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◆第92回全国高校野球選手権大会最終日 ▽決勝 興南13─1東海大相模(21日・甲子園)深紅の大優勝旗、ついに沖縄へ―。興南(沖縄)が東海大相模(神奈川)を13―1で下し初優勝、春夏連覇を達成した。1958年に首里が初出場してから52年。沖縄県勢として初めて夏の頂点に立った。春夏連覇は松坂大輔(現Rソックス)を擁した98年の横浜以来、史上6校目となる。トルネード左腕・島袋洋奨(ようすけ・3年)は1失点完投。全試合先発での年間11勝は史上初の快挙だ。
琉球の風が、小さな大エースの背中を押した。9回2死。141キロの高め直球で空振り三振を奪うと、島袋は黄色いグラブをたたいて笑顔を見せた。山川大輔捕手(3年)と抱き合った。歴史が動いた。春夏連覇だ。沖縄県勢が悲願だった夏の頂点に上り詰めた。
「県民のみなさんも喜んでくれていると思う」。4万7000人のスタンドを見渡し、海の向こうへ思いをはせた。6試合で783球を投げた主役は「暑い中、一生懸命な応援、本当にありがとうございました」と丁寧なお礼を忘れなかった。
初回、先頭の渡辺勝(3年)に直球を中前に運ばれた時、山川と目が合った。「変化球攻めで行こう」。1死一、二塁から大城卓三(3年)をツーシームで併殺打に打ち取り、この日の投球スタイルが決まった。
センバツが終わったころが一番辛かった。不安だった。「直球勝負だけで夏は勝ちきれないのではないか」。山川と時間をかけたのが、落ちる変化球の精度を高めることだった。9回以外は変化球勝負を徹底。2年春の初めての甲子園では19奪三振で敗れたが、ラストゲームは最少の4奪三振で勝った。我喜屋優監督(60)は「(今までの)逆のパターンでいった。これが島袋洋奨」とうなった。
夢も変わった。2年までは投球フォームへの研究が高じて、教員やスポーツトレーナーに興味を持っていたが、3年のセンバツ以降はアンケートの夢の欄に「プロ野球選手」と記した。「今すぐじゃない。でも子どものころにいいなあ、と思っていた気持ちが、少し出てきたから」と心の変化を口にした。
夏の県大会前、送り迎え役の母・美由紀さん(47)とは車中で会話はほとんどなかった。ところが甲子園に出発する朝。兄・隼平さん(21)、姉・絢乃さん(20)、そして母とギュッと握手して出かけた。小学校時代、登校前に必ずしていた島袋家の儀式だった。言葉以上の力をもらったエースは「ありがとうと言いたい」と、家族の支えに感謝した。
沖縄に帰ったら、行きたいところがある。幼なじみで今大会13打点と援護してくれた慶田城開(3年)と昔遊んだ今帰仁村(なきじんそん)の海。「プレッシャーのおかげでここまで来れた。みんなと喜び合いたい」。ふるさとは大騒ぎだろう。夢を形にしたヒーローを、きっと温かな笑顔で待っている。
(2010年8月22日10時54分 スポーツ報知)