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[20756] ヒョウリバース (元:殺人鬼の日常)
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/23 16:01
前書き。

こんにちは、元aoiです。

ころころ題名変えてすみません(汗

よく考えると、ちょっと違うなーって思い、こちらにしました。

随分、色々と考えて、何が書きたいのか分らなくなってきて原点回帰。

とりあえず何だろうと書いて、感想貰って、それを糧にしないと自身の成長はないなぁ、とテスト期間中に反省。

中ほどが曖昧なので、自分の定めている最終地点に辿り着けるのだろうか? なんて疑問もわいてくるけど、それも一興かなと開き直って再度書きなおしてみました。

きっと蛇行して、脱線して、はみ出して、また戻ってきてを繰り返して、凄く遠回りしたとしても、進もうと決意。

どうぞよろしくお願いします。


~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

何とか逃げ切れたようだ、追手はいない。

ふらつきながらも俺は路地裏を更に奥へと進む。

ついに発砲許可が下りてしまったようだ……それにしてもボディに二発とは殺す気満々じゃないか、洒落にならん。

「ははっ……失言だったな」

腹部からとめどなく流れる血に目をやりながら苦笑する。

今まで散々人を殺してきた俺が、今さら撃たれることに文句を垂れている姿が妙に滑稽だった。

ここまで逃げてくることはできたけど、どうやら体が限界のようだ、壁にもたれたまま、その場にずるずると崩れ落ちる。

始まって早々悪いのだが、俺は死にかけている。

俺も終わりかな……そう思った時、目の前に一人の女性が立っている事に気づく。

もはや動く事はできない俺はどうすることもできない。

「よう、待ってたぜ」

逆光で表情は見えないが、大体予想はついている。

女性が何か言っているようだけど、ちょっと血が足りない。

目の前も霞む、音もどんどんと遠ざかっていくように感じる。

「ぐはっ、て、てめぇ何しやがる!?」

あら、まだ元気だった。

腹部を走る鈍い痛みに意識が覚醒する、まだ意外と大丈夫なのかもしれない。

そんな俺の反応が気に入らなかったのか、もう一度蹴りが腹部を襲う。

「ち、ちょ、てめぇ! 撃たれたところ蹴るな、死ぬだろうが!? まぁ俺は構わないけどよ!」

「……死んで楽にさせると思う?」

そんな俺を冷やかに見下ろしながら女が言う。

「あ? 別に生きてもいいけどよ、無期(懲役) なんかになったら暇で暇で憤死すると思うぜ? 俺にとっては死刑も無期も変わらんな」

「贖罪を暇と言うか、この下衆め」

「笑わせてくれる、贖罪って何だ、罪って何だよ? 所詮人間が決めた事だろうが、道徳も然り。何故人が人の決め事に縛られなければならないんだ?」

「貴方の常識を疑うわ」

「常識ねぇ……おおよそ成人までに身に付けた独断と偏見の事だろ? どっかの天才が言ってたぜ? 俺も激しく同意だ」

と軽口を叩いていると、追撃をかけられた。

この女容赦ないな!

一時的に痛みで意識が覚醒したけど、そろそろヤバいらしい。

また少しずつ音が遠ざかり、目の前がかすむ。

我が人生二十四年……短かったなぁ。

「……おい、死ぬなよ? 救急車も手配しているんだ、もう少しぐらい踏ん張れ」

何か女が言っている気がする、と言うか体を揺さぶるな、傷に響く。

そんな痛みも少しずつ鈍くなっていく。

ゆっくり眠らせてくれよ……そして俺の意識は途切れた。



[20756] 走馬灯?
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/07/31 15:58
目が覚めると白い天井が俺を出迎えると言うお決まりの展開はなく、目の前は真っ暗だった。

ここで真っ白の天井が見えたなら、知らない天井だ、なんて呟いてやったのに。

ごめんなさい、某ネタでごめんなさい。

とりあえず重力の向きと体勢を確認する。

何かに腰かけた状態で何かに上半身を預けてうつ伏せになっている状態、高校までよくお世話になった居眠りのフォームに近いようだ。

特に拘束具があるようにも思えない、全くのフリーだ。

独房だったり警察病院だったとしても、仰向けで寝かされている状況なら理解できるのだが、この状況は今ひとつ理解に苦しむ。

仕方なく恐る恐る顔をあげてみる。

「……はぁ?」

妙に騒がしいな、と思ってはいたが、俺の周りにはたくさんの学生がいる。

中学校だろうか? まだ幼さ顔に残した学生が多い。

彼らは自由に行き通い、楽しそうに会話している。

学校の休み時間、そんな光景だった。

独房や取調室や警察病院だったら納得できたのだが、俺が何故こんなところにいるのか全くもって意味が分らなかった。

遠い昔に卒業したはずの場所に何故俺がいるのかなんて分かるはずもない。

周りの観察を一通り終えて自身の身体の無事を確認……しようとしたのだが自身の服装を見て絶句する。

何と俺まで学生服を着ていたのだ。

何のイジメだ? 羞恥で俺を殺す気か? 残念だが俺は羞恥で死ねるほど誇り高い人間じゃないぜ? なんてったって殺人鬼って呼ばれた男だからな!

……取り乱していたようだ、少し落ち着こう。

ここはどこなのだろう?

無暗に動くのも怖いが周囲に危険な気配はない。

情報収集を試みようと俺は立ちあがる。

……? 何だか凄い違和感がある。

不意に声掛けられて声の主を探す。

「お、起きた?」

俺が立ちあがった事に気付いた、前の席の奴が振り返ってくる。

丁度いい、コイツから情報を聞き出そう。

「なぁ、ここはどこ?」

「はぁ? 学校やけど」

やはりそうかと確信を持つけど、俺の知りたい事はそんなことじゃない。

「……何で俺がここにいる?」

彼は俺の質問に怪訝そうな顔で首をかしげる。

「南雲、何言ってるん?」

その名で呼ばれるのは久しぶりだった。

それと同時にその名で呼ばれた事に対して瞬間的に頭が沸騰する。

次の瞬間には前の男の胸倉をつかみ、懐に手を伸ばしナイフを……。

って無い、ナイフがない!

体中探すけど、どこにもない、一本も。

「痛いなぁ……何するねん」

そう言ってあっさり俺の手を振りほどかれる。

そんな馬鹿な、この俺の手を振りほどくとは……このガキ、只者じゃない!?

混乱していたが、周りの視線も少々気になる。

ここは穏便に済まそうと、表面的に謝罪する。

「悪い、寝ぼけていた」

そう言ってとりあえず俺は席についた。

よく見ると、この男に見覚えがあった。

俺の中で一つの仮説が浮かび上がる。

まさかと思うけど……俺の仮説を確かめるなら、この質問が適任だ。

「今日って何年の何月何日?」

「え、え? えっと……二〇〇一年の四月一日やけど……大丈夫か、お前?」

「寝ぼけているのさ、ありがとう。少し顔を洗ってくるよ」

そう言って俺は席をたった。

なるほど、そう言う事か席を立った時の違和感……。

妙に視線が低かったんだ。

そして俺が撃たれた時は二〇一〇年の四月。

どうやら俺は走馬灯の中にいるらしい。



[20756] 現実?
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/05 21:23
懐かしい校舎。

見知っている顔も随分と幼い。

ここは俺が昔、通っていた中学校だ。

なるほど、俺の本体は今頃、集中治療室あたりで瀕死なのだろう。

撃たれたはずの腹部に痛みはなく、傷もない。

そんなことを考えていると、不意にボディに衝撃が走る。

何者かによる襲撃を受けた、警戒を怠りすぎた。

殺傷系の武器ではなく、素手だったので助かった。

距離を取ろうとするが、体が上手くついてこない。

追い打ちの二発目を間抜けにも喰らってしまう。

「ぐぅ……」

撃たれたり、蹴られたり、殴られたり……ボディ日和ってか?

何とか距離を取り、襲撃者を見据える。

こいつも見知った顔だった。

「上村……?」

だったと思う。

「デンプシーロールは効くやろ?」

彼はノロマなウィービングを繰り返して言う。

そう言えば中学時代の俺は凄くひ弱でコイツにいじめられていた覚えがある。

走馬灯だし……憂さ晴らしも悪くない。

何か言おうとしていた上村の顔面を問答無用で殴り飛ばす。

「くぅーッ! 気持ちいいなぁ!」

右手はビリビリと痛むけど、それ以上の積年の恨みを晴らした爽快感に俺は満足していた。

それにしても走馬灯なのに右手が痛むとは、どういうことだ?

ここまでリアルに再現しなくても……俺の脳は少々、自身に厳しすぎやしないか? なんて思ってしまう。

ふと上村に視線を戻すと、鼻血を流してうずくまっている。

「ざまぁ」

そんな彼に俺はそんな一言を浴びせて一瞥し、その場を去った。

まだこの時、『ざまぁ』が通じない事を考えもせずに。

それにしても不思議だ、これ本当に走馬灯なのか?

どう考えても現実味がありすぎじゃないか?

この蛇口をひねって出てきた水も然り、俺の肌に触れる水の感触と冷たさは、まさに本物だった。

あの時の右手の痛みもそうだ。

もうひとつの仮定が思い浮かんだが、それを否定する。

馬鹿馬鹿しい、時間が巻き戻ったなんてありえない。

結局、何一つとして現状を理解できる情報などなかった。

「困ったねぇ……」

気づけば、一人呟いていた。

「何が?」

まさか反応が帰ってくるとは思ってもみなかったので、体が跳ね上がる。

後ろを振り返ると少女がこちらを怪訝そうに見つめていた。

この子も見覚えあるな……しかし名前までは出て来なかった。

「いじめられない方法について考えていたんだけど、どうも行き詰ってさ」

取り乱した俺は意味の分らんことを口走っていた。

「困っているように見えないけど……南雲くんは大丈夫でしょ」

そう言って少女は極上の笑顔を向けてくる。

ヤバい、惚れそう。

それにしてもこんな可愛い子の名前が思い出せない自分の脳を少し恨んだ。

「だと良いけど。実のところ、そこまで気にしてないし、困ったが口癖なのさ」

それに、よく考えると俺をいじめた主犯格は先ほど撃退してしまった。

「口癖が困った? 良くない気がするよー」

「もはや『困った』は俺の体の八割を構築している重要な要素だ」

「八割って多ッ、人間じゃないやん」

そう言ってケタケタと少女は笑う。

「あれ、後ろ呼んでるんじゃないか?」

俺の視線の先には、何人かの女の子がこちらを向いて彼女を呼んでいるように見える。

「かなみー、ホームルーム始まるよー」

「あ、うん。すぐ行くー」

かなみ、と呼ばれた少女はそう言って、俺にぐいっと寄ってきて屈託のない笑顔を向ける。

「じゃまたね!」

彼女の背中を見送り俺は苦笑する。

俺には出来ない笑顔だな、と思ったのだ。

そんな皮肉な俺もそろそろ自覚する。

どうやら中学生に戻ってしまったようだ。



教室に戻ると殺人鬼と呼ばれた俺が怯んでしまうほど、一斉に視線が向けられる。

何だか冷やかな視線、何か悪い事したか?

俺を責め立てるような視線に、冷や汗が吹き出してくる。

周囲を見回すと、濡れタオルで顔を冷やしている上村が視界に入った。

ああ、なるほどね。

俺を睨む上村に、肩をすくめる。

「大丈夫かい?」

まったく反省してないし、気遣うつもりもない。

そんな俺を上村は睨み続ける。

「前より男前になったじゃないか」

「うるせえ」

俺の軽口に、ようやく反応を見せる上村。

俺はそんな彼を冷やかに見下ろしていた。

「因果応報、目には目を、情けは人の為ならず。最後は少し意味が違うけど、人にやったことは自分に返ってくるんだよ。何か原因があるから、先ほどお前が受けたような結果が現れるんだ、殴るから殴られんだよ」

こいつとは小学校からの付き合いで、よく遊んだ。

しかし中学に入ってから、何故かよく殴られた。

当時は意味が分らなかったけど、彼は一人っ子で兄弟がいない。

昔、遊んでいた時も俺が帰るのをよく止められたのを覚えている。

きっと寂しかったのだろうな、なんて今の俺だから分るのだけども。

それでも同情より殴られ続けた中学時代の恨みの方が大きかった。

大人気ないよなぁ……。

そんな自分が情けなくなって上村から背を向けて、先ほどいた俺の席だと思われるところについた。

……そっか、俺一人大人なんだよなぁ。

大人気ない大人だけど。

見た目は子供、頭脳は大人、ってフレーズが頭の中をよぎったのは、きっと気のせいだ。

相変わらず周りからの視線は痛いけど、俺は無視し続ける。

何だか可笑しかった。

周りは皆見た目相応の年齢なのに、俺は中学の時点で二十四年生きてきたのだ。

そんな彼らの視線に怯えるほど俺も軟弱じゃない。

今までどれだけの視線に追われてきたと思っているんだ?

と自慢にならない自慢をして、一人苦笑する。

二度目の人生、この先どうなることやら。



[20756] 凄いよ、優季さん
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/01 15:34
その後は居心地も悪かったので、出来る限り周りとの接触を断って、そそくさと家路についた。

本来なら放課後は、俺が春休みから既に参加していたはずのサッカー部に行っていたはずけど、そんな気になれなかった。

大体の現状は把握できたが、それでも分らない事が多すぎる。

情報が少ないので、いくら結局考えても無駄だと結論を出し、俺は別の思考を開始する。

「ナイフが……一本もないんだよな」

俺を不安にさせたのは武器がないことだった。

よく考えれば今の俺には必要ないのだけど、数年に渡って警察に追われ続けていた俺は武器がないと、落ち着けない体質になっていた。

だからと言って中学生の経済力で武器を揃えるのは難しかった。

当時、俺が持っていたナイフは全部で十八本、日本刀などの刃物も使った事があるけど、持ち運ぶときに目立つと言う事で隠し持つ事のできるナイフを大量に扱っていた。

一本数千円の安物から何十万とする業物まで色々と取り揃えていた。

せめて二本は欲しいと考えたが、そうなるとその二本は妥協できない。

「……って俺、何考えているんだ?」

そう言って苦笑するけど、この急展開にすぐ馴染めと言われても無理がある。

本当に何故、俺は過去に戻ったのだろう?

再び思考がここに戻ってきたが、最初に言った通り情報が少なすぎるのに結論を出すのは軽率だと判断して思考を止める。

正直に言うと考えたって無駄なんじゃないかとも思うし。

神のみぞ知る、とはこのことだろうか?

そんなことに思考を馳せている間に俺は実家に着いていた。

懐かしくもあり、そして非常に気まずくもあった。

警察に指名手配されて追われていた数年、俺は家に帰っていない。

家族からすると、今朝学校に行って帰ってきただけだ、気にすることはないのかもしれない。

そう思うが、やはり緊張は隠しきれない。

俺は覚悟を決めて鍵を開け、ドアを開いた。

すると母親が鍵の音に反応し、リビングから出てくる。

「あら、おかえり。今日は部活ないの?」

おかえりと言われた事にただならぬ感動を覚える。

おかえりがここまで心に染み渡る一言だったなんて思いもしなかった。

「た、ただいま……今日は休み」

実際のところ、部活はあったのだけど、言い訳するのも面倒だったので誤魔化す。

「学校はどう?」

「無難だったよ」

「無難って……」

「ああ、良かったよ、素晴らしかった! もうこの世の物とは思えないぐらいに!」

「ふ、ふぅん……」

母親は顔を引きつらせて適当に相槌を打つ、ちょっと言い過ぎたか。

「ああ、普通、何ともなかったよ……あ、上村は殴ったけど」

「あんた何してるのよ!?」

「日ごろの鬱憤を晴らした」

本来、これから溜まる鬱憤だけども。

「ああ、もう! 今度謝りに行かないと……」

あれ、俺の言葉スルーですか?

「ああ、行ってらっしゃい」

「あんたも連れて行くからね!」

「断固拒否」

「お、お前!」

「ごめん、冗談」

真っ赤になって震える母親を見て、これ以上からかったらマズイと思い、とりあえず謝っておく。

そんな俺に嘆息し、背を向けぶつぶつ言いながら、母親はリビングに戻っていく。

数年帰ってなかったため、非常に懐かしい。

そして母親も非常に若々しくて元気だった。

やっぱり実家っていいなぁ、と中学生にあるまじき感想を述べる。

とりあえず荷物を置くために自室へ向う。

階段を上って突きあたりの部屋だ。

ドアを開き、自室を見回す。

しかし見慣れない光景だった。

そう言えば高校まで妹と相部屋だったことを思い出す。

部屋には机もイスも二つずつ、それに二段ベッドまで置いてある。

懐かしいレイアウトだった。

奥に目をやると小学校の時に貰ったサッカーのトロフィーが飾られている。

高校に入って部屋を分けた時に、全部押し入れにしまったので、非常に懐かしかった。

机の上には真新しい財布、入学祝におばさんから貰った物だ。

大学入る前に壊れてしまったのだが、使い勝手の良い財布で重宝した。

その頃にはおばさんは癌で亡くなってしまったのだけど。

そこでふと思う。

俺は未来が分るのだ。

ふつふつと後悔が沸いてくる。

た、宝くじの当選番号ぐらい覚えておけば良かった! タイムスリップしてきて一番言っちゃダメな失言だと思うけどよ!!

「……おにーちゃん、何してるの?」

無駄に暴れ回っている俺に冷やかな視線を向ける少女がいた。

我が妹、優季がそこにいた。

彼女は年子で小学校六年生、来年には俺と同じ中学校に入学してきて色々と面倒な事になる。

「……優季ちゃん、とりあえずお兄ちゃんをそんな蔑んだ目で見るのは止めてくれないかい? 死んでしまいそうだ」

「一回死んできたぐらいで丁度ええんちゃう?」

これはまさか……ツンデレなのか!?

もしかすると俺がツンデレの創造主なのかもしれない、とか妹時代を築いたのは俺かも、なんて意味の分らない妄想が加速する。

「おにーちゃん、鼻息荒いよ? 変態さんなの? 変態さんなんやね……」

妄想が加速して止まらなくなっていた俺を更に冷たい視線で見下ろす妹。

「聞いておきながら断定するとは何事だ! お兄ちゃんが許さないぞ!?」

そう言って妹に襲いかかろうかと考えたけど、流石に止めておいた。

二十四歳の俺の脳内に『近ピー相ピー(自主規制)』という単語が思い浮かんでしまったからだ。

多分……押し倒したりしちゃったら自制する自信がなかった。

何てダメなおにいちゃんだろう……。

「何言ってるの……とりあえずどいてよ」

そう言ってローキックを打ち込まれる。

可愛い仕草に似合わず、的確に急所を突いてきて地味にダメージを負う。

足癖の悪い妹だ。

「ぐっ……暴力反対だ!」

「どの口が言ったのかしら?」

俺を見る目が、より一層冷たくなったように感じる。

凍死寸前の冷たさだ。

「上村さん……殴ったんですって?」

聞いていたのか、こいつ……。

冷や汗が吹き出してくる。

「今度殴ったら殺すわよ」

こ、こいつ本気だ、目が本気だと言っている。

洒落にならん、俺にYES以外の返答は不可能のようだ。

「……は、はい」

「おにーちゃんの分際で上村さん殴るとは、どういう事?」

分際でって……何か凄く理不尽な扱いのような気がする。

これは全お兄ちゃんの威厳にかかわる。

ここは負けてはならない一線な気がして俺は反撃を試みる!

「そこまで言われちゃ仕方がない、すべてのお兄ちゃんの為に俺は妹に宣戦布告する!」

「……はい、負けました、降伏です。そちらの勝ちですよーおめでとー」

「相手にすらされてねえ……流石に涙目だぜ!」

「本当に騒がしいね、私一階に戻るけど騒がないでね?」

「そんな元気、お前に全部持って行かれたよ……」

「あら、そう、良かった」

そう言って満面の笑みを浮かべて部屋から出て行く妹。

こんなに性格の悪い妹だっただろうか?

俺は苦笑する。

「大変な姫君だ」

そう一人呟いて俺は椅子にもたれかかった。

しばらくぼんやりと考え事をしていると一階の母親から夕食ができたと呼ばれ、俺はそれに向かう。

それにしても他人と食事をとるのが、こんなに暖かく感動的だったとは思いもしなかった。

母親の作る懐かしい味と二重の意味で感動して涙が出そうになった。

しかし、そんな雰囲気も長続きしなかった。

気づけば俺が今日、上村を殴った話題になり、母親と妹の二人に責められ出したのだ。

俺は耐えかねて、さっさと食事を終えて二階へと避難する。

本当に食事前の就寝前にしたかったのだけど、そんな贅沢は言っていられない。

今日、確認できたのは時間が戻った事による、著しいほどの運動能力の低下と、まだ視力が悪くなってない自分の眼、そして武器の調達は不可能に近い、と言うことだった。

ならば、せめて体ぐらいは鍛えておきたい、そう考えて腕立て伏せを取り組む。

しかし十回を超えたあたりで腕が震えて支えきれなくなり、床に伏せる。

何とも情けない、苦笑しながらやむを得ず腹筋の体勢に移る。

そこで廊下に茫然と立ち尽くす妹が視界に入る。

「そんなところで何してるんだ?」

「いや……別に」

筋トレをしていた俺に気を遣ってくれたのだろうか?

そんな気遣い無用なのに……。

「気にすんなよ、ここはお前の部屋でもあるんだから」

「……うん」

そうは言うものの先ほどの威勢は無かった、どうしたのだろう?

「どうかしたのか?」

「何かおにーちゃん変わった……?」

予想外と言うか、あまりにも鋭い指摘に固まってしまう。

「そ、そうか?」

声が若干震えてしまう。

「うん、お母さんも気にしてたよ?」

そりゃそうだ、俺だって本当の十三歳の頃は、こんなに皮肉じゃなかったし、もっと純粋に色々と楽しめていた。

やはり家族だからだろうか? 隠しているつもりではあったのだけど、一発で見抜かれていたらしい。

「そうか……気にするな、中学生になって舞い上がっているんだよ、きっと」

「そう……かな、でも気付いてる? 話し方おかしいよ?」

そう言えばそうだった。

当時は先ほども言った通り純粋な少年だったので、地の関西弁で話していた。

それから俺の暗黒期の高校時代を迎えて、皮肉な標準語使いもどきへと少しずつ変貌していき、それが今の俺の話し方に影響を与えていた。

「中学生になったんだ、少しぐらい真面目に話すのも悪くないだろう?」

そう言って誤魔化すけど、納得いってない様子だ。

鋭い奴だ、と内心で呟き、苦笑する。

「……そう」

「ああ、気にするな」

「じゃあ、どいて」

「ぐえっ」

と言い、俺がどく前に妹は腹を踏んで行きやがる。

……まだボディの呪いが解けてないらしい。

妹は涼しい顔で俺を踏み越え、ベッドに潜り込む。

「もう寝るのか?」

「うん」

「そうか、おやすみ」

「……おやすみなさい」

素直な時は可愛いんだけどなぁ。

俺は再び腹筋を開始した。

……二十回に辿り着くことなく、ダウンしたけども。



[20756] 日常生活
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/02 23:55
「上村クン、昨日ハゴメンナサイ、取リ乱シテマシタ」

何とかギリギリ伝わるレベルで俺の声帯が言葉をつなぐ。

上村は、そんな俺を怪訝そうに見つめながらも突然の謝罪に驚いている

「は、はぁ? ま、まぁいいけど……俺こそごめん」

俺が昨日言った事を、こいつも反省しているようだった。

そんなこいつを見ると少々やりすぎたかな、という感じもする。

朝から一仕事終えた俺は上村に見えないように嘆息した。

何故こういうことになったのかと言うと、時を遡る事二時間前の事である。



朝目覚めると知らない……すみません、自重します。

妙に近い天井に一瞬、理解が追いつかなかった。

そして昨日の事をゆっくりと思いだして、徐々に嬉しさがこみ上げてくる。

昨晩は寝たら夢オチでしたーってオチを恐れて中々眠れなかったが、目覚めても時間は戻ったままだった。

その嬉しさに、勢い任せで跳ね起きようとするが失敗し、二段ベッドの上から落ちそうになる。

何とか足を引っ掛けて落下を免れたが、昨日の筋トレの疲れが残っていて、力を込めても腹筋も背筋もプルプルと震えるだけだ。

「……朝から楽しそうだね」

そう言って妹は俺を冷やかかつ楽しそうに眺めている。

「優季ちゃん、助……」

「ヤぁよ」

言い終わる前に、即答された。

「もう朝ごはん出来てるよ。うふふ、頑張ってね」

そう言って妹は姿を消す。

クソ、何て妹だ! 鬼め! ……あ、鬼は俺か。

そんな至極どうでもいい事を考えているうちに、足が限界に達し俺の体が落下し始める。

「あ、よっと」

上手く両手をついて体を捻り、肘、肩、背中、腰と順番に接地して衝撃を緩和する。

どうやらこういった技術や知性の類は活きているようだ。

朝から何しているんだ、本当に……。

冷静に考えてみると朝からはしゃいでいる自分が凄く悲しかった。

時計に目をやるとそんな悲しみに暮れている間もない事を知り、一階に降りる。

妹の言った通り、朝食は既に準備されており、いい匂いが俺の食欲を刺激する。

「おはよう」

「うふ……どこか痛めた?」

「お前は開口一番それか!?」

こいつSだ、きっと。

朝からいきなり突っ込みを入れるとは思いもしなかった。

俺の家族ってこんなにユニークだったのか?

席につき朝食を取りながら、そんなことを考えると、優季がじーっとこちらを見ている。

「どうかしたか?」

「おにーちゃん忘れてないでしょうね?」

「ん、何を?」

何か凄く冷たい目で見られている。

はて、何のことだろう? 真剣に考えても思い出せない。

「上村さん、ちゃんと謝ってよね?」

ああ、それか。

俺の結論は決まっている。

「断る」

「もう二度と、おにーちゃんなんかに口きいてあげないんだから……」

先に言っておこう、演技なのは分っている。

しかし涙目でプルプルと震えながら妹にそんなこと言われたら、どんな兄だって、いや世界中の兄が折れると断言できる。

……多分。

……きっと。

と言うか、それって断言出来てねーじゃねーか。

「……なんて言うわけがないじゃないか、軽率な判断はよせ。絶対に謝る、ジャンピング土下座してでも謝ってみせるぜ!」

俺がシスコンなだけなのかもしれない、きっと俺はシスコンなのだ。

大事なことなので二回言ってみました。

「うふ、よろしい」

先ほどまでの表情はどうしたと突っ込みたい。

そう言って満足げにほほ笑む優季さんだった。



そうして今に至るわけだ。

結局ジャンピング土下座はしなかったけども。

謝り終えて、俺は席に戻る。

前の席の奴がニヤニヤとこちらを見ている。

「結局謝るんだなー」

「うるさい、黙れ、壊すぞ」

空気が凍りついた。

「あ、悪い。つい本音が……」

「本音かよ!?」

「ああ、俺の心は紙一重で耐えたが、下手すると体が勝手にお前を壊すかもしれん」

「洒落になんねえよ!」

洒落じゃないんだけどね、と苦笑する俺。

その後すぐに始業のチャイムが鳴り、会話は中断された。

俺はどうも落ち着かなかった。

ほんの数日前まで警察に追われて、撃たれて、蹴られ、そして戻ってきても殴られ蹴られ……って俺、酷い扱われ方じゃないか?

何とか警察を無力化しつつ逃げていたのだが……俺を蹴りつけたあの女、あいつと対峙した時、すべてが台無しになった

それにしても、あの女えげつなかったなぁ……撃たれたところを蹴り飛ばすんだぜ?

「南雲!!」

授業中にふさわしくない怒声で先生に呼ばれていた事に、俺はようやく気付く。

「あ、はい?」

そう言えば授業中だった。

「すみません、意識が未来の方向に逝っていました」

ウソではない。

「ったく、いつまでも小学生と違うんやぞ?」

「はい、申し訳ない。気をつけます」

そして何事も無かったかのように授業を再開する教師。

周りは注意された俺を見てクスクスと笑いを殺している。

こんなありふれた日常。

俺にはまぶしすぎる日常。

今は、そんな生活を送ることのできる幸せをただただ噛みしめていたかった。



[20756] 映画鑑賞・前
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/05 20:42
あれから幾度となく部活の催促がやってきたけど、入る気はなかった。

「お前、本気で部活せんの?」

そう言って上村が嘆息する。

ちなみに小学校の時の付き合いとは同じサッカーチームでの事だ。

だから、こいつもサッカー部に所属している。

「ああ、何だ、ごm……上村か、入るつもりはないぜ?」

「……今何て言おうとした? 俺の扱い酷くなってないか?」

そう言ってきっぱりと断る俺を、上村はどこか悲しげに見ている。

ちなみに扱いで言うと俺の方が酷いだろう? ボディの呪いは解けたようだけど。

「それより部活、遅れるんじゃないか?」

周りを見回すと教室に残っている生徒は少ない。

ほとんどが既に部活に向かったり帰ったりしている。

「ああ、別にええよ。うちの顧問、滅多に来んし」

そう言えばそうだった、やる気のない顧問だったなと思いだす。

「……で? 何か用か?」

「ん、察しがいいな」

そう言って上村はニヤっと笑う、他の奴がそんな表情すると下品に見えるが、こいつはそうは見えない。

こいつは甘いマスクをしているので女にはモテる、羨ましい事だぜ。

「『アリサッサと路肩の石』の前売り券が四枚手に入ったんやけどさ……」

「嫌だ」

最後まで聞くことなく、俺は拒否する。

「……と、とりあえず最後まで聞いてくれないか?」

「断固拒否る」

……思い出した。

そういえばこんなこともあったな。

「俺は『ついで』なんだろう?」

そう言うと上村はバレたか、と苦笑する。

つまり優季を連れてきてほしいって事だった。

「分ったよ、伝えておこう」

「ありがとう、助かる!」

あまり良い記憶ではないが、俺は四人で行った映画の事を思い出す。

俺の前で優季と上村はくっついて映画を楽しんでいた中、俺はもう一人と……あれ? もう一人誰だっけ?

それにしても、あまり良い記憶でない事は確かなのに、俺は何故に承諾したのだろうか?

…嗜虐思考? 俺ってMなのか?

それは断固として否定しておきたい、実際のところ違うし。

きっとやり直したいんだろうな……。

俺自身、何がやり直したくて何に後悔しているのか分っていない、けど来週まで時間は一杯ある、ゆっくり考えようじゃないか。

そう思って俺は帰って、とりあえず妹にその件を話す。

「映画? 上村さんが? 行くー!」

このリアクションも覚えている。

珍しく、はしゃぐ妹を見ながら、いつもこれぐらい健気で素直だったら可愛いのに……なんて思ってしまう。

それと反対に兄としての俺は少々複雑な気分だ。

同級生の友達と妹が相思相愛なんて……壊してしまいたい。

俺はシスコンなのかもしれない、否きっとシスコンだ。

それにしても楽しい時間が過ぎるのは早いものだと、再認識させられる。

結局、後悔についてはあまり考えることができなかった。

気づけば当日、確かに忙しかったけど俺は部活もしていないし、上村たちに比べると随分、暇だったはずなのだけど。

行き当たりばったりな性格がここで露見したと言えよう。

朝、早くから妹に起こされたのだけど、約束は昼からなので二度寝を試みる。

俺にとっては暇でしかない土日の休日。

正直に言うと、土日にはこれぐらいの幸せしか求めていない。

しかし、そんな幸せも次の瞬間には粉々に砕かれることになる。

「誰に断って、二度寝しているのかしら?」

背筋が凍りつく。

素早く寝がえりを打つと、殺気丸出しの優季さんが何かを振りかぶっている。

それをコンパクトに俺の頭に向かって振り下ろす。

バットが目前に迫ってきていた。

きっと生命の危機を脳が感じ取ったのだろう、スローモーションでバットが俺の頭に向かってくるのを見てとれる。

「うわああああああああああああ!?」

先ほどまで俺の頭があったところに、大きな破壊音と共にバットが振り下ろされていた。

「……おはよ、おにーちゃん」

なんて満面の笑みで言ってきやがる。

「ちょっとね、ヤンデレ……」

「待て、優季ちゃん。それ以上言うな」

俺はシリアスに妹を制止する。

何かこれ以上言わせると漠然とだけどヤバい気がした。

しかもよく考えると、この時代にヤンデレなど存在しない!

きっとヤンデレの伝道師も俺に違いない。

「分った、お兄ちゃんは起きた、だからその手の物を離すんだ」

ちなみに、俺の頭の隣には未だバットがある。

「また三度寝するかもしれないじゃない?」

「しない、誓う。宣誓、俺は今日三度寝しない事をここに誓います」

「信じられない」

実の兄の誠実な宣誓を信じないとは、どういった教育を受けてきたんだ? 親の顔が見たいぜ。

俺の親でもあるけど。

バットの位置はいつの間にか俺の鼻先に移動して、突き付けられている形になる。

休日の朝から妹に生殺与奪権を握られている、このシリアスな情景は一体何なのだろう。

「……分った、起きるよ」

やむを得ず俺は起き上る、むしろそれ以外の選択肢ないし。

よし、と言って満面の笑みを浮かべた妹は楽しそうにベッドの階段から降りて俺を待っている。

大体、二段ベッドの二階で寝ている俺にバットを振り下ろせるものなのか?

まぁ実際に振り下ろされたし。

こいつの振りは確かに鋭く、機能的に振り下ろされていた。

我が妹ながら、こいつ何者だ? と疑問視せざるを得ない。

あまりにも待たせると、またヒステリーを起こしかねないので俺はさっさとベッドから降りる。

「もう朝食出来てるよ」

そう言って優季は俺が来るのを待っている。

時計に目をやると、まだ午前九時だ。

まだ約束の時間まで四時間もある。

朝食取って準備しても、余りある時間だ。

嘆息しながらも、ニコニコとこちらを見つめる妹の前で布団に潜り込むわけにもいかず、仕方なく一階に降りて顔を洗い、朝食をのんびりと取る。

そして着替えてくると言う名目で、俺はもう一度自室に戻る。

もう少し寝ようかとも考えたけど、バレたら今度こそ確実に殺される気がして、それを想像すると完全に目が覚めてしまった。

殺人鬼と呼ばれた俺を震撼させる妹、確かに妹キャラは最高かつ最強なのかもしれない。

コイツの場合、少々度が過ぎているけども。

そんな事を考えながら、タンスを漁って服を物色する。

……ん、あれ? 何だ、これ? 酷い私服しかないではないか。

らちが明かず俺はタンスをすべてひっくり返して、マシな物とヤバい物を分けていくが、何故か大半がヤバい方へと飛んでいく。

お恥ずかしい話だが、自分で真面目に服を買いだしたのって大学に入ってからだった。

それを思い出して俺は冷や汗が吹き出してくる。

これはヤバい、時間が巻き戻って早々、俺はまた人生における取り返しのつかない失敗を犯そうとしている気がした。

ちょっと大げさだけども。

上半身、裸なのも厭わず俺は一階に駆けおりる。

「母さん! ピンチだ!」

取り乱しまくった俺は何を言っているのだろう?

落ち着け、俺。

母親も妹も上半身裸で降りてきた俺に冷たい視線を向けている。

そんな視線にひるみながらも、ここで負けたらお終いだと自身を奮い立たせる。

今、俺は将来を決定づける大きな岐路に立たされていると言っても過言ではない

過言だけども。

「服を買わせてくれ」

「……服ならいくらでもあるやないの?」

「あれ、服と呼べるのか……!? あ、いや失言だった」

「おにーちゃんが私服に興味を持つなんて……」

何故か妹が驚愕の表情を浮かべている。

「……おかーさん、ここはおにーちゃんの味方をするよ、服買ってあげて?」

おお、妹よ、ナイス! ……でも何故だろう、少し腹立たしい感じもした。

俺は当時、一体どんな目で妹から見られていたのだろう?

「うーん、そこまで言うのなら……もう少ししたら買い物いくから、ついてらっしゃい」

よし、内心ガッツポーズ、と言うか一安心。

とりあえず危機は去ったように思われる。

俺は再び二階に戻る。

服を買うからって上半身裸で買い物に出ようとしたら、それこそ妹に抹殺されそうだ。

それに流石に俺に露出趣味はない、人並みの羞恥心は持ち合わせているつもりだ。

マシな服を選んで俺はそれを身につけ、母親の買い物に一緒するために、先に出て車で待つ二人の元へと向かった。

本当は衣料専門店も覗きたかったけど、母親の買い物のついでと言う事で大型量販店の衣料売り場と言う限られた空間でコストパフォーマンスを重視した無難な選択を迫られる、ハードル高いなぁ。

母親と妹は食品売り場へ、俺は一人別れて衣料売り場へと急いだ。

しかし、そこについてまたもや愕然とする。

時間が戻る前の俺サイズで服を選んだところ、サイズが凄く大きい事に気づく。

戻る前の俺は身長百七十五センチだったが、今の俺はそれより三十センチも小さい百四十五センチだったのだ。

限られた空間でコストパフォーマンスを気にしつつ、無難かつ自分のサイズに合った服を選べ、だと……? これならメタルギアソリッドの完全ステルスミッションをリアルでやれ、と言われた方が幾分か簡単な気がした。

いや、それはスネークさんに失礼か?

必死にぐるぐると徘徊したところ、本当に無難なパーカーにジーンズという組み合わせになった。

シャツは家にある無難な物を合わせればいいだろう。

それを母親に渡して会計を済ませてもらい、俺たちは帰宅した。

二度目の人生における最初の危機を何とか回避できて、満足感でいっぱいだった。

もう映画の話、しなくても良くね? なんて思ってしまったほどだ。

いやいや失言だけどさ。



[20756] 映画鑑賞・後
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/05 20:41
二度目の人生で最初の難題を攻略できた俺は気分良く、優季と家を出て駅に向かった。

「ねぇ、おにーちゃん。私とおにーちゃんと上村さんと……あとひとり来るんだよね?」

優季の質問で今さら思い出す、そう言えばそうだった。

一体、誰が来るのだろうか?

結局、誰だったのか思い出す事はできなかった。

そうしている間に俺たちは駅周辺の駐輪場に自転車を止めて、徒歩で向かう。

駅前のロータリーに差し掛かったところで、上村ともう一人、誰かが談笑しているのが見えた。

「あ、上村さぁん!」

優季が上村に向かって走り出す。

ちょっとぐらい我慢だ、と思っていた矢先、優季が上村に抱きつく。

優季に気を取られている隙に俺はバレないように上村に忍び寄り、ボディに一撃喰らわせた。

唸りながら涙目で上村はこちらを睨む。

しかし俺はそれをかき消すような冷たい視線で上村を見下ろす。

冷凍ビームだ。

「おにーちゃん……」

そんな俺の冷凍ビームを相殺するほどの熱量のこもった熱線……いや、もはや目が燃えている、大リーグボールを花形に投げる時の星飛馬みたいに。

まずい、本気で怒らせたようだ。

視線だけで殺されそうな勢いに、全身から冷や汗が吹き出してくる。

「ま、待て、優季。俺とこいつの間柄だぜ? ボディブローぐらい挨拶代りさ!」

それに過去編(?)では、こいつが無抵抗の俺をどれほど殴りやがったことか。

少しぐらい、仕返ししても良くないか?

とてつもなく大人気ない二十四歳の意見だった。

そんな俺の言い訳に今度は熱量を落とした。

落としすぎて、こちらを凍死させそうな勢いの視線で、丸で路肩に落ちているゴミを見るような目で優季さんが……何か、これ以上描写したくない。

「……すみません、俺が悪かった」

結局、謝るハメになる。

まぁ今回は先に手を出した俺が悪いのだけども。

そんな珍劇を見ながらクスクスと笑う第三者に、俺はやっと気付く。

「西浦……かなみさん?」

時間が巻き戻った日、入学式の日にトイレ前で出会った、あの少女だった。

成績優秀、運動神経抜群、容姿端麗の三拍子を揃え、尚且つ性格も良く、嫉妬せざるを得ないのに嫉妬できないと言われる人気者の完璧少女。

それが西浦かなみという少女だった、こんな人間有りなのか? 神様は不公平だ。

「こんにちは、南雲くん」

そう言ってあの極上の笑顔を向けてくる。

「こ、こんにちは」

白い肩ひものワンピースの上に可愛らしいパーカーを羽織った、そんな彼女は本当に可愛くて見惚れてしまった。

「こちらは南雲くんの妹さんかな?」

西浦が優季を見つけて笑顔を向ける。

「あ、南雲 優季です、幼い兄がいつもお世話になっております」

「なってねえよ」

それに幼いって何だ?

「あ、欠陥品の兄が……」

「突っ込んだのはそこじゃねえ! それに実の兄を欠陥品呼ばわりするな!」

我が妹は、俺をどこまで貶める気だ?

「よろしくね、優季ちゃん」

そんなやり取りを西浦はクスクスと笑いながら、楽しそうにそう言った。

「……そろそろ行こうぜ」

話題を変えるべく、俺は率先して駅へと向かった。

休日のせいかホームは、それなりに混んでいた。

電車に乗り込み、何とか補助シートを確保、優季と西浦を座らせて、俺と上村は手すりに掴る。

今年で二十五を迎える俺だから女性に席を譲る配慮なんて当然のように思うけど、当時の俺はこんな事を考えた覚えはなかった。

それを当然のように上村は行う。

甘いマスクに女性の扱いまで上手となれば、こいつがモテるのも理解できる。

しかし、優季は許さないぜ!

一駅、二駅と気づけば過ぎ去り、気づけば目的地だった。

雑談に興じていたため、あっという間に着いていた。

駅から直通の陸橋が大きく華やかなショッピングモールへとつながっている。

それに併設されたアミューズメントパークにはゲームセンターやボーリング、最上階に映画館もあり、大いに家族連れで賑わっていた。

「あー……さっき始まったばっかりやなぁ。次の上映まで時間あるけど、どうする?」

上映時間を確認しながら上村が言う。

「せっかく、こんなところまで来たんだし何かしたいことないか?」

と言われても俺には特に意見無しである。

元々、優季と上村の監視のためにやってきたようなものだ。

それに、この映画も時間が巻き戻る前に何度も見ている。

金曜ロードショーとかで。

「うーん、私は服とか見たいかなー」

「あ、私もかなみさんに賛成ですー」

と女性陣のご意見により俺たちは一度アミューズメントパークを出て、ショッピングモールへと向かった。

西浦と優季は楽しそうに色々な服を試着して、俺たちに見せてくれた。

実に二人とも可愛くて、ヤバい。

俺の中でロリが芽生えそうだった。

「二人とも何着ても似合うな、驚きだぜ」

「えー、それって何か適当じゃない?」

俺は本心で言ったのだけど、西浦はそう言って口をとがらす。

「おにーちゃんはデリカシー無いですから」

おい、妹よ。どこまで兄を貶める気だ? 俺は本心で言っただけだぜ?

上村まで向こうに加担して完全アウェーな状態だった。

これがアウェーのプレッシャーか、なるほど、これは確かに辛い。

美少女二人に美男子一人に非難されるのに耐えかねて、俺は一人逃亡する。

と言っても三人の見える範囲にあったベンチに座っただけなんだけど。

「ふぅ……」

遠くにいる三人にバレないように一人深くため息をつく。

正直に言うと、こういった人の多い場所はあまり好きではない。

木の葉を隠すなら森の中、だっけ? 確かに人ごみに隠れるにはもってこいだけど、尾行に気づけなければならない。

どうやらクセが抜けきっていないようで、極自然に周りに気を遣いすぎていた。

あまりにも多い視線、そりゃあ美男子一人の美少女二人を連れた状態だから仕方ないと思う。

実際にあの三人から離れた途端に、こちらに対する視線が随分と減った。

……自分は? と思うと、少々悲しいけども。

「大丈夫か?」

真っ青な空を仰ぎ見ながらベンチにもたれかかっていると、上村がすぐそこにいた。

近づいてくるのに気づいてはいたけど、あえて無視していた。

「大丈夫、少し人に酔っただけ」

「ほら」

そう言って上村は俺に缶ジュースを投げた。

「お、サンキュー」

「これで今日の貸し借り無しな」

優季を連れてきた事だろうか? ならば、このまま貸しを作っておいた方がいいかな、と俺は財布を取り出す。

「こんなことで借りを返してくれるな」

「……今、本気でお前に貸しを作る事が恐ろしい事だと分った気がするよ」

「冗談だよ」

上村は苦笑しながら、俺の隣に腰掛けてくる。

「……お前、変わったよな」

「優季にも言われたよ」

「そうなのか?」

「……人間は変わらねえよ、これがきっと俺の本質だったんだ」

俺はひとり言のように空に向かって呟いた。

「小学校のときも、中学校のときも、俺はずっと自分を偽ってきたんだ。周りと一緒のように、って……でもそれも高校までが限界だった」

「……はぁ?」

「あー、失言さ。気にしないでくれ」

こいつに未来の話をしても仕方ない、というか都合が悪い。

俺はもう少し時間を戻ってきた自覚を持つべきだと、自身に言い聞かせた。

「そろそろ時間だろ? 行こうぜ」

何か言いたげな上村を制止して俺は立ちあがる。

我ながら話題を変えるの下手だなと苦笑せざるを得ないけど、これ以上この話はしたくなった。

せっかく今は少なからず楽しいというのに、先の事を考えると憂鬱になる。

今は、これ以上考えたくなかった。

夢中になって服を選んでいる女性陣を呼んで、俺たちは先ほどの映画館へと向かった。

前売り券をまとめて渡して、映画館へと向かう。

「何か欲しい物あるか? 売店で買ってくるけど」

入る前に、と俺が三人に問う。

「あ、私も行くよ」

西浦がそう言って俺の方にやってくる。

「先に入ってろよ、買ってくるから」

「一人じゃ大変でしょ?」

確かに四人分は大変かもしれないな。

「そうだな……ありがとう、二人はどうする?」

「俺たち先に場所取ってくるよ」

「じゃなくて欲しい物はないか?」

「ああ、ありがとう。俺はコーラで」

「私、百パーセントのオレンジジュース」

「……百パーかどうかはさて置き、分った」

上村と優季は席取り、俺と西浦は売店へと向かった。

映画が始まる前だったので、売店には人が結構並んでいた。

「悪いな、つき合わせて」

「ううん、何があるのか見たかったし」

そう言っていつもの屈託のない笑顔をこちらに向ける。

あーヤバい、コイツ見ていると心臓がドキドキしてくる。

俺の中でついにロリが芽生えた。

でも肉体的にはセーフだろう、犯罪にはならん!

そんな事を考えている間に俺たちは売店で買い物を済ませて映画館へと向かう。

「早く行こ」

西浦が俺の方を振り返って、そう言った。

前を歩く人に気づきもせず。

ぶつかる、そう思った時には勝手に体が動いていた。

何とか二人の間に体を滑り込ませて西浦を庇おうとしたのだけど、体重の軽い俺では庇いきれず、結局西浦にもぶつかってしまう。

何とか俺はバランスを取るけど、西浦はきゃっと尻餅をついてしまい、両手に持ったジュースがこぼれ、白いワンピースをオレンジ色に染めた。

「あ? 気をつけろ」

柄の悪い男がそう言って俺たちを睨みつけて、そのまま去っていった。

何かの決壊音。

腹の底から湧いてくる感情に俺は一気に呑まれる。

目の前が闇に染まっていく。

壊したい。

せっかくきっかけをくれたんだ、壊そうよ?

きっかけなんて無くても壊すけど。

壊したいだろう?

壊しタイ。

壊シタイ。

壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい、壊したい……。

壊そうよ? ねぇ何で我慢するの? なぁ、壊せよ、壊せ。

「南雲くん!!」

はっと意識が戻る。

西浦が心配そうに俺を窺っている。

気がつくと全身から汗が噴き出し、息をするのさえ忘れていた。

「大丈夫……?」

ようやく大きく息を吸い、酸素不足を解消する。

「だ、大丈夫……すまない、それより服……」

「ううん……大丈夫」

そう言って西浦はぎこちなく笑う。

せっかくの屈託のない笑顔を曇らせた自分に、一瞬とは言え破壊衝動に呑まれた自分に腹が立った。

「……ごめん」

「ううん、行こ?」

俺は俯きながら西浦の後に続く。

人を散々殺してきた俺がやり直そうったって、そう簡単に行くはずがない事は分っていたのに。

けど……やり直せるものなら、やり直したかった。

親の仇、と俺に向かって涙を流しながら銃を構えた、あの女の事を思い出す。

高校に入って俺は色々なことがあり、成績を諦め、友人関係を諦め、将来を諦め、自身を諦め、それまで必死に抑えつけてきた破壊衝動に身をゆだねた。

そして俺は殺人鬼と呼ばれるようになる。

たくさんの人を壊して、殺して。

人の目から光が消える時、絶望の闇色に目が染まる時、俺は狂喜した。

人を壊す、それだけが俺に残ったのだった。

それが今、確かに俺の中で目覚めてしまった。

もはや、呑気に映画なんて見る事はできなかった。

今さらだけど本当に大変な事だ、と思い知るのだった。



[20756] テスト勉強会
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/08 02:26
目の前の人が音もなく崩れ去っていく。

首に出来た大きな真っ赤な口から鮮血を吐き出しながら。

周りの人は、その光景を目の当たりにして固まっている。

近くの一人にゆらりと俺が近づく、それを見下ろしている自分。

あっと言う間もなく二人目の首にも新しい口が開き、とめどなく鮮血が溢れだす。

しかし、斬りつけた本人はまったく返り血を浴びずに、ゆらりと三人目に向かっていた。

「……っは」

近い天井が目の前にあった。

呼吸が荒かった、眠っていたと言うのに。

全身から汗が噴き出して、シャツが体にまとわりつくのが何とも不快だった。

今さら人を殺す夢にうなされる、そんな自分に苦笑を禁じ得なかった。

本当に今さらだよな……。

日に日に抑えが利かなくなってきている。

また、あの頃に戻ってしまうのだろうか?

これでも努力しているのだ、人を壊さないために。

昨日は三匹の鳩を壊した。

一匹は両羽を折り、飛べなくして放置してやった、しばらくすると猫に襲われて呆気なく殺された。

一匹は生きたまま埋めてみた。

一匹は首を捥ぎ、脊髄を抜き出して学校に放置してきた。

でも、これらが無駄なのは分っていた。

人の目から光が消える瞬間。

希望が消え、絶望の闇色に染まる、その瞬間を俺は欲していた。

俺にとっての殺す、は『ついで』で、ただの口封じ。

俺は壊したかった。

人を。

部屋に日が差し込んできて、一日の始まりを告げる。

今日も学校に行かなければならない。

あんなにたくさん人のいるところに……。



あの日、上村と西浦さんと妹の四人で映画を見に行った日以来、俺は自身の破壊衝動をコントロールするので必死だった。

人と接するのを出来るだけ避け続けた。

今、自分に近づいてきた人を傷つけない自信がなかった。

それほどにまで俺の中の破壊衝動は大きくなりつつあった。

嫌いだから、気に入らないから、面倒だから、邪魔だから壊す。

好きでも、気に入っても、楽でも、楽しくても壊す。

壊す事に理由など要らない。

俺にとって壊すことは当然であって、何故当然なのかと言われると、それが当り前だからとしか答えようがない。

「南雲」

ぼーっと考え事をしていて、周辺の警戒が疎かになっていた。

気がつくと目の前に上村が立っていた。

「何?」

「もうすぐテストだし、俺ん家で一緒に勉強でもしねえか?」

ちなみに来週から中間テスト、中学生に入り立ての俺たちにとっては初めてのテストらしいテストだった。

俺からすると人生二度目の中学初の中間テストだけど。

「いや、一人で……」

「西浦も来るんだけど」

断ろうとする俺の言葉を遮った、上村の言葉に体が少し跳ねる。

出来る限り人との接触を避けようとしていた俺が、わずかに揺れる。

あの子が来るから、どうしたと言うのだ?

俺には関係ないだろう。

「……分った」

あれ? 俺は何を言っている?

「サンキュー、そしたら四時ぐらいに俺ん家で」

え、ちょっと待て、本気で行くのか?

不安で仕方がなかったけど、了承してしまった以上は仕方ないと俺は覚悟を決めた。



やはりギリギリまで、どうしようか迷った。

本当は行くべきではない、彼らの事を思うならば。

俺は破壊衝動を紙一重で耐えている。

人といる事が自分にとってどれだけの毒か。

そして相手にとっては、どれほどのリスクを背負う事になるのか。

お互いに利益などないのに。

俺は上村の自宅へと向かっていた。

人を壊せそうな物は出来る限り、家に置いてきた。

その昔、シャーペンでも人を殺した事があるのだけど流石に筆記用具は必要だろうと、やむを得ず持参した。

インターホンを押すと中から足音が近づいてくる。

「よう、入れよ。西浦も来てるぜ」

「ああ」

まったく、これからどれほどの生き地獄を味わうのだろうか? 人を壊してきた自分への罰だろうか?

上村の後に続いて彼の部屋に向かう。

突き当りの部屋のドアを開けると、そこには既に西浦がちょこんと座って勉強していた。

「あ、やっと来たね、遅いよー」

「悪いな、準備に少々手間取った」

主に心の準備にね。

一応、約束の四時には間に合わせたんだけど、と思ったけど俺は肩をすくめて苦笑するだけだった。

雑談もほどほどに俺たちはそれぞれのノートと教科書を開き、勉強に集中していく。

何かに集中している間は、少しの間とはいえ破壊衝動を抑える事が出来たので助かった。

でも決して忘れているわけではない、無くなったわけでもない。

あれは俺が油断した時に、いつでも呑みこもうと待ちかまえている。

「ノート貸してくれん?」

不意に声掛けられて、俺は顔を上げる。

「構わない、コピー取ってくるか?」

「ああ、俺が行ってくる、二人はここで勉強してくれ」

そう言って上村は俺のノートを受け取って出ていく。

この時代、一家にコピー機が一台あるところなんて珍しかった。

上村の家にも、もちろん無かったので近くのコンビニまで出かけることになる。

室内には俺が教科書をめくる紙のすれる音と、西浦の鉛筆を走らせる音だけが静かに響く。

今さらだけど、ヤバい。

俺は出来る限り西浦から意識を外す。

女性と二人きりだから、ではなく。

俺以外の誰かが無防備に目の前にいるこの状況が非常にヤバかった。

沸き上がる衝動を必死に抑えつける。

「ねぇ?」

まさか呼びかけられるとは思ってみなくて、体がびくりと跳ねる。

「ん?」

出来る限り感情を殺して、俺は返事する。

隠しきれた自信はないけど。

「あの日、ごめんね」

「……何が?」

「私のせいで不快な思いしたでしょ?」

「いいや、全然」

そっけなく答える俺に、西浦はますます悲しそうな顔をする。

「気にするような事じゃないよ」

何とかフォローを試みるけど、その声が震えている。

ヤバい。

真剣に耐えきる自信が無くなってきた。

今にもこの部屋を飛び出したい。

いや、もう壊しちゃうか?

気づいたら俺の右手は西浦の首へと向かっていた。

「……え?」

目を見開いて俺を見つめる彼女を押し倒し、俺は右手一つで頸動脈を圧迫する。

「っかは……」

もがけ、あがけ、苦しめ、お前の絶望を見せろ。

彼女を見下ろしながら、右手に込める力がじわじわと強めていく。

でも彼女は抵抗しない。

苦しそうにしながらも、じっと俺を見据えている。

俺は……俺は?

「あ、あああああ……」

俺は自分のやっている事をやっと認識して、手を離し飛び退く。

謝る事も出来ず、俺はただじっと固まっていた。

このまま心臓も止めてしまいたい、そう思ってしまった。

「けほっ……ごめんね」

西浦は涙目で首筋をさすりながら、俺に謝った。

何故……何故、謝る?

違う、謝るのは俺の方じゃないか!

凍りついたんじゃないかと思うほど自由の利かなかった体に、その一言で感覚が戻ってくる。

「す、すまない、俺は何てことを……」

俺は謝り続けることしかできなかった。

例え許してもらえなかったとしても……。

許してもらえない?

だったら彼女は知ってしまったんだ、壊すべきじゃないか?

一瞬で沸き上がった闇を俺は抑え込み、俺は謝り続ける。

「……すまない」

「もう、いいよ」

そんな俺の頭を彼女は撫でる。

不思議な感触だった。

抑えるのに必死だった破壊衝動も何もかもが消えていった。

代わりに何か別の物で心が満たされていくのを感じた。

これは何なのだろう……?

先ほどまでの荒れ果てた俺の心に染み渡るような何か。

気づけば視界が歪み、目からはとめどなく涙が流れていた。

結局、俺の心を埋めた何か、それが何なのか分らなかった。

今までの二十四年間で、それを諦め続けてきたから。

俺に欠けていた大切な物、それを取り戻した瞬間だった。

それが無いが故に、俺は人の道を踏み外すことになる。



その日、俺は上村が帰ってくる前に家を出た。

丸で彼女から逃げ出すかのように、いや実際に逃げ出した。

それ以上に俺は困惑していた。

罪悪感を覚えるほどにまで、人間に戻っていた自分に。

抑えつけるのに必死だった破壊衝動が消えてしまった事に。



[20756] 何か
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/09 23:50
僕は普通の人、そういう自負はあった。

どこで狂ってしまったのだろう?

実のところ、すべて分っていた。

自己保身のために狂った自分の事を苦笑しながら冷たく見下ろす自分を自覚していたから。

人の生きる理由が理解できなかった。

いや理解したくなかった。

自分が愛され、必要とされ、また己が人を愛し、必要とする事を諦めてきたから。

いや諦めたふりをしていたから。

本当は幸せそうな人が憎かった。

人に必要としてもらえるということが羨ましかった。

憎悪、嫉妬、羨望。

俺はそれらを認めたくなかった。

諦めたモノを自身が望む矛盾を認めたくなかった。

だから、俺はそれに気づかないふりをして、諦めたふりをして、人が生きる理由が分らないふりをしていた。

その生への無関心と相反する生への関心、憎悪、嫉妬、羨望。

それらが長い時間をかけて、ゆっくりと俺の中でまったく別の形を成した。

俺は自身のコントロールを失わないために狂ったのだろう。

壊す、すべてを壊しつくす。

意味も理由も感情もなく、ただ壊せ。

憎いから、羨ましいから、妬ましいから壊すはずなのに、自尊心がその感情を認めたくないがために、俺は都合よく壊す理由を捨てたのだ。

狂った俺の出した一つの結論だった。



驚くほど穏やかな朝。

いつもよりは遅く目覚めたが、ベッドの下ではまだ妹が寝息を立てている。

穏やかと言ったが自身の心情が、という意味。

時は梅雨に入り、湿気の高い暑さが非常に気持ち悪かった。

珍しく雨は降ってないようだけど。

妹を起こさぬように、静かにベッドから降りる。

俺は筋トレと同時に早朝に走ることを日課に組み込んでいた。

普段は家族にバレないように、もう少し早い時間に家を出ているのだけども。

水分を補給し、ゆっくりと全身をストレッチしてから俺は外に出る。

時間は六時過ぎ、一日の始まりをどんよりとした空が俺を迎える。

ゆっくりとしたペースで走り始める。

余計なことを考えたくなかった。

汗をかき、すっきりすることで自身の中にある欲求不満を取り払う。

それで解消できる程度の破壊衝動なら、まだまだ俺も人間なのかもな、と思う。

そんなことを考えながら走るペースを少しずつ上げていく。

頭の中が徐々に真っ白になっていき、酸素不足から少しずつ苦しさが俺の胸を締め付けてくる。

町内を一周すると、俺は荒れた息を整えてクールダウンに入る。

はじめと同じようにストレッチをして体をほぐす。

あの日から驚くほど俺の心境は穏やかになっているのを感じる。

学校でも無理をせずとも、人と接することができる程度にまで。

俺は分らなかった。

いや本当は分っているのかもしれない。

また分りたくなくて、目を逸らしているだけなのかもしれない。

散々、人を殺してきた自分が今さら人の生活に戻るなんてことが許されると思っているのか?

俺は誰もいないリビングで一人嘆息しながら、コップに注いだ牛乳を飲み干す。

運動後の牛乳は喉にまとわりついて気持ちが悪いけど、重要なタンパク源なので最後まで飲み干す。

その後にすぐ水を流し込んで、一息ついた。

明かりもつけず、俺は一人リビングのイスに腰かけていた。

これから俺はどうするべきなのだろう?

俺がいたって害にしかならないのに、俺はこれからも生きていくつもりなのだろうか?

根本的な解決策が目の前にあることにも気付かずに、俺は苦悩する。

「珍しいね」

誰かが近づいてくる気配を感じてはいたが、あえて無視をしていた。

軽い足音、その気配から妹が起きたことは察していた。

自分より早く起きている俺を見て、丸で奇跡を見たかのように目を見開いている。

「ああ、ちょっと早く目覚めてな」

「……今日は雨だね」

「梅雨だしな」

「じゃあ雪かな?」

何が言いたいのかは分るけど、日本では夏に雪が降るようなことはまずあり得ない。

つまり、俺が先に起きているシーンがそれほどまでに珍しいと言いたいのだろう。

普段はバレてないことが、偶然にも分って俺は少し安心した。

「西浦さんと最近どう?」

あまりにも突飛な質問に呑みかけの水を思わず噴き出し、むせる。

当然、あの日の一件を思い出してしまう。

「うわ、汚いなぁ」

そんな俺を見ながら優季はドン引きする。

「げほっ、お前こそいきなり何なんだよ」

むせるのを堪えながら口元を拭い、妹を睨むが迫力に欠けるだろう、涙目だし。

「んー……特に絡みもないけど」

俺の答えに、優季は不機嫌そうに嘆息する。

何か俺、悪いことしただろうか?

「どうしたんだよ?」

「何でもない」

そう言ってやはり不機嫌そうに優季は二階へと戻っていってしまった。



学校についても今朝、優季に言われたことが気になり、つい視線が西浦を探してしまう。

大体見つけたところで、意味もないのに。

あんなことをしておいて、どの面下げて会うんだ?

俺は上げていた視線で西浦を探すのをやめ、教室へと向かった。

しかし俺は階段を上ったところで、この場に居合わせてしまったことに後悔する。

目の前には廊下で西浦と上村が談笑していた。

ふつと心の底から湧いてくる黒い感情。

最近は感情の起伏も穏やかだったので、コントロールに多少手間がかかってしまう。

それでも何とか押し込めて、俺は二人に見つからないように教室へと入ろうとする。

「あ、南雲くん! おはよっ」

「よう」

呼ばれた方を見ると二人がこちらを見て、手を振っている。

手を振るような距離でもないんだけどなと呟き、ぎこちない笑顔を二人に向ける。

おはよう、と返す声は何とか取り繕えた。

「無視して行くとは冷たいな、お前」

そう言って上村が嘆息する。

お前らのためなんだけどな、と思って俺は苦笑を禁じ得ない。

「悪い、気づかなかったんだ」

「普通、気づくでしょ。この距離で」

そう言って西浦は頬を膨らませて言う。

俺は表情よりも、首に目が行ってしまう。

俺の掴んだ首、絞めた首……。

傷跡らしきものは残ってなくて少し安心した。

だからといって、やってしまった事実が消えるのかというと、そうではない。

先ほどの破壊衝動よりも罪悪感に苛まれる。

「すまない……」

俺はそれ以上言えなかった。

気まずさと罪悪感のせいで。

俺のあまりにも深刻な謝罪に上村は怪訝そうに俺を見る。

「気にしないで」

そんな雰囲気を打破するかの如く、西浦が言う。

あの時のことも気にしてないよ、と言いたげな優しげな目で。

俺の好都合な解釈なのかもしれない、けど少し気が楽になった。

何か言いたかったけど、チャイムが始業五分前を告げ、西浦はクラスへと帰ってゆく。

逃げ続けてばかりじゃいけない、俺はそう思った。



放課後、ホームルームが終わると俺はすぐに教室を出て、西浦のクラスへと向かう。

西浦のクラスもホームルームが終わったばかりのようで、まだ人が多い。

そんなことも気にせず、俺は教室に入り、西浦へと向かっていく。

周りの視線を痛いほどに感じるけど、俺は何かに突き動かされていた。

「ちょっといいか?」

突然の来訪者に最初は驚いた顔をしていた西浦だったけど、それを笑顔で了承してくれた。

俺は視線から逃げるかのように、さっさと教室から出る。

その後を西浦がついてきてくれている。

「どうしたの?」

「ここではちょっとな」

俺は振り返らずに西浦に答える。

どこか嬉しそうな声色な気もするけど、気のせいだろう。

俺は西浦のことをそこまで知っていない。

それにしても、廊下に出ても随分と視線を感じる。

やはり、学年全体で有名な西浦を引きつれて歩く俺は目立つらしい。

「ち、ちょっと速いよ」

そう言って小走りで俺の横に並ぶ西浦。

どうやら視線から逃れたい気持ちが勝手に体に働きかけていたようで、気づかずに速足になっていたようだ。

「どこ行くの?」

俺の顔を覗きこみながら西浦が笑顔で言う。

あんなことをされたと言うのに。

俺は答えず、視線を感じないところまでやってきて足を止める。

「あの時はすまなかった」

俺は西浦に向き合って頭を下げる。

だけど、彼女からの反応はない。

それからどれぐらい時間が経ったのだろう?

無言の時間が俺をじわじわと責め立てる。

許してもらえるなんて都合のいい事は考えていなかったけど、やはり苦しかった。

不意に西浦が動く。

俺はただ床の一点を見つめ、その姿勢のままずっと凝固したかのように動かない。

俺の後頭部にふわっと西浦の手のひらが乗る。

あの日のように。

「別にいいよ、気にしてないから」

そう言って俺の頭をやんわりと撫でる彼女。

まただ、あの時と同じ。

何か分らないけど、じんわりと暖かいものが心に染み渡っていくように感じる。

「もういいよ」

そう言って彼女は俺の顔を上げさせる。

優しげな目の微笑みが俺を安心させてくれた。

「すまない……」

そんな彼女にやってしまった事を後悔して俺は再び謝る。

「もういいってば、気にしないで」

相変わらず彼女は俺を優しげに見つめる。

心の中がしんと静まり、今までの自分から考えることのできないほど安らかな心情になっていくのを感じた。

その時、俺の心は憎しみも妬みも羨みもなく、別の何かに満たされていた。



[20756] 課外授業
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/12 18:04
真っ赤に燃え盛る海。

いや正確に言うと海に浮いた船がすべて燃えている。

船は小規模な爆発を繰り返している。

「危ない! 早くこちらへ来い!」

後ろから誰かに呼ばれているけど、俺は顔を引きつらせたまま、そこから動けなかった。

幾度か爆発を繰り返した後、ぞくりと背筋に何かが伝う。

やばい。

反転して一気に船から距離をとる。

その直後、後ろで船が一際大きく爆ぜる。

火をまとったまま船が沈んでいく。

「……冗談じゃない」

もはや俺は苦笑を禁じえなかった。





遡ること半日ほど前。

「……ツッコミどころ満載すぎだろう?」

俺は嬉しそうな奇声を上げている同級生たちの中、一人嘆息した。

確かに、こんな行事はあったけど。

一年生の課外行事として水上スポーツを楽しむ、ということで俺たちはとある島へと向かっていた。

当時は俺も子供だったのだろう、こうやって同級生とはしゃいで、楽しく過ごした……と思う。

俺たちのクラスは大きな船に乗っている。

正面にはきれいな浜が見えるのだけど、反対側は断崖絶壁。

何を考えてこんな島をセレクトしたのか、教師陣の頭を疑ったけど、それを補って余りある利点は認める。

たくさんの水上スポーツの機材を取り揃え、インストタクターも多く、指示が的確で皆凄かった。

確かに悪くないのだけども……。

断崖絶壁の孤島って、何か起こりそうだと思ってしまう。

例えば船が爆破されたり、電話線が切られたり……テレビの見すぎかな、俺はそこまでトラブル体質じゃないし。

視線を上げると梅雨明けしきってないどんよりとした曇り空が広がっている。

「でも何か嫌な予感がするんだよなぁ……」

当時は無事に行事を終えたはずだ、と自身に言い聞かせて、不安を振り払った。

島に着くと、ささやかなセレモニーとインストラクーの紹介を終えて、割り当てられたコテージへと向かう。

そこに荷物を置いて着替えて、それぞれが決めた種目へと向かっていく。

俺は二度目だったので、どれでも良かったのだけど。

初日はカヤックという一人乗りの小船に乗ることになっていたので、ライフジャケットをまとって俺たちはインストラクーの指示で海へと出た。

相変わらず嫌な予感が脳裏を掠めて、集中できず、周りの人にぶつかって転覆する。

「何やってるねん」

そういって俺にぶつかった一人がげらげらと笑って、俺を見下していた。

「……悪い」

不思議なことに、あの日から無意味な破壊衝動はめったに沸いてこなかったのだけど、このときだけは多少沸いてきた、しかし問題のないレベル。

裏返ったカヤックを戻して、再度乗り込む。

以前も経験しているので難なく陸地まで戻ってくることはできたけど、楽しむことはできなかった。

相変わらず嫌な予感が俺から離れようとしなかったからだ。

一人足早にカヤックを所定の位置に戻して、俺はシャワーを浴び、コテージに戻る。

まだ誰も戻っていない。

俺は周囲の気配を探って、誰もいないことを確認してからカバンの奥の底板を取り出してくる。

それを裏返すと、そこにセロハンテープで引っ付けられていた裁縫の裁ちバサミが露見する。

俺はそれを強引に引きはがして、刃にだけテープが残らないようにして、こっそりとポケットに忍ばせた。

家にあった裁ちバサミを少し改良して、俺は護身用として携帯していた。

できれば使うようなことになってほしくないけど、前の中学時代のころとは何かが違う。

所詮、勘だけども俺はそれを無視することができなかった。

そして事は起こってしまう。

食堂に皆揃って夕食を取っている最中に、突然の轟音。

教師やインストラクターが唖然としている中、俺は一人迅速に行動を起こす。

「あ、こら! 待たんかい!」

ドアを開いたところで教師の制止の声が聞こえたけど、無視し音の方角へと向かう。

忍ばせたハサミに片手を添えながら。

外に出ると港の方で騒ぎが聞こえる。

曇り空で日が沈んで、暗いはずなのに港は赤々と何かが照らしていた。

たどり着くと船がすべて燃え盛っていた。

「……ウソだろ」

嫌な予感だけで、何事も起こらなければ良かったのに。

俺は顔を引きつらせて、呟いた。

歴史が変わっていることを認識する。

俺はそれが恐ろしかった。





これから一体何が起こるのだろうか?

あの後、全生徒は広間へと集められた。

好奇と恐怖の入り混じったざわめきが広間を埋める。

先生もインストラクターも顔を見合わせて、困惑している。

「一体、何があったんだ?」

後ろから声をかけられて振り向くと上村がそこまで来ていた。

「船が爆破されていた」

「やっぱり本当なのか!?」

もうウワサが広まっているようだ。

俺の周辺でまたざわめきが強くなる。

周りでは目を輝かせて俺の話に耳を傾ける者もいれば、恐怖に顔を引きつらせて聞きたくないと耳をふさぐ者もいたので、それ以上は何も言わなかった。

無駄に不安を煽ってどうする、自分の軽率な発言を恥じた。

まもなくして一人の先生が息を切らして駆け込んでくる。

「で、電話線が……」

それを聞いただけで大半は察しがついただろう。

きっと電話線が切られていたのだ。

困惑の表情を浮かべていた大人たちも、さすがに表情がこわばって険しくなっていく。

断崖絶壁の孤島に閉じ込められた、もうここからは何が起きても驚かない自信があった。

ここまで嫌な予感が当たってしまうと、後々起こることが非常に恐ろしかった。





大人たちは生徒をコテージに分散して帰すのは危険と判断し、広間で待機することとなった。

失礼だけど、そこまで大きな広間ではないので三百人を超える生徒がここに押し込められていると多少苦しい、酸欠に陥りそうだった。

そんな空気から逃げるようにして俺は先生にトイレに行きたいと申し出た。

俺の申し出に便乗して、何人かが申し出る。

するとインストラクターの男の人が二人、付き添いで来てくれた。

蛍光灯が不気味に照らす廊下をインストラクターの男性を先頭に俺たちは進む。

何故か心臓が高鳴る。

一時たりとも得物から手を離せなかった。

トイレの標識が見えたところで、不意に蛍光灯の電気が消える。

「な、なんだ!?」

先頭の男性が声を荒げ、生徒たちは悲鳴を上げる。

俺はもはや戸惑っている場合ではないと判断してハサミを取り出し、中心の金具を外して二本に分解して両手に構える。

この闇では視認されまい。

俺は心静かに闇の奥を見つめる。

何かが動いた。

俺も一気に距離をつめる。

右手の横薙ぎの一閃を右側に避けられる。

視認できないのが辛い、けど何となく気配で動きは読める。

そのまま回転して左手を振るが空気を裂くだけだった。

少し距離を取られたようで、二人の動きが止まる。

心臓は今にも爆発しそうな勢いで暴れ続けている。

壊せることに歓喜しているのだろうか?

その一瞬の思考の隙をつかれ、相手は一気に距離をつめてくる。

背筋が凍る。

この一撃は受けてはいけない!

殺気が上部に集中している、狙いは首から上だ。

二本の刃で守りつつもスウェーで出来る限り、距離をとる。

と、その瞬間蛍光灯が光を取り戻す。

突然の光に眩みつつも目に映ったのは、鉈を横に薙ぐ覆面をした一人の男だった。

「……っ!?」

リーチはないので、その一閃をスウェーで避けきって距離を取る。

明かりがついてしまっては仕方がない、俺は相手の動きから目を離さず、一時的に獲物を隠す。

このまま動くな、去ってくれ。

そう願わずにはいられなかった。

対峙している間、背を冷たい汗が伝う。

「い、いやあああああああああああ!?」

後ろからの絶叫、しかし振り返ることはできない。

前に敵がいるかぎり。

しばらく経って、覆面は軽く息を吐き、反転して廊下の奥へと消え去っていく。

俺もやっと息を吐き、後ろを確認する。

頭が割られ脳漿が飛び出している先頭にいたインストラクター、肩口から袈裟のように斬られた生徒、首から上が無い生徒……あの一瞬でこれだけ殺したというのか?

生き残っていた数名が、その場にへたり込んで震えていた。

来た道からは悲鳴を聞きつけた先生たちが、その惨状を目の当たりにする。

俺は、それをどこか冷めた視線で見つめることしかできなかった。




広間に戻った俺は俯いて、ずっと考えていた。

相手に俺の顔はバレてしまった。

それにあの覆面、どう考えても俺たちと同じ体格、まだ成熟していない骨格。

まさか同級生の中にいるのか? 俺は頭を抱える。

「大丈夫?」

声に反応し、ゆっくりと顔を上げると青い顔の西浦が心配そうに見つめていた。

「大丈夫」

虚勢でも意地でもない、普通の笑みを西浦に向ける。

それに少々安心したのか、彼女も顔を緩める。

「良かった、無事で」

目の端には涙がたまっている。

そこまで心配してくれていたのだろう、嬉しいことだ。

こんなときでも自身の安否ではなく、人の心配ができる彼女を尊敬する。

もし奴が彼女を傷つけようとしたなら、俺は今度こそ躊躇なく壊す。

もう認めざるを得なかった。

俺は彼女に好意を抱いていた。




度々、トイレに行きたいという生徒が申し出るので、それに付き添っていく大人を増やして警護に当たった。

俺が広間にいる間は誰も不振な動きを見せなかったし、皆無事に帰ってきた。

敵は、そう遠くにいない。

相手も警戒している、そんな雰囲気を感じ取っていた。

俺がここから動かなければ、相手も迂闊に動けない。

きっとこれ以上は被害も増えない、そう思っていた矢先だった。

またトイレに向かう一グループが広間を出て行く。

その間、怪しい動きをする者はいない。

しかし、油断していたと言わざるを得ない。

奴がそのグループに紛れて出て行くということを考えていなかったわけではない。

でも、そんなことをしたら出て行った人の中に犯人がいると、自ら首を絞める結果になると思っていたからだ。

そんな大胆な行動に出ると思ってもみなかった。

廊下が悲鳴で満ちる。

広間の空気が凍りつく。

「……く、そ、があああああああああああああ!!」

俺は冷静さを失っていた。

何故なら、先ほど行ったグループの中には彼女がいたから。

西浦が。

俺は扉を蹴破り廊下を疾走する。

壊す、壊す、壊す、壊す、壊ス、コワス、コワス!!

また一人の悲鳴が聞こえてくる。

何人かが逃亡に成功したようで、こちらに向かってくる。

その中に西浦はいない。

頼む、無事でいてくれ。

角を曲がったところで視認する。

西浦が誰かをかばって覆面の前に立ちはだかっている姿を。

覆面が西浦に向かって鉈を振り上げている姿を。

「やめろおおおおおおおおお!!」

俺はありったけの力を込めて刃の片方を投擲する。

覆面はそれを避けて、二人から距離を取る。

刃は壁に突き刺さる。

「な、南雲くん!?」

西浦の呼びかけには反応せずに、そのまま一気に覆面との距離を詰めに入るが、鉈でタイミングを合わされて右手の刃は届かなかった。

よくみれば、素人のような刃捌きに俺は顔を歪める。

俺はこいつに負けない。

例えこの刃一本でも負けない自信が沸いてきた。

今度は明かりで相手の動きがよく見える。

それを紙一重で避けて、左の拳で頬に一撃を打ち込む。

覆面はよろけつつも振り下ろした鉈の遠心力を利用して回転攻撃を加えてくるが、それも避ける。

もう一撃加えることができる。

そう思ったとき、急に相手の鉈の振りが鋭さを増す。

「ぐっ!?」

何とか右手の刃で受けるが重みが違う。

右手の感覚がなくなり、俺は刃を取り落としかけた。

「くすくす、油断した?」

そういって覆面が笑う。

鉈を振り下ろしながら。

何とかバックステップで避けるが、後手に回ってしまい追い詰められていく。

一撃の重みが違いすぎるため、受けるより避けたかった。

しかし、じわじわと追い詰められていく。

相手を壊さずに止めようなんて甘い考えを捨てなければならなかった。

でも彼女の目の前で、それはしたくなかった。

「……ここまでかな」

そう覆面は呟いて連撃をやめ、反転し廊下の奥へと逃げ去っていく。

俺は理解が追いつかず、その後姿を見送りそうになった。

後ろには数名の教師とインストラクターが駆けつけていた。

反応が遅れたが、俺は壁に刺さった刃を抜いて覆面を追う。

右手の感覚はまだ完全じゃないけど、今は二本あるし両手で戦える。

それにここで何とかしなければ被害が増えるばかりだ。

逃すわけにはいかない。

俺は必死に追った。

建物から出て、港の方向へと逃げていく覆面。

自ら逃げ場のないところへと俺を導く彼。

彼がペースを落としたので、俺もゆっくりと彼を追う。

息を切らせた彼が俺と向かい合う。

「ふふっ、やっぱり追ってくるんだ」

覆面からくぐもった笑い声が漏れてくる。

「ここで決着をつけよう」

俺は二本の刃を構える。

もう躊躇いはない、ここで壊す。

俺の瞳が暗く鈍い色に染まる。

「二人なら、もう覆面は要らないよね」

そういって彼は覆面を外す。

見慣れたクラスメイトの顔だった。

「裄杉……なんでお前が?」

裄杉 進(ゆきすぎ すすむ)、クラスでもあまり目立ちたがらない彼が、似合わない笑顔で俺を見つめている。

「ん、別に理由なんてないよ」

濁った瞳で笑顔を向けてくる。

もう正常な精神を持ち合わせているようには見えなかった。

壊すしかない、俺の中でひとつの答えが導き出される。

もはや会話など無駄だった。

彼は鉈を、俺は刃を両手に構え、お互い同時に走り出す。

覚えている限り、この子は普通だったのに。

一体何があれば、ここまでの狂い、ここまで強くなれるのか疑問だった。

鉈から伝わる一撃の重みが俺の腕の感覚をじわじわと奪っていく。

俺も受けから、刃を流して急所を狙うがギリギリで避けられる。

お互いに一撃で終わらせることができるのを彼の攻撃から感じ取っていた。

受け損ねれば俺の体は真っ二つに、避け損ねれば彼の動脈を俺の刃が捉える。

しかし、腕の感覚を奪われていく俺の方が長期戦になると圧倒的に不利だった。

それに大人たちが追ってこないとも限らない。

早期決着をと俺は焦る。

その一瞬、受ける点が僅かにずれて、左手に痛みが走る。

鉈が届くことはなかったが、その重みを無防備な左手一本で受けてしまい、痛めてしまった。

一度、距離を取って落ち着けたかったが彼がそれを許さず追撃を放つ。

何とか右手で捌くが、どんどん手の感覚が鈍くなっていく。

「どうしたのぉ? もしかして左手、痛めたの?」

にやっと嫌みったらしく笑いながらも、彼は追撃の手を緩めない。

受けきるのも精一杯だったので死んだ左手の刃を投擲する。

彼はそれを避けるが一瞬は追撃が緩み、距離をとれた。

「あ、っぶないなぁ……」

そういって距離を取った俺を見据える。

もう戸惑っている場合じゃなかった。

俺は闇に自身を委ねた。

「壊す」

「へ? 今更?」

彼は俺の言葉に唖然としながらも、ゆっくりと距離をつめてくる。

ふと体が軽くなったように感じた。

丸で理性や道徳といった鎖から解放されたかのように。

俺の意識が追いつく前に、彼の首には真っ赤な口が不自然に開いていた。

「え?」

一呼吸おいて口から凄い勢いで血が吐き出されていく。

彼は自らの首から吐き出される鮮血を手に取り、唖然としてすぐに倒れた。

首を抑え、息が荒い彼を見下ろす。

「はっ……はっ……死んでしまう、死んでしまう!」

月明かりしかないのに、彼の顔から血の気が失せているのが分かる。

瞳からは生気が少しずつ消えてゆく。

しかし、俺はもう狂喜することはなかった。

残ったのは後味の悪さ、哀れみだけだった。

「た、助けてよ……き、君だって人殺しになりたくないだろう?」

俺の足にすがりつく彼の目はいつのまにか死への恐怖に染まっていた。

「俺はとっくに人殺しさ」

そういって足をつかむ彼を冷たく蹴り放す。

驚愕の表情を浮かべたまま、彼は少しずつ反応が薄くなっていく。

そして。

反応がなくなった。

「人を殺してきた者が助けを請う姿ほど醜いものはないな」

そのとき、俺はどんな表情をしていたのだろうか?

俺は死体を見下ろしながら呟いて、背を向けた。



[20756] 事後
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/17 01:39
取調室に未だ残る僕。

そして未だ自身に残る嫌悪感。

南雲 柊栖(なぐも とうす)という少年。

こんな嫌な感じのする少年は初めてだった。

彼は何度も繰り返した。

仕方なかった、と。

今まで数々の取調べに同行させてもらった。

軽いものから重い罪まで、子供から老人まで、男女。

その今までの経験のどれにも当てはまらなかった彼に僕は嫌悪感を抱いてしまった。

嫌悪感? いや違う、と自問自答。

僕はあの子が怖かった。

何か違う。

中学生の皮をかぶった化物という印象を受けた。

彼に対し取り調べを行った者は大抵、同じ感想を述べた。

「あれは本当に子供……いや、人間なのか?」

仕方なかったと呟く彼の目は黒い。

日本人だから彼の瞳が黒いのは当然といえば当然なのだけど。

そういった意味じゃない。

黒、闇、悪、そのすべてを混ぜ合わせてしまったかのような子供にあるまじき瞳。

混沌に染まった瞳、とでも形容すべきか。

僕はそれが恐ろしかった。

「おい、水野。何しているんだ?」

呼ばれて振り向くと、取調室のドアを開いて僕の先輩刑事にあたる藤堂さんが怪訝そうに、こちらを見つめていた。

「い、いえ何でもありません」

そういって僕もやっとパイプイスから腰を上げる。

彼は一体何者なのだろうか?

僕はこの一件が何かの始まりの気がしていた。

これで終わりじゃない。

これから何かが起こる。

彼の周りで。




どうやら刑事たちは俺を疑っているらしい。

当然のことだ。

俺はあの後、素直に彼を殺した得物を警察に渡した。

あれを調べれば中心の金具を故意に外したことや、刃が研いであることは一目瞭然。

そして目撃証言。

裄杉との二回目の戦闘時、二人の目撃者がいる。

西浦と、もう一人は知らないけど。

彼女たちは俺が戦えていたことを証言している。

その二点を深く追求していけば、下手をすると罪になりかねない。

しかし話を聞くと、予想外だが検事は起訴するつもりはないらしい。

裄杉はやりすぎたからだ。

あの日、俺たちの学年から十数人の死人が出た。

狂った彼に襲われた俺はやむを得ず殺した、との見解で正当防衛が成立しそうだった。

正直に言うと、安堵しなかったといえばウソになる。

しかし、俺にとって関心はそこになかった。

だって壊した、殺したという事実は変わらないのだから。

それより俺は本格的に歴史が変わってきていることについて考えていた。

本来、誰一人欠けることなく終えたはずの課外授業。

しかし、そこで十数人という死者を出てしまった。

俺が戻ってきたからだろうか……?

自己嫌悪の念や罪悪感が沸いてくる。

今まで人を壊しても殺しても、そんなもの感じたことなかったのに。

いや感じていたのかもしれない。

無理やり自身を狂わせて感じないように、認めないようにしていたのかもしれない。

結果はどうあれ、俺はあの時は守るために戦った。

彼女を、西浦かなみを守るために。

しかし俺に残ったのは、人を殺したという結果だけだった。




警察での取調べが終わり、昼休みから学校に顔を出すと、あれから一ヶ月経ったというのに、相変わらず好奇の視線を向けられるのが非常に辛かった。

顔を上げると俺に向いていた視線は散る。

そりゃ確かに殺人鬼と呼ばれた時期もあったけど、そう思うと苦笑を禁じえなかった。

授業中も凄い違和感の中で時が過ぎていく。

こんな生ぬるい世界で生きている自分が不思議で気味悪かった。

俺は、もはやこちらの住人ではないのに。

少しでもやり直せる、普通に生きていけると思った自分が馬鹿らしかった。

不意に沸いてくる自己嫌悪の念を押さえ込んで、俺は授業に集中しようと幾度となく試みたけど無駄だった。

無限にいつまでも沸き続ける自己嫌悪の念に俺は辟易していた。

昼休みになったが、いつも一緒に食事を取っていた上村も誘いづらいのか、少々距離を置かれているように感じる。

仕方なく俺は一人で黙々と昼食を取って、さっさと教室から抜け出した。

廊下に出ても相変わらず向けられるのは好奇の視線。

それから逃げるように人気のないところへと向かった。

静かな廊下までやってきて汗を拭い、階段に腰かけて一休みする。

普段は使われない理科室や美術室などのある特殊な教室が並ぶ廊下なので、昼休みにはまったく人気がない。

そのとき、誰かが階段を上ってくる気配がした。

教室を出て、しばらくして誰かにつけられている気配はあった。

しかし、危険な気配ではなかったので無視していた。

「……あ」

階段を上ってきて姿を現したのは、西浦だった。

俺を目視した彼女は固まっていた。

この子が俺をつけてきていたとは意外だった。

「よう」

それ以上、俺は何も言えない。

あの惨事を目の当たりにして、そして俺が戦っていた姿を見ていた彼女が、どう思っているのかが怖かったから。

冷静を装ったけど、脳は正直で心臓の鼓動を速めた。

「え、えっとあの……ごめんね、あの時」

「……」

「それとありがとう、助けてくれて」

そういって彼女は笑った。

ぎこちなく笑う彼女。

けど他意はない、そんな笑顔だった。

「俺は謝られたり、お礼を言われたりするようなことはしていない……」

何かこみ上げてくるものを押さえ込んで、できるかぎり冷静に答える。

声が若干、震えているのを感じた。

「ううん。あの時、守ってくれたじゃない」

確かに彼女を守るために俺は飛び出した。

でも、それでも俺は結果的に人を殺してしまったのだ。

そんな俺にありがとうだと?

「俺は殺してしまった、裄杉を」

「……仕方ないと思う」

「仕方なくなかった。俺は……」

あの時、俺は殺すと決めて追った。

皆を守るためとはいえ、殺す必要などなかったはずだ。

冷静に考えれば他に策だってあったはずだ。

なのに……俺は彼を追った。

どこかで、きっと殺して彼を止めることを選択したのだ。

自分に染み付いてしまった、殺すという行為。

また自己嫌悪の念が沸いてくる。

「でも、あの時は守ってくれた」

彼女の声に強い意志を感じる。

ああ、この子は強い。

あんなことがあったというのに、彼女は普通に学校に登校した。

ちなみに、もう一人の子は精神的にまいってしまい、最近まで自宅療養中だった。

「確かに、守りたかった」

君を。

「でも、殺すことは、なかった……」

「もう自分を責めないで」

目をあわすこともできず、うつむいていた俺の頭をふわりと心地よい感触が撫でる。

ああ、以前も彼女にこうやって助けてもらったな。

視界が歪み、涙が溢れてくる。

彼女を助けたつもりだったけど、俺はきっと彼女に助けられ続けている。

「俺は……殺したくなかった」

「うん」

「あいつ、だって、死にたく、なかった」

「うん」

「でも、俺は、見殺し、にした」

「……」

「あいつは懇願してきたんだ、死にたくないと。俺はそれを無視し、見殺しにした」

少しずつ吐き出すかのように自身の罪を彼女に語る。

少し前よりは落ち着き、冷静に話すことができた。

「最初は守れればよかった。けど俺はあいつを殺さなきゃ被害が増えると思ったんだ」

彼女がどんな表情をしているのかが怖くて顔を上げることはできなかった。

「だから殺した、そして見殺した。俺は二度も彼を殺した。彼を助ける機会は二度あったのに、俺はそれを選ばなかった」

無言で俺の頭をなで続ける彼女。

こんな俺を一体、どのように思っているのだろう。

「俺が……怖いかい?」

その思いは自然と口に出ていた。

「ううん」

まったく迷いなく彼女が答えた。

それに驚いて顔を上げてしまう。

涙で濡れた情けない顔を。

彼女の優しげな眼差し。

「何……で?」

怖れないのか、俺を?

俺は今、言ったんだよ?

偶然、彼は死んだのではない。

俺は殺す気で彼を殺したのだと。

「殺したのも事実、でも守ってくれたのも事実じゃない。君の中に優しさがなければ自分の身を危険にさらしてまで人を守ろうとなんて思えないよ」

そういって彼女はいつもの人懐っこい笑顔ではなく、優しい笑顔を俺に向ける。

優しさ、人としての道を数年に渡り、踏み外してきた自分にとって分からなくなっていた感情だった。

いや、あえて遠ざけていた感情だろうか。

今回も彼女には助けられたなと苦笑してしまう。

「……ありがとう、お前は強いな」

思いが自然と口から出て行く。

裄杉に襲われたときも彼女は、もう一人をかばっていた。

彼女は本当の強さを、優しさと勇気を持ち合わせている。

「ううん、そんなことないよ」

そういって彼女はあの人懐っこい笑顔を向けて、俺をなで続ける。

たとえ、これからも手を汚したとしても彼女だけは絶対に守る、絶対に。

ますます膨れ上がる彼女への好意を胸の奥底にしまい、そう心に誓った。



[20756]
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/18 17:47
「ねぇ、海に行かない?」

一学期の終業式の日、西浦かなみは笑顔で俺にそう言った。

俺に断る理由は無かった。

「優季ちゃんと上村くんも一緒に、ね」

……一瞬断ろうかと思った。





「いやぁ夏だなぁ」

まぶしい日差し、輝く海辺、浜でははしゃぐ人々を多く見受ける。

夏だ、いやぁ素晴らしい。

暑さのあまり、水着姿の俺の頬を汗が流れていくけど、それすら気にならない。

……それ以上に色々と気になることがあるから。

「で、やっぱりお前もいるんだな」

「何だよ、その凄く不満そうな顔は、俺いちゃダメなのかよ!?」

友にそんなこと思われていたなんて心外だ! と言って膝をつく上村、騒がしくて迷惑この上ない。

「……おにーちゃん?」

俺の背筋を凍らせるほどの冷たい声、わが妹の優季ちゃんが怖い笑顔でこちらを睨んでいる。

彼女には殺害を目論まれた(あの時、目覚めなければ死んでいただろう)過去があるので、どうにも油断できない。

また派手に上村を弄ると、今度こそ殺されかねない。

そう思うと体が震えだし、冷や汗が止まらなくなっていた。

「じ、冗談さ、なぁ上村。俺たちはこうやってスキンシップを取っているんだよな?」

「そんなスキンシップ、俺は嫌だな」

くっ……こいつ優季の前だからといって調子に乗りおって。

二人の視線に耐えかねて、視線で西浦に助けを求めるが、彼女は苦笑するばかり。

この四人になると二(優季と上村)対一(中立の西浦)対一(完全アウェーの俺)の勢力図が出来上がっている、迂闊に上村に手を出すと、一気に潰されかねない……事は慎重に運ばなければならなかった。

別に運ぶ事もないんだけど。

今、俺たちは前の映画館から更に離れた海岸に来ている。

実のところ、同行者はこの四人だけではない。

中学生だけで行かせるのは心もとないということで、西浦のお父さんが同行してくれた。

……俺がお父さんって呼んでいいのかは分からないけど、もちろん彼女にとってのお父さんって意味だ、他意はない!

元が二十台という年齢なので妙なところに気を遣ってしまう、あー馬鹿馬鹿しい。

優しげなお父さんで、後ろから俺たちを見守っている。

そ、れ、に、しても……。

パーカーを羽織ったわが妹、優季さんはいつの間にあんなに成長したのだろうか?

ツーピースの水着で露出が多い、そして胸もいつの間にあれほどまで……と思ったほどだ。

それを見た上村も鼻の下を伸ばしている。

不愉快だけど、これ以上自身の立場を悪くするのも問題だった。

あの姿を拝んでいいのは兄である俺だけだ! なんて言ったら、以後どういった目で見られるのだろう? 想像しただけで全身の毛穴が開いて汗が噴出してきそうなほどの恐怖だった。

そして西浦。

彼女もツーピース型だけど、露出を抑えた健全なデザインだというのに強調しているところが強調していて、健全な中にもエロさをかもし出している。

いつもと違って髪を後ろで結い上げているのも、好印象だ。

たまらんぜ!

こういう風に、いつもより数段、跳ね上がった自身のテンションに少々困ってはいたが、悪い気はしなかった。

西浦は、行こうと俺の手を引いてくれる。

こんな俺の汚れた手を。

……彼女は俺に気を遣っている。

「それにしても……」

上村が俺のほうを振り返って、感嘆の声を上げる。

「お前、そんなに体鍛えてたっけ?」

俺の腹筋は薄く割れつつあり、腕も上腕三頭筋と二頭筋共に随分と太くなった。

大胸筋はあまり大きくはなってないが、鍛えているため全体的に細く引き締まった感じになっている。

毎朝のランニングのおかげで更に無駄な脂肪が削られているのも、引き締まって見える要因の一つだろう。

後に来る細マッチョ万歳の時代。

最先端を行く男、それが俺だった!

「中学デビューしてから、無駄に鍛えてるよね、おにーちゃん」

「人の中学デビューを残念っぽく言うな、無駄にって言うな」

自己防衛のためだ、見せるためのものじゃない。

……と言うとウソになるのかもしれない。

海に行く話を持ちかけられたとき、心ひそかに鍛えていて良かった! なんて思ったりしたのは秘密だ、バレてはならぬ。

それに対し、上村は貧弱そのものだった。

まぁ仕方ない、俺だって以前はこんな体だったし。

それに今、体を鍛えている俺には少し懸念がある。

男性陣にはかなり重要度の高い問題……そう身長だ。

最初は骨格の成長を止めないように自重トレーニングだけにしておこうかと思っていたが、今は結構な負荷のトレーニングを行うようになっていた。

成長期にここまで鍛えていると、元々の百七十五センチまで伸びるかどうか不安だった。

せめて百七十ぐらいまでは行ってほしいものだ。

成長期に過度なトレーニングは禁物だ、良い子の皆は真似しないようにね! と一人心の中で呟く。

……悲しいだけだった。

それにしても海、海ですよ。

最近、いい思い出のない海。

逃亡生活中、警察に橋まで追い詰められて挟み撃ちにあったとき、橋から飛び降りて華麗な着水を決めたかと思いきや、左手の指をすべて骨折とか、船から飛び降りて一人遭難して死にかけたとか色々あったなぁと思いだす。

そんな海で美少女二人と一緒する、男にとってこれほどの幸せはないのではないか?

これから海に関する思い出を少しずつ塗り替えていこう、そう思っていた矢先。

西浦に視線を戻すと、早くも男に絡まれている。

おい、美少女、お前ちょっと無謀すぎ、お前は可愛いんだぞ、少しは自覚しろ。

彼女のお父様(と呼んでいいのかどうか)も見ている手前、放置するわけにもいかない。

まぁ見てなくても放置しないけど。

俺は嘆息しながら、彼女に追いつく。

「すみません、連れがお世話になりました」

出来る限りの笑顔を男に向けて、彼女の手を引いて、さっさと逃げる。

俺の嫌いなチャラ男だったので絡まれなければいいんだけどな、って思っていたけど、予想通りというべきか期待は裏切られる。

「てめぇ、何だよ」

聞くか蹴るかどちらかにしてほしい。

背を向けた俺の右わき腹めがけて蹴りが放たれる。

避けると西浦に被害が及ぶので、腰を落とし、しっかりと左足でバランスを取りながら右肘と右膝で受ける。

つまり蹴り足ハサミ殺し、某ネタですみません。

けど、これほど使える受け技もない。

受けつつ相手の攻撃部位にダメージ与えることができる。

予想通り、男はうめいて足を抱えてうずくまる。

感触的に骨は逝ったかもしれない。

「すみませんね」

薄く笑いながら、そういって彼女の手を引いて、さっさと逃げた。

「い、いつもごめんね」

顔を真っ赤にした彼女がうつむいて、ぼそりと言った。

「気にするな」

相変わらず手を繋いだままだったことに、やっと俺は気づく。

「あ、ごめん」

「え、あ、ううん」

相変わらず真っ赤な彼女は本当に可愛い。

ああ、こんな時間がずっと続けばいいのに。

そんなことを思いながら、俺をずっと監視している嫌な雰囲気に対して、大げさにため息をついた。





双眼鏡から目を離し、男は嘆息した。

今のところ、不審な動きは見られなかった。

警察の友人からの依頼を受け、私立探偵の盃 恵那(さかずき えな)は一人の少年をつけている。

南雲 柊栖という少年、肉体は多少鍛えているように見えるが、まだ中学生。

身長、体重も見た目からすると普通。

まったく退屈な依頼を受けたものだと一人嘆息する。

中学から付き合い続けている友人からの依頼だったので断ることもできずに、やむを得ず仕事をしているのだが、それにしてもあまりにも退屈だった。

そんな時、彼を少し退屈から救う出来事が起きる。

彼の連れの女の子が一人の男に絡まれている。

それを彼が助けに入ったのだ。

男らしいね、と彼の行動に素直に感嘆する。

その直後、男が彼に向かって蹴りを放つ。

何と、それを彼は後ろ向きにも関わらず、右肘と右膝で挟み撃ちにして撃退してしまう。

盃は心の奥底から震え上がった。

「蹴り足ハサミ殺しだと?」

一体何者だ、あの少年。

当初は全く興味のなかった依頼。

しかし、今は違った。

心の底からわいてくる歓喜。

これは面白い、面白いぞ。

スモークガラスを使用した黒い車の中で、彼は嬉しそうに顔を歪ませた。





まったく……監視されている状態でかつ、この子から離れられない状況はそれなりに疲れる。

放っておけば数分もせずに彼女は男に絡まれる。

そのたびに助けに行って目立つのも面倒なので、ずっと付きっ切りになっていた。

彼女と一緒にいる時間が苦痛ではなく、むしろ嬉しいから救われてはいるけど。

それにしても俺のそんな気持ちも知らずに優季と上村は遊びまわっている。

兄としては複雑な心境だ、今すぐにでも邪魔しにいきたい。

「ねぇ私たちも行かない?」

ビーチボールで遊んでいる二人を指差して、西浦が俺を誘う。

ぜひとも、ご一緒したいところだけど。

「いや、ちょっとトイレ行ってくる。先に行ってくれ」

「あ、うん」

また後で、と言い残して彼女は二人の下へかけていく。

これであの子は二人に任せられる。

俺は一人、トイレへと向かった。

案の定、トイレに入ると監視は途切れた。

やはり尾行というより遠目から監視しているようだ。

視線を手繰っていくことは可能だけど、ここで接近することは俺にとって危険になりはしないか?

監視に気づける中学生なんて普通じゃない、とこちらから言っているようなものだ。

一人、個室で考え込む。

しかし、いつまでもここにいるわけにはいかない。

相手だって不審に思うだろうし、それ以前にトイレは結構混んでいる。

あまり長い間、個室を使用しているのも迷惑がかかる。

やむを得ず、思考を中断して流すフリだけして、外に出る。

そのとき、鳥肌が立つ。

いる。

嫌な視線が今までより強く俺に注がれている。

不自然に思われない程度に周辺を観察する。

……。

絶句した。

海といえば水着、お前目立ちすぎだろう。

出口のすぐそこに真っ黒なスーツに、真っ黒なカッターにサングラスをかけた、怪しいですって自ら言っているような人物がこちらを見ていた。

周りの人も、不思議そうにそいつを見ている。

……はっ!? そうじゃない、まさか相手からこんなに早く積極的に動いてくるなんて。

何かミスをしたか? いや、そんなことはない。

表情を崩さずに俺は自然体を装い、男の横を過ぎる。

「ほう……気づいていたか」

その一言で全身が凍りつきそうになるのを無理やり抑えて、俺はそのまま過ぎ去る。

あいつは何だ、何故に気づいた?

答えはひとつ、相手はプロだ。

必死に抑えていた緊張による震えと冷や汗が噴出してくる。

もうプロに目をつけられるとは。

警戒が甘かったか?

あ、そうか……クソ、やられた。

そうだ、俺があえて彼を無視したのが決定的だったんだ。

普通の反応なら、不審なあの男を見てしまうだろう。

あの時、突然の来襲に冷静な判断を下せなかった。

それを悔いるしかなかった。

俺は敗北感に包まれながら、三人の下へと戻った。



[20756] 柊栖くんの変化
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/20 03:44
黒塗りの高級そうな車、スモークガラスが貼られ内部はよく見えない。

車内の男が気だるそうに携帯電話を取り出し、慣れない手つきでアドレス帳から旧友の名前を探し出す。

水野 和孝。

ワンコール、ツーコール、スリーコール。

『やぁ盃』

いつものごとく相手がスリーコール終わって出てくる。

几帳面な奴だ、盃と呼ばれた男が嘆息する。

「よう、水野。一時報告だ」

『そろそろだと思っていたよ』

電話越しでも、奴の憎々しげなほど朗らかな笑顔を想像できるような声だった。

長い付き合いだけど、盃にとって彼の笑顔だけは気に障って仕方がなかった。

「あいつは面白いぜ」

『へ?』

予想外の報告だったのか、返事の声が裏返っていた。

彼の目を白黒させた顔が思い浮かんで、盃は一人にやけた。

「今のところ怪しい動きはないな」

『そうか……夏休み中は君にお願いするよ』

多少、面白いものが見ることができたとはいえ、退屈な監視活動をあと一ヶ月以上やれと?

そう思うと嘆息せずにはいられなかった。

『報酬は弾むからさ、頼むよ』

「……やむを得ないな」

そういって盃は電話を切り、背もたれに体重のすべてを預けて深く、深くため息を吐いた。




無駄に多いとは思わないかい?

一体、義務教育を作り出した大人たちって一体何を考えているのだろう?

全般的に幅広く学習するのは小学生までで充分だと俺は思うんだ。

確かに何がしたいとか、何になりたいとか決まっているわけじゃないけど。

だからこそ、全体的にやるのだろうと思う、そこは理解できるのだけど……。

それにしても多い、夏休みの宿題が。

何故に、絵を書き、読書作文を書き、工作をし、そして主要五教科のホームワークにリコーダーの練習だけで収まらず人権作文やら何やら……。

いつもなら終盤まで残しておいて、自身を追い詰める策を取るのだけど、今回は序盤に大半を終わらせた。

母親がやたらと介入したがっていたけど、俺の絵や作文を読んで完全に閉口していた。

高校時代に学校から帰ってきてはパソコンで絵を書いたり、小説を書いたりしていたので、両方とも問題はなかった。

読書作文なんて書くのが楽しいぐらいだった、これで入賞とかしたら笑うしかない。

ちなみに人権作文では自殺擁護説を原稿用紙十枚に渡る長文で仕上げたのだけど、凄く険しい表情をした母親に破り捨てられた。

あんなものを読んだら、普通の人はそうしたくなるのも分かるけど、少し涙で景色がにじんだ。

絵も久々に筆を握る感触が嬉しく、あっという間に終わらせた。

ホームワークも今の俺の知識からすると問題なく、片付いてしまった。

量が多いだけで、質のない課題に少々辟易していたのだ。

残るは工作とリコーダーの練習だけになってしまったところで、やっと八月に入った。

「……暇だ」

一階のリビングで仰向けになり、扇風機を独占しながら俺は一人呟いた。

午前中に工作で何を作るのかを決めて、その設計図を作り上げてしまった。

昼から材料の買い出しに出かけて、作業しようかと思ったのだけど、暑さに嫌気が指して今に至る。

つまり俺はやることがなくなったのだ。

「そして暑い……」

真横で突っ伏している優季が呟く。

俺が独占していた扇風機の角度を変えて、俺から風を奪う。

暑いよな、と普通に返事をして扇風機の角度を戻すと、その直後に優季が無言で角度を変える。

やむを得ず扇風機の首を振ることにした。

しかし、それをまた無言の優季に固定され、風を独占される。

「……あの、優季さん?」

「んん……?」

「俺も風欲しいんですけど」

「……」

黙殺された、お兄ちゃん悲しいよ……。

俺は汗をだらだらと流しながら隣で風を堪能している優季さんにバレないように、こっそりため息を吐いた。

「……俺、コンビニ行ってくるわ」

「ん、いてらっさーい。アイスお願い」

「……」

「返事は?」

「あ、はい、すみません」

黙殺し返したのだけど、睨まれて背筋が凍りそうだったので、素直に謝ってしまった。

情けない兄だった。

家を一歩出ると、恐ろしいほどの日光が俺の肌を焼く。

海に行った日に随分と焼けて黒くなっていたけど、しばらく外にいれば更に黒くなれるんじゃないかと思えるほどの日差しにうんざりする。

自転車にまたがって、コンビニへと漕ぎ出す。

生ぬるい風が肌を撫でる。

さっさとコンビニで涼もうと、俺は腰を上げて加速した。




コンビニに着き、店内に入るといらっしゃいませという店員の挨拶と素晴らしい涼しさの冷房が俺を迎えた。

汗が冷やされていくのを心地よく感じながら、雑誌をあさって適当に立ち読みする。

雑誌越しに周囲を見回すけど、近くにはいない。

でも感じる、あの嫌な感じのする視線を。

また遠目から観察されている。

家では感じなかった、ということはプライベートまで徹底して監視するつもりはないのだろうか?

よく分からない追跡者に俺は疑問を抱くばかりだった。

まぁさすがにプライベートまで監視されていたら殺すけど。

うちには女二人いるんだぜ? 正直、洒落にならない。

いくら探しても、あの男を見つけることができず、俺は諦めて本格的に雑誌に意識を移す。

店員からの嫌そうな視線を感じるけど、気にしない。

立ち読みってこんなに嫌な視線を向けられているんだなぁと今更気づいて苦笑した。

そのときだった。

何かぴりっとしたものを出入り口付近から感じて、目を向ける。

……冗談じゃない、監視の目もあるというのに。

最近トラブル続きな自分を少し呪った。

そこにはサングラスに帽子、そして何かを隠し持った男がまさに店に入ってこようとしていた。

こいつ何かする気だ。

雰囲気が客とは違う、強盗ってやつか?

雑誌を素早く棚に戻して、商品を置いている棚に身を潜める。

その直後だった。

「う、動くなぁ!!」

店内に響き渡る男の怒声は裏返っていて、彼の緊張を示している。

下手に刺激すると、危ないタイプだな。

幸い俺はまだ見つかっていない。

犯行前に店内の状況を把握してないとは、何という間抜けたことか。

それほどに余裕がないのであれば、常習犯ではないと判断もできた。

様子を伺うと、悲鳴を上げた店員が腰を抜かして崩れ落ちていた。

「レジを開けろ!」

早くしろ、と包丁を向けて、まくし立てる強盗に恐る恐る店員がレジを開けようと動く。

……やむを得ないかなぁ。

いつからこんなお節介な性格になったんだろう?

監視の目もあるというのに自分の首絞めて、どうするんだ?

俺は苦笑をかみ殺して手身近な商品を手に取った。



「くは、ここまで来ると笑うしかないな」

男は双眼鏡から目を離すことなく、口元を吊り上げていた。

これをトラブル体質とでも言うのか? と小さく漏らして男は彼のアクションに期待していた。

黒塗りの車から南雲 柊栖を監視する男、杯 恵那だった。

まだ二度目とは言え、こうも彼が犯罪に巻き込まれるのは不自然だった。

彼の周りで犯罪が起こっているように思えてくるのは無理もない。

何か製品を手にする彼。

それをひとつ、犯人のすぐ隣に投げる。

その直後にもうひとつをその反対側へと投げる。

音に意識がいった強盗の隙をつき、彼は一気に距離を詰める。

それに気づいた強盗が彼に包丁を向ける。

それでも彼は止まらない。

更に加速して、強盗の間合いについに入る。

突き出される刃を避け、みぞおちに肘が入る。

そして流れるような動作で、悶絶している間に素早く腕にダメージを与えて、包丁を奪い、遠くへと蹴る。

最後に彼は強盗の足を払い、顔に手のひらを添えて叩き伏せた。

「これは凄い」

盃は思わず呟いて、口笛を吹いた。

店員が這い出してきて少年に握手している。

困ったような表情をした少年は店員の手を離してから、強盗を拘束すべく商品のガムテープを手首に巻きつけていく。

これまた面白いものが見ることができた。

この依頼、案外退屈なものではないのかもしれないな、と盃は嬉しそうに顔を歪めた。




やってしまったなぁと今更後悔する。

あの不快な視線をより近くで感じていた。

警察から事情聴取をと言われ、車に乗り込む際にあの男と目が合う。

嫌な笑みを浮かべた全身真っ黒のあの男が。

心の奥底で舌打ちをして、俺はパトカーへと乗り込んだ。

今回は前回と違い、簡潔な事情聴取で済んだ。

警察の人から「また君か」と言われたりもしたけど、今回は何も悪いことしてない。

上の空で事情聴取に適当に応じながら、俺はこの事件が新聞に載らなければいいんだけど、なんて思っていた。

……あ、優季のアイス忘れていた。

家に帰ったら、殺されるかも。

主にバットとかで。

……俺じゃなくて、殺人未遂の妹の事情聴取を先にするべきではないかな?



[20756] 追うものへの逆襲
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/20 03:44
退屈な日々が続く。

時は八月の中旬。

驚くべき速度で一週間ほど前に夏休みの課題をすべて終えた俺は、もはや昼間で惰眠をむさぼって、筋トレして、ご飯食べて、寝る、ぐらいしかすることがなかった。

このままではダメになる気がする……。

とか思っても暑い日中に動く気になれず、結局だらだらとし続けている。

そんな時だった、誰もいないリビングで電話の着信を知らせる電子音が鳴り響く。

動くのも面倒だった俺はそれを黙殺。

数コールで電話は留守電に切り替わり、電話が切れた。

留守電に用件入れないなら、重要な用事じゃないなと判断し、再び眠ろうかと思っていた矢先、また電話が鳴り響く。

もちろん、出るつもりはない。

再び留守電に切り替わり、電話が切れる。

そして再び鳴り出す電話、流石に苛立ってくる。

もちろん、これも黙殺。

その後、四度目、五度目、六度目……数えるのも面倒になってきたところで、初めて相手が留守電に一言残した。

「おにいいいいいいい!! おるやろうが!! 出てこんかい!!」

……!?

一階の留守電に登録される音声が響いて聞こえてくる。

先ほどまでの脱力感はどこにいったと思わせるような素早さで跳ね起きて電話に出る。

「す、すみません、寝てました……」

「あぁ?」

受話器から届く声の迫力に冷や汗が全身から噴出してくる。

何度も電話をかけてきた犯人は……我が妹、優季さんだった。

しかも、俺目当ての電話らしい。

嫌な予感がする、何があっても拒否と否定で通そう。

「ふん、まぁいいわ……で、お兄ちゃん今暇よね?」

「ううん、悪いけど、凄く忙しい」

「ウソつけ、このアホンダラ。暇じゃない人が何で寝ていたのかしら?」

「はい、ごめんなさい、すみません、暇人です」

さっそく折れる俺、情けない……。

「じゃあ、これから夏休みの課題を全部持って上村さんの家まで来なさい」

「え、嫌だし。俺の宿題は全部終わってるし」

「だから持ってこいって言っているのよ。分かるかしら?」

「あれ……俺の嫌だ、はスルーですか?」

「へぇ……嫌なんだ?」

途端に声色が冷たくなる。

「……いいえ、滅相もございません。これからかっ飛ばしてまいります」

「五分以内でね」

「それは物理的に無理だ!」

「まぁ急いでね」

そういって電話は切られた。

俺は盛大にため息を吐いてバッグにホームワークと暇をつぶせるよう教科書を数冊選んで放り込み、家を出た。




インターホンを押すと我が女神、西浦も来ていたようで俺を笑顔で迎えてくれた。

やべぇテンション上がる! と思ったが表に出さない。

その奥から冷ややかな目つきで俺を見据える優季がいたから。

電話の件で相当ご立腹らしい。

実の兄を見る目じゃないよ、それ。

こえー、我が妹ながらマジこえー。

そんなに睨まれ続けたら身震いが止まらないだろう。

お邪魔しますと一言断って、俺も部屋に上がると冷房が効いていて心地よい。

そこにはジュースなども並べられていて、勉強というより遊んでいたように見える。

そんな状況で何故、勉強会みたいなのに発展したんだ? 理解できん。

俺が来た途端、そそくさと遊ぶ道具を片付けて、宿題を出してくる。

「……で、俺どうすればいいの?」

「ん、帰っていいよ。宿題置いていってくれたら」

あまりにも自然にさらっと言う妹に場の雰囲気が凍りつく。

今、ここで彼女に氷の女王の名を捧げたいと思ったのは俺だけじゃなかったはずだ。

「え、えっとぉ……宿題分からないところあるから、それを教えてくれない?」

「あ、お、俺は……」

上村は優季をちらりと見てあたふたとしている。

見ていて少し可哀想だったので、こちらから助け舟を出してやることにした。

「分からんところは聞いてくれ」

「ああ、助かる」

二重の意味で助かると言ったのは、きっと四人全員が分かっただろう。

優季は不機嫌そうにそっぽを向くし、西浦は安堵しているし、上村は優季のフォローにおろおろしている。

この光景を見ているだけで充分に面白いから、来た甲斐あるなぁとつい苦笑が漏れる。

俺は用意しておいた教科書を開いて、一人予習に励んだ。

上村は度々俺に質問してきたが、流石は優等生の西浦。

彼女はほとんど俺に聞くこともなく、すらすらと宿題を進めていく。

この一時間で俺に聞いたのは一問だけだった。

それにしても……俺を監視する視線が途切れないことに苛立ちを覚えていた。

家まで監視しなかったのは褒めてやるけど、これでも充分にプライベートに踏み込みすぎじゃないか?

どうせ、あの黒い男だろう。

俺が気づいていることに相手も気づいているはずなのに。

ちょっと休憩、と三人に言い残して、俺は外に出た。



こちらにまっすぐ近づいてくる少年。

男の思惑通りだった。

盃 恵那は助手席の鍵を開けて、彼を車内に導いた。

それに迷いなく乗り込んでくる少年。

思った通り、いい度胸をしている。

「どなたか知りませんけど、さすがにやりすぎだと思うのですが?」

苛立ちを隠さずに少年は言う。

「はて? 何のことだか……」

「監視のことですよ、あそこまでやられて僕が気づいてないと思っているのですか?」

見た目に似合わない憂いに満ちた瞳。

盛大なため息を吐いて、彼は続ける。

「家族に配慮してくれて家の内部までは監視していないことには感謝しています、けど僕は友人と普通に勉強会しているだけでも監視対象にされなきゃならないんですか?」

「ほう、気づいていたのか」

ますます盃は面白くなって、顔を歪める。

「なら何故、俺があえて君を監視し続けていたのか、薄々気づいているのではないのかい?」

「僕と接触を試みたかった、ってところでしょうか?」

「ご名答だ」

「で、僕に何か御用でも?」

相変わらず少年はこちらを向こうとしない。

しかし、恐れているようにも見えない。

丸で興味がないと言われているようで、盃は苛立つ。

「色々と聞きたいこともあってね」

盃は冷静を装ったが、声が震えている。

「どうぞ」

迷いなく少年が促す。

「お前は何者だ?」

「中学生ですよ、見ての通り」

「何故、あれほどまで戦える?」

「コンビニでの一件ですか? 見ていたなら分かると思いますけど、戦うってほどの事でもないでしょう?」

「いや、あの冷静な判断は素晴らしかったぞ」

「そりゃどうも」

盃としては他意なく褒めたつもりだったが、少年は本当に興味なさげに、外を見つめている。

「それだけですか?」

少年が初めて盃の目を捉える。

その目は濁っていて……暗く、闇をはらんだ鈍い輝き。

見たものを不安にさせる瞳。

冷や汗が流れ、危険だと本能が告げる。

こいつは躊躇いなく人を殺せると。

いや、もう殺したのかもしれない。

実際に正当防衛に近い状況だが、一人殺しているのも事実。

正直に言うなら、これ以上関わりたくない少年だった。

水野が気にするのも分かった気がした。

「……ああ、それだけだ。貴重な時間を取ってすまなかったね」

「いえ、では……」

そういって彼は助手席のドアを開き、外へと出る。

ドアを閉める前に思い出したかのように少年は言う。

「あ、そうだ。ひとつだけ質問」

「ん? 何だ」

「依頼主については語れませんかね?」

「……」

どう答えるべきか、盃が悩んでしまった。

「いいえ、もう結構です。大体検討がつきました」

表面上、笑顔に見える少年が続ける。

「やはり日本にそういったプロはまだ少ないですから、答えに窮するのも分かります。けどね、プロとしての自覚があるならば、そこは即答ですよ、語れない、とね」

今度こそ彼は助手席のドアを閉めて、立ち去った。

「……チッ、二度と関わりたくねえな」

盃は深く息を吐いて、緊張を解いて車を発進させた。



返事に戸惑った男の様子を見る限り、彼に依頼をしているのはもしくは隠す必要のない人物、もしくは機関だと想像がついた。

しかし、情報がまだ少なすぎる、軽率な判断は避けよう。

それにしても昔の俺なら躊躇いもなく壊して、殺していただろうな。

今の俺には自分でも驚くほど破壊衝動がない。

全くない。

「ただいま」

部屋に戻ると、三人とも真面目に勉強していた。

……? 何故か三人とも息が切れているように見えるのだけど、気のせいかな?

「あれ、優季。俺のホームワークなんか見て楽しい?」

「え? あ、うん、予習」

声が裏返っている、明らかに不自然だ。

まぁ余計な詮索すると家で殺されかねないので、深くは追求せずに、疑問をそっと胸の奥底にしまいこんだ。

一人仲間はずれみたいな感じで少々悲しかったけども。

うーん、一体何があったのだろうか?



[20756] 世界の摂理?
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/21 10:48
まだ外は暗い。

いつものようにアラームが鳴る前に俺は目覚めた。

静かにベッドから降り、着替えを済ませてからリビングに下りる。

水分を取って、ついでに体をほぐす。

毎朝の日課のランニング。

少し東の空が明るくなってきているが、まだ日は昇っていない。

心地よい涼しさが俺の肌撫でる。

夏休みの一ヶ月で体重は何と三キログラムも増えた。

朝起きて、昼食前に、夕食前に、寝る前にと四回に分けてトレーニングすることで一日にこなす一種目あたりの回数は千回に届きそうになっていた。

その結果が順調に出ていることに、俺は満足していた。

でも、ここまでトレーニングに時間を割くことができるのも昨日までだった。

今日からは新学期が始まる。

そろそろ短時間で効果が出るように、もう少しトレーニングの強度自体を上げてもいいのかもしれないと考えていた。




家に帰り、親が起きる前にシャワーを浴びて俺は身支度を整える。

まだ時間は六時半、ちょっと気合が入りすぎだな、と思い苦笑する。

今日は午前中で授業が終わるために、弁当も必要がなく、母親は七時少し前になってやっと起きたようだ。

俺はそれを確認してリビングへと降りた。

おはようと挨拶してテーブルにつくと、母親は手際よく朝食を用意してくれた。

ご飯と昨日の残り物の味噌汁と焼き鮭と和食っぽい組み合わせの朝食。

それを手早く済ませて、食器を片付ける。

時間はまだ七時半。

家を出るまで三十分もあるので俺はぼーっと朝のニュースを眺める。

少し前に起きた優季は時間ギリギリになっているようで、慌しく準備をしている。

お前も来年中学生なんだぞーと言ってやりたかったが、後が怖いのでやめておいた。

いつでも冷静な判断が命を救うのだ。

しばらくして、玄関口から「いってきます」と聞こえた。

うちの姫君は、どうやら出発したようだ。

落ち着いた朝の雰囲気にもう少し和んでいたかったが、もう俺も出発しなければならない。

すでに準備は整っているので、そのまま「いってきます」と言って俺は家を出た。

早朝より少し強くなった日差しが俺を照りつける。

まだ朝の八時だというのに、もう充分に暑い。

これから昼にかけて、更に温度が上昇していくなんて考えただけで憂鬱だった。

ちなみに登下校はいつも一人だ。

友達のいない残念な子だと勘違いしないでいただきたい。

一人静かに、ゆっくりと学校に向かう時間は嫌いじゃないからだ。

ほんの十数分で着く距離だけど。

学校に着くと、敷地内に植えられている木々から蝉の大合唱が耳に障る。

蝉の大合唱に背を向け、靴箱に向かい上履きに履き替えて俺は教室に向かう。

階段の手前で異変に気づく。

何だか上が騒がしい、人もたくさんいるようだ。

……嫌な予感がする。

鼓動が意思とは関係なく、少しずつ速くなっていく。

じっとりとした嫌な汗を手に握り、慎重に様子を伺いながら俺は階段を上っていく。

二階について、すぐに視界に入った光景は誰のものかは分からない吐しゃ物。

酸の臭いが鼻を突く。

そして、俺の教室の周りにできた人だかりを先生が散らそうと手を振って、怒声を発している。

「南雲くん、おはよー。これ、どうしたの?」

立ち止まっている俺に後ろから声をかけたのは西浦だった。

「おはよう、俺も来たばかりでよく分からないんだ」

でも分かっていることもあった。

憶測でもなんでもない、五感のひとつが俺にそう結論付ける根拠を与えてしまったのだ。

鼻を突く酸の臭いに混じった、鉄の臭い。

これは言うまでもない、血の臭いだった。

「誰かが死んでいるんだって」

俺が言う前に、どこかで話す生徒の声が聞こえた。

その言葉を聞いた西浦が一瞬で青ざめる。

「教室へ戻れ!」

先生の怒声が廊下に響く。

「……西浦も行ったほうがいい」

「え、でも……」

俺は彼女の言葉を聞かなかったふりをして、自身の教室へと向かう。

「四組と五組の生徒は、一、二、三組のクラスで分かれて待機しなさい!」

俺はそれを無視して教室へ、否血の臭いに誘われるがままに俺は足を進める。

「南雲、話を聞いてないのか? 早く行け!」

それを無視して進む俺に苛立った先生が胸元をつかみにかかる。

それを右手一つで捌いて、俺は教室への進入に成功する。

後ろで俺の暴挙を目にした生徒たちが一斉に押し寄せてくる。

一気に後ろのざわめきが大きくなる。

でも俺は後ろのざわめきを気にすることができなかった。

教室のカーテンレールに三本の紐で吊るされた、それ。

一つはちぎれた片足、一つは薄い皮でかろうじて繋がっている両の腕、一つは解剖された胴体をそれぞれ吊るしていた。

その真下には血の湖が出来上がり、その中にもう片方のちぎられた足が落ちていた。

そして教卓に何かが乗っていることに気づく。

頭を半分ほどつぶされた生首がそこにはあった。

「沢井……」

かすかな面影で判断できたクラスメイト。

彼の無残な生首は険しい表情で虚空を睨みつけていた。

今一度、胴体に目をやる。

内臓はすべて下に落ちており、あばらと背骨も抜き取られていた。

見慣れた死体。

そのはずなのに俺は戦慄を覚える。

「おい、戻れ!」

そこで後ろから掴まれて、部屋の外まで引きずられる。

「早く行きなさい!」

今一度先生の怒声が廊下に響き渡る。

先ほどより屈強の教師陣を揃えてきたようで、大半の生徒が大人しく散っていく。

俺も充分だったので、大人しく引き下がることにした。

どの教室もざわめきが収まることはなかった。

涙目の女子もいたし、気分が悪そうな男子もいる。

テレビが来るのでは、とかはしゃいでいる馬鹿な男子も多かった。

まぁその予想通り、凄い数の報道陣が押しかけてくるのだろう。

俺と上村は西浦のクラスで待機していた。

二人とも顔色が悪い。

「何でこんなことに……」

もはや涙目になっていた西浦が呟く。

その姿が痛々しくて可哀想で非常に辛かった。

「大丈夫」

二人は俺のほうを見る。

どことなくその表情には驚きが見て取れる。

「これ以上、勝手にやらせないさ」

窓にかすかに写った俺の目が暗く鈍く輝いたように見えた。




俺でもないのに、あんな壊し方が出来るとは只者ではない。

雰囲気は見れば分かるはず。

血の臭いは嗅げば分かる。

気休めにカッターとコンパスを懐に忍ばせて校内を歩く。

一人一人の様子をじっくりと確かめながら。

生徒に犯人がいるとも限らなかったが、かすかな血の臭いがまだ犯人の在校を示しているように思えて、俺はずっと歩き回っていた。

相手は警戒して身を潜めている。

課外授業のときにも同じように感じた。

ならば、まだ相手は犯行に及ぶかもしれない。

その前に何とかして止めたかった。

元は殺人鬼と呼ばれたほどの俺が人を守るっていうのもおかしな話だけど。

だけど、時々嫌な視線を感じる。

相手は俺個人を警戒しているのか?

あの課外授業のときを考えれば当然か。

俺は嘆息するけど、諦めるつもりはなかった。

早く見つけ出して何とかしなければ、他に危険が及ぶ。

俺が止めなければならない。

ふとかすかに血の臭いが濃度を増したように感じる。

すれ違ったのは一人だけ。

振り返ると、そいつも俺のほうを見ていた。

「へぇ、気づくんだ」

そういって笑顔を向ける女子。

課外授業の日、西浦がかばっていたあの子だった。

そして、俺のクラスメイトでもある。

「橘さん……」

橘 彩華(たちばな あやか)は、あの事件以来PTSD(心的外傷後ストレス症候群)でカウンセリングを受けていたため、あまり見かけなかった。

しかし、俺には信じられなかった。

図書委員でお淑やかで男子からも人気のあった彼女が……犯人?

彼女は妖美な笑みを浮かべて、俺に詰め寄る。

「ねぇ、お話しましょうか?」

そういって彼女は俺に背を向けて歩き出す。

俺も逃がすわけにはいかず、やむを得ず彼女についていく。

「何で分かったの?」

「血の臭いが、かすかにした」

あら、そう? と彼女は自身の服の臭いを嗅ぐ動作をする。

「私には分からないわ」

そういって彼女は苦笑する。

「俺も質問……いいかい?」

ええ、どうぞと気分よさげに彼女は促す。

君は人を殺したばかりではないのか、何故そんなに普通にしていれるんだ?

それを俺が聞くのも愚問だな、と思い飲み込む。

まずは動機だ。

「何故、殺したんだ?」

「んーとね、殺したとはちょっと違うんだ……壊したかった? そんな感じ」

彼女の言葉に背筋が凍りそうになった。

何故なら、それは以前俺が警察に対して吐いた言葉とまったく一緒だったから。

「君は裄杉くんと戦っていたよね?」

「……ああ」

「私も……殺すの?」

更に質問は俺を絶句させた。

俺は彼女を殺すのか?

本当は普通に生きることができた彼女を。

薄々、勘付いてはいた。

今回の事件で俺は確信できた。

俺の周りで起きるトラブルは、俺が殺人鬼の道を放棄したが故に周りが、歴史が、世界が狂っているのだ、と。

俺が素直に狂気を抑えた生活を続けて、数年後かに殺人鬼と呼ばれるようになっていれば歴史は狂わなかった。

彼や彼女が狂ったのはきっと俺の代わり。

いわば俺が変わろうとしたがゆえに俺の代わりに生まれた被害者。

それを俺は殺すのか?

いや……俺はこれから先もずっと殺し続けるのか?

「大丈夫、バレるようなヘマはやってないよ。君が黙っていてくれればバレない」

俺の迷いを、どう勘違いしたのか彼女は怖いことを笑顔で言う。

俺はどうすればいい……?

「もう用はないかしら、私は済んだから行くわよ?」

そういって彼女が俺の横を過ぎ去ろうとした時、俺の体は勝手に動いていた。

懐に隠していたカッターを流れるような手つきで彼女の首元へと向ける。

しかし、彼女もそれに反応してスウェーで避ける。

切れた髪が地面にはらはらと落ちる。

信じられないという表情で彼女は俺を見つめている。

「ち、ちょっと……いきなり首って死ねるわよ?」

彼女の抗議を軽やかに無視して俺は間合いを詰める。

今度は避ける隙を与えずに首筋にカッターとコンパスの針を突きつける。

「動くな、先の一撃が俺の覚悟だ」

そういうと彼女は顔を引きつらせながら、手を上げた。

別に手を上げろとは言ってないんだけどな、と苦笑する。

コンパスの針の先から彼女の脈が伝わってくる。

速く打っている脈から彼女の緊張を直に感じ取ることができる。

「上下関係をはっきりさせておこうと思ってな」

「は、はぁ?」

俺はあくまで冷たい視線を彼女に向けたまま、続ける。

「以後、俺の許可なく校区内……いや県内で人を殺すな、いいか?」

「あ、あんた何言って……ッ!」

皮膚を破らない程度にコンパスの針を押し付けてやると彼女は絶句した。

彼女が従わない場合は殺す覚悟はできていた。

俺はじっと彼女を見据える。

「わ、分かったわ、約束するッ」

「……ちなみに隠れて殺したりしても無駄だぞ、さっき言ったとおり血の臭いや雰囲気で分かるからな、ルーキー」

「る、ルーキーって……じゃあ貴方は一体……?」

「ただのベテランさ」

「ぁん!」

そういって彼女の隠し持っていたナイフを奪う。

……一体どこに隠し持っていたのかとか、そんな野暮なことは聞かないでくれ。

怖いお兄さんから良い子の皆さんへのお願いだぞ。

それは置いておいて……そのナイフを見て、思わず感嘆の声が漏れる。

二十センチほどの片刃で剛性は高いが非常に軽い。

使用後のせいか数箇所刃こぼれしているが、全体的にきれいに研いである。

「これは没収」

「え、えぇ……それ高かったのにぃ……」

「あー、うるさい。これから俺が君を更正させます。だから俺に逆らったりしたら、即殺します」

俺の言葉に彼女の顔が引きつる。

大体、俺もどうしようというのだ?

この殺人鬼一歩手前の女子を匿ってさ……。

でも、これが一番いい方法だったと信じたかった。

死んだ沢井くんには申し訳ないけども。

その辺り、俺も随分感覚ずれているよなぁと苦笑を禁じえない。

彼女を殺しても、それはきっと一時しのぎにしかならない。

彼女の代わり、そしてその代わり、その代わり……と俺が殺し続ける限り、殺人鬼も永遠に生まれ続けていくのだろう。

だから、あえて彼女に狂気を宿らせた状態で、それを俺がコントロールしようと試みたのだ。

できるかどうか分からないし、自信もない。

でも、もう精一杯まで足掻かずに後悔することはしたくなかったから。

俺は足掻く。

最後の最後まで足掻いてみせる。



[20756] 異質対異質
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/23 16:00
時は夕刻。

沈みかけの太陽が放つ日差しが風景を赤く暖かく染め上げる。

俺はこんな風景が嫌いだった。

無性に虚しくなる。

廃ビルの階段を上りながら、そんなことを考えていた。

建設途中で会社が倒産し、未完成のまま放置されたビルは雨風にさらされて廃ビルへと化していた。

誰も寄り付かないため、身を隠すには最適な場所だった。

少しずつ近くなってくる唸り声。

あまり気が進まないが、俺以外に誰がこの役を全うできるだろうか?

いや、できない。

反語法万歳だ。

嘆息しながら、上り続けると視界に入る少女、橘 彩華。

ビルの柱に拘束された彼女の目は血走り、口の端には泡が吹いている。

もはや、その姿から人間ではなく獣を連想させられる。

そろそろ限界か。

俺は嘆息しながら、彼女に近づく。

「大丈夫か?」

「ぐうう……ああああ!!」

最初から返事など期待してはいなかったけど。

こうなるのは、もう三度目。

気が進まないけど、俺は彼女の拘束を解いてやることにした。

懐から取り出したナイフで拘束していたロープを断つと、一瞬で彼女の手が俺の首に伸びてくる。

それを軽く捌いて俺は距離を取る。

彼女は血走った目で俺を睨みつける。

もう慣れている、俺はナイフを懐にしまって彼女と向き合う。

ただ懸念することがあるならば、戦闘のたびに強くなっていく彼女。

彼女の相手をするのは、お遊びでは済まなくなってきている。

俺は嘆息ではなく、自身を落ち着けるために大きく息を吐く。

「さぁ相手してやるよ」

言うまでもなく彼女の右手が俺の心臓めがけて伸びてくる。

獣のような動き、その速さは鍛錬した人間の域を軽く凌駕している。

それを中学生のか弱そうな女子が行っているのだから、恐ろしい話だ。

それをギリギリまで引き付けて捌き、彼女の体勢を崩して、地面に叩き伏せようと試みる。

しかし、空中で体勢を整えた彼女は体をねじって、ありえない体勢から左手を放つ。

油断していたため、避けきれず俺は頬を軽く切る。

やむを得ず前蹴りで距離を取るが、すぐに彼女は間合いを詰めてくる。

息を継ぐ間もない連続した攻撃がすべて人間の急所を貫かんと放たれる。

最初のような血走った目から、少しずつ陶酔したような妖美な笑顔へと変貌していく。

ここからが本番かな。

獣のような動きが少しずつ消えてゆく彼女に、俺は気合を入れなおす。

まだ、しばらく彼女は満足しない。

いや満足なんてしていない、ちょっとした憂さばらしの程度。

廃ビルではお互いの激しい息遣いと肉のぶつかる音だけが響く。

先ほどより鋭く、的確で、変則的な攻撃が俺を襲う。

どれほどの時間が経っただろう。

先ほどまで俺たちを照らしていた赤い日差しは完全に沈み、周囲が夜の闇に染まり始めた。

彼女の動きから、もはや獣を連想することがなくなってきたころ。

やっと彼女は地面に膝をついた。

「ふぅ……終わりか?」

「う、うぅー……疲れたぁ……」

そういって仰向けに倒れる彼女。

その顔は満足げでもあり、まだ不満でもありそうな複雑な表情だった。

ゆっくりと彼女に近づいて手を差し伸べる。

その手を取った彼女は強く俺を引き寄せて、逆の手を首めがけて打ち込んでくる。

しかし、俺はそれも読んでいた。

俺も空いた手で完全に受け止め、そのまま手をひねり上げる。

「あ、いたたたたた!」

「惜しかったな」

「むぅ……」

悔しそうに彼女は唸る。

「もう充分だろう?」

「うーん、マシにはなったけど……最近、我慢の限界にくる間隔が短くなってきてるよね?」

俺の知っている限り、彼女が最初に人を壊したのが九月一日、次の衝動が来たのが九月二十四日、そして次が十月十六日、そして今日が十月二十九日。

彼女の言ったとおり、凄い早さで間隔が短くなっている。

それは常々、危惧していることでもあるのだけど。

「この先、どうするつもり? 下手すると毎日、殺し合いだよ? あ、壊し合いかしら?」

そういって彼女はくすくすと笑う。

考えただけで恐ろしい、怖いこと平然と言ってくれるな。

「できるかぎりは、この対処を続ける」

いつまで持つかなぁ? と妖美に笑う彼女に俺は苦笑するしかなかった。

「とりあえず今日は帰ってよし、約束は守れよ」

「ちゃぁんと守ってるじゃないの」

不満そうに頬を膨らませた彼女。

確かに、その通りだった。

あれから彼女はまだ一人も壊していない。

限界が来る前に彼女は、必ず俺に報告しにくる。

まぁ命がかかっているから当然なのかもしれないけど。

そう考えると約束ではなく、一方的な脅迫だな。

自嘲と自己嫌悪の念が同時に沸いてきて、俺は苦笑した。



日課のランニング。

あっという間に秋を終えて空気が澄み、冷たさを含み始めたころ。

もう時は十一月に入ろうとしていた。

本当に時が過ぎるのは早いものだ、俺がここに戻ってから半年以上が経とうとしている。

学校があるため、走る時間を延ばすことはできない。

だから最近は、その代わりにペースを上げて強度で補うことにしていた。

体から更に無駄な脂肪が落ちていき、鍛え上げた筋肉をはっきりと視認できる。

学校が始まって朝と夕方と夜しかトレーニングできなくなったが、それでも毎日千回を越す筋トレは続けていた。

ランニングを終え、荒れた息を整えて筋トレに励む。

案の定、本来は百五十五を越す予定だった身長は、今もまだ百五十で留まっている。

それでも俺はトレーニングを止めなかった。

いや止めれなかった、というべきか。

世界の摂理を垣間見てしまった俺は落ち着けなかった。

俺の代わりが量産される、この世界。

ここまでくると俺も狂ってしまったほうが幾分か楽だったろうなと思う。

でも守りたいものを得てしまった自分は狂うことすらできなくなっていた。

今は、守るために全力を尽くす。

俺はそう決めていた。



学校に着き教室を見回すと、昨日あれほど取り乱していた彼女は澄ました表情で本を読み続けている。

その姿を見ると少し安心した。

彼女の血の臭いも、ほとんど落ちてきている。

俺は席に着き、一息つく。

あれから一ヶ月も経ち、学校全体も明るさを取り戻し始めていた。

課外授業、クラスで死人と立て続けに起こった事件に精神的に病んでしまった人も多かったが、元気に登校してくる生徒は活気を取り戻しつつあった。

人は強いな、そう思わざるを得なかった。

「ねぇ、少しいいかしら?」

ふと視線を上げると橘が俺の正面に立っていた。

「ん、どうした?」

ここじゃちょっと、と周りからすると意味深な言葉を堂々と吐く彼女。

男性陣からの視線が少々痛いがやむを得ず、俺は彼女に同行した。

彼女は俺を連れたまま中庭までやってきて、やっと振り返った。

その顔はどこか不安げで、苛立っているようにも見えた。

「最近ね、ずっと誰かに見られている気がするの」

なるほど、だからか。

彼女は俺を睨み、そのまま続ける。

「あなたじゃないよね?」

「違う」

監視する理由も必要もないとは言い切れないけど、俺は彼女を信じている。

一人壊してしまったとはいえ、彼女は俺との約束を守り続けている。

そんな彼女を疑いたくはなかった。

俺を信じた彼女は安堵する。

何ともいえない不思議な信頼関係に俺は内心、苦笑した。

「でも、このままじゃ不味いよね?」

色々と、と表情を曇らせた彼女が言う。

確かに、その通りだ。

俺と彼女の関係をあまり他人に知られたいとは思わない。

できるかぎり早いうちに相手を見極めたい。

「よし、今日の放課後だ」

「へ?」

彼女は俺の突然の提案に唖然とする。

「お前は普通に帰れ。後は俺が何とかする」



帰り際、西浦と出会って雑談に興じていたら、橘に怖いほど睨まれて、冷や汗が背を伝う。

やむを得ず西浦との会話を早く打ち切り、俺は橘の後を追った。

何か悪いことをしただろうか?

聞いても彼女は答えてくれなかった。

門を出ると俺は彼女と距離を少し置いて、後を追う。

視線を感じたらカバンを落とせ、とだけ俺は彼女に伝えて後ろから周囲を警戒する。

すると門を出てすぐ彼女はカバンを取り落とした。

おいおい、マジかよ。

こんな学校に近いところでも監視しているのか?

俺は周囲の警戒を強めるが、それらしきを感じることはできなかった。

プロだろうか?

やむを得ず、俺は気配を殺して彼女の後を追う。

しばらくして背の高い男が彼女の前に現れる。

不自然だった、何の気配も感じなかった。

俺は慌てて飛び出し、彼女と男の間に割って入る。

橘に向けてナイフを投げ、俺は素手で男と向かい合う。

それをキャッチした彼女は構えて俺の横に並ぶ。

「誰?」

嫌悪感漂う表情で彼女が男に問いかける。

男は前髪が長く表情が読みづらいが、その髪から覗かせる黒く濁った瞳を見ただけで危険だと分かる。

「一体、何が目的だ?」

俺の問いかけに対しても無反応、男はゆっくりと一歩ずつ間合いを詰めてくる。

「――ス」

ぶつぶつと何かを呟く男。

それに耳をすます。

「コ、ワ、ス」

その瞬間、男が背に手を回す。

出てきたのは草刈鎌だった。

それを両手に男は疾走する。

狙いは橘、俺は割り込んで鎌の取手を受ける。

しかし男は俺の体格を遥かに上回っているため、力で押し切られる。

やむを得ず、受け流す。

制服を切り裂き、俺の鍛え上げた腹筋が露出する。

俺に露出趣味はないんだけどなぁ……。

「橘、下がれ」

「嫌よ」

「は?」

振り返ったときには彼女は俺の横を過ぎ去って、男に向かってナイフの刃を向けていた。

男はその一撃を鎌で受け、もう片方で彼女を切り裂かんと振りぬく。

その一撃を鎌の取手で止め、その隙に彼女は距離を取る。

「あは」

彼女は笑う。

狂ったように彼女は笑う。

その姿は美しかった。

二本の鎌を一本のナイフで捌ききり、彼女は男の体を切り裂き、壊してゆく。

一太刀打ち込んでいくたびに男の四肢は機能を果たさなくなっていく。

その的確な壊し方に戦慄を覚える。

最初は右腕だった。

彼女の刃が男の右肩を捉え、男は右手の鎌を取り落とした。

左手一本で戦う男をあざ笑うかのように、彼女は左肩に再び刃を突き立てる。

右手と同様に糸が切れた操り人形のように、力を失った左腕も垂れ下がる。

もはや抵抗が不可能の男に対して、彼女は逃がすまいと両足の股関節に刃を食い込ませて、骨を外す。

体重を支えることのできなくなった両足が崩れて、男は地に伏す。

そして彼女は刃を振り下ろす。

満足感溢れる、妖美な笑みを浮かべながら。

「――ッ!? 何で!?」

驚愕の声を上げた彼女はナイフから手を離す。

何とか間に合ったようで男の胸の数センチ上でナイフの刃が止まっていた。

ナイフは俺の右手を貫いていた。

あまりにも余裕がなく、刃を手のひらで受けるしかなかった。

「痛ぇ……もう充分だろう?」

右手からナイフを抜いて、俺は彼女に言う。

あー……抜くんじゃかったな、出血が酷くなった。

カバンからタオルを取り出して、二の腕にきつく巻きつけて止血を完成させる。

そんな俺の傷を見て、彼女は珍しく取り乱している。

人を殺した彼女が、この程度で取り乱すのが意外だった。

「ああ、ごめんなさい。私、気づいたら……」

そういって涙目になって謝る彼女。

ああ、殺されるとでも思っているのか。

「いや、仕方ねえよ。こいつだって鎌二本で殺す気満々だったし」

俺は冷たく男を見下ろす。

四肢の自由が利かない男は地面を這う。

俺はその背を踏みつける。

男からうめき声が漏れる。

「……どういうつもりだ?」

いくら問いかけても男は俺のほうを見ようとせず、動かない四肢でただひたすらもがく。

「ど、どうするの、こいつ?」

橘が心配げに俺を見つめる。

「心配するな、こいつが先に襲ってきた目撃証言は取れている。そうだよな? 黒男さんよ」

まったく、こいつも懲りない男だ。

「ああ、証言してやってもいいぜ」

そういって、どこからともなく現れた男、盃はその顔を嬉しそうに歪めた。



先に病院に送られた俺は応急処置だけ受けて、すぐに警察署に向かった。

橘を一人にするのは心配だったからだ。

やってきた俺を見て苦笑する刑事。

そして引きつった愛想笑いを浮かべる俺。

「また君か」とか、ため息をつかれながら言われても困る。

俺は何も悪いことをしていない。

まぁ俺が悪いことをしていないことが悪いことをしているようなものだけど。

せっかく真面目に生きていこうとしていた矢先だというのに。

だが今回も相手から襲い掛かってきたことを、あの黒男、盃 恵那という男が証言してくれたので、すぐに釈放された。

橘と並んで警察署を出た俺を待っていたのは、その真っ黒の男、盃だった。

そして、その隣にいるのは課外授業のとき、俺の事情聴取を行った水野 和孝という刑事だった。

「お疲れ様、災難だったね。家まで送っていくよ」

水野刑事が笑顔を装って言うが、目が笑っていない。

橘もその気配を感じ取ったのか、一歩後ずさる。

しかし、ここで断るのも怪しまれると思い、俺も笑顔を装い、それにありがたく乗せてもらうことにした。

俺と橘と盃と水野刑事を乗せたパトカーが出発する。

「あ、彼女の家の方が近いので先に送ってあげてください」

「ああ、そうか。分かった」

ミラー越しに見える水野刑事の表情は笑顔。

しかし、それに只ならぬものを感じている橘は俺の制服の端を掴む。

しばらくして彼女の家のあるマンション前に着く。

不安そうに俺を見ていた彼女に「大丈夫」と告げる。

先に下りた彼女に見送られて、三人の乗ったパトカーは出発した。

「さて……もう笑う必要もないですよ、水野さん。あなただったんですね、この人の雇い主は」

「ふふっ、賢い少年で助かるよ」

ミラー越しに見える表情はもはや笑っていなかった。

「それにしても、こいつも一応熟練した尾行者なんだけどね。よく気づいたね?」

一応は余計だ、と盃が不機嫌そうに言う。

いや突っ込むところは、そこじゃない。

熟練じゃなくて明らかに未熟だろう。

「君は一体何者だい?」

「それは取り調べでお答えしたでしょう? ただの中学生ですよ」

どうせ俺の話なんて信じるわけがない。

「もう少し、僕らを信頼してほしい」

俺の不信感が表に出ていたのだろうか、彼がそんなこと言った。

「信頼も何もないですよ。僕にはこれ以上も、これ以下も答えることができないのです」

彼はミラー越しに見据えた視線を正面に戻して、俺の即答に嘆息する。

危なかった、一瞬迷ったらアウトだった。

答えるのが遅れたら、彼は俺が何かを隠していることに気づいていただろう。

若く見えるが、この男は侮れない。

「まぁ一つだけ良いこと……いや悪いことかな、それを教えておきましょう」

「できれば聞きたくないね」

そういって彼は苦笑する。

盃は不気味なほどに静寂を保っている。

「きっと……これからも俺の周りでは人が傷つき、死んでいくのかもしれません」

「何を根拠に?」

「勘です」

本当の根拠を言ったところで、彼らは信じないだろう。

いや信じることなどできない。

俺が何年も前から戻ってきたこと。

それによって俺の周りの歴史が歪んできていること。

それを話して馬鹿にされるぐらいなら適当にほのめかす程度でいいと思えた。

それに俺の代わりになるほどの発狂者がこれから生まれてくるのなら、どうせ警察に止めることはできない。

俺を止められなかったように、きっと警察は薙ぎ倒されていくのだろう。

「ありがとうございます、ここで下ろしてください」

気づけば随分と家に近いところにまでやってきていた。

またパトカーで送られたところを親やご近所に見られるのも面倒だったので、下ろしてもらうことにした。

「もし……何か話せることがあったら連絡してくれ」

そういって彼は俺に電話番号の書かれた紙を渡した。

「ありがとうございました」

気をつけて、と一言残して、パトカーはユーターンして去っていった。

俺は右手に持つ番号の書かれた紙を見て、笑いを漏らす。

そして思い出す。

「あ、右手……まだ応急処置のままだった」



家に帰ると、大騒ぎになった。

妹は俺の血のにじむ手を見るなり、どうしたのって涙目で抱きついてくるし、母親は暴れて料理中の鍋をひっくり返すし。

その日のうちに病院に強制連行され、右手を随分と縫うことになった。

しばらくは絶対安静が言い渡された。

そんな右手なのに俺は翌朝に早速、腕立て伏せをしている。

手のひらでも指に近かったので若干皮が突っ張って痛いけど、体重の大半を支えるのは手の付け根だ。

問題ない……と思っていたが、回数を重ねるごとに血がにじんでくる包帯。

親にどう言い訳しようと考えながら、朝の身支度を整えていた。

しかし、そんなこと気にしている場合じゃない。

昨日のことで俺の事情なんて関係なく代替者は現れることが分かった。

それに狂う範囲が広くなってきている。

俺には直接は関係のないところでも、少しずつ歪んできていることを自覚させられてしまった。

気を抜けば、周りで人が死ぬ。

橘には絶対に言えないが、今回はラッキーだった。

相手が彼女を標的にしてくれたおかげで、相手を撃退することに成功した。

しかし、これから先はどうなっていくのか分からない。

いつ、どこで誰が敵になるのかも分からない。

得体の知れないものを相手取っているような不安感を抱くようになっていた。



[20756] 勉強会 その二
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/24 00:58
前話の終盤、優季×柊栖のシーンは『今は』書きません。

また、いつの日か!

~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~

「明日の放課後って暇?」

昼休みに入って、弁当を手にした橘が俺の元へやってきて、そう言った。

「ん、限界か? それなら何が何でも時間作るけど」

「……私が何か言うと、その話だと思うのはやめてくれないかな?」

不機嫌そうに口を尖らせて彼女は言う。

もう少しいじってやろうかと思ったが上村もやってきたので、これ以上この話を続けることはできなかった。

最近はこの二人のどちらかと食事をすることが多かったけど、二人一緒というのは珍しかった。

「ああ、暇だけど」

明日は土曜日。

まだ週休二日になっていないため、午前中の三時間だけ授業がある。

しかし、昼からは暇だった。

部活をしていない俺にとっては、いつも暇なのだけども。

俺のスケジュールはいつでも真っ白、暇で埋め尽くされていると言っても過言ではない! ……過言だけども。

「じゃあ一緒に勉強しない? もうすぐ期末テストだし。前回の中間テストは十位以内に入ったんでしょ」

あっれぇ……隠してたはずなんだけどなぁ、どこから漏れたんだろう?

視線を横に移すと上村が視線をそらす。

やはりお前か。

机の下で上村の脛に向かってコンパクトに蹴りを放つ。

苦痛に顔を歪めた彼がうめく。

「ああ、構わないけど」

恨みがましく睨みつける上村を軽やかに無視して承諾する。

「そう、良かった」

そういって笑う彼女にどきりとする。

可愛い系の西浦と違って、この子は綺麗だなと思う。

まぁ二人とも美少女には変わりない。

「お、俺も行く!」

目の端に涙をためた上村が言った。

どことなく必死に見えるのは気のせいだろう。

「それともう一人誘いたいんだけど」

「誰かしら?」

「西浦」

それを聞いて俺は固まってしまう。

こいつ、俺の思考を読めるのではないか、と思ってしまうほどのタイミングだった。

何だかメンツに少々不安を感じるのだが、気のせいだろうか?

……気のせいであってほしいな。

橘はそんな俺をよそに快諾してしまう。

こうして俺たち四人は明日、橘の家で勉強会をすることになった。



次の日、三時間目を終えた俺たちは一度解散して、食事を取ってから橘の家に再集合することになった。

家に着いて、母親の作った昼食を手早く済ませ、着替えてから、まだ手のつけてない教科書を鞄に放り込んで準備を進める。

「どこか行くの?」

振り返ると優季がいた。

「ああ、勉強会」

「かなみさんと?」

何故、この子はこんなに鋭いんだろう?

まぁ優季が俺の友人関係を、それぐらいしか知らないって要素もあるんだろうけど。

優季は俺の絶句を肯定と取ったらしく、楽しそうに顔を歪める。

俺にとっては楽しくなさそうなことを考えてそうなので、逃げるようにして俺は家を出た。

俺に吹き付ける冷たい風に少し早かったかな、と後悔したけど遅くなるよりはマシだ。

俺は自転車に跨って、ペダルを強く踏み込んだ。

もうすぐ十二月、もう冬だった。

俺にとっては、あまり楽しくないイベントが待ち受けている。

そう、クリスマスだ。

まもなく彼女いない暦二十四年を全うし、二十五年目に向かう俺とってクリスマスなんて無縁の代物だった。

毎年、家族と一緒にケーキを頬張り、高校に入った辺りからは親の悲しげな視線にも耐えてきたんだ。

あの何ともいえない残念な何かを見るような目。

そそくさと自室に戻って、涙で枕を濡らしたものだった……。

ちょっと真剣に人生をやり直そう。

まさに今、そう固く誓った。

それと同時に橘の家に着く。

家の前に止まる二台の自転車。

もう二人は来ているらしい。

俺はインターホンを押して、反応を待つ。

どたどたと足音が聞こえて、ドアが開く。

「やぁ、いらっしゃい」

満面の笑みを浮かべた西浦と橘が迎えてくれた。

ああ、先ほどまで自身でほじくり返していた傷が癒えてように感じた。

お邪魔します、と断って俺は玄関をくぐった。

初めて入る彼女の部屋。

思ったとおりというべきか、可愛らしい感じはあまりせず、落ち着いた雰囲気の部屋だった。

そこには上村も待っていた。

「じゃあ飲み物を準備してくるから、先に勉強始めといて」

「ああ、手伝お……」

「あ、私が行くよ!」

俺の言葉を遮るように西浦が元気に言う。

何か元気よすぎだとも思ったけど、気のせいだろう。

そして先に出て行った橘を追って西浦も出て行く。

出て行く間際、上村の方を見て頷いたように見えたのは……気のせいだろう。

気のせいであってくれ。

部屋に残された男二人。

俺は言われたとおり、鞄から教科書を取り出して勉強に入ろうとした。

「なぁ?」

「……ん?」

「お前って橘と付き合ってんの?」

「いいや」

危惧していたことではあるけど、俺たちはそんな甘い関係じゃない。

俺は開いた教科書から目を離さずに否定する。

「じゃあ西浦のこと、どう思ってんの?」

予想外の質問に視線が上がり上村と目が合う。

緊張した面持ちの彼。

何故、そんな真剣に聞くかな?

答えにくいので同じ質問を投げかけてみる。

「お前は西浦のこと好きなのか?」

「いや、俺は……お前には何か言いにくいけど、もちろん優季が好きだ」

照れ笑いを漏らしながらも真剣に答える。

俺たちの実年齢に五ぐらい足されたときに、そんなこと言われたら「妹はやらん!」とか言いそうだったけど、今はまだ中学生。

気にすることはないと自身を落ち着ける。

「だったら何で、そんなことを聞くんだ?」

「お前、やっぱり気づいてないんだな」

残念そうに彼はため息をつく。

「え、何が?」

俺の軽い言動が気に入らなかったのか、上村が俺の胸倉を掴んで引き寄せる。

「あいつはお前のことが好きなんだよ!!」

叫んだ彼は本気で怒っている。

誰が俺を好きだって?

落ち着け俺。

今はこれ以上、この話を続けるのはまずい。

上村は気づいていない。

すぐ扉の向こうに、二人がいることを。

しかし衝撃の事実に取り乱した俺は、冷静な判断を下せなかった。

「誰が俺を好きだって?」

「まだ分からねえのか? 西浦だよ」

「そうなんだ」

「そうなんだ、ってお前……」

俺の服を掴む彼の手が震える。

これ以上、怒らせるのもまずいな。

彼の手を引き寄せて、耳打ちする。

(落ち着け、今は答えることができない。すぐそこで二人が聞いている)

驚きの表情で扉を見つめる上村。

(マジか?)

(ああ、聞き耳を立ててそうだ)

そういって俺は気配を断って扉に忍び寄る。

ノブを回して一気に手前に引くと、思ったとおり二人、真っ赤な顔を両手で隠そうとしている西浦と驚きの表情を浮かべた橘がいた。

「何してるんだよ」

俺の問いに二人とも口をパクパクとさせるだけ。

「早く勉強しようぜ、時間が勿体ない」

嘆息しながら柄でもないことを言ってみたが、三人とも固まっている。

「え、ええ、そうね」

場を取り繕うかのように橘が明るく言い、やっと三人が動き出す。

三人が席につくと、今度は痛いほどの沈黙。

面倒だなぁ、本当に……。



「ごめんね、手伝わせて」

かなみが私の後ろでお菓子を持ってきてくれている。

一人だと二往復だったし、本当に助かった。

「ううん」

そういって明るい笑顔を炸裂させる。

これで大抵の男はノックダウン、羨ましい限りだ。

しかし、ふとその顔に迷いが生じる。

「ん、どうしたの?」

私は聞かずにはいられなかった。

かなみがこんな顔をするのは珍しい。

彼女とは幼稚園からの付き合いだから、よく分かる。

「えっとね」

戸惑っているように見える彼女、しかし次の瞬間には覚悟を決めたように私の目を見据えた。

「南雲くんと付き合っているの?」

……。

「へ?」

「い、いやごめん、何よでもないから」

笑ってごまかそうとする、かなみ。

ははん、そういうことかぁ。

顔がニヤつくのを抑えきれない。

「柊栖のこと、好きなの?」

私の直球に、かなみは顔を真っ赤にさせて、お菓子の袋を取り落とす。

可愛いなぁ、本当に。

慌てふためく彼女を見ていると自然と頬が緩む。

「え、えっと、そのあの……」

「私は付き合ってないよ、ガンガンアタックしちゃいなよ」

「ふぇっ!? そ、そんなこと……」

『あいつはお前のことが好きなんだよ!!』

階段を上りきったところで部屋から聞こえる叫び声。

上村くんの声だった。

え、何、修羅場中?

再び顔をニヤつかせて私はこっそりと扉に耳を当てる。

(そ、そんなことしちゃ……)

(しーっ! ほら、かなみもさ)

やっぱり興味があるようで顔を真っ赤にさせながらも、かなみも耳を済ませる。

しかし、中から会話は聞こえてこない。

不気味なほどの静寂、気づいたときには遅かった。

突然、向こう側に開かれる扉。

彼が……柊栖が呆れたような表情でこちらを見下ろしていた。



「ねぇ、ここどうやって解くの?」

橘が問題集を俺に向けて問う。

それに応じてやると、すぐ納得いったようで再び問題を解き始める。

しばらく時間が経って勉強に集中し始めたためか、先ほどの微妙な雰囲気はどこかへ行ったようだ。

俺はそれに安堵して、自身の勉強を進めるふりをした。

正直、勉強どころじゃなかった。

彼女……西浦が俺のこと好きだって?

先ほどの上村の言葉が頭でぐるぐるとエンドレスで回り続ける。

勉強なんぞに集中できるものか。

何で、こんなタイミングで言うかな……。

俺は教科書から視線を外して、西浦を見る。

今は勉強に集中しているのか、こちらの視線には気づかない。

俺は静かに息を吐ききって、再び教科書に視線を戻した。

「んー、ちょっと休憩にしましょ」

背伸びした橘が提案する。

時計に目をやると、もう二時間近くたっていた。

「ところでさ、皆好きな人いるの?」

ニヤついた橘が皆に問う。

それを聞いた上村と西浦は固まり、俺はため息を吐いた。

このタイミングでこの話題、こいつは確信犯だ。

「俺はいるぜ」

人の気も知らずに上村が答える。

「へぇ、誰なの?」

「南雲の妹の優季ちゃんって言うんだ、ちょっとわがままだけど可愛いんだぜ」

西浦もうんうんと首を縦に振る。

……ちょっと、じゃないだろう。

「柊栖は?」

ニヤついたまま橘が俺に話を振る。

「いるけど、今は言うつもりはないな」

聞かれる前に釘をさしておく。

男らしくないと口を尖らせて俺を責めるが、そんなことで俺の心は揺るがない。

黙殺して、俺はお菓子をひと欠片、口に放り込んだ。

「かなみは?」

まぁ順当に行けば、そうだろうなと思っていたけど。

話を振られた彼女はしばらく固まって、後に顔全体を真っ赤に染めた。

俺と目が合ったときには、ついに俯いてしまった。

そんな西浦の様子を見て、可愛いなぁと橘が抱きつく。

眼福だなぁ本当に眼福。

美少女が目の前で二人もつれ合うなんて。

こんなの同人誌とかでしか見れないんじゃないかな?

「そんな話しにきたんじゃねえだろ、勉強再開だ」

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、休憩を取り始めてから三十分ほど経っていた。

横に置いていた教科書を手に取り、俺は勉強を再開した。

つまらない男だなぁと橘に嘆息されたけど、無視した。



時計に目をやると、もう五時をさしていた。

周囲も日が沈み始め、随分と暗くなってきている。

ここらでお開きにしようと提案し、橘に見送られて俺たちは家を出た。

しばらくして上村と別れ、俺は西浦と二人になった。

徒歩の彼女に並んで、俺は自転車を押す。

痛いほどの沈黙、やはり先ほどの件でかなり気まずい。

先も言ったとおり俺の恋愛経験値はないと言っても過言ではない。

いや過言というか事実、そうまさに零、完全なるゼロだ。

「なぁ」

何を考えたのか、俺は彼女に呼びかける。

「は、はい?」

裏返った彼女の声。

どう切り出したものか、頭の中が湧き出してきた得体の知れないものでパンク寸前だった。

その得体の知れない物の中にある、確かなもの。

それを言葉にして紡いでいくしかなかった。

「俺は……」

不意に蘇る嫌な記憶。

急に激しい自己嫌悪の念が俺を襲う。

ああ、そうだったな。

あれのせいで俺は恋愛から逃げ、異性から逃げ、対人関係からも逃げるようになっていった。

そして俺は徐々に色々なことを諦めて、無関心になっていった。

俺は怖い。

今、ここで俺の気持ちを紡ぎだして、相手に伝えることが怖かった。

それと同時に思い出してよかったとも思う。

あんな情けない思いは二度としたくない。

もう考えるのはよそう、俺は自身の気持ちをストレートにぶつけよう。

速まる鼓動、頭の芯まで侵食する熱。

冷たい外気を大きく息を吸って、クールダウン。

少し落ち着いたように思う。

……ちょっと卑怯だよなと思う。

だって、もう相手の気持ちは知っているのだから。

不安そうに俺を見つめる、彼女に正面から向き合い俺は覚悟を決める。

「俺はお前が好きだ」

静かに、だけどはっきりと言えた。

呆然とする彼女。

そして、その表情が少しずつ驚きに満ちていく。

「えっと……本当?」

「うん、本当」

途端にあの笑顔がはじける。

「私も南雲くんのこと好きだよ」

その一言が俺の脳髄に響いて、思考が完全に停止する。

余裕がない。

俺のキャパシティを軽く凌駕する感情と思考に頭が真っ白になる。

体は自然に動いていた。

支えを失った俺の自転車は俺の後ろで倒れ、音を立てた。

伝わってくるのは彼女の体温。

俺は彼女を引き寄せて抱きしめていた。

いくらなんでも、やりすぎたかなってあまり余裕のない頭で思うけど、彼女は抵抗しなかった。

俺は今までこれほどの感情を殺して、諦めて生きてきたのか。

生きることに深く絶望し、暗闇の底に沈んでいた俺。

もう取り返しのつかないところまで来ていると思っていた。

それを一瞬で光の当たるところまで引き上げられたように感じた。

十年以上、殺し続けていた人間らしい感情が再び活動し始めた。

この時、やっと俺は確信できた。

俺はやり直せる、彼女と一緒に。



[20756] 初デート
Name: 真宵◆86d51036 ID:94c95cf9
Date: 2010/08/25 15:29
「ご機嫌いかが?」

悪くない、と答える俺に橘が嬉しそうに声をかけてくる。

期末テストも終わり短縮授業に入っため、今日も三時間目で終了。

さっさと帰る準備をして、西浦のクラスに向かおうとしていた途中だった。

あの日から俺たちは付き合っている。

初めての異性との関係なので、彼女には色々と迷惑をかけていると思う。

そう考えると情けないのだけど、それ以上に俺は毎日が新鮮で嬉しかった。

こんな生活、想像もしていなかった。

俺の中で息を吹き返した感情が日に日に育っていく。

世界が根本から変わってしまったと言われても今の俺なら信じることができるだろう。

そんな劇的な変化を俺は遂げていた。

破壊衝動? 何それ、おいしいの? って感じだ。

それと共に前の人生で犯してきた罪についても強く意識するようになった。

消えることのない罪。

俺はそれを背負って生きていくしかない。

それを振り払って、俺は橘を見た。

「お前は大丈夫なのか?」

彼女の体質を考えるに、多少心配な時期に差し掛かっていたのだけど、彼女は大丈夫と笑顔で返す。

「そ、れ、よ、り、さ! もう、かなみとデートした?」

「いや、まだ」

一緒に帰るようになったり、休み時間もよく西浦に会いにいったりするようになり、俺たちが付き合っていることは周知のことだった。

時々、男性陣からの恨みがましい視線を受けるけど。

二度目の人生は男との関係がやたら悪化していた。

俺の返答に橘は呆れたように嘆息する。

「あの子は引っ込み思案なところもあるからさ、あんたから誘わないとダメだよ?」

「あの西浦が引っ込み思案?」

「あーもう! まだ苗字で呼んでるの、あんた!?」

ついに耐えかねたと言わんばかりに怒り出す彼女。

おいおい、無茶を言わないでほしい。

俺の恋愛経験値は未だ初心者の域を出ていない。

そんな経験不相応の行動を取ったら一撃でノックアウトされそうだ。

俺にとって恋愛は未知のもの。

未知とは怖いものなのだ。

「本当に馬鹿だねぇ、あんた」

俺の言い訳に嘆息しながらも彼女は続ける。

「挑戦しなきゃ経験値もたまらないでしょう? と、言うことでデートに誘いなさい」

その後、三十分ほど彼女の講義をみっちりと受け、最後にはデートに誘うことと西浦をかなみと呼ぶことを約束させられた。

廊下に出ると西浦が待っていたようだ。

「あ、ごめん。随分と待たせたよね」

「ううん、何か真剣そうな話だったし」

いつも迎えにくる俺がいつまで経っても来ないため、彼女は俺の教室の外で待っていたらしい。

あまりにも橘の熱弁に集中していたため、それが終わるまで俺も気づけなかった。

不覚……。

いやいや、こんなところで気落ちしている場合じゃない。

俺には大切なミッションが橘教官から言い渡されている。

俺は早速、明日の予定でも聞いてみることにした。

「明日の放課後、空いてる?」

「うん、空いてるよ」

俺の質問に目を輝かせて彼女は答えた。

「どっか遊びに行かないか?」

「うん!」

待っていました、と言わんばかりの即答ぶりだった。

俺は放課後に彼女の家に迎えにいくと約束して、その日は別れた。



心臓が痛いほど強く速く鼓動を打ち続けている。

初デートというプレッシャーに俺は潰されそうだった。

その日はあまり眠れず、午前中の授業にもまったく身が入らず、そわそわとしていた。

「柊栖……あんた大丈夫?」

「だ、大丈夫さ」

答える声が裏返って少々恥ずかしかったが、一瞬でそれを飲み込むほどの緊張に包まれていた。

上村も橘も、そんな俺の様子を心配そうに見送った。

西浦と一緒に帰っている間も、彼女は楽しそうに話し続けるけど、俺は話を聞くので精一杯だった。

相槌と返事でしか応じない俺に、西浦は不機嫌そうに愚痴るけど勘弁してほしい。

「もしかして緊張してるの?」

「そ、そんなことはない! 断じて!」

俺に残っているひとかけらの男としての意地が断固否定しようとしたが、その意地はすぐに折れた。

「……ごめん、本当はめっちゃ緊張してる」

そんな俺を見て噴出す西浦。

「柊栖くんでも緊張するんだね」

「お前は俺のことを何だと思っているんだ?」

「んー、何だろうね」

そういって笑う彼女。

いつも通りの彼女を見て、俺も少し余裕が持てた。

しばらくして西浦と別れて、家へと急ぐ。

時間にどれぐらい余裕があっても今の俺に困る要素はない、だから急ぐ。

気持ちを落ち着ける上でも、役に立ってくれるだろう。

昼食を終えて着替えを済ませると今一度、デートコースのおさらいをした。

どうするか随分と迷ったが買い物と映画どっちがいい? と聞くと見たい映画があるということなので、またあの映画館に行くことになった。

時間があれば、そこで買い物だってできるし、問題はないと思われる。

その後は食事なのだけど、中学生の小遣いでは色々と厳しいため、そのままフードコートで取ることになるだろう。

それでも時間が余ったらと危惧していたが、初デートなので遅くまで連れまわすのも良くないと思い、ある程度で帰ろうと考えていた。

それで彼女が納得し、満足してくれるだろうか?

あー、また緊張してきた。

場所の設定も問題ないと思われる。

後は俺次第、ということだ。

そんなことを考えていると、時間もいい頃合になったので西浦の家に向かった。



彼女の家に着き、少し迷ってからインターホンを押す。

たった、それだけの動作なのに心臓の鼓動が驚くほど速くなる。

しばらくして西浦が出てきて、とびっきりの笑顔を俺に向けた。

「ごめん、お待たせ」

「ううん、全然」

とだけ答えて、また会話が途切れる。

「もっとリラックスしなよ?」

「で、できるものなら、既にしている」

「えぇ……それ言い切っちゃダメだよ」

そんな俺を見て彼女は苦笑を漏らす。

俺は西浦の家の敷地内に自転車を止めさせてもらって、駅まで歩くことにした。

ここから駅までは五分も歩けば着く距離なので、自転車を使う必要もなかった。

いい立地条件だなぁ、と現実逃避をかましてみる。

しかし、逃げ切れなかった。

楽しそうに今日見る映画のことを話す彼女。

それを見ているだけで随分と救われた。

気を遣われているなぁと思い、自嘲気味に苦笑してみた頃、俺たちは駅に着いた。

「ねぇ」

「うん?」

「どうして急に誘ってくれたの?」

内心が氷点下を軽々とぶっちぎって一瞬で凍りついた。

ここで橘に言われたから、なんて言ったらお仕舞いだ、完全なるBad Endである。

確かに、俺が率先して立案したのではないのだけど……どう答えたものか。

「いや……ほら期末テストも終わって短縮授業入ったし、今なら誘っても問題ないかなぁって」

至極、無難な理由で危機を回避。

西浦も納得してくれたようで、ばれないように胸をなでおろした。



「久しぶりだねぇ」

駅から歩いてすぐ、目の前には映画館やアミューズメントパークが併設された、あのショッピングモール。

平日だというのに、随分とにぎわっている。

不意に以前来たときの忌まわしき記憶が脳裏をかすめる。

そうだな、と答えた俺の声のトーンも自然と下がっていた。

あの頃から考えると随分と落ち着いたものだけど。

「ほら入学式の日、トイレの前で初めて出会ったでしょ?」

言われて思い出す。

彼女とは、そこから始まったんだ。

「あの時は少し怖かったな」

「え、そうなの?」

「うん、どこか思いつめた雰囲気だったから」

確かに、この時間に戻ってきたばかりで思考がまとまらず、混乱していたのを思い出して苦笑する。

「そして二回目と三回目はね、本当に怖かった」

二回目と三回目、映画館のときと勉強会のときだろうか?

確かに二回とも俺は殺気立っていた、今更だけど本当に悪いことをしたなと思う。

「あの時は悪かった……その度に俺は君に救われたな」

「ううん、そんなことないよ。そして次はね、課外授業。気づいたら好きになってたの」

俺が彼女を守った、あの課外授業。

結果的には橘も守ったことになるのだけど、あの時の俺は君のことしか頭になかった。

「でも、その後も俺は君に救われた」

そうだっけ? と照れた笑いを返してくる彼女。

「本当に感謝しているんだ」

俺を変えたのも、俺の世界に彩りと感情を取り戻してくれたのも君だ。

だけど、これ以上は言えなかった。

格好つけすぎだ、それを彼女に伝える自分を想像しただけで赤面できる。

だから、この話はこれで最後。

「ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

そういって笑う彼女。

自然とお互いが手を取り合って、俺たちは映画館に並んで歩いていた。



後日談、人生って素晴らしいよな。

まぁ知ったのは最近だけど。

二十四年間、人生の素晴らしさを知らなかった俺が、よく生きてきたもんだ。

まぁ生きながら死んでいたようなものだけど。

自然とゆるむ頬。

俺は完全にデレていた。

そんな俺に残念そうな視線を向ける二人。

俺の気持ち悪さに二人とも顔を引きつらせている。

「いやぁ人生って素晴らしいよな?」

「それ、今日何度目?」

うんざりと言わんばかりに盛大なため息をついた上村が答えるけど、今の俺には無駄だ。

今の俺、空気読まない人だから。

決して読めない人ではないんだよ、ここ重要。

「いやぁ世界に色が戻ってきたかのような感覚だよ」

「大げさだなぁ」

最初はデートの成功を祝ってくれた橘だったけど、俺のデレように苦笑を禁じえなかったようだ。

俺は初デートをそれなりに成功させて、他人から見ると鬱陶しいほどの幸せオーラを放っているらしい。

つまり、痛い子だ。

分かっていても、これは止められない。

自然とデレてしまう。

「完全にキャラが壊れてるよな」

初期設定はどこにいったと上村が嘆く。

初期設定? そんなのこの世には存在せぬ!

喋っている間はデレて、喋らない間はずーっとニヤニヤしている。

それが今日の俺だった。

自分でもキャラ崩壊しすぎなのは理解しているけど、恋とか愛とかって人間にこれぐらいの変化をもたらすのかもしれない。

実際、自身の変わりように驚いているのも事実。

でも、そろそろ自重したほうが良さそうだ。

数少ない俺の味方である、この二人も少々うんざりしている。

上村まで敵に回せば、この学校の男性陣のすべてを敵に回してしまうことになる。

それは避けたいところだ、いじめられたりしたら泣いてしまう。

相手が、かもしれないけど。

しばらくして予鈴が鳴る。

今日は二学期の終業式だった。



終業式を無事に終えて、教室に戻り、通知簿を渡されて解散。

周りは通知簿の評価で一喜一憂しているが、俺は見るまでもなかった。

俺は上村と橘に別れを告げて、さっさと教室を出た。

もちろん向かうところは決まっている。

「どうだった? 通知簿」

「ん、まだ見てない」

帰り道、かなみに聞かれたけど、実際見てなかったので答えようがなかった。

「んー? そんなに成績見るのが怖いの?」

楽しそうに俺の顔を覗き込んでくる彼女。

「いや、別に。見る?」

そういって鞄から通知簿を抜き出す。

「え、いいの?」

首肯すると、彼女は通知簿を受け取って開く。

「うわ、何これ!?」

「お前も似たようなもんだろ?」

「いやいやいや、全部最高評価の五だなんてありえないってば!」

「え、そう?」

かなみから通知簿を受け取ってみると、確かにそこにはすべて五が並んでいた。

いや、まぁ当然なんだけど。

だって俺、二十四歳。

ちなみに、この成績は一学期も同じ。

俺はこれが出来て当然。

むしろ未だにテストで一番が取れていないことが、非常にもどかしかった。

一体、俺は前の二十四年で何をしていたのだろうか?

まぁ言わずもがなって感じだけど。

ちなみに同級生からは将来、恐ろしい奴が現れる。

そいつは、俺にこう言ったんだ。

「僕、英語嫌いだし、留学するお金ないから、とりあえず東大で妥協するよ。国公立だし学費も安いしね」

……こいつがいる限り、俺は永遠に一番を取れない気がする。

本当の天才とはいるものなのだな。

「本当に凄いねぇ……」

彼女に褒められると、くすぐったい。

どうしても照れてしまう。

どんだけデレるの、と自身に軽く突っ込みたい気分だ。

自身からは「仕様だ、我慢しろ」と返ってきそうなのは気のせいだろう。


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