11月、「二輪ロードレース世界選手権」の最終戦「バレンシアグランプリ(GP)」(スペイン)で、青山博一(ひろし)選手(28=ホンダ)が、日本人として故・加藤大治郎選手以来8年ぶりの250ccクラス年間王座を獲得した。ライバルたちが最新鋭のマシンを駆る中、07年に開発が止まった旧式のバイクを操り、今季16戦すべてを1けた台で完走した。4勝を挙げ、つかんだ栄誉には「全レースに神様がついていた」と語る。初王座、そして10年から最高峰「モトGP」クラスにステップアップする思いを聞く。【西村綾乃】
◆ポケバイと、涙の出合い 目標をプロに
ポケットバイク(ポケバイ)に出合ったのは5歳のとき。モトクロスをしていた父に誘われ、地元・千葉県にある「千葉北ポケバイコース」に出かけた。スピード、エンジン音におびえ「乗りたくない」と半日泣いたが、父の熱意に観念し乗ってみると「面白い」とはまった。以後は毎週サーキットに通い、仲間と腕を競い合った。
子ども時代から走りはトップレベル。プロ選手へと思いをはせた中学時代、プロレーサーの育成機関「桶川塾」(埼玉県川島町)に入塾し、98年に国内のロードレースにデビュー。翌年に名門レーシングチーム「ハルクプロ」から「全日本ロードレース選手権」125ccクラスに出場、00年には同250ccクラスに転向し、03年に同レースで年間優勝。実力が認められ、「ホンダ・レーシングスカラシップ」の第1期生に選出され、04年から世界選手権の250ccクラスへと飛躍した。
◆世界へ。参戦2年目の初勝利 3年目、涙の日本GP連覇
04年、拠点をスペイン・バルセロナに移し、元ライダーのアルベルト・プーチさんが率いる「テレフォニカ・モビスター」(ホンダ)から世界に挑戦。あこがれだった加藤選手のゼッケン「74」にかけ、青いマシンに「73」を付け、現在モトGPで戦うダニ・ペドロサ選手としのぎを削った。参戦2年目の9月、地元「日本GP」で初優勝。2年間のスカラシップを終えた06年は、この年から新たに参戦した「KTM」に移籍した。自分の意見や経験をいかし「秋までに戦えるバイクを」と奮闘。迎えた「日本GP」で連覇を達成した。実績のないチーム、マシン開発にも携わりながらつかんだ大きな1勝に、「君が代」が聞こえた瞬間、青山選手は表彰台で泣き崩れた。そして昨年、09年の契約話も進んでいる中、10月の最終戦を前にKTMが経済難などを理由に、突然撤退を決定した。
◆マシンの力を最大限に引き出す能力 参戦6年目250cc制覇へ
青山選手に手を差し伸べたのは、「スコット・レーシング・チーム」(ホンダ)。同チームは07年にマシンの開発が止まっており、ライバルのアプリリアと比較すると最高速度が5~10キロも遅く、苦戦が予想された。しかし開幕戦4位、続く「日本GP」で2位と予想をくつがえす好成績。「欧州の選手が多いレース。彼らの地元に戻ったら、巻き返される」と覚悟していた第3戦「スペインGP」では44回もの抜き合いを制し優勝。シリーズポイント首位に浮上し、チャンピオン争いに名乗りを挙げた。
「24時間レースのことしか考えていなかった」という一年。コーナーを曲がる際、最大限にマシンを倒すことでタイヤの傷みを軽減するなど、できることはすべてやった。2本の長い直線を持つ「第16戦マレーシアGP」では、前を走るバイクの後ろにつくことでできる空力を利用し、性能で勝るバイクを抜くしたたかさも見せ4度目の勝利。そして11位までに入ればチャンピオンとなる最終戦を迎えた。
王座の可能性があるのは青山選手とマルコ・シモンチェリ選手(ジレラ、イタリア)だけ。シモンチェリ選手は優勝するしか道はなく、青山選手にとって優位かと思われたが、序盤、アクシデントに見舞われた。コーナーで他のマシンと重なり外へはじき出される格好に。「周りのマシンと接触して転倒か、コースアウトの二択しかなかった」。一瞬の判断の後、コースを大きく外れ、砂利を敷き詰めたグラベルに突っ込んだ。砂利はコースアウトしたマシンのスピードを減速させるためのもの。はまったら普通は出られない。まさかのアクシデントに観客は息をのんだが、「アクセルを上げ沈まないようにすれば(コースに)戻れる」と先輩からの教えを思い出し、コースに復帰した。
「復帰後、一番に頭に浮かんだのはマシンの状態よりも、いま何位かということ。11位というサインボードを見て、まだ大丈夫。順位を上げていこう」と冷静だった。11位から、前車を追い抜き順位を上げ、8位になったとき、シモンチェリ選手の転倒を見た。「まさか。これで優勝なのか。実感がなかった」。7位で終えたレースは「チャンピオンより、1シーズンを走り終えたことが素直にうれしかった」。
欧州、アジア、米国など世界を回る選手権。レースマニアを自称し、休みの日にも過去のレースを観賞するなどイメージトレーニングを欠かさないことが、参戦6年目の栄誉につながった。同クラスで日本人選手が優勝するのは01年の加藤選手以来で、日本人3人目。ホンダにとっては、GP参戦50年目の節目の勝利となった。「チームが頑張って、僕に合うバイクを作ってくれたことが結果につながった。勝敗は毎戦、紙一重だったと思うけれど、シングルリザルト(1けた台でのゴール)で終えることができた。すべてのレースに神様がついていてくれた」と感謝する。250ccクラスで戦った6年間を「うれしかったのは初優勝した日本GP、そしてくやしかったのは3連覇がかかった07年の日本GPで転倒したこと」と振り返る。
◆10年、モトGPへ 「最速の男」ロッシ選手に挑む 8耐にも意欲
「世界チャンピオンになりたい」と願い、99年に「ハルクプロ」の門をくぐってから10年。頂点を手にした青山選手は来季、「インターヴェテン」(ホンダ)から、選手権最高峰に挑む。
「過去、250ccクラスで優勝を争っていたダニ、(ケーシー)ストーナー、(ホルヘ)ロレンソと再び戦うのが楽しみ」と語る。そして世界で一番速い男、バレンティーノ・ロッシ選手(ヤマハ、イタリア)とは初めて同じ舞台で勝負することになる。「GP100戦目のサンマリノGP(09年第13戦)で、『100レース迎えられてうれしい』と思っていた僕の横で、バレンティーノは『GPで100勝できてうれしい』と言っていた。レベルが全然違うと思ったけど、少しでも近づけるよう自分のレベルを上げてチャンピオンをとりたい」と新たな目標を定める。また夏に「鈴鹿サーキット」(三重県鈴鹿市)で開かれる「鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)」についても「参戦したい」と意欲を見せた。
〈二輪ロードレース世界選手権とは〉
世界各国のサーキットを転戦し行われる最高峰のオートバイレース。通称モトGP。シリーズは4ストローク800ccエンジンを搭載した「モトGP」を筆頭に、4ストローク600ccエンジンの「モト2」クラス(09年までの250ccクラスが移行)、125ccの3クラスが開催される。10年は「カタールグランプリ」(4月11日決勝)を皮切りに全18戦が開かれる予定。
2009年12月10日