2010-08-22(Sun)
昔、死んだばーちゃんに、『窓ぎわのトットちゃん』の本をもらったんだ。
そういえば、私のばーちゃんも、学歴とかはそんなに高くないはずなのに、よく本読む人だったなぁ。
とにかく、まだ子供の頃に、本をもらったのよ。
その中で、トットちゃんの友達の男の子が死んじゃう場面があるの。
確かその男の子は小児マヒか何かで、うまく体が動かせないんだけど、トットちゃんが一緒になって、何とかして二人で木に登ってみたりした仲良しの男の子なのよ。
その男の子が死んじゃったって場面で、私はいつも泣いてたの。
どういうふうにして死んだのか、まわりの人たちはどうだったのか、そういうことよりも、ただただ死んじゃったってことが悲しくて、私も一緒に泣いてた。
何度読んでも泣くから、「今度こそは絶対泣かない!」と思って読んでも、やっぱり泣くの。
なんでだろうねぇ。同じ場面で何度も何度も泣いちゃってさ。
もっと昔、十歳にもならない頃に読んだ本でも、泣いたお話ってあった気がするんだけど、印象に残ってるのはトットちゃんなんだよね。
映画で泣くのは『ブロークバック・マウンテン』。
ゲイ物の映画だからとかなんとかよりも、イニスとジャックが悪いわけじゃないのに、一緒に生きられないことが悲しくて、最後の方で二人がケンカ別れしたあたりで、ぶわっと泣いちゃうのよ。
ちゃんとDVDも買って持ってるのに、見れば絶対泣くってわかってるから、最近はあんまり見ないようにしてる(汗)。
サントラ聞くだけで泣くし(爆)。
いやそれはたぶん、グスタボ・サンタオラーヤの曲が良すぎるからだろうけど。
原作読んでも泣いちゃうんだもんね。なんかいろいろマズいよ。
ゲイ物というか、BL系の作品で最初に泣いたのは『終わりのないラブソング』なんだけど、これはたぶんみんな泣くだろうね。
家出するのは三巻あたりだっけ。そのへんでぐぐ〜っと来るというかな。
中島梓作品では『いとしのリリー』なんかでも泣く人はいるんだろうけど、私はそっちでは泣かなかった。
舞台は一回しか見てなかったと思うしな。
何度か見る機会があったのに、一回しか見てないんだよね。
今日もちょっと泣いた。
頼んどいた『不確かなシルエット』が届いたから、一気読みしようと思ったのに、一気に読めないで泣いてた。
人が死んだりはしないけど、たった今、そこにいた人が消えてしまう、確かにいたのに、いなかったことになってしまう、自分しかその人のことを覚えていないって、そういう切なさをどう扱ったらいいのよ。
抱えきれないよ。持て余しちゃうよ。夜だって寝られないよ。記憶をたどって「そこ」に戻ろうとするよ。絶対に戻れないのに。
それとも、これ読んで泣かない人もいるのかな。
ちょっといろいろあって、私の今の感覚が鋭くなり過ぎてるだけなのかな。
「感動しました!」とか「泣きました!」とか少ない語彙で簡単に言えることじゃなくて、その不在感がすさまじくて、泣かないと空洞を埋められないというかな。
いるのが当たり前になってたのに、唐突にいなくなったら、喪失感にも全然慣れないというか、泣くにも、声を押し殺してむせび泣く感じ。
このシリーズ、実は変な読み方をしちゃって、三巻目から読んだ感じなの。
『強がりなピルエット』→『溺れそうなリグレット』→『不確かなシルエット』って感じで、うしろから読んじゃったのよ。
たまたま最初に本屋で見つけたのが『強がりなピルエット』だったもんで。
でも、これ逆から読んでよかったかも。
『不確かなシルエット』から読んでたら、余韻が残り過ぎてて、次読みたいって気持ちになるまで、何ヶ月かかかったと思う。
大げさな話じゃなくて、私はそういうタイプなのよ。
気持ちの整理にものすごく時間がかかっちゃうの。
しかも『溺れそうなリグレット』も途中でけっこう来るしな・・・。
なんか・・・本当はそういうのよくないんだろうけどね。
自分で物を書いてても、自分の書いたもので感極まって泣くとかあるし、おかしいじゃん(汗汗)。
昔とはあんまり認めたいと思わなかったけど、感性というか、感じ方が鋭いっていうのはあるのかも。
あまりにも鋭いから、普段は何も感じないように、自分の心にフタをしてるというか。
それって、抑圧されて育った人間にはありがちなことなのかもしれないけどね。
痛みを感じないように、心をそっちに向けないようにしてるの。
でも、ごまかせないよね。
触れられて痛いっていうことは、生きてる証拠でもあるんだし。
生きてる証拠を覆い隠したままじゃ、そのうち息が詰まっちゃうよ。
きたざわ尋子作品は、出版されてるものは全部手に入れようと思ってるから(←おい)、これからも泣くことはあるのかなー。
だまされたいシリーズが一番好きだけど、「砂」シリーズもけっこう好き。
『月のガラスと共犯者』と『優しい雨に濡れる砂』ね。
今度は、「鳥」シリーズの三冊目を買おうかな。
久保寺みたいなやつ好きなんだよね(笑)。
出会うべき物語と出会ったとき、どういう形であれ、人の心に足跡を残すもの。
それは何年たっても、ずっと価値を保つもの。
時間がたつにつれて色あせるんじゃなくて、逆に熟成されて持つ意味が深化していくもの。
そういう物語とたくさん出会いたいよね。
そういえば、私のばーちゃんも、学歴とかはそんなに高くないはずなのに、よく本読む人だったなぁ。
とにかく、まだ子供の頃に、本をもらったのよ。
その中で、トットちゃんの友達の男の子が死んじゃう場面があるの。
確かその男の子は小児マヒか何かで、うまく体が動かせないんだけど、トットちゃんが一緒になって、何とかして二人で木に登ってみたりした仲良しの男の子なのよ。
その男の子が死んじゃったって場面で、私はいつも泣いてたの。
どういうふうにして死んだのか、まわりの人たちはどうだったのか、そういうことよりも、ただただ死んじゃったってことが悲しくて、私も一緒に泣いてた。
何度読んでも泣くから、「今度こそは絶対泣かない!」と思って読んでも、やっぱり泣くの。
なんでだろうねぇ。同じ場面で何度も何度も泣いちゃってさ。
もっと昔、十歳にもならない頃に読んだ本でも、泣いたお話ってあった気がするんだけど、印象に残ってるのはトットちゃんなんだよね。
映画で泣くのは『ブロークバック・マウンテン』。
ゲイ物の映画だからとかなんとかよりも、イニスとジャックが悪いわけじゃないのに、一緒に生きられないことが悲しくて、最後の方で二人がケンカ別れしたあたりで、ぶわっと泣いちゃうのよ。
ちゃんとDVDも買って持ってるのに、見れば絶対泣くってわかってるから、最近はあんまり見ないようにしてる(汗)。
サントラ聞くだけで泣くし(爆)。
いやそれはたぶん、グスタボ・サンタオラーヤの曲が良すぎるからだろうけど。
原作読んでも泣いちゃうんだもんね。なんかいろいろマズいよ。
ゲイ物というか、BL系の作品で最初に泣いたのは『終わりのないラブソング』なんだけど、これはたぶんみんな泣くだろうね。
家出するのは三巻あたりだっけ。そのへんでぐぐ〜っと来るというかな。
中島梓作品では『いとしのリリー』なんかでも泣く人はいるんだろうけど、私はそっちでは泣かなかった。
舞台は一回しか見てなかったと思うしな。
何度か見る機会があったのに、一回しか見てないんだよね。
今日もちょっと泣いた。
頼んどいた『不確かなシルエット』が届いたから、一気読みしようと思ったのに、一気に読めないで泣いてた。
人が死んだりはしないけど、たった今、そこにいた人が消えてしまう、確かにいたのに、いなかったことになってしまう、自分しかその人のことを覚えていないって、そういう切なさをどう扱ったらいいのよ。
抱えきれないよ。持て余しちゃうよ。夜だって寝られないよ。記憶をたどって「そこ」に戻ろうとするよ。絶対に戻れないのに。
それとも、これ読んで泣かない人もいるのかな。
ちょっといろいろあって、私の今の感覚が鋭くなり過ぎてるだけなのかな。
「感動しました!」とか「泣きました!」とか少ない語彙で簡単に言えることじゃなくて、その不在感がすさまじくて、泣かないと空洞を埋められないというかな。
いるのが当たり前になってたのに、唐突にいなくなったら、喪失感にも全然慣れないというか、泣くにも、声を押し殺してむせび泣く感じ。
このシリーズ、実は変な読み方をしちゃって、三巻目から読んだ感じなの。
『強がりなピルエット』→『溺れそうなリグレット』→『不確かなシルエット』って感じで、うしろから読んじゃったのよ。
たまたま最初に本屋で見つけたのが『強がりなピルエット』だったもんで。
でも、これ逆から読んでよかったかも。
『不確かなシルエット』から読んでたら、余韻が残り過ぎてて、次読みたいって気持ちになるまで、何ヶ月かかかったと思う。
大げさな話じゃなくて、私はそういうタイプなのよ。
気持ちの整理にものすごく時間がかかっちゃうの。
しかも『溺れそうなリグレット』も途中でけっこう来るしな・・・。
なんか・・・本当はそういうのよくないんだろうけどね。
自分で物を書いてても、自分の書いたもので感極まって泣くとかあるし、おかしいじゃん(汗汗)。
昔とはあんまり認めたいと思わなかったけど、感性というか、感じ方が鋭いっていうのはあるのかも。
あまりにも鋭いから、普段は何も感じないように、自分の心にフタをしてるというか。
それって、抑圧されて育った人間にはありがちなことなのかもしれないけどね。
痛みを感じないように、心をそっちに向けないようにしてるの。
でも、ごまかせないよね。
触れられて痛いっていうことは、生きてる証拠でもあるんだし。
生きてる証拠を覆い隠したままじゃ、そのうち息が詰まっちゃうよ。
きたざわ尋子作品は、出版されてるものは全部手に入れようと思ってるから(←おい)、これからも泣くことはあるのかなー。
だまされたいシリーズが一番好きだけど、「砂」シリーズもけっこう好き。
『月のガラスと共犯者』と『優しい雨に濡れる砂』ね。
今度は、「鳥」シリーズの三冊目を買おうかな。
久保寺みたいなやつ好きなんだよね(笑)。
出会うべき物語と出会ったとき、どういう形であれ、人の心に足跡を残すもの。
それは何年たっても、ずっと価値を保つもの。
時間がたつにつれて色あせるんじゃなくて、逆に熟成されて持つ意味が深化していくもの。
そういう物語とたくさん出会いたいよね。