ。決して、決して生活に苦労はかけさせぬ」

 その言葉に、牙刀はゆっくりと頷き、今度こそ道場を後にした。
 一人残ったタンが深く息を吐き、坐禅を組む。
 牙刀の妹は双葉ほたるという。
 まだ少女といっていい年齢だが、既に身寄りはない。
 両親は既にない。母は亡くなり、父は失踪した。
 そして、唯一の肉親であるといっていい兄は――

「……まさかに、母を殺したのが実の父であるなどとは、言えぬよな」

 ――母殺しの父を追うため、名をかえ姿を変え、世界を放浪している。
 かつては心優しく、周囲にも好かれる青年だった牙刀。
 それがただ母の仇を討つためだけに感情を殺し、機械と化した男が、しかし心の奥底に残す愛情。
 それこそ、妹を案じる兄の心であった。
 タンは牙刀が一切妹の事を言わぬまでもそれを察し、自らの道場に引き取って育てている。
 兄である牙刀が外家拳、それも剛拳と類される一撃必倒の体術を得ているのに対し、妹であるほたるは内家拳、内の経絡に対する流派を会得していた。
 だが、それがあくまでも尋常の護身術でしかなかったため、タンは彼女の流派を尊重しつつも、八極聖拳の気功術を教えて行った。
 先日も兄を探しにサウスタウンを飛び出そうとしたのを、タンが留めて説得したものだ。
 ほたるの気功術は目に見えて上達したが、それで世界の猛者を相手取ろうというのは無謀であった。

(とはいえ、女性の激情を抑えられるものではなかろう……やれやれ、老骨に孫が出来たと思ったらおてんばとはのぉ)

 タンは少々暢気に構え、ほたるの事を思う。
 老いたりといえども、否、老いてこそタンという男は、チャイナタウンの重鎮として存在していた。
 その庇護の下、ほたるも兄を探すというタンの言葉を信じ、道場にて気功の修練に励んでいる。
 武術を通して、兄に近づけると信じて。

「タンよ」

 と、すっと声がして、闇から抜け出るように新たな老人が顔を出した。
 白髪に、長くのばしたこれまた白い髭。
 紫の胴着に身を包んだ中国人であり、名を元という。

「おお……元か、久しいのう」
「あの男……牙刀といったか。きゃつが?」

 うむ、とタンは頷く。
 この元という男、実は暗殺者を生業としており、華僑の間でも随分と頼りにされていた。
 しかしその本質は武道家というものを突き詰めていった結果、死合いを追い求めるという代物であり、決して殺人狂という訳ではない。
 善悪の基準こそ曖昧ではあるが、同じ華僑や、弟子といった身内にはまだ丸い。

「然様。……牙刀には悪いが、かの者の腕前では父を倒すことなどできまい。
 かのタクマ・サカザキと双肩を並べるとまでいわれた腕前。あたら若い命を散らすことになってはほたるが不憫でな……」
「それで、わし、か」

 うむ、とタンが頷く。

「わしは既に老いすぎた……牙刀ですら無理に押しとどめる事できまいて。
 だが元、お主ならば、牙刀の父をも倒せるじゃろう」
「だが、よいのか。わしに頼むということは」

 即ち、相手を殺せということぞ、元はそう念押しした。
 タンはふるふると頭を振り

「…………出来れば、反省を促したいのじゃがなぁ。
 そして、出来うるならば、技、体だけではなく、牙刀が心を鍛えられるように……」

 タンが坐したまま、目を細めて頼む。
 その姿に元は苦々しく口元を歪め

「貴様は何時もそうだ。あのギース・ハワードの時も、最後までわしの介入を許さなかった。
 そのお陰で貴様の言う、あたら若い命を捨てさせることになったのだろうが」

 その言葉にタンの顔が沈む。
 元のいう命とは、かつてチャイナタウンを代表してギースに抗ったタンの弟子、ジェフ・ボガードのことである。
 その事がサウスタウンの全てを変える運命の鍵ではあったのだが、タンからしてみれば自らの力不足が招いた悲劇でしかない。
 タンがテリーに八極聖拳を伝えた理由も、罪滅ぼしという一面がなかったとはいえないのだ。
 あれはわしの不覚じゃった、とタンが言う。
 その表情は深い悲しみに彩られ、二十年近くたった今でも、タンの心に引っかかるしこりであることは間違いないようだった。

「故に、今度ばかりは助けたい。
 しかし、既に時代は新しくなっておる。如何に長老と慕われようと、導いてやることはできても、強制は出来ぬのだ」

 ただ殺せば、牙刀はその感情の遣りどころを永劫に失うことになるだろう。
 そしてそれを氷解させるには、途方もない年月が必要となるはずだ。
 タンは、それを恐れた。

「……まあよい。永年の友ともいえる貴様の頼みだ、聞かぬ訳にはいくまい。
 それよりも……この街に現れたという話、本当か」
「うむ……白からの情報じゃ。既に崇雷と崇秀の兄弟がサウスタウンを駆けずり回っておる。
 見つけても手を出さぬようにといっているが……」
「帝王拳の兄弟か。……ユンとヤンよりも使うとは思うが」

 元が刹那の挙動で手刀、足刀と演武を繰り返す。

「……殺意の波動を操りし、拳を極めし者」
「サウスタウンの争乱を嗅ぎつけたか、豪鬼……!」



[16198] 第十二話 『極限の古武術』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:ca2823e0
Date: 2010/03/31 08:18
 極限流空手本部道場。
 世界中に支部を持ち、知名度でいえばマスターズ空手や日本の有名空手などにも勝るとも劣らぬ流派なのだが、その道場は規模からすればそれほど大きいという訳ではなかった。
 日本の片田舎にあるような道場でも、この程度の規模をもつものはそれほど珍しいという訳ではない、といった程度のものだ。

「質実剛健を旨としててね」

 などとリョウはおどけてみせたのだが、リュウにはその理由の察しがついていた。
 極限流は大きく分けて二つにわかれている。
 例えば空手大会であるとか、K-1であるといったような、好事家ではなく、それこそ一般大衆にも広く認知される明るい大会で出場する『護身術的』極限流。
 そしてもう一つが、かつてこのサウスタウンで開かれていたようなザ・キング・オブ・ファイターズや、ケン・マスターズが優勝した世界格闘技選手権であるといった、深い世界での戦いに出る極限流。
 後者こそが極限流の本質であり、その戦い様はまさに鬼神そのものであるとされる。
 今でこそ流派幹部クラスは大会に出場していないが、師範代クラスならば今でも各地の大会で極限流の活躍を見ることが出来る。
 しかし、その戦い様からも想像出来るように、その訓練は果てしなく厳しい。
 まずもって気功術を学ぶところから始まるのだから、それに耐えきれる肉体を得る為の段階で逃げ出す門下生が多いのだろう。
 となると一時的には門下生は増えても、それほど大きな道場が必要となる訳ではない。
 リョウの話によると、妹が館長を務める護身術的極限流の道場は、本部道場の二倍以上の大きさがあるそうだ。

「どちらかといえば、極限流はそっちの収入で経営している感じだな」

 と、総帥であるはずの男はカラカラと笑った。
 現在は世界各国にあるという極限流だが、目立った実績をあげているのはアメリカ、日本、ブラジルだという。
 やはり総帥が日系人であるというのが大きいのか、日本での極限流の人気は中々のものがあるそうだ。
 実は、リュウも世界各国を放浪した時に日本の極限流道場へ立ち寄ったことがある。
 その時立ち寄ったのはいわゆる護身術極限流だったのだが、それでも極まった技術に感嘆の声をあげたものだ。
 現にその時の師範代からリュウは一本取られている。

「流石に気を扱えない相手に波動拳や昇竜拳はどうかと思ったので、空手技術だけで戦ったが……」

 かなり手ごわい相手だった、とリュウが語る。

「日本か。日本といえば天童凱という男を知っているか?」

 言われてリュウが頷く。
 天童凱という男は沖縄出身のパーリトゥードファイターで、日本では天才の名をほしいままにしているという。
 表舞台に立つことが多いため、リュウのようなストリートファイターとはあまり縁がないのだが、リョウは凱とも手合わせをしたことがあるのだという。

「流石に明るい試合だったが、それでもいい戦いだった」

 リョウがまたも笑い、道場へと入る。
 道場の中では数人の門下生がおり、下はまだ年齢一桁の子供から、上はそれこそ白髪の交じった男までいる。
 しかしこの道場が本筋の極限流であることを考えると、一桁の子供とはいえ油断の出来ぬ強さだといえよう。

『総帥、お疲れ様です。オォス!』
「オォス……! ちょっと見学者がいるもんでな。今日の例のプロレスまでの時間つぶしに連れてきた。
 稽古はそのままに続けてくれ」

 門下生が返事をして稽古に戻った。
 今は正拳の練習をしているらしく、腰の入ったいい動きの音が道場に響く。
 二人も道場の床に正座をしてそれを眺めていた。
 リュウのような男にとって、正拳などの練習は今さら見るものがないのではないかと思いがちだが、たまにはこういった基本の練習を見なければ、自分の中で疎かにしている部分というのを忘れ去ってしまうものだ。
 それに正拳ひとつとっても、流派によって微細な違いがあるため、リュウにとっては非常に興味深い。
 極限流では正拳一つ打つ前に呼吸を整えるらしく、通常の正拳の練習からみると少々遅い感じもする。
 しかし、この呼吸の一つ一つが、極限流の要である『気』を生み出すのだから、決して疎かには出来ない。
 現に例の子供ですらその突きには気が籠っていた。

「流石に虎煌拳を打てるやつはいないけどな」

 それでも虎咆や飛燕疾風脚といった、比較的肉体修練を突き詰めて行う類のものは、真似事程度に出来るほどは気が練れるのだという。
 気を飛ばす、ということは想像以上に辛い修練なのだ。
 特に極限流では片手で気を放つ。
 リュウが片手で波動拳を放てないのを見てもわかるように、片手で放てるというだけでもソレは素晴らしい技術である。
 無論、極限流独自の修行方法から考えるに、両手で放つ方が難しいというものかもしれないが、それは技術の差というものだろう。

(とはいえ、何よりも素晴らしいのは、空中で虎煌拳を放てるということだ)

 ベガにヴォルフガング・フォン・シュトロハイム・クラウザー。
 例えばこの二人の巨頭、どちらも実力者であるが、『空中で気を放つことが出来ない』
 無論、リュウも放つことは出来ない。
 恐るべし極限流といえるだろう。
 暫くの間稽古をみていると、板の扉をたたく音がして、リョウが振り返る。

「お疲れ様です、羊羹などを手に入れましたので、息抜きにいかがですか」

 淡い紺の着物を身に着け、古風な装いをした女性が人数分――リュウをいれて――の羊羹と緑茶をお盆に載せて道場へと入ってくる。
 年のころ合いは四十前後だろうか。リョウよりは年下にみえるが、女房といった感じはしない。
 髪や目からすると日本人か、でなくとも代を重ねていない日系人であろう。

「お疲れ様、藤堂さん。何時も悪いね」

 リョウが緑茶を受取、その熱さを渋さを楽しみつつ労うと、藤堂という女性は少し微笑みながらいいえ、と返した。
 実はこの女性も、二十年も前には極限流に対してライバル意識をガリガリと出した気の強い少女だったといえば、リュウは驚くだろうか。

「そうだ……藤堂さん、胴着は持ってきてたっけか」
「ええ。これからユリさんのところにも挨拶にいこうかと思っていましたから」

 ユリというのはリョウの妹であり、現在は護身術側の極限流の師範を務める女性である。

「どうだ、リュウ。この藤堂さんはこれでいて古武道の達人でね。一手教授してもらっては」

 その言葉に少しばかりリュウが驚いた。
 確かに世の中、女性格闘家はストリートファイトでも少なくはない。
 特に長年リュウと交友のある春麗というインターポールの刑事などは、中国国内でも有数の武闘家でもあるし、リュウを慕う少女も中々の強さを誇る。
 だがそれでも、彼女たちは格闘家特有の活気のある雰囲気を持っている上に若く、四十前後という、それも和風の女性と闘うというのはリュウにとってもはじめての経験だった。
 とはいえ、古武術に興味がない訳ではない。
 どうもリュウは空手やマーシャルアーツといった流派には縁があっても、古武術にはあまり縁がなく、手合わせの回数も限られていた。
 では着替えてまいります、とリュウが願ったならば、なんとも小気味よく返事をして、藤堂は更衣室へと向かっていった。


 暫くして現れた藤堂の姿に、リュウはまたも驚いた。
 先ほどまでの、どちらかといえばのんびりとした姿からは一変。袴と胴着を身に着け、更には胴当てと腰、鉢巻をきっちりと結び、髪を高くポニーテールにした姿は、未だ二十といっても通用しそうな若々しさを持っていたからだ。
 そしてなにより、その身からあふれる活気が違う。

「藤堂流古武術。藤堂香澄、宜しくお願いいたします」
「む」

 リュウが構える前に、少し思案する。
 リュウはストリートファイターである。つまりは、路上や裏試合などで戦うファイターであり、公式な格闘大会などには滅多に顔を出さない。
 それは使う技が波動という特殊な技術を持つためにどうしようもないことなのだが、そうなるとこの藤堂――いや、香澄のように流派の名乗りをあげられると、少し困ったことになる。

「……名無しの流派、リュウ。宜しくお願いする」

 そう。流派の名前というものがないのだ。
 あえて名乗るとするならば師匠の名をかりて剛拳流だろうか。
 同門であったケンはマスターズ空手を名乗っているし、リュウは知らぬことだったが、見知らぬ兄弟子は最強流などを名乗っていた。

「名無し、ですか。しかし我流という訳ではなさそうですね」
「ああ、きちんとした師匠の下だが、その師匠が別に流派を名乗らなかったものでね」

 香澄とリュウが構える。

「……そうそう、リュウ。藤堂さんは気を遣う。波動も勿論使って構わないぞ」

 その言葉にリュウがぴくりと眉を動かした。
 極限流ではないと知ったが、それでもサウスタウンという場所は気を使える奴が多い。そう痛感したのだ。
 そして、試合となれば手加減は無用。
 例え、このファイトの相手がリュウを慕っているあの少女だとしても、リュウは本気で戦っていただろう。
 ジリ、とリュウが間合いをつめる。
 極限流の門下生たちが壁際に座り、その戦いを見つめていた。

「ふっ!」

 素早い正拳をリュウが放つ。しかし香澄はそれを半身逸らして避けた。
 しかしその拳が引き戻されるよりもすばやく、リュウが斜め上への蹴りあげを放つ。
 半身をずらそうが、縦ではなく横からくる蹴りは避けられぬという道理だ。

「たぁ!」

 しかし、香澄は落ち着いて掌底をリュウの足へと打ち付ける。
 丁度膝に打ち込まれたそれは、蹴りの勢いを瞬時に殺すだけではなく、蹴ろうとした反動にてリュウの足へとダメージを与えた。

(ぐ!)

 痛みやダメージといった観点ではそれほどではないが、あまりに鮮やかな動きである。
 おそらく本気ではなく、膝を破壊しようと思えば破壊出来たに違いない。
 腕っ節といった点ではさほどでもないが、この女性は見切り、それも受けることに関しての技術が高い――リュウはそう感じ取った。
 ならばと左足一本で大きく後ろに下がり、腰だめに手を構えて波動拳を放つ。

「波動拳!」
「重ね当て!」

 だが、リュウが放った一撃は見事に香澄の放った気に相殺された。
 飛距離はない。だが、剃刀か、よく反った日本刀のような気の壁が前方に現れたのだ。
 後に聞いた話だが、藤堂流には古来気を使う技というものはなかったそうである。
 それを先代の継承者が極限流に敗れた事を機に修行を重ね、独自に編み出したというのだから、歴史をもった技術というものは侮れない。

(ふーっ……! 興味深い流派だな)

 リュウも本気で手合わせをしている。だが、これはファイトではなく、あくまで香澄に教えを乞うている形なのだ。
 故に勝利を得ることが目的ではなく、藤堂流の技を見せてもらうことに重点を置いている。
 リュウも香澄も、それを理解して拳を打ち合わせている。
 とはいえ、一歩違えば大怪我をする手合わせなのだから、両者の技術の高さが門下生にも十分に通じていた。

「本当は藤堂流も攻めの技はあるのですが……もうおばさんですね。攻めるのが難しくなってしまいました」

 香澄が少し頬を赤くしながら照れて笑う。
 四十の熟した色気が、少し残る少女のような姿と相まって何とも色っぽく映った。
 藤堂香澄は十代の頃から藤堂流古武術を修行している。
 サウスタウンに来たのはちょうどその頃で、行方不明となった父の情報を知っている、そして、父を負かせた復讐として極限流をつけ狙ったものだ。
 今では無事誤解もとけ、行方不明となっていた父が日本の道場を切り盛りしており、縁のあったサウスタウンに料亭「KARUTA」を再建した。
 香澄はそこの女社長兼、極限流道場を間借りして藤堂流を教えているという訳だった。
 リョウや、その妹であるユリのように常に武術を続けていた訳ではなく、人並みの幸せを掴んだ香澄はどうしてもそれとくらべると技の切れは落ちる。
 しかし香澄の持つ『受けの極意』は

(少しも衰えちゃいない)

 リョウはそう見極めていた。

 受けを得手とする相手への対処方法は様々だ。結論を言えば受けられない攻撃をすればよいのだが、その結果に至る過程に問題がある。
 目にもとまらぬ素早い攻撃か、息もつかせぬラッシュか、受けることを許さぬ一撃必殺か、それとも遠距離から攻撃を続けるか。
 リュウは香澄を観察する。
 若々しい気を放っているとはいえ、その肉体はやはり四十という衰えがある。
 リュウのコンビネーションを用いれば、あるいは受けさせないことが可能かもしれない。
 しかしそれはあくまで推測にすぎない。
 ならば素早い攻撃か。それも否だ。存分に受けの体勢を取った相手には素早いだけでは単なる愚策。
 勿論早いなりにフェイントをかますものもあるのだが、あいにくとリュウの技にはフェイントに強いものがなかった。
 これが例えばロックであるならばダンクや回り込みなどで十分虚をつけたのであろうが。
 となれば遠距離か、一撃必殺か。

(どうせならば、みたい。この人の受けの一撃を)

 リュウはそう思い至った。香澄は攻めの技もあるにはある、というようなニュアンスの発言だった。
 どちらかといえば守りに硬い武術なのだろう。
 後の先をとる。戦国時代、相手が刀槍をもった時代より培われた武術ならばおかしいことはない。
 それも一撃必殺に値する受けのはずだ。

「剣道における竹刀を作り上げた、活人剣を信条とした上泉武蔵守より伝わった陰流。
 その正統を継いだ柳生新陰流。極意が無刀取りと申します」

 香澄曰く、藤堂流とは更にその先、無手にても生き延びる為の武術。
 仙台において興った柳生心眼流と目指すものは似ているのだという。
 あいにくとリュウはそのあたりに疎く、香澄の歴史講座はほとんどわからなかったが、その歴史の深みは理解に至った。

(さて、どうするか)

 一撃必殺を狙う。となると直接打撃だろう。
 ならば昇竜拳。それも、並の昇竜拳では駄目だろう。

(……高められるか。どこまで!)

 リュウが拳と足を大きく開き、構える。目を瞑り、まるで瞑想するかのごとく。
 リュウがサウスタウンにくる少し前、死んだと思っていた師匠に再開したことがある。
 その時のリュウは無様にも殺意の波動に操られ、無差別の殺戮を行いかけていたのだ。
 それを止めたのが師、ゴウケンであり、その

(無の拳!)

 おそらくリュウは、己が無の拳を会得することは不可能だと思っている。
 仏門の如き悟り。それは迷いながらも一つの道を極めたもののみが至れる境地である。
 だがリュウはそこに至ることが出来ない。真似ごとのような悟りは魔境といわれる害悪である。
 己のみが至れる境地。それを、リュウはイメージする。

「ほぅ……」

 坐したまま、リョウがつぶやきをもらした。
 リュウの周囲の空気が震えているのである。
 優れた剣士であるならばその間合いには剣気というべき侵さざる領域が出来るという。
 不用意に入れば即ち死。今リュウが生み出した間合いにはそのような張りつめた何かが出来上がっていたのだ。

(だが、その気は抜き身の刀。羅刹の力だが……?)

 リュウもそれは自覚していた。閉じた目の内に浮かぶのはどす黒い、紫の波動。
 見る見る膨れ上がっていくのは、純粋な波動ではなく、殺意の波動であった。
 必死に抑え込もうとするリュウ。だが、そこでリョウは大声を出した。

「迷うな、放て!」

 その言葉にリュウが目を開く。

(ままよ――!)

 床を滑るかのような疾駆。腰を大きく落とし、リュウの拳に殺意の波動が宿る。
 意識までは支配されていない。だが、体は香澄を破壊せんばかりの勢いで動いていく。

「滅!」

 その気合いがリュウの口から迸ったとき、香澄もそれに呼応して気を吐いた。

「たぁぁぁ――――ッ!」

 香澄が気合いを発し、片手を高く、もう一方を腰近くに開く。
 リュウの拳と腰が殺意の波動を伴い、香澄の腹部へと差し込まれる瞬間。
 腰近くに添えられた手がまずリュウの腕を撫でるように滑り、自然と角度を曲げ、腹部ではなく香澄の高くに開かれた手に当てられる。
 瞬転、どこをどうしたものか、リュウの体は昇竜拳の勢いをそのままにまるで赤子が転ぶように床へと叩きつけられた。
 天へ向かう拳は頭ごと床に叩きつけられ、リュウの意識が混乱する。
 頭、背骨、腰骨。それぞれが等しく叩きつけられた体は一瞬麻痺を起こし、如何な殺意の波動といえど、その体の支配権を手放してしまう。
 まるで世界がひっくり返ったような感覚をリュウが味わったその時、喉と腹に優しく香澄の手が添えられていた。
 既にリュウの殺意の波動は雲散霧消している。

「……はい、おしまいです。これが藤堂流極意、葛落としという技です」

 リュウは床に叩きつけられたまま素直に感動していた。
 何が一番恐ろしいかと言えば、この技が流れるうちに、波動や気というものが一片たりともかかわっていないのだ。
 純粋に人の技術のみで作り上げられた武術。
 歴史とはこれほどのものを作り上げるのかというリュウが思い知った瞬間であった。

(……サイコパワーを持つベガ、その素体となるセス)

 人外の力を持った相手は確かに強い。だが、ザンギエフに代表されるように、人の技術、肉体だけでそれに対応する相手というのは、地力の強さがケタ違いなのである。

(だが、もし、これと同様の技を気や波動を用いて使ったら――?)

 香澄は気を遣うといったが、リュウが見たところ、それを主力に出来るというほどではないだろう。
 そしてその時、リュウの脳裏にきらめくものがあった。

(……ギース・ハワード?)

 何故唐突にその名前が浮かんだのかリュウにはわからない。
 それは一種優れた格闘家の勘というものであったのだろう。
 ケン・マスターズが破れた理由、もしやするという閃きであった。



 リュウが呼吸を整え、立ち上がる頃にはすっかり体の痛みは消え去っていた。
 恐らく叩きつける衝撃も手加減してもらったのだろう。
 本来であれば頭蓋に背骨をたたき折られていたとしてもおかしくはなかったのだ。

「ご教授ありがとうございました」

 リュウが姿勢を正して香澄に礼をいう。
 このあたり、流石にリュウはきっちりとしていた。

「もう四時過ぎか……リュウ、蒸しタオルを持ってきてやるから体を拭いて待っていろ。
 俺がバイクで送ってやるよ」

 その申し出をリュウはありがたく受けることにした。流石に汗をかいたまま会場に入っては何をいわれるかわかったものではない。
 極限流の名前が入っていない白い替えの胴着も都合してもらうことになり、リュウは礼を述べた。

「リュウさん」

 香澄が元の着物に着替え、リュウに話しかける。

「この街は、獣の街です」

 そう語る香澄の表情は、しかし柔和であった。
 表情と言葉に一致が見られない。リュウが不思議そうに思っていると

「しかし。それは決して餓えた獣達の街という訳ではありません。
 ……獣だからこそ、分かり合える。闘いの道を歩む者のための、街でもあります」

 そ、っと香澄が自分の胸に手をあてた。

「父も、この街で改めて自らの武の道を見極めました。
 貴方も、この街で自らの武を見極められるよう、応援しております」

 そこまでいうと香澄は紅をさしたように頬を赤くして

「駄目ですね。四十にもなると言うことが年を取ってしまいます」
「いえ……ありがとうございます」

 リュウは再度礼をいって、道場を後にした。
 バイクの音が響いている。着替えたリュウは、リョウのバイクに跨り、極限流道場を後にする。

(……殺意でもなく、無でもない、俺だけの拳。
 闘いの先に……見えるもの)

 バイクで走る間中、リュウはずっと思案を続けていたのだった。



[16198] 番外 『江戸の闇』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/04/06 18:59
「……柳生の系譜、ってぇ奴かい?」
「左様。覇王丸よ、まず聞け」

 時は寛政三年春。徳川幕府による泰平の世。
 真の武士道は忘れ去られんとしていた。
 その、歴史の陰で。異形の者が蠢きはじめる。
 江戸南町、柳生剣術道場。そこに、二人の男がいた。
 一人は渋く落ち着いた着物を着こなした隻眼の男で、もう一人はわさっとした髪を乱雑に纏めた筋骨隆々の男である。
 筋骨隆々の男の名は覇王丸といい、この時には既にそれとなく名を知られ始めていた。

「上泉武蔵守が愛洲移香斎、塚原卜伝等より剣の手解きをうけ、新陰流をまず創始した。
 それが柳生石舟斎様に伝えられ、尾張柳生にその道統が伝えられておる。
 わしが十兵衛を名乗るも、剣の腕と隻眼を認められたが故の事よ」

 もう一人は柳生十兵衛。これはかの高名な柳生十兵衛三厳とは別人である。
 土佐にて柳生家に見出され、養子となったに過ぎず、柳生家当主という訳でもなかった。

「お主も知っておる服部半蔵もそれよ。かつての鬼の半蔵と恐れられた服部家は三代で取りつぶしとなったが、その高名は今も伝えられ、

上様によって服部半蔵を名乗るを許された」

 伊賀同心――つまりは伊賀忍軍を率いる存在が今の江戸にはいる。
 その頭領の名を服部半蔵というが、これまたかの有名な服部半蔵とは別人である。
 しかし、かつて徳川幕府創始の時代における勇士の名を継いだ者が同時期に二人もいるというのは、いささか奇妙な事柄でもあった。

「お主、三代前の上様は知っておるかな」
「馬鹿にするねぇ。かの米将軍、徳川吉宗公だろう?」

 左様、と十兵衛が頷いた。
 述べ忘れていたが、ここは江戸南町にある柳生道場である。
 数十年以上江戸柳生は絶えて久しかったが、十兵衛が将軍家剣術指南役に任命されたのを機に、江戸にも道場を構えなおしたのである。
 その座敷内に覇王丸と、柳生十兵衛が坐しているのであった。

「実はその折より、江戸の街に異形の者が増え始めておってな。
 享保の大飢饉の折にも魑魅魍魎が跋扈したそうじゃ」

 そこで吉宗公は京都より陰陽師を呼び寄せ、優れたる剣客を集わせ、忍者集団を復活させた。
 その波がわしと半蔵殿である、と十兵衛が語る。
 その言葉に覇王丸は聊か驚いた様子で

「へぇぇ……道理で最近妖怪をみかけると思ったぜ」

 この時代は迷信が真実として罷り通る時代であった。
 果たして覇王丸が斬ったのが真実妖怪であったのか、はたまた異常な体躯をした獣であったのかは定かでない。

「……そこでだ、お主を呼び寄せた。
 わしや伊賀忍軍も動いてはおるが、きゃつらは賢しい。
 わしらのような者には手を出して来ぬのよ、その点、お主ならば早々妖怪に遅れはとるまい。
 どうじゃ、一介の剣客として江戸市中を回ってくれぬか」

 なんともない提案のように言う十兵衛だったが、その裏には真実信頼の響きが見えていた。
 公儀の仕事に関わらせようというのだから、そこには相当の信頼があるとみていいだろう。
 元より覇王丸は家を飛び出したとはいえ直参旗本の家柄である。
 血筋としては申し分ない。
 ここで手柄をあげれば家名相続を願い出ることも無理な話ではないのだ。
 尤も、十兵衛は覇王丸本人にその気が更々ないことを重々承知の上である。
 それでなお、手柄を得るチャンスを与えようというのは、剣を教え導くような気分の親心とでもいうべきか。
 少なくとも、柳生道場に入り、手ずから教えれば目録を得るのは難しいことではないと、覇王丸に対する評価を与えている十兵衛であっ

た。

「そいつぁ一向に構わねぇよ。この間狂死郎の舞台手伝いで小金が入ったからな。
 暫くは大道芸で稼ぐ必要もねぇ」
「……相分かった。それは心強いが……お主、大道芸もいい加減にしておけよ。
 芸人というのはそれなりの縄張りがある。お主の苦情、一度や二度耳にした程度ではないのだぞ」

 剣客に真っ向から文句を言える町人など少ない。
 覇王丸が大道芸をして江戸市中で稼ぐことに非難の声は多少はあるのだ。
 ともあれ、依頼と忠告を受けた覇王丸は、そこから半刻(一時間)程の間を柳生道場で過ごし、修行をしてから道場を出た。



 天明の時代ともなると、江戸市中はかなりのにぎわいをみせている。
 時代劇によく出てくる江戸時代といっても間違いではないだろう。
 特に時代劇を見た人ならば、暴れん坊将軍から鬼平犯科帳の間の時代といえば、乱暴ではあるがわかりよいだろうか。
 言われたとおり、江戸市中をぶらつく覇王丸であったが、しかし一向に何も起こらない。
 蕎麦屋などに入り、酒と蕎麦を食らってごろりと横になってみるも、寝首をかかれるようなこともなかった。
 気づけば日もすっかりと落ち、店の主人にいい加減怒られたために店を出た覇王丸が、今日の寝床を探そうと日本橋あたりを歩いていた

時、酒で緩んでいた顔が一気に引き締められた。
 愛刀・河豚毒の柄に手をかけ、すぅっと息を整える。
 次の瞬間に覇王丸は駆け出し、夜闇の中に白刃を煌かせた。
 甲高い金属音が鳴り響き、振り向いた覇王丸が一閃、刀を振り上げ、旋風を生み出す。
 しかし闇からは何も答えず、次の瞬間覇王丸の頬が薄く切り裂かれた。

「っちぃ!」

 たたらを踏んで後ろに下がり、腰につりさげた酒瓶を前方へ投げつける。
 覇王丸の手から離れてすぐ酒瓶が空中で砕かれ、陶器の欠片と酒があたりへとまき散らされた。
 その舞い散る中、覇王丸の体が大きく跳躍し、その豪刀を一気に振り下ろす。

「烈震斬!」

 勢いままに振り下ろされた刀が日本橋を震わせる。
 ようやく闇の中に蠢く者が動揺したのがわかった。
 覇王丸が刀を構え直すと、闇夜の中に鈍い光が走る。
 雲の切れ間から月光が差し込み、刀に反射したのだ。
 そこにあったのは鎧と刀である。井伊の赤備えの如き真紅の鎧と、禍々しさを持つ刀。

「……妖刀の類か」

 覇王丸の口元がにやりと釣り上がる。
 この男は命のやり取り、それも、己の全力が出せる立会となると妙に心持ちが嬉しくなってくる。
 人斬りが好きな訳ではない。ただただ、己の道を邁進出来ることが嬉しいのだ。
 その点でいえば、この男に剣術の流派は似合わない。
 唯一言えるとすれば、戦国における介者剣法。命のやりとりこそ至上の古流といえるだろう。
 妖刀がその空中浮遊の独特さを用い、全力で突き込んできた。
 しかし覇王丸は動じず、その身を捻り、刀にてそれを逸らす。
 剣豪同士の戦いに無駄な牽制ややわな攻撃など必要ない。
 究極的にいってしまえば、覇王丸が先程行ったような派手な技など必要もないのだ。
 ただ振りかぶり、斬る。
 それだけで人は死ぬ。
 妖刀は全く動じぬ覇王丸の動きに少し驚いたようだ。
 既に幕府が開かれて百五十年近い。
 侍らしい侍など数少なくなっているのだ。
 恐らく、この妖刀が斬ったのも、そういった侍魂を亡くした男たちだったのであろう。

「いいねぇ……!」

 妖刀が意識を切り替えたのか、青眼に構え直す。
 基本に忠実ないい構えだった。
 覇王丸は刀身こそ下に向けた構えだが、その腕は頭よりも上へと掲げられている。
 我流剣法である。

『――――!』

 妖刀がまるで気合を発したかのようにうごめき、躍りかかってきた。
 その瞬間、覇王丸の微動だにしなかった体が動き、左足を残して右足を大きく踏み込み、裂帛の声と共に振り下ろす。
 覇王丸の剛刀が一気に二足三足分も前の妖刀を切り裂いた。
 あまりといえばあまりな一撃であった。
 肉を切らせて骨を断つ、とはよくある言葉だったが、覇王丸の踏み込みには己の命が勘定に入っていない。
 骨を切らせてでも相手を断ち切るような一撃であり、百五十年以上も昔の、合戦剣術に等しい。

『――!』

 妖刀は流石にそれを受けることを諦めたが、鎧は当然攻撃を受ける。
 胴丸が上から下まで一直線に切り裂かれ、がらんがらんと音を立てて橋の上へと転がった。
 お座敷剣法ではない、合戦の剣。それが妖刀を退治した決め手であった。

「お見事」

 覇王丸が刀を振って鞘に収めると、どこからともなく声が聞こえ、ひとりの男が降り立った。
 黒い衣に鉄製の額当てをつけ、赤い襟巻きをつけている。
 忍びにあるまじき姿であるが、これこそが一人に目を向けさせ、他の忍軍を動かす術である。
 そう、服部半蔵その人であった。
 覇王丸が半蔵の姿を見るのは初めてではない。
 そのたびにまるで傾奇者のような姿だと訝しむのだが、要するに自らを「的」にした看板なのだと気づいてからは、むしろそれを行える

力量に感嘆したものだ。

「半蔵じゃねぇか……この化物、一体何者だ?」
「……妖刀『鬼炎』に甲冑『般若』。どちらも呪われし武具よ……見よ、覇王丸。それが武具をつけたものの末路」

 半蔵が指差す先には、先程覇王丸が切った鎧があった。
 しかしよくよくみれば、その鎧も刀も、自由自在に動いていたのではなく、全身を真っ青に染めた男がそこに倒れていた。

「かつては織田信長が装着したといわれる般若、迂闊に身にまとえばこの通りよ……
 故に迂闊に我らも触れられぬ。花諷院の陰陽師を呼び寄せ、封印をせねばなるまい」

 ふぅん、と覇王丸が興味なさげに唸る。
 強い相手と戦うのは歓迎だが、呪われた武具などに興味はない。
 攻撃を避けるためとはいえ、酒瓶を割ったのも少し気にくわないらしく、このあたりの酒屋がまだ開いているかを気にし始めた。
 しかし、その一瞬の隙が命取りであった。

『刃、刃刃刃刃刃刃刃刃刃刃!!!
 強い、強いのうお主! 明智光秀以来久々に討ち取られたわ!
 豊臣秀吉とても我を倒しきる事は出来なんだ! 不意打ちの光秀ではない、真っ向から打ち破られたのは久々ぞ!
 だがな、ワシは死なん! このビシャモン、死なぬのだ!』
「生きておったか!」

 半蔵が構えをとり、胸元から炸裂弾を取り出す。
 これを束ね、地面に打ち付け跳ねさせる事で無限の挙動を作り出し、周辺被害を抑えながらも相手を爆死せしめる。
 半蔵独自の忍術、爆炎龍であった。

『効かぬ効かぬ効かぬゥゥゥゥ!
 ここは退かせてもらうとするわい! だが覚えておれ。何十年立とうとも、何れ貴様の魂を食らってくれるわァ!』
「生憎と俺の魂は何度も狙われててね。おまえさん程度じゃ力不足なんだよ」

 既に覇王丸は魔界の手先を幾度と退治せしめている。
 天草四郎時貞、羅将神ミヅキ、懐帝ユガ……その男が今更妖刀と鎧の悪霊程度に驚くはずもなかった。

「けぇんな! 今のお江戸はおまえさんが満足する剣士なんぞ早々いやしねぇよ!」

 その声に何か思い当たるところがあったのか、ビシャモンは動きをぴたりと止め、もう一度笑った。

『刃、刃刃刃刃、刃刃刃刃刃刃刃刃! それも左様だ!
 ならば覇王丸と申したか! 貴様の魂、魔界に堕ちるのを待ちながらおるとしよう!』

 次の瞬間には、生ぬるい風が吹いてビシャモンの姿が掻き消えた。
 流石に半蔵が目で追えぬ所を見ると、そもそも現世とは違う場所へと掻き消えたか。
 とまれ半蔵が周辺に姿がないことを確認すると、覇王丸を労った。

「……天草事変以来、江戸の町も更に騒がしくなった。
 覇王丸、お主の剣名も全国に広まりつつあろう。……いかがするつもりだ?」

 その言葉に、しかし覇王丸は笑いながら

「どうもこうもないね。俺はまだ柳生のおっさんに勝ってないし、未熟もいいところだ。
 天下を練り歩いて己の男道を磨くのみよ」

 その中で魔物が出てくるならば、それも斬る。
 後に、伝説の剣豪とまで言われる男の言葉に、半蔵は深く頷いた。
 天明八年を境に、ダークストーカーズといわれる闇の者達がが一時的に大人しくなるのは、この時期に日本に柳生十兵衛、服部半蔵。
 更には世界各地にて侍魂を持つ者達が立ち上がり、尽くを防ぎきったからである。
 以後、暗黒神アンブロジァは活動を停止。魔界における統治権は完全に魔界貴族に委ねられる事となった。
 覇王丸この時二十八歳。更に二十年の後に、再度魔界の陰謀を食い止めることになるのだが――それはまた、別の物語である。





『刃ァ――刃ッ刃! 待っておれ、魔界の強者共。
 ワシは斬るのが好きでのう! もう一度魂を集めて現世に舞い戻ってくれるわ!』



[16198] 第十三話 『控え室』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:9a575411
Date: 2010/04/06 19:00
 サウスタウンセントラルパーク。
 そこに巨大な会場は作られていた。
 州知事の肝いりで作られたドーム施設である。
 ちょうど半月前にオープンしたばかりで、このプロレスイベントが実際のオープニングイベントだろうといわれている。
 その晴れ舞台で引退の花道を飾ることが出来る、そう考えると、今控室にいるビッグ・ベアは顔を下に向けると何やら熱いものがこぼれそうになってくるのだった。
 ビッグ・ベアは誕生日こそ公表しているが、生年は知らせていない。
 しかし五十前後であることは確かで、プロレスラーとしては長寿を誇ったといえる。
 かつては張り詰めていた筋肉も、少したるみがみられるが、その強烈無比なドロップキックは今も健在だった。

(……だが、流石にちとガタがきちまった)

 もう、若手とフルで張り合える試合というのは滅多にない。
 体力がもたないので、一対一ではなくタッグマッチばかり行っている。
 ビッグ・ベアの年齢で引退というのは決して珍しくはない。
 むしろ、まだまだ若いとされる方ではあった。
 たとえばミル・マスカラスなどは四十年以上現役を誇っている。

(しゃぁねぇよ、な。超ヘヴィ級の体で三十年張ってきたんだ。
 もう、表舞台から退いてもいいだろう)

 それでも、最後の舞台は客を喜ばせたい。
 例えその内の客の九割が親善試合目当てだとしても、ビッグ・ベアは最後の花を咲かせて見せると意気込んでいた。
 と、そんな控え室をノックする音が聞こえる。
 扉が開いてみると、そこにいるのはグリフォンマスクだった。
 無敵の全米チャンプとして名高く、その動きも華麗で引き締まった肉体をもつこのヒーローレスラーは、まさしく今の時代を象徴する男だろう。

「おうおう、ティゾックじゃねぇか」

 ティゾックとはレスラー仲間、あるいはコアなファンの間でのグリフォンマスクの通称である。
 グリフォンの鮮やかな姿と、王座を取得した期間の素晴らしさからアステカ王の名称をつけられているのだ。
 だがグリフォン自身はアメリカ人であるため、自分からティゾックと名乗ったことはない。

「今日は前座、務めさせていただきます」

 普段は実に自信たっぷりとした発言をするグリフォンだったが、流石に大先輩であるビッグ・ベアを前にしては恐縮した物言いになる。
 その様子に少しばかりビッグ・ベアは目を細め

「俺なんかより先にオルテガの大将に挨拶は済ませてこいよ」
「伝説の帝王、ヴィクター・オルテガ、ですか」

 おうよ、とビッグベアが頷く。
 グリフォンマスクはデビューしてまだ数年だが、すでに三桁を超える試合で、タッグマッチ上で引き分けこそ数度あれど、敗北は一度もないという無敵のチャンプだ。
 対してオルテガはデビューから引退まで、それこそ数千以上の試合をこなし、最後の引退の試合まで引き分けすらない無敗を誇った伝説のチャンプである。
 桁が違う、といって間違いはない。
 ただ、どちらかといえば孤高の人であって、完全にヒーローというわけではなかった。
 その点でいえば、たかがデビュー数年で超満員のドームを作り上げられるスター性をもったグリフォンマスクは生ける伝説ともいえる。

「一応先ほど挨拶は済ませてきましたが、恥ずかしい話、眼前に立つと背筋が震えましたよ」
「おいおい、チャンプがそれじゃぁ。俺はどうなるんだよ」

 ビッグベアが笑った。グリフォンも失礼といいながらマスクの下で笑う。

「そういや、ザンギエフはもう来てるのか。ちょいとゴタゴタがあって呼び寄せるのが遅れたみたいだが」

 その言葉にグリフォンが少し首を傾げた。
 全米に宣伝をして、チケットも既に完売。当日券はなしのこの試合、中止など有り得る筈がないのだ。
 しかし、グリフォンが聞いたところによれば、ザンギエフ側にはサウスタウンのトラブルによって中止の可能性があるために現地入りを少し見合わせてくれと要請がいったという。
 だとすれば何故グリフォンやビッグベアといった人物はサウスタウンにこれたのか。
 米国人だからかもしれないが、しかしドイツの巨人ヒューゴーなどは到着している。
 つまり、故意にザンギエフだけにそのような話が行っているのだ。

「昨日なんとか到着したようです。ワシントンで足止めを食らっていたみたいですがね」
「ふぅん……なんとなくだが、やな感じだな」

 ビッグベアがベンチから腰をあげ、軽く体を捻る。
 既にドームは開場して、後は三十分後の親善試合が始まるのを待つのみだ。
 グリフォンの体の熱気をみると、ここに来るまでに少し体を動かしていたのがわかる。
 ビッグベアも少しエンジンをかけ始めるかとストレッチをするつもりになったのだろう。

「悪役レスラーライデンも、正統派レスラービッグベアも今日で見納めだ。
 グリフォンマスク、この後のリング界は任せたぜ?」

 ドン、と拳でグリフォンの胸を叩くビッグベア。
 それを受けてグリフォンは軽く頷き

「グリフォンマスクならこういうべきでしょう……ユーの熱い魂は受け取った! グリフォンマスクは無敵で行くぞ!」

 ばさりとマントを翻しながらグリフォンが高々と指を掲げる。
 その姿にニヤリとビッグベアが笑った。
 この男は、本当に根っからのヒーローだ、と。



「よし! スパーリングは終わりだ! マントを持ってきてくれ」

 ザンギエフ側控え室。数人のスパーリングパートナー相手に一時間ほどのトレーニングを終えたところだった。
 付き人がザンギエフのトレードマークであるマントを取り出し、ザンギエフは汗を拭きながらスポーツドリンクを喉に流し込む。
 アメリカ製のスポーツドリンクだったが、存外に味がいいとザンギエフは心中で思う。
 しかし口にして褒めたりはしない。祖国を愛しているからだ。

「よーし……プロレスはショーだ! しかし偉大な祖国の力強さも示さねばならん!
 筋書きのないドラマを始めるとするぞ!」
『おおぉ!』

 ザンギエフ陣営が気合いを吐く。と、そこで小さくない爆発音のようなものが聞こえた。
 思わず全員が顔を見合わせる。
 ザンギエフが俺が見てくるのでそこで待機するようにと全員に伝える。
 マネージャーはついていくと言い張ったが、では他の場所で情報を調べろといって、ザンギエフが駆けていく。
 爆発音は最初の一回だけだったが、残響というのか、感覚で爆発音の出所は追いかけられた。
 ザンギエフが現場に到着すると、そこにはマイク・ハガーもいた。

「おお、ハガー市長。ここが……?」
「ザンギエフか。ここだ。オルテガの控え室。ここから爆発音が響いたのに間違いない」

 ヴィクター・オルテガ。控室のネームプレートにはそう書かれている。
 ドアに不審な様子はないが、ハガーがどれだけドアをノックしても返事がないのだという。
 新築されただけあって、各控室の防音はかなり高性能で、先ほどの爆発音は、それから考えれば異常ともいえる。
 ドア自体に防音が施されているのかと思い、設置されているチャイムをならしたが、うんともすんとも言わない。

「壊すか」
「……それしかないな。呼吸を合わせるぞ」

 ザンギエフとハガーが同時に後ろに下がり、一呼吸をする。
 そして同時にかけだし、宙を舞った。
 ダブルドロップキック。ヘヴィ級の肉体をもつ二人がかりのドロップキックだったが、このドアは相当頑丈に作られているらしく、鉄板を凹ませるのが精々であった。

「フロリダ州知事め、箱ものに予算をかけすぎだ」
「頑丈なのは素晴らしいが、時と場合によるとは知らなかったな……ロシアでも気をつけねば」

 二人がもう一度蹴りを行うと、蝶つがいが軋む音が聞こえた。
 もう一息だろうが、そこから二度三度と繰り返しても今度は動く気配がない。

「READY!」

 不意に後ろから声が聞こえ、それに応えるようにハガーとザンギエフが横によける。

「Go!」

 暴走列車のような勢いで、ザンギエフやハガー以上の巨体が扉へと体当たりをしかけた。
 ビッグベアである。
 ザンギエフやハガーがヘヴィ級ならば、ビッグベアは超ヘヴィ級だ。
 果たして五発のドロップキックで弱った蝶番はビッグベアの突進に耐え切れず、とうとう扉の門番としての役目を放棄するに至った。

「オルテガ、無事か!」

 ハガーが怒鳴りながら中へと踏み込む。
 すると、そこには二人の男が相対していた。
 ザンギエフを超える巨躯に、ハガーを超える筋肉の鎧。
 ウェーブのかかった金髪に豊かな髭を蓄えた男。ヴィクター・オルテガ。
 そしてもう一人は、カーキ色の軍服に赤いベレー帽を着用した男であった。
 その姿に一瞬ハガーはピクリとしたが、人相が記憶と違っていたために近い人間ではあるが、記憶とは別人だろうと頭を振った。
 男の顔は苦悶の表情を浮かべ、腰が引けたようにしてオルテガと対峙している。

「ハガーか。全くもってつまらん。襲撃をかけてきたのはいいが、最初の爆弾以外はこけおどしにもほどがある。
 とんだ期待外れだ」

 引退して数年以上経つオルテガだったが、その物言いはチャンプだった頃と何ら変わりはない。
 よくよくみれば、軍服の男は片手で腹部を抑えている。

「一発殴っただけでこの様だ。貧弱な……」
「へっ、オルテガよぉ。あんたのパンチをどてっ腹に受けたんだ。素人さんにしちゃ立っていられるだけましって誉めてやんなよ」

 ビッグベアが安心したように笑う。
 だが、顔と声とは裏腹に、その目は一切笑ってはいなかった。
 それはザンギエフとハガーも同様だ。
 ハガーに至っては既に顔つきがメトロシティの犯罪組織に対するそれになっている。

「……ここまで追い詰められようとは」
「…………この国は911以来テロには敏感だ。我が祖国でも変わらんがな。とっ捕まえてくれよう」

 軍服の男が呟くが、四人は意に介さず包囲網を作っていく。
 オルテガもつまらなさそうにはしているが、逃す気もないらしく、包囲網へと参加している。
 圧倒的不利を悟った軍服の男が侵入経路であろう天井裏へ逃げようとするが、その瞬間オルテガの剛腕が振るわれ、気合の弾丸が男の顎を打ち貫いた。
 正面へと吹き飛ばされる男。
 ここからが、プロレスの世界で長年生きてきた男たちの真骨頂だった。
 オルテガが吹き飛ばした体を、ビッグベアが代名詞ともいえるドロップキックで反対側から蹴り飛ばす。
 背中を痛打した男は悲鳴すらあげられず、もう一度オルテガの方へと吹き飛ばされる。

『ラァァァ!』

 包囲網の中心地点。残った二人のザンギエフとハガーが、互いに同じ方向へと回転し、歯車のように噛み合ったダブルラリアットを放った。
 首ではなく、胸に二人の豪傑の丸太のような腕が歯車状に打ちあわされる。
 軍服の男が一気に白目をむいた。
 ――ザンギエフやハガーはここで終わらせるつもりでいた。
 これだけの攻撃を食らっては、自分たちですら立っていられるか怪しい程の連撃だったのだ。
 だが、オルテガは終わらせる気がなかったらしい。
 一気に駆けだすと、両腕を開いて失神しかけた男を引きずり、上空へと舞い上がり――

「オォォォォォ!」

 ――伝説の代名詞、上空から強烈な抱え込みにてマットにめり込ませる必殺技、マッスルボマーを繰り出したのだ。
 しかし、ここは控え室であり、下はマットではなく硬い床である、
 結果、軍服の男は左肩から腕までの骨を完全に粉砕されることとなった。
 流石に手加減はしたのだろう、本来の頭頂部から完全にめり込む技でこそなかったが、オルテガの力が現役と寸分の違いもないことを示す一撃であった。

「……ヒュゥ」

 ビッグベアが思わず息を漏らす。これから自分が闘う相手の力量を確認したのだ。
 なんという恐ろしい引退試合の相手か。
 ザンギエフとハガーが侵入経路だろう天井裏を覗くが、侵入者の痕跡は見つからなかった。
 だが、ドスンという音と共に、ドアの外から二人の、同じような軍服の男が倒れてきた。
 そこにはバンダナを締め、深緑のシャツとアーミーパンツを履いた男と、グリフォンマスクがいた。

「ティゾック、それにアレックスか。そいつらが他の侵入者か?」

 ビッグベアが尋ねる。グリフォンマスクがこの場に現れなかったのは、どうやらビッグベアに指示されて侵入者を探していたということらしい。
 バンダナの男はアレックス。アマレスでは名を馳せた男で、プロにスカウトを受けているため、今回の招待と相成っている。
 これがザンギエフと同じようにストリートファイトにも顔を出しているため、地力に関しては申し分ないのだが、後はスター性といったところだろう。

「ああ。だらしない奴らだ。胸元のチョップ一発で失神しやがる」
「なんでも食べないと強くなれないぞ、と子供たちにアピールしなければな」

 侵入者は合計で六名。内四名は捕縛したが、二名には逃げられたという。

「今スタッフと警備員が追いかけている。全員に打撃を与えたからすぐに捕まるだろう」

 ここにいないもう一人はドイツの巨人ヒューゴーが尻で踏んでいるからこれないらしい。

「どうやら英語は苦手みたいで、あまり意思疎通が出来なかったからそこにいろと伝えて置いてきた」

 とアレックスは言うが、実際にはその巨体の威力を常に観察していたのだろう。
 アレックスが所属していた世界は常に真剣勝負の世界だ。だがこれから挑戦するのはショウの要素も併せ持つ世界である。
 効果的に戦わねばならない。相手の技を事前に見るというのはアレックスには重要だったのだろう。

「そうか……今日は警備員も多い。あまり客に動揺を与えないために、この事は伏せた方がいいかもしれんな」
「だが何か事が起きればプロレス業界そのものへのダメージだ。わがロシアとの関係にも影響するやもしれんぞ」

 ハガーとザンギエフが唸る。
 軍服の姿と、爆発物からして、素人のコスプレ集団という訳ではないだろう。
 しかしテロにしては人数が少なく、オルテガを狙う理由もわからない。
 米国の信用を失墜させるなら、現役チャンプであるグリフォンやメトロシティ市長のハガー、ロシアからの親善大使的扱いであるザンギエフを狙うべきなのである。

「……もうスタートまで三十分を切った。今さら延期も出来ないだろう。
 警備員を増員しつつ、対応するしかないな」

 アレックスが状況を判断しつつ言う。結局のところそれしかないと全員が頷き、それぞれの控え室へと戻っていく。
 何時いかなる時でもファンのために。それが現役レスラーたちの共通の想いのはずだった。

(…………温い、な)

 一人、オルテガだけが別の想いを抱く。
 その陰で、倒れた筈の男がむくりと動きだし――精巧に作られた顔のマスクを、外し始めていた。



[16198] 第十四話 『親善試合』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/04/09 21:32
 猛々しい音楽とライト、アナウンサーの声。
 雄々しさを強調した巨大モニターの動画と同時に出てくるのは全米チャンプ、グリフォンマスク。
 そして、ロシアの赤いサイクロン、ザンギエフであった。
 リング上にはロシア駐米大使と、フロリダ州知事、米国国務次官補が握手を行っていた。

『Mr.ビッグベアは我々ロシアでも有名人であり、我が国の英雄ザンギエフとも親交厚く……』

 大使がビッグベアに関してのコメントを出している。
 感極まった観客には既に涙を流しているものもいた。
 卑怯な策略で一時プロレスリング界を去り、その後不死鳥のように復活。
 ビッグベアは根強い人気を誇り続けてきたのだ。
 このコメントがともすれば親善試合に食われかける引退試合に対する社交辞令だとしても、ファンにとっては認められたようなものである。
 ルール説明、参加選手であるグリフォンマスクとザンギエフの経歴が紹介されていく。
 名勝負のVTRがモニターに表示され、両者劣らぬ英雄であることをグリフォンしか知らない観客にも示していた。
 開始から十分、観客のボルテージが高まるころ合いを見計らい、両者が花道を歩いてリングへと向かっていく。
 両者ともに赤いマントを身に着け、威風堂々とした姿である。
 ロープを颯爽と飛び越え、両者がリング中央で退治した。
 双方ともに鍛え上げられた筋肉の持ち主であり、それはマントの下からでもわかる。

「無敵でいくぞ!」
「I am Red Cyclone!」

 そして両者のお決まりの掛け声と共に、リング中央でマントが脱ぎ棄てられた。
 宙を舞うマント。観客の声が一気に大きくなる。

『グーリーフォン! グーリーフォン!』

 流石にホームといったところか、グリフォンの応援の声が大きい。
 だが特筆すべきところは、その声が一番大きいのは子供たちだということだろうか。
 この日の為にグリフォンは私財をなげうって子供たちの為の専用シートを作り上げていた。
 どこまでも子供たちの為のヒーローなのである。
 だがザンギエフ陣営も負けてはいない。
 ロシアから追いかけてきたファンたちは、地元の声援にも負けぬ大音声でザンギエフを応援している。
 カーンと。大きな音でゴングが鳴らされた。
 両者距離を取ることもせず、真正面からタックルでぶつかり合う。
 グリフォンの体が鍛え上げられた彫像だとすれば、ザンギエフの肉体は産業革命の鉄骨である。
 体当たりの結果はザンギエフが勝利し、グリフォンをよろめかせた。

「ダァーッ!」

 その隙にザンギエフが自ら編み出した気功の一撃を用いた回転張り手を叩きつける。
 派手派手しい音の中に潜んだ本物の一撃。
 グリフォンが苦戦の予感を感じ取った。
 脇腹に入った一撃の後、ザンギエフが体を逸らしてのソバットをグリフォンの腹部へと叩き込む。
 ぬぉ、とたたらをふむグリフォンだが、すぐに気を取り直し、ソバットで体勢の崩れたザンギエフを掴んだ。

「ヘラクレスルー!」

 グリフォンがザンギエフの重心をずらし、ロープへ向かって投げつける。
 ロープに体を預け、反動をつけたザンギエフがグリフォンへと走り

「ポセイドンウェイブ!!」

 海神ポセイドンの津波の如きラリアット。ザンギエフの首元に入った一撃はそこを力点支点として体をぐるりと宙に浮かせた。
 ドサンとマットに倒れたザンギエフだが、そこはすぐに立ち上がり、お返しとばかりに両腕を広げて回転する。

「ドリャァーーッ!」

 ダブルラリアット。疾風のように巻き込むそれはラリアットで背中を見せたグリフォンの背中を痛打した。

「ぐぅぅ!」

 両者開幕から必殺技の応酬。観客のボルテージが高まっていく。
 だがまだである。両者、共に真の必殺技を出してはいない。
 しかしそれは今まで両者ともにフィニッシュ・ホールドに近い技として出していたのだ。
 見られるのはもう少し試合が進んでから――誰しもがそう思っていただろう。
 それを、ザンギエフは覆した。
 ダブルラリアットで逆くの字に曲がるような形になったグリフォンを後ろから掴んだのだ。

「ウォォォリャァァ!!!」

 そのまま上空へと高く飛びあがり、回転してグリフォンをマットへと叩きつける。
 スクリューパイルドライバー。ザンギエフの代名詞、すべてをまきこみ粉砕する赤き暴風。
 レッド・サイクロンの必殺技であった。

『オォォォォォォオオ!!!』

 観客の声が最高潮に達する。
 叩きつけたままザンギエフがホールドに入る。
 レフェリーが駆け寄り、マットを叩いてカウントを取る。
 1、2――

「なんのぉ!」

 グリフォンがザンギエフの頭を足でつかむ。
 そのまま腕の拘束を振り破り、腹筋の力でザンギエフの肩に乗った。
 膝とふくらはぎ、太ももでザンギエフの頭と首を絞めつけたグリフォンが叫ぶ。

「アクティブ・テュポーン!」

 大地の神テュポーンが、まるで地面から巨人を引き抜くかのようにそのまま空中で一回転し、ザンギエフの背中をマットへと叩きつける。
 グリフォンが天に与えられた者。それは通常なしえぬほどの運動神経であった。
 巨体からは想像出来ぬほど高く飛び、軽く回転する。
 気功の力もあるのかもしれない。だが、その力を正しくグリフォンは理解していた。

「今度はこちらの番だ!」

 アクティブテュポーンで叩きつけたザンギエフの体を引き起こし、グリフォンが宣言する。

「ジャスティス・ハリケェーン!」

 ザンギエフがレッドサイクロンならば、グリフォンはジャスティスハリケーンである。
 正義の竜巻が回転しながら飛びあがり、ザンギエフをマットへと叩きつける。
 胸のすくような大技の連打。
 グリフォンコールが会場から鳴り響く。

(強い!)

 ザンギエフが叩きつけながらそれを痛感する。
 この男の技、ザンギエフほどには洗練されてはいない。
 しかし、それを行える筋力と運動神経が桁はずれである。
 そして技の一つ一つが見栄えがいいのだ。
 ザンギエフがグリフォンのスター性に納得していると、上からグリフォンが覆いかぶさってきた。
 フォールの体勢である。重たい。そしてしっかりとしたフォールである。
 先ほどザンギエフは技がそれほど洗練されてはいないといったが、それはベテランといえるザンギエフに比べて、である。
 同年代の選手に比べれば、グリフォンの技はむしろ抜きん出ていた。
 ザンギエフがもがく。
 レフェリーが駆け寄り、再度カウントを取り始めた。1、2――

「ス――」
「ぬぁぁぁぁ!」

 ザンギエフが裂帛の気合いを吐き、グリフォンを跳ね飛ばす。
 面白い! ザンギエフは痛感していた。
 この男、ショー性を高めずとも、リアルファイトをするだけでショーになる恐ろしく稀有な男だ。
 リュウと相対した時のように、ストリートファイトをしている時のように、ただただ勝ちたいというだけの欲望で戦っていい相手であった。
 相手の見せ場をつくろうなどと考えずともいい。
 戦えば自然見せ場となる。
 それはグリフォンも思い至っていた。
 ――グリフォンマスクは、リング上では無敵である。
 しかし、生涯にただ一度だけ、リングの外で負けたことがあった。
 その時から数週間、グリフォンは行方知れずになったことがある。
 今再びリングに上がっているのは、己の未熟を知り、新たなる糧としたため。
 リングの外ですら無敵であろうとする男、それがグリフォンマスクである。
 一撃一撃が必殺に近い。
 ヘラクレスルーとてプロレスのお約束を利用した技だが、実際にザンギエフがロープの反動でかけよらずとも、通常であれば障害物にぶつかり、跳ね飛ばされる代物だった。

「ふーッ…………!」

 ザンギエフが息を吐き、腰を沈める。
 左足を後ろにずらした。
 それをみたグリフォンが後ろへと一気に飛びずさり、腰のばねを利用して一気に飛びあがる。
 突進と判断し、ならばそれをすかしてやろうと考えたのだ。

「オリンポスオーダー!」

 天空の神々の鉄槌。上空から飛びかかる、コーナーポストすら利用しない飛翔の一撃。
 本来であれば肘、腕、そして体そのものによる強力無比な一撃を行う技だが、次の瞬間グリフォンの予想は大外れであったことがわかる。

「ダァァァーッ!」

 ザンギエフがその場から一気に飛びあがり、上空のグリフォンを先に掴み取った。
 空中でがっしりとグリフォンを掴んだザンギエフはそのままグリフォンの体を崩し、勢いままに落ちるに任せ、グリフォンを叩きつける。
 ロシアンエリアルスラム。
 ザンギエフが近年開発した上空よりの敵に対する大技である。
 これは全く最近の技で、主にストリートファイト上で使っていたためにグリフォンが予想出来なかったのも仕方あるまい。
 したたかに打ちつけられたグリフォンがしかし転がって体勢を回復する。
 フォールにまでは持ち込めないとザンギエフが判断し、いったん離したのだ。
 立ち上がるも、よろけたままロープに寄り掛かるグリフォン。
 しかしロープの反動を利用して体を持ち直した。

「――ならば、今一度!」

 グリフォンがもう一度大きく後ろへ下がり、上空へ飛びあがる。
 今度こそ叩きつけてやろうという魂胆か。
 ザンギエフの気合いは十分。もう一度上空のグリフォンを攫むために飛び上がった。
 しかし、そのザンギエフの腕を今度はグリフォンが絡め取った。

「イカロスクラッシュ!」

 太陽に近づきすぎた男は落ちるのが定めである。そう言わんばかりに空中に飛び上がったザンギエフを空中のグリフォンが絡め取り、そのまま地上へと逆に叩きつけてしまった。
 まるでライト級のような軽技。それをヘビー級で行うグリフォンの姿に、観客が沸く。
 だがグリフォンの投げ技には特徴がある。
 己の頭も同時に地面へと向かうのである。
 ザンギエフのように相手だけを反対に抱え込むのではなく、抱え込んだまま上空で逆転する。それがグリフォンの投げの特徴だった。
 ジャスティスハリケーンで一度。そして、ロシアンエリアルスラムを食らった直後のイカロスクラッシュで二度。
 グリフォンにも投げのダメージが蓄積されてきた。
 しかし、直撃を食らったザンギエフも無事ではない。
 ふらふらとした足取りで何とか構えを取り直す。
 お互いが構えを取り、息も荒く、一撃を探る――そんな、たった一秒半ほどの硬直。
 その瞬間に、ザンギエフとグリフォンが出てきた花道から雄叫びが聞こえた。

『オォォォォォォ!』

 花道から猛突進してくる男が二人。
 ドイツの巨人ヒューゴーと、ニューエイジ、アレックスである。
 二人はレスラーと思えぬ速度で花道をダッシュし、一気にリング上へと飛び乗った。
 ヒューゴーとアレックス、両者がそれぞれグリフォンとザンギエフの背後を取る。

「Eins!」
「You can't escape!」

 ヒューゴーがグリフォンを、アレックスがザンギエフを攫む。
 グリフォンを自分の頭の上に抱えあげたヒューゴーが回転しながら跳躍し、リングを踏みしめてグリフォンの体に打撃を。
 そしてアレックスはザンギエフの腰をしっかりとつかみ、一回のバックドロップを行った。
 観客の悲鳴が響き渡る。

「Zwei! Drei!」

 ヒューゴーの投げが二回、三回と繰り返される。
 跳躍はその度に大きくなり、グリフォンの口から苦悶の声が聞こえた。

「ウゥゥゥゥ、ラァァ!」

 アレックスも負けてはいない。
 ザンギエフを一回バックドロップで投げたかと思いきや、そこからなんと五連続でバックドロップを決めたのである。
 リングの端から端までを移動する一撃。

「ガッ……」

 ザンギエフが口を大きくあけ、マットに倒れる。

「Ende!」

 ヒューゴーが叫び、最後の一回を大きく跳躍して――グリフォンをマットに投げつけ、その上にボディプレスを重ねた。
 グリフォンよりも巨大な体がマットとヒューゴーでプレスにかかる。
 グリフォンは苦悶の声をあげる間もなく、バタリと倒れた。
 アレックスがアナウンサーからマイクを奪い取り、宣言する。

「アレックス、そしてヒューゴー! チャンピオングリフォンマスクと、ロシアの英雄ザンギエフに勝負を挑ませてもらうぜ。
 嫌とは言わせない、戦士なら常在戦場。常にチャレンジを受け付けてもらわなきゃぁな!
 噂ほどの強さか、俺が確かめてやる!」



[16198] 第十五話 『乱入者・前編』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:ca2823e0
Date: 2010/04/28 20:40
 ドームの観客の熱狂は留まるところを知らない。
 子供たちの黄色い悲鳴があがった。
 チャンピオングリフォンマスクと英雄ザンギエフがマットに沈んだまま胸を上下させているのだ。
 ヒューゴーがゆっくりとボディプレスから立ち上がり、グリフォンを見下ろしている。
 アレックスはといえば、ゆったりとロープに身を預けたまま二人をじっとみていた。
 やがてザンギエフが立ち上がる。

「おのれ、乱入とは!」
「冗談を言うなよ。こんな茶番はさっさと終わらせようぜ。ここからはリアルファイトの時間だ」

 ハ、とザンギエフは笑う。

「貴様如きの技、グリフォンマスクの足元にも及ばぬわ」
「よく言うぜ、バックドロップを受けて立ち上がったのはほめてやるよ」

 いいながら、アレックスは脳内で自分のシナリオを書き換え始めていた。
 プロレスにはある程度の筋書きがある。
 勝つか負けるか。どうすれば客を喜ばせられるか。その中で己の強さをどれだけ発揮できるか。
 無論、この乱入も実際にはある程度決められていたことだ。
 しかし、アレックスの直観はこれらの筋書きを一気に消し去り始めていた。
 先ほどまで行われていたファイトは、アレックスが脳裏に描いていた茶番の如きプロレスを一気に消し去ったのだ。
 観客に対する魅せ技ですら、実際のストリートファイトですら一線で通用する必殺の技。
 アレックスの闘争本能が、これ以上の挑発を危険と判断させる。

「御託はここまでだ。本気で行かせてもらうぜ」

 筋書きを放り出して戦いたい。本来、アレックスに任されているのは敗北の役目だ。
 それも当然、親善試合に来ている国際的な要人を乱入者が倒すなど、アメリカの威信にかけてもさせてはならない。
 それでも尚、アレックスはこの戦いを本気でやりたいと思った。
 横目でチラリとみれば、いつの間にかグリフォンマスクが転がり、ポールの側に立っている。
 足元はしっかりとしており、子供たちがグリフォンの復活の声をあげている。
 これはプロレスのお約束である。タッグマッチとなれば、片方がリングサイドで待機する。
 グリフォンもそれにならい、ヒューゴーも同様だ。
 アレックスはそれが少し嬉しかった。英雄ザンギエフとサシでやれるからだ。

「行くぜ」

 ダッシュで踏みこみ、まずはアレックスの得意技である水平チョップを叩きこむ。
 ストリートファイター時代には空気を切り裂くとまでいわれた必殺技で、素人ならこの一撃で病院送りにすることが出来た。
 アレックスの手をみればわかるのだが、手の底の部分が硬く、筋肉が盛り上がっている。
 例えば骨法などの掌底を得意とする人間の手が変化するように、アレックスの手もチョップに特化した手となっていたのだ。
 この手を用いたチョップならば、レンガ程度は軽く粉砕出来る。
 鎖骨どころか、一撃を上手く入れれば肋骨や胸骨のみならず、腕までも粉砕する威力をもっているのだ。
 元よりある程度相手を見定めてからでなければチョップを大きく放つ事はない。
 打撃禁止のアマレスは言うに及ばず、ストリートファイトだとてアレックスが全力でチョップを放つ機会というのは滅多にないのだ。
 アレックスの全力が見れる機会は、皮肉にも血沸き肉踊る実戦ではなく、壊しても問題ないトレーニングジムだけであった。
 しかし、今は違う。
 ロシアの英雄ザンギエフ、全米チャンプグリフォンマスク。
 どちらもアレックスが全力を出して及ぶかわからぬ相手であり、例え一撃をまともに受けてもそれで倒れる肉体ではない。
 相手を気遣わず、己の強さだけを求めて戦うことが出来るのだ。
 クールな言葉とは裏腹に、アレックスの内面は熱く滾っていた。

「むぅん!」

 ザンギエフがそれを片腕を突き出して受け止める。
 その様子にアレックスの片眉がピクリと動いた。この防御はプロレスではない。

(ストリートファイト――)

 思った時には遅かった。
 更に不味かったのは、ザンギエフのその防御が、単なる防御ではなくブロッキングだったことである。
 前へと踏み込む形のブロッキングは、パオパオカフェでリュウが見せたように、相手より先んじて動くことが出来る。
 ザンギエフのブーツがキュッと音を立ててこすれ、アレックスに肉薄した。
 腰を探り、まずアレックスの重心が崩される。
 アマレス時代に鍛え上げられたバランス感覚など、熟練のザンギエフの前には役にも立たない。
 見る間に抱え込まれたアレックスが気づいた時には既に空中だった。
 グリフォンですら体をよろめかせたザンギエフのスクリューパイルドライバーが直撃したのだった。
 容赦のない頭部からの落下衝撃がアレックスを襲う。

(――こいつが英雄の一撃って奴か!)

 アレックスが解放され、歯をくいしばって意識を保つ。
 脳震盪を起こしてもおかしくない一撃。
 アレックスは己の意識が足りなかったことを理解する。
 己は先ほどまでのグリフォンとザンギエフの戦いをどう見ていたのだ。
 あれは互いに魅せ技という大技を放ちながらも真剣勝負だった。
 とうの昔に、観客を沸かせるための技ではなく、技が結果として観客を沸かせているのであった。
 そしてアレックスが立ち上がると同時に、リングの反対側でも轟音が響いた。
 そこには先ほどとは逆に、仁王立ちするグリフォンマスクと、倒れ伏すヒューゴーの姿があったのである。




 グリフォンマスクは実際のところ若手である。
 デビュー当時からマスクをかぶってグリフォンマスクと名乗っているため、グリフォンマスクとしてのキャリアがレスラー活動の全てである。
 過去を明かさないのがマスクヒーローの鉄則であり、グリフォンも今は正義のために戦うヒーローである。
 また、ザンギエフに対しての尊敬の念というものは相当のものがあった。
 彼のマントコスチュームのヒントはザンギエフにあったのだ。
 だからだろうか、腕組みをして試合を見守るグリフォンが、彼らしくもなくリング外から近寄る大男の気配に気づけなかったのは。

「ぬぐぉっ!」

 気づいたときには背中を大きく蹴飛ばされ、体を持ち上げられてリングの外へとたたきつけられていた。
 リングと観客席には今回少しばかり距離があけられている。
 要人がリングに上がるためと、サウスタウンであるという緊張感がそういう設計にさせた。
 そのためグリフォンがリング外に投げつけられても、観客を巻き込んで倒れるという無様を見せずには済んだ。
 驚き立ち上がるグリフォンの前に、ドイツの巨人ヒューゴーが立ちふさがっている。

「リ、リングの外でも、チャンプは、チャンプなんだろうな?」

 酷いドイツ訛りの英語がグリフォンに伝えられる。
 どもりながらも伝えられたそれは、しかしグリフォンに対する挑発には十分だった。
 グリフォンが立ち上がり、構えを取ると叫ぶ。

「当然だ。リングの外であろうと中であろうと、グリフォンマスクの正義の魂は決して負けることはない!」

 その言葉にニヤリとしたヒューゴーが、いきなり両腕を広げ、その筋肉の本能のままにハエたたきが如く両手をグリフォンに叩きつけた。
 それを胴体ではなく、顔面に向けて。
 ヒューゴーのハエたたきの威力で顔面を強打されれば、軽く入っても脳震盪。下手をすれば耳からの衝撃で鼓膜破裂、脳の損傷まで考えられる。
 殺人技と言い換えてもいい。
 だが、ヒューゴーはグリフォンマスクの力量を知っていた。
 それはかつて数多のストリートファイター達と闘い、表舞台に立つ事を望み続けた男が得た心眼ともいえるだろう。
 グリフォンマスクならば受け止められる。信頼と言い換えてもいい。
 これで倒れるような男が、自らが望みに望んだ表舞台での頂点を極める男であるはずがないのだから。
 果たしてグリフォンはそれを受けた。
 ザンギエフのようにガードをした訳ではない。
 胸を張り、大地を踏みしめ、全力で覚悟を決めたのだ。
 今でも現役であるが、かつてアメリカのプロレスリングを賑わせた男にマッスルパワーという男がいる。
 この男は腕や足でガードするといったことが一切ない。その全てを鍛え上げた胸板で受け止めるという豪放な男なのだ。
 プロレスラーの肉体は尋常でないほど鍛え上げられている。
 そのプロレスラーがいかなる攻撃に対しても覚悟を決め、力を蓄えたならばどうなるか――

「むぁぁ!」

 ヒューゴーの両手がグリフォンマスクの顔面を捉えた。
 マスクの両側から叩き潰されるようにしたグリフォンマスクは、しかしうめき声一つあげなかった。
 ――ここで幸運な出来事をあげるとするならば、グリフォンマスクがマスクファイターだったことに尽きるだろう。
 これがもしザンギエフであれば、一撃には耐えても鼓膜破裂は免れず、この後の反撃を行うことは出来なかったに違いない。
 しかし、グリフォンマスクにはマスクがある。柔らかい布が極僅かながら耳への負担を和らげ、耳鳴りこそ起こせど鼓膜破裂には至らなかったのである。
 そしてそのままグリフォンは動いた。ぐにゃりぐにゃりと揺れる視界の中、しかし見定めていたヒューゴーを掴んだのである。

「ジャスティスハリケェ――――ン!」

 子供たちの歓声が響く。
 雄々しく叫んだグリフォンマスクは自身の二倍はあろうかというウェイトのヒューゴーを錐揉み回転しながら飛び上がっているのである。
 そしてヒューゴーは轟音とともにリングに叩きつけられた。
 奇しくもザンギエフがスクリューパイルドライバーをアレックスに叩きつけた直後の出来事。
 乱入直後のアレックスとヒューゴーによる同時攻撃を、ザンギエフとグリフォンマスクが綺麗に連続で返したことになったのだ。
 ザンギエフとグリフォンマスクがアイコンタクトを取る。
 ジャスティスハリケーンの直後、ヒューゴーはまだ立ち上がらない。
 今立ち上がっているのはアレックスであり、それもパイルドライバーの衝撃から立ち直っているとは言い難かった。
 アイコンタクトを交わしたザンギエフがすぐさまアレックスの腕と肩を掴む。
 そして全力で体を振り、ロープに向かって投げ飛ばした。
 本来であるならばロープにぶつかった相手は走るのがお約束だったが、ザンギエフのそれは相手に走ることを許さない。
 叩きつけられるようになったアレックスがロープの反動のみで体を浮かせると、すぐさまグリフォンが走った。

「ダァァ――ッ!」

 低空から勢いをつけたドロップキック。グリドロスーパーキックと名付けられたグリフォンの得意技である。
 そして、この技を見た往年のファンは一人の姿を思い出す。

「ッ……ガ」

 アレックスがまともに受けたドロップキックのダメージを手でかばい、よろけた。

「これぞ、偉大なるビッグベアより学びしスーパードロップキック。先達よりユーへの教育の一撃だ!」

 グリフォンが天に指をかざしながら宣言した。
 そう、グリフォンマスクのこの技は、ビッグ・ベアのフィニッシュホールドなのである。
 だがビッグベアのスーパードロップキックは、まともに当たればどのような相手でもリング外まで吹き飛ぶほどの威力を持っており、グリフォンマスクはその点威力が弱いと言わざるを得なかった。
 しかし弱いとはいっても、通常のドロップキックから考えればとてつもないダメージである。
 打たれ慣れている筈のアレックスがよろけるのも無理はない。

「チッ……流石はチャンプ。早々やらせてはくれないって訳だ」
「このグリフォンマスクの持つベルトはとてつもなく重い。まだまだユーに譲り渡すことは出来ないな!」

 その時、再度グリフォンマスクの背後に忍び寄った影を、しかしザンギエフが掴み取った。
 ジャスティスハリケーンのダメージから回復したヒューゴーが、再度プレスを決めんと近づいていたのである。
 それを阻止したザンギエフがヒューゴーと絡み合い、リング外へと飛び出る。
 がっぷり四つに組みあった二人は何とか抜け出そうとするヒューゴーをザンギエフが押さえる形となり、再度試合は一対一の様相を見せる。



[16198] 第十六話 『乱入者・後編』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:9a575411
Date: 2010/04/30 07:54
 リング外へ飛び出たザンギエフとヒューゴーは力比べの様相を呈していた。
 ザンギエフも身長は二メートルを超える巨漢ではあるが、ヒューゴーはザンギエフよりも更に三十センチ近く高く、ウェイトに至っては二倍以上にもなる。
 それでも尚ザンギエフが拮抗しているのは、筋肉量だけでなく、培われた技術によるものだろう。
 ――しかし、あえていえば、不利なのはザンギエフであった。
 確かにザンギエフもヒューゴーも、同じグリフォンマスクのジャスティスハリケーンを受けてはいる。
 とはいえ、ヒューゴーが受けた攻撃がそれ一発なのに対し、ザンギエフはグリフォンと死闘を繰り広げたばかりなのだ。
 ダメージの蓄積量は圧倒的にザンギエフが多かった。

(……強い! 流石、新進気鋭とはいえ団体旗揚げの噂がある男か)

 ザンギエフはヒューゴーの噂をリュウから聞いていた。
 かつてストリートファイトをした相手ということで聞いた話だったのだが、後にザンギエフが調べてみれば、グリフォンマスクとはかちあっていなかったが、あまりの強さに団体から放逐され、自ら新団体を立ち上げようとしているのだという。
 そんな男がなぜ、ゲストとはいえ国際親善試合に呼ばれたのかは定かでない。
 元よりザンギエフが、この親善試合をサウスタウンで行うということに若干のきな臭さを感じているのも確かである。
 しかし、今はそんなことよりも、如何にしてこの巨漢を倒すかがザンギエフの脳内を占めていた。
 単なる肉弾戦でヒューゴーに打ち勝つことは難しい。
 それは単純に体格の差でもあり、残った体力の問題でもあった。
 ヒューゴーの肉体は決して肥満体という訳ではない。
 言うなれば相撲取りのような固太りと考えればいいだろう。出ている腹も触れば堅く、筋肉であることがよくわかる。
 ミニマム級がヘビー級と足を止めて真正面から殴り合いをすれば、よほど相手が下手でない限り殴り負けるのが道理というものである。
 よってザンギエフがヒューゴーに勝利するためには必殺技であるスクリューパイルドライバーを叩き込むしかない。

「逆に、投げて、やる!」

 ヒューゴーが鼻息荒くザンギエフをにらみつけながら宣言した。
 ザンギエフも技術で補っていたが、力比べは段々とザンギエフが押し込まれる形となっていく。
 唯一握力だけは拮抗しているのか、握り潰されるだとか、曲げられるだとかという事態にはなっていないが、段々とザンギエフの膝が沈み始めていた。

「ふん!」

 ヒューゴーが一気に手を掴んだまま後ろへと引く。
 押し戻そうとしていたザンギエフの体が一瞬宙へと浮いた。
 こうなれば如何なザンギエフとてどうにもならない。

「ふぅん!」

 大近でも引き抜くかのようにしてヒューゴーがザンギエフの体を完全に捕える。
 ガッチリと抱きしめられれば、最早腕力とウェイトがモノを言う世界であり、ザンギエフがもがこうとも脱出出来るものではない。

「ぐ、離せ!」
「お、終わらせて、やる!」

 ヒューゴーがそのまま一気に体を持ち上げ、ザンギエフの両腕と足をつかみ、頭上に掲げた。
 さば折りのような形で背骨を固定されたザンギエフが苦痛の呻き声をあげる。
 ギガスブリーカー。乱入時にヒューゴーがグリフォンマスクにかけた大技である。
 ヒューゴーはこの他に超必殺技と呼べるものを二つ三つ持っていたが、しかしこれがヒューゴーの持つ技の中で最も威力の高く、信頼できる技であった。

「Eins!」

 咆哮と共にヒューゴーが跳躍し、回転しながら着地の衝撃と共にザンギエフにダメージを与える。

「Zwei!」

 二回目。

「Drei!」

 三回目。ザンギエフは苦悶の声すらあげなくなった。
 勝利を確信したヒューゴーが更に力を強めながら最後の跳躍を行った。
 後はヒューゴーの二百キロを超えるウェイトに任せたボディプレスである。
 グリフォンマスクですら立ちあがるのが困難だった技、今のザンギエフの体力で受ければ気絶は免れまい。
 空中でヒューゴーが拘束を解き、自らの下へと潜らせる。
 ボディプレスは下手をすれば自らの内臓をも傷める技である。
 そのポジショニングは的確に行われなければならない。
 ヒューゴーがきっちりとザンギエフを己の下に入れ――る事は、出来なかった。
 ヒューゴーが拘束を解いたその瞬間、ザンギエフが咆哮をあげてヒューゴーの顎をしたたかに殴り飛ばしたのだ。
 ボディプレスの体勢に移っていたヒューゴーはその一撃を耐えきることができず、二人は受け身もとらずに床に叩きつけられた。
 そうなるとあらかじめ覚悟が出来ていたザンギエフとヒューゴーでは受けるダメージが自ずと違ってくる。
 顎を殴られ、腹を強打したヒューゴーが呻く。
 そこに息を荒げ、ふらつきながらもザンギエフが立ちふさがった。

「英雄を――団体の頭を務めるという事は、生半な事ではない!」

 その気迫に、ヒューゴーがはっと息を呑んだ。
 ザンギエフが鬼のような雄叫びをあげる。
 そして、観客はその声が意味するところを知っている。
 観客席の、ザンギエフが見える方角から歓声があがった。

「Final!」

 ザンギエフがヒューゴーを立ち上がらせ、がっしりと攫む。
 反抗しようともがくヒューゴーだが、顎を殴られ、更に床で体を強打した今、すぐさまザンギエフのホールドを解ける状態ではなかった。
 まずは後方へのバックドロップ。
 二百キロの重量を持つヒューゴーを、しかしザンギエフは見事なジャーマンスープレックスで叩きつける。
 更に体をひねり、もう一度スープレックス
 遠慮も躊躇もない、見事な技のキレである。

「Atomic!」

 最早ヒューゴーに反抗する力もない。
 ザンギエフはそのまま体をグルグルと回転させ、一気に跳躍する。
 ヒューゴーのギガスブリーカーよりも高く、回転を速く。
 己のすべての力を振り絞って跳躍した。

「Buster――ッ!!!」

 とてつもない轟音とともに、ザンギエフのスクリューパイルドライバーにてヒューゴーが叩きつけられた。
 二連バックドロップ後、限界まで高く跳躍してのスクリューパイルドライバー。
 このフィニッシュホールドこそ、ザンギエフの超必殺技、ファイナルアトミックバスターである。
 このままスリーカウントまでホールドしてしまえば、ザンギエフとグリフォンマスクの勝ちである。
 だが、ザンギエフは敢えてヒューゴーを開放した。
 決着はリングの上でこそつけるべきである。
 それは、ザンギエフという英雄の美学でもあった。

「Большая победа!(素晴らしき勝利だ、大勝利である!)」

 ザンギエフが両腕の人差し指を天に掲げ、勝利を宣言した。
 とはいえ、ザンギエフの体力もここで尽きた。
 がっくりと膝を落とし、リングサイドに寄りかかってグリフォンマスクの試合を見る――





 アレックスの身長は決してグリフォンマスクに劣っている訳ではない、だが、その筋肉の鎧の重量はといえば、明らかにグリフォンに軍配が上がる。
 迂闊な攻撃を仕掛ければザンギエフと同じく投げ飛ばされることは間違いないだろう。
 かといって馬鹿げた読みあいなど無用の長物だ。
 間合いを計ってガードを固めても、グリフォンの圧倒的な膂力をもってすればアレックス程度投げ飛ばす事はたやすいだろう。

(――ラッシュをかけるか)

 アレックスが腹をくくった。
 出し惜しみせずに全力で飛ばす。
 一瞬、全身の筋肉から力を抜く。ふ、っと脱力したような姿に、グリフォンマスクが一瞬だけピクリと動きを止めた。
 怪訝に思ったのだろう。それはリング外でつかみあっているヒューゴーとザンギエフにしても同様だった。
 だが、次の瞬間に観客は息をのむ。
 刹那で全身の関節と筋肉を再起動させたアレックスは、今まで見たこともないような速度で一気に踏み込み、ブーメランレイドと呼ばれる全力での水平チョップを繰り出したのだ。
 フェイントにも取れる脱力からの踏み込みはグリフォンマスクのガードを貫き、その胸板にドームに響き渡る音を立ててぶつかった。
 だがそれで終わりではない。
 チョップを振りぬいたアレックスが両腕を振り上げ、勢いのままに右足を前に突き出したのだ。
 コンバットブーツの丈夫な靴底が更にダメージを倍増させてグリフォンマスクの腹に叩きこまれた。
 小さく『く』の字に折れようとしたグリフォンマスク、続いてその横顔にアレックスのフックが叩き込まれる。
 先ほどリング外でヒューゴーに叩きこまれた張り手は決して少なくないダメージをグリフォンマスクの頭部に残している。
 果たしてアレックスのフックは回復しかけていたダメージを一気に底上げし、グリフォンマスクの体がぐらりと揺らすことに成功する。

「まだだぜ!」

 更にフックで流れた体を強引に引き戻し、揺れたグリフォンマスクの顎を天空へと打ち抜くアッパーカット。
 ボクサー顔負けの一撃が叩き込まれ、曲げられたグリフォンマスクの体がピンと張りつめた。

「ぬ、ぉ……!」

 お膳立ては整った。
 アレックスが、自身の最も信頼する大技の決め台詞を叫ぶ。

「You can't escape!」

 観客がわっと沸いた。
 アレックスが両腕を広げ、浮いたグリフォンマスクの体を抱え込んだ。
 まず全身を用い、後ろへと引っこ抜くバックドロップ。

「ぬぅうん!」

 更にもう一度バックドロップがかけられ、グリフォンマスクの意識が狂う。

「HYPER――」

 グリフォンマスクの体の抵抗が小さくなったことを確認したアレックスが、間を置かずにそのまま飛び上がる。
 二メートルばかりも飛び上がったアレックス。
 そのままグリフォンマスクの体を抱えたまま――

「――BOMB!」

 ハイパーボム。二連バックドロップと、超高度からのパワーボムというアレックスオリジナルの必殺技である。
 ストリートファイトではこのまま離れて追撃を行うところだが、プロレスで、更にここまで痛めつけたのならば必要はない。
 アレックスはそのまま体勢を固め、フォールへと移行した。
 慌ててレフェリーがカウントに入る。
 グリフォンマスクの体はぴくりとも動かなかった。

「グリフォ――――ン!!」

 ザンギエフが叫ぶ。
 続いてドームの観客の悲鳴が上がった。
 まさか無敵のチャンプが、親善試合という晴れの場で、しかもプロデビュー戦の乱入者に敗北するなどありえてよいことではなかったのだ。
 ドームのカメラマン達が一斉にカメラのシャッターを切る。
 もはや希望はフリーとなったザンギエフだけであった。
 しかし、そのザンギエフは既にファイナルアトミックバスターにてヒューゴーを下すも、精魂尽き果て、とてもカットへ向かえる体力は残っていない。

「ここでおネンネだ、チャンピオン!」

 アレックスが全力でグリフォンの体を固めている。
 スリー、という声とともにレフェリーがリングを叩く。
 子供たちがグリフォンマスクの名前を叫びだした。

「ツー!」

 ピクリ、グリフォンマスクの指が動いた。
 それを見てとったアレックスが、動かさぬとばかりに一気に締め上げる。
 ――だが、それが悪かった。
 筋肉の締め付けという刺激によって、一気にグリフォンマスクの意識が覚醒したのである。
 響き渡るグリフォンマスクのコール。

「スリ……」

 一瞬の出来事だった。
 マスク名の如く飛び上がったグリフォンマスクが一気にアレックスのフォールを跳ね飛ばしたのである。
 まさか、とアレックスが叫んだ。
 ここに、常にリング上で戦ってきた男と、ストリートファイトとトレーニングによって培ってきた男の、プロレス技術の差が表れた。
 明らかにガッチリと決め付けたアレックスのフォールは、しかしグリフォンマスクにしてみれば、通常の格闘家には十分な極め方であっても、プロレスラーにとっては解けぬ事もないフォールだったのである。
 これが柔道のような関節技であるならば別だが、決してパワーボムの体勢は相手を固定するのに向いた技ではない。
 アレックスがそれを理解した時には遅かった。
 グリフォンマスクが真正面からアレックスを抱え込む。
 全身の筋肉を用い、ガッシリと絞められたその万力の如き力にアレックスが苦悶の声を上げる。

「ぐっ……!?」
「ビィ――――ッグ!」

 そのままグリフォンマスクが飛び上がった。
 二メートルなどと生易しいモノではない。人類の限界を超えるかの如き跳躍。
 それはリング上にあしらわれた天井モニターのカメラへとたどり着き、グリフォンマスクが抱え込んだアレックスをそのモニターへと叩きつける。
 幸いにして強化ガラスで覆われていたモニターが割れることはなかったが、逆にそれが体へのダメージとなる。
 高くから落ちる事滝の如し。
 アレックスをガラスへと叩きつけたグリフォンマスクが再度アレックスを抱え込み、ジャスティスハリケーンよりも激しく回転を加えながらリングへと落下していく。

「フォ――――ル!」

 ビッグフォールグリフォン。今年、二ヶ月間の謎の失踪をとげたグリフォンマスクが復帰した際に会得した超必殺技である。
 ドームに轟音が響き渡った。
 最早スリーカウントは必要なかった。
 ゴングが鳴らされ、グリフォンマスクが指を掲げ、叫ぶ。

「この胸に闘魂ある限り、私は負けない!」

 ドームが、大歓声で包まれる。



[16198] 第十七話 『会場の裏』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d9af24c4
Date: 2010/05/05 22:08
 ドームを歓声が包んでいる。
 アナウンサーがグリフォンマスクとザンギエフの勝利を宣言し、何とかリングによじ登ったザンギエフがグリフォンマスクと二人、指を天に掲げて勝利をアピールしている。
 なるほど、確かに国際親善試合にふさわしい幕切れとなったようだった。
 その後、グリフォンがアレックスに、ザンギエフがヒューゴーに手を差し出して立たせる。
 ヒューゴーに関してはザンギエフが立たせる前に、マネージャーであるポイズンという女性(後にザンギエフはニューハーフだと知って大変驚いたが)に叱咤され、起き上がってはいたが。

「……流石チャンプだ。まだまだ俺じゃ及ばなかった」
「ユーの魂も熱かった……ユーが私ほどの年齢になる頃には、追い抜かれているかもしれないな」

 アレックスの年齢は十八である。肉体もまだ成長途中であるし、グリフォンマスクはアレックスの成長に期待をかけた。
 ストリートファイトで培ったハングリーさは、アメリカには少ないリアルファイトという風を吹き込むだろうし、その大技は十分観客を魅了するものだ。
 ヒューゴーに関しても、英雄ザンギエフに対して一歩も劣らぬ接戦を繰り広げたからには、プロモーターが黙ってはいまい。
 この親善試合は四人ともに得るものが大きかった。

「いいぜ。いずれそのベルトを奪い取ってやる。だから、それまでは……無敵のチャンプでい続けてもらうぜ」
「望むところだ、待っているぞ、若人!」

 二人の会話はマイクがすべて拾っている。増幅された会話は、単なるパフォーマンスを超えた何かを観客に感じさせた。
 パワーエイジ、アレックスのデビュー戦は敗北でこそ飾られたが、恐らくは将来、レスリング界を背負って立つ男になるのだろう。
 それがグリフォンマスクのようになのか、それともかつてのヴィクター・オルテガのようにひたすらストイックさを貫いた結果なのかはわからない。
 万雷の拍手の中、イベントの前半である親善試合が終わった。
 簡単なスピーチの後、四人がそれぞれの花道から控え室へと帰っていく。
 会場はしばしの間、片付けの為暗転を行い、スタッフがあわただしく動きはじめる。

「ふぅー……!」

 控え室に戻るなり、ザンギエフはベンチに体を預け、一気に息を吐いた。
 気合と根性でマイクパフォーマンスやスピーチをこなしたが、実際は立っているのも辛いほどの消費である。
 おかげでスピーチは息も絶え絶えの状態になってしまったが、それは仕方のないことだろう。

「グリフォンマスクも、アレックスも、ヒューゴーも、素晴らしい選手だったな……我がロシアもうかうかしていられん」

 アイシングとマッサージを行ってくる付き人に語りながら、ザンギエフは体を休める。
 と、ノックの音がしてグリフォンマスクが入ってきた。
 流石にホームのためか、グリフォンマスクはすでにきっちりとマントを着込み、息も整えている。
 このあたりに若さがあるのか、とザンギエフは少し苦笑いを浮かべた。

「お疲れ様でした」
「なんの……流石は米国チャンピオン。効いたぞ、ジャスティスハリケーン」
「あのダブルラリアットも効きましたよ。控え室に乱入した狼藉者を倒したというハガー市長とのダブルラリアットも見たかったものです」

 グリフォンマスクも殊更強調したしゃべりはせず、至って普通の紳士的な喋りである。

「さっき廊下でビッグ・ベアに会いましてね。派手な技を出しすぎだと怒られましたよ」
「思ったより元気そうなハッパをかけられたじゃないか」

 グリフォンマスクとザンギエフが苦く笑う。
 グリフォンマスクはビッグ・ベアと闘ったことはないが、ザンギエフは何度も戦ったことがある。
 悪役時代のライデンもそうだが、ビッグ・ベアも派手な技こそ少ないものの、パフォーマンスなどで魅せてくる正統派レスラーだ。
 気を利かせた付き人がグリフォンマスクにストローつきのスポーツドリンクを渡す。
 ありがたく受け取ったグリフォンマスクだが、あいにくと飲食用のマスクではなかったのか、しばしの間それを眺めて苦笑いをしながら付き人に返した。

「この後はいかがするおつもりですか?」
「ちょいと体を休めた後観客席にいくさ。最前列でビッグ・ベアの雄姿を見届けてやらにゃならん」

 なるほど、とグリフォンマスクが頷く。
 グリフォンマスクもザンギエフも勿論特別シートに案内されてはいるが、体の具合によってはそれを見合わせなければならないところだ。
 それならば一緒にいきますか、とグリフォンマスクが提案し、そうしようとザンギエフが笑った。
 チャンプと英雄が肩を並べてシートに座る姿は、友好の証としても丁度よかったのだ。





「おう、どうだ。動きはあったか」
「今のところ観客席では動きはありませんね。大佐の方はどうです」

 暗闇の観客席の中、指で相手の体を叩く方法で会話をする男が二人。
 どちらも大柄な体格をしており、鍛え上げられた筋肉がシャツを盛り上げている。
 その中に、軍隊の階級を示す言葉が入っていた。

「ビンゴだ。ロレントの部隊が潜り込んでやがった」
「……空軍のガイル少佐からも連絡が入ってましたよ。やれやれ、またシャドルーですか」

 観客席に座っていた、金髪にサングラスをかけた男が嘆息し、小脇に抱えていたポップコーンを掴んで口に放り込んだ。
 二度三度咀嚼すると、それを一気にコーラで流し込む。

「奴らいつ頃動き出しますかね」
「多分試合終了後だろうな。オルテガがどう動くかはわからねぇが、まだ俺たちも突入できる段階じゃない」
「それはよかった。ビッグ・ベアとオルテガの試合を見逃したら俺は嘆き悲しみますよ」

 その言葉にもう一方、バンダナを鉢巻のようにつけた男が肩を竦める。
 金髪の男がスルスルと腰に隠していた小さなノートパソコンを取り出し、カタカタと文字を打ち込みはじめる。
 太い指からは想像もつかないような流麗なタイピングは、恐らくはそれを見慣れているはずのバンダナの男を嘆息させた。

「相変わらず早いもんだ」
「マルコの奴には負けますよ……と。
 駄目ですね、援軍は期待出来そうにないです。各方面から横槍が次々と入ってます。実質動けるのは俺達だけです」

 軍属の人間に対し、援軍は期待できないという言葉はイコール死ねと同義である。
 だが、バンダナの男は勇ましい笑みを浮かべてトンっと金髪の男の背中をたたく。

「単独任務は俺達の十八番だ。大統領からの勲章と、この階級は伊達じゃないんだぜ」
「頼りにしてますよ、大佐。背中は任せて下さい」

 それも何時もの事だ。そういってバンダナの男がそっと消えていく。
 見事な気配の消し方で、周りの観客ですらそれに気付かない。
 凄まじいまでの潜入術といえた。
 それを確認した金髪の男はノートパソコンを閉じ、残ったポップコーンをつまみながら再びドームに明かりが灯るのを待つ。
 周りの観客は誰も気づかないが、彼の座るイスの下には、プロレス観戦には似つかわしくないナップザックと、密かに銃器が持ち込まれていた。





 ビッグ・ベアは控え室で大きく息を吸い込んでいた。
 試合開始まで十分。
 観客はさっきまでの親善試合でわきあがり、今はビッグ・ベアの歴史を振り返っている所だ。
 体の準備運動は十分。心の準備も、先ほどまでの試合を見ていれば否が応でも熱く昂ってくる
 実は先ほど、控室にオルテガがやってきて、わざわざビッグ・ベアに注意をした。

『知っているだろうが、私の試合では台本は存在しない。
 全力を以ってかかってくるがいい』

 望むところだ――ビッグ・ベアはそういったが、実際のところ、老いたりとはいえオルテガに勝てるとは思えなかった。
 一団体のチャンプでありながら、全米を統括するに至ったオルテガは、まさしく帝王なのだ。
 だが弱気を見せる訳にはいかない。
 引退試合という最大の花火を打ち上げ損ねる訳にはいかないのだ。

「……たった五分でノックアウトする試合だろうが魅せるのがおれたちの仕事か」

 かつて、ビッグ・ベアがサウスタウンの英雄テリーと対決した際に言った言葉である。
 オルテガの伝説を紐解けば一撃で相手を倒した事例など唸るほど出てくる。
 自分がその伝説の一ページを飾る可能性があることは重々承知していた。
 だが、だからこそ観客を沸かさなければならない。
 ビッグ・ベアも、そしてヒールである姿のライデンも、熱狂的なファンを生み出すヒーローなのだ。
 時計を見る。入場の時間が近づいていた。
 もう一度ゆっくりと深呼吸をして立ち上がり、ドームへと向かう。
 脳内に、敗北の二文字は浮かんではいない。





 アナウンサーの少々過剰な演出の後、ドームが再度暗転し、片方の花道が照らされる。
 荘厳な音楽と共に現れたのは逆三角形という言葉がこれほど似合う奴はいないとまで思える男、ヴィクター・オルテガ。
 そもそもオルテガが引退したのは、生涯ただ一度の敗北を喫したためである。
 以後のオルテガは山ごもりの後、ストリートファイターとしてデビューをした。
 数年ぶりのリング復帰に、観客の熱い視線が注がれる。

「むん!」

 指先までをピンとのばして右腕をあげ、まるで弓を引くかのように同じく左腕を後ろへ下げる。
 見事なまでの筋肉の張りが、オルテガ健在を十二分に示していた。
 同様のポーズはヒューゴーもとるが、しかし彼がリズミカルにポーズを取り、そのたびに筋肉以外の、少しばかりゆるんだ皮膚も動くのに対し、オルテガのそれは微動だにせぬみっしりと詰まった筋肉だとよくわかった。
 オルテガがマイクを握る。

『今日――この場はビッグ・ベアの引退試合である。
 だが、私はCWAの初代王者として、そして、レスリング界の覇者として宣言する。
 決して、ビッグ・ベアに花を持たせるような事などはしない。
 ここにはショー・ビジネスもデウス・エクス・マキナも存在しない。今日この日、ビッグ・ベアは引退試合での敗北とともに、リングを去ることになるだろう』

 会場にどよめきが走った。
 そして同時に爆発するような歓声がわきあがる。
 ビッグ・ベアは確かにヒーローである。
 だが、ヴィクター・オルテガはそれを上回る覇王でもあるのだ。
 引退試合でオルテガが芝居じみたプロレスをすることに異議を唱える観客も、少なくはなかったのである。
 しかし、オルテガがマイクをレフェリーに返した瞬間、ドームの電気が消された。

『待ちな、オルテガさんよ。そいつぁ気が早ぇぜ。いくら覇者だろうと、機関車に踏みつぶされちゃおしまいよ!』

 ――ビッグ・ベアの宣言。
 同時に花道にライトが照らされ、山と積まれたドラム缶が見えた。
 音楽がかかる。皆がこの曲を知っていた。これこそヒールとして一世を風靡した男のテーマ曲、『勇者ライデン』である。
 そしてドラム缶が一気に吹き飛ばされた。
 現れたのは何時もの黒いコスチュームではなく、青いコスチュームとマスクに身を包んだ男――ヒールレスラー、ライデンであった。
 暴走機関車の異名を取るライデンだが、この試合はあくまでビッグ・ベアの試合であったはずだ。
 それが何故。
 観客がそんな疑問を浮かべていると、一気にリングまで駆け上がったライデンがマイクを奪い取り、顔のマスクをはぎ取った。

『今日は確かに俺――ビッグ・ベア、そして、ライデンの引退試合だ。
 だがな、ただ引退するんじゃ寂し過ぎるってんで、ヴィクター・オルテガ!
 てめぇの覇者の称号をいただいて、勇者ライデンに、覇者ビッグ・ベアになろうって寸法よ!』

 その言葉に観客の拍手が鳴り響く。
 だがオルテガはその言葉をつまらなさそうに見つめた後、マイクも取らずに

「出来るならばやってみるがいい!」

 そう返し、大きく構えた。
 ビッグ・ベアがマイクを放り投げるとともに、ゴングが鳴り響いた。
 レフェリーはオルテガが現役時代に活躍していた『人間裁判所』ことハリー・ヒックス。
 語尾を伸ばして秒数を稼ぐことなどなく、正確無比な体内時計によるスリーカウントは、シナリオを使うプロモーター達にとって恐怖の代名詞だった男である。
 睨み合い――両雄が吼えた。



[16198] 第十八話 『引退試合』
Name: 時計鴉◆b768195f ID:d6da0c87
Date: 2010/08/25 11:26
 ビッグ・ベアのショルダータックルが初撃から決まった。
 暴走機関車とまでいわれる男の一撃は流石のオルテガも効いたらしく、真正面から受け止めるも、その勢いのまま後ろへ何歩も下がることになってしまった。

(しくじった!)

 だが、ビッグ・ベアの脳裏にその言葉が雪崩のごとく積み上がる。
 ショルダータックルをするならば、この男相手には吹き飛ばすべきだったのである。
 まかり間違っても組合うべきではなかった。

「失望したぞ」

 オルテガの声が聞こえる。
 そのままオルテガは両腕を万力のように締め付け、ビッグ・ベアの腕を極めた。
 激痛に表情が歪むビッグ・ベア。
 しかし事はそれだけで終わらない。

「ぬぉぉぉぉ!」

 そのまま上空へ跳躍する。
 筋力だけを利用して飛び上がるオルテガとビッグ・ベアの肉体。
 空中で一回転だけ前方へと回ると、二人の巨体はそのままリングへと叩きつけられた。
 ザンギエフのスクリューパイルドライバーとも、グリフォンマスクのジャスティスハリケーンとも違う。
 パワーボムのような形であるため、アレックスのハイパーボムを思い出すかもしれないが、その落下速度も抱え込み方もまるで違う。
 通常、プロレスのリングと言うものは弾力性に富みつつも非常に頑丈に出来ている。
 だが、オルテガのこの必殺技――マッスルボマーはそのような常識を打ち砕く。
 爆音と評すしかない音が響き渡った後、そこにあるのはリングに突き刺さり、足だけを上に突き出したビッグ・ベアの無残な姿だったのだ。
 会場が静まり返る。
 あまりといえばあまりにもあっけない結末。
 始まって三十秒も立っていない。
 帝王オルテガ。圧倒的過ぎる強さである。
 観客が段々と悲しみを覚え始める。
 いくら引退試合とはいえ、ビッグ・ベアがオルテガにかなう筈がなかったのである。
 ぽつり。ぽつりと、観客から声が漏れ出す。
 先程までの熱狂とは全く違う声。

「立てよ……立ってくれ。立ってくれ、ビッグ・ベア!」
「そうだ、俺たちはお前の最後の試合を見に来たんだぞ、ライデン!」
「帝王に負けるんじゃない、ビッグ・ベア!」
「勇者の力を見せてやれよ、ライデン!」
『ビッグ・ベア! ビッグ・ベア! ビッグ・ベア!』
『ライデン! ライデン! ライデン!』

 観客の声が一致する。
 ビッグ・ベアとライデン。一人の二人を呼ぶ声が会場全体から湧き上がる。
 アナウンサーまでもがビッグ・ベアの名前を連呼していた。

「ハリー。私はお前にも失望した。人間裁判所の異名はどうしたのだ?」

 そんな中、オルテガが腕を組みながらレフェリーでありながらカウントを取らない男を睨みつける。
 だがレフェリーであるハリーはその睨みにもびくともせず

「しらないのか、オルテガ。裁判は陪審員がいて成り立つんだ」

 リングの声がわきあがる。
 いつの間にか、ザンギエフとグリフォンマスクも叫んでいた。

「立ち上がれ、ビッグ・ベア! 俺がアメリカのライバルと思っていたお前はどうしたんだ!」
「立ち上がるんだ、勇者の名前を持つものならば! 機関車のエンジンが止まっては、誰の夢も運べないぞ!」

 ぴくり、ぴくり。
 リングに埋まったビッグ・ベアの足が動く。
 そしてゆっくり、本当にゆっくりとだが、ビッグ・ベアがもがき始めた。
 更にそこから時間を掛けること一分、ビッグ・ベアがとうとうリングから抜け出し、顔面を血だらけにしながらもオルテガを睨みつける。

「はっ……ぁ、ぐ。やりゃぁがったな、オルテガァ!」
「それがどうした」

 指が折れ、額とこめかみが切れて血が吹き出している。
 顔面は血に塗れ、首への衝撃や全身の打撲は、常人ならば意識を失った方が手っ取り早いほどの激痛であろう。
 実際、ビッグ・ベアの膝はがくがくと震え、その巨体を支えられているのが不思議なほどであった。
 しかし気迫は衰えていない。
 否、暴走機関車のエンジンに石炭が大量に放り込まれた。
 興奮で痛みを抑えつけ、気力で体を動かす。
 他のどの格闘家でも真似のできぬ、プロレスラー故のこの頑丈さ。

「ふざけんなぁ!」

 溜めのない突進。
 オルテガの目が少し開かれる。
 ビッグ・ベアの突進は有名な技だが、その前には必ずレディ、とつぶやいて体のバネを溜める癖があった。
 しかし、今のそれには溜めが一切ない。
 オルテガの脳裏に存在する攻撃パターンが、ビッグ・ベアのそれを一瞬だけ認めなかったのだ。
 見慣れたベテランだからこそ対応出来なかった。
 ショルダータックル。だがそれで終わらない。
 エンジンの入った機関車は更に裏拳でオルテガの顔面を痛打したのだ。

「うぉぉぉ!」

 更に上から振り下ろす肘打ち。両拳を握ってのハンマーパンチ。
 上からの肘打ちに続いての顎を殴り飛ばすすくい上げハンマーパンチの連撃。
 ゆらっとオルテガの体がぶれる。

「らぁ!」

 ラリアットの要領でビッグ・ベアがオルテガの首に腕を回す。
 暴走機関車はその勢いのまま少し跳躍し、引き倒す。
 ビッグ・ベアの体重と勢いをそのまま腕に乗せ、首に一点集中する必殺技である。
 通常、ここまでビッグ・ベアがコンビネーションを組むことはないが、まるで何かのブレーキが外れたかのような怒涛の反撃であった。

「フォールだ!」

 ビッグ・ベアが叫ぶ。
 確かにビッグ・ベアの体重で固めればこれは立派に一撃必殺だろう。
 ハリーが応えてカウントを取り始めるが、しかし一瞬びくりと固まった。
 なんとオルテガが上半身の力だけでゆっくりとビッグ・ベアを浮き上がらせたのである。

「な、にぃ!?」
「中々やるようだが、やるのならば全身を使ったフォールをするのだったな」

 完全に立ち上がったオルテガはビッグ・ベアの両腕をつかむと、その二百キロを超える巨体を軽々と振り回し、ロープへとぶつける。
 ザンギエフがアレックスを吹き飛ばしたそれの比ではない。
 吹き飛んだそれは恐ろしい勢いでロープとポールを軋ませ、一瞬ビッグ・ベアを固定した。
 その一瞬でオルテガは一気に踏み込み、ビッグ・ベアの腹に向けて強烈なアッパーカットを叩き込む。

「……ごっ」

 ビッグ・ベアの目が見開かれ、絶句する。
 一撃の衝撃は内臓まで達し、打撃に強いはずのプロレスラーの肉体すら動かすことを禁じる。
 だが、それでもなお、ビッグ・ベアは倒れなかった。

「そのタフネスだけは賞賛ものだな。かつてのハガーも、キマラ・ザ・バウンサーもそれだけのタフネスは持ち合わせていなかった」
「る、っせぇ。てめぇ如きの技なんざ、ザンギエフにも……この街の英雄の一撃に比べりゃ、足元にも及ばねぇよ」

 その言葉にオルテガの眉がぴくりと動く。
 オルテガもアメリカ人である。サウスタウンヒーローの名は耳にしていた。
 だが、プロレスラーでもない男と比べられるのはオルテガの矜持を揺るがした。
 オルテガは覇王である。引退を決意した引き分け戦まで、後にも先にも敗北の味を知ったことがない。
 ボクサーでも中々見られぬ一撃KO。それをプロレスラーの身でありながら成し遂げてしまう覇王の所業。
 その一撃を受けて尚、足元にも及ばぬと言われるこの屈辱。
 オルテガの内心で怒りの炎が燃え上がった。
 
 オルテガが一歩踏み込む。
 その時、違和感がリングを襲った。
 帝王オルテガが、膝をついたのである。





 どのような事を行うにせよ、そこに利権が絡まないと言うことはない。
 格闘技興行などというものは、何時でもマフィアや暴力機関のいい飯の種だった。
 勿論国際親善試合などという大きなものになれば、それこそ表の顔を持つような強大な組織でしかからみようがないが、末端であればそれがどのようなチンピラであれ絡むことは出来る。
 アメリカに根を張らない山崎が食い込んできたのも、そういった末端の一つ。
 例えば格闘技興行のチケット販売や、売店に関する売上など、そういった小さなシノギであった。
 とはいえ、小さいからと言って馬鹿にする事は出来ない。
 末端から支配されて、いつの間にか頭がすり替えられている等ということはよくある事なのだ。
 そして、この会場での売上は予想以上に大きい。
 会場内だけではなく、外の売店でも数カ月分の売上が一日で上がっているほどだ。
 だからこそ、ここでビッグ・ベアが一方的にやられるなどと言う展開は御免だ、というのが商人の気持ちだった。
 一方的にやられては、ビッグ・ベアのグッズのみならず、親善試合で盛り上がった気持ちが急激に冷め、売上そのものの減少に繋がる。

(オルテガさんよぉ……ちぃとばかし、あんたの筋肉は反則だぜ。あのクラウザーだってそこまでじゃぁない)

 会場二階席奥。既に案内も終わり、熱狂からか誰も見る場所がない隅にその男はいた。
 山崎竜二。この男は恐るべき事に、この親善試合が開催されるまでの半年の間にサウスタウンの地元ギャングを二つ掌握し、この興行の裏で流れる資金の実に三割を得るに至っていた。
 数億ドルが動く興行の、裏に流れる資金の三割がどれほどの規模か。
 山崎はこの十年の間に己の才覚を更に開花させていた。
 後ろの壁を指でとんとんと叩く。
 山崎のその姿を見て、一人の男がゆらっと観客席から立ち上がり、一言二言会話したかと思うと、さらに一つ下、一階席の奥できらりと光るものがあった。
 ハッシュパピーと呼ばれる拳銃に消音装置をつけたものだが、一瞬それが黒光りする内にライトが反射したのだ。
 そしてその銃口から弾丸が放たれ、オルテガの足首に銃弾が埋め込まれた。
 流石に筋肉の鎧とまで言われるオルテガの体は貫通を許さなかったが、しかし足首に銃弾が叩き込まれて無事な人間などいるはずもない。
 オルテガは激痛に顔をゆがめ、膝をついてしまった。

(ひひ、言えねぇよな。帝王が狙撃されたなんてことは絶対言えねぇ。それは覇王の意地ってもんだ、ギースにも似た、な。
 感謝しろよ? てめぇのブーツの口は広い、例え出血したって試合が終わるくらいまで血が外に漏れやしねぇよ)

 その予想は的中していた。オルテガは狙撃されたことに気づきつつもそれをレフェリーに言うことなく立ち上がったのである。
 更に足を踏み込み、ビッグ・ベアに追撃を加えて行く。
 だが流石に片足が封じられてはキレがない。
 観客はそれを、先程のビッグ・ベアのコンビネーションが効いているのだと判断し、歓声を上げる。
 山崎の予想通りであった。
 それに満足して山崎は外へ出ていこうとする。外の様子も見なければならない。組織を率いることなく、一匹狼的な立場をとることが多い山崎だが、全て一人で動いている訳ではない。
 成功した作戦の後を引き継がせる程度の仲間はいる。ならばこの混乱に右往左往する外の末端を引き締めなければならないのだ。
 山崎がゲートから外に出ようとした時、ぞっとするような感覚を覚えて横へと転がる。
 轟音と共に床が砕け、山崎はその上を見た。
 赤いバンダナを鉢巻のように身につけた男。山崎は男に見覚えがあった。――というより、これは山崎が在日米軍と付き合いが会った為に知り得たといえよう。
 男の名はラルフ・ジョーンズ。少年兵時代からベトナム戦争などに従事し、とある小国の軍事蜂起にて単独で潜入。敵の新型兵器基地を壊滅に追いやった英雄である。
 戦車操縦技術に加え、ヘリも動かし、更には射撃術までも収めており、まるで軍人の理想の体現者とも言うべき実力の持ち主、それがラルフだった。
 上述の基地壊滅にて功績を讃えられ、秘密裏ながらも大統領直々に勲章を授与され、キャリア組として投入され、二十代で大佐にまで上り詰めた男。その肉体能力はまるで『ランボー』が現実に現れたかのような存在であり、彼の率いる部隊は、それこそ映画『コマンドー』である。
 格闘技大会に出ることもあるが、その時の彼の言い分は全て『いっちょ格闘ごっこでもやってみるか』であり、山崎に言わせれば、全世界でタイマンを張りたくない相手の五指に入るだろう。
 現在は傭兵部隊にスカウトされ、米軍からは除隊しているが、今なおペンタゴンにすら影響力を持つ男である。

「……おーおー、どこかで見た顔だと思ったら、沖縄のドブネズミじゃねぇか。どうした、沖縄は身入りが少なくなったかよ」
「知ってんのか……?」
「山崎竜二、沖縄出身の闇ブローカー。十年ほど前にサウスタウンに手ぇだして火傷負ったバカだろ?
 香港にいる分にゃぁ俺達も見逃しちゃいるが、見える場所でおいたしちゃぁいけねぇな」

 特殊部隊出身故か、その記憶力も素晴らしいものがあるようだ。山崎は舌打ちする。
 こちらを雑魚と思って油断してくれる分にはいいが、軍人相手にそれは見込めない。
 先日のガイルとの戦いの方が特例だったのだ。

「オルテガの動きに変なところがあったから奴らが動いたかと思ったらてめぇかよ。
 やめとけやめとけ、オルテガで八百長試合しようなんて事を考えるてめぇがバカなんだよ」

 山崎は答えない。肉体能力で劣るとは思っていないが、実戦経験がまるで違う。
 熟練といっていい山崎ですら、自分が戦場に放り込まれて生き延びられるとは思えない。
 先日、現役の米空軍少佐であるガイルと戦ったが、ガイルは戦闘機パイロットが主任務であるのに比べ、ラルフは歩兵として動く男である。
 懐に忍ばせている拳銃を撃とうにも、ラルフ相手ではすぐさま見切られてしまうだろう。
 目論見自体は成功しているのだ。後はここから逃げおおせる事が肝要だ。
 戦闘では劣るが、逃げる自分をラルフがわざわざ追いかけてくるとは思えない。
 右腕をだらんとさせながら山崎は距離をはかる。

「軍人さんよぉ……年上は敬うもんだぜぇ……?」
「あいにく俺の階級が階級なもんでね、年上を呼び捨てるにゃ慣れてんのさ。それに精々五歳もかわんねぇだろ?」

 山崎のモーションに何か気取るものがあったのか、ラルフがファイティングポーズを取る。
 蛇使い。腕の関節を外すことで無理やり腕を鞭のようにしならせ、挙句に射程距離を実際以上に伸ばすという、常軌を逸した技である。

「いくぞぉ……いくぞぉ……?」

 ゆらゆらと山崎が腕を揺らす。ただのブラフではなく、腕を揺らすことによって挙動を見辛くさせているのだ。
 だが、それをみてラルフはにやりと笑った。
 腰を少しばかり落とし、体を大きく後ろに逸らし、右腕を構える。
 完全に背中をみせ、無防備のような状態にあり――山崎はそれを不気味に思った。

「よぉ、ブローカー。男ってのはなぁ……そんなぶらぶらするもんじゃねぇよ」

 ラルフの威圧感が一気に高まった。
 先程感じた背中の違和感よりも圧倒的な不気味さ。

「ギャラクティカファントムゥ!」

 ラルフが叫ぶ。瞬間、山崎が一気に飛び退いた。
 防御することなど愚の骨頂。山崎が飛び退いた場所を一気に拳を振り抜いたラルフの行き先は、コンクリートの壁であった。
 大人数を収容するための最新建設技術で出来た筈のコンクリートの壁は、しかしラルフの一撃によって粉々に砕かれていた。

「男の一撃だコラァ! ……避けんじゃねぇよ。これで終わっちまえば楽なんだが」
「冗談はバカバカしいバンダナくらいにしとけよ、ガキが……」

 山崎はじんわりと浮かぶ汗を自覚する。
 ブローカーとして動いていた時から聞いていた、ワンマン・アーミーのお伽話。
 拳で戦車を破壊するとまで言われた男が、まさか現実に存在するとは思わなかったが、しかし現実に見せられてしまえばそれは自分の死にすら直結する問題になる。
 ぼこ、っとコンクリートの壁から拳を引きぬき、ラルフが山崎を睨む。
 プロテクショングローブはつけているが、しかしコンクリートを貫通するほどの一撃を放って、尚拳が無事というのは尋常ではない。
 山崎は内心舌打ちを続ける。
 今、山崎は奥の手である左手を引きぬくことが出来ない。
 先日、山崎が対ガイル戦で飛び道具に為す術もなかった理由こそがそこにあった。
 本来の山崎に、半端な気功は通用しない。
 倍返し、と彼が名付ける、気を掴んで弾き返す技を会得しているからだ。
 常にハンドポケットとなっている左手を、先日のガイルの時のように気を纏わずに見たならば、その惨状に全ての者が驚くだろう。
 山崎の左手は、今傷がない箇所が見当たらないほどにズタズタに破壊されていた。

(……畜生、亡霊になって、十年越しにまで俺に立ちふさがりやがるかよ、ギィィス……!)

 ナイトメア・ギース。そもそもの事件の発端である、ケン・マスターズを完膚なきまでに打ちのめした男の名前が、山崎の心中でつぶやかれた。


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