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あたご衝突:「検察主張は虚構」 遺族「何言ってるんだ」

衝突したイージス艦「あたご」(奥)と二つに折れて浮かぶ清徳丸の船首部分=2008年2月撮影
衝突したイージス艦「あたご」(奥)と二つに折れて浮かぶ清徳丸の船首部分=2008年2月撮影

 「検察の主張は虚構」「ゆがんだ捜査」。横浜地裁で23日午前始まった海上自衛隊イージス艦「あたご」と漁船「清徳丸」の衝突事故の初公判。業務上過失致死罪などに問われた元あたご当直士官の自衛官2人は哀悼の意を表しつつも、激しい表現で「冤罪(えんざい)」を訴えた。事故から2年半。船長の遺族らの悲しみはいえず真相解明を求めている。

 横浜地裁で最も大きい地裁101号法廷。午前10時、後潟(うしろがた)桂太郎(38)、長岩友久(37)の両被告はいずれも黒っぽい色のスーツに、グレーのネクタイ姿で入廷。検察官が起訴状を朗読する間、拳を握りながらまっすぐ前を向き聴き入った。

 起訴内容について両被告はまっすぐ秋山敬裁判長を見つめ、時折語気を強めはっきりとした口調で否認した。後潟被告は「亡くなられた2人に対する冥福を祈る気持ちは変わりません」と述べつつ「世論が沸騰し、ゆがんだ捜査が行われた」。長岩被告も「改めて哀悼の意を表します」と語る一方で「航跡図は虚構。作られた過失で刑事責任を問われるいわれはありません」と強調した。

 満席の傍聴席には亡くなった船長、吉清(きちせい)治夫さん(当時58歳)のおい吉清祥章(よしあき)さん(21)の姿も。無罪主張について「何言ってるんだろうなあ、という気持ち。なぜあの海域で自動操舵(そうだ)しているのかと思うし、過失なしの無罪はあり得ないと思う」とうつむき加減で語った。【松倉佑輔】

   ◇  ◇

 「人間のすることじゃない。亡くなった2人がかわいそう」。治夫さんの叔母(80)は報道で両被告の無罪主張を知り、怒りをあらわにした。遺族らの多くは法廷を訪れなかったが「真実を語ってほしい」と願っている。

 治夫さん方の近所に住む叔母は、治夫さんの長男哲大(てつひろ)さん(同23歳)を孫同然にかわいがっていた。「目を閉じると、幼いころに『好きな人ができたら、連れて来るね』って言ったニコニコ顔が浮かぶ」と目に涙を浮かべた。「『死人に口なし』になってはいけない」と口調を強めた。

 2人が所属した新勝浦市漁協(千葉県勝浦市)の渡辺幸治組合長(66)は「あたご艦長が事故直後に涙ながらに謝罪して遺族もわれわれも救われたのに、海難審判では責任回避の言葉が並んでがくぜんとした」と海自側の姿勢に疑問を投げかけ「墓前に『謝罪は本物だったんだよ』って報告してあげたい」と語った。【駒木智一】

 ◇あたご衝突事故の主な経緯◇

 <2008年>

2月19日 あたごと清徳丸が衝突。吉清さん親子が行方不明に

  20日 第3管区海上保安本部があたご乗組員の聴取を開始

  21日 石破茂防衛相(当時)が吉清さんの家族を訪ね謝罪

  29日 横浜地方海難審判理事所が特別調査本部を設置

 3月2日 福田康夫首相(当時)が吉清さん方を訪れ謝罪

  28日 防衛省が舩渡健艦長(当時)ら6人を事実上更迭

4月16日 3管があたごを航行させ事故海域で現場検証

5月20日 3管が吉清さん親子の死亡認定

6月24日 3管が当直士官2人(当時)を業務上過失致死容疑などで書類送検

  27日 横浜地方海難審判理事所が海難審判申し立て

9月4日 第1回海難審判で舩渡・前艦長らが争う姿勢

 <2009年>

1月22日 横浜地方海難審判所が主因をあたご側と認め、所属部隊に安全航行の指導徹底を求め勧告する裁決(後に確定)

2月19日 事故1年。清徳丸の僚船が出港して海に献花

4月21日 横浜地検が、書類送検された2人を在宅起訴

5月22日 防衛省が事故調査報告書を公表

 <2010年>

8月23日 横浜地裁で初公判

毎日新聞 2010年8月23日 11時45分(最終更新 8月23日 13時20分)

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