「恐縮です!」と言いながら、いきなりマイクを突き出す直撃取材で知られ、芸能リポーターの先駆け的存在だった梨元勝(なしもと・まさる)さんが21日午前5時19分、肺がんのため東京都渋谷区の病院で死去した。65歳。東京都出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く。喪主は妻玲子(れいこ)さん。梨元さんは今年6月にがんを公表し、自身のブログやツイッターで闘病の様子を伝えるなど、最後までリポーター業にささげた一生だった。
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梨元さんの都内の自宅には報道陣約20人が集まった。一人娘で、タレントの眞里奈(30)は「また、後日、お話をさせていただきます」と頭を下げた。事務所関係者は梨元さんの葬儀が取材を制限する密葬になったことに「梨元の考え方ならこのような形はおかしいのでしょうが、家族にとっても突然で、お別れする時間もなかったもので…」と説明した。
夜には、近くの寺で親族ら約30人が参列し、通夜が営まれた。参列者は「梨元さんのお顔は元気な時の表情でした」と話していた。
梨元さんは体調を崩して入院し、今年5月末に肺がんと診断された。6月には自らがんを公表。自身のブログやツイッターでは、喫煙歴もなく肺がんになったことの驚きや抗がん剤による治療の様子もリポート。また、電話で芸能関係者への取材も続け、病床からの“スクープ”もあった。
梨元さんは法政大学を卒業後、出版社での女性誌記者を経て、1976年、テレビ朝日系の「アフタヌーンショー」のリポーターに転身。ワイドショーで芸能ニュースを追う「芸能リポーター」というジャンルを確立した。80年からフリーに。テレビやラジオ、雑誌など幅広く活躍した。
多才ぶりも発揮し、1990年にはデイリースポーツで芸能界を舞台にした小説「梨元勝の突撃Xプレス 虚飾の森をえぐる!!」を連載。2000年から4年間、函館大の客員教授、歌手活動やアダルトビデオの監督を務めたこともあった。
芸能取材の自主規制を批判するなどの発言でも知られた。近年テレビの出演番組は減ったが、携帯電話サイト「梨元 芸能! 裏チャンネル」を開設するなど、新しいメディアにも対応して情報発信を継続した。