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普天間基地を反戦平和のイデオロギーとして徹底的に利用しようと目論む勢力にとって、声高に「米軍基地出て行け」と叫ぶ奇妙なことになる。
叫べばば叫ぶほど自家撞着に例は掃いて捨てるほどある。
「世界一危険な小学校」と言われる普天間第二小学校を、安全な場所に移転させる話が持ち上がった時も、真っ先に反対したのも「米軍基地反対」を主張する勢力だった。
奇妙な話だ。
商売道具が移設されては「平和活動」に不利と言うのが反対の理由と言うから、あまりにも正直過ぎて笑いを誘う。
「世界一危険な基地」を移設しようとすると、宜野湾市長が真っ先に反対する。
これも奇妙な話だ。
最近ではメア前米国総領事と伊波宜野湾市長とのやりとりも笑い無くしては聞けないコントの逸品である。
伊波市長:「普天間基地の近くには高い建造物があるが、これは危険だから普天間飛行場の飛行差し止めを要請する」
メア米国総領事:「米軍には、基地の外の建造物の建築許可の権限はない。 危険な場所に危険な建造物の建築許可をしたのは、他ならぬ市長、あなたではないですか」
この後くり返される議論はお決まりの次のようなもの。
「沖縄の土地を銃剣とブルドーザーで奪ったのは米軍ではないか。」
大体、この辺で議論はデッドロックに乗り上げる。
最近、沖縄タイムスの「読者の声」欄が面白いと書いたが、昨日も普天間移設に関連する興味深い「声」が掲載されているので紹介する。
2010年8月19日 沖縄タイムス オピニオン面
普天間第二小学校 造ったのは市
又吉康隆さん=62歳 (読谷村)
米軍嘉手納飛行場でB52爆撃機が墜落大爆発したのが1968年11月19日であった。 島中が戦争の恐怖に陥り、命を守る県民共闘会議が」結成され、その時に反戦の標語として「命(ぬち)どぅ宝」がうたわれるようになった。
米軍基地に対する恐怖が最高潮に達し、基地撤去運動が一番昂揚した時期が1969年であったし、ベトナム戦争の最中であったあのころの米軍基地の騒音や危険性は今の比ではなかった。
ところが、同年に「普天間第二小学校」は開校したのだ。 普天間第二小学校を作ったのは、米軍ではない。 当時の宜野湾市長と市議会である。 昔、米軍は普天間基地から数百メートル以内は危険地帯として)黙認耕作地にしていた。 宜野湾市は、開放した黙認耕作地に普天間第二小学校や国際大学や住宅をどんどん造っていった。 普天間基地を世界一危険にした責任は、宜野湾市にもある。 アメリカだけを非難するのはおかしい。
筆者註:
★1968年⇒沖縄返還が1972年だからその4年前の米軍統治下の時代。
★黙認耕作地 ⇒ 駐留米軍施設内の農耕地。基地内への出入りが比較的自由な場所で、基地内ではあるが住民がそこで農業をするのを黙認していたのが始まり。1959年、高等弁務官布令20号「軍用地の一時使用許可」として正式に米軍が認可。
最近「普天間基地撤去集会」に集まったプロ市民が普天間基地内の「市民広場」と称する空き地を駐車場に使用しようとして、米軍側に拒否され怒り狂った話は「黙認工作地」を「市民広場」に有効利用した例である。
くり返すが、これも可笑しな話だ。
危険だから出て行けというその基地の中に無料で駐車しようとし、断られたら怒りまくるとは・・・お笑いのネタは尽きない「普天間移設物語」である。
沖縄県民としての実感からいえば、又吉さんも指摘するように嘉手納基地のほうが騒音、危険度から言っても普天間基地の比ではない。
その点、普天間基地を政治の道具にする勢力にとって「世界一危険な米軍基地」のイメージ作戦は大成功だと言うことが出来る。
>普天間基地を世界一危険にした責任は、宜野湾市にもある。
宜野湾住民である筆者も分かっているようでいて目からウロコだったのは、上記引用文。
「普天間第二小学校を世界一危険にしたのは普天間基地」と、普通なら言うべきところを、
「(それほど危険でもない)普天間基地を、危険にしたのは宜野湾市」・・・なるほど、
又吉さん、鋭い!
興南高校、報徳と準決勝!
甲子園、春夏二連覇へ驀進中!
後2時間半で試合開始です。
応援お願いします、
プチッも忘れずに・・・
【追記】13:12
興南高校、決勝進出おめでとう!
甲子園、春夏連覇目前!
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次のなんか、原因と結果の区別も出来ない市長なのですかね。
それとも、痴呆?
こんな話は、東京のテレビ・新聞で何度も大きく報道すれば、伊波市長撃沈するでしょうに。(せっかく、官房機密費を報道機関にばら撒いてきているのに、何、無駄金をばら撒いてきたのでしょう?)
伊波市長は、まさか、米軍基地を増強して、米軍基地反対を盛り上げるのだろうか?
> 伊波市長:「普天間基地の近くには高い建造物があるが、これは危険だから普天間飛行場の飛行差し止めを要請する」
>
> メア米国総領事:「米軍には、基地の外の建造物の建築許可の権限はない。 危険な場所に危険な建造物の建築許可をしたのは、他ならぬ市長、あなたではないですか」
個人的にはこの時代の背景などを幅広い視点で検証してみたいと感じたので(それが沖タイにできるかどうかは知りませんが)要望として電話してみました。
興南高校決勝進出おめでとうございます。
沖縄の子供たち、坦々と試合をこなしていますね。
意外とシャイな面もあるようです。
我喜屋監督も相変わらず謙虚です。
決勝戦は、島袋、一二三の大会屈指の両投手の投げあいと、ここ一番の攻撃力を持った似たようなチーム同士の対決です。好試合になると思います。
本題に入ります。仕事で付き合いのある業者に、東富士演習所のある、御殿場市出身の方がいます。
東富士演習場は、広さ88平方キロメートル、嘉手納飛行場の実に4倍以上の広大な地域で、日米で共同使用しています。
彼の話を、要約しますと
1、国との契約に従い、金を貰い、防音工事、周辺施設の整備をして貰っている。契約違反があれば、国に抗議するが、それ以外で抗議することは無い。
2、自衛隊員、米兵による犯罪もあるが、個人が犯した犯罪で、軍の犯罪では無い。政治問題になることも無い。
3、自衛隊、米軍との関係は良好で、彼らのお陰で街も潤っている。
4、普天間問題はよく分からないが、危険な基地の周辺に学校などを作り、文句いうのは間違っている。(休憩時間の話でしたが、一緒に休憩していた人達も、そうだ、そうだと同意)
もう日本では、基地問題でプロ市民が付け込む隙はないですね。(唯一、プロ市民が先導した、厚木基地騒音訴訟などの問題はある。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E5%AF%8C%E5%A3%AB%E6%BC%94%E7%BF%92%E5%A0%B4
http://city.gotemba.shizuoka.jp/information/admininfo/higashifuji1.html
http://www.shizu-navi.com/camp-fuji/
>>もう日本では、
>>もう日本本土では、
に訂正します。
沖縄県も日本ですから、この場合日本本土が適切ですね。失礼しました。
初めてで、恐縮なのですが、TBを付けさせていただきました。よろしくお願いいたします。実際には初めてではないのですが・・。IPご覧になっていただければわかると思います。
沖縄勤務時代、国道58号線と米軍基地フェンスの間に畑があり、住民が野菜などを作っていました。今思えば、あれが黙認耕作地だったのですね。
それと、嘉手納基地の住宅地側に高さ2M程度の土手(それとも防音壁か。)があり、その上に昇ると嘉手納基地が一望でき、たぶんF15(あまり戦闘機は詳しくありませんので。)のタッチアンドゴーをよく見ていました。
滑走路まで約500Mぐらいあり、騒音もそんなにやがましいと言うほどでもなかったと記憶しています。あと、B52の(黒い機体とあの格好はB52だと思います。)離着陸も何回か遭遇しましたが、車の窓を閉めていると、気が付かない程度でした。
他にも米軍基地近くでよく昼食なども取りましたが、騒音はほとんど無かったですね。観光ではなく、仕事で5年もいて騒音はそんなに気にはなりませんでした。