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道徳「人間とは何か」
-『狼に育てられた子』より-

               実践者:水田孝一
                                    作成者:寺本 聡TOSS網走連合/TOSS網授研

 本サイトは、日本教育技術方法大系第6巻「小学6年生の教え方大事典」に収められている水田孝一氏の論文をWeb化したものである。

 この授業の原実践は、林竹二氏(故人)によるものである。わたしは、大学生のときに彼の授業実践を知り、すっかり魅せられてしまった。自分が教師になってからは、新卒のときから毎年、少しずつ形を変えながら、彼の実践を追試している。
 そして一昨年、遅ればせながら、私は向山洋一氏と法則化運動を知った。
 「机上の理論ではなく、授業実践をもって語る姿勢」「写真や資料を活用し、事実を提示して考えさせる手法」「一人一人の子どもに対する、優しさがあふれる接し方」など、林氏と向山氏には共通点が多いように思う。わたしは、向山氏と法則化運動にも、当然のように魅せられてしまった。今は、法則化技術を応用して、より内容の濃い授業にできないものかと、拙い実践を繰り返しているところである。
 (なお、有田和正氏の著書『有田学級の「道徳」の授業』に、まったく同じテーマの授業実践を見つけたときは、とても驚き、かつ嬉しかった)  

 6年生最後の授業参観日である。“人間とは何か”と板書し、ノートに題を書かせたあと、おもむろに問うた。

発問1 人間とは何ですか。

 あらためて聞かれると、簡単なようで答えにくい問題だ。困った様子の子どもが多い。テンポ良く列指名した。
 「生き物」「二本足で立つ生き物」などの答が返ってきた。そこで、次のように問うた。

発問2 確かに人間は生き物の一つです。ただし、かなり特殊な生き物ですね。人間は、他の生き物と比べて、どういうところが違いますか。
指示1 「人間は○○ができる生き物だ」という形で書きなさい。

 できた子からノートを持ってこさせた。○をつけながら、重複していない意見は、「○○ができる」の部分だけを板書させていった。
 書けた子は、さらに他の考えをたくさん作るように指示した。その結果、「二本足で立つことができる」「火を使うことができる」「道具を使うことができる」「服を着ることができる」「家に住むことができる」「料理をすることができる」「うそをつくkとができる」「動物をペットにする(飼う)ことができる」「言葉を話すことができる」「子どもを育てることができる」などの意見が出された。(※「道具」はいろいろ出たが、教師が集約した)

指示2 おかしいと思うものがあれば、反論しなさい。

 自分の家の犬を例に出して、「動物だって子育てをする」と言う反論や、動物の擬態をとりあげて、「他の動物もうそをつく」などの反論があった。その結果、「子どもを育てるのは人間だけではないから×」「擬態はうそではないから、うそをつくのは人間だけだから○」ということになった。

説明1
 ではここで、みなさんに一つのお話を聞いてもらいます。
 1920年に、今はバングラデッシュと呼ばれているところ、もとの名前でベンガルというところの山中で、実際にあった事件です。
 狼の群れの中に、人間の化け物がまじっている。それは4つ足で、ニワトリなんかを盗んで逃げていくときには、狼といっしょに速く走っている。しかし、どう見ても人間の姿だというので、人間の化け物が出ると評判になっていたのです。
 村の人たちが、この化け物を非常に怖がっていたので、探検隊が組織されて、その化け物の正体をつきとめようとした。親狼を弓矢で殺したところ、狼の子どもといっしょに、人間の子らしいのが、2人出てきたのです。捕まえるのに手こずったけれども、何とか捕まえて、カマラとアマラという名前をつけて、育児院で育てたわけです。そのカマラは、スープをやると、こういう飲み方をしました。(写真を提示)

発問3 どうしてこんな飲み方をするのでしょう。

 子どもたちは、最初「信じられない」という顔つきだったが、写真資料を出すと、食い入るような目で見ていた。
 「手が使えないから」「4つ足だから」という反応が返ってきた。

説明2
 その通りです。4つ足で歩いているから、手が使えないのです。このカマラは、2本足で立つのに、6年くらいかかったのです。
 他にも、ふつうの人間とは思えないこととしては、
・言葉が話せない。遠吠えや唸り声は出せた。
・昼は壁に向かってじっとしているが、夜は行動的で、真っ暗なところでも目が見える。
・生肉が好きで、腐った肉を食べても、おなかをこわさない。
・人間の社会に戻されて、1年足らずで妹のアマラが死んだとき、姉のカマラはアマラが死んだことが理解できず、なんとか体をゆすって起こそうとした。死体が外に運び出されると、20日間、ものを食べずに、アマラを探して辺りを嗅ぎまわっていた。とうとうアマラがいないのが分かったとき、両方の目から、涙が一粒ずつこぼれたきりだった。人間の悲しみとはずいぶんちがう。

 写真資料を見せながら説明した。

発問4 では、アマラとカマラは、人間だと言えるでしょうか。それとも、人間だとはいえないでしょうか。「人間だといえる」か「人間だといえない」か、どちらかをノートに書いて、そう思う理由を書きなさい。

 姿形は確かに人間だが、先ほど自分たちが挙げた「人間は○○ができる」は、何一つできないのだ。すぐに書き始める子、うんうん悩む子、早くも近くの席の子とミニ討論を始める子、反応はさまざまであるが、集中している様子がうかがえた。「分からないというのは、だめですか?」という質問があったが、討論を行うので、どちらかに決めるように指示した。手を挙げさせて数を数えると、「いえる派」15人、「いえない派」18人と、ほぼ真っ二つに割れた。これはおもしろい。

指示3 机をコの字型にしなさい。討論をします。

 すぐに「指名無し討論」が始まった。参観日の緊張感からか、問題への集中度が高いからか、いつもならうまくできていた「ゆずりあい」ができず、数人が同時にしゃべり出してはストップするなど、スムーズさには欠けたが、迫力はあったように思う。
 〈人間だといえる派〉
・たとえ狼に育てられても、体は人間の体のままで、狼の体にはならない。
・つかまって人間に育てられたら人間に戻れた。他の動物をいくら人間同様に育てても人間にはならない。人間に戻れたの 
 だから人間だ。
・生みの親は人間である。人間から生まれるのは、人間だけだ。
・動物は家族が死んでも涙は出ない。だけどアマラが死んだとき、カマラは涙を流した。だから人間だ。
 〈人間だといえない派〉
・4つ足で走り、目は暗闇でも見え、生肉を食べても大丈夫なのだから、もう人間とはいえない。
・人間につかまったから人間に戻ったが、そのままだと狼として一生を終えたはずだ。だから狼だ。
・「人間は○○ができる」というのが、一つもできない。そのかわり、「狼は○○ができる」に当てはまることがたくさんある。だ
 から狼だ。
 討論の結果、
 人間だといえる派   15人→19人
 人間だといえない派 18人→14人
となった。「いえる派」が少し増えたのは、“涙”の意見の効果が、大きかったように思う。
 参観日だったので、後ろで見ている親にも「どちらだと思いますか?」と尋ねてみた。子どもたちが一斉に後ろを振り返ったので、みんなギョッとした顔になったが、親の意見もほぼ真っ二つのままだった。

説明3
 「カエルの子はカエル」という諺があります。カエルの子は、親とはまったくちがう姿のおたまじゃくしですが、放っておいても、そのうちカエルになるところからできた諺です。では同じように「人間の子は人間」といえるでしょうか。放っておいても、人間になれるだろうか。これは討論で意見が分かれたように、そう簡単には言えないね。狼に育てられた人間は、普通の人間とは異なった生き物になってしまう。人間は放っておいても、人間になるとは言えない。「人間は環境の動物」と言われます。育つ環境によって、人間は大きく変わります。君たちがこれからどんな人生を歩むのか、それは周りの環境に大きく左右されます。ただし、環境というのは、自分で選択することができます。自分がどんな人生を生きたいかよく考えて、それにふさわしい環境に自分を置くこと、また自分自身でその環境を作っていくことが大切だと思います。

指示4 では今日の授業で考えたことを、ノートにまとめておきなさい。

 途中でチャイムが鳴ったので、「書けた人からノートを提出して、終わりなさい」ということにした。
 授業終了後、数人の子どもたちが押しかけてきた。「先生はどっちなん?」まだ討論の続きをしているらしい。「うーん、悩むなあ」とごまかしておいた。
 「絶対、人間やって!」「ちがう、人間やないで!」と、いつまでも話し合っている子どもたちを見ると、うれしくなった。

注)水田氏の論文には、学級通信・日記が添付されているが、Web版のここでは割愛させて頂いた。

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