トップレベル・クラス/考える教室 (高校生)*1

未来を生きる子どもたちの自由と自律のために

国語専科教室 代表 工藤順一  

 この教室では、カリキュラムの最終着地点として「考える」ということに特化した「自由に自律的に」学ぶ場・機会を用意しています。

 これまでの過程とどう違うのかというと、これまでは「考えるべき課題」が教師によって与えられていましたが、これからは、その課題そのものも自分で「考えて」小論文を書かなければならないということです。

 教育にできる最後で最高のことは、「自分の頭で、自由にそして自律的に考える能力を与える」ことでしょう。具体的には、生徒が自分で疑問を持ち、本を鵜呑みにせずに読み、自分なりに考えて答をだせるようにさまざまな角度から後押しをしてあげることです。これまでは教育という文脈で「内発的動機付け」という言葉で語られたものが、ここでは教育という文脈から自由になり、「自律」という言葉を与えられることになります。

 この最終段階では、たとえよりよい解答が親や教師に分かっていたとしても、それを生徒に押し付けることは(とかく教育の名前で誤ってされがちなことですが)、してはならないことだと私たちは認識しています。理由は、親や教師の生きた時代とあまりにも違う時代をこれからの子どもたちは生きなければならず、最終的には、各個人の「自由と自律」が目的であるからです。

 自由とは、「与えられた条件・環境・宿命からの自由」です。小学生くらいまでは、環境や生まれと言われているものに大きく左右される時期であり、この時期に母語が形成されます。しかし、思春期を境に生まれてくる新しい自我があり、それを育むことで、その自我は生まれや環境を超え、環境から自立して自ら環境を作っていくことのできる強い自我=大人となっていきます。そのプロセスの中で「自律」ということは、本当の自分、古い言葉でいうならば疎外されない自分というものの確立に必要なことです。

 こうしたことは、言葉で語るだけなら平易なことですが、いざ実行するとなると極めて難しく、教師や大人である私たち自身すらたじろぐような課題でもあります。その理由の筆頭に上げられるべきことは、他者と異なる本来のかけがえのない自分(個性と言い換えてもよいでしょう)を尊重することが、これまでの日本の教育ではかけ声のみに終わり、ないがしろにされ続けてきたからです。その結果、若者には奇妙な「自分探し」のようなことが起こり、フリーターやニートの大きな原因となってしまう。

 現代社会は知識と情報にあふれています。そして、知識と情報を多くもつほどそれに拘束されてしまい、実は「自由と自律」というものからは遠ざかります。しかし、知識も情報も必要なものであるのは間違いありません。受験勉強はやり方さえ間違えなければ役にたつものでしょう。ですから、この「自由と自律」という課題は、ある種のダブルバインド状況をもたらしてしまいます。そして、求められているものは、あくまでも、そのダブルパインドからの突破口=ブレークスルーです。

 具体的な授業の形態は、与えられた解答や情報を鵜呑みにせず、批判的思考力・読解力(クリティカル・シンキング/リーディング)を発動しながら、一月に一本2000字相当の論文を、論理的思考力を発揮して(バラグラフ・ライティングの手法で)書いて行くことになります。

授業の形式 ――形はシンプルでも内容は豊かに

教材――問題意識に対応する柔軟な素材の提供

  • 『高校入試のための評論入門』 石原千秋(NHK books)
  • 生徒の問題意識に合わせて各講師が提供する教材 他

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*1 学年はあくまでも教室内での標準的な持ち上がりの場合を想定しています。