長くなります。
この記事はある特定の人に私の主張が届いたら、
すぐ消すかもしれません。
なにしろ十年以上前の、
私も忘れかけていた出来事です。
*
そのころ私は女性漫画家と結婚していました。
彼女は二度目の結婚で、
前の夫とのあいだに娘がおりました。
前の夫も漫画家であり、
彼が描いた漫画には、
その娘が登場していました。
とある、
漫画評を載せている人気サイトに、
その娘のことを「心配する」かのような文面の
レビューが載りました。
「●●ちゃん、かわいそう……」
というような一文があったと記憶しています。
私は新しい家族である娘のことを
興味本位で話題にされたことに立腹しました。
もちろん「漫画家夫婦」がかつて
娘のことをネタにしていたのだから、
漫画評サイトにその娘の話題が出るのは
ある意味仕方ない。
けれどその書き方があんまりな感じでした。
そこで
「私の家族の心配をしてくださって
ありがとうございます。
しかし、この文脈で、
作品には直接まったく関係ない
娘の名前を出すというのは、
どういうお考えによるものでしょうか?」
(当時書いた文面はすべて、記憶による再現)
と、
疑問を呈するメールを出しました。
すると、
「自分はゴシップ的なものも含めて漫画評と考えている」
という文意の返信があり、
枡野さんがお怒りなら記事を消します、
といった提案がありました。
私は消せなんて一言も要求していません。
彼が自主的にそうしたのです。
それからしばらくして、
『漫画嫌い *枡野浩一の漫画評(朝日新聞1998〜2000)』
写真=八二一(二見書房)という本を私は出しました。
(現在は絶版。電子書籍での復刊を企画中です)
それは朝日新聞に連載した漫画評をまとめた本でした。
「批評」よりも「紹介」に
体重をかけた本だったので、
その旨をまえがきに書きました。
読者が買ってしまってから「期待はずれ」と
思わないようにとの配慮で。
すると、
くだんの漫画評サイトの主宰が、
拙著を批判するレビューを書いていました。
「まえがきで、
これは批評でなく紹介である、
とか書くのは逃げであり、
ずるいやり方である」
といった文意のことが書いてありました。
べつに拙著が批判されても全然いいのですが、
「枡野さん、これが私の正直な意見です。
もしご不満があったらやりとりしましょう!」的な
文面が添えられていました。
私は彼とは面識もないのです。
批評を書くときに、
面識のない人に対して、
そんな言いわけをする甘えた態度!
私は、
彼の漫画評サイトにリンクされている
掲示板に書き込みをしました。
その書き込みの全文は、
ある時期まで彼のサイトに公開されていました。
ぜひとも載せて欲しいと頼んだわけでもなく、
私の文はご自由にどうぞおつかいください、
と伝えただけですが。
私から彼に反論したことは、
記憶で再現すると、
こんな感じです。
・私は拙著のサブタイトルに「漫画評」と明記している。
「批評」であることから逃げているつもりは毛頭ない。
・「批評」より「紹介」のほうがレベルが上だとか、
書くことが困難だとか、考えたこともない。
・私は「紹介」に体重をかけた文を書くことに誇りを持っている。
中途半端な姿勢の漫画レビューが多くて辟易しているからだ。
・あなたがプロの書き手だからこんなふうに反論した。
あなた自身が、いつか漫画評を本にするときに、
枡野浩一みたいにはしない、と心に誓えばよい。
こんな安直な形で口先だけで私を「批判」し、さらに、
文句があるなら話し合いましょうみたいな、
腰のひけた文言を付け足すべきではない。
……まあ、だいたい、そんな内容です。
私のほうの反省点は、
以上の主張を、
他人の掲示板に書き込みすぎた点です。
その掲示板は、
複数の漫画レビュアーたちが共有している掲示板で、
私の書き込みの量が迷惑をかけている、
という側面はあったと思う。
その点は、掲示板の管理人である人と後年、
飲む機会があったのでおわびしました。
*
くだんの彼は当初、
私との「議論」を望んでいました。
しかし、そう言いつつも、
いつまで経っても私が書いた反論に応じないので、
私もついつい、
次々と掲示板に書き込みしてしまいました。
その「しつこさ」は我ながら、
これだから離婚されるんだよ……と感服します。
結局、その彼からは時間が経ってから、
「自分の大切な人が亡くなったので時間がとれなかった。
なのにしつこく書き込みをする枡野さんに辟易した。
議論する場所を別途つくろうと提案しても、
それに応じない枡野さんとは議論することは無理。
これで撤退させてもらいます」
といった文意の宣言が彼のサイト内に書かれました。
しかし、
じつは私に対しては、
別の内容のメールが届いていました。
その文面は、
拙著『日本ゴロン』(毎日新聞社)にも載せました。
「枡野さんとちがって、
私には失うべき地位も名誉もないので、
この論争からはおります」
という捨てゼリフでした。
私は、
彼のオモテウラある態度にあきれ、
もう関わらないようにしようと思いました。
彼が提案していた「新しい場所」で
議論するのがいやだったのは、
そんな、
話し合ってつくった、
お膳立てされた場所で仲良くやりとりするほど、
私たちの距離が近かったとは到底思えなかったからです。
繰り返しますが、面識もなかったのです。
彼は自分のサイトに、
私宛の最後のメールは載せませんでした。
過去の「娘に関するやりとり」も明記しませんでした。
「枡野浩一がこんなにしつこく自分にからんできた!
自分は大切な人を亡くして忙しかっただけなのに……」
という文意の弁明を切々と自分のサイトに書き、
私が書いた長々しい「反論」を転載し、
枡野浩一はしつこくて面倒くさい人間であると、
見事に印象づけてくれました。
まあ、しつこくて面倒くさい人間であるのは、事実ですが。
大切な人が亡くなったというのはお気の毒なことです。
そのような重要なことは、
もっと早い段階で伝えていただけたらと思いました。
そして私自身はいつか、
身内に不幸があっても、
そのことをなにかの言いわけには絶対につかうまい、
と誓いました。
亡くなった方に失礼ではないかと感じたからです。
なぜなのか、
その後もネットの書き手と揉めるたびに、
彼らは身内の不幸を理由に
論争を放棄してしまうのです……。
*
私の側から見た「事件」の全貌は以上です。
その後、
十年以上経って文学フリマで、
興味をひかれる評論の冊子を見つけました。
それを買って持ち帰ってから、
奥付に「彼」の名前を発見しました。
私に冊子を手渡した、
お子さんらしき少女をそばに従えた男性が
「彼」だったのでしょうか。
*
いまとなっては、
『漫画嫌い』も絶版になり、
当時の妻とも別れてしまい、
一時期は私の「娘」でもあった少女の、
父親である漫画家は亡くなってしまいました。
長い時間が流れました。
私はもう
「事件」の是非を論じたいとも思わないが、
私側から見えたものが、
こうであったということだけ、
書きとめておきます。