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梨元さん 芸能取材の原動力は母親への思い
【梨元勝さん死去】梨元さんは入院中の先週17日に、病床から俳優黒田アーサー(49)と実業家女性(32)の熱愛ニュースを携帯サイトで発信するなど、最後まで第一線で活躍した。
女性誌「ヤングレディ」時代は芸能人との関係を築くことにたけていたものの、取材対象の言葉に惑わされてスクープを逃すことがあり、周囲から「なんにもナシモト」と揶揄(やゆ)されたこともあった。しかし、ペンをマイクに持ち替えると一転、花形の道を突き進んだ。
当時のワイドショーは週刊誌の記事を紹介し、スキャンダルの内容と解説を伝えるスタイルだった。ところが「テレビは音と映像の世界。状況を伝える力がある」と考えた梨元さんは現場に必ず足を運び芸能人を直撃。取材を嫌がる相手にもマイクを向け続け、そのプロセスごと伝える新たなスタイルを確立し「突撃リポーター」の異名を取った。
決めゼリフの「恐縮です!」も強引な取材姿勢の反動として生まれたものだった。
海外へ行っても突撃ぶりは変わらず、92年にロンドンでチャールズ皇太子との離婚問題の渦中にいたダイアナ妃を取材。英語が得意でなくても積極的に話しかけ、現地新聞で「突撃男」として取り上げられた。
最盛期にはテレビや週刊誌で約30本のレギュラーを抱え、携帯電話の電池パックを5本持って歩くなど、精力的に仕事をこなした。その原動力になったのは母親への思い。複雑な家庭環境の中、母親に甘えることを知らずに育った梨元さんは高校時代に入院した母親に「こういう時にコロっといくかもね」と憎まれ口を叩いた。すると母親が数日後に死去。この時の強い後悔に比べたら、仕事での苦労や悩みなんてと自分に言い聞かせ取材活動に励んだという。
ただ、強引な取材姿勢は芸能人だけでなく、世間からの批判を浴びることもあった。取材に対する考え方の違いなどからテレビ局とも対立するようになり、レギュラー番組を次々に降板。それでも、信念は曲げず、インターネットや携帯サイトに活躍の場を移し突撃取材を継続。入院後も携帯電話数台を持ち込み、情報収集してニュースを発信していた。
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