■何の命も奪っていない人などいない
俺はツイッタできっこさんをフォローしてるんでこのツイートにリプライしようか迷ってるうちにこんなまとめが出来てた。
俺はずっと屠殺に関わる畜産業を蔑む差別意識を理解出来ないでいた。
>残酷な殺戮が嫌なら転職すればよいでしょう。生き物の命を奪って現金に換えるという罪深い生き方を選択しているのはご本人でしょう。
[kikko_no_blog]
(※太字強調:俺)
だが、あ〜こういう理由で蔑んでいるわけか、と彼女のツイートで少し知ることが出来た。
こういう理由で屠殺に関わる畜産業を問題視する視点がかけらも湧いたことがないので、蔑む人たちが掲げる「蔑む理由」を俺にはとんと理解が出来ない。
それよりも、そんな理由で特定の職業を蔑視出来てしまうのか、と驚く。
俺は常々、命の尊厳を理由に掲げたベジタリアンなど肉食を避ける人たちの言い分ってのはおかしなものが多いと感じていた。
>私は「自分の手で殺せる生き物」しか食べないことにしています。釣った魚は自分で殺せるから食べます。でも猫や犬を殺せないように牛や豚や鶏も殺せないので食べません。「命を食べる」ということは「命を奪う」という現場にまで自分が責任を持つことだと思っています。
[kikko_no_blog]
>命の「尊さ」という観点からすれば、命に差異はないと思います。私は単に「自分の手で殺せるか否か」というモノサシで区別しているだけなので、たぶん「自分に近い哺乳類」や「それに準じる鳥類」は殺せませんが、自分とは距離のある魚類は殺せるのだと思います。
[kikko_no_blog]
このきっこさんの言い分は野菜しか喰わんベジタリアンよりももっと酷い。
自分が殺せるか否か、という主観で命を奪う正当性の基準を設けている。
それは結局のところ、自然の命を「これは殺していい」「これは殺してはいけない」と勝手に決める人間の驕りそのものではないのか。
魚も喰わないベジタリアンも同じだ。
植物を喰うことに「命を奪う」意識を強く持たずに済むのかもしれんが、そもそも野菜を作る畑は人工的なものだ。
野性の草だけ喰ってるベジタリアンはどれだけいるんだか。
畑で採れた野菜を喰っているならば、動物を殺して肉を喰う人たちと「命を奪う」事実はなんら変わらない。
元々そこに人間の手の入らない自然があって、そこでは人間と関係なく色んな命が生きていた。
そこに人間が森林を伐採し、雑草認定した草花をひっこ抜き、人間に必要な植物だけを植えた。
人間が育てた植物にも当然自然の虫たちが群がる。
だがその虫たちを「邪魔」にし、自分たちが喰らう食物の為に多くの小さい命を躊躇いなく奪う。
自然に生きる命を「害虫」と「益虫」に分けたのは人間の都合でしかない。
畑の作物を喰おうとする動物たちも「害獣」扱いされ、動物たちには喰い物を分けてやらんどころか駆除する。
人間に都合いい命だけが育まれ、それ以外は殺され、そうやって出来た野菜を喰うことが自然の命を尊重した行為なのか。
その畑があった場所で生きていた動物たちは飢えて苦しんで死んだのかもしれん。
畑を作らなければ死ななくて済んだ動物たちは多くいただろう。
その飢えて死んだ動物たちの養分を吸った土で育った野菜を、自分は一匹たりとも動物を殺していない意識で喰う傲慢さ。
魚ならいい。だが哺乳類は駄目。
誰がそんな命の区別をつける資格を与えられたというのか。
>生き物の命を奪って現金に換えるという罪深い生き方
こんな言葉を特定の職業に従事する人に吐けるだけの資格が本当に己にあるのか。
きっこさんは自分はこれまで一度も肉を喰わないで生きてきたというのだろうか。
まだ自分がそんな考えを持つようになる前、生まれてからこれまで一度も肉を口にしたことがないと言いきれるのか。
きっこさんを産んだ親も一度も肉食をすることなく生きながらえて子を産み育ててきたのか。
生き物の命を奪っていることを罪深い生き方だと屠殺に関わる畜産業に従事する人たちに対して吐くのならば、今迄の人生で少しでも動物の肉を口にしたことがあれば先ずはその己の罪を償うべきだ。
今迄どれだけ肉を喰ったか。
畜産業の人たちに罪深い生き方だと批難するぐらいの意識が強いなら、その前に一度でも肉を喰ったことのある自分や自分の祖先を真っ先に断罪しないのはなぜなのか。
自分は大変な罪を犯してしまったと出家しないのはなぜなのか。
魚だって殺されたくないだろう。
だが魚は自分の手で殺せるのはなぜなのか。
自分が食べる為という利己的な理由で魚の命を奪えるのはなぜなのか。
魚がそんな理由なら殺されても致し方ないと人間を赦していると思っているのか。
きっこさんの掲げる理由でなんらかの生き物の命を奪って現金に換えている人たちを批難するならば、畜産業のみに留まらない。
殺虫剤メーカーはどうなんか。
病原菌をばら撒くわけでもなくただ人間にとって不快だという理由で蟻なんざ巣ごと全滅させる薬を作り、本来益虫の蜘蛛も殺す殺虫剤もある。
自分は虫一匹殺さない生き方が出来るのか。
養蚕業はどうなのか。
魚の養殖はどうなのか。
人間の利益の為にいずれは殺す命を育てるという意味では同じだ。
自分が乗っている車は何も殺さないのか。
歩けばいいのになぜ車に乗るのか。
排気ガスは動物だけでなく人間の体も蝕むものでもあるのになぜそんな乗り物にわざわざ乗るのか。
自分が車で通る道沿いの住人は大気汚染が原因の喘息で苦しんでいるかもしれんのに。
そんな事実を知った時、車を捨てる気持ちは持てるのか。
自分が垂れ流す下水も地球を汚す原因の一つになっている。
自分ちの便所が清潔なのは不潔な排泄物を自宅の外に流しちまったからだ。
自分の体を綺麗に洗った排水は川や海を汚す。
自分は洗剤を一切使わないで生活しているのか。
そういう己の快適に何も犠牲になってはいないと思えるのか。
生き物の命を奪う罪を他人に問うと、それはどんな人も確実に自分に撥ねかえってくる。
そういう社会を人間たちは築いてきて、その中で人間たちは生きてきている。
みんな同罪だ。
自分が牛肉を喰わなかったぐらいで自分だけ罪を犯していないと思うなんざおめでたい思考だ。
スーパーで野菜を買ってきてそれで自然を守ってる気になるなんざおめでたすぎる。
その「安全な野菜」が自分の口に入るまで何の命も奪っていないと思えるならおめでたすぎる。
誰かが自分の見たくないことをしてくれてる。
何かが自分の犠牲になっている。
そこになぜ「感謝」が湧かんのか。
自分が見たくないことを見ないまま喰い物を選べることに。
自分の手を何一つ汚さずに喰いたい物を喰え清潔に暮らせることに。
人間の為に奪われた命を一つ一つ知らずに済んでいることに。
人の罪を問う前に自分が綺麗に生きられることに感謝汁。
喰い物を選べることに感謝汁。
そういう感謝が常に自分に在るならば決してこんなふうに人の職業に「罪深い」なんつー言葉は出てこない筈。
転職しろなんて発言は、自分は自分の意思だけで綺麗に生きられているのだと驕ってるに等しい。
誰かが、何かが、自分の見えないところで自分の綺麗な生活を支えてくれてるその事実に気づきもしないで人の罪を批難する驕りの自覚がこの人には持てないのかな。
余談だが、この人はここまで動物の命を大切に思うのになぜ人間を狂わせるパチンコは全く批難しないのだろう。
ギャンブルやる人が畜産業を蔑める根拠が俺には判らん。
2010-05-18(Tue) 18:37| 世間| トラックバック(-)| コメント(-)