【萬物相】歴史でしくじった国

 1971年6月、ルーマニアの独裁者ニコラエ・チャウシェスクとエレナ夫人は、平壌を訪問し、北朝鮮スタイルの全体主義に感激した。賓客をもてなす人文字、人民宮殿、碁盤の目のような街路の設計に魅了されたのだ。77年にルーマニア全域で地震が起こったのを機に、独裁者夫妻は、復旧を口実に再建事業に乗り出した。夫妻は、ブカレストの住宅街をブルドーザーで取り壊し、北朝鮮スタイルの人民宮殿を建設する計画を立てた。それは、政府機関や政党がすべて入るほどの規模だった。

 夫妻は工事の際、気に入らない建物があると建て直しを命じ、それが繰り返された影響で、完成には至らなかった。89年12月、工事が70%程度進んだ段階で、夫妻は民衆蜂起により追放され、反乱軍に捕らえられ銃殺された。金日成(キム・イルソン)体制を直輸入したルーマニアの独裁者の最期は、北朝鮮政権に大きな衝撃を与えた。90年代初め、米国の時事週刊誌「ニューズウィーク」は、チャウシェスク処刑の場面をビデオで見た金正日(キム・ジョンイル)総書記が、側近に対し「わたしたちも人民の手で殺されるかもしれない」と語った、と報じた。

 ルーマニア出身で昨年ノーベル文学賞を受賞した作家ヘルタ・ミュラーは一昨日、ソウルで記者会見を開き、金日成とチャウシェスクを「師弟関係」で比較した。ミュラーは、「チャウシェスクは金日成を統治の模範と見なし、金日成から学んだことをルーマニアで応用した。北朝鮮は、この世で最もむごたらしく、歴史でしくじった怪物のような国」と語った。ミュラーは53年、ルーマニアのドイツ系少数民族の家に生まれた。ミュラーは秘密警察の手先になることを拒否し、監視対象となった。

 ミュラーは小説『飛べない雉(きじ)』の中で、ルーマニアの民衆を「翼が退化したキジのように、無気力な存在」と描写した。87年にドイツに亡命したミュラーは、チャウシェスク処刑のニュースを聞き喜んだときのことを、このように回想した。「わたしは死刑に反対する人間だが、そうした状況では(民衆が)感情的に対応することになるのではないか…事実、被造物への哀れみも感じられた」

 また、小説『ヘルツティーア』では、独裁者の下で過ごした若き日々の自画像を描いた。「ヘルツティーア」とは「心の獣」という意味の造語で、「国家権力の恐怖にさらされているにもかかわらず、内面で育つ生への欲望」を描写するために作り出された。ミュラーがチャウシェスクの下でそうであったように、まさのこの瞬間も、「歴史でしくじった国」には、心の中でひそかに生の欲望を膨らませている人々が間違いなく存在しているのだ。

朴海鉉(パク・へヒョン)論説委員

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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