それにしてもゆかいなロジックではある。
これまでに数え切れないほどの牛や豚を殺してきた人たちが、今回だけは殺すことを「かわいそう」と言っているのが理解できないだけです。
彼女氏の中では、生き物をかわいそうだと思うことと殺すことが絶対に両立しない。今までゆわなかっただけでそう思ってました、というのは証明不可能なので彼女大勝利!故に今まではかわいそうだと思っていなかったというロジック。たとえ実際の農家の人が「かわいそうだと思っています」と証言しても、
「ウソだっ!あなたのはそう思っているだけで<かわいそうの定義(produced by 彼女)>によれば本当にかわいそうだと思うなら殺すことなどできない。殺す以上は農家の人間はみんな冷血動物なのだ。心の痛みなど感じないのだ。人間を殺すのがかわいそうだと思ったら誰も人を殺さないんだ。人類愛さえあれば、国防の必要なんてなかったんや!だって誰も人を殺さないんだから。たとえそれで飢えようが何しようが人が人を殺すことなんてありえないんや。殺すこと、にだけは動機がないのだ。その人が殺す人間だから殺すのだ。殺人犯は冷血動物で人間ではないから情状酌量の余地もない。有罪。有罪。有罪!」
一般人の頭の中ではまったくもって現実では成り立たないわけだが、
これが彼女氏の中ではなりたつのだ。
どういうことか、この「トンデモロジック」と「現実」との接合こそが彼女をオリジナルたらしめる能力であると私は考える。
それは同時に、彼女に常識を説くことの無意味さをも意味している。
私は「自分の手で殺せる生き物」しか食べないことにしています。釣った魚は自分で殺せるから食べます。でも猫や犬を殺せないように牛や豚や鶏も殺せないので食べません。「命を食べる」ということは「命を奪う」という現場にまで自分が責任を持つことだと思っています。動物を殺すのは専門の業者に任せて、自分はスライスされた肉を買ってきて食べるだけ。命を奪っているという認識はゼロ。わずかでも「情」というものを持ち合わせていたなら、大切に育てた命を殺して現金に換えるなどという残酷な生業などできるはずがないからです。
要するに「私がそうだからそうなのです」ということ。「なぜ私以外のことを考慮しなければいけないのか」でも可。
彼女の現実には彼女しかいない。彼女の思い描いた人間しかいない。彼女の思い通りにならない人間はいない。
ゆえに、彼女が是としたものは是なのです。他の人にとってそれが自然なことかどうかは最初から問題になってない。外の人などいない。
そおこでは彼女に逆らうものなどいない。たまに世界に紛れ込んでくる異物は殺処分!かわいそうじゃないから大丈夫だもん!
よってこれも全く問題なし。
殺される側の牛や豚にしてみたら、十分に太らされてから殺されようが、病気に感染して若いうちに殺されようが五十歩百歩。あたしが牛や豚なら、病気に感染して若いうちに殺されるほうが、人間に対して「ザマーミロ!」って思うよ。
彼女の世界の中では、牛はこのように考えるわけです。全く問題はない。
だって、彼女が脳内で作ってる世界なんだから動物だって彼女の思うとおりに思考する。
世界を自分好みに戯画化する(ただし有効範囲は脳内に限る)、それが彼女の能力。
どうせだったらマンガ家になればよかったのにと思う。才能の無駄遣いであろう。
・・・え?じゃあ彼女は誰と会話しているのか。
虫とかじゃない?虫は殺せるみたいだからね。