10/08/18
皆さん、こんにちは。
私の勤務先は夏休みが二日しかなく、土日を挟んで、8/13-16が、今年の夏休みでした。
毎年同じように思うのかも知れませんが、今年は格別に暑いですね。夏バテのような感じを初めて持ちました。冷房への対応力が衰えているのかも知れません。
8/13(金)
劇団四季 『美女と野獣』
新しく出来た大井町の劇場、「夏」で観ました。幸せなミュージカルでした。
8/14(土)
倉本聰・富良野Group
『歸國』
赤坂ACTシアター 13:00の公演
17:00〜カトリック山手教会
ロザリオの祈り、ミサ、野外パーティ
21:00〜
TBSテレビ 倉本聰
『歸國』 テレビ・ドラマ版
劇場版とテレビ・ドラマ版に、内容の差はほとんどありませんでした。作者の伝えたいものは寸分違わず同じと思います。ただ「迫力」が、どうしても「劇場」が優りますね。生の人間と「画面」の差でしょう。テレビ版も十分に優れた作品でした。私はテレビ・ドラマというものを数年ぶり、というか、前にみた作品が何でいつか、まるで記憶にないほど、久しぶりに観ました。
8/15(日)
カトリック山手教会 聖母被昇天の祝日ミサ
15:00〜靖国神社
例年私は午前中に靖国へ参り、その後で聖母被昇天を祝います。山手教会では15日の手前の土曜日に聖母被昇天を祝い、続いて中庭でパーティがあります。だから15日、靖国を優先したのですが、今年は15日が日曜になりました。そしてこの日は主任司祭のご意向もあって、ミサ通常文、主の祈りはグレゴリオ聖歌で捧げられることになっていました。
グレゴリオ聖歌をもっと積極的に使って行きなさい、(山手は特に外国人が多いのだから)、というのは、横浜教区長・梅村昌弘司教のお考えです。この夜も私たちの指揮者M氏が司教様と話され、「それが教皇様のお考えですから」との明確に話されたそうです。横浜教区は、噂に聞く二三の教区に比べ、恵まれていると思います。横浜教区にもラテン語聖歌やカトリック聖歌を「迫害」する聖職者はいます。山手教会は逆に主任司祭の司教様に沿ったと思える意志が、どこかで堰き止められています。しかし時間はかかろうとも教区長、主任司祭の考えははっきりしているのですから、安心できるのです。
ということで今年は3時少し過ぎに大鳥居をくぐりました。随分参拝者が多いように感じました。この時間帯の参拝は初めてなので比較できませんが、拝殿へ向かう者と帰って来る者が、ほとんど同数でした。実際に今年の参拝者は例年になく多かったようです。国民はそのように反応したのです。産経新聞によると今年の参拝者は16万6千人。昨年の15万6千人、一昨年の15万2千人を、大きく上回ったそうです。

15時12分、拝殿へ向かう人々

私に話しかけてきたアイルランドの青年。自分もカトリック教徒であると言いました。
「カトリック教徒が団体で来ているのか。」
「団体ではない。数人の仲間と落ち合うだけだ。」
「デモをするのか。」
「デモなどしない。」
「カトリックは靖国神社を応援しているのか。」
「応援している者もいるし、敵対している者もいる。靖国に祀られているカトリック教徒もいる。」
「靖国を救ったのはカトリックの神父さんだったと聞いている。」
横で話を聞いていた日本人の私と同年配の方が、
「ビッテル神父。ブルーノ・ビッテル」
と言い、私たちの写真を撮ってもいいか、とおっしゃるので、どうぞ、と言いました。
私は敬愛するアルフレッド・バーク神父の名を出しました。
「それはアイルランドの名です」と言いました。
バーク神父はシカゴ出身ですが、アイルランド系移民の家系です。お兄様も神父様で、フィリピンに派遣されていたと聞きました。ご高齢なので引退なさったかも知れません。
この23日はアルフレッド・バーク神父のお誕生日です。
「バーク神父様のバースデーは私たちの祝日です。」
と案内にあります。この日を『バークデー』と名付けています。
みんなに案内すると収拾がつかぬほど大勢あつまる可能性があるので、内輪で集まります。同じことを考えるグループが他にもあるはずで、バーク神父を囲んだささやかなパーティが、あちこちで開かれるものと思います。80歳。私より一回り上の午年です。1930年生
野村さんですね、と挨拶して下さる方が何名かいらっしゃいました。立ち話で、私は名前の記憶力が弱く、かつ憶えていてもご連絡しようがありません。このページをご覧頂いている方々のようなので、お礼と共に今後ともよろしくお願い申し上げます。


前日14日の山手教会・野外パーティ
フィリピン女性のダンスとご覧になる梅村司教です
8/16(月)
16:00〜シアターN渋谷
『樺太1945年夏 氷雪の門』
この映画は泉幸男氏のブログで知りました。
力をこめた、渾身の力を振り絞った力作でした。この映画が上映できなかったときの関係者の落胆は、正に「断腸の思い」だったと思います。フィルムが、よくぞ残されていました。
自衛隊が戦車を繰り出し、実弾発射で協力していますね。今なら、考えられぬことです。(訂正8/20、最近も角川映画等で協力があったそうです。具体的な作品を私は知りません)。当時の防衛庁長官が誰であったか、調べてみたいと思います。(ざっと検索して、1950年以前の長官名が出てきません)
よく知っている女優さんたちが若い娘役で出てきます。
今の同じ年代の女優が演じたとして、顔形がまるで違っているように思います。私の錯覚かも知れませんが、顔の骨そのものが変わってしまったようです。心も、おそらく。
ソ連の圧力によって上映できなかったそうです。ただ私の邪推ですが、昭和49(1974)年というのはまだまだソ連を崇めるマスコミ人も多く、日本内部に、多くの“ソ連派”がいたのではないかと思います。
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短い夏休みでした。
暑さはまだまだ続きそうです。
靖国参拝中も、私たちはたっぷりの水が入ったペットボトルを持って歩きます。
戦場にどれほどの渇きと飢えがあったか、想像することも出来ません。
靖国参拝も、所詮は平和を享受する者の自己満足と、私は自分をそう思っています。英霊は決して慰められはしないだろうと。
境内で兵隊の格好をした者がいます。何を思うてかは知らないけれど、私にはオチョクリとしか見えない。不愉快な風景です。失礼と思う。
日本は、どうなって行くのだろう。
行方不明の老人、虐待される幼児、平然と悪を為す政治家、
この時期になると私は毎年、小堀桂一郎先生が記した、「某戦争未亡人」の歌を詠みます。
かくばかりみにくき国となりたれば
捧げし人のただに惜しまる
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